美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

純なニヒリスト山田風太郎(江戸川乱歩)

2016年07月31日 | 瓶詰の古本

   近代的な文人墨客である。そこに彼の非高踏性がある。偶然、探偵小説畑から出て来たが、もつと一般文人的性格が強い。融通無礙の名文を書く。放膽にして格調を失わない。文を属するの機智、われわれのあいだに彼の右に出ずるものがない。
   彼の談話は訥々として、詩人の如く意味が飛躍する。酒豪であるが、酔余さらに訥である。明察の主でなくては、彼の機智を蔵する飛躍を捉えることが出来ない。はにかみ屋にして且つ図太いところ、横溝正史に似ている。作風は必ずしも似ていないが、近代的文人墨客調と、名文と、酒量に於て相通ずる。
   君はニヒリストならんとたずねたら、そうではないと答えた。生活上のニヒリストではないに違いない。人生観上のニヒリストでないと云いきれるかどうか。私自身のことを云えば、この世をニヒリズムで割切つた上で、泰然として生きている。お芝居の余生である。彼は恐らく、もつと純なのであろう。私の忖度は礼を失したかも知れない。
   日本の探偵小説が、谷崎、芥川、佐藤の出世時代の芸脈につながつているとすれば、戦後作家にして、作風と文人形気において、最もよくこれに当るものは風太郎であろう。
   年少、これよりして長途の文業、凡々たる売文に堕せず、一癖ある売文を貫き、更らにその上の境地をひらいてもらいたい。
   彼は生活に於ても、作文に於ても、破格をよろこぶが如くである。半傳連高政、阿蘭陀西鶴の奇を愛するが如くである。年少、一夜二万句の快をむさぼれども、老熟、いずれの道に大成するのであろうか。われわれの仲間に於て、最も今後を楽しみ得る作家は彼である。(七・二一)

(『文人山田風太郎』 江戸川乱歩)

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偽書物の話(四十七)

2016年07月27日 | 偽書物の話

   登り道がまだ続いている。知らぬうちに空は眩さを失い、頭上高く弱い光の河が帯状に何本か伸びている。空気は温かく、風はビロードのように顔をなめらかに撫でて吹く。向こうから、驢馬に似た生き物の背に乗って男が近づいて来る。一筋の糸にしか見えない細い目は、まぶたを開けているのか瞑っているのか、全く見分けがつかない。木の枝で生き物の尻をたたいて調子を取りながら、念仏のようにごろごろとうなり声を口の中で響かせているのは、山霊を鎮める歌でも口ずさんでいるのだろうか。荘厳な存在である山岳であればこそ、この山を畏れ、限りない尊崇を捧げるために唱える歌があってもおかしくないと、愚にもつかない考えにふけってしまう。
   こちらの勝手な胸の内に関わりなく、男は声を含んで喉を鳴らし、なにごとか伝える風に強弱をつけて音を作る。音に乗せて思いを洩らし、生き物の背中を家として、そこで一生を終えるといった構えで悠然と朧な影を移して通り過ぎて行く。
   男が去った後には、行き交うものもない。静まりかえった道に足を運んでいると、次第に空が明るんで来る。周りのものの輪郭がはっきりと見分けられるようになる頃、道はゆるやかな勾配を下り始めた。傾斜する土地には丸々とした赤い果実をつけた矮小な樹木が列を作っていて、その中を道が一本通じている。眼界の遙か下方に、敷きつめた鏡さながらに光を照り返す水の面が見える。

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言葉への遠慮

2016年07月24日 | 瓶詰の古本

   自分が癌患者であると分かったからといって、そのことばかり書くのは、自分が馬鹿者であると分かったからといって、そのことばかり書くのと同じだ。
   いずれ悲運に打ちひしがれるか、のぼせるかしているのだが、言葉より先に己を前に立てているようなのがなんとなく気色悪い。いや、そのことばかりに言葉を使いきろうとしているのは、どうかと思うのだ。人に伝える言葉というものに対して、そんな使い方をするのはどうにも申し訳がないと思うのだ。
   今時点では死生は分かち難いとか考えているが、本当にそうかどうかは確かめようがない。

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偽書物の話(四十六)

