美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

無条件に頭が良いと短絡される学歴タグを手に入れ、何事にもけちをつけてやろうと茶化しておどける今様メフィストフェレス(関口存男)

2023年07月30日 | 瓶詰の古本

 此の Doch,guter Freund云々の皮肉も,俗人の俗見であるか,或ひは人生最後の真理であるかは,ちよつとなかなか見別けがたい。しかしいづれにせよ,一つはつきりと云へることは,此のMephistophelesといふ人物は,Faustを誘惑する悪魔ではあるが,ゲーテは此の悪魔なるものに相当特徴のはつきりとした実在人物的性格を与へてゐると云ふ事で,しかも其の性格は,『すこぶる常識的な,箸にも棒にも掛からぬ現実主義者』と云へばほぼ定義される。世の中には実際さういふ男の見本が沢山うろついてゐる。頭脳はすこぶる明晰で,むしろあまりに明晰すぎて温い人情の育つ余隅がない。くだらない意味に於て,裏を裏をと考へる事に於て此の男の頭脳は最も明晰である。自分もくだらないから,人もくだらないものときめて掛かつてゐて,其の間一点の感傷性の介入することをも許さない。また彼れの頭のよさは,あらゆる理想を土足にかけて踏みにぢつて見せる場合に於て最も其の威力を発揮する。自分の頭の好さと,自分の現実的明徹性でもつて世の中が全部割り切れると信じてゐるから,頭の好さだけでは解決のつかない或種の心の問題や,美しい事柄や,善い事柄となると,真向から反対はしないまでも,何とかしてけちをつけてやらう,滑稽化しよう,万人の眼に滑稽に見せようとかかつてゐる。

(「ファオスト抄」 関口存男訳註)

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相矛盾した理性や感情入り乱れ浮き沈みするのが精神の本性だから、不動の人格などいうものは多分存在しない(バーナード・ハート)

2023年07月26日 | 瓶詰の古本

 二重人格は疑ひもなく、その表現の戯曲的特質に依つて、非常に俗間の興味を惹起してゐる現象である。英国の文学者スチブンソンの『ドクトル・ジェキルとミスター・ハイド』と題する有名な小説などにも魔力的な材料を供給してゐる。しかし二重人格の実例は今日まで既に多く世に発表せられ、且その不完全なる形式のものは決して一般に想像されてゐるが如く珍らしいものではない。先づこれが説明の一例として、有名な米国の心理学者ヰリヤム・ジェームズ教授が書いた牧師アンセル・ボーンの話を引用しよう。
 一八八七年一月十七日、巡回牧師アンセル・ボーンはプロヴィデンスの一銀行から多額の金を引出して、電車に乗つた。彼はそれから後のことは何も記憶しないのである。「彼はその日家に帰らなかつた。そして二ケ月の間彼の消息は全く不明であつた。しかしながらその年三月十四日の朝ペンシルヴァニア州のノーリスタウンで、それより六週間前に小さな店を借りて、文房具や菓子や果物や小さな商品を仕入れて、誰が見ても不自然だとか風変りだとかに見えず、平穏に商売をしてゐた自称A・J・ブラウンなる男が、驚いて眼を覚ますや、その家の人達を呼び、私は一体何処にゐるのだと聞いた。そして彼が云ふには、私はアンセル・ボーンといふ者だが、商売してゐたなどゝ云ふことは何も知らない。私の記憶してゐる一番最後のことは――たつた昨日のことゝ思ふが、――プロヴィデンスの銀行から金を引出したことである。」
 さてこの話の場合に於ては、長い間の意識分裂が起つてゐたものであることが、一見して明白であるであらう。常態の意識の流れが突然断絶して、全然異なつた心的過程の連鎖がこれに取つて代つたのである。この新しい体系は、患者に二ケ月間も秩序ある生活を送らせるに足るだけの複雑なる構造を持つてゐたが、それがやはり突然消失するや、また以前の精神の流れが復活したのである。かやうな例が夢遊病と違ふところは、たゞそれに関係ある観念体系が、一層精細に発展しただけであることは明白であらう。

(「狂人の心理」 バーナード・ハート著 中村古峽譯)

