対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

「論理的なものの三側面」に現れているヘーゲル弁証法の「神秘的な外皮」

2009-08-30 | ノート

 ヘーゲル弁証法の合理的核心を把握するという問題は、マルクスに由来している。マルクスはヘーゲル弁証法は逆立ちしているから、その合理的核心をつかむためには転倒する必要がある、と述べた。

 弁証法はヘーゲルにあっては頭で立っている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくりかえさなければならないのである。(『資本論』大内兵衛・細川嘉六監訳 大月書店 1968年)

 マルクス主義はこの課題を解こうと試みてきた。しかし、この課題は解かれていないのではないか、というのがわたしの考えである。

 ヘーゲル弁証法は「論理的なものの三側面」の規定に要約できる。

 「論理的なものの三側面」というのは、『小論理学』の79節から82節にかけて展開されているものである。

 (1)抽象的側面あるいは悟性的側面
   ――悟性としての思惟は固定した規定性とこの規定性の他の規定性に対する区別とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものがそれだけで成立すると考えている。
 (2)弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
  ――弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。
 (3)思弁的側面あるいは肯定的理性の側面
―― 思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一 、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。

 (注)これら三つの側面は、論理学の三つの部分をなすのではない。それらはあらゆる論理的存在の、すなわち、あらゆる概念、あるいは真理のモメントである。 

 ヘーゲルの論理的なものの構造の特徴は、三側面論がそのまま三段階論になっていることである。逆にいうと、進展の形式がそのまま論理的なものの構造となっていることである。
 この進展の形式は、「対立する一項の内在的否定による進展」(松村一人)と表現できるだろう。

 この進展の形式にヘーゲル弁証法の「神秘的な外皮」を指摘することができる。これは、存在の弁証法と認識の弁証法が一体となっていることと密接に関係している。

 城塚登氏は『ヘーゲル』(講談社学術文庫)の中で、存在の弁証法と認識の弁証法に関連づけ、進展の形式について、次のように述べている。

 かつて故・岩崎武雄教授が試みられたように、ヘーゲルによる「概念」の実体化を批判し、存在の弁証法から切り離して認識の弁証法を理解することは、弁証法の一解釈としては成り立つとしても、ヘーゲル弁証法の解釈としては、成り立ちえないであろう。認識の弁証法が存在の弁証法から切り離されるとき、悟性によって固定された規定が、なぜ必然的に自分自身を廃棄してそれと矛盾する対立規定に移行しなければならないのか、さらにこの対立がなぜ止揚(アウフヘーベン)されねばならないのか、を明確にすることができない。つまり「否定性」がどこから生じるのかを明らかにすることができない。

 存在の弁証法から認識の弁証法を切り離したとき、「否定性」の根拠が不明確になることを理由にして、城塚氏は、岩崎氏の試みを否定し、「論理的なものの三側面」の規定を擁護しているようにみえる。

 たしかに、城塚登氏が述べているように、〈悟性によって固定された規定が、なぜ必然的に自分自身を廃棄してそれと矛盾する対立規定に移行しなければならないのか、さらにこの対立がなぜ止揚(アウフヘーベン)されねばならないのか、を明確にすることができない。つまり「否定性」がどこから生じるのかを明らかにすることができない〉だろう。しかし、これは、〈論理的なものの三側面〉の規定の前提となっている存在と認識を貫徹する弁証法をそのまま認めること意味しない。

 むしろ、存在の弁証法から認識の弁証法を切り離して、〈論理的なものの三側面〉の規定を解体した後に、ヘーゲルの想定とは別の「否定性」が生じる過程を構想したほうが合理的ではないかと思う。「悟性によって固定された規定」が、「必然的に自分自身を廃棄してそれと矛盾する対立規定に移行」するという進展の形式は、ヘーゲル固有の想定にほかならないのだ。

 ヘーゲル弁証法の合理的核心は、「対立する一項の内在的否定による進展」(松村一人)におおい隠されているのである。


パスカルの贈り物

2009-08-02 | ノート

 『数学する精神』(加藤文元著 中公新書 2007年)のなかに、「パスカルの半平面」が図示してある。これはパスカルの三角形を拡張したもので、高校数学の知識だけでたどることができて、とても感動する。少しだけ視点を延長するだけで、見える世界が広がるのである。

 パスカルの三角形は高校で出てくる。そこでは、二項展開とパスカルの三角形、あるいは組み合わせとパスカルの三角形は、最初から結びついている。しかし、二項展開と組み合わせ理論とパスカルの三角形の3つは、まったく別の起源を持っているという。

 パスカルの三角形は、次の2つの規則(基本性質)による数の配置が起源らしい。

  1 各行の両端は1であること
  2 隣り合う2数の和が下の数に等しいこと

 それゆえ、二項展開とパスカルの三角形の対応、組み合わせ理論とパスカルの三角形の結びつきは、「複合」の例といえるだろう。
 
 まず、関連するいくつかの基本事項をまとめておこう。

 1 (1+x)n の展開における x の r 次の係数は、パスカルの三角形における n 行 r 列の数に等しい。

      Past1_2

 2 パスカルの三角形における n 行 r 列目の数は組み合わせの数 に等しい。

      Pasc2

 3   = n(n-1)…(n-(r-1)) / r !

      =n! / (n-r)! r ! 

