美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

他からの批判を嫉妬によるなどと言い立てる人々は計算高い自分らの度外れた嫉妬深さに思い至らず、はぐらかしに第三者までダシにして醜怪な捏造説を宣伝するのも選ばれし同友ならではの特権と信じている(榊保三郎)

2023年08月29日 | 瓶詰の古本

(第二)感情の不正なること ヒステリー病者の感情の主なる特徴は非常に変り易いといふことである、今喜んで居たかと思へばモウ泣いて居る、泣いて居るかと思へばモウ怒つて居るといふ風である、他人に対する感情も亦同様、昨日まで春と暖かく親密であつた人に対しても何か気に合はねば冬と冷たく疎遠になる、夫の癡話のはての無惨な出刃騒ぎの如きも此の如く冷熱一定せぬ愛情が原因となることが多い、彼等は単に男女間の愛情に於てのみならず総てに於て冷熱の度が烈しい、又自己といふ観念が非常に強く他に対する興味も持続けることが出来ぬ、従つて高尚な楽とか何とかいふものは只自己の高尚を衒ふだけであつて決して深い興味をもつた訳でない、此種の人は他に対して愛を乞ふこと、媚びること、自分を飾ることと、(独り美服を着けるといふ如きことのみならず他の方法を以て自己を高めむと試みる)復讐の念が烈しい、その復讐も自己に対して障礙を加へられた時にのみ殊に烈しいのである、尚又此に特筆大書すべきは嫉怒の念が熾んなことで、彼等は独り他との愛情の結合が出来てゐる時に起すばかりでなく其他の時に於てもそねみ、ねたみといふことを起す彼は又自己を利する為には病の徴候として著るしく虚言を吐く、自己を高めるためには平気で虚言を吐く、そして彼等は其智識の方では普通以上に長けて居るから巧みに之を応用して道徳とか同情とかいふ念を少しも含まざる虚言を臆面もなくペラペラと言ふ、殊に嫉妬の念に駆られては他を陥れるための種として怖るべき駭くべき捏造説を拵へる、而して其手段が巧妙であるに拘はらず確固たる人格、道徳上の意思に於て著るしい缺陥が見られるのは又是非もない次第である。

(「變り者」 榊保三郎)

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異国万象への好奇心かき立てる挿絵(出典元不詳)をふんだんに鏤めた、掌に載る宇宙書物(林弘之)

2023年08月27日 | 瓶詰の古本

         凡  例
 本書は妄りに訳語の多きを誇りとせず,専ら適切なるものを選択し平易簡明なる邦語により原意を遺憾なく表示し,在来の訳語如何に拘らず平易にして明確なる言葉を選び,専ら斬新なる訳字を用ゆるに努めたり
 本書の編纂についてはセンチユリー大辭典,最新刊スタンダート大辭典,新刊ブスター大辭典,大英百科字典等を参考し,其他新語に至りては現代英文学界に認めらるるものは大概之を網羅して遺憾なからしむ,例せば Boy scout の如き,又は Tractorbiplane の如きは在来の英和字典中には見る能はざるものなり
 訳語に於る ❶❷❸ は一語の意義の一個以上なる時之を区別するため用ひたるものにして,普通に最も多く用ひらるる意義を先きにし,以下順に従ふて配列せり
 Capital letter 即ち頭文字を以て常に書き始むべきものには * の符号を其文字の首頭に置き他の語と区別せしめたり
 Preposition(前置詞)と連結して用ひらるべき語には ¶ の符号を記し其活用を詳かならしめたり
 pl  の符号はPlural 即ち復数の略字にして,単数名詞の復数名詞となるに当り其変化の普通ならざるものは,各々 pl  なる符号と共に其復数形をも詳記せり
 本書の発音は主としてスタンダート大辭典に拠り,傍らブスター大辭典を参酌し,一字毎に其発音を叮嚀に括弧内に明示しあれば,難字と雖も容易に発音し得べし
 Accent は(′ )の符号により主強音(Primary accent)を示し,(″ )の符号により従強音(Secondary accent)を示せり
 読み難き漢字には一々假名を附しあるも屡々同一の文字ある場合には最初の文字にのみ假名を附し,他は略したり
        訳 者 識 す

