美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

想像から閉ざされたもの

2010年03月31日 | 瓶詰の古本
   もっと良い世の中が来ていたはずとは誰も思いたくないので、誰も思わない。人々が現実の変容にあらざる様相の実現を直視できず、つまりは、全く別様のあり得る現実を想像できないとは、政治的狡知に恵まれた人間にとって聞き飽きた歴史小話に過ぎない。一方、想像力の鬼であるはずの小説家にとっては、内心にある想像の魔を毛筋も刺激することのない退屈な話材に過ぎない。
   かつて無量の希望を伴った未来という言葉は、今や奔放な想像を呼び覚ます勇躍の響きを失いつつあるかのようだ。
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わずかに半風子の紋あり(麻績斐)

2010年03月29日 | 瓶詰の古本

○前田慶次

慶次一日、素袍ヲ着シテ景勝ヲ見ル其素袍無紋ナリ景勝怪テ問テ曰ク凡ソ士トシテ徽章ナキ者ナシ卿カ家従来一定ノ徽章ナキヤト慶次微笑シテ是レ見玉ヘト指示ス能ク熟視スレハ僅ニ半風子(シラミ)ノ紋アリ
又馬埓ニ役馬アリ諸将士互ニ華美ヲ競ヒ光彩粲爛トシテ目ヲ奪フ看者堵ノ如シ慶次独リ身ヲ牛背ニ安置シ悠然トシテ場内ニ入ル此時指笑一ニ慶次ニ集マル慶次曰ク余不肖ノ分際ナレハ固ヨリ乗馬ヲ飼養セス唯一頭ノ牛アリ以テ不虞ニ備フ請フ一覧ニ供セント一鞭ヲ加フレハ其牛、馳駆奔迅、駿馬モ啻ナラス看者手ヲ拍テ喝采止マス

(「東北之偉人」 麻績斐)

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アリョーシャに語られた「一本の葱の話」

2010年03月28日 | 瓶詰の古本

 昔、あるところに一人の百姓女が住んでいた。たいそう性根の悪い女だった。感心な行いを何ひとつすることなく、女は一生を終えた。悪魔が現れて女を火の池まで連れて行き、その中へ放り込んだ。これを見ていた守護天使は、必死になって女の感心な行いを思い出すと、神様に訴えた。「一度だけですが、あの女は畑の葱を一本引き抜きました。」「そして、物乞いの女にくれてやったことがあるんです。」神樣は言った。「それでは、お前がその葱を取って池の中にいる女の前に垂らすがいい。そして女に掴まらせて、引き抜いてみたらどうだ。女を池の中から引き抜くことができたら、天国へ入れてやろう。だが、もし葱がちぎれてしまうようだったら、そのときは、今のまま何もかまってはならない。」天使は急いで女の許へやって来ると、葱を垂らして声を掛けた。「さあ、葱を掴んで。私が池から引き上げてやろう。」こう言うと、そろそろと女を引き上げ始めた。今まさに女を引き上げ切るかと思われたその時、こうしてうまうま抜け出そうとしている女を目にした罪人連中が、火の池から一緒に引き上げてもらうため女に掴まろうとして、吾もわれもと手を伸ばした。けれども、女はたいそう性根が悪かったので、連中を蹴とばし始めるのだった。「あたしが引っこ抜かれてるんだ。お前たちじゃないんだ。あたしだけの葱だよ。お前たちんじゃないんだ。」言うやいなや、葱はちぎれた。女は池の中へ落ち、今も火に焼かれている。天使は悲しみに沈み、どこへともなく去って行った。

(エブリマンズ・ライブラリ版「カラマーゾフの兄弟」による)

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紐育近信(その三)(雑誌・黒白)

2010年03月27日 | 瓶詰の古本

   面白い様式の飲食店が沢山ありますが其の内で最も簡単で便利なのが「オートマツト」と云ふ料理店です、中々大きな料理店で四五百人位ひ食べる様に成つて居ります、先づ店に入ると入口に五仙の白銅と銭を換へて呉れる処がありますから其処で自分の入用丈の五仙白銅を換へてもらつて中に入ると何百と云ふ小さな柵があります。其処に色々な料理したものが皿に入れてあります、傍に価格が書いた金入の口があります、其の価格丈けの白銅を入れると柵の蓋が開きます中から皿を引出して勝手にテーブルに付いて食ひます「コーヒ」でも茶でも五仙入れて一寸と「ネジ」をひねると「コーヒ」と「ミルク」が同時に「コツプ」の中に入ると云ふ仕掛です、時間を貴ぶ米国人向の便利な料理店です。云々
   七月十八日               在紐育一社友
            杉山先生貴下

(「黒白 第百七号」)

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雲井龍雄諭して曰く、機務を知るべし(緑亭主人)

