ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権140~ゲルナーのナショナリズム論

2015-03-22 08:54:13 | 人権
●ゲルナーは産業革命以後にナショナリズムが発生したとする

 次に、ナショナリズムの代表的な理論について検討したい。
 ナショナリズムについては、第1次世界大戦後にハンス・コーンが先駆的な研究を行い、1960年代にはエリ・ケドゥーリーがこれに続き、1980年以後、様々な論者が活発に議論を行うようになった。アーネスト・ゲルナー、ベネディクト・アンダーソン、アンソニー・スミス、エリック・ホブズボームらである。彼らにユダヤ人・ユダヤ系が多いのは、ディアスポラとしての出自、ナチスによる迫害の記憶と新たな迫害への警戒、シオニズムの正当化または内在的批判等が背景にあるのだろう。ここでは、ゲルナー、アンダーソン、スミスの3人の理論を中心に検討する。
 1980年代のナショナリズム研究の先鋒となったのは、ゲルナーである。ゲルナーは、著書『民族とナショナリズム』(1983年)で、社会人類学に基づき、農耕社会から産業社会への発展がナショナリズムを必要とし、政府が国民を創造したと説いた。
 先に書いたように、ゲルナーは、ナショナリズムを「第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければいけないと主張する一つの政治的原理」と定義した。ゲルナーの定義によれば、ナショナリズムには二つの大きな作用があることになる。すなわち、文化が共有されると考えられる範囲まで政治的共同体の領域を拡張しようとする作用と、政治的共同体の統治する領域内に存在する諸文化を主要な文化に同化しようとする作用である。前者は、対外的な政治的拡張、後者は対内的な文化的同化である。
 ゲルナーは、ナショナリズムは18世紀から19世紀にかけて成立した新しい現象であるとし、この時代に、産業革命の影響を受けて資本主義経済が西洋の社会に浸透していったことが、ナショナリズムが成立する基盤となったという見方をしている。産業革命以後にナショナリズムが発生したとするゲルナーは、ナショナリズムは、人間集団が集権的に教育され、文化的に同質な単位に組織化されることで成立したとする。その文化的単位が政治的単位と一致すべきだというのがナショナリズムの原理にほかならないと説く。
 ゲルナーは、ナショナリズムは「近代世界でしか優勢にならない特定の社会条件の下でのみ普及し支配的となる愛国主義」だと考える。ゲルナーは、郷土愛や同朋意識を人間の心のなかの「一般的基層」と呼ぶ。そして文化的に同質な単位への組織化は、そうした「一般的基層」では決して説明がつかないとする。その理由は、「一般的な基層」はナショナリズムだけでなくさまざまな仕方で現れるからである。ナショナリズムの起源を探るためには、その基層に基づいて人間集団を文化的に同質的な単位へとまとめあげる、「もっと大きな社会編成の力」を考えなくてはならないのであり、それが「産業化」だ、とゲルナーは説く。
 ゲルナーはマルクス主義者ではないが、基本にあるのは、社会の土台は経済的な人間関係だという考え方である。産業革命は、資本主義的な経済的近代化が進み、マニュファクチュア(工場制手工業)で賃金労働者の分業が行われている段階で起こった変化である。新たな動力・エネルギーを利用する機械が工場に導入され、大規模な生産が行われるようになった。この生産技術の急激な発展によって、社会的経済的な大変革が起こった。ゲルナーは、この点に注目する。
 ナショナリズムの特徴は、ゲルナーによると、文化的な「同質性」、「読み書き能力」、住民の「匿名性」にある。ここでの文化は「読み書き能力に基礎を置く高文化であろうと努力する文化」である。また、匿名性とは、共同体が解体されて流動的となり、直接、文化的単位に所属するようになったアトム的な個人の特性をいう。
 ゲルナーは、産業社会では「普遍的な読み書き能力と高水準の計算・技術能力及び全般的訓練が、それが機能するための必須条件である」という。社会の成員は流動的であり、「次の新しい活動と職業の手引書や仕様書とについていけるような全般的訓練を積んでいなければならない」「数多くの他人と絶えずコミュニケーションを図らねばならない」「コミュニケーションは、共有され標準化された同一の言語的媒体と筆記文字とによって成り立たなければならない」とする。
 農耕社会では、人々の生活は特定の土地や人間関係に限られていた。だが、産業社会では、農村共同体の解体が進み、人々が土地に根差す共同体から離脱して流動化する。農耕社会では、土地の耕作のように生産手段に直接働きかける労働が中心だった。ところが、産業社会になると、言葉を使う意思交通が人々の労働を左右するようになる。機械操作を行うには操作の手順書が理解できねばならない。職場で働くには業務内容や職務規程が理解できねばならない。それゆえ、産業化した社会では、誰もが共通の言語を読み書き話す能力を持っていなければならない。多数の人々が共通語や標準化された知的・技術的能力を習得するには、大規模な教育制度が必要である。その教育制度を整備し得るのは、政府以外にない。政府は産業社会の要請に従って、教育制度を整え、共通の言語や基礎的な知的・技術的能力を人々に身に付けさせた。それによって、同一の言語を習得した人々、すなわち国民が創られた、とゲルナーは考えた。

 次回に続く。

■追記
 
 本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第4部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-4.htm
(紙製の拙著『人類を導く日本精神』の付録CDにデータを収録)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