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万能比類なき人工知能はいずれ、善く振る舞ったとて報いられる心配のない無償の喜びに震える自己を見出すか(セルバンテス)

2023年07月23日 | 瓶詰の古本

 閑なる読者よ、この書物は余が頭脳の子であるので、余がそれの想像し得る限り美しく華美やかにまた怜悧ならんことを願ふのは、何等の誓言を用ひずして君の信じたまふところであらう。しかし物皆己に似たるものを生むといふ自然の法則は、余も逆らうことが出来なかつた。さればこの瘠地な手入れの不十分な余の才智は、未だ何人の想像にも浮ばなかつたやうなあらゆる種類の思想に充ちた、乾いた旱縮びた変てこな子の物語ならずして何をか生み得よう――恰もこれ、あらゆる薄命の宿り、あらゆる哀音の住みなせる牢獄の中で生れさうなものである。静閑と、楽しき隠棲と、快き田野と、晴れやかな空と、せゝらぎの小川と、心の静けさと、これ等こそ、産まず女のミユーズの女神さへも豊かに熟らしめ、驚きと喜びとに世間を充す誕生をこの世に齎すに至るものである。世には往々にして父が醜い不細工な倅を有つてゐながら、その子に対する愛の為めに眼昏んで、その子の瑕は見ず、ともすると寧ろそれを心身の天賦または魅力と思ひなし、友人に向つて才智または愛嬌としてそれを話すことさへある。さりながら余は――尤も余は『ドン・キホーテ』の父として通つては居るが、余はたゞその継父たるに過ぎぬ――時流に従はうとは思はぬ、また、親愛なる読者よ、他のする如く余の眼に殆ど涙を浮べて君に哀願し、余がこの子の中に君が認めらるゝ欠点を許し見のがされんことを乞はうとも思はぬ。君はこの子の親戚でもなく友人でもない。君の魂は君自らのものであつて、君の意志は如何なる人にもあれ他人の如くに自由である。君が自分の家に在つてその主人であることは、王がその課税の主であると同じである。君は「自分の外衣を着れば王をも殺す」自分は自分で王も眼中にないとの意といふ諺を知つて居られよう。凡て以上のことによつて君は何の遠慮も義務もいらぬ。この物語に就いては思ふ存分を言はれてよいので、君がそれに就いて悪口を言つたとて非難される心配もなく、善く言つたとて報いられるといふ心配もないのである。

(「ドン・キホーテ」 セルヷンテス 島村抱月・片上伸共譯)

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袖珍の「小辭林」を江湖に薦むる所以(金澤庄三郎)

2023年07月19日 | 瓶詰の古本

曩に廣辭林を編纂するに當り、其内容の充實に努めしことは勿論ながら、同時に其外形の尨大に失する弊を避け、日常の使用に對し恰好の大いさを保たしめんがためにも、甚深なる注意を拂ひたり。廣辭林の愛用者は其各頁に於ける植字法の如何に忽せならずして、不經濟的なる餘白の極度に減少せられたることに注目せられなば、必ずや編者の苦心に對して同情を惜しみたまはざるべし。爾来編者は更らに廣辭林に適度の取捨を加へ、携帯用としての小形辭林を発行せんがため、専心努力中なりしが、今や其業漸く就り、茲に小辭林の名を以て、これを公にするに至れり。
小辭林はこれを廣辭林に比し、頁数に於て漸く其半を稍超過したる程度のものなりと雖も、削除せられたる語は多く古典に属するものにして、新時代の用語並に外來語に於ては反つて著しくこれを增補したり。故に机上の廣辭林と袖珍の小辭林とは兩々相俟つて其使命を果すべき關係にありといはざるべからず。敢て自からこれを江湖に薦むる所以なり。

   昭和三年七月          東京本郷曙町にて
                      金 澤 庄 三 郎

(「小辭林」 金澤庄三郎編)

