尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

濱口竜介監督『悪は存在しない』、ヴェネツィア銀獅子賞の評価は…

2024年05月14日 21時42分24秒 | 映画 (新作日本映画)
 『ドライブ・マイ・カー』で世界的に評価された濱口竜介監督の新作『悪は存在しない』(Evil Does Not Exist)。2023年のヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(審査員賞)を受賞した作品である。この受賞で濱口監督は世界三大映画祭と米国アカデミー賞すべてで受賞したことになった。『ハッピーアワー』(317分)、『ドライブ・マイ・カー』(179分)など長大な映画を作ることで知られる濱口監督だが、今度の映画は106分とずいぶん短い。長い映画が多くなってしまった現在では、むしろ少し長い中編の味わいである。だけど正直言えば、ラストの着地点の解釈が難しい。全く理解不能と言っても良い。

 この映画は非常に魅力的だと思う。退屈だという評もあるようだが、僕は退屈さは感じなかった。自然描写の美しさに圧倒された思いがする。だけど、どこか変だなとも思う。環境映像じゃなくて一応劇映画なんだから、自然描写的なシーンが余りにも長すぎてはおかしい。映画で人物同士の絡み合うドラマティックなシーンばかりでは見る者の緊張がほぐれない。小津の映画では銀座(だ思うけど)のバーの看板などをただ映すシーンが合間合間に挟まれて、絶妙なリズムを作っている。だけど『悪は存在しない』の風景シーンは異様に長い。しかも真下から木々を見上げた映像など抽象美の映像である。何だろう、これは?
(巧と花親子)
 一応ストーリーらしきものをコピーして紹介しておく。「長野県、水挽町。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。」「水挽町」は架空で、おおよそ長野県の富士見町、原村などでロケされたという。長野県の自然を背景に、「グランピング場」をめぐる地域の葛藤が一応主筋。
(芸能事務所のメンバーと巧)
 いろんな人が出て来るけど、結局村で「便利屋」をしているという安村巧と花という親子が中心になってくる。知っている俳優は一人も出て来ない。監督恒例の「棒読み」なのか、シロウトを使っているのか、それこそ村人のリアルなのか判らないけど、ところどころ聞き取れないぐらいの小声で人間関係も良く理解できない。そして巧はよく忘れる。花を迎えに行く時間を失念していることが多いし、グランピング場説明会に対し地元で事前に相談する日も忘れている。『ハッピーアワー』のワークショップ、『ドライブ・マイ・カー』の下読みの場面が面白かったように、今回の映画でもグランピング場建設説明会の場面が非常に面白い。
(ヴェネツィア国際映画祭で)
 その説明会終了後に建設企画会社の内部事情が描かれる。このようにして、グランピング場建設をめぐる「自然保護」という社会問題を描く映画なのだろうか。そんな展開になりそうな最終盤に、映画は突然不吉な方向に向かって転回し、何が起こっているのか判らないラストを迎える。果たして「悪は存在しない」という題名の意味は何だろう? ラストは「自然」の「悪意」ということか。いや、それでは「悪が存在する」ことになってしまう。あるいは人間同士には「悪は存在しない」が、「自然」はただ存在するだけということか。ラストを細かく書くことは控えたいが、ラストが理解不能で評価するのが難しい。それでも十分美しく、見る価値がある魅力的な映画だと思う。

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