(「熟語完成・英和大辭典」 林弘之著)

 

(附)本書における立項訳語例:
Oc・cult'ism(ȯc-ŭlt'izm),n. ❶神秘學,❷超自然力,占星術,神通術,靈知術
Ro・co’co(ro-cō’cō),n. ❶第十八世紀の末葉 佛國に行はれし華麗(クワレイ)なれど無意味なる一種の家屋装飾法 ❷美術文學上奇怪若しくは沒趣味のもの

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近づいて来る華麗な太陽、仕事場のひまわり(ゴッホ)

2023年08月23日 | 瓶詰の古本

 おゝ、何と云ふ華麗な太陽が、此の田舎にあれば我等の頭脳に近づいて来ることであらう。それに、人々を或る程度まで狂気に驅る力のあることは疑ひもない。が然し、既に自分は些かその道に傾かされた。今は只愉快にそれを楽しむのみである。
 自分は今半ダースの向日葵を以つて、仕事場を装飾することを考へてゐるが、それは複雑な青の背景に対して濃黄(クローム)の輝調や破調が生き生きとして浮び上る、装飾的な効果になることだらう。最も淡く優美な淡緑色(エメラルド・グリーン)から最上青色(ローヤル・ブリユー)に至るまで順に排列して、それに黄金色(ゴールデン・ヱロー)の細い筋で縁取(へりと)りをする。丁度Gothic(ゴテイク)寺院の窓の様な感じを編み出すことにならう。
 あゝ、或る狂人である我々! だが我々の眼は何と云ふ喜びを我々に与へるのだらう。――それ共与へないかしら? それは兎も角、自然は我々の内にある獣性にその復讐を加へるのだ。我々の肉体は憐む可きものである。そして多くの場合恐る可き重荷である。之れは彼(か)のヂヨットー以来常に変らぬ状態である。彼は或る病弱な一個の人間であつた。だが我々は、頭に布を巻き手に調色板を持つた老いたる獅子、レムブラントの歯の抜けた笑ひ声から、何と云ふ喜ぶ可き状景と歓楽とを得ることであらう。

(『エミル・ベルナールに宛てた手紙』 ヷン・ゴオホ 木村莊八譯)

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自己を面白おかしく読ませる先駆的な文章によって、同時代の精神へ近代の自我を吹き込んだ小説(二葉亭四迷)

2023年08月20日 | 瓶詰の古本

 医者の不養生といふ。平生思想を性命として、思想に役(えき)せられてゐる人に限つて、思想が薄弱で正可(まさか)の時の用に立たない。私の思想が矢張(やつぱり)其だった。
 けれど、思想々々と大層らしく言ふけれど、私の思想が一体何んだ?大抵は平生親しむ書巻の中から拾つて来た、謂はゞ古手の思想だ。此蒼褪めた生気のない古手の思想が、意識の表面で凝つて髣髴として別天地を拓いてゐる処を見ると、理想だ、人生観だといふやうな種々の観念が美しい空想の色彩を帯びて其中に浮游してゐて、腹が減(す)いた、銭が欲しいといふ現実界に比べれば、逈に美しいやうに見える。浮気な不真面目な私は直ぐ好い処を看附けたといふ気になつて、此別天地へ入り込んで、其処から現実界を眺めて罵つてゐたのだ。我存在の中心を古手の思想に託して、夫で自ら高しとしてゐたのだ。が、私の別天地は譬へば塗盆へ吹懸けた息気(いき)のやうな物だ。現実界に触れて実感を得ると、他愛もなく剥げて了ふ、剥げて木地が露(あら)はれる。古手の思想は木地を飾つても、木地を蝕する力に乏しい。木地に食入つて吾を磨くのは実感だのに、私は第一現実を軽蔑してゐたから、その実感を得る場合が少く、偶〻得た実感も其取扱を誤つてゐたから、木地の吾を磨く足(たし)にならなかつた。従つて何程古手の思想を積んで見ても、木地の吾は矢張(やつぱり)(もと)のふやけた、秩序(だらし)のない、陋劣な吾であつた。

