ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権367~人格的存在の権利として基礎づける

2016-10-25 09:24:34 | 人権
●人格的存在の権利として基礎づける

 前の項目で、人間は相互に権利を認め合う存在であるとともに、相互に権利を奪い合う存在でもあると書いた。人間は、権利を巡って協調と闘争を行う能力を持つ。そうした能力を合わせ持つ主体である諸個人は、人格を持つ存在でもある。人権は、人格的存在の権利として基礎づける必要がある。
 世界人権宣言は、諸個人について、人格の語を使っていながら、人格とは何かについて述べていない。人格を認めていながら、なぜ認めるのか、その理由も述べていない。宣言として合意するには、それでよかったとしても、宣言を基に各国で人権の発達を目指す段階においては、人格について考察する必要があると私は考える。
 後期ロールズは、人格に基づくことなく、また政治的な範囲に限定した正義論を展開した。その影響でロールズ以降の正義論は、人格を論じず、人間に関する考察を積極的に行わない。現代正義論における人権論は、人格を論じることなく、自由と権利という人格の成長・発展の条件に関する議論を行っている。これに対し、私は、人格の成長・発展の条件を論じるだけでなく、人格そのものを論じ、それを通じて人間の考察を行わなければならないと考える。
 人間には、個人性と社会性がある。人格は、個人性の側面を表す。人間性の個別化という論理も可能である。人格について、私は、第1部で基礎的な考察を行った。それを踏まえて述べるならば、人格は、personality 等の訳語であり、「人柄」「人品」を意味する。こうした日常的に使われる人格という用語を、近代西洋哲学では道徳的行為の主体、法学では権利義務が帰属し得る主体の意味で用いている。近代西洋文明では、宗教と道徳と法が分化し、法と道徳が一定の自立性を持つようになったが、法のもとには道徳があり、道徳のもとには宗教がある。宗教は、超自然的な力や存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度が発達したものであり、宗教から超越的な要素をなくすか、または薄くすると、道徳となる。道徳のうち、制裁を伴う命令・禁止を表すものが、法である。
 宗教・法・道徳が分化していない前近代的または非西欧的な社会のあり方を含めて考えるならば、人格とは道徳的または宗教的な行為を行い、法的または道徳的な権利義務が帰属し得る主体であるととらえる必要がある。ここで主体とは、対象や環境に対して、能動的に働きかけるものである。主体は、近代西洋思想の基本概念のひとつで、主体―客体(subject-object)という対をなす。認識を主にする時は、主観―客観という。主体・主観は、歴史的・社会的・文化的に限定されるものであり、間主体的・共同主観的(inter-subjective)である。客体は対象ともいう。主体は相互に客体・対象ともなる。
 そのような主体としての人格は、人間の諸性質として生物性と文化性、身体性と心霊性を持つ。個人は、生物的身体的な存在であるとともに、文化的心霊的な存在である。また、そのことによって、人間は人格的存在である。
 人格は、人間の心身の発達の過程で形成され、成長・発展を続けるものである。植物は、<種子→芽→葉→花→実>と、生長の過程で形態を変化させていくが、そこに一貫して持続しているものがある。それが植物の生命である。人間は、生命ある存在として、生物性と身体性を持つ。人間は、<精子→受精卵→胎児→幼児→少年→青年→老年→死者>と、成長の過程で形態を変化させていくが、そこに一貫して持続しているものが、人間の生命である。そして、人間においては、生命だけでなく、生命とともに成長するものがある。これを心、精神等という。人間は、精神の活動により、文化を創造・継承し、また心霊的存在であることを自覚する。この生命的かつ精神的な存在が、道徳的または宗教的な行為を行い、法的または道徳的な権利義務が帰属する主体としての人格である。
 人間の集団は、人格的存在としての諸個人によって構成される。諸個人は、性差と血縁によって、集団の最小単位である家族を構成する。個人は家族の一員として生まれ、家族において成長する。個人は親子・兄弟・姉妹・祖孫等の家族的な人間関係において、人格を形成する。そして親族や地域、民族、国家等の集団の一員として、社会的な関係の中で、人格を成長・発展させていく。
 諸個人は、人格的存在として、社会的な実践を行う。その実践において、さまざまな価値を生み出す。価値の中には、まず生命的な価値がある。生命的な価値とは、健康、生長、長寿、子孫繁栄等である。だが、生命の尊厳を絶対的な価値として、人間の尊厳を説くならば、他の生命体の価値も同様となる。人間は、生命的な価値以外に、文化的な価値や心霊的な価値を生み出す。そのことによって尊厳が認められる。世界人権宣言では英語dignityの訳語であり、dignityは「価値のあること」「尊さ」「貴重さ」などを意味する。尊く敬うべき価値である。文化的な価値には、物質文化的価値と精神文化的価値がある。これらを物質的価値、精神的価値ともいう。前者は富、権力、利便等であり、後者は真、善、美、聖、正義、自由、平等等である。精神的な価値のうち、死後の霊的存続可能性や人間を超えた存在に関わる価値が、心霊的価値である。私は、こうした価値を生命的価値、文化的価値(物質的・精神的含む)、心霊的価値の3種に整理する。
 人格は、生命的価値だけでなく、文化的及び心霊的な価値を創造・継承する主体であり、それゆえに人格にも価値が認められる。人権もまた価値の一つであるから、人権の基礎づけにおいて、人格の概念は不可欠である。個人における人格の成長・発展は、社会における価値の創造・増大となる。それゆえ、個人の人格の尊重に基づく権利の相互承認は、社会における価値の創造・増大を促す。人権とは、こうした価値を何らかの形で相互に認め合うところに成立する権利である。
 文化的価値及び心霊的価値は、それぞれの集団において創造され、また評価されるものである。それゆえ、普遍的な価値ではなく特殊的な価値であり、その価値を生み出す主体の権利は、それぞれの集団において発達する。近代国民国家で構成される国際社会においては、価値創造の主体の権利は、主としてそれぞれの国民の権利として発達する。

 次回に続く。
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