最近の記事は、春(3月、芽)と初夏(6月、蕾、花、緑の葉)だった。11月のギボウシ(擬宝珠)ははじめてかもしれない。葉は黄色になり倒れている。紅葉(ここでは黄葉だろうか)というには少し遅れている。冬枯れというにはまだ生々しい。
「平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる」。ここがケプラーの跳躍だった。しかし、よく観察してみると、この跳躍には微妙な数値のずれがある。ケプラーは円から切り取る三日月の幅が離心円の半径の0.00429倍であることから出発したが、跳んだあとで振り返ってみると、三日月の幅は 0.00429よりは少し小さかっただろうからである(例えば0.00428)。
しかし、大切なのは、数値のずれより洞察である。「正割の代りに半径(直径距離)を用いると観測結果のとおりとなる」という関係が重要である。
これに対して、山本義隆の展開は三日月の幅が0.00429に固定されたままになっている。その結果、ケプラーの正割(セカント)は消えて、山本義隆の正割が出現している。
(引用はじめ)
さらなる新しい局面への突破口は、ここで火星-太陽間の距離が、先に述べた「直径距離」で与えられることに偶然気づいたことにある。そのことをケプラーは、離心アノーマリーが90度になり火星軌道が円からもっとも外れたときの三日月の幅(図のEF間の距離)が離心円の半径a=BF(BEの誤植 引用者注)の0.00429倍であること、そのとき∠BFAが5度18分で、そのセカント(余弦の逆数つまり1/cos5°18′)が1.00429であることからひらめいたと証言している。つまりFB=(1-0.00429)aにたいして
FA=FBsec(5°18′)=(1-0.00429) (1+0.00429)a≒a=EB
(引用おわり)
これに対して、ケプラーの正割はEA/EB=1.00429である。∠BEAが5度18分である。EFは正確にいえば0.00429ではなかったのである。
しかし、大切なのは、数値のずれより洞察である。「正割の代りに半径(直径距離)を用いると観測結果のとおりとなる」という関係が重要である。
これに対して、山本義隆の展開は三日月の幅が0.00429に固定されたままになっている。その結果、ケプラーの正割(セカント)は消えて、山本義隆の正割が出現している。
(引用はじめ)
さらなる新しい局面への突破口は、ここで火星-太陽間の距離が、先に述べた「直径距離」で与えられることに偶然気づいたことにある。そのことをケプラーは、離心アノーマリーが90度になり火星軌道が円からもっとも外れたときの三日月の幅(図のEF間の距離)が離心円の半径a=BF(BEの誤植 引用者注)の0.00429倍であること、そのとき∠BFAが5度18分で、そのセカント(余弦の逆数つまり1/cos5°18′)が1.00429であることからひらめいたと証言している。つまりFB=(1-0.00429)aにたいして
FA=FBsec(5°18′)=(1-0.00429) (1+0.00429)a≒a=EB
(引用おわり)
これに対して、ケプラーの正割はEA/EB=1.00429である。∠BEAが5度18分である。EFは正確にいえば0.00429ではなかったのである。
読みは「がりょうてんせいヲかく」、「竜」は「りゅう」ではなく「りょう」、坂本竜馬の「りょう」である。また、「睛」は「晴れ」ではなく「瞳」である。「画竜点睛」は「竜を描いて瞳を点ずること、竜の絵に瞳を入れて仕上げること」を意味する。「画竜点睛を欠く」は最後の詰めが甘く仕上がっていないことを意味する。
恐れ多いことだが、この言葉でイメージしているのは山本義隆『世界の見方の転換』のことである。「瞳」はケプラーの楕円軌道発見の分析である。絞っていえば、『新天文学』第56章で語られる「目覚め」の 分析である。
山本義隆は「ケプラーの第1法則(楕円軌道)の発見」として次の図を提示している。
