ほそかわ・かずひこの BLOG

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ユダヤ62~ウィルソン大統領の分身、ハウス大佐

2017-06-14 08:48:08 | ユダヤ的価値観
●ウィルソン大統領の分身、ハウス大佐
 
 20世紀初頭において、イギリスの支配集団は、大英帝国の覇権を維持し、利益を守ろうとして、世界最大の工業国となったアメリカを管理下に置くために、様々な形で働きかけを行った。その働きかけのうち最も重要なのが、米国独立以来、イギリス所有者集団が課題としてきた米国における中央銀行制度の実現だった。次に重要なのが、外交問題評議会(CFR:Council on Foreign Relations)の設立だった。これらの機関を通じて、イギリスの支配集団は、アメリカを金融的・政治的・外交的に管理するようになった。
 こうした働きかけで重要な役割を担った人物に、エドワード・マンデル・ハウスがいる。ハウスに軍歴はないのだが、大佐(コロネル)と呼ばれた。
 エドワードは、リンカーン暗殺の主犯格だったテキサスの豪商トマス・ウィリアムス・ハウスの息子である。G・エドワード・グリフィンは、著書『マネーを生み出す怪物』で、トマスはアメリカの南部諸州で「ロンドンの匿名の銀行家の在米代理人」として財を成した。「その匿名の銀行家とはロスチャイルドではなかったかと言われている」と書いている。
 イギリス支配集団につながる資産家の息子として生まれたエドワード・マンデル・ハウスは、数年間イギリスで教育を受けた。この時、培った思想や人脈が、後にハウスが英米の支配集団を結んで活動する基盤になったのだろう。私は、ハウスをロスチャイルド家の政治的代理人と見てよいと思う。また、ハウスをユダヤ系とする説があるが、その可能が高いだろうと思う。
 ハウスは欧米の財閥の意思を実現するため活動し、中央銀行制度である連邦準備制度(FRS)の実現や第1次世界大戦へのアメリカの参戦を推進した。米国大統領ウィルソンの側近として、力を振った。大戦後の国際秩序の考案や戦後処理、CFRの設立にも重要な役割を担った。FRSやCFRの重要性に鑑み、アメリカが現代の覇権国家へと成長し得る骨格づくりをした経営者の一人が、ハウスだと私は考えている。
 キグリーは、ハウスはアメリカ円卓会議のメンバーだ、と書いている。欧米各地の円卓会議のネットワークは、ロスチャイルド家、ロックフェラー家、モルガン商会、カーネギーなど、当時の財閥を結びつける役割を果たした。中でもハウスは、ロスチャイルド家の政治的代理人として、英米の円卓会議の連携の要となり、英米の財閥の連携の要ともなっていたと思われる。
 20世紀初頭、アメリカの金融界は、ロスチャイルド、ウォーバーグ、モルガン、ロックフェラーの4大財閥によって支配されていた。彼らは協同で中央銀行の設立を目指した。そして、1913年に連邦準備法が制定され、連邦準備制度が創設された。
 欧米の国際金融資本家たちがアメリカにも中央銀行制度を作ろうと画策していた当時、アメリカ金融界の第一位は、モルガン家だった。モルガン家は、ロスチャイルド家の融資や支援を受けて、のし上がった財閥である。ハウスは、その頭領ジョン・パイヤーポイント・モルガンと親しかった。J・P・モルガン商会は、アメリカにおけるロスチャイルド商会の代理人をしていた。
 ハウスはまたポール・ウォーバーグとも親しかった。ウォーバーグ家は、ドイツの財閥であり、フランクフルトのゲットーにいた時代からロスチャイルド家と縁の深いユダヤ人家族である。
 ポール・ウォーバーグは、1902年にドイツからアメリカに渡り、やはりユダヤ系のクーン・ローブ商会の共同経営者となった。クーン・ローブ商会もまたアメリカにおけるロスチャイルド商会の代理人だった。アメリカ有数の金融資本家となったポールは、中央銀行制度実現のために全米を回った。彼はロスチャイルド家らのヨーロッパの金融資本家たちと、アメリカの新興資本家たちを結ぶ位置にあった。
 ハウスがJ・P・モルガンやポール・ウォーバーグと親しかったということは、彼らの大元にいるロスチャイルド家の意思を体していたから、そうなったということだろう。