  例えば、 =5・4・3 / 3・2・1=10 通り である。

 4 パスカルの三角形の性質で「隣り合う2数の和は下の数に等しい」。これは次の組み合わせの公式と対応する。

    n-1r-1 n-1 n

 例えば、パスカルの三角形で4行2列の数4と4行3列の数6の和は5行3列の数10に等しい。

 これは  =  という関係である。  以上が基本事項である。

 さて、高校数学のパスカルの三角形は、0以上の整数と対応するものである。「パスカルの半平面」は、べき指数のこの制限を取り払ったもので、負の整数や分数べきをとりこんだものである。

 二項展開において、正の整数だけでなく、負の整数や分数べきでも成り立つことは、よく知られている(わたしもこの本を読む以前から知っていた)。知られていないのは、この関係が、パスカルの「半平面」として図示できるということではないだろうか(わたしはこの本で初めて知った)。

 「半平面」というアイデアは、すばらしい。三角形から半平面への道のりを追ってみよう。

 数の配置は、正三角形→直角二等辺三角形→四半平面→半平面いう順に拡張していく。

 1 正三角形

      Pas10

      Pas11

   ここが出発点である。

 2 直角二等辺三角形

     Pas12

 おそらく、パスカルの三角形を直角三角形に整理したとき、「半平面」が展望できたのではないだろうか。

 第4章の図12を思いだしてほしい。そこでは、もともとのパスカルの三角形(第4章の図10)を左に少し傾けて、左側を垂直にそろえて書いていた。このように書くと、その「三角形」のの上半分に何も描かれて空白地帯ができあがってしまって、これが何とも気になる。ここにも何か数を入れてみたい、という衝動にかられるのも何も筆者ばかりではないと思う。

 3 四半平面

 n=3 行目で r=4 列目の数は素直に考えて「3つのものから4つ選び出す組み合わせの数」である。しかしこれはなかなか威勢がよい。千円札が3枚しかないところから4枚取り出すような話になるから、そんなことができたら手品である。禅問答にもならない。というわけであるから、答は0とならなければならないだろう。そうにちがいない!
 もう少し状況証拠が欲しい。だからコンビネーションの公式に素直にn=3とr=4を代入する、という作戦もとってみよう。

  =3・2・1・0 / 4!= 0

となり、見事に求める数が0であると計算されてしまう。ここまで証拠がそろってくれば、もう疑いなくパスカルのn=3 行目 r=4 列目にくるべき数は「0」にちがいないと自信を持って言えるだろう。

    Pas19

 
 4 半平面

ここまで来ると人はこの基本性質を逆に使って、行を上にどんどん付け加えていくことができるということに気付くのである。(新たな段階での「想像力」の行使)。つまり、0行目(n=0の行)の上に新しい行を、そのまた上にまた新しい行というように。
 やってみよう。0行目1、0、0、0、…の上に新しい行を上の基本性質が保たれるように作るのである。行の最初は1で始まるのが原則であった。その右隣りにの数は1とその数をたして右下の数、つまり0となるようなものでなければならない。それは-1である。その隣りの数は、-1とそれをたしてやはり0になるようなものだから、これは1である。

 これを繰り返して、人は図19の最初の行の上にもう一つ「(-1)行目」とでも名付けるべき新しい行を
   1 -1 1 -1 1 -1…
という1と-1が交互に現れる数のならびで書きたすのである。
 ここまで来ると後はしめたもので、そのうえに「(-2)行目」、さらにそのまた上に「(-3)行目」を書いていく。

    Pas20

 かくして人は図20のような、上にも下にも、そして右にも無限に続く数のならびを得るのである。この図においても、もともとの基本性質「各行は必ず1から始まる」「隣り合う二数の和は右下の数に等しい」が見事に満たされていることがわかる(そもそもそのように作ったのであるから)。そしてそれはふつうのパスカルの三角形をその一部、つまり下半分のさらに左下半分として含んでいるのである。
 筆者はこの見事な数のならびによって平面の右半分が覆い尽くされているさまを

   「パスカルの半平面」

と呼ぶことにしたい。(中略)
 
 この項の最後に一つ注意をしておきたい。図20の上半分(n=-1以上)をよく見ると、そこには実はもう一つパスカルの三角形がある。この部分の数のならびには、正の数と負の数が交互に現れるのであるが、符号を無視して絶対値だけで見てみると、実はパスカルの三角形を反時計回りに90度回転したものと見事に一致している!

 5 半平面(分数べき)

      Pas22

    図20の行間にこのような並びが隠れている。

 以上が、「パスカルの半平面」の概要である。

 正三角形→直角二等辺三角形→四半平面→半平面とくれば、「平面」も展望してみたくなる。

 パスカルの平面とは、半平面の左側を考えることである。つまり、r<0も考えることである。パスカルの半平面(r≧0)では、「5つのものから2つ選び出す組み合わせの数」という自然なものから、「-4個のものから2個のものを選ぶ組み合わせの数」という禅問答めいたものまで現れるが、すべて成立する。

 パスカルの半平面の左側では、まったく禅問答である。「5つのものから-2つを選び出す組み合わせの数」、「-4個このものから-2個のものを選ぶ組み合わせの数」。

 -1個のものを選ぶと言うとき、-1の階乗が必要になる。これは、展望できるが、不可能であることがわかる。

  (n-1)!=n!/ n だから、

   n=0 を代入すると、

      (-1)!=0!/ 0
            =1/ 0

 0で割ることはできないから、これは成立しない。このように「パスカルの半平面」の左側には格子点は存在しない(定義されない)。

 しかし、
  n=1/2を代入すると、

    (-1/2)!=(1/2)!/ 1/2
           =2×(1/2)!

となるから、「パスカルの半平面」の左側は、まったくの空白ではなさそうである。どうなっているのだろうか。