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村上一郎は魂の激発を一概には否定しなかった

2023年07月17日 | 瓶詰の古本

 村上一郎は魂の激発を一概には否定しなかったのではないか。普通一般の日常を送り、平穏な日々にある人々には無縁のものだが、そのような激発するを堪え切れずにいる者の魂に面した時、いついかなる場合でもするを抑えるのが尊いとは言わなかっただろうし、全的にそうした激発の魂を貶めることはしていない。
 「彼は天保年間、物価高騰して貧民がこまるのを救おうと大阪城代に建白して容れられず、乱を起して死んだが、その乱の計画が未熟であったからとて彼の志を嘲笑する風があるのは間違いである。」(「世界の思想家たち」大塩平八郎の項)
 村上自身は、思想・文学を己れの文章の血肉とすることにより抑え難い魂の激発と折り合いつけるのが(でき得れば)至善と考え、死にては無名の鬼となる有限の身を生きようとしたのではないか。

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論評家一般を胡散がり身の程を知る俗物の我々にとって、「己れを知る俗物」とは雑言どころか褒め言葉(アーサー・ケストラー)

2023年07月16日 | 瓶詰の古本

 聡明さを蔑視することから産れるもう一つの俗物精神の型は、わざわざ個人的マンネリズムを養成し、「逸話的個性」を築き上げることである。何事でも真面目に論議するのは、好ましからざる会話術で、話題に「逸話的な」一捻りしてこの危険をさけることが気の利いたやり方だとされているような社会では、とかくマンネリズムは雑草の如く生い茂り、知的な会話を窒息せしめる。そして奇嬌な、あるいはすくなくともいささか変ちきりんな態度が、印象を与える最も確実なやり方になる。簡明直截は、何の役にも立たない。俗物の野望は、「役割(キヤラクター)」をもつことではなく、「役割」になることである。偉大な知識人たちでさえ、このヴィールスにおかされる。バーナード・ショウのおどけ、英国貴族のとりすまし、インテリの物知りぶつた口籠りなどは、身構えが精神に優位する兆候である。
 同程度に明白な現象は、倒錯した俗物精神である。因襲的な価値体系を単にひつくり返えしにさえすれば、卑下の選手、自己抹消の露出症者、汚れた黒い爪のめかし屋、無智の媚態などが産まれる。プルーストの作品中の過度に敏感かつ明晰な人物と、ヘミングウェイの作品にでてくるおろかで言語も不明瞭な人物を対照すれば、表裏両面の文学的俗物精神の領域を画定することができる。
 最後に私は、「己れを知る俗物」なる憂鬱な人物に言及しなければならない。彼は、無邪気な、あるいは純粋な俗物とはちがつて、俗物精神はよくないものであることと知りながら、この愉快な毒物ないしは手放せぬ松葉杖――いずれの場合にせよ――なしには、生きて行くことができないと諦観しているのである。この己れを知り、自らを軽蔑し、しかも治癒不可能の俗物の範疇は、現代の英国の作家、芸術家の間に見出される。

(「現代の挑戦」 アーサー・ケストラー 井本威夫譯)

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一度は虎となり虎の国にも家族を持ち、何も言わずに生を終えた奇運の男(小栗虫太郎)

