美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

モーパッサンは伊達や酔狂で怪異小説を書いたのではない、だから一作一作が鬼気骨髄に沁み入る(小西茂也)

2024年01月31日 | 瓶詰の古本

 モーパッサンのいはゆる「怪異小説」は三十篇にあまり、その質量からいつて、世界の小説家のなかでもユニークな存在である。これらは何れも彼が正気の常人だつた時分に書かれたもので、始めは興味半分、彼の怪奇趣味から成つたもののやうだが、晩年になるに従つて、益々如実に迫真的に描かれてゐる。やや幽玄な趣きには乏しく、形而上学的な苦悩が描かれてゐるわけでもないが、彼の実感そのもので、技巧の加はつてをらぬ告白さながらと云つてよろしからう。幻や怪異や「見えざるもの」を目にした折り、彼の手は冷厳にその見たままをリアリスチックに写したため、鬼面人を嚇すやうなところもない代りに、ややプロザイックである。このやうな題材は彼にとつては空想ではなく、おのが体験そのままで、云はば彼の可見世界の一部でもあつたのであらう。ポーやホフマンのやうに想像力で書いたロマンチックなものとは違つて、その目で見たままのヴィジョンを写実風に記したので、より一段と薄気味がわるく、骨髄に沁み入る鬼気があつて、あの世からの風が背筋に冷く感ぜられてくる。モーパッサンが狂気のことを信ぜざるを得ないほどの切実さで、それは描かれてあるため、精神病理学者には今でも何よりの貴重文献となつてゐる。モーパッサンのリアリテに肉薄する力が如何に破壊的で凄愴で、つひには彼を狂気にまで驅つたか、その次第がまざまざとここに解るだらう。「魂の分解」から意識の分裂までは、ほんの一丁場しかないのである。

(『「モーパッサン」序説』 小西茂也)

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モー(パッサンの)母、山賊や復讐の冒険譚を息子らに物語って聞かせる(フランソワ・タッサール)

2024年01月27日 | 瓶詰の古本

 ド・モーパッサン夫人(モーパッサンの母)は殆んど恐怖を知らないといつてよかつた。
 彼女は昔、大きな登山杖を手にして、単身伊太利の汎ゆる地方を歩き廻り、その最も僻遠な奥地の隅々にまで足を伸した。また彼女はシシリー両島の一部と、次いでコルシカ島をも探険したが、彼女は殊の外コルシカ島を愛してゐた。といふのは彼女は其地で、自分の気質に合致した独特の印象や、一種原始的な美しさを持つた、極度に野蛮な風景や、彼女の言葉によれば、「何処にもその例を見ないほど、見事に合体し、到底忘れ難いやうな美しい全体を形作つてゐる岩石と海を見出したからである。彼女に特有のあの熱情をこめた調子で、ド・モーパッサン夫人は、山賊や復讐の物語りをして聞かせない日はなかつた。彼女は息子のモーパッサン氏に向つて、自分の実見した事物を描写してみせるのであつたが、真に文学の心得ある人でなければ表現出来ないやうな言葉で語るのであつた。かうした物語をする時の彼女の表現は、全くかのフローベールの方法を想ひ起させるものがあつた。
 夜分主人が不在の折など、屡々彼女は私と小間使のマリーに、コルシカで過した二ヶ年間に彼女が目撃した幻想的な場景を話して聞かせた。彼女はときをり非常に烈しい調子で、このひどく異常な、屡々神秘に充ちた冒険を繰り返し語るので、私は背筋に戦慄が走るのを覚えるほどだつた。彼女はまた、山賊の所で昼食に出された、殊に密林中のベラコスキヤ洞窟で御馳走になつた、軟かい小鶫の肉ほど美味しいものを喰べたことはなかつたと打明けた。ド・モーパッサン夫人は附加へた。
「でもこれらの人たちは、いつも妾には非常に愛想よく振舞ひ、実に鄭重を極めてゐましたよ。」(つづく)

(『モーパッサンの思ひ出(Ⅲ)』 フランソア・タッサアル 大西忠雄譯)

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危急をうまくかわす機知のない人は、今にも落ちそうでハラハラして面白いというような橋を渡ってはいけない(ヘルテル)

