切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2024年 梅の花 本願寺山科別院・・・何とか  京都市山科区   2024.3.3 訪問

2024-03-10 22:17:19 | 撮影
   

『本願寺 山科別院
 文明一二年(一四八〇年)、本願寺第八代宗主蓮如上人の創建による。こ の別院は、城郭寺院としての形式を整え、実如上人、証如上人と三代にわたり本山であったが、天文元年 (一五三二年)兵火にかかったため、証如上人は、御真影のお供をして大坂に移った。
 享保一七年(一七三〇年)住如上人が山科講の懇請により、北山別院の旧堂を移して、山科の坊舎を復興した。その後、境内地の整備が進み、安永三年(一七七四年)三月には現在の本堂が完成、天明元年(一七八一年)蓮如上人の三百回忌に先立ち、鐘楼、鼓楼、接待所などが建てられ、現在の配置が整った。さらに文政六年(一八二三年)本如上人は講員の要請を受け、中宗堂を本堂の南に新築した。
 中宗堂に安置される蓮如上人御木像は、上人自作の御木像として伝わる。また、本堂正面の上部に「松林山」という額が掲げられている。これは山科本願寺の山号であるが、現在では本院の山号にもなっていることを示しており、この寺院が、歴史ある山科本願寺を受け継いでいることが窺える。
 京都市』
 (駒札より)

  

 本願寺山科別院へ行く。地下鉄東西線東野駅から西へすぐのところにある。もちろん梅の撮影だ。ちょうど1年前に満開の桜を撮影しに訪れている。その時の様子はこのブログにも掲載している。細い道を車で進み、門前に無料の駐車場がある。そこから山門をくぐり境内へと入る。

 西山別院と比べると、敷地、境内は同じような規模だ。大きな本堂が控えており遠くからでも壮大な建物であることがわかる。そして西山別院と大きく違うのは、境内の中央部はやはりグラウンド状で何もないが、その周りを取り囲む場所には多くの巨木がそびえ立っている。これらの大半が桜の木となる。あと1ヶ月もすればこれらが満開となって花開き、見事な光景を見せてくれる。梅の木は山門からはさっぱりわからない。やはり広い境内の端から順に回っていく。すると本堂の前に梅の木らしきものが見えてきた。桜の木が全て花も何もない枝が伸びた枯れ木のような状態なので、梅の小さな花が色づいて見えると、結構目立つ。

   

 近づいてみると幅の広い本堂の左右にそれぞれ梅の木が立っていた。かなり散ってはいたものの、なんとか頑張って花開いているものもあり、撮影対象としては何とかなりそうだ。 次々に撮影していく。すぐ背後の巨大な本堂が画面に写り込み、なかなか勇壮な絵となる。 少ない花に対して押したシャッターの数はそれをはるかに上回る。この右側の白梅の独特な枝の構成がいかにも梅らしい。

 そして反対側には少し背の低い紅梅の木があり、こちらもかなり少ないながら何とかかんとか、撮影できるほどの花が咲いていた。こちらも同様に本堂や他の建物を背景に入れながら撮影していく。こちらは木が大きいだけに、満開であればかなり見応えのある梅だったろうと思われる。本来ならば 3月初旬はまだまだ梅が見頃の時期となるはずだった。ここまで散ってしまっているというのは残念という他ない。

   

 おそらく来年以降も世界的に異常気象の状態は続くと考えられ、早くも今年の夏は去年同様の猛暑の夏となると、気象庁の長期予報が伝えていた。様々な花が咲く時期などもこれで大きく左右されることになるだろう。同じ京都市内であっても、今見頃のところもあれば既に散ってしまったところもある。条件によって差ができることはあるにしても、やはり同じ梅としてはどうも妙な感じだ。

 山科本願寺は上記駒札にあるように、室町時代の創建となる。蓮如上人については、この近くにその墓所があると言う。一度その近くまで行ったが、ややこしい道で見つけられなかった。改めて訪れてみたいと思っている。

 
コメント
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