美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

すべて古物の精、怪をなす(山東京伝)

2010年03月17日 | 瓶詰の古本

信實(のぶざね)生前手づから己が像をゑがく。死後に如圓法師其の像に対し、歌を詠じて悲歎の思ひを寄す、その歌に、
      思ひいでて見るもかなしき面影を何なかなかにうつしおきけん
是れ新拾遺集哀傷部に見えたり。如圓法師疑ふらくは是れ信實が子にやと思はるゝなり。父隆信も又名画の聞え高し。然れば則ち此の絵巻物は、今長禄の時に至りて、二百七十余年も経たる古画なり。画神抜け出でて形をあらはせしこと、和漢に例(ためし)多し。呉道子僧房の壁にゑがきたる驢馬、夜中抜け出でて僧房の家具を踏み破りたる事、盧氏雑記にしるせり。我が朝金岡が図の如き、いはずも人のしる所なり。さらぬだに鏡劔のたぐひ、すべて古物の精、怪をなせし例、挙げつくすべうもあらず。夏の禹王の図したる山海経の画神、異形(そのかたち)をあらはしたる例もあり。此の古画の怪をなすもさるたぐひならん、想ふに此の絵巻物は正(まさ)しく是れ後醍醐天皇の御遺物(ごゆゐもつ)にて、当寺に納めありし物なるべし。

(「小説浮牡丹全伝」 山東京傳)

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