●教育基本法改正の経緯
旧教育基本法は、占領下に作られ、戦後教育を呪縛してきた。同法が制定された後、国会で教育勅語が排除・失効とされ、わが国の教育は、理念や方針に根本的な問題を抱えたまま、行われてきた。
戦後50年となる平成7年ごろから、教育に関する問題が次々に吹き出るようになった。いじめ、不登校、学級崩壊、対教師暴力、学力低下、援助交際という名の少女売春、麻薬服用の低年齢化、少年による凶悪犯罪等々、事態はもはや猶予を許さないところに至った。
このまま進めば、日本は亡国に至るという危機感が強まり、教育基本法の見直しを図る議論が高まったのは、平成14年ころからである。そして、ようやく平成18年12月、制定後、59年ぶりに改正が実現した。
立案・審議の過程には、大いに問題があった。平成18年4月、教育基本法の改正が国会で審議されようとする段階に入る前、自公連立与党は、同法の改正に関し、3年間にわたって、秘密会議で協議していた。議事録も資料も公開しなかった。与党検討会(大森理森会長)は、平成18年4月の最終報告段階になっても条文案を公表せず、要旨だけしか発表しなかった。それに対する国民の批判が高まり、ようやくその内容が、報道された。
その時報道された与党案が結局、そのまま法律となった。自公の関係者は、ごく一部の者の話し合いで案をつくり、それを一気に成立させてしまおうという目論見だったのだろう。彼らは、デモクラシーを保障する「公開の討論」という根本原則を無視していた。これは、従来の自民党にはなかった姿勢である。個人独裁的・中央集権的な体質を持つ公明党=創価学会の手法が、自民党の政治手法に相当影響しているのではないかと懸念される。
自民党は、自らの腐敗・堕落のため、政権を自力では保ちえなくなった。政権に固執する自民党は、公明党=創価学会との関係を深め、彼らの協力なくして選挙を戦えなくなっている。
平成17年、小泉政権のもとで行われた9・11衆議院選挙では、与党が歴史的な大勝をしたが、これは自民党が公明党と一体化を深めた結果である。選挙後は、ますます創価学会の意向に沿うことなしに、自民党は、政権維持・政策実現ができなくなっている。教育基本法の改正は、こうした状態において、国会で審議されたのである。
●修正の要望と対案は無視された
国会での審議が始まると、教育基本法改正促進委員会(超党派改正議連・亀井郁夫委員長)、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間臨調・西沢潤一会長)、日本会議国会議員懇談会(平沼赳夫会長)などが、与党に修正要求を出した。
与党案とは別の改正案も準備されていたが、与党案の全般的な修正は難しいという判断のもと、3点に搾って修正要求が出された。「国を愛する態度を養う」と表現した与党案について「態度」を「心」に変えること、与党案に盛られていない「宗教的情操の涵養(かんよう)」を明記すること、教科書検定訴訟や国旗国歌反対運動の根拠とされてきた旧教育基本法の「教育は、不当な支配に服することなく」という文言は主語を「教育」から「教育行政」に改めること。これらの3点である。
私も改正私案を公表していたが、3点に絞った修正要求を、最低限の要求として支持した。
一方、民主党は、独自の対案を提出した。民主党案は、愛国心に関しては、「日本を愛する心を涵養」という文言を前文に入れていた。宗教的情操の涵養に関しては、「宗教的感性の涵養」という文言を入れた。また、教育行政に関しては、「教育は、不当な支配に服することなく、」について、その文言を用いず、独自の条文案を提示した。その限りにおいて、与党案の持つ欠陥を正す内容となっていた。保守系の学者・有識者の中には、与党案より優れていると評価し、与党に対し、民主党案をそっくり受け入れることを求める人もいた。
しかし、私は、異なる考えを持っていた。民主党は、戦後教育を大きくゆがめてきた元凶ともいえる日教組を、支持団体の一つに持っている。日教組を基盤とした議員もいる。民主党の教育政策は日教組の活動を容認し、日教組は民主党の教育政策を支持するという関係にある。民主党は、教育基本法の改正案には優れた部分があったとしても、日教組を批判して、日本の教育を改革しようと意思は、まったく感じられない。日教組の支持を受けている政党が、歴史教育の偏向、道徳教育の欠落、過激な性教育の横行を是正できるはずがない。それゆえ、民主党の改正案は、単なる国会戦術にすぎないものだと私は疑ったわけである。現在もその考えは変わらない。
次回に続く。
旧教育基本法は、占領下に作られ、戦後教育を呪縛してきた。同法が制定された後、国会で教育勅語が排除・失効とされ、わが国の教育は、理念や方針に根本的な問題を抱えたまま、行われてきた。
戦後50年となる平成7年ごろから、教育に関する問題が次々に吹き出るようになった。いじめ、不登校、学級崩壊、対教師暴力、学力低下、援助交際という名の少女売春、麻薬服用の低年齢化、少年による凶悪犯罪等々、事態はもはや猶予を許さないところに至った。
