近代的な文人墨客である。そこに彼の非高踏性がある。偶然、探偵小説畑から出て来たが、もつと一般文人的性格が強い。融通無礙の名文を書く。放膽にして格調を失わない。文を属するの機智、われわれのあいだに彼の右に出ずるものがない。
彼の談話は訥々として、詩人の如く意味が飛躍する。酒豪であるが、酔余さらに訥である。明察の主でなくては、彼の機智を蔵する飛躍を捉えることが出来ない。はにかみ屋にして且つ図太いところ、横溝正史に似ている。作風は必ずしも似ていないが、近代的文人墨客調と、名文と、酒量に於て相通ずる。
君はニヒリストならんとたずねたら、そうではないと答えた。生活上のニヒリストではないに違いない。人生観上のニヒリストでないと云いきれるかどうか。私自身のことを云えば、この世をニヒリズムで割切つた上で、泰然として生きている。お芝居の余生である。彼は恐らく、もつと純なのであろう。私の忖度は礼を失したかも知れない。
日本の探偵小説が、谷崎、芥川、佐藤の出世時代の芸脈につながつているとすれば、戦後作家にして、作風と文人形気において、最もよくこれに当るものは風太郎であろう。
年少、これよりして長途の文業、凡々たる売文に堕せず、一癖ある売文を貫き、更らにその上の境地をひらいてもらいたい。
彼は生活に於ても、作文に於ても、破格をよろこぶが如くである。半傳連高政、阿蘭陀西鶴の奇を愛するが如くである。年少、一夜二万句の快をむさぼれども、老熟、いずれの道に大成するのであろうか。われわれの仲間に於て、最も今後を楽しみ得る作家は彼である。(七・二一)
(『文人山田風太郎』 江戸川乱歩)