富田メモについては、今後、さまざまな検証が行なわれていくことと思う。とりあえず私の連載は、今回で終え、また検討すべき点が出てきたら、その時に考えたい。
●国家と慰霊、天皇と国民のあり方
敗戦後、昭和天皇は昭和20年11月20日に、初めて靖国神社に参拝された。それ以来、30年間ご親拝が続けられていた。しかし、昭和50年(1975)秋の例大祭に昭和天皇が参拝されて以来、ご親拝は途絶えている。同年8月15日、三木武夫首相が私人としての参拝を表明したため、憲法問題として公式か私的かの論議が紛糾した。このことが決定的な原因となっていることは明らかである。その後、昭和53年秋に元「A級戦犯」の合祀が行われたことが、さらに天皇のご親拝を遠ざけた。今上天皇は皇太子時代には5回、参拝された。しかし、天皇に即位されてからは、ご親拝は行われていない。つまり、平成になって一度も天皇は参拝されていない。
死後、靖国神社に祀られると信じて亡くなっていった戦没者は、天皇が参拝されると信じ、そこに栄誉を感じていた。それゆえ、昭和50年以降、天皇のご参拝がないという日本の現状は、その期待を裏切るものとなっている。
日本人は、日本国の国民は、富田メモをきっかけに、わが国における国家と慰霊、天皇と国民のあり方について認識を深めたいものと思う。その点については、拙稿「慰霊と靖国~日本人を結ぶ絆」をご参照願いたい。
●提案――問題解決のために
最後に、問題解決のために、提案をさせていただく。昭和天皇が靖国神社ご親拝を中止されていた決定的な原因は、憲法問題であると書いた。憲法問題が解決しない限り、今上天皇もまた靖国には参られない。首相もまた本来の内閣総理大臣としての資格による参拝を打ち出せない。その状況をとらえて、中国をはじめとする周辺諸国が内政干渉をしてくる。それが靖国問題を複雑化している。これらを解決し、わが国が主権独立国家としての要件を回復し、日本人が自らの精神を保守するには、憲法を改正する以外にない。
靖国問題、言い換えれば国家における慰霊の問題解決のため、私は「天皇の国事行為」及び「信教の自由」に関する条項を、以下のように改正することを提案する。
------------------------------
◆ほそかわ私案
(天皇の国事行為)
第五条 天皇は、統治権の象徴的な行使として、次に掲げる国事に関する行為を行う。
一 伝統に基く祭祀及び儀礼を行い、国民の安寧と世界の平和を祈ること。
二 (略)
(信教の自由)
第三十二条 信教の自由は、公共の利益に反しない限り、これを保障する。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない。
3 政府及び公共団体は、特定の宗教または宗派を布教、宣伝、援助または促進するような宗教的活動をしてはならない。ただし、冠婚葬祭、慰霊、建築及びこれに類する社会的儀礼の範囲内にある場合を除く。
4 政府及び公共団体は、特定の宗教または宗派を弾圧してはならない。
5 いかなる宗教団体も、政府から特権を受け、または政治上の権力を行使して、その特定の宗教または宗派の信仰を、国民に強制してはならない。
6 政府及び公共団体は、特定の宗教または宗派の布教、宣伝、援助または促進になるような教育をしてはならない。ただし、宗教・宗派の違いを超えた宗教的情操を養う教育を妨げるものではない。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08h.htm
――――――――――――――――――――――――――――――
第五条では、一号として祭儀に関することを追加する。他にも追加すべき号があるが、ここでは省略する。
第三十二条は全文を示したが、これは信教の自由を保障するとともに、いわゆる政教分離については、わが国の伝統・慣習に基づきゆるやかな政教分離を定めるものである。第3項但し書きの「慰霊」と「社会的儀礼の範囲内」という文言に注目していただきたい。このような但し書きをつけることで、天皇の靖国ご親拝、首相の公式参拝は可能となる。形式も儀礼にそって二拝二拍手で行う。
このような改正を行うことで、わが国における国家と慰霊の関係を一貫したしたものとできると思う。また、それによって、歴代天皇の御心に応え、英霊に平安を取り戻し、また日本人を結ぶ絆を確固としたものとできると思う。
●新憲法の下での靖国神社