2023年07月12日 | 瓶詰の古本

 名も変へられた。それ以来サデイングは、「双葉の戦士(フルバラン・ポンスー)」とよばれることになつた。そのうち、妻の牝虎とのあひだに男の子が出来、「電光の戦士(フルバラン・キラツト)」と名付けたが、さうしてもなほ、サデイングは望郷の念を絶つことができぬ。一日、かれは虎王のまへに出て、いつた。
 「王様よ、どうかほんの短期(き)間だけ、奥ケランタンにゆかせて下さいまし。私は、残した妻子のその後を知りたいのでございます。」
 虎王ダトー・ウバンは、ややしばし考へてゐたが、
 「よろしい、許してとらさう。しかし、奥ケランタン滞(たい)在は、七日を超(こ)えることはならんぞ。」
 すると出発のとき、妻の牝虎が二つの品をかれに手渡して、
 「ではこの呪(まじな)ひの膽石(グーリカ)をお持ちください。あなたの村の入口で、これを地面のうへに置けば、人姿になることができるのです。それから、この卵の方はとくに注意してくださいよ。これがなければ、またカンダン・バローに戻(もど)らうとしても、虎の姿になることが出来ません。どうか、くれぐれも気を付けて。」
 さうしてサデイングは、二匹の護衛(ごゑい)とともにカンダン・バローを出、河底の竹の地下林をでると虎姿になつて走りだした。
 やがて奥ケランタン。三匹はすき腹に堪へられず、開墾地の飼豚(ぶた)を襲(しふ)撃した。すると、怒つた主(あるじ)が投げた手槍がサデイングの肩に突き刺さり、この思はぬ痛手に、かれは口にくはへてゐた呪(まじな)ひの卵を噛(か)みくだいてしまつた。それをみるや、二匹の護衛(ごゑ)の虎は、恐怖(ふ)の咆哮をあげ、
 「いまや、卵はない。人間のサデイングはとにかく、虎の「双葉の戦士(フルバラン・ポンスー)」は死んだ。」
 その二匹が走り去つたあと、かれは膽石(グーリカ)を地面に置いて、久かたぶりに人の姿になつた。どこかで怪鴟(よたか)が鳴いた。ふるさとの涼(すゞ)しげな苔(こけ)のにほひがした。
 サデイングは家に戻(もど)つてからも、けつして、それまで虎の国(カンダン・バロー)にゐたといふことはいはなかつた。
 やがて数年後に死に、埋葬(さう)が済(す)んだその夜のことだつた。夜更けて、サデイングの家の戸を叩(たゝ)くものがある。うちから長男が、「誰だ」といふと、その表(おもて)の人物が、
 「おれは、お前の弟だ。親爺に逢ひにきた。おれはお前の親爺が、カンダン・バローの虎のお母(ふくろ)とのあひだにまうけた「電光の戦士(フルバラン・キラツト)」といふものだ。ああ、だが、かういつてもお前には信ぜられまいな。しかし、お前の親爺の肩には槍傷があるだらう。あれはだな、まだ親爺が虎でゐるころ、ここに戻(もど)る時うけたものだ。なに、親爺は死んだ?!」
 と、その人声がやみ、代つて、さながら腸(はらわた)を絶(た)つかのやうな悲しげな虎の咆哮がながれ入つてくる。仔虎「電光の戦士(フルバラン・キラツト)」は、一晩中サデイングの家のぐるりを徘徊してゐたが、暁になると見えなくなつた。 (筆者は作家)

(『マライ 虎の國から戻つた男』 小栗虫太郎)

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敬愛するチェスタトンを論じて小栗虫太郎の黒死館に及ぶ(江戸川乱歩)

