対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

複合のアインシュタインモデル

2009-01-18 | アインシュタイン

目次

 はじめに
 複合論の概略
 複合のアインシュタインモデル

 はじめに

 これまでに、アインシュタインがソロヴィーヌへ送った手紙のなかで示した思考モデルについて、考えてきた。思考モデルにおける自己表出と指示表出の軸、悟性と理性の関係、「論理的なもの」と「経験的なもの」の違い、下向(原理の発見)と上向(構成的努力)、発見的思考(伊東俊太郎)とテマータ(G・ホルトン)の関係などである。

 これらは複合論と関連しているが、複合論そのものではなく、もっと広い認識論であり、いわば複合論の背景だった。ここでは、複合論そのものを、アインシュタインが示した思考モデルを利用して、図示してみようと思う。まず、複合論を確認し、次に図を示そう。

 複合論の概略

 複合論は弁証法の新しい理論である。「矛盾と止揚」のヘーゲル弁証法に対して、複合論は「対話と止揚」の弁証法である。ヘーゲル弁証法は論理学・存在論・認識論にまたがる巨大なものである。これに対して、複合論は認識の領域だけに位置づく小さな道具(方法・技術)である。反対する人は多いと思われるが、わたしは認識に限定した方が弁証法(ディアレクティケー)の核心は捉えられると考えているのである。

 複合論の基礎にある考え方は、ヘーゲルが「論理的なもの」に想定した悟性・否定的理性(弁証法)・肯定的理性(思弁)という三側面(三段階)を解体して、「論理的なもの」に「自己表出と指示表出」を想定していることである。また、ヘーゲルでは直列につながっている否定的理性と肯定的理性を切り離して、二つの理性の並列構造を想定していることである。

 わたしが想定している「論理的なもの」とは、なにかについての認識を表現してあるものを指している。例えば、理論、命題、法則、主張、規定、見解、意見、公式などである。

 複合論の特長の一つは、モデルを提示していることである。

 「論理的なもの」を複素数をモデルにして表示する。例えば、A =a+bi という式で、ある特定の「論理的なもの」を表現する。実数部分が自己表出、虚数部分が指示表出である。

 複合論は、複素数のかけ算をモデルとして、対立物を統一する過程を表現する。

 この過程は二つの「論理的なもの」の選択から始まり、否定的理性と肯定的理性(二つの理性の同時進行が推論である)によって進展していく。
 
 二つの「論理的なもの」の対話を表現したものが、弁証法の共時的構造(対話の四肢構造)である。

    c ← bi + a → di
      ↑   ↓    
    bi ← c + di → a

 中央にある bi + a と c + di は、選択された二つの「論理的なもの」である。垂直方向の矢印は推論を示している。推論によって四隅に、第三の要素が出現する。

 そして、第三の要素は結合すると想定する。

    c ← bi + a → di
    +   ↑   ↓   +
    bi ← c + di → a

 右側の a + di と左側の c + bi である。これらは異なる二つの「論理的なもの」の、一方の自己表出と他方の指示表出で構成される。混成モメントである。

 対立物の統一の過程は、選択・混成・統一という三段階をたどる。これが弁証法の通時的な構造である。

  1(選択) 複数の「論理的なもの」の中から、対象の把握に関連がありそうな「論理的なもの」を二つ選択する段階。
  2(混成) 二つの「論理的なもの」を対立させ、出現するモメントを混成する段階。
  3(統一) 混成した二つの規定を統一することによって、対象に対応する一つの「論理的なもの」を確定する段階。

 この三段階は、ヘーゲルの「論理的なものの三側面」に対置する過程である。ヘーゲルの弁証法は、「正反合」である。一つの「論理的なもの」の内在的否定によって進展していく。これに対して、複合の弁証法は、「正々反合」である。二つの「論理的なもの」の対話によって進展していく。記号で表示すれば、次のようになる。

  1(選択)   A =a+bi
         A' =c+di
  2(混成)   A×A' =(a+bi)×(c+di)
              ≒(a+di)×(c+bi)
  3(統一)       =(ac-bd)+(ab+cd)i
              =x+yi
              =B

 
 共時的な構造の中央にある bi + a と c + di は、通時的な構造の2(混成)の上部( a + bi )×( c + di )に対応している。また、共時的な構造の両側の a + di と c + bi は、2(混成)の下部( a + di )×( c + bi )に対応している。