改憲をせずに現行憲法のもとで靖国神社の地位を改めようとする試みは、うまくいかないと思う。昭和40年代に靖国神社国家護持法案が国会で5回提出された。49年には、衆議院では可決したが、そのまま廃案となった。その法案は、靖国神社を非宗教化するものだった。そのため、最後の段階で、国家護持を希望する側の中に不満が出て、推進力を失った。
今日また靖国神社を国立の追悼施設にするという案が出ている。宗教法人であることをやめ、特殊法人または独立行政法人にするという案である。その狙いは、国が運営・管理することで、遺族の高齢化・減少が進み経営が苦しくなるだろうところ、財政的に維持することができること。また、政府の判断で、合祀者の基準を見直したり、選別したりできることのようである。しかし、この案は、靖国神社を非宗教化するものとなる。無宗教施設に変えることに他ならない。現行憲法の政教分離規定のもとでは、ゆるやかな分離という解釈を取っても、これが限界である。
だから、私は、現行憲法のもとで靖国神社の地位を改めようとする試みは、根本的な課題を解決せずに部分的に補修しようというようなものだと思う。昭和40年代の国家護持法案の時に、その試みの限界は既に明らかになっている。
私は、先に示したような憲法の改正を行うことが、根本課題だと思う。そして、新しい憲法のもとで、改めて靖国神社をどのような機関とするかを、国会で審議したほうがよいと思う。私の新憲法案は、国民に国防の義務を規定する。国民自身が国を守るという近代国民国家のあり方と、国家における慰霊は、一体の課題である。慰霊が先ではなく、安全保障が先である。
この点をしっかり位置づけた上で、靖国神社は一般の宗教法人とは区別し、慰霊と追悼のみを目的とする特殊法人とする。新憲法に定める「特定の宗教または宗派」とは異なり、民族的な伝統・慣習と規定する。名称・儀式・参拝形式・鳥居・神殿等は従来どおりとする。日本国民として既に合祀された者は、従来どおりとする。
ただし、国民は靖国神社への参拝を強制されない。参拝において、神道・仏教・キリスト教・イスラム等の諸宗教による祈りの形式は自由とする。大まかには、このような方向で検討してゆくとよいと思う。
参考資料
・拙稿「慰霊と靖国~日本人を結ぶ絆」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08f.htm
■追記
本項を含む拙稿「冨田メモの徹底検証」は、下記に全文を掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08k.htm
●国家と慰霊、天皇と国民のあり方
敗戦後、昭和天皇は昭和20年11月20日に、初めて靖国神社に参拝された。それ以来、30年間ご親拝が続けられていた。しかし、昭和50年(1975)秋の例大祭に昭和天皇が参拝されて以来、ご親拝は途絶えている。同年8月15日、三木武夫首相が私人としての参拝を表明したため、憲法問題として公式か私的かの論議が紛糾した。このことが決定的な原因となっていることは明らかである。その後、昭和53年秋に元「A級戦犯」の合祀が行われたことが、さらに天皇のご親拝を遠ざけた。今上天皇は皇太子時代には5回、参拝された。しかし、天皇に即位されてからは、ご親拝は行われていない。つまり、平成になって一度も天皇は参拝されていない。
死後、靖国神社に祀られると信じて亡くなっていった戦没者は、天皇が参拝されると信じ、そこに栄誉を感じていた。それゆえ、昭和50年以降、天皇のご参拝がないという日本の現状は、その期待を裏切るものとなっている。
日本人は、日本国の国民は、富田メモをきっかけに、わが国における国家と慰霊、天皇と国民のあり方について認識を深めたいものと思う。その点については、拙稿「慰霊と靖国~日本人を結ぶ絆」をご参照願いたい。
●提案――問題解決のために
最後に、問題解決のために、提案をさせていただく。昭和天皇が靖国神社ご親拝を中止されていた決定的な原因は、憲法問題であると書いた。憲法問題が解決しない限り、今上天皇もまた靖国には参られない。首相もまた本来の内閣総理大臣としての資格による参拝を打ち出せない。その状況をとらえて、中国をはじめとする周辺諸国が内政干渉をしてくる。それが靖国問題を複雑化している。これらを解決し、わが国が主権独立国家としての要件を回復し、日本人が自らの精神を保守するには、憲法を改正する以外にない。
靖国問題、言い換えれば国家における慰霊の問題解決のため、私は「天皇の国事行為」及び「信教の自由」に関する条項を、以下のように改正することを提案する。