このまま進めば、日本は亡国に至るという危機感が強まり、教育基本法の見直しを図る議論が高まったのは、平成14年ころからである。そして、ようやく平成18年12月、制定後、59年ぶりに改正が実現した。
立案・審議の過程には、大いに問題があった。平成18年4月、教育基本法の改正が国会で審議されようとする段階に入る前、自公連立与党は、同法の改正に関し、3年間にわたって、秘密会議で協議していた。議事録も資料も公開しなかった。与党検討会(大森理森会長)は、平成18年4月の最終報告段階になっても条文案を公表せず、要旨だけしか発表しなかった。それに対する国民の批判が高まり、ようやくその内容が、報道された。
その時報道された与党案が結局、そのまま法律となった。自公の関係者は、ごく一部の者の話し合いで案をつくり、それを一気に成立させてしまおうという目論見だったのだろう。彼らは、デモクラシーを保障する「公開の討論」という根本原則を無視していた。これは、従来の自民党にはなかった姿勢である。個人独裁的・中央集権的な体質を持つ公明党=創価学会の手法が、自民党の政治手法に相当影響しているのではないかと懸念される。
自民党は、自らの腐敗・堕落のため、政権を自力では保ちえなくなった。政権に固執する自民党は、公明党=創価学会との関係を深め、彼らの協力なくして選挙を戦えなくなっている。
平成17年、小泉政権のもとで行われた9・11衆議院選挙では、与党が歴史的な大勝をしたが、これは自民党が公明党と一体化を深めた結果である。選挙後は、ますます創価学会の意向に沿うことなしに、自民党は、政権維持・政策実現ができなくなっている。教育基本法の改正は、こうした状態において、国会で審議されたのである。
●修正の要望と対案は無視された
国会での審議が始まると、教育基本法改正促進委員会(超党派改正議連・亀井郁夫委員長)、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間臨調・西沢潤一会長)、日本会議国会議員懇談会(平沼赳夫会長)などが、与党に修正要求を出した。
与党案とは別の改正案も準備されていたが、与党案の全般的な修正は難しいという判断のもと、3点に搾って修正要求が出された。「国を愛する態度を養う」と表現した与党案について「態度」を「心」に変えること、与党案に盛られていない「宗教的情操の涵養(かんよう)」を明記すること、教科書検定訴訟や国旗国歌反対運動の根拠とされてきた旧教育基本法の「教育は、不当な支配に服することなく」という文言は主語を「教育」から「教育行政」に改めること。これらの3点である。
私も改正私案を公表していたが、3点に絞った修正要求を、最低限の要求として支持した。
一方、民主党は、独自の対案を提出した。民主党案は、愛国心に関しては、「日本を愛する心を涵養」という文言を前文に入れていた。宗教的情操の涵養に関しては、「宗教的感性の涵養」という文言を入れた。また、教育行政に関しては、「教育は、不当な支配に服することなく、」について、その文言を用いず、独自の条文案を提示した。その限りにおいて、与党案の持つ欠陥を正す内容となっていた。保守系の学者・有識者の中には、与党案より優れていると評価し、与党に対し、民主党案をそっくり受け入れることを求める人もいた。
しかし、私は、異なる考えを持っていた。民主党は、戦後教育を大きくゆがめてきた元凶ともいえる日教組を、支持団体の一つに持っている。日教組を基盤とした議員もいる。民主党の教育政策は日教組の活動を容認し、日教組は民主党の教育政策を支持するという関係にある。民主党は、教育基本法の改正案には優れた部分があったとしても、日教組を批判して、日本の教育を改革しようと意思は、まったく感じられない。日教組の支持を受けている政党が、歴史教育の偏向、道徳教育の欠落、過激な性教育の横行を是正できるはずがない。それゆえ、民主党の改正案は、単なる国会戦術にすぎないものだと私は疑ったわけである。現在もその考えは変わらない。
次回に続く。
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櫻井よしこさんまで民主党案をそのまま飲んではいかがとのたまったのに、どうしたものかしらと思っておりました。ほそかわさんのように「ならぬものはならぬ」という頑固なお方もまだまだおられるのですね。
改正したら終わりじゃなくってしつこく検討してらっしゃるこの執念を、ワタクシ支持いたします。
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http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2006/05/post_440.html