 共時的な構造の中央にある bi + a と c + di は、両側の a + di と c + bi を混成することによって役割を終えて、ここの段階で「止」まる。そして、混成モメントは次の統一の段階へと「揚」がる。この事態が、弁証法の「止揚」を表わすと考えている。

 混成の段階(a+bi)×(c+di)≒(a+di)×(c+bi)において、=ではなく≒で表記しているは、この過程が論理的な過程ではなく、何らかの形で飛躍を含んでいるからである。また、混成モメント(a+di)×(c+bi)の後が、ふたたび=(等号)にもどるのは、この過程は論理的な過程だからである。

 AとA' のかけ算は、(a+bi)×(c+di)=(ac-bd)+(ad+bc)iである。一方、混成モメントのかけ算は (a+di)×(c+bi) =(ac-bd)+(ab+cd)i である。前者(ac-bd)+(ad+bc)i と 後者(ac-bd)+(ab+cd)iの差が、複合(弁証法)によって創造されたものを表わしている。例えば、相対性理論に関連させていえば、前者はローレンツのローレンツ変換を表わしている。後者はアインシュタインのローレンツ変換を表わしている。

 複合論は、二つの「論理的なもの」の固有の自己表出と指示表出を基点として、これまでになかった自己表出と指示表出をつくり上げ、新しい一つの「論理的なもの」が形成されていく過程を表わしているのである。

 複合のアインシュタインモデル

 それでは、ホルトンがテマータを示した図を基にして、複合の過程を描いていくことにしよう。

 ホルトンが示した図は次のようなものであった。ここで、Eは経験、Jは飛躍、Aは公理、Sは命題を表わしている。また、θはテマータ(発見的思考)を表わしている。

     

     アインシュタインの思考モデル

 作図のポイントは、以下の5点である。

 1 テマータは、J(飛躍)を方向づけるものである。複合(弁証法)はテーマ(テマータの単数)だから、1つのJ(飛躍)を描くことによって、ホルトンの図からテマータ(θ)の四角形を消去する。
 
 2 複合の出発点は2つの「論理的なもの」(AとA')である。図のSとSの白丸を利用する。そのために、AからSとS'に向かう実線の矢印を消す。そしてSとS'をAとA'に置きかえる。

 3 J(飛躍)の起点を右方向にずらし、AとA'(SとS')の中央にして、起点をB'と記入する。これは、様相性と複合論の関係を考察したときに導入したB'と同じものである。すなわち、B'はAとA'の邂逅を反映する特異点である。

 4 J(飛躍)の終点、少し大きめの白丸は、Aと示されているが、これをB"に置きかえる。このB"は、ここではじめて導入するものである。混成モメントの形成を反映する特異点である。

 5 到達点はBである。これはS"を利用する。実線の矢印をそのまま利用して、S"をBに置きかえる。

 以上を基に作図したものが、複合のアインシュタインモデルである。

     

     複合のアインシュタインモデル

  B' は(a+bi)×(c+di)、B" は(a+di)×(c+bi)、B は(ac-bd)+(ab+cd)i と対応する。
 また、J(飛躍)の過程は、弁証法の共時的構造(対話の四肢構造)と対応する。すなわち、

    c ← bi + a → di
        ↑   ↓    
    bi ← c + di → a

である。

 複合の過程は、B' ― J ― B" ― B と表示できる。縮めれば、B' ― B" ― Bである。これが「選択―混成―統一」に対応する。B' ― J ―B" が下向(原理の発見)である。B" ― B が上向(構成的努力)である。

 相対性理論はどのような複合によって形成されたのかは、別稿で展開する予定である。ここでは、これまでに示した複合の例を一つだけ確認して終わることにする。構造と過程がはっきりしているマクスウェルの複合である。
 
 マクスウェルの弁証法において、B'(AとA' )は「アンペールの法則」(電流は、回転的な磁場を作る)と「ファラデーの法則」(磁場の変動は、回路に電場を作る)である。

 B" は「マクスウェル法則」(電場の変動は、回転的な磁場を作る)と「ファラデーの法則」(磁場の変動は、回転的な電場を作る)である。

 またB は「磁場のみが現れる式」(横波に対する波動方程式の形)と「電場のみが現れる式」(横波に対する波動方程式の形)である。

 参考記事

   弁証法と「偶然性の内面化」
   正反合から正々反合へ
   ε と μ の複合 ――マクスウェルの弁証法

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「発見的思考」と「テマータ」の結合

2009-01-11 | アインシュタイン

 「もうひとつのパスカルの原理」(『試行』№70 1991)で提起した複素過程論は、バイソシエーション(ケストラーの創造活動の理論)を、わたしなりに総括したものである。複素過程論を発展させていこうとする試みのなかで、思いがけない出来事が起こった。複素過程論が弁証法の理論と結びつくように思えてきたのである。それ以来、弁証法について考えている。

