「高知ファンクラブ」 投稿者別の記事1

「高知ファンクラブ」への投稿者別の記事をまとめたブログです

武吉孝夫写真集・・・昭和51年を歩く  高知市旭、高知市中心部の西

2013-01-29 | HN:訪問者

武吉孝夫写真集・・・昭和51年を歩く  高知市旭、高知市中心部の西

30年前の高知市の町並みの写真集が発刊されました。

武吉孝夫さんは今、再び30年前に写真を撮った場所を探して、30年後の高知市を取り続けています。日曜日ごとに窪川から足を運んでいます。

 

はじめに作成した、高知市旭の方は完売のようです。

富士書房での月刊販売ランキングで1位を何度も取っていたとか。

 

二冊目の、高知市中心部の西は現在販売中とのこと。

富士書房や金高堂で手に入るようです。

 

高知市中心部の東 がもうすぐ出来上がるとか。

 

武吉孝夫さんの「沈下橋よ永遠なれ」 目次

武吉孝夫著 「沈下橋よ永遠なれ」(写真集)

 

事務局が推薦する お楽しみ連載記事

情報てんこもり  サイトマップ   「高知ファンクラブ1」(新設) 「高知ファンクラブ」 


HN:訪問者  さんの記事

2010-12-22 | HN:訪問者

HN:訪問者  さんの記事

堂の口あけ祭り(魔除けの大わらじ
津野町高野に 中平善之進の像
高野(たかの)の回り舞台
吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の生家を訪ねる2
吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の生家を訪ねる1
吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の銅像を訪ねる
海の駅あしずり と「ジョン万ハウス」2
海の駅あしずり と「ジョン万ハウス」
足摺・・・ジョン万次郎の生家(生誕地)・中浜2
足摺・・・ジョン万次郎の生家・中浜1
足摺・・・臼碆の展望台より
足摺・・・松尾のアコウ
足摺・・・唐人駄馬に寄りました
足摺・・・おおどトンボ公園
西島園芸団地 を訪問しました
道の駅南国 風良里 に寄りました・・・その3「ショップ風良里
道の駅南国 風良里 に寄りました・・・その2「風の市
道の駅南国 風良里 に寄りました
中岡慎太郎生家 を訪問
中岡慎太郎館 を訪問
海の駅とろむ で料理たての刺身を食べました
足摺黒潮市場 ウオッチング!
足摺岬で「万次郎足湯」堪能しました!
道の駅 ビオスおおがた ウオッチング
モネの庭(北川村)に行きました・・・その2
モネの庭(北川村)に行きました・・・その1


さがす! 高知ファンクラブへ サイトマップ


堂の口あけ祭り(魔除けの大わらじ)

2010-12-22 | HN:訪問者

車で走るときいつも気にかかっていた津野町宮谷地区の魔除けの大わらじ、先日車を止めて見る事が出来ました。


 


津野町観光情報:堂の口あけ祭り(魔除けの大わらじ)


津野町宮谷地区にある、明王寺薬師堂の開帳日に行う「堂の口あけ祭り」です。
この祭りでは、地元地区民が藁を持ちより、「魔除けの大わらじ」や「大しめ縄」を作り奉納します。この大わらじ(地区民は昔から金剛バッコと言った)やしめ縄を宮谷地区の入り口につるし、地区民の無病息災を祈願するのです。

さて、この金剛バッコ(大わらじ)、半分までしか作りません。これは・・・
「この地区には、この金剛バッコを履く金剛力の大男がいるぞ!やっと半分ほど出来たがまだどれだけ大きくなるかわからんぞ。悪病神が入ってきたら踏み潰すぞ。」
という悪病神を追い払おうとする先人の奇抜な発想から始まり、今日まで続いているのです。

金剛バッコの下に吊るされている藁(わら)すぼには、お米や煮しめが入っており、これを皆で分けて食べると、無病息災に過ごせると言い伝えられています。また、贈り物に可愛いミニ開運厄除わらじも用意されています。もちろん、半分までのわらじになっています。


 


出典:堂の口あけ祭り (大わらじ)


大わらじの里 宮谷
    「
宮谷のホームページ 」 はこちら



堂の口あけ祭り「大わらじ」について

 宮谷地区は、旧暦の一月二十八日(現在は二月の最終日曜日)
明王寺本堂並びに伝統文化保存館で堂の口あけ祭りを毎年続けております。
当日は、地区民総出で稲わらを家々から持ち寄り、しめ縄といっしょに「大わらじ」(昔より地区民は金剛バッコと言った)を作り、宮谷地区の入口に吊るし、地区民の無病息災を祈願して来ました。

