切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2024年 梅の花 剣神社~正法寺・・・素晴らしい  京都市東山区  2024.3.10 訪問

2024-03-18 17:44:00 | 撮影
剣神社


  

『由緒記

当神社のご創建については、古い社伝は、遠く平安奠都のみぎり、王城鎮護のため都の巽の地に宝剣を埋め、そこに神殿を造営したと伝えているが、その創祀の起原は誰かではない。このご鎮座の地一帯は、往古の鳥戸野の地にして、高貴の人々の葬送の地であり、その鏡とか刀剣が、偶然のことから発掘されて、その神秘を神恩に帰して、神社として奉祀したのではないかという説もある。(中村直勝氏による)疳封じの霊験あらたかなるにより、洛中・洛外はもとより、遠く、大阪・神戸又、滋賀の里あたりよりも参詣があり、特にこどもの健康の守護神・疳虫封じの神として、信者の足は絶えない。社頭には信者たちの素朴な諸願成就の祈りをこめた、とび魚の絵馬が多数奉納されており、この絵馬は絵馬蒐集の好事家の間に評判が高い。 (石子順造著「小絵馬図譜」による)
この地は一昔前までは、ほととぎすの名所として、文人墨客の好んで杖をひいたところであったが、 近時すっかり市街地化して、昔を偲ぶことは出来ないが、剣の社から観音寺へたどる間は、なお静かなたゝずまいをとめ捨てがたいものがある。』
  (パンフレットより)

   

 剣神社は東大路通りの今熊野の交差点を東へ入ったところにある。訪れるのは2回目だ。前回はただ単に神社撮影に訪れたのみ。今回は梅を探してやってきた。周囲は住宅街となっており、その中に狭い敷地 ながらも比較的よく目立つ神社が建っている。すでに鳥居前に立つと梅の木がはっきりと見える。満開過ぎの状態だが十分な見応えがある。神社には梅を植えているところが意外にも多い。こちらも鳥居や本殿、拝殿、あるいは末社のところを背景に撮影していくとかなりいい写真が撮れる。

  

  「剣」という名前は上記の説明文の中から見当はつくが、かつてこの地は鳥戸野の地として、高貴な人々の土葬の地であったという。後年になって掘り返された時に骨は出ずとも 副葬品が色々と出てきて、その中に剣なども含まれていたという。そういったところから この名前が今にも引き継がれているんだろう。創建自体は諸説あって不明だが、伝えられるところによると、平安遷都の時に遡るという。それが事実であるならばこの地には、藤原氏の葬送地として定められ多くの藤原一族の貴族たちが埋葬されたということになる。

 今現在では疳封じにご利益があるとのことで、子供の健康祈願の対象として遠くからも多くの人々が参拝に訪れるとのことだ。それが元になって参拝者の人々に病気平癒や厄除けの信仰があると言われる。
 なお祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、邇邇藝命などとなる。

   



正法寺 (東山区今熊野)

 

 東山区には正法寺という名前のお寺がもう1箇所ある。ガイドブック やネットで検索するとそちらの方が出てくる。そちらの方は真言宗のお寺でありそこそこ有名なお寺となる。今回訪れたのは今熊野にある、浄土宗西山禅林寺派のお寺であり、全く別の宗派でもある。場所としては京都女子大学の南方に位置する。詳細については 何の材料もないのでよくわからない。本堂などの建物は比較的最近、建て替えられたようで鉄筋コンクリートの建物であった。境内は比較的余裕があり、植栽などきれいに整備されている。その中に梅の木があり綺麗な花を咲かせていた。撮影する上では絶好の状態。

   

 このお寺の真下、地下には東海道新幹線の東山トンネルが走っており、列車が通過するたびに少しくらい音がするのか、あるいは揺れるのかなどと考えたりしていたが、おそらくそういったことはないだろう。あるとすれば場合によっては裁判沙汰にでもなりそうなものだ。
 境内の端に多くの 古い墓石が並んでおり、おそらく江戸時代から明治時代にかけてのものだと思われた。ネットで調べてみるとこのお墓を丹念に調べた人がいて、そこから伴氏の名前を見つけたとのことだった。元々は鹿児島藩の有力な豪族で平安時代以降ずっと続く名門と言える。幕末における幕府軍との戦いにも参戦しているという。私には内容が複雑で細かすぎて、そこまで調べる余裕も材料も何もない。

 梅については十分見応えがあり、撮影する上でも非常に満足感が高かった。

   

コメント
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