 複合論は弁証法の新しい理論である。しかし、なによりも創造活動の理論である。もちろん、複合論(弁証法)はすべての創造活動を要約するものではない。創造活動の一つの領域に位置するのである。

 複素過程論から複合論を切り離し、弁証法の理論として提起するさいに、重要な契機となったのは、「科学的発見の論理――創造の科学哲学的考察」(伊東俊太郎『科学と現実』中公叢書1981所収)だった。

 伊東俊太郎は、そのなかで「現代の主導的な科学哲学」が、「"発見"という創造の行為を通して発展してゆく科学の最もヴィヴィトな局面を、科学認識の論理的分析の対象となりえないとして切り落としてしまった」ことに対して、疑問を述べていた。

たしかに筆者もデータから法則や理論をひき出してくる一義的な機械的な方法は存在しないことは認める。この意味でそれに従えばいつでも発見が可能となるような「発見のアルゴリズム」はどこにもない。また発見には「創造的想像力」の必要なことも認める。さらにその発見者の素質や環境といった心理的・社会的要因も重要な役割を果すことも認める。それらをすべて認めた上でなお、この発見の過程を全く不合理なもの、直観や偶然に帰せしめるより他はない分析不能なものと考える必要はないと思う。新しい仮説を提起するにはそれぞれ「理由」(ラテイオ)があり、その意味でこの過程はなお合理的(ラショナル)なものと言いうる。それゆえそれはまた必然的な形式論理の意味では論理的ではないが、仮説提起の過程がけっして心理的社会的なもののみに還元できない、それ自身合理的に分析可能な構造をもつという意味では、論理的認識論的分析の対象となるのであり、それは、科学哲学や科学方法論の領域においてもとり上げらるべき問題であると考える。これを非合理な″霊感″といったような神秘の領域にとじこめてしまうべきではないのである。

 このような立場から、伊東俊太郎は「発見的思考」を提起した。その思考を、A帰納(induction)によるもの・B演繹(deduction)によるもの・C発想(abduction)によるものの三つの思考方式に分け、「C発想」のなかを、さらに1類推によるもの・2普遍化によるもの・3極限化によるもの・4システム化によるものと細分した。

   発見的思考の分類と例

 伊東俊太郎は「普遍化」の例として、ニュートン力学とアインシュタインの相対性理論をあげていた。わたしは弁証法を「発想」の中の「普遍化」と考えればよいのではないかと思ったのである。

 この「普遍化」というのは、与えられた既知の複数の理論を、ある観点から統一的に把握しうる、より一般的な理論をつくろうとすることを意味する。たとえばニュートンがガリレオによって与えられた地上の物体の運動法則と、ケプラーによって樹立された天体の運動法則とを、万有引力の観点から統一的に把握する、彼の古典力学をつくり上げたこと、またアインシュタインが、力学とマクスウェルの電磁気学を、ローレンツ変換という観点から統合する相対性理論をつくり上げたことなどが、この好例としてあげられよう。すなわち電磁気学の方はローレンツ変換を満足するが、ニュートン力学はこれを満足しないので、後者をガリレイ変換によって不変なものから、ローレンツ変換によって不変なものへと変え、両者を統合しようとしたことが、相対性理論を生み出す根本動機であった。

 「発見的思考」をアインシュタインの思考図式のなかに位置づけておこうと思う。

 ホルトンは「科学理論の形成に関するアインシュタインのモデル」(『アインシュタイン』岩波書店 2005 所収)のなかで、次のように述べていた。

 ここで、これまで手をつけないでおいた重要な問題点を、あらためてとりあげなければならない。問題はつぎのように立てられる――-図1の図式の出発点をなすEからAへの飛躍は、論理的に不連続であり、想像力の「自由な遊び」の表現であるから、そうして、この飛躍は結果として数限りないAをつくりだすのだから(もっとも、その大多数は、やがて、理論体系の形成には何の役にも立たないとわかるだろうが)、飛躍の成功の要因として、偶然のほかに、いったい何が期待できるのであろうか? J過程における自由とは、飛躍を行なうことが許されているのであり、どんな飛躍でも勝手に行なってよいわけではない、というあたりに答があるに違いない。公理体系はやがて、アインシュタインのいうよい理論の第二の判定基準にあうかどうかをみるために、自然性とか単純性のテストにかけられるのだから、その点だけからいっても、Jを導き方向づける何かがなければならない。

