ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権280~憲法に家族保護条項を

2016-03-15 10:05:33 | 人権
●憲法に家族保護条項を

 私は嫡出子・婚外子の相続を均等とした民法改正は、日本の家族を揺るがすものと思う。法律婚と事実婚の法的な格差をなくせば、国民の結婚観や家族観に誤った影響を与えかねず、事実婚が増え、家族制度が崩壊しかねない。均等相続の弊害を防ぐため、早急に善後策として家族制度を守る方策を講じることが必要である。
 現行憲法には、第24条に婚姻に関する規定がある。第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されている。
 最高裁は、先の判決で家族観の変化を挙げた。だが、わが国の現状は、家族に係る問題が増加、深刻化し、重大な社会問題を生み出している。むしろ、親子・夫婦・祖孫等の家族の絆を強め、家族を再建することが課題である。先の民法改正に対し、家族を保護するため、他に法律を作るなどして、個人の権利の尊重が家族の崩壊を助長するものとならないようにしていく必要がある。ただし、法律では限界がある。私は真に有効な手立てを講じるには、憲法に家族保護条項を設け、日本の家族を立て直すことが必須であると考える。
 そもそも現行憲法のように、憲法に婚姻に関する規定が設けられていることは、世界的に見て異例である。男女が性的に結びつくことには、法律はいらない。その限りでは、結婚は私的な事柄であり、政府が介入すべきことではない。
 結婚が法律上定められるとすれば、それは結婚が単なる男女の結びつきではなく、家族という一つの社会を形成する公共的な行為だからである。そのために婚姻の安定性を求める法律も定められるのである。恋愛・性交をするのは両性の自由だが、婚姻は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的である。それゆえ、憲法に必要なのは、婚姻よりも家族に関する規定なのである。
 国際社会では、社会の基礎は個人ではなく家族であり、政府が家族を積極的に保護しようとする考え方が時代の趨勢となっている。それを端的に示しているのが、国際人権規約(A規約)であり、同規約は第10条1項で「できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、…与えられるべきである」と述べている。西修・駒沢大学名誉教授によれば、1990年以降に制定された世界102カ国中、87の憲法には、家族保護の規定がある。それらの国の憲法の規定は、婚姻ではなく家族を中心とした規定とする傾向にある。そして、家族の権利、子供の教育の義務と権利、国家による家族・母性・子供の保護などが規定されている。そこには、家族は特別な社会であるから、特に保護されなければならないという考えが示されている。
 家族は、生命・種族の維持・繁栄のための基本単位となる社会であるとともに、文化の継承と創造の基礎となる社会である。単なる生命的・経済的共同体ではなく、文化の継承の主体、文化の創造の主体として、家族を考えなければならない。それゆえ、家族は生命と文化を継承する場所として、国家によって保護されなくてはならないのである。また、親は子供を教育する権利を有し、また子供を教育し文化を継承発展させていく義務を担う。
 しかし、現行憲法の規定には家族という概念はなく、婚姻が両性の努力で維持されるべきことしか規定されていない。両性の権利の平等を強調しながら、家族の大切さを規定していない第24条には、大きな欠陥がある。その条文は、個人主義の結婚観を、日本人に植え付け、愛と調和の家族倫理を失わせ、社会の基礎を破壊するものとなってきたのである。
 特に、今日、家庭道徳の低下と離婚率の上昇など、日本の家族は崩壊の危機にあるので、女性・子供・高齢者を守るためにも、憲法において家族の概念を明確化することが必要である。日本人は、アメリカやスェーデン等の極度の個人主義が招いた家庭崩壊の愚を後追いすべきではない。
 また、現行憲法の条文には、夫婦と並んで家族を構成するもう一本の柱である親子への言及がない。これは、生命と文化が、世代から世代へと継承されていくことを軽視しているものである。婚姻が、その夫婦、その世代限りのものと考えるならば、先祖から子孫への縦のつながりは断ち切られ、民族の歴史が断ち切られる。
 親が子供を産み、その子に知恵や財産を継承するのは、私的な行為である。しかし、それは単に私的な行為ではなく、同時に、大人が次の世代を生み育て、生命と文化を継承するという社会性をもった行為でもある。それゆえ、家族は国民の生命と文化を継承する場所として、国家によって保護されなくてはならないのである。
 新しい憲法には、各世代には世代としての責任があり、健常な大人の男女は、子孫を生み育て、教育を施し、生命と文化の継承に努める義務があると明記すべきである。
 子供の教育に関しても、親は子供を教育する権利を有し、また子供を教育する義務を負う。それは、自分の子供を通じて、次世代に文化を継承発展させていくという公的な義務なのである。家族というものを通じて、国民は、生命と文化の継承という公的義務を負うのである。
 また、国民は、自分の親の養護に努力すべきことも、憲法に定めるべきだろう。自分の子どもには、親として教育を与える義務があるということは、他の大人に託すのではないということである。これと同様に、自分の親に対しても、子として養護に努力すべきだろう。それは、他の大人に託すのではないということである。子どもの教育においても、親の養護においても、まず自助努力を促し、それで足りないところを学校や、福祉施設が補う。これが、人格的な人間関係を根本においた社会の基本的なあり方である。
 以上のように憲法において家族の概念を明確化することが不可欠であると私は考える。家族保護条項の条文案については、後に憲法改正案の各項目において示す。

 次回に続く。

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