ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

TPPは原則に立って議論を

2012-01-06 13:35:21 | 時事
 TPPに関して、賛否両論が激突しており、国民の半数近くは慎重論である。こうした中で、政府はTPP交渉の席に着こうとしているが、代表者がなかなか決まらないという醜態を見せている。
 TPPに関して、京都大学教授の佐伯啓思氏は、昨年11月21日の産経新聞の記事で、経済活動の原則に立ってTPPへの大きな危惧を述べた。これまで私が掲載してきた諸氏の見解を経済学的に補強する点があるので紹介する。
 佐伯氏の言う経済活動の原則とは、次のようなものである。
 「経済活動は、いくつかの『生産要素』を使って『生産」を行い『生産物』を市場で配分してゆく。『生産要素』の代表は『労働』『資本』『土地・資源』であり、さらにそれらを機能させるための装置というべき『交通ネットワーク』『医療・教育』『食糧』『社会秩序・安全性』『人間関係・組織』も広義の生産要素である。
 確かに、生産物は、多くの場合、市場の自由競争に委ねてもよい。しかし、生産要素は容易には市場化できないし、そうすべきではない。生産要素が不安定化すると、生産体系まで不安定化するからだ。だから、労働、資本、資源、食糧、医療、教育、交通、といったものはある程度規制され、決して市場の自由取引に委ねるべきものではない。それはわれわれの社会生活の安定性と深くかかわっているのである。
 ところで、今回のTPPで問題となるのは、まさにこの『生産要素』の市場化と言ってよい。労働、投資・金融、農業、医療、公共事業(政府調達)といった争点はすべて『生産要素』に関わり、それは容易に自由化すべきではない。これが『原則』だと思う」と。
 これは重要な指摘である。TPPに関する議論は、この原則に立ち返って、国民経済全体の利益を追求するという観点から行うべきである。
 昨年12月1日の産経新聞「正論」欄に竹中平蔵氏がTPP賛成論を書いた。新自由主義・市場原理主義の推進者である竹中氏は、TPPへの交渉参加は当然であり日本にはそれ以外の選択はないとする。そして「自由貿易が国民全体に大きな利益をもたらすことはアダム・スミスの『国富論』以来、世界が経験してきた共有の理解だ。日本自身これまで自由貿易で最も大きな利益を得てきた国の一つといえる」と書いた。これが大学教授で経済政策の大臣をやった人間の書くレベルとは思えない内容である。本論を書こうかと思ったが、この人物については徹底的に書いてきたので、今さらという感があった。
 そうしたところ、佐伯啓思氏が同月19日の産経に反論を載せた。要点を突いた反論なので、拙論を書くのはやめ、先の記事とともに参考に掲載する。特に「TPP推進論の背後に上のようなきわめて雑な自由貿易論がある」「いわば、『開国イデオロギー』というようなもの」である、という指摘は、TPP賛成論が新自由主義・市場原理主義の新装版であることを、浮き彫りにしている。
 以下は佐伯氏のTPPに関する所論。

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●産経新聞 平成23年11月21日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111121/fnc11112103370000-n1.htm
【日の蔭りの中で】
TPP交渉参加はなぜ危険か 「開国せよ」の悪質さ
2011.11.21 03:37