2016年07月20日 | 偽書物の話

   徐々に引き寄せられたあげく、たじろぐ意識とともに放り出された場所は草地の広場だった。割れ目と見えた洞穴は、広場一面に生い繁る草本を根こそぎ靡き入れるかのように、そこに放り出されて佇む者を誘っていた。茫然と視線の的を失って左右上下を見回すと、洞穴は背後に聳え立つ巨大な山岳の下腹辺りに穿たれている。遙か見上げる山頂の先には、穹窿が無限に広がっていた。
   ようやく我に還って地に足が着くと、洞穴の中に入り山岳の胎内を奥の方へ進むことにした。下草が敷き詰められ、湿気を帯びた柔らかい道には、喩えようもなく気持ち良い風が吹いて来る。途切れぬ汗は流れるにまかせて、長い時間を倦まず歩き続けた。ところどころ岩の天井が欠けた穴やひび割れから光が射し込み、道をうす暗く照らし出している。
   いつの間にか洞穴の深い道は岨道に変わり、山の内側や外側へ出たり入ったりを繰り返し、やがて山肌を外周する登坂へと連なる。今度は山岳を体表に沿ってじっくりなぞり回して、漸々とのぼって行くのである。 折々仰ぎ見ると、あの銅版画に描かれた山岳が絵にあるままの威容を見せていた。その時ふと心に思い描いたのは、銅版画家に縁ある人が後を追いかけて来ること。長椅子の上で横たわり忘我の眠りに吸い込まれる瞬間をとらえて、この山の麓、洞穴の傍近くに転がり出るなんてことがあってはくれないだろうかと。

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果心居士(ニ)(林義端)

2016年07月17日 | 瓶詰の古本

人々驚き怪しみ、「とてもの事に此の座敷の真中にて、なにぞ夥しく、凄まじき幻術を現はし見せ給へかし、我々末代まで子孫物語の種となし侍らん。」と望みければ、居士、「それこそ易き事なれ。」とて、何やらん呪文を唱へ、座敷の奥の方を扇にて麾きければ、そのまゝ大洪水涌き出づる程こそあれ、「これはこれは。」と驚く中に、器財雑具総て座敷に有る程の物、皆々浮び流れ、はや人々の腰なるよりうへまで水に浸り、足の立てども覚えず、途方に暮れて呆れたるに、猶々水は渦きて涌き勝り、四方一面に満ち満ち、大波頻りにうちかさなつて、いづくへ逃げんやうもなく、いかに成り行く事やらんと、是れさへ怖ろしきに、又奥の方より長十丈ばかりの大蛇、角を振り口をあきて人々を目がけ、波を蹴立てて出で来る。此の時人々怖ろしさ云はん方なく、目くれ魂消えて、逃ぐるともなく転ぶともなく、座敷の外へ駆け出でんとせしかども、さ許りの洪水に押し流され、皆々水底に打臥し、溺れ死にけると覚えける。あくる日人に起されて座敷を見るに、総て常に変ることなし。

(「玉帚木」 林義端)

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偽書物の話(四十五)

2016年07月13日 | 偽書物の話

   理事長とずっと話し続けていたい思いが募るのは、実に危険な兆候である。理事長の内にあるなにものかに強く惹きつけられ、いとも簡単に平常心が地滑りを起こしかねない精神状態に陥ってしまったのである。意想外な時と場所で顔を覗かせた邪念の爪に驚き、無理矢理身を引き剥がすようにして記念財団の執務室を辞し外へ出た。後ろ髪引かれる心を持て余しながらいったん宿へ帰り、部屋の長椅子でぐったり横になって息をつく。
   持参した銅版画の複写を眺めながら、ぼんやり山峰の外郭線を指で辿って見えない入り口を探してみる。地底に山岳ありとあったが、誰しも日常の生活で眠りに落ちるとき、うつつの世界の地下に夢の世界が横たわっているイメージが浮かぶのではないか。目が醒めて始まる世界の地下深くに眠りと夢が支配する世界があって、そこではこの世の現実とかけ離れた力動原則にしたがって事象が生成し運行しているとしたら。それにしても、そもそも地下に山があったらどんな景観を呈するものか、魯鈍な異邦人には所詮思い及ばぬ空想絵と呼ぶほかない。
   とやこう思案しつつ石塊の写真も引きずり出し、山岳と台地を象る石の姿を見つめているうち、ふうわりと柔らかな虚脱感が覆い被さって来た。それまで石の表面にかすかなひびと見えた線条がおもむろに広がって割れ目となり暗い口を開ける。忘我の眠りへ引き込む波の満ち引きに同調して、身体がその割れ目に向かい引き寄せられて行く。

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病める子弟へ送る(夏目漱石)