(「平凡」 二葉亭四迷)

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昭和二十年八月、海軍最後の抗戦の終息(小山寛二)

2023年08月16日 | 瓶詰の古本

 小園は一方において米空軍への邀撃戦闘を継続しながら、着々と東京進軍の用意を整えつつあつた。連絡をとつた部隊では、脱落するものもあつたけれども、それは意に介するところではない。空と地上から正々堂々と東京にのりこんでゆき、天皇を擁し、降伏派の要人を追放して、抗戦政府は陸軍に任せ、自分たちはもつぱら外敵に当ろうというのが、彼の計画である。
 しかるに天か命か、十七日の暮方にいたつて、小園はまたまた激烈な高熱の発作におそわれた。がつくりとテーブルにうつ伏して人事不省になつた司令を、副官たちが寝室にかつぎこむと、小園は突然、カッと両眼をみひらき「天照皇太神、天照皇太神!」と二声叫んで、軍刀を抜き放ち、天井までおどりあがつてベッドに倒れ、そのまま死せるがごとく昏睡に陥つた。
 翌十八日には三〇二空に隣接した第一相模野整備練習航空隊に流血の惨事がおこつた。それはかつて小園の部下であつた近藤進という準士官が、小園の抗戦論に共鳴して同志を語らい、司令以下の士官を包囲して兵曹長の一人を射ち、部隊の実権を掌握した事件だつた。
 だが、抗戦の支柱、小園大佐が病に倒れては、もう厚木部隊の士気も保ちきれない。昏睡のまま、二十一日に小園は三浦半島の野比の病院に運びこまれ、ついで囹圄(れいご)の人となる。寺岡中将は直ちに隊員に武装解除を命じた。すると隊士たちは燃料弾薬を抜くと見せて、各々の愛機にとびのり、八方にかけり去つた。彗星、銀河、零戦、彩雲、計三十三機。搭乗員中尉二十五名、下士官、兵五十七名、かねて連絡のあつた埼玉県狭山、児玉の飛行場に飛び、再起をはかつたのである。狭山組は二十二日自首、児玉組は二十六日に逮捕されて、それぞれ四年から八年までの処刑をくつた。

(『厚木神兵降伏せず』 小山寛二)

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孫はお祖母さんのかけがえのない宝物、お祖母さんから聞かされる話はふたつとない宝物(江戸川乱歩)