2024年01月24日 | 瓶詰の古本

 ある町に牧人の妻が住んでゐました。この妻は警察署長とその息子とに愛の戯れをして楽しんでゐました。ある時丁度署長の息子と愛の戯れをしてゐたときに、警察署長が入つて来ました。彼女はこれを知つて、息子を納屋に入れて、今迄息子にした様に愛の戯れをしました。すると今度は彼女の夫がやつて来ました。彼女は夫に気付くと、落着き払つて警察署長に云ひました。
「怒つてここを出て行きなさい。」
 署長はその通りにしました。牧人は入つて来て、妻を見てかう云ひました。
「一体警察署長は此処で何をしやうとしたのかね。」
 妻は夫に答へました。
「あの人は息子さんのことを怒つてゐました―― 何故だか妾は知りませんが――そして息子さんを打つたのです。だから息子さんは私達の家に逃げて来ました。あなたに勇気があり、誇りもあるのを知つてゐますから、私が若者を助けて、納屋に入れておいたのです。父親が追つて来ても探し出すことは出来ません。署長は私共の家に来ました。あの人の姿を見て私は門を閉めました。署長は息子が隠れてゐるのをよく知つてゐましたが、貴方を怖れてゐましたので、中に入る勇気がありませんでした。だから馳つて、怒りの余り王様に訴へやうとしたのです。息子さんはここにゐます。」
 かうして彼女は夫に、納屋に入つてゐる若者を示しました、牧人は若者を見てそして――妻をほめました。

(「印度古譚集」 ヘルテル編 永井照徳譯)

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平凡になるために生きて来たと言いたかった人

2024年01月20日 | 瓶詰の古本

 平凡に生きて暮らしたいと言った人がいる。が、何度も住まいを変え、何人も相手を変え、多くの人と似た平凡な軌跡を描いたとも言われずに死んでしまった。その人のために涙を流すのは同居していた娘を除いては誰一人おらず、野辺送りは生活の資を担った娘(と許婚者)の手で執り行われた。
 本人だけの心意気では、フローベール流の"美に沿って進む乞食"であり、地上における辛苦は無意味なものであったろう。見方によっては、親子の縁を断ち家庭の幸福を捨て郷里を顧みずその時その時の情動に沿いそうなるようにしか生きない、まさしく平凡なまま生きた人だった。
 大地震に揺さぶられ、大空襲で焼け出され、ほとんど血族の助けを借り(られ)ず進駐軍営舎跡に不法占拠者が寄り集まり簇生したスラム長屋の一室、六畳一間で戦後数年間をやり過ごし、その一室で亡くなった。田舎に捨ててきた息子は今際の際に母親と会うことを望まなかった。葬儀万端終わってから遺影に線香を供えるため上京し長屋を訪ねた。四十余年の別離の歳月を越えて掛ける言葉があったとも思われない。親であれ子であれ一人ひとり、命ある一日一日が運命としか言いようのない時代を誰しもが生きていたのだから。
 生れた時にもらった名前は「せん」という。おせんさんは賑やかで晴れがましいことが大好きな女なので、近場にある百貨店へ愛娘と連れ立って繁々通うのがなによりの楽しみだったそうである。
 窓ガラスを通して六畳間へ西陽が射す二階建木造長屋は、壊されて今残っていない。

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「例解国語辞典」はしがき(時枝誠記)