2023年07月09日 | 瓶詰の古本

 チエスタトンの作品も、フレツチアや、クロフツの非挑戦派と同じく、従来漠然と本格探偵小説の中に含ませて考へられてゐた様に思はれる。如何にもチエスタトンの探偵小説は、『謎』を主題としてゐるし、データを予め示しもするし、解決は論理的でもあつて、一見正統派と何の違ひもない様に思はれるが、それはチエスタトンの魔術にかゝつてゐるのであつて、彼が他の正統派作家には扱ひ得ない様な非常に突飛な事柄を、易々と扱つてゐる裏には、抽象的表現手法といふ手品の種が隠されてゐるのだ。これを逆に云ふと、若しチエスタトンの題材を、他の具体的な手法の作家、例へば、フリーマンに書かせたとして想像して見るがいゝ。フリーマンの文章で、あのチエスタトンのプロツトを具体化したならば、そこには、全くあり相もない、不合理千万の探偵小説が現はれる事であらう。抽象的表現といふあやかしの衣をはぎとつてしまつたあとに残る、プロツトの骸骨は、甚だ畸形な、貧弱極まるお化けでしかないに違ひない。チエスタトンは手品を使ふには使ふけれど、それは主として表現手法の上の手品である。隠喩とか寓意とかの言葉のあやの奇術である。プロツト組立ての過程では、不可能はまだ可能にされてゐない。それに表現奇術の衣を着せた時、初めて不可能が可能になる。こゝにチエスタトンの作風の真似手のない特異性があり、同時に、チエスタトン型と、ポオ以来の正統派との、質的な相違点があるのではないかと考へる。
 だが、私は今更らチエスタトンについて何か云はうとするのではない。動機は小栗虫太郎君の諸作、殊に『黒死館殺人事件』にあつたのだ。小栗君の作風がチエスタトンに似てゐると云ふのは、ちよつと考へると変であるかも知れない。第一に、かの綿々として尽きることなきペダントリイが、(無論外国作家にもその追随者を求めることは難しいのであるが)強ひて云へばヷン・ダインを聯想せしめる。そこからして、多くの評者は、小栗君とヷン・ダインとを結びつけて考へはしたけれど、チエスタトンに思ひ及んだものは絶無である。第二に、チエスタトンは人も知る探偵小説のドメステイシテイの主唱者であつて、取扱ふ事件は夢幻的で怪奇ではあつても、決して大がゝりではないし、主人公師父ブラウンその人が、最も目立たない平凡な外貌を備へてゐるのに反して、小栗君の取扱ふ事件は、中世的に非常に大がかりであつて、あらゆる出来事が、寧ろをかしい程最上級の形容詞によつて形容され、作中探偵も亦鋭角的超人である。この際立つた対照が、チエスタトンへの聯想を妨げてゐる事が大きいと思ふ。
 だが、これらのけばけばしい衣裳を透視して、『謎』の取扱ひ方丈けを裸かにして見るならば、そこに争ひ難きチエスタトンへの類似が、浮上つて来るに相違ない。
 小栗君の作品は、殊に『黒死館』は、案外にも、恐ろしくトリツキイであつて、毎回二つも三つものトリツクが惜しげもなく點綴してあり、その一つ一つが充分短篇探偵小説を構成し得る程の創意のものであるが、だが、それらのトリツクの扱ひ方では、作者は極度に具体的記述を恐れてゐるかに感じられる。そして、その抽象的手法が、ペダントリイとは別に、彼の作品を難解ならしめてゐるやうに思はれる。これは、常套を嫌ひ、稚気の露出を避けようとする潔癖が働いてゐるのにもよること勿論であるがさういふことよりはもつと重大な理由が外にある。それは彼のトリツクが余りに抽象的論理の所産に過ぎ、余りに夢幻的、非現実的であり、理化学トリツクの場合では、余りにお誂へ向きな子供つぽい機構である為に、具体的記述の照射に耐へ得ないといふことである。即ちこれらの思ひつきに対しては、あの難解な抽象的手法こそ唯一のものであつて、彼の作品は丁度この程度に難解でなければならない必然の理由を持つてゐるのだと見るべきである。とりも直さずチエスタトンだ。こゝに小栗君の作風とチエスタトン的手法との明かな相似を見るのである。このことは無論小栗君への非難にはならない。それとは反対に、彼の思索と表現の才能が決して並々のものでないことを語るものであるが、併し同時に又彼の作品は本来の本格探偵小説とは違つた、チエスタトン型とも云ふべき変種に属することをも否み難いのだと思ふ。

(『本格探偵小説の二つの變種について』 江戸川亂歩)

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再び破壊者がこの世に出て全世界を所有したら、その後には魚も残らないだろう(G・K・チェスタトン)

2023年07月05日 | 瓶詰の古本

「それでやつと」と教授は言つた……「どうやらわたしにはあの画とあの声の意味がわかつたような気がする。いままではどうにもその意味がわからなかつた。わたしのほうは百万の正気の人間が大きな社会の中で手を結んでいるのだから、その中でたつた一人の気違いが、わたしを追害するとか死ぬまで追つ駆けまわすとかいつてホラを吹いたところで、何を心配する必要があるでしようか? 暗い地下墓地であのキリストの秘密の符号を描いた人は、まるきり違つた形で迫害されていたのです。あれは孤独の狂人でした……正気の全世界が一緒に手を結んで、そういう人間を助けずに殺してしまおうとしているのでした。わたしは時にはやきもきしたりいらいらしたりして、わたしを苦しめている男はこれかあれかと怪しんだりしました……タラントだろうか……レナド・スミスだろうか……一行の中の誰かだろうか。かりにそれが連中の全部だとしたら、どうだろう。かりにそれが船に乗つていたすべての人と、汽車に乗つていたすべての人、それから村の人全部だつたとしたら、どうだろう。かりに、わたしに関する場合では、あの連中がみんな人殺しだとしたら、どうだろう。わたしは、地球の内部の暗黒の中をはつている最中に、わたしを殺そうとする男が現われたのだから、びつくりするのはあたりまえだと思つた。しかし、かりに自分を殺そうとする男が明るい日なたに上がつていて、地上のすべてを自分の物にし、すべての軍隊や群衆を支配していたとしたら、どんな気持がするだろうなあ。かりにその男がすべての地球を止めたり、わたしを穴からいぶり出したり、あるいはわたしが明るみに鼻を突き出したとたんにわたしを殺したりすることができるとしたらどんな気持だつたろう。世界は、ついこのあいだまで戦争を忘れていたのと同じように、こういうことも忘れているのです」
「さよう」とブラウン神父は言つた……「したが、その戦争がありましたわい。魚はまた地下に追いこまれるかもしれんが、もう一度また明るみに上がつてきましよう。パドアの聖アントニがユーモラスに批評したとおり、ノアの洪水に生き残るのは魚だけですからな」