 古老の話しでは、龍馬が脱藩して行った往還端の宮谷入り口の辻、茶堂付近の大木につるしていたと言う。

 いつの時代に始まったか定かではありませんが、言い伝えによりますとその昔に疫病が流行し、多くの地区民が死亡したため「魔よけ」として作り始めたそうです。

 金剛バッコは半分ほどしか作らない、
「この地区には金剛バッコを履く金剛力の大男がいるぞ。やっと半分ほどができたが、まだどれだけ大きくなるかわからんぞ。悪病神が入って来たら踏み潰すぞ。」と
悪霊を追い払う先人の奇抜な発想が、今日まで続いています。
金剛バッコを作り終えると、幸せを願い百万遍の念仏を行い、地区の入り口にしめ縄、金剛バッコを飾りつけ、金剛バッコの下に吊るしているわらすぼの中からご飯、煮しめ等を取り出して、みんなが分け合い頂きますと無病息災に過ごせると伝えられて来ました。

                 平成十八年十月吉日  宮谷地区

  「宮谷地区入り口の大わらじ横の立て札より」


 



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津野町宮谷地区の


堂の口あけ祭り(魔除けの大わらじ)


 


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宮谷地区の堂の口あけ祭り(魔除けの大わらじ) に関する記事 


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津野町高野に 中平善之進の像が

2010-12-22 | HN:訪問者

津野町高野に 中平善之進の像が!


高野の回り舞台の近く、国道の並びにあります。


宝暦年間に起こった津野山一揆の指導者。
農民救済に生涯をささげた義民で、その功績はいまなおかたりつがれている。とのこと・・・


 


出典: 中平善之進墓


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中平善之進(1709-1757)


東津野村北川庄屋上岡吉左衛門次正の長男として生まれ、元文3年(1738)檮原村大庄屋中平弥左衛門の養子になりその職を嗣いだ。


 土佐藩は宝暦2年(1752)に専売制を強化し、各種国産物に問屋を指定し生産者農民から強制的に買い上げさせたが、不当に安値だったので農民の厳しい抵抗が起こった。宝暦5年(1775)の津野山騒動である。


 庄屋であった善之丞はその責を全て負い藩にその不正をうったえた。藩は善之丞と問屋商人・蔵屋利左衛門とを対決させた。強く利左衛門の不正を指摘して問屋制の矛盾に迫ったが、藩は両人とも死罪にした。その後各地で専売制への批判が起こり、ついに宝暦13年(1763)に,専売制全般を一時撤去した。


 


出典: 「しまんとふぁん」より


 中平善之進は、「天誅組」(大岡昇平著)の主人公・吉村虎太郎や坂本龍馬が活躍する時代よりもおよそ百年ほど昔の人で、地元農民の苦しみを背景に、庄屋の身分ながら山内家の使者の行列に「待った」をかけ、妻子ともども打ち首にされた人物です。
 それよりも、およそ百年前の千葉佐倉で起こった「惣五郎の事件」によく似ていることもあり、ひところ、彼のことを「土佐の佐倉惣五郎」などと称することもありました。
 その生き様(死に様)からも想像できるように、土地の人々から深く慕われた、彼のような人物に対する土佐藩の扱いは、百年後の「維新の時代」へとつづくアンチ山内家&アンチ徳川家への感情的流れの本流となるべく、深く静かに一般民衆の心の中に浸潤してゆくきっかけなったことは否定すべくもなく想像することができます。


 



 



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中平善之進の像


中平善之進風神塚


高知県高岡郡津野町高野


地図で見る


 


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高野(たかの)の回り舞台

2010-12-22 | HN:訪問者

高知県高岡郡津野町の高野にある「高野の回り舞台」に行きました。


近くで田んぼの世話をしていた地元の方に、少し話を聞けました。


二年前に地区の人々によって農村歌舞伎が演じられたそうで、今度は二年後の予定ですと教えてくれました。


高野の回り舞台


高野地区の三嶋神社境内にある、日本で唯一現存する鍋蓋上廻し式の廻り舞台

 国の重要有形民俗文化財の指定を受けた舞台では、4年に1度、地区の人々によって農村歌舞伎が演じられています。


高野の回り舞台


  


【高野の回り舞台の農村歌舞伎】
 東津野村の三嶋神社境内で、4年に1度、10月下旬に開催される伝統の農村歌舞伎。国の重要文化財である「鍋蓋上回し式」の回り舞台で演じられます。 


 



IMG_2562.jpg     国道の直ぐ下に、三嶋神社と回り舞台が並んで建っています。





IMG_2563.jpg        この標識から、下へ車で降りていきました。



 



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P1050983.jpg           三嶋神社境内


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高野(たかの)の回り舞台


 


 


 




 
日本で唯一現存する鍋蓋上廻し式の廻り舞台


 


 

 


4年に1度、10月下旬に地区の人々によって農村歌舞伎が演じられる



  


 


 


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吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の生家を訪ねる2