これで「ケプラーの目覚め」を説明しているが、これはケプラーが提示した図とは違っている。もっとも大きな違いは、ケプラーの図では太陽Aと離心円上の点E,Kが実線で結ばれているのに対して、山本の図では太陽Aと離心円上の点E、Kが結ばれていないことである。これではケプラーの推論をたどることはできない。
「楕円幻想――ケプラーの楕円発見について」
恐れ多いことだが、この言葉でイメージしているのは山本義隆『世界の見方の転換』のことである。「瞳」はケプラーの楕円軌道発見の分析である。絞っていえば、『新天文学』第56章で語られる「目覚め」の 分析である。
山本義隆は「ケプラーの第1法則(楕円軌道)の発見」として次の図を提示している。
これで「ケプラーの目覚め」を説明しているが、これはケプラーが提示した図とは違っている。もっとも大きな違いは、ケプラーの図では太陽Aと離心円上の点E,Kが実線で結ばれているのに対して、山本の図では太陽Aと離心円上の点E、Kが結ばれていないことである。これではケプラーの推論をたどることはできない。
「楕円幻想――ケプラーの楕円発見について」
今日は 焼酎で渋を抜くやり方で20個ほど作った。ヘタに焼酎をつけビニール袋に密閉する。2袋作った。5分くらいだろうか。また、干し柿を20個ほど作った。1時間ほどかかった。やはり皮をむくのが大変である。これは予定外で、昨日、干し柿を食べたらやはりうまくて、また、焼酎づけの経過を見る目安にもなると思って、ついでに作ることにした。残った実は少なくなってきた。庭に出ていると、メジロが何羽かで啄みに来た。
甘柿の方(富有柿)は、結局、全部で15個ほどできた。4年ぶりの収穫である。こちらは、そのまま甘い。あと4個だけ木に残っている。
甘柿の方(富有柿)は、結局、全部で15個ほどできた。4年ぶりの収穫である。こちらは、そのまま甘い。あと4個だけ木に残っている。
10日ほど前に干し柿を作った。25個ほど吊るしている。今週は実を揉み柔らかくしている。今年の渋柿は実の数は多いが粒が小さい。それで皮をむくにしても手間がかかるように思われた。干し柿を作るときに、枝がTの字になっていないものや粒が小さいものは干し柿とは別に渋を抜こうと思った。焼酎やアルコールと一緒にビニール袋に入れておくと渋が抜けるという知識はあったのである。
あまり期待しなかったが、手元にあった消毒用のアルコールで試みた。5個ほど袋に入れて玄関に置いていた。透明な袋で実は見えていたが、確認することはなかった。昨日、見てみると、ほとんどが完熟していた。食べてみると、とろとろで甘いのである。感動した。手間いらずの渋抜きである。
もう少し手前(7日後ほど)から食べられただろう。今年は粒が小さいので、あとは鳥にと思っていたが、アルコールで渋抜きをしてこちらで食べることにした。35度の焼酎を買ってきた。何度かに分けて収穫し渋抜きして味わうつもりである。
あまり期待しなかったが、手元にあった消毒用のアルコールで試みた。5個ほど袋に入れて玄関に置いていた。透明な袋で実は見えていたが、確認することはなかった。昨日、見てみると、ほとんどが完熟していた。食べてみると、とろとろで甘いのである。感動した。手間いらずの渋抜きである。
もう少し手前(7日後ほど)から食べられただろう。今年は粒が小さいので、あとは鳥にと思っていたが、アルコールで渋抜きをしてこちらで食べることにした。35度の焼酎を買ってきた。何度かに分けて収穫し渋抜きして味わうつもりである。
昨日、ホームページにアップした記事の図がいくつか空白になっていた。原因を調べて修正した。
10個のファイルと1つのフォルダ(図を入れた)をFFFTPでアップしたが、原因は1呼び出す図の指示が間違っていたこと、2指示する図がフォルダに入っていなかったことだった。空白だった図の個所は何か所かあったが、図は2種類だけだった。1つの図がいくつかのファイルで間違っていた。
htmlファイル、FFFTP、ホームページの記事を行き来して、空白の図を補填していった。単純な作業だが、気晴らしになった。
10個のファイルと1つのフォルダ(図を入れた)をFFFTPでアップしたが、原因は1呼び出す図の指示が間違っていたこと、2指示する図がフォルダに入っていなかったことだった。空白だった図の個所は何か所かあったが、図は2種類だけだった。1つの図がいくつかのファイルで間違っていた。