2023年08月13日 | 瓶詰の古本

 私は数年前、西洋の怪談小説をたくさん読んで、「怪談入門」という随筆を書いたことがある。このとき、中国や日本の古い怪談書もいくらか読みくらべてみた。古典的な日本の怪談小説は、多くは中国伝来のもののようだが、日本各地の民話の中に、自然に生まれてきた純日本式の怪談も、ひじょうに多いにちがいない。
 私の幼時、おばあさんから、サルカニ合戦やカチカチ山といっしょに、よく聞かされた怖い話があった。まっくらな夜、だれも通らない淋しい場所を歩いていると、目も口もない、のっぺらぼうのお化けに出会ったので、キャーッといって、一目散に逃げだした。そして、暗い道を走って行くと、むこうから一人の人間がやってきたので、やれうれしやと、その人に助けを求め、いまおそろしいお化けに追っかけられたと告げると、その人は、「その化けものは、こんな顔をしていたか」と、ヌーッと顔を前にだした。それが目も口もない、のっぺらぼうの顔だったという話である。
 私は、このお化けの二重攻撃がひじょうに怖くて、強く記憶に残った。そして、これは日本あるいは東洋独特の怪談だろうと思っていたところ、数年前、イギリスの探偵小説を読んでいて、同じ話がイギリスの民話としても存在することを知って、ちょっとおどろいたのである。それは、エリザベス・フェーラーという女流作家の、「私は見たと蠅(はえ)はいう」という長編で、その後、早川ミステリーで邦訳も出ている。主人公の女性が幼時聞かされた怪談として、私の幼時に聞いたのとそっくりの話が出てくるのである。
 もう一つ、これも子どものころおばあさんから聞かされた話に「人面疽(そ)」というのがある。膝や肘に、人間の顔とよく似た腫物ができて、その腫物の口が物をたべるという怪談である。この話の、本にのっている古いものでは、中国唐代の「酉陽雑俎(ゆうようざつそ)」で、その話が日本に伝わったものだから、東洋独特の怪談と考えていたのだが、アメリカのエドワード・L・ホワイトという作家のLukundoo(妖術というアフリカ蛮語)という短編に、人面疽の話が出てきたのでびっくりした。中国や日本の話を伝え聞いたのではなくて、まったくの創作らしい。あるいはアフリカなどに、そういう民話があるのかもしれない。
 アフリカ探検家が、からだじゅうに、人間の顔をした腫物ができて悩む話で、その探検家は、腫物が大きくなると、かたっぱしから剃刀で切りとるのだが、いくら切っても、つぎからつぎと腫物ができ、その腫物が小さな口で物をいうのである。
 こういうふうに、東西の怪談の似たものをさがしだして、戸籍しらべをするとおもしろいと思うが、私の読んだ範囲では、西洋と東洋の多くは、まるで性質がちがっていて、そういう比較をこころみるのは困難であった。         (作家)

(『祖母に聞かされた怪談』 江戸川乱歩)

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スキャンダル暴露風の記事も恣意的過ぎ(て誰に何を訴えるつもりか趣意不明に見え)ると従来の購読者は戸惑うばかりで雑誌の格は落ちて行くし、むしろ瑣事拘泥する編集の老爺振りこそ暴露されているような気さえする

2023年08月12日 | 瓶詰の古本

しい【恣意】(体)自分が思うままの勝手な考え。「この意見は君の――に過ぎない」「古典を――的に解釈してはいけない)
(「例解国語辞典」)

 

しい恣意](名) 自分かってな考え。S恣意的(-てき形動)。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

しい【恣意】わがまま。かってきまま。
(「プリンス国語辞典」)

 

しい2【〈恣意】(名)〔文〕思うまま。気まま。随意。「-的な」
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

しい1【〈恣意】その時どきの思いつき。「――が入る:――的0〔=A気まま。B思いつき任せ〕」
(「新明解国語辞典 第四版」)

 

しい恣意】〈名〉自分のかってきままな考え。「――をほしいままにする」
(「学習百科大事典[アカデミア]国語辞典」)

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謎の篩で個人を選んで吊し上げ義憤の的にするかと思えば人倫に超絶した作品の選考褒賞も差配する出版社や周辺作家に馴染んで来た我々にとって小説は、俗情に染まることで一廉の売り物となる消閑の玩具か(チェホフ)

2023年08月09日 | 瓶詰の古本

 彼は真理を感じた事は一度もなかつた、又真理を求めた事も一度もなかつた。彼の良心は不徳と虚偽とに惑はされて、常に眠つてゐるか、黙してゐるかしたのである。外国人のやうに、外の星の世界から来た人のやうに、彼は普通の人間の生活には一向無関係であつた。普通の人間の、苦痛だの、思想だの、宗教だの、学問だの、労作だのに対しては、一向無頓着であつた。彼は彼等に向つて一言でも善い事を言はなかつた、一行でも役に立つ事は書かなかつた、一文の価値ある為事をさへしなかつた。彼は唯彼等の麺麭を喰べた、彼等の葡萄酒を飲んだ、彼等の妻君を連れて逃げた、彼等の思想で生活した、そして、自己の哀れな食客的な生活を、彼等の目にも自分の目にも明るく見せる為に、絶えず自分は彼等より立ち優つた人間だといふ風をした。

