対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

如是我聞2005

2005-12-26 | 案内
 今年(2005年)書いたブログ「対話とモノローグ」から、ヘーゲル弁証法の合理的核心を把握する試みに関するものと、弁証法観の対照がはっきりしているものを収録し、「弁証法試論」への導入として位置づけてみた。
目次は次のようになっている。
 1 ヘーゲル弁証法の合理的核心について
   1 ヘーゲル弁証法の合理的核心 ― 主題と変奏
   2 弁証法の踏み絵
   3 対立物の統一
   4 追悼・許萬元
 2 さまざまな弁証法観との対照/
   1 国語辞典(大辞林)――
       5番目の弁証法
   2 ヘーゲル――
       1 弁証法の創始者
       2 弁証法のイメージ
       3 選択から始まる弁証法
       4 あれとこれと
   3 板倉聖宣――
       発想法としての弁証法
   4 岩崎武雄――
       正反合の過渡性
   5 長谷川宏――
       1 対話の流儀のちがい?
       2 ひまわりの弁証法?
   6 藤沢令夫――
       弁証法とディアレクティケー

    如是我聞2005


「表出論の形成と複合論」への案内

2005-12-20 | 案内

 『言語にとって美とはなにか』を読み直していて、「二枚の画布」の比喩が目にとまった。

 言語発生の機構については、いわばちがった色の絵の具でぬられた二枚の画布にむきあっていた。そして色をひとつにぬりなおすこと、画布を一枚にただすことがふたつとももんだいとなった。混乱はそれぞれの言語観の個性的なちがいをこえた何かをふくんでいたのだ。

 記憶にはなかったが、この比喩は、わたしが主張している弁証法そのものではないかと思った。さらに、吉本隆明が言語の自己表出と指示表出を導いていく過程を見直すと、複合論と正確に対応しているように思えてきた。いいかえれば、吉本隆明の「自己表出と指示表出」を、わたしの「自己表出と指示表出」から構成できるのではないかと思えてきたのである。

 言語の自己表出と指示表出は、吉本隆明が、言語発生の関するランガーとマルクスの見解を選択し、混成し、統一した「論理的なもの」である。

 この考えをまとめた。

 目次は、次のようになっている。

 はじめに

 1 複合論の要点

     1 認識の自己表出と指示表出
     2 「論理的なもの」
     3 「論理的なもの」の複素数モデル
     4 弁証法
     5 弁証法の通時的構造
     6 弁証法の共時的な構造
     7 ヘーゲル弁証法と複合論の対照

 2 言語の表出論の形成について 

     1 選択  ランガーとマルクス
     2 混成  自己表出と指示表出
     3 統一  言語の表出
     4 『定本言語にとって美とはなにか』の変更について

     『弁証法試論』 補論8 表出論の形成と複合論


自己表出と指示表出

2005-12-11 | 自己表出と指示表出
 わたしは「認識」の構造として、また「論理的なもの」の構造として、自己表出と指示表出を想定している。これは吉本隆明の表現論から借りてきた考え方で、じぶんなりに鍛えつづけているものである。

 しばらく前に、『中学生のための社会科』(市井文学)を読み、じぶんの足元を見直すことになった。

 そこには、自己表出と指示表出について、本家の説明があったのだが、分家の理解とは、ずいぶん隔たっていたのである。

 吉本は、自己表出と指示表出を、他人に伝わるかどうかで説明したり、品詞を自己表出と指示表出の軸で位置づけた図で説明をしている。もちろん、これは『言語にとって美とはなにか』で主張されている見解である。その意味では、一貫しているのだが、わたしの想定する自己表出と指示表出は、このような観点とは、ほとんど関係がないのである。

 それは、言語と認識(論理的なもの)の違いだけにもとづいているのかどうかはよくわからない。わたしの想定する自己表出と指示表出は、言語との共通点もあるからである。

 『言語にとって美とはなにか』には、いくつか図が示してある。これを指標にして、説明してみよう(図そのものはここでは提示しません)。

 わたしが借りている自己表出と指示表出の考え方は、第3図(各時代をへて転移する水準の変化、三角形の底辺が広がり高さが高くなっていく図)や第5図(言語の意味と価値の関係、四分円の中に屈曲した矢印がひかれている図)を受け継いでいるもので、第4図(品詞のもつ位相、四分円の弧に品詞を位置づけた図)とは無関係なものである。

 いったい、「抽象的な、しかし、意識発生いらいの連続的転化の性質をもつ等質な歴史的現存性の力」と「感動詞(感嘆詞)」は、どのように「自己表出」として結びついているのか? これが疑問の一つである。いまは、結びついていないのではないかという気がしている。

 いずれにしても、『中学生のための社会科』は、自己表出と指示表出について、再考するきっかけになったのである。その結果、『弁証法試論』第2章「認識の表出論とバイソシエーション」を書き直すことになった。自己表出と指示表出に対する考え方を、これまでより、明確にできたと思う。

  『弁証法試論』第2章 認識の表出論とバイソシエーション