2010年03月25日 | 瓶詰の古本

彼の館に在る。常に書生を諭して曰く。大丈夫古人の書を読み。古人の学を講す。活眼を開いて之を研究せさるへからず。彼の所謂俗学腐儒の徒は。徒らに先人の言に。墨守し。拘泥し。美醜共もに之を学ばんと勉め。猶ほ土匣の規矩に於けるが如し。是を以て見識卑陋。狭に非ざれば迂。浅にあらざれば拙。世用に益なく。天下に要なし。学者寧ろ。機務を知るべし。何ぞ生きて字書たるに忍びんや。要する所は。古書に考へ。聖言に証して。自から闡啓するに在り。且つ夫れ章句是れ勉とめ。摘字是れ調ぶるが如きは。繊巧彫虫の戯。厪かに腐儒にして。終はらんのみ。倒底天下に名を為す能はざるべし。其の学に対する彼が意見は斯くの如し。

(「雲井龍雄」 緑亭主人)

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多く言わず、多く笑わず、多く取らず(渋沢栄一)

2010年03月23日 | 瓶詰の古本

抑々人の世に立ち。多く言はず。多く笑はず。又多く取らざること。衛の大夫公叔文子の如きは。甚だ得難き人物なり。近世の紳士は概ね多く言ひ。多く笑らひ。又多く取るを以て能者と為す。時俗の変遷其れ此くの如き耶。我邦維新以来の英傑にして。能く文子に似たる者を求むれば。前には西郷南洲翁あり。後には山縣含雪相公ありと謂はざるべからず。寡言寡笑又寡欲の人は。品格荘重にして国民の信頼に値す。一国の重きに任ずる者決して多言多笑又多欲なるべからざるなり。さなきだに近時の人は弁を好み。堅白異同の言辞を用ひて。苟くも他に勝たんことを求め。巧笑をも敢てし。諂笑をも敢てし。又嘲笑をも敢てす。而して利を見ては百方計策して之れを繳取せんと企て。恬として恥る所を知らず。苟くも上に立ちて国を治むる者慎しまざるべけんや。

(「論語講義」 渋澤榮一)

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古人の言葉

2010年03月22日 | 瓶詰の古本
   古人の言葉をぽつりぽつり書き写していると、己が文章の空っ穴な体たらくにいたたまれなくなる。それはそれで有難い効能とは思うが、やがて文字そのものが記憶から霞んで遠ざかり、頭の内側はどんどん滑らかな反射鏡へと変容して行く。挙句の果てに、日常世間的に利いた風なことなど何一つ考え付くこともなくなり、舌の根は干上がるばかりになって来る。
   古人の言葉を摘書する一番の効能と言えようか。
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紐育近信(その二)(雑誌・黒白)

2010年03月21日 | 瓶詰の古本

  当地に大きな家屋の建つ事は驚く計りです、十階十五階位ひの家が全く雨後の筍の様にニヨキニヨキ建つて行きます。
  紐育の近くに「コネー、アイランド」と云ふ海水浴場があります、天気の好い日曜など大概五十万人位ひの紐育の人が行きます、紐育から五銭で電車で行けます、其処は浅草の大きなものを海岸に持つて行つた様なものです、総ての見世物や飲食店があります、又紐育の傍に「ハドソン」河と云ふ河が流れて居ります、夏は此の河の上流を見物に約四五千人乗せる汽船が何艘も出ます。此の河の上流は大変景色が好く日本に好く似た処があります。
 夏貧乏人の住んで居る町に行くと往来の真中に市役所が消火用水で噴水を作ります、子供が真裸で其の周囲で遊んで居ります。当地では大変郊外散歩が流行します、休暇又は日曜日は多数の人々は一家そろつて弁当持参で郊外の森とか河とか海岸に行つて一日面白く遊んで来ます、此れは大変に好い習慣だと思ひます。 
 
(「黒白 第百七号」)

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仏神の感応にあずかる(人倫訓蒙図彙)

2010年03月20日 | 瓶詰の古本

【歌人】和歌は此国の風俗として神代よりおこれり。仮名の三十一字をつらねて仏神の感応にもあづかり、目にみえぬ鬼をもかたぶくる事歌に過たるものなし。鬼神人物大に和(やわらぐ)の理をもて日本を和国とも号せり。和歌に六義有、風賦比興雅頌これ也。又長歌、短歌、旋頭、混本、折句、沓冠、俳諧等の姿有。神祇、釈教、恋、無常、天地、山川、草木、鳥獣等のうへにいたるまでも、こゝろを種としてつらねずといふ事なく、物にたいして情を述る器也。

(「人倫訓蒙図彙」)

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はじめの日はイの字(齋藤緑雨)

2010年03月19日 | 瓶詰の古本

○はじめの日はイの字、次の日はロの字と、一日に片仮名一字づゝ書おぼえて、無筆なりける女の、遂に母のもとへ手紙を出すやうになりしが、廓にありしと聞く。

○仏学者と漢学者と連立ちて途を行きけるが、やがて夕やけの空を指(ゆびさ)して、あれが暮靄といふのですなと仏学者のいへば、漢学者はしばしば耳傾(かたぶ)けて、ボアイ、成程、仏蘭西では爾(さう)申しますか。両学者竟に何事とも暁らず。

