対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

「虚対数」は1/n倍角の公式から

2020-10-30 | 指数と対数
 ド・モアブルの公式(馴染みの文字はnだが、後で分枝するのでmを使う)
  
において、cos mz 、sin mzについて解くと、次のようになる。
       (1)
 (1)で、mを無限大数nとおくと、
  
となる。オイラーはこの式を基礎に、「虚指数量が実の弧の正弦と余弦に帰着される様式」(オイラーの公式)を導いた。これはn倍角の公式といってよいだろう。
 これに対して、「虚対数が円弧に帰着される様式」を導くときは、(1)式のmを無限小数、すなわちm=1/nとおいた次の式を基礎にしている。
  
 こちらは1/n倍角の公式といってよいだろう。対数は指数の逆関数だから、自然な設定といえるだろう。

冪表示が核心である

2020-10-29 | 指数と対数
 志賀浩二『数の大航海』に次のようにある。
対数は1650年以降は、対数は数学の中では面積と結びついて、解析の領域に属していた。オイラーは対数の算術的な性質を、底という概念によって明らかにするとともに、すでに100年以上も昔のことになったネピアの対数に関する最初の思想を数学の中に甦らせたのである。
 双曲線の面積(解析)、1/xの不定積分としての対数とネピアの対数(等比数列と等差数列の対応)が結びついたのは、連続複利法(ヤコブ・ベルヌーイ)があったからではないだろうか。その冪表示がオイラーの指数・対数論の核心だったのではないかと思う。

シジュウカラの食事

2020-10-28 | 庭に来る鳥
 洗濯物を取り込んでいるとき、鳥が2羽、ハナモモに飛んできて、鳴きはじめた。シジュウカラだった。2羽とも枝をあちこち移動している。1羽が毛虫をつかまえた。嘴に毛虫が垂れ下がっているのが見えた。別の枝で食べ始めた。毛虫はモンシロドクガの幼虫だろう。

 食事に夢中になっているようで、1メートルほどまで近づいても、逃げていかない。こちらの方も、15分ほど、撮影に夢中になっていた。


サザンカの枝に憩うヒヨドリ

2020-10-27 | 庭に来る鳥
 午後1時ごろ、2階の部屋にいると、バシャバシャと音がする。ヒヨドリの水浴びだと思い、行ってみると、案の定、ヒヨドリだった。石臼に張った水に飛び込んでいた。その姿は撮れず,ヒヨドリもどこかに飛んでいった。
 夕方、庭に出ていると、鳥がサザンカの枝に止まった。ヒヨドリだった。水浴びのヒヨドリだろうと思う。


「論理的なもの」の表出論

2020-10-26 | 自己表出と指示表出
 わたしは「論理的なもの」の構造として自己表出と指示表出を想定している。2つの「論理的なもの」から1つの「論理的なもの」が形成される過程(ケストラーの創造活動の理論「バイソシエーション」、あるいは、わたしが提起している「弁証法」の理論)を自己表出と指示表出の2つの契機で把握しようと思ったのである。自己表出と指示表出は、吉本隆明が「言語」の構造として提起したものである。
 吉本は「言語」と「商品」の対応を指摘し、自己表出と指示表出を価値と使用価値に対応させていた(『言語にとって美とはなにか』)。それならば、「論理的なもの」は「商品」と対応するとみていいだろう。わたしは、2つの「商品」(リンネルと上着)の価値関係あるいは交換関係を基礎にして「対話」のモデルを作り、2つの「論理的なもの」が変換されていく過程を表現した。

オイラーの遡行と展開

2020-10-23 | 指数と対数
 オイラーは指数も対数も冪から導いている(『オイラーの無限解析』7章)。これは「普通なら無限解析で扱われる」問題を、「通常レベルの代数の諸規則に基づいて」解いたことにあたる(「 」は緒言の表現)。
 無限解析から代数への移行は次のようだったろう。指数関数の導関数
  