(「決闘」 チエホフ作 小山内薫譯)

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昭和三十年発行の実用辞典から(国語漢・英総合新辞典)

2023年08月06日 | 瓶詰の古本

げんしばくだん〔原子爆弾〕純粋なウラニウム金属中、原子番号二三五のウラニウムのみが、中性子の媒介によって核分裂をおこすのであるが、その分裂の際には巨大なエネルギーを発生する。これを利用して造った爆弾がいわゆる原子爆弾で、わが広島に投下されたものはこれである。又原子番号二三八のウラニウムは核分裂をおこさないが、これを原子炉(パイル)の中でプルトニウムという分裂性の新物質にかえると、二三五と同様に巨大なエネルギーを発生する。わが長崎に投下されたのは、この後者を利用してつくられた原子爆弾といわれる。 atmic bomb 

げんばく〔原爆〕「原子爆弾」の略称。その条参照。atmic bomb アトミツク・ボム 

げんばくしょう〔原爆症〕ビキニの水爆以前の、広島・長崎における原子爆弾の災害は、熱・機械力・放射能の三種に基づくものであるが、このうち放射能によるものを特に「原爆症」と呼んで来た。この強烈な放射能が人体に入ると、まず血液が冒され、ついで造血臓器としての脾臓・淋巴腺・骨髄、更に又肺臓・肝臓・腎臓・胃腸管等の内臓が冒され、症状としては、まず出血症状が起り、白血球が極度に減少し、後遺症としては、熱傷・外傷治療後のヒキツレ・異常的なケロイド・白内障・白血病・再生不能性貧血(汎骨髄癆)等が起って、人体は深刻に蝕まれる。

(「国語漢・英総合新辞典」 中山泰昌編)

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著名人の実像を抉る態でさり気なく出身校に触れるなど、自分が手に入れた学歴タグは持ち上げ他のタグは下げる優劣印象を誌面に埋め込まずにいられない程の、殊更な学閥愛はどのようにして培われるものか(權藤成卿)

2023年08月04日 | 瓶詰の古本

 主義主張を無視した朋党的根性を以て人を取る様になれば、何時も官紀は腐敗するものである。蘇我閥族跋扈の時代より、藤原閥族の驕暴時代、それより武門政治八百年の歴史は的々之を証明して居る。維新の後薩長氏の政治に於ても亦た然りである。尋で生ぜし門閥財閥学閥、主義主張を忘却したる政党閥、皆な其名利慾の外何の意義もないものである。是等の者が官紀を振粛しよふとするのは、実に木に拠りて魚を求むるの類である。何人も知る通り、官紀振粛の訓令は実に幾回となく発布されたものだが。其反面には、官吏醜穢行為が続々として発覚する、鉱務署員の瀆職、鉄管吏員の瀆職、税務署員の瀆職、鈴弁事件等、一々列記するに堪へられぬ。而も此中には高級官吏も尠くない、こんな事では国民が頼みにして居られよふ筈はない。併し我輩は我社稷の一員中より、是の如き醜類を出すを恥ぢ、我社稷の全員が、此に大なる醒覚をなし、議員にあれ、官吏にあれ、必ず清修廉潔の士を尊重するの風を起し、苟も彼の非違不廉の徒に対しては、厳然たる社稷的制裁を加ふ様にせねば、是の頽風を挽回することは出来ぬと思ふ。
 共存共済を以て、社稷の大本としたる我日本国民の観念は、古来其一家同族中に醜穢行為ある者あれば之を一家同族の耻として、厳重に所置したものである。又た一家同族に於てのみならず、郷邑に於ては其郷邑の耻とし、同僚間に於ては其同僚間の耻とし、亦た夫れ夫れ之を所置したものである。此慣例は確かに維新迄続行されて居つたのである。「古来罪不及卿太夫」此の一語は官吏たるものゝ堅く遵奉した確言で、公職を奉じ公事に任ずるものが、仮令如何なる場合にもせよ、其身に罪名を受くる迄、ダラシナクして居る事はならぬ、必ず自身で自らの覚悟を定めて決する所がなければならぬ教であつた。私刑を科する事は固より古来の禁制であつたが、併し本人が潔く自決するとなれば、又た其悔悟に対して、情義ある処置を取つたものである。