○言語の上より近松を研究すと呼ばゝれる人の、國性爺は知らざりけん、天網島をよみて、李韜天といふこと腑に落ちず、神か仏かと問ひけり。

○月のかつらとあるべきを、今の翻刻本のことなれば、月のうつらと誤りたるに、或国文家の其上にも読誤りて、逢ふ人毎に問ふて曰く、月の鶉といふは何でしやうか。

○人のしろうるりと書けるを見て、こは何ぞとたづねたるはさる国文の教師なり。

(「おぼえ帳」 齋藤緑雨)

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すべて古物の精、怪をなす(山東京伝)

2010年03月17日 | 瓶詰の古本

信實(のぶざね)生前手づから己が像をゑがく。死後に如圓法師其の像に対し、歌を詠じて悲歎の思ひを寄す、その歌に、
      思ひいでて見るもかなしき面影を何なかなかにうつしおきけん
是れ新拾遺集哀傷部に見えたり。如圓法師疑ふらくは是れ信實が子にやと思はるゝなり。父隆信も又名画の聞え高し。然れば則ち此の絵巻物は、今長禄の時に至りて、二百七十余年も経たる古画なり。画神抜け出でて形をあらはせしこと、和漢に例(ためし)多し。呉道子僧房の壁にゑがきたる驢馬、夜中抜け出でて僧房の家具を踏み破りたる事、盧氏雑記にしるせり。我が朝金岡が図の如き、いはずも人のしる所なり。さらぬだに鏡劔のたぐひ、すべて古物の精、怪をなせし例、挙げつくすべうもあらず。夏の禹王の図したる山海経の画神、異形(そのかたち)をあらはしたる例もあり。此の古画の怪をなすもさるたぐひならん、想ふに此の絵巻物は正(まさ)しく是れ後醍醐天皇の御遺物(ごゆゐもつ)にて、当寺に納めありし物なるべし。

(「小説浮牡丹全伝」 山東京傳)

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紐育近信(その一)(雑誌・黒白)

2010年03月15日 | 瓶詰の古本

  前略日本の事情は日本から来る新聞及び日本から当地に来られる多くの人から毎度伺ひます。当紐育辺は本年は六月は大変に凉しく七月に入つて多少夏らしく成りましたが夫れでも例年に比すると余程涼しい夏で御座います、昨年より当地の大きな活動写真小屋は屋内に凉気装置をして如何なる暑い真夏でも屋内は六十度から六十五度にして置きますから少しも暑さを感じません。数年の内に普通の住宅でも此の装置をする様に成ると思ひます、又ラヂオの全盛で大概の家に持つて居ります。坊主の説教から野菜肉類の其の日価格迄でラヂオで聞けます。婦人の「ボーブヘヤー」(頭髪を切る事)が流行で昨今は殆んど男と同じ様に短く切たのが流行して居ります、だから御面相の好くない連中は男と全然同じです、着物なども短かくつて薄いものが流行ですだから今に裸で歩行く事が流行するのでは無いかと思ひます。
  当地では約一週間前から地下鉄道従業員の「ストライキ」が決行されましたが会社の方が腰が強いので従業員の敗けに成るらしい有様です。

(「黒白  第百七号」)

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ラブクラフトが夢想した『コンゴ王国』

2010年03月15日 | 瓶詰の古本

   十六世紀の書物 『コンゴ王国』への夢想をかき立てる 「附図第十二 アンヂツクの肉屋」と題する一枚の挿絵がある。この挿絵をもとに、書物好きのラブクラフトは古書の呪術的霊力を囁くような一篇の小説を書いた。

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守旧と天才(ウィリアム・ジェームズ)

2010年03月14日 | 瓶詰の古本

凡て吾人は新しき経験に接したる時、此を既有の知識に帰入することなく、只其れ自身孤立的知識となすことは大に稀にして、年を経るに従ひ吾人は益其の既有の親熟知識の奴隷となり、新しき事実を経験するの法は次第次第に従来の知的習慣の範囲内に退縮するに至るものとす。単言すれば守旧は吾人生活に於て免るべからざる末路なり。故に吾人の確定せる統覚的習慣と抵触する所の新事物は、吾人之に接するも吾人の知識とならじ、仮令其の存在を承認すべく一時議論の力によりて強迫せらるるも、一二日を経過すれば其の知識は全く吾人の心中より遁逸し去りて何等の痕跡をも留めずして、曾て初めより其の存在を承認せざりしが如き有様に帰る。故に天才とは従来未だ習慣とならざる向方によりて事物を経験する性能と言ふも可なり。

(「心理学精義」 ウイリアム、ゼームズ 福来友吉訳述)

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八方美人(論語)

2010年03月12日 | 瓶詰の古本

   子曰く、郷原は徳の賊なり。

   孔子が曰はれるには、その辺の誰からも謹厚な人だなどと言はれるやうな人は、八方美人で誰にでも迎合する手合であるから、却て徳をそこなふ者といふべきである。

(「平易に解いた論語講話」 杉田篤)

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