2010-12-22 | HN:訪問者

国道439号線、この道はこれまで何回も通っているのに、吉村虎太郎の生家があることを知りませんでした。


道も整備されて、気持ちよく吉村虎太郎の生家を訪問することが出来ました。地図で見る



 



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IMG_2512.jpg吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の
生涯


高岡郡芳生野村(高知県高岡郡津野町)の里正(庄屋)吉村太平の長男として生まれる。12歳で父の跡を継いで北川村庄屋となった。後に須崎郷浦庄屋となり、転村の庄屋広田家の娘お明と結婚。同地で郡役人の間崎哲馬に学問を、また城下に出て武市半平太剣術を学び尊攘思想に傾倒するようになった。



 



IMG_2511.jpg地図で見る


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吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の生家を訪ねる1

2010-12-22 | HN:訪問者

吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の生家を訪ねる1


国道439号線、この道はこれまで何回も通っているのに、吉村虎太郎の生家があることを知りませんでした。


地図を見ながら行くと、それらしき標識が・・・すぐ近くの真新しい家にいた子どもさんに聞くと、微笑みながら丁寧に教えてくれました。


そこから50メートルくらい先のお店の向こうに、立派な標識がありました。


道も整備されて、気持ちよく吉村虎太郎の生家を訪問することが出来ました。地図で見る


 


吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の生涯


高岡郡芳生野村(高知県高岡郡津野町)の里正(庄屋)吉村太平の長男として生まれる。12歳で父の跡を継いで北川村庄屋となった。後に須崎郷浦庄屋となり、転村の庄屋広田家の娘お明と結婚。同地で郡役人の間崎哲馬に学問を、また城下に出て武市半平太剣術を学び尊攘思想に傾倒するようになった。



 



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P1050968.jpg地図で見る 


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吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の銅像を訪ねる

2010-12-22 | HN:訪問者

吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の銅像を訪ねる


津野町の役場の裏に吉村虎太郎の銅像があることは、以前から通るたびに見ていたが、上がって行ったのは初めてでした。


生涯


土佐国高岡郡芳生野村(高知県高岡郡津野町)の里正(庄屋)吉村太平の長男として生まれる。12歳で父の跡を継いで北川村庄屋となった。後に須崎郷浦庄屋となり、転村の庄屋広田家の娘お明と結婚。同地で郡役人の間崎哲馬に学問を、また城下に出て武市半平太剣術を学び尊攘思想に傾倒するようになった。


 


文久元年(1861年)武市半平太が土佐勤王党を結成するとこれに加盟。同2年(1862年)2月、武市の命で長州へ赴き久坂玄瑞に武市の手紙を渡した。それから九州へ渡って筑前国平野国臣と出会い、平野から薩摩藩国父島津久光の率兵上京とこれに合わせた浪士たちによる挙兵計画(伏見義挙)を聞く。吉村は急ぎ土佐へ戻り、土佐勤王党も脱藩して参加することを説くが、武市の考えは挙藩勤王であり、これを許さなかった。やむなく、吉村は少数の同志を説いて脱藩を決行。この時、藩境の誰何が厳重であったために、吉村は武具を調えて馬に乗り、薩摩への使者であると偽って堂々と関所を押し通ったという。吉村と同時期に坂本龍馬宮地宜蔵ら6人が脱藩している。



 



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海の駅あしずり と「ジョン万ハウス」2

2010-12-22 | HN:訪問者

2006年4月20日に、足摺岬にあった「ジョン万ハウス」が、あしずり港に出来た「海の駅あしずり」の二階に移転。


海の駅あしずり として、元フェリータミナル内に観光案内所・喫茶コーナー・土産コーナー・ジョン万次郎ハウスを開設。地図で見る  


 



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これから先の案内はぜひ現地へ行って、下の入場券(裏・表)を買ってゆっくり楽しんでください。


ジョン万次郎に関する数々の資料、遺品をはじめ、友好姉妹都市となったフェアヘーブンの街や、当時の捕鯨・航海に関する資料が一同に展示されています。



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海の駅あしずり 


みなとオアシスあしずりでは、「海の駅あしずり」を拠点施設として観光パンフレットの提供や観光案内などの情報提供を行っています。


 


ジョン万ハウス




  • 営業時間: 8時30分~16時
  • 休館日 : 毎週水曜日
  • 入館料 : 大人料金 200円、高校生以下無料
  • 所在地 : 土佐清水市養老字吹越303
  • 駐車場 : 約40台(乗用車)
  • 問い合わせ: (社)土佐清水市観光協会・海の駅あしずり(あしずり港内)
  • 電話: 0880-82-3155 FAX: 0880-82-3156

地図で見る   


 