(「自治民範」 權藤成卿)

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多情多恨の愛憎渦にある個人を吊し上げ義憤にむせぶ記事を連発する一方、不羈にして人倫にほだされぬ小説作品の褒賞催事を差配する、出版社を統べる御偉方にとって文学は俗情とつき合う商略の一ツールかと(清川彰)

2023年08月02日 | 瓶詰の古本

 明治時代の青年と今日の青年を比較すると、今日の青年は甚だしく不遠慮になつた。不遠慮といふと語弊がありますが、何事にも余り尻込みしなくなつた。思つたことを卒直にやつて退ける、いつて退ける、これは男子よりも寧ろ女子に顕著のやうでありますが、誠に結構なことで、真に物事に対し自信があれば、さうするのが当然であります。
 併し、文学青年諸君などの中には、なほ純情といふことを履き違えた結果、余り出娑婆るのを屑しとしないで、ぢつと引込み思案な態度を持して居るものがあるやうでありますが、これは此際清算して、堂々と、但し、先輩や同輩に対しても敬意と信義を以て出娑婆るべきであります。
 自己の芸術によつて美の本体を明示し、芸術的興味の崇高な陶醉境を描き出す働きは、真理即ち神の存在を指示する宗教家と同様、演壇に立つて自己の芸術に一場の解説を試みることも、決して出過ぎたことではない。死んだ直木三十五氏は雜誌「苦楽」の編輯をして居た頃、批評家が自分の作品に悪評を加へると、物凄ひ勢で喰つてかゝつて、よく侃愕の議論を戦はして居たもので、又、実際その頃の作品はそれほど立派なものではありませんでしたが、兎も角その自信と、その意気があつて初めてあの大成を見ることが出来たのでありますが、又、あの生一本の、愛すべき純情が読者に好感を与へたことも争はれないのであります。
 又或る新進作家は(これは本名を申上げられませんが)或る雜誌者で人気投票を行つた時、凡ゆる手段を施して、その投票用紙を手に入れ、知る限りの人に己れの名を投票してもらひ、又知る限りの先輩を訪ねては自己への讃辞を依頼し、全く残る隈なく手を尽したものであります。当時此の事を聞いた私なども「嫌やな奴だ、」と思つたものでありますが、これとても自己の芸術を、より多くの人に知らしめ、自己の天職を完ふするための行為に外ならぬから、少しも遠慮すべきことではなく、又耻づべきことでもないと思ひます。
 又、斯ういふのもあります(これも名前は申上げられませんが)既に今日は共に一家を成してゐる某と某が、無名作家だつた頃は殆ど毎日といひたいが、日には三度も五度も往来するほどの親しい間柄だつたが、その一方の男が一足先きに知名になると、二人の親交は兎角旧の如くでなく、多少嫉妬も加つたからか、或は他の理由からか、兎も角二人は急に仇敵の間柄になり、雜誌に公開状を発表して、醜い喧嘩を続けたものだ。所が、その喧嘩のお陰で、他の一方の男も遂に文壇に認められるに至つたのであります。
 某富豪は戦時のドサクサに石つころの罐詰を造つて巨富の基を開ひたとか、或は拾得した古金銀を資本にしたとか、色々よからぬ風聞が伝へられ、大成するには手段を選ばぬなどゝいはれて居るのでありますが、それは強ち実業方面ばかりでなく、文壇などでも随分手段を選ばない実例があるのであります。

(『文壇立身法』 清川彰)

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