htmlファイル、FFFTP、ホームページの記事を行き来して、空白の図を補填していった。単純な作業だが、気晴らしになった。
2年ほど前、So-net のホームページ提供のサービスがなくなった。15年ほどの記事を載せていた。そのうちいくつか愛着のあるものは FC2のホームページを借りて引き継いでいる。このホームページのやり方をよく理解していない。
引き継がなかった記事の一つに「楕円幻想――ケプラーの楕円発見について」があった。これをあらためて載せることにした。やり方があいまいで思い出しながらアップロードした。大枠は出来ているが、図のいくつかはうまくいかず、空白になったままである。いずれ修正する。
これは『世界の見方の転換3』(山本義隆、みすず書房、2014)「14 楕円軌道への道」の末尾)に対する違和感が出発点になったものである。追加で、「エイトンと山本義隆を読み比べる」(ブログの記事9回分)をまとめてホームページに載せるつもりでいる。
引き継がなかった記事の一つに「楕円幻想――ケプラーの楕円発見について」があった。これをあらためて載せることにした。やり方があいまいで思い出しながらアップロードした。大枠は出来ているが、図のいくつかはうまくいかず、空白になったままである。いずれ修正する。
これは『世界の見方の転換3』(山本義隆、みすず書房、2014)「14 楕円軌道への道」の末尾)に対する違和感が出発点になったものである。追加で、「エイトンと山本義隆を読み比べる」(ブログの記事9回分)をまとめてホームページに載せるつもりでいる。
南側のみかんは例年通りの出来である。鈴生りの実で垂れ下がる枝を何箇所かで支えている。収穫はもう少し先になるだろう。
北側のみかんは、今年は裏の年である。数えてみると、実は10個ほどしかできていない。
北側のみかんは、今年は裏の年である。数えてみると、実は10個ほどしかできていない。
Amazon から配達される商品は過剰と言っていいほど厳重に梱包されている。これまでそう思ってきたが、今回の商品は違った。書籍だったが、裸のまま紙封筒に入れてあるだけだった。手にした商品は何の欠陥もなかったが、雨であれば、封筒がぬれ、書籍もぬれたのではないかと思われほど簡素なものだった。
商品は、Amazon マーケットプレイスの商品(海外直送品)だった。おそらく出品した個人が発送したのだろう。マーケットプレイスの商品がすべてこのような扱いとは思わない。たまたま粗雑な扱いが気にならない人に当たったのだろう。ちなみに、封筒に書かれたこちらの住所の一部も違っていた。
商品は、Amazon マーケットプレイスの商品(海外直送品)だった。おそらく出品した個人が発送したのだろう。マーケットプレイスの商品がすべてこのような扱いとは思わない。たまたま粗雑な扱いが気にならない人に当たったのだろう。ちなみに、封筒に書かれたこちらの住所の一部も違っていた。
韓国語文法の中級用のテキストを Amazon で買った。ネットで調べていて、評判が良かったのである。昨日、届いた。
このテキストには MP3 CDが付いている。このファイルは販売元(DARAKWON)のホームページからダウンロードできるようになっている。CD をコピーするよりも、ダウンロードが簡単に思えて試みたが、結局できなかった。ログインすればダウンロードが可能になるのだが、ログインできなかったのである。
結局、付録のCDをコピーして音声ファイルを利用することにした。ダウンロードよりコピーが簡単だった。2時間ほど遠回りをしてしまった。
このテキストには MP3 CDが付いている。このファイルは販売元(DARAKWON)のホームページからダウンロードできるようになっている。CD をコピーするよりも、ダウンロードが簡単に思えて試みたが、結局できなかった。ログインすればダウンロードが可能になるのだが、ログインできなかったのである。
結局、付録のCDをコピーして音声ファイルを利用することにした。ダウンロードよりコピーが簡単だった。2時間ほど遠回りをしてしまった。