------------------------------
◆ほそかわ私案
(天皇の国事行為)
第五条 天皇は、統治権の象徴的な行使として、次に掲げる国事に関する行為を行う。
一 伝統に基く祭祀及び儀礼を行い、国民の安寧と世界の平和を祈ること。
二 (略)
(信教の自由)
第三十二条 信教の自由は、公共の利益に反しない限り、これを保障する。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない。
3 政府及び公共団体は、特定の宗教または宗派を布教、宣伝、援助または促進するような宗教的活動をしてはならない。ただし、冠婚葬祭、慰霊、建築及びこれに類する社会的儀礼の範囲内にある場合を除く。
4 政府及び公共団体は、特定の宗教または宗派を弾圧してはならない。
5 いかなる宗教団体も、政府から特権を受け、または政治上の権力を行使して、その特定の宗教または宗派の信仰を、国民に強制してはならない。
6 政府及び公共団体は、特定の宗教または宗派の布教、宣伝、援助または促進になるような教育をしてはならない。ただし、宗教・宗派の違いを超えた宗教的情操を養う教育を妨げるものではない。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08h.htm
――――――――――――――――――――――――――――――
第五条では、一号として祭儀に関することを追加する。他にも追加すべき号があるが、ここでは省略する。
第三十二条は全文を示したが、これは信教の自由を保障するとともに、いわゆる政教分離については、わが国の伝統・慣習に基づきゆるやかな政教分離を定めるものである。第3項但し書きの「慰霊」と「社会的儀礼の範囲内」という文言に注目していただきたい。このような但し書きをつけることで、天皇の靖国ご親拝、首相の公式参拝は可能となる。形式も儀礼にそって二拝二拍手で行う。
このような改正を行うことで、わが国における国家と慰霊の関係を一貫したしたものとできると思う。また、それによって、歴代天皇の御心に応え、英霊に平安を取り戻し、また日本人を結ぶ絆を確固としたものとできると思う。
●新憲法の下での靖国神社
改憲をせずに現行憲法のもとで靖国神社の地位を改めようとする試みは、うまくいかないと思う。昭和40年代に靖国神社国家護持法案が国会で5回提出された。49年には、衆議院では可決したが、そのまま廃案となった。その法案は、靖国神社を非宗教化するものだった。そのため、最後の段階で、国家護持を希望する側の中に不満が出て、推進力を失った。
今日また靖国神社を国立の追悼施設にするという案が出ている。宗教法人であることをやめ、特殊法人または独立行政法人にするという案である。その狙いは、国が運営・管理することで、遺族の高齢化・減少が進み経営が苦しくなるだろうところ、財政的に維持することができること。また、政府の判断で、合祀者の基準を見直したり、選別したりできることのようである。しかし、この案は、靖国神社を非宗教化するものとなる。無宗教施設に変えることに他ならない。現行憲法の政教分離規定のもとでは、ゆるやかな分離という解釈を取っても、これが限界である。
だから、私は、現行憲法のもとで靖国神社の地位を改めようとする試みは、根本的な課題を解決せずに部分的に補修しようというようなものだと思う。昭和40年代の国家護持法案の時に、その試みの限界は既に明らかになっている。
私は、先に示したような憲法の改正を行うことが、根本課題だと思う。そして、新しい憲法のもとで、改めて靖国神社をどのような機関とするかを、国会で審議したほうがよいと思う。私の新憲法案は、国民に国防の義務を規定する。国民自身が国を守るという近代国民国家のあり方と、国家における慰霊は、一体の課題である。慰霊が先ではなく、安全保障が先である。
この点をしっかり位置づけた上で、靖国神社は一般の宗教法人とは区別し、慰霊と追悼のみを目的とする特殊法人とする。新憲法に定める「特定の宗教または宗派」とは異なり、民族的な伝統・慣習と規定する。名称・儀式・参拝形式・鳥居・神殿等は従来どおりとする。日本国民として既に合祀された者は、従来どおりとする。
ただし、国民は靖国神社への参拝を強制されない。参拝において、神道・仏教・キリスト教・イスラム等の諸宗教による祈りの形式は自由とする。大まかには、このような方向で検討してゆくとよいと思う。
