対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ラジオ体操だけが続いている

2019-05-31 | 日記
昨日、「紫陽花彩(あじさいいろづく)」を投稿した後、1年前の記事「紫陽花」(2018.5.28)を見たら、昨年もすでにこの時期にアジサイは色づいていた。画像を見ると、今年よりも色づきが早いように思われた。まったく記憶がなかった。
記事には早歩きを始めたことが記してあった。今はほとんどやっていない(まったくではない)。しばらく続けていた「ピントレ」も今はやっていない(今月は1度もやらなかった)。腿の外側の張りが気になって様子を見ている(股関節によくないのではないか)。いくつかよさそうな運動をやってみたが、やはり相性のいい運動というのがあるのかもしれない。一番相性のいいのはラジオ体操である。朝6時半のラジオ体操を庭に出てやることから1日が始まっている。

紫陽花彩(あじさいいろづく)

2019-05-30 | 日記
昨年はじめて咲き終わったアジサイの花を切り取った。高さを調節するためだった。花のすぐ下の節を目安に切るだけだったが、すこしは不安になった。今年、ほぼ思い通りの高さで咲き一安心である。今年は暖かい日が多く、アジサイの色づきがはやいという。祭りの日程とピークがずれてヤキモキしているという報道があった。庭のアジサイもすでに色づいている。七十二候のように表記すれば、紫陽花彩(あじさいいろづく)だろうか。

サツキの花とナミアゲハの雄

2019-05-29 | 庭の小動物
オオムラサキツツジ(大紫躑躅)はまったくだめ、クルメツツジ(久留米躑躅)は貧弱だったが、サツキ(サツキツツジ、皐月躑躅)は例年通りに咲いた。庭に彩りがあって、ありがたい。
アゲハがサツキの周りを飛びまわっていた。キアゲハ(黄揚羽)だと思っていたが、調べてみると、ナミアゲハ(並揚羽)だった。

前翅のつけ根に縞模様があるのがナミアゲハ、暗く塗りつぶされているのがキアゲハである。後翅に赤色と青色が見当たらないので、オスではないかと思われる。ナミアゲハはなかなかサツキから離れなかった。

人為起源と自然起源の温暖化

2019-05-28 | ノート
『絵でわかる地球温暖化』(渡部雅浩著、講談社、2018)のコラム「地球温暖化の水蒸気犯人説?」は興味深かった。水蒸気がもつとも大きな温室効果をもたらしているにもかかわらず、水蒸気ではなく、二酸化炭素が温暖化の要因として挙げられる理由が、率直に述べられていた。

渡部雅浩によれば、地球温暖化は人間活動によって生じていることが前提になっている。二酸化炭素は人間がコントロールできるが、水蒸気はコントロールできない。それゆえ、水蒸気は排除されるというのである。
水蒸気の温室効果は全体の60~95%で、残りの60%が二酸化炭素で最大だが、全体に占める割合は、24~3%とわずかなものである。水蒸気と二酸化炭素の効果を比べれば、水蒸気が桁違いに温室効果がある。しかし、水蒸気は人間がコントロールできないという理由で排除され、二酸化炭素はコントロール可能という理由で「主犯」となる。
コラムを読んでみよう。
(引用はじめ)
二酸化炭素の増加が温暖化をもたらすという説明に異を唱える人たちからは、「地球にとって最大の温室効果ガスは水蒸気であるのに、その効果に目を向けないのはおかしい」という疑問がしばしば聞かれます。これは正しいのでしょうか。
水蒸気が最も大きな温室効果をもたらしていることは2.3節で説明したとおりです。温室効果ガスは種類によって異なる波長の惑星放射を吸収しますが、水蒸気は赤外線よりも波長の長い放射を広い波長帯にわたって吸収し、その効果は二酸化炭素の2~3倍もあると言われています。しかし、観測されている温暖化が人間活動によって生じているという前提に立つと、水蒸気は温暖化の重要な「共犯者」ではありますが、「主犯」ではありません。なぜかと言えば、人間社会が二酸化炭素を排出することで大気中の二酸化炭素濃度を確かに上昇させているのに対して、水蒸気は人間がコントロールできない量だからです。
水蒸気は気候システムの水循環(液体の水や固体の氷を含む)の一部であり、他の微量な温室効果ガスに比べて圧倒的に多く大気中に存在しますが、この水循環エネルギーは、人間活動によって生み出されるエネルギーなど比較にならないくらい大きいのです。例えば、降水の集中する赤道地域では1日あたり4㎜の雨が降りますが、これは年間120兆トンの水に相当します。これだけの水蒸気を海から蒸発させるためには、8×1016kWhの電力、すなわち日本の総発電量の10万年分ものエネルギーが必要なのです。したがって、人間活動によって排出される水蒸気(かんがい作物からの蒸発や発電所の冷却によるものなど)はあったとしても、自然の水蒸気量を変えるほどの効果はありません。
では、人間が水蒸気をコントロールできないならば水蒸気は温暖化とは無関係か、と聞かれれば、そんなことはありません。(中略)
人為起源の温暖化で言えば、まず人間活動による二酸化炭素濃度の上昇があり、二酸化炭素の温室効果で気温が上がります。これが水蒸気の増加をもたらし、さらに水蒸気の温室効果で気温が上がる、という正のフィードバックが働きます。このフィードバックというのは、ちょうどスピーカーのアンプのような働きで、声の入力(二酸化炭素による温暖化)を増幅しますが、逆に言えば、入力がなければ何もしません。その意味で、水蒸気の温室効果は温暖化メカニズムの「共犯」なのです。
(引用おわり)
観測されている温暖化が人間活動によって生じているという前提に立つ人為起源の温暖化、その前提を見直す自然起源の温暖化。自然起源の温暖化は、ほとんどが人間のコントロールの効かない自然現象(太陽活動、海洋や地殻の変動など)によって生じているという前提に立つ。コラムの例でいえば、水蒸気に温暖化の原因を見るのである。犯人は水蒸気で、このとき二酸化炭素は冤罪ということになる。