において、-1とωの比をkとおく。すなわち、
  
である。したがって、
  
これが指数関数導出の出発点となる(注)。aを底にとれば、
  
となる。こちらが対数関数の出発点となった。
 kのまま展開すれば任意の指数と対数が導かれる。k=1(底a=e)とすれば自然指数と自然対数が導かれる。

 緒言より(高瀬正仁訳)
対数や円弧は双曲線や円の面積を通じて表示されるのであるから、超越的な量であり、無限解析で取り扱われるのが普通の姿である。しかし私は幕から出発して指数量へと歩を進めた。指数量というのは、その幕指数が変化量である幕にほかならないが、これを逆転することにより、きわめて自然で、しかも豊饒な対数の観念が手に入ったのである。このような道を歩むと、対数というもののめざましい効用がおのずと明るみに出されるが、そればかりではない。普通、対数を表示するのに使われる習慣が確立されているあらゆる無限級数もまた、この道筋の中から取り出されてくるのである。それに、対数表を作成する方法も、この道筋をたどることによりごく簡単に明らかになる。
(注)
 オイラーはこの式から、さらに遡り、
  
から7章を始めている。

雨樋に葉や泥はなかった

2020-10-22 | 日記
 夕立など激しい雨が降ると雨樋を越えて、瓦の凹みから直接、庭に雨が落ちてくる。住んでいる家屋の雨樋である。葉っぱや泥が溜まっているのだと思っていた。気になっていたが、偶のことなので、そのままにしていた。調べる手段もなかったのである。
 2メートルの脚立を新調したので、葉っぱを取り除くつもりで、上った。最上段まで上ると(天板ではない)、雨樋の様子はわかった。柿の葉が落ちてくるあたりに集水器があるが、意外なことに、葉も泥も溜まっていなかった。他の場所にも何もなかった。樋も異常がなく、水平(正常な傾斜)だった。
 普通の雨なら瓦から雨樋に落ちて流れるのだが、急流になると、飛び越えるものと思われる。瓦と雨樋の取り付けの間隔が原因だった。急激な雨を想定していなかったものと思われる。

モズの鳴き声

2020-10-21 | 庭に来る鳥
 実際のモズの鳴き声を知らなかった頃、低くゆっくり鳴いていると思っていた。鳴き声がわかったとき、意外に、甲高くけたたましく鳴くことに驚いた。「もずが枯れ木で」のメロディーによる先入観だったと思う。
 このごろよくモズが鳴いている。音のする方を見ると、たいてい、電柱のてっぺんの円弧の部分(架空地線?の連結部分?よくわからない)に止まっている。部屋から望遠で見ていたら、鳴きはじめた。


雨を待つ2

2020-10-20 | 日記
 土曜日の朝、起きると雨が降っていた。雨水は樋を伝って流れていた。しかし、時間が経つと樋の幅が広がり傾いてきた。そしてそこから貯まった雨水が一気に落ちてきた。針金の固定があまかったのである。よくいえば、「あそび」が大きすぎた。雨のなか補修はできず、長さの調節できる物干し竿で下から支えることで、雨水を側溝へと導いた。その場で思いついたのだが、こんなやり方もあったのだと感動した。
 日曜日の午後に補修した。こんどは脚立の踏ざんの一番上(天板の下のハシゴ)に足を置いて作業した。余裕をもって作業ができた。前は、安定を気にしすぎて上から二段目に足を置いていたので、手元が少し遠かったのである。これで大丈夫である。しっかり固定できている。明後日が雨の予報である。

紫蘇の実を啄むカワラヒワ

2020-10-19 | 庭に来る鳥
 鳥の鳴き声はするのだが、たいてい、電線に止まっていて、庭には降りてこない。カメラをもって庭にいる時間も少なくなっている。そんなわけで、ここ半年ほど、庭に来る鳥の記事はなかった。日曜日、2階の部屋から見ていたら、紫蘇の実を啄んでいる鳥がいた。カメラで望遠してみると、太い嘴と翼の黄色、カワラヒワ(河原鶸)だった。乾燥した紫蘇の実を啄んでいる。ずいぶんと長い間(10分ほどだが)、移動しながら、啄んでいた。