 ポール・ウォーバーグが、中央銀行制度の設立のため活動した時、共に活動した政治家が、ネルソン・オールドリッチ上院議員である。オールドリッチは、J・P・モルガン商会のワシントン代表だった。彼の娘は、ジョン・D・ロックフェラー2世と結婚し、次男のネルソン・ロックフェラーや五男のデイヴィッド・ロックフェラーらを生んだ。オールドリッチは、モルガン家とロックフェラー家を結ぶ位置にあった。 
 ウォーバーグとオールドリッチは、1910年、中央銀行制度の創設をめざして、ジョージア州のジキル島で秘密裏に会合を開いた。参加したのは、モルガン、ロックフェラーの代理人たちや財務省高官である。そのうちヨーロッパの銀行制度に詳しいのは、ウォーバーグだけであり、ウォーバーグが制度の素案を提示した。もとになるのは、イングランド銀行やドイツ銀行の例だが、ヨーロッパ各国の中央銀行は、実質的にはロスチャイルド一族の銀行だから、中央銀行制度とはロスチャイルド式の銀行制度をアメリカに導入することを意味する。
 法案はオールドリッチが上院に提出したが、彼のモルガンとのつながりが反感を買い、廃案となった。ロスチャイルドらの金融資本家たちは、国民の批判をかわすため、民主党に政権を取らせ、民主党の議員から提案をさせて、議会を通そうとした。その際、誰を大統領にするかがポイントとなった。白羽の矢が立ったのは、ウッドロー・ウィルソンだった。
 政治学者のウィルソンはプリンストン大学の学長から政界に転じ、ニュージャージー州知事をしていた。彼を大統領候補とし、民主党大会で指名を獲得させたのが、ハウスだった。
 ウィルソンは、1913年に第28代大統領になった。ウィルソンを擁立した金融資本家たちは、彼の側近に自分たちの代理人を送り込んだ。その中の最重要人物がハウスだった。ハウスは、閣僚名簿を作成し、政権の最初の政策を立案し、経済政策・外交政策を実質的に決定するようになった。ウィルソンは、ハウスの指示や指針を頼りにしていると公言した。「ハウス氏は私の第二の人格である。彼はもう一人の私だ。彼の考えは私の考えだ」とまで、ウィルソンは書いている。
 ハウスは、まさにウィルソンの分身だった。そのハウスの最初の大仕事が、連邦準備制度の実現だった。ウィルソンは、ハウスを通じて、連邦準備制度に関する巨大国際金融資本家たちの意向を知った。ハウスは、アメリカ政府の事実上の中心となって、欧米の国際金融資本家を中継し、連邦準備制度の実現を推進した。
 イングランド銀行やドイツ銀行等、ヨーロッパの中央銀行は、民間銀行である。しかし、アメリカでは、国民の抵抗を避けるため、国家機関を思わせるような「連邦(Federal)」という言葉を使うこととし、「連邦準備制度」という名称がひねり出された。
 ウィルソンは、新しい銀行制度について、よく理解できていなかった。「銀行問題に関する限り、ハウス大佐が合衆国大統領であり、関係者は全員それを承知していた」とグリフィンは書いている。『ハウス大佐の真実』の編者チャールズ・シーモア教授は、ハウスが連邦準備銀行法の「陰の守護天使」だったと言う。
 連邦準備銀行法が最終段階に入った時、ハウスは、ホワイトハウスと巨大金融資本家たちの仲介役を務めた。彼の事務所が、かつて1910年にジキル島に集まったグループの司令室になっていた。特にポール・ウォーバーグとは、連絡を絶やさなかった。
 1913年12月22日、クリスマス休暇を前に、議員たちの多くが気もそぞろとなっている時、法案が提出され、下院・上院とも賛成多数で可決した。ウィルソンは、この法案に署名し、連邦準備制度が発足した。
 こうしてハウスは、ウィルソン大統領を動かして、連邦準備制度を発足させることに成功した。ジャクソンが消滅させた中央銀行は、約80年の時を経て、新たな形で復活することになった。欧米の巨大国際金融資本の積年の願いがかなった。金融によってアメリカという国家を支配する体制が出来上がったわけである。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙著「ユダヤ的価値観の超克」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm

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