 この13日に野田佳彦首相が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加を表明した。「参加へ向けた交渉」ではなく「交渉へ向けた参加」という曖昧なもので、TPP参加が決まるわけではなく、交渉次第では不参加はありうる、ということになっている。賛成派はいう。TPPの大きな意義は域内経済の自由化へむけたルール作りであるから、日本の国益を反映させるべくルール作りに参加すればよい。もし日本の国益に反すればTPPに参加しなければよい。そもそも、交渉の舞台にさえ上らないのは不戦敗である、と。
 形式論としてはその通りであろう。しかし、まさにTPPとは政治的交渉なのである。日本にそれだけの政治的交渉力や戦略性があれば苦労はしない。1985年のプラザ合意あたりから始まって、1990年代の日米構造協議やいわゆる構造改革という流れのなかで、明らかに日本はアメリカ流の個人主義的で能力主義的で金融中心の資本主義に巻き込まれていった。それが日本の「国益」になっておればよいが、誰もそうは思わないであろう。この十数年の名目成長率がほぼゼロに近いという事態をみて日本の「国益」が増進したなどというわけにはいかない。
 この十数年、日本は明らかに規制緩和を行い、市場を開放し、金融を自由化し、グローバル化をそれなりに推進してきた。つまり「国を開いてきた」のである。その「開国」の結果、日本は海外の安価な賃金と競争し、企業は工場を海外へ移転することとなった。それは日本にデフレ経済をもたらした。「開国」すなわち「グローバル化」がこの十数年のデフレ経済の唯一の要因ではないものの、その重要な背景をなしていることは間違いない。そして「開国政策」であった構造改革は決して日本経済を再生させなかったのである。
 とすれば、いまだに、TPPで日本は「開国せよ」などという論議があるが、これはまったくもって悪質な宣伝というべきである。しかも、それが日本の交渉力を弱める。日本は決して国際経済で孤立しているわけでも国を閉ざしているわけでもない、すでに十分に開国している。問題はいかにして、どのように国を開くかにある。もっと正確にいえば、どこまで「開き」、どこを「閉じるか」が問題なのだ。それは政治的交渉力に依存する。
 しかし、その場合に、「国を開くことは善」であり「日本は国を閉ざしている」などという前提から出発すれば、日本経済を全面的に自由化すべし、というアメリカの要求にどうやって対処するというのであろうか。これでは、最初から、「われわれは国を閉ざした変則国家です」といっているようなものである。もしこの状態で「国益」のためにTPP参加を断念すると宣言すれば、それは「日本はグローバル・スタンダードに従わない独善的国家だ」といっていることになる。この悪評をはねのけて、それでも「国益」のためにTPP不参加という決断を下すだけの政治力と信念があるとは思えない。とすれば、事実上「国益」などとは無関係に、全面自由化、市場開放、競争力強化といった名目でアメリカ主導のルール作りに巻き込まれてゆくことはほとんど目に見えているではないか。
 実際には、「国益」というものは、それほど簡単には定義できない。賛成派も反対派も自派こそが「国益」を実現するというが、「国益」を測るのは難しい。「国益」を仮にGDPの増減という経済的効果で測るとしても、試算によって大きく見解が分かれるようで確定的なことはいえまい。そもそもルールがまだ決まっていないのだから、本当は試算などやりようがないのである。
 私は、TPPの具体的な様相について詳しいわけではなく、その効果についても特に意見があるわけではない。ただこういう場合には「原則」に立ち返りたいと思う。そして、「原則」からすればTPPにはたいへんに大きな危惧をもたざるをえない。それはこうである。
 経済活動は、いくつかの「生産要素」を使って「生産」を行い「生産物」を市場で配分してゆく。「生産要素」の代表は「労働」「資本」「土地・資源」であり、さらにそれらを機能させるための装置というべき「交通ネットワーク」「医療・教育」「食糧」「社会秩序・安全性」「人間関係・組織」も広義の生産要素である。
 確かに、生産物は、多くの場合、市場の自由競争に委ねてもよい。しかし、生産要素は容易には市場化できないし、そうすべきではない。生産要素が不安定化すると、生産体系まで不安定化するからだ。だから、労働、資本、資源、食糧、医療、教育、交通、といったものはある程度規制され、決して市場の自由取引に委ねるべきものではない。それはわれわれの社会生活の安定性と深くかかわっているのである。
 ところで、今回のTPPで問題となるのは、まさにこの「生産要素」の市場化と言ってよい。労働、投資・金融、農業、医療、公共事業(政府調達)といった争点はすべて「生産要素」に関わり、それは容易に自由化すべきではない。これが「原則」だと思う。ところが今日のアメリカ型の経済は、生産要素も生産物も区別しない。市場経済も社会生活も重なり合っている。すべてが自由競争原理でよいと見なしている。ここに、経済観の大きな違いがある。私には、人間の社会生活に密接に関連した生産要素や公共的資産を自由な市場取引から保護することは、決して「特異」で「閉鎖的」な経済観とは思われない。それを「国を開くか、閉ざすかの選択だ」などというレトリックでごまかすわけにはいかない。(京都大学教授・佐伯啓思=さえき けいし)

●産経新聞 平成23年12月19日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111219/fnc11121903210000-n1.htm
【日の蔭りの中で】
京都大学教授・佐伯啓思 いかに国益を増進するか
2011.12.19 03:20