2024年01月17日 | 瓶詰の古本

    は し が き

「私たちは、自分の国語即ち日本語を知らない」と云えば、奇妙に感じられる人も多いことと思うが、事実、私たちの周囲にあるもので、これを言葉にどう云い表わしたらよいか、文字にどう書き表わしたらよいかということに戸惑ったり、また、耳に聞いたり、目に読んだりした言葉が、どういう事物や事柄を云い表わしているのか理解できなかったりすることが、意外に多いのに驚くのである。辞典の必要なことは、古語や外国語についてばかりでなく、日常の身近な言葉についても、一層痛切に感じられることである。私たちに親しみ易い辞典を編もうということは、編輯員一同の日頃の念願であったのである。
 一語一語の理解のむずかしさは、それらの語が、時には二つ、甚だしい時には、五つ六つ、あるいはそれ以上の異なった事物や事柄を云い表わすことから来ることである。一つの語が、そのように、いろいろに使い分けられるようになったことには、それ相当の理由があることであって、もし、そのような点に思いをひそめるならば、そこには言葉に働きかける人間心理の秘密に触れることが出来て、おもしろい研究問題になるのであるが、それはそれとして、一語の意味というものは、ただそれだけを切り取って考えたのでは、正しい意味がわからない場合が多い。「しぜん」(自然)という語の意味がわかっても、「しぜんに泣き止む」という場合の意味はわからない。「かお」(顔)の意味で、「かおをつぶす」を理解すると、とんでもないことになってしまう。これは、語というものが。語の連結した慣用句の中に、その意味が生かされているためである。私たち編輯員は、そのような言葉の実際について、特に細心の注意を払い、努めて実例を採集することを心がけた。従って、この辞典は、いわば、国語の実例辞典ともいうべきものになったのである。
 必要の都度この辞典を活用していただきたいことは勿論であるが、事の暇々に、手当りにこの辞典を開いて読まれるならば、そこには、きっと、ほほえましいような、また時には、膝を打って快哉を叫びたくなるような言葉の使い方に行き当ることが多いに違いない。言葉が、何時の時代、また何処の誰の発明とも知られない、人間の智慧の所産であることに思い至るならば、それは私たち編輯員の、それこそ文字通り望外の幸いである。
 この辞典は、三木孝・松井栄一・板坂元・竹内輝芳、以上四氏の献身的な協力によって成ったものである。編者として、ここに芳名を記して感謝の意を表することを許していただきたい。

   昭和三十(一九五五)年秋        時 枝 誠 記

(「例解国語辞典」 時枝誠記編)

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坂口安吾「不連続殺人事件」は、三番目にやって来た文学作家が物した長篇探偵小説(江戸川乱歩)

2024年01月13日 | 瓶詰の古本

 昭和二十一年十一月、木々君と一緒に出席した「新小説」の文芸座談会で、坂口安吾君と初めて顔を合せ、この人が大の探偵小説愛好家であることを知つた。その会には評論家平野謙君も見え、この人も非常な探偵小説通なので、速記をやめてからの雑談は探偵小説で持ちきり、時ならぬ探偵小説座談会の観を呈した。
 その縁で土曜會に坂口君の出席を乞い、探偵小説について感想を話して貰つたのであるが、同君はヴアン・ダイン乃至甲賀三郎流の純本格論者で、自分も一度どうしても読者に犯人の当てられないような長篇探偵小説を書いて見たいということであつた。
 翌年探偵小説界に挑戦すると号して、「不連續殺人事件」を連載したが、これは本格探偵小説の本質を把握すること、探偵作家も及ばぬものがあり、諸人瞠目の出来栄えであつた。夏目漱石の「彼岸過迄」や芥川龍之介の怪奇作品などは正面から探偵小説を意図したものではなく、僅かに谷崎、佐藤両氏の作品に、はつきりとポーの系統の探偵小説を目ざしたものを見るのみであつて、文学作家の探偵小説として敬意を表すべきものは、厳密にはこの両氏の作品のほかには無かつたのであるが、こゝに三番目の作家坂口君を加えたわけである。しかもそれは長篇であり、明瞭に本格探偵小説を意図しながらも、全体の調子に型破りの所がある点、ブレイク、ポストゲイト、ワイルドなどに見る英米本格派の新傾向と一脈の通ずるものがあるのも興味深いことであつた。日本でも文学作家に探偵小説の執筆を勧め、新時代の谷崎、佐藤を、第二の坂口を探し求め、一篇でも多くの異色ある作品を加えるよう努力すべきだと思う。

(『坂口君の探偵小説』 江戸川亂歩)

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家族思いで酒好きだった蕪村(河東碧梧桐)

