尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『正義の行方』、飯塚事件の真実を探る迫真作

2024年05月09日 22時02分40秒 | 映画 (新作日本映画)
 『死刑台のメロディ』を見たから、次に見るべきは『正義の行方』だ。渋谷のユーロスペースで上映している記録映画。もともとはNHKのBS1スペシャルで2022年に放映された「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~」である。(文化庁芸術祭大賞ギャラクシー賞選奨受賞。)監督の木寺一孝(1965~)は、劇場公開された『“樹木希林”を生きる』(2019)の監督だった人。2023年にNHKを退職し、満を持して放つ超問題作。158分もある長い映画だが、全く時間を感じさせない。

 この映画は1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された事件飯塚事件)を扱っている。2年後に久間三千年(くま・みちとし)が逮捕され、一切の供述を拒んだが「状況証拠」の積み重ねで起訴された。被告・弁護側は無実を主張したが、1995年に福岡地裁で死刑判決が出され、福岡高裁でも維持、2006年9月に最高裁で確定した。そして2008年10月28日に死刑を執行された。その後、DNA鑑定や目撃証言の証拠価値を否定する新証拠をもとに再審請求を行った。再審請求は2014年3月に棄却され、2021年に最高裁で確定した。この棄却決定はDNA鑑定の価値を否定しながら、それ以外の証拠で有罪が維持出来るとしたものだった。
(木寺一孝監督)
 この映画は「冤罪」を扱う記録映画として、かつてなく深い取材を積み重ねている。ちょっと信じられないぐらい、捜査に加わった元警察官が取材に応じている。再審請求中の事件をテーマにした取材に捜査側が応じることは珍しい。それはNHKの力もあるかもしれないが、恐らく「死刑執行後の再審請求」は絶対に認められないとする当局の意向があるのではないか。いつもなら公務員の守秘義務をタテに沈黙する元捜査官たちが、皆一生懸命になって捜査の正しさ、有罪判決の正しさを力説している。これは本気でそう思い込んでいるんだろう。死刑判決を聞いて日本の司法に正義が生きていたと感動しているぐらいだ。
(取材に応じる元捜査官)
 事件捜査が時系列に沿って描かれているため、前半は捜査官や新聞記者の証言が多い。そのため有罪寄りの心証になるかもしれないが、後半は再審弁護団に密着することが多く疑問だらけの捜査だった印象になる。実は警官の中には直接証拠や自白は得られなかったが、「4つの状況証拠」(DNA型鑑定、目撃証言、血痕鑑定、繊維鑑定)が合わさって有罪の証拠価値は十分だと力説した人がいた。しかし、再審棄却決定ではDNA型鑑定の価値が否定された。だから、本来有罪の証拠は瓦解するはずだが、今度はDNA抜きでも有罪は揺るがないとなる。車の目撃証言も誘導の疑いが濃い。

 また地元紙の西日本新聞の記者が語っていることも非常に興味深い。同紙の記者は早くから久間氏が容疑者として目を付けられていることをつかみ、地元紙として他紙に抜かれたくないと積極的に有罪方向の記事を書いた。そのため取材の中心にいた記者は、死刑判決や再審棄却決定に対して「正直ホッとした」という感想を抱くまでになった。それは正直とも言えるけど、マスコミの対応として間違いだろう。DNA型鑑定を「有力証拠」と書いた記事を他紙に先んじて書いたが、その記事を取り消したのだろうか。後になって西日本新聞は飯塚事件の再検証を行い、それに携わった記者が最後に語ることが僕には納得出来るものだった。
(遺体発見現場近くの山道) 
 実は同じ地域で2年前にも女児行方不明事件が起こり、久間氏は「最後に見た人物」(自分の子どもの遊び友だちの妹だった)として疑われた過去があった。それだけで疑うのもどうかと思うが、捜査官によれば「(久間は)ジキルとハイド」だという。そう決めつければ、どんな人でも恐るべき少女殺害犯になり得る。その時は逮捕出来なかったが、2年後の事件で当初から警察は「見込み捜査」を行ったと考えられる。警察は久間氏の車を知ってから、車の目撃証言を調書にした。逮捕後には庭を掘り返したが、それは2年前の少女の遺体が見つかると踏んだのである。しかし出なかったので、ポリグラフの結果として捜索を行い「2年前の女児の服を見つけた」。(しかし、それは数年間雨風にさらされたとは思えないものだったという。)

 この映画の中で何人かの人々が「真実を知りたい」という。僕もまあ知れるなら知りたいとは思うけど、実は裁判は真実を知るための制度ではない。もう時間も経って新しいDNA鑑定も(足利事件や東電OL事件などのように)実施出来ない。そのことを誰もが知っていて、「真実が知りたい」というのはおかしい。刑事裁判の原則(再審でも同様)は「疑わしきは被告人の利益に」である。「状況証拠」が怪しげな物だと判明した現時点で、有罪の原判決を維持するのは正義に反する。そう僕は思うけれど、元警察官は「その後事件が起きてないのは久間が真犯人の証明」と語る。こういう発想は冤罪を作るものだ。

 もう一点、この事件は死刑制度の恐ろしさをまざまざと示している。「有罪か無罪か判断出来ない」では困る。100%の確率で検察側が有罪を立証出来なかったら、その事件は無罪にならなくてはならない。「51対49」ではマズいのだ。しかも死刑判決である。執行されてしまって、取り返しが付かない。布川事件、足利事件、東電OL事件、東大阪事件などの冤罪も恐ろしいが、無期懲役だったから再審で無罪になって自由の身となれた。世界にはイギリスのように「死刑執行の冤罪」発覚が死刑廃止のきっかけになった国もある。(逆に考えれば、死刑制度廃止の声が高まらないために、どんな新証拠があっても日本の裁判所は再審請求を棄却する可能性がある。)この映画は非常に多くの人に取材しているが、もう一人死刑執行を命じた森英介元法相の考えも聞きたいと思った。
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