 1日付の本紙「正論」欄に竹中平蔵氏がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)賛成論を展開し、その中で次のように述べておられる。TPPへの交渉参加は当然であり日本にはそれ以外の選択はないとした後で「自由貿易が国民全体に大きな利益をもたらすことはアダム・スミスの『国富論』以来、世界が経験してきた共有の理解だ。日本自身これまで自由貿易で最も大きな利益を得てきた国の一つといえる」と。このたった数行の短い文章を読んで多くの人は腑(ふ)に落ちるのだろうか。私はたちどころに4カ所も引っかかってしまう。随分と乱暴な議論だと思う。
 第1に、「自由貿易が国民全体に大きな利益をもたらす」という命題。これがほぼ机上の空論であることはいまさら言うまでもなかろう。まず、現代のあまりに金融経済が肥大し、技術移転が容易になったグローバル経済と自由貿易体制とは大きく異なっている。しかも、それが「国民全体」の利益になる、などという理屈はどこからもでてこない。そもそも「国民全体の利益」とは何なのだろうか。
 第2に、この命題はアダム・スミスが述べたかのように書かれている。しかしこれも決して正しくはない。「国富論」を少しでも注意深く読めば、スミスが決して単純な自由貿易論者ではないことはすぐ分かる。スミスは当時のいわば金融グローバル化政策というべき重商主義に反対したのだった。彼は、自由貿易にすれば、投資家はまずは国内の安全な産業に投資をするので国内産業が活発化する、といったのだ。
 第3に、「(これは)世界が経験してきた共通の了解だ」という。あれこれ述べる必要もなかろう。自由貿易が世界共通の了解だ、などということはありえない。中国はどうなのか、ロシアやインド、ブラジルはどうなのか、アラブはどうかなどという疑問はさておいても、先進国でさえも、イデオロギーはともかく実際には決して自由貿易を共通了解にしているわけではない。もし暗黙の共通了解があるとすれば、それは、広義の自由経済の枠組みを守りつついかにして戦略的に国益を増進するか、という点だけである。
 もしもそれが「世界の共通の了解」になっているのならば、どうしてWTO(世界貿易機関)がうまくいかないのか。WTOがうまくいかなかったからこそ、FTA(自由貿易協定)や今回のような地域的経済連携がでてきたのではないか。
 しかも、TPPは決してグローバルな自由貿易ではなく一種のブロック経済である。だからこそ推進派のかなりの人が、中国を政治的・経済的に封じ込めるべきだ、という。竹中氏自身は封じ込め説ではないようだが、それでもTPPの基礎に日米同盟があると書いておられる。つまりTPPとは政治的・経済的ブロックだと言っているのである。
 第4に、「日本はこれまで自由貿易で大きな利益を得てきた」という命題。これも決して無条件に正しいわけではない。日本が閉鎖経済でもなく社会主義でもなく、広い意味で自由経済圏にあり、そこに戦後日本の経済発展の基盤があったことは事実であり、そんなことを否定する者はいない。
                   ◇
 自由経済圏にあることと、徹底した自由貿易や自由競争をすることとは違っている。両者をあまりに安易に重ねてはならない。
 しかも、もしも日本がこれまで開かれた自由貿易によって利益を得てきた、というのなら、この十数年の構造改革やグローバリズム論はいったい何だったのだろうか。この十数年、「改革論者」は、ひたすら日本は閉鎖的で官僚主導的で集団主義的で真の自由競争をしていない、グローバル化していない、と批判してきたのではなかったか。だとすれば、戦後の日本の経済発展は、自由競争やグローバル化を制限していたがゆえの成果だといわねばならないことになるはずだ。実際、1980年代末には、「日本の奇跡」の理由は、その集団主義や官僚主導経済に求められたのであった。
 竹中論文の趣意は「TPPが国民皆保険を崩す」という議論への反論なので、上に述べたことはいわば「枕」である。とはいえ、この「枕」に書かれていることは、TPP推進派の典型的な論拠なのである。別に竹中氏に限ったことではない。
 私はいま竹中氏を批判しようというのでもないし、TPP反対論を唱えようというわけでもない。この点は前回のこの欄に書いた。ただ問題は、TPP推進論の背後に上のようなきわめて雑な自由貿易論がある、ということが気になるのである。いわば、「開国イデオロギー」というようなもので、それは次のように述べる。「世界中で自由貿易やグローバリズムが受け入れられている。日本だけが遅れている。もはや選択肢はありえない」と。
 竹中氏は同論文で次のようにも書いている。「内閣府の試算でも、参加が日本経済にとって全体としてプラスに働くことが明らかになっている。国民の大多数がTPPに賛成し、大新聞の社説のほぼすべて参加に賛成…こうした状況下で交渉に参加しないといった選択肢はあり得なかった」と。
 これもあまりに乱暴な議論だ。参加が日本経済にマイナスを及ぼすという試算もある。それに、これからルールについて交渉するというのだ。まだルールができていないのにどうやって確かな算定ができるというのだろう。また、世論調査では国民の半分近くがTPP慎重論である。大新聞の社説などというものが何なのであろうか。これも竹中氏に限った話ではない。この種の議論が横行しているのだ。このようなあまりに粗雑な議論こそが、賛否どちらであれ、TPPについてのまともな論議をさまたげているのである。(さえき けいし)
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