参考資料
・拙稿「慰霊と靖国~日本人を結ぶ絆」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08f.htm
■追記
本項を含む拙稿「冨田メモの徹底検証」は、下記に全文を掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08k.htm
しかしながら,その手続きである国民投票法案でさえ未だ通過していない現状,その後の手続きと際限のない議論を考えると途方もない苦難の道でしょう。
現状では憲法改正以外の道を模索するしかないのではないでしょうか。
靖国神社は非宗教法人化への条件を規定・確認しています。
(1)靖国神社の名称存続
(2)施設の保持
(3)儀式行事の保持
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060811k0000m040152000c.html
これは松平元宮司のお考えにも共通しており,特に(3)は絶対に譲れないと思います。
自公連立とはいえ,今はチャンスです。この条件が担保されるのなら,小生は国家護持もいいのではないかと思っております。その中で政教分離への何らかの特別措置のような文言を導入するという手もありますしね。
これをもって,即,陛下のご親拝を仰ぐのは難しいかもしれませんが,ここまで拗れてしまっている状況を鑑みれば,物事は順に解決していく道しかないように考えております。
勿論,最近発表された「麻生私案」には反対です。
長々と失礼いたしました。
「とりあえず私の連載は、今回で終」了とのこと、大変残念です。
できれば、立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」の「第82回 天皇はなぜ参拝しないのか『心の問題』と靖国神社」についても検討して頂けたらと思っています。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index.html
法的な知識に関しては無知なのですけど、一カトリック教徒からの意見を述べれば、一神教徒には、本質的に、唯一神を信じるか、それとも無神論者でしか選択肢はないように思えます。
それは、私自身、幼い頃から教会で刷り込まれた思考が強烈であり、多神の存在を認めよと言われても、はい、そうですかと答えることを躊躇してしまう経験から述べてます。(私は、神の存在を認知できないような出来事があって以来、現在は無神論者です。無論、共産主義者ではありませし、信教の自由は尊重しますけど)。
西欧の政教分離の原則はそうした歴史的・社会的土壌で発生したものですから、多神教の日本に完全にはめ込むのは無理があると思います。
ほそかわさんが提案したような、日本の社会的・歴史的土壌に合致した政教分離を考えた方が合理的ではないでしょうか。
抽象論になってしまいました・・・、申し訳ありません。
http://www.pressnet.or.jp/kyokaisyo/news022.html
マスコミ総本山の日本新聞協会のウェブには、新聞全体の信用と権威を高めた記事に協会賞を与えるとある。
公開せず、または信頼のおける専門家の検証もしないで記事が一人歩きし、政治には悪用されている。市民の間に真贋論争を引き起こしている現状を協会は知っているのか? 国民の知る権利にこたえていないものがジャーナリズムといえるのか。
これまでの論議の視点を変える意味でも、新聞協会のこの記事に対する認識を引き出したい。候補に選んだ手前、こたえる責任があるのでは。協会の主導で、検証への道筋が開かれることを期待したい。
新聞協会(editor@pressnet.or.jp 03ー3591-4402)
ここは重要なポイントだと思います。また、同じ一神教であっても、イスラム諸国では、キリスト教国の政教分離は受け入れられないでしょう。近代西欧に生まれた政教分離は、特殊な歴史的・文化的土壌において生まれた思想であって、人類に普遍的な原理とはいえないと思います。
>できれば、立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」の「第82回 天皇はなぜ参拝しないのか『心の問題』と靖国神社」についても検討して頂けたらと思っています。<
情報のご提供有難うございます。
検討してみたいと思います。
立花隆氏の所論について、18日より掲載します。