(『金の十字架の呪い』 G・K・チェスタートン 村崎敏郎訳)

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創造というこの上ない苦役に堪え得る、超人的精神力を賦与された天才は稀にしか地上に現われない(グルゼンベルグ)

2023年07月02日 | 瓶詰の古本

 作家、芸術家、作曲家は創造的意図の具現形式の探求に際する彼等の不退転の綿密な努力や「創造の苦痛」のことを述べてゐる。例へばドストイェフスキイは彼の創造的労作を「苦役」と名づけ、「カラマーゾフ兄弟」の執筆の時「苦痛と心痛」のため病気になつたと告白してゐる。彼は兄宛の手紙に云ふ、「兄さんはどんな理論を持たれるか、どんな場面を大急ぎに書上げねばならないと考へられるか。何所も此所も大変な労作が必要なのです! プーシュキンの軽快な美しい数行の詩も、易々書かれてゐると見るまでには、どの位長く推敲し書直したか知れないのです。これは事実です、ゴーゴリは『死せる魂』の執筆に八年を要した……私は例へば或場面を直ぐ書上げても……数ヶ月、一年以上も書直しに要します。」チェホフにも創造的労作は「苦役のやうな努力」を必要としたと云ふ。ヰゥトリオ・アルフィエリは四行の詩に「実に大努力」を払つた。ゴーゴリは執筆中「非常な苦痛に悩んで……病気になつた。」ピーチの証言によると、ツルゲーネフは仕事に取掛ると「家に閉籠つて、獅子のやうに歩き廻り且つ呻つたものだ。」ジョージ・サンドによると、ショパンは或一音の変転のため数週間突通しに「身もだえ」して子供のやうに啜泣いた。べトーヴェンは友人の証言によると労作中は野獣のやうに「吼え」、家内を藻掻き廻つて、その衰へた面影は乱暴な狂人のやうであつた。フロベールは彼の告白によると一頁半書上げるのに十二頁も「書汚したものである。」エム・ドゥ・ビュッフォンは十四頁も書汚した。バルザックは十二回も作品を書直した。アルフィエリは「ブルート」を十四回もやり直した。アリオストは短詩を数回書直した。ドゥ・トゥーは著書の執筆に十二年の大努力を捧げた。ツルゲーネフによると芸術家アレクサンドル・イワーノフは「ベルヴェデールのアポロの頭部を描写するのに三十回もやり直した。」「千度やつて駄目でも千一度目にうまくゆくかも知れない」とヴルベーリは云つた。レフ・トルストイも創造的労作の苦痛を友に訴へてゐる。「私が種を蒔かねばならないこの畑を深く耕す準備労作が何んなに苦しいものか貴方にはお解りにならないでせう……何百万もの構想を考へて、そのうちから百万分の一を選定するのは実に苦しい……」「理解したものの百分の一が仮りに実現できるとして、実際実現されるのは百万分の一に過ぎない」と彼はア・フェト宛に訴へてゐる。セロフはゲ・エル・ギルシュマンやア・エヌ・トゥルチャーニノフの肖像画を書いた時、九十度以上もポーズを変へさせた……

(「天才と創造」 グルゼンベルグ著 香島次郎譯)

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