2024年01月10日 | 瓶詰の古本

 家事を放擲して顧みなかつた形跡よりも、却つて妻子の為めに情熱をこめた事実の方が著しい。彼は家庭の人でもあり、又た一人娘であつたせいもあるか、可なり子煩悩であるとさへ思はれる。其の書翰の中に、妻子に関するものが頻々とある。殊に、娘に関するものが最も多い。几董に宛てた書翰には「むすめ甚口こたへ致し異見最中にて使の見る前面目なき程の事に候、骨肉の愛情、扠々持まじきものは子とや申事尤に候」などある。娘を愛する余りのくり言である。娘を嫁入らせた時の事であらうが、琴の師匠を始め、祇園の舞妓など、三十五六人もの盛大な宴会を徹夜で催した事すらある。一旦嫁入らせた娘を、僅か半年の間に離縁した事実も判明してゐる。其他、芝居好きであつた彼は、大抵家人を伴うて南北戯場を出入した。宇治田原への茸狩には、家庭を引具して出掛けてゐる。芸術に高踏的であつた彼は、家庭では、子女の我儘と対抗する慈父であり、それらと苦楽を分つ家長であつた。
 さほどの大酒ではなかつたやうだが、酒席は好きのやうであつた。多少名を成した後はもう遊蕩に日を送るほどの年輩でもなかつた。当時の俳人の、多くしだらない生活ぶりに比べて、地味でもあり、謹厳でもあつた。が、百池の手紙には「例の蕪翁にそゝのかされて」小樓で豪快な遊びをした消息などが洩らされてゐる。暁臺の名古屋に報知した書中にも、月居、道立も共に、日々宴飲した大饗ぶりが伝へられてゐる。のみならず、應擧と会飲し、三本木の雪亭といふのを宿坊としてゐた様子もある。一度び詩の門を出れば、彼もたゞ道を行くの人、時の道づれの何人でもあるかに関らず、相携へ、相歓楽するを辞せなかつた。暁臺、士朗と共に飲んだ時の戯画には、「尾張名古屋はシロで持つ」など即席の地口をさへ筆にしてゐる。宮津に遺る「三俳僧圖」は其の文句を焼き潰さねばならないやうな皮肉を敢てしてゐる。彼には、さういふ人の悪さも、酒席をとりもつ頓智もあつた。固陋一偏の老人でなくて、環境と同化する融通方便の人でもあつた。

(『詩人蕪村』 河東碧梧桐)

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仮に変事や虚勢に乗った奇抜な行動を記者などがおだてて売り物にもしていたら、時代錯誤な扇動商法と嗤われるだろう(森田正馬)

2024年01月06日 | 瓶詰の古本

「狂へる一高生、鉄柱頂上に仁王立ち」といふ事が、之も亦最近新聞の三面記事に花を持たせた。間もなく朝日新聞の「今日の問題」といふ欄に、こんな事をいつてある。それは「敢然として高圧電線の間を攀ぢ、騒ぐ人間は可哀想だと喝破し、信仰の力を信じて平気な点は面白い 自分の信念を体験するの勇もない癖に、勝手な理窟を売るを業とする輩は、此狂生徒に恥ぢよ」とかいふ事である。
 記者の此言を観察すると、本人の一寸気取つた虚勢としか受取れない。所謂「先んずれば人を制す」で、先に「馬鹿野郎」と罵つた方が勝つかも知れぬ。然し乍ら斯の如きことは其記者本人が自ら「勝手な理窟を売るを業とする輩」といふものゝ戒とした方が良いかと思はれる。
 人々は或は彼の一言が難有いとか、或は群集の中で大喝した気合が面白いとか、人の一言一行を以て、其人を一上一下したいといふ癖がある。然るに彼の一高生の行為は、固より思慮でもなければ信仰でもない。突差の間に起る衝動行為で、盲目的である。勇気ではない。真の勇気は着実なる実行の内に存する。本人には自ら気が付かない。勇気を付けるやうに人をそゝのかして居ると、いつでも虚勢になつてしまふ。小児や群集をおだてるといふ事は良くない事である。特に記者などが之を売物にしてはならない。
 こんな狂者の行動は、それが奇抜であればある程、益々多くの変質者の模倣欲をそそり出すものである。

(「生の慾望」 森田正馬)

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日本新辭林「例言」(林甕臣)

2024年01月03日 | 瓶詰の古本

                           例言

一 本書は、和漢古今の語を蒐集し、これに平易なる解釈を施すを以て目的とす。 其の解釈の方法は、主として範を欧米辞書中の最も進歩したるものに取れり。
一 本書載する所、現時の通