メークインの花

2019-05-27 | 野菜作り
メークインは3分の2ほど芽が出たことになる。残りはだめだった。30日ほど発芽の時期にばらつきがあり、葉の生長は大中小の3組に分かれている。しばらく前から花が咲きはじめた。花が咲くころに土のなかのジャガイモが太りだすという。花は摘んでおいた方がいいので、大の花はしばらく前に摘んだが、近くの畑を見ると、そのままにしているところもある。中がいま咲いている。小はしばらく後に咲くのだろう。

令和の「サツキ紅盃」

2019-05-24 | 日記
「サツキ紅盃」画像で検索すると(グーグル)、一番初めに、以前このブログで投稿した画像が出ていて驚いてしまった。昨年、やっと「サツキ紅盃」(べにさかずき)と同定したが、自信はなかった。それでも、いっしょに出ている他の画像と比べてみると、同じような花にみえるから、間違いないのかなと思う。昨年、近所の庭に同じような花が咲いているのを見つけた。今年も咲いている。通りかかったとき、家の人がいたら訊くつもりでいる。令和の五月のサツキ紅盃を撮っておこう。

ユスラウメの表裏

2019-05-23 | 庭の草木
今年、花は咲いていた。少し前から赤い実が目立つようになってきた。収穫を楽しみにしていた。しかし、近づいてみると、思っていたより実がついていない。まだ未成熟の実もあるが、すでに赤くなって落ちている実もある。いくつか実を採り食べてみる。甘すっぱい、いつもの味である。しかし、収穫するほど実がない。
ふりかえってみると、昨年は豊作だった。昨年の画を見ると、実のつき方が全く違っている。まちがいなく、昨年は表年、今年は裏年である。しばらく前まで、普通に収穫できるものと思っていたのは、花が咲いていた印象があったからだろうか。しかし、実は成熟しなかった。蜜柑と比べてみると、蜜柑の裏年には花の数がそもそも少ない。しかし、ユスラウメの場合は、花の数はそこそこあった。しかし、実は生長しない。蜜柑の理性は単純だが、ユスラウメはもう少し複雑ということだろうか。
いずれにせよ、今年、ユスラウメは裏年である。今日になって自覚した。しばらく、幻の赤い実を見ていたようだ。

クロガネモチの花とつぼみ

2019-05-22 | 庭の草木
クロガネモチ(黒鉄黐)の枝を切るつもりで近づいていくと、花が咲いていた。赤い実は知っているが、花は初めて見た。今日は切らないことにした。

クロガネモチは雌雄別株だという。これは雌花のようだ(赤い実をつけていたから当然か)。白い6枚の花びら。めしべと退化したおしべがあるという。中央がめしべ、それを取り囲む先端が赤い6角形がおしべ。花は散形花序というつき方(線香花火のような)である。蕾もみえる。

蜜柑の木の理性

2019-05-21 | 庭の草木
何年か前に柿の木がアメリカシロヒトリにやられて葉がすべてなくなってしまった。果実が生長の過程にあり、どうなるか興味をもって見守った。そのうち、葉が再び茂って果実は大きくなった。葉がなくなったこと、果実が生長の過程であること、光合成が必要であることを木は知って、それに対処したように思えた。植物の理性を感じた。植物の判断と推論は、葉や枝や根などの組織が持つ情報伝達物質(なんらかのホルモン)を、維管束を通してやり取りすることによって行われていることが実感された。

蜜柑の表裏のくり返しも蜜柑の木の理性の現れといえるだろう。単純な図式だが、2つの契機によって蜜柑の収穫量が左右されている。2つとは、収穫後に木に保存されている糖の量と果実の中で作られるジベレリンという植物ホルモンとである。
光合成によって作られる糖は、木の各組織(根、枝、葉、果実)の生長の素材になる。表年(豊作)のときは、果実に糖が多く使われてしまう。そのため、翌年の花芽の素材となる糖が不足して、花芽が出来づらくなる。
また、果実で作られたジベレリンには花芽の生長を阻害する作用がある。表年(豊作)のときは当然ジベレリンも多く作られる。ジベレリンが果実の近くの花芽に維管束を通して流れて、翌年の花芽の生長を阻害する。
花芽が少ないところに、さらに生長を阻害されるのである。そのために、翌年は裏年(不作)になる。

果実の量によって、翌年の収穫量は左右される。北側の蜜柑はここ数年表裏を繰り返している。これに対して、南側はほぼ一定の収穫である。北側は2年で調整しているが、南側は体力に見合った果実の量を記憶していて、1年のうちに調整している(生理落果)。南の方が賢いのではないかと思われる。北側も表年(豊作)に摘果して果実の量を調整すれば、凸凹がならされ、翌年も一定の収穫が見込まれる気がする。ほっておくけれど。

ふりかえってみると、北側の蜜柑も以前はほぼ一定の収穫だった。表裏が目立つのはここ数年である。思い出してみると、何年か前に、虫が発生して、葉が落ちて収穫が少ない年があった。次の年に花ボケを観察したのではなかっただろうか。北側の蜜柑はこのときの後遺症を引きずっているのではないかと思われる。



蜜柑の幼果

2019-05-20 | 庭の草木
南側のみかんは、昨年より半月ほど開花が遅れた。それでも受粉、受精を経て、実が付きはじめている。まだ出来立てで、花柱が付いたままの幼い果実である。

北側の蜜柑は、今年は裏(不作)である。10輪も咲いていない。