2016年07月10日 | 瓶詰の古本

(前略)君は九月上京の事と思ふ神経衰弱は全快の事なるべく結構に候、然し現下の如き愚なる間違つたる世の中には正しき人でありさへすれば必ず神経衰弱になる事と存じ候。是から人にあふ度に君は神経衰弱かときいて然りと答へたら普通の徳義心ある人間と定める事に致さうと思つてゐる。
   今の世に神経衰弱に罹らぬ奴は金持ちの魯鈍ものか、無教育の無良心の徒か左らずば、二十世紀の軽薄に満足するひようろく玉に候、もし死ぬならば神経衰弱で死んだら名誉だらうと思ふ。時があつたら神経衰弱論を草して天下の犬どもに犬である事を自覚させてやりたいと思ふ。
   大分あつくなつた。拙宅畳替なり。(下略)

(「古今名家書翰文大集成」 ヤシマ書房編輯部編)

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文士はダメだ(清澤洌)

2016年07月08日 | 瓶詰の古本

昭和十八年二月十一日(木)
   正宗白鳥氏いわく、「文士はダメだ。文士の会にでるのは嫌だ。さきごろ菊池寛と自動車に同乗したが、菊池は今度の戦争でフィリッピンが当方のものとなるだけでも、たいしたものだ。ここ三、四年の辛抱で、すっかり米英を撃碎すると言って、まるでいい気持ちになっていた。」
   三木清君いわく「文士はダメだ。彼らの見るのは、感情的側面だけである。話題は沢山あるが、何もつかんでいない」と。

(「暗黒日記」 清澤洌)

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偽書物の話(四十四)

2016年07月06日 | 偽書物の話

   閑話休題。銅版画の作者は政治学や経済学の熱心な学徒でもあった。世紀初頭における国の財政金融体制を構想、整備するのに少なからず貢献したのである。国家の近代化のために好きな絵筆を擱き、寝食を惜しんで激務に身を投じた。また、つかの間の息抜きとして古書、古物をぽつりぽつり蒐めていた。幼い頃ペーター・シュレミールの物語に親しみ、遍歴の絵描きとしてあり得べき己の運命を、ささやかな蒐集という愉しみの泉によって宥めていたのではないかと、これは眷属である理事長が誇らしげに語った言葉である。
   洋古書にあった銅版画の絵は、画家の手によって別途一つ一つ巻物にして遺され、財団本部の地下室で大切に保管されていた。理事長の好意に甘えて巻物を展げて見せてもらう。今では古物となった巻物は小振りな掛け軸様のものである。描かれた絵の中には上部の空白に文字が記されているものがあった。例えば地底に山岳ありと意味する言句が書かれていると教えてくれた。あるいは、そこへ至る道は目だけに頼っては見えない入り口の門をくぐらねばならないとする文字が記されたのもある。
   そういえば、中央アジアには地下深くの王国へ入る雲煙の沸き立つ門があるとか、大瀑布に船ごと呑まれて地球内部の裏側へ流れ着いたとかの奇譚を読んだことがある。理事長もそういった類の書物が夥しく出版されていることは当然の如く承知しており、与太話として見過ごすどころか、何らかの親縁性がそこに漂っているのを否定できませんとつぶやくように口にして微笑むのであった。

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解義にたどり着かぬ懐疑への逃れ

2016年07月03日 | 瓶詰の古本

   仮にここに瘋癲らしき人物(心理的、宗教的、性癖的、趣味的…であるを問わず)が一人いて、他者・外界の息吹、言葉、音声、思惟、動作など、とにかく認知の対象となる何ものかに嫌厭の情を抑え切れず、このままでは気が狂ってしまうのでその対象物一切を取り除けてくれと文句を言って来たとき、取り敢えずは理不尽な言い分のいちいちを汲み取り、なんとか御意に叶うよう対処しなければならないのだろうか。
   もし当の人物が、高遠高邁な理想を実現するために不可避となる暴行、殺人は許されるという(奇怪な)行動倫理に育まれた者であったとしたら、面前に応対する者は理解ある生活者として、異文化のモラルに敬意を払って道をあけてあげるべきなのだろうか。他文化文明の異神の神託などによって無辜の人々に凶行が及ぶとき、その暴慢を激しく憎悪することは一文化文明の義務ではないと言われ得るだろうか。
   さらに、こうした瘋癲らしき人物が一人でなく、衆を集って数千、数万人の規模で国家の体を成し、主義主張を突きつけて来たとしたら、どうあしらうのが賢明な行為とされるのだろうか。やがて唯一種の瘋癲病が万人に蔓延するとき、病の渦中でどう振る舞うことが正答とされるのだろうか。

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