ほそかわ・かずひこの BLOG

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ユダヤ85~ユダヤ人科学者による核兵器開発

2017-08-06 09:18:10 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人科学者による核兵器開発

 米国政府は、第2次世界大戦中にマンハッタン計画を極秘に開始した。ニューメキシコ州の山奥に創られたロスアラモス研究所で、原爆の研究・開発が行われた。総計20億ドルの資金が投入され、5万人にのぼる科学者・技術者が動員された。
 その中には、数多くの優秀なユダヤ人科学者がいた。なかでもハンガリー生まれで米国に亡命したユダヤ人科学者が、原爆誕生に大きな推進力となった。レオ・シラード、ジョン・フォン・ノイマン、エドワード・テラー、ユージン・ウィグナーである。アインシュタインの項目にFDRに原爆開発を提案した手紙のことを書いたが、アインシュタインが署名した手紙を作成したのは、シラード、テラー、ウィグナーの3人だった。
 シラードについては、アインシュタインの項目で述べたので、それ以外の者について書くと、まずノイマンは、コンピュータの動作原理を考案した「コンピュータの父」として知られる。彼は、爆縮レンズ開発に従事し、爆薬を32面体に配置することにより核爆弾が製造できること、また地面ではなく空中で爆発させたほうが原爆の破壊力が増すことを天才的な計算能力で導き出した。日本人を蔑視し、日本の歴史・文化を保つ京都を最初の原爆の破壊対象にすべきだと強硬に主張した。
 テラーは、「水爆の父」と呼ばれる。原爆の開発後、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた爆弾へと発展させるべきだと主張した。スタンリー・キューブリック監督の名画『博士の異常な愛情(Dr. Strangelove)』のモデルだといわれている。戦後、米国の歴代政権の核戦略・防衛政策に影響力を行使し続けた。1980年代のレーガン政権時代には、「SDI(戦略防衛構想)計画」を推し進め、「SDIの父」とも呼ばれる。
 ウィグナーは、原子核反応理論で1963年にノーベル物理学賞を受賞した。
 ハンガリー出身者以外のユダヤ人科学者も多数、マンハッタン計画に参加した。
 ロスアラモス研究所の所長としてマンハッタン計画を主導したロバート・オッペンハイマーは、ニューヨーク生まれのユダヤ人だった。1945年7月に、ロスアラモスで最初の原爆実験に成功した際、狂喜して、「いま私は死に神になった。世界の破壊者だ!」と叫んだ。最初から日本だけを投下目標とし、それに反対する科学者をのけ者にしていった。「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」と主張した。
 ニューヨーク生まれのリチャード・ファインマンとドイツ生まれのハンス・ベーテは、2人でチームを組み、爆発を起こすために必要な核分裂しやすい材料の量などを計算する方程式を考え出した。ファインマンは1965年に量子電磁力学におけるくりこみ理論で、ベーテは67年に核融合の研究で、それぞれノーベル物理学賞を受賞した。
 インディアナ州生まれのハロルド・ユーリーは、ウランからウラン235のみを得るための気体拡散法を開発し、原爆の実現に大きく貢献した。1934年に重水素の発見でノーベル化学賞を受賞していた。
 ジェームズ・フランクは、1925年にノーベル物理学賞を受賞した後、ドイツから米国に亡命した。1945年6月に、対日戦争での原爆の不使用を強く勧告するフランク・レポートを政府に提出した。原爆の威力を示すのは砂漠か無人島でのデモンストレーションで十分であり、それで戦争終結の目的が果たせると提案したが、政府に拒絶された。
 ニールス・ボーアは、デンマーク生まれのユダヤ人で、1922年にノーベル物理学賞を受賞した。「近代量子論の父」と呼ばれる。マンハッタン計画では、実際に使用される前に、原爆の巨大な破壊力がいかに恐ろしい惨禍をもたらすかを誰よりも早く理解していた。戦後は、超大国が責任を自覚し、核エネルギーを適正に管理し、平和利用に専心するように促す活動に専心した。
 上記以外にも多くのユダヤ人科学者が原爆の研究・開発に関わった。米国内外から集結したユダヤ人科学者たちの参加なくして、高度な理論と計算と技術の集積である核爆弾が、20世紀半ばという時期に実現していたかどうかは疑わしい。
 原爆については、研究・開発・使用についてだけでなく、実際の投下作戦にも、ユダヤ人が参加していた。広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員は12名だったが、そのうち約半数がユダヤ人だったとされる。ユダヤ人は米国の人口の2%弱でしかないので、この比率は異常に高い。機長のポール・ティベッツ大佐もユダヤ人だった。彼は母親の名前を機体につけた。彼をはじめ搭乗員の多くは、戦後、原爆投下の正当性を強調し続けた。
 私は、人類は核爆弾の開発・使用をしたことによって、新たな歴史の段階に入ったと考え、1945年(昭和20年)以降を現代とし、それ以前と区別している。人類は、核兵器によって自滅するか、原子力等を平和利用することによって飛躍できるかという課題を抱えるようになった。この危機の時代の幕開けに、ユダヤ人は深くかかわっていたのである。

 以上で、近代の項目を終え、次回から現代に入ります。

関連掲示
・拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」
 第81回 “死の商人”バーナード・バルーク
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