  図1

 ホルトンは、「Jを導き方向づける何か」を「テマータ」とよんでいる。伊東の「発見的思考」は、この「テマータ」と重なると思う。

 ケプラーの時代に始まり、アインシュタイン、ボーアをへて現代の最先端にいたる、数々の科学的仕事の個別研究を通じて、私が示そうとつとめてきたように、まさにこのような、正当性も虚偽性も立証できないが、まったく勝手でもない考え方の設定や使用が、たしかに存在するといえる。科学的思考の一定の段階では、存在するだけでなく、必然性さえあるのである。こういう一連の考え方を私はテマータとよんだ。

 ホルトンは例を挙げている。

 理論形成にあたってアインシュタインを導いたテマータとしては、つぎのようなものが認められる。形式的な(物質主義的でない)説明の優位、統一性(あるいは統一化)と宇宙論的な規模(諸法則の、経験の全領域にわたる平等な適用可能性)、論理的な倹約と必然性、対称性、単純性、因果性、完全性、連続性、それからもちろん、定値性と不変性がある。個々の場合にアインシュタインが、実験による検証が難しいとか入手不可能と思われるときでさえ、頑固にある方向の仕事を続けていった理由は、まさにこれらのテマータで説明されるのである。これはまた、テマータ的な前提条件が自分のものとは対立するような諸理論(たとえばボーア学派の量子力学)を、実験との相関はきわめてよいにもかかわらず、なぜ拒否したかをも説明する。

 そして、テマータの場所を図1に示している。

 こういう考え方も、EJASE過程にテマータの機能を明示するような修正をほどこすことによって、図1の図式に組み込むことができる(図7)。EからAへの飛躍にはいろいろありうるが、特定の理論家の採用した、あるいは思考過程にしみこんだテマータというフィルターを通るときに、一つか二つに濾過されてしまうのである。たとえば、アインシュタインの一九〇五年の相対論の論文の冒頭で、要請の地位にひきあげられる二つの推測も、テマータによって方向づけられている。ここでは諸法則の大規模で平等な適用可能性、不変性、論理的な倹約、形式的な説明の優位といった要求をあらかじめたてているわけである。

     図7

 伊東俊太郎の「発見的思考」は図のθと同じ場所にあり、J(飛躍)を方向づけていると思われる。
 さて、テマータは、themata と書くようである。(「パラダイム」から科学的探究の源泉としての「テマータ」へ From "Paradigm" to "Themata" as Origins of Scientific Thought 杉山 聖一郎 1愛媛大学法文学部 参照) themataは、thema(=theme)の複数形である。thema(=theme)は、テーマ(主題・主旋律など)のことである。しかし、認識の枠組みを意味する「パラダイム」が、語形変化の一覧表に基づいていることと対照すれば、テーマは、主題というよりも、語形変化において変化しない部分、すなわち「語幹」と捉えた方が根本的だと思われる。テマータ(themata)は「語幹群」である。

 「正当性も虚偽性も立証できないが、まったく勝手でもない考え方の設定や使用が、たしかに存在するといえる。科学的思考の一定の段階では、存在するだけでなく、必然性さえあるのである。こういう一連の考え方」(テマータ)と「発見的思考」は対応していると考えられる。

 しかし、上に挙げられているテマータの例(硬い訳語ばかりである)は雑然としているように思われる。すくなくとも伊東俊太郎の発見的思考の分類ほど整然とはしていない。ホルトンがテマータとして挙げている例を切り捨て、「発見的思考」のA帰納・B演繹・C1類推・C2普遍化・C3極限化・C4システム化を、テマータ(「語幹」)の例としてみた方がわかりやすいのではないかと思われる。

 ホルトンは「一九〇五年の相対論の論文の冒頭で、要請の地位にひきあげられる二つの推測」(相対性原理と光速度一定の原理)が、テマータ(諸法則の大規模で平等な適用可能性、不変性、論理的な倹約、形式的な説明の優位)によって方向づけられるとみている。

 これに対して、わたしは、二つの推測は「弁証法」によって方向づけられると主張することになる。

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