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海の駅あしずり と「ジョン万ハウス」

2010-12-22 | HN:訪問者

足摺岬にあった「ジョン万ハウス」が、あしずり港に出来た「海の駅あしずり」の二階に移転したようです。(2006年4月20日に、養老のあしずり港「海の駅あしずり」内に移転)


海の駅あしずり として、元フェリータミナル内に観光案内所・喫茶コーナー・土産コーナー・ジョン万次郎ハウスを開設。地図で見る  



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海の駅あしずり の館内には、軽食コーナーやみやげ物売り場がありました。



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二階が「ジョン万ハウス」として、ジョン万次郎の生涯や功績が展示されていました。



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海の駅あしずり 


みなとオアシスあしずりでは、「海の駅あしずり」を拠点施設として観光パンフレットの提供や観光案内などの情報提供を行っています。


ジョン万ハウス




  • 営業時間: 8時30分~16時
  • 休館日 : 毎週水曜日
  • 入館料 : 大人料金 200円、高校生以下無料
  • 所在地 : 土佐清水市養老字吹越303
  • 駐車場 : 約40台(乗用車)
  • 問い合わせ: (社)土佐清水市観光協会・海の駅あしずり(あしずり港内)
  • 電話: 0880-82-3155 FAX: 0880-82-3156

地図で見る   


 


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足摺・・・ジョン万次郎の生家・中浜1

2010-12-22 | HN:訪問者

土佐清水市中浜の


ジョン万次郎(中浜万次郎)の生家跡を訪ねました。



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鰹節を造る工程で、煙でいぶすための広葉樹の蒔きが沢山積まれていました。鰹節製造が盛んなことを物語っています。



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中浜の港の防波堤には、地元の区長さんたち有志が、ジョン万の生涯を一目で分かるようにと、パネル16枚を展示していました。



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足摺・・・臼碆の展望台より

2010-12-22 | HN:訪問者

松尾を後にして、少し西進すると臼碆(うすばえ)に着きました。


駐車場に車を止めて、すぐ横から展望台に登ることにしました。


ウバメガシが茂る林間の少しきつい斜面ですが、15分ぐらいかけてゆっくり上っていると、降りてきた若い男性とすれ違いました。



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左下に、上ってきた駐車場・トイレが見えます。



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足摺岬が見えています。



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眼下に、赤い鳥居の臼碆竜宮神社が見えました。


 


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臼碆の灯台も見えます。



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臼碆


お勧め記事:足摺旅日記・臼碆


 


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足摺・・・松尾のアコウ

2010-12-22 | HN:訪問者

足摺岬より、海沿いの県道27号線を西へ車を走らせると、5分くらいで「松尾地区」に着きました。


私は何度か来ているのですが、アコウの木を妻に見せたいと、訪問しました。


 



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別名「絞め殺しの木」とも言われるアコウの木の中は、空洞になっており大人も十分は入れるくらいです。絞め殺された木が腐って空洞になったのですね。



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板根(バンコン)が張って、しっかりと大木を支えています。この板根はシイの木などにも見られます。



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床の下から、回り舞台の仕掛け(ロクロ?)を覗き見ることが出来ました。



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道の反対側にも大きなアコウの木が、絞め殺し中!よく分かります。


 


お薦め記事 足摺旅日記・松尾のアコウ


 


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足摺・・・唐人駄馬に寄りました

2010-12-22 | HN:訪問者

足摺スカイラインで足摺岬へ向かう途中、唐人駄馬へ寄りました。


私はこれまでにも何度か行っていますが、意外と知られていない場所みたいなので、ご紹介します。


 



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説明記事と画像が沢山ありますので、こちらをご覧ください。


お勧め記事 唐人駄馬  唐人石



 


足摺縄文巨大文化 唐人駄馬・唐人石


縄文時代早期(BC7000年頃)から弥生時代にかけての石器や土器片が数多く出土し、世界一の規模といわれる唐人駄馬遺跡のストーンサークル、高さ6~7mもある巨石の林立する唐人石があります。


唐人駄馬より 


 


A』土佐清水市街(国道321)を足摺方面へ左折。1kmいくと窪津方面の分岐交差点。ここは道なりに直進します。橋を渡るとその先には椿の道(旧足摺スカイライン)があり、約15分(10km)走ると『B』の看板が見えてきます。右折して約2kmで『C』に!道路は中央線(白線)がありませんが2車線なみの車幅がありますので楽です。ただ、C地点からD地点は狭いですのでスピードは控えめに走ってね。
C』道端に止めて看板の説明とおりに約30m進めば、唐人石が目の前に見えてきます。
『D』は、海岸線の絶景いち押しポイントです。

【いち押しポイント】
土佐清水市は自然がい~っぱい。数泊してゆっくり自然欲を楽しみ・過ごすのもリフレッシュになっていいかも(^^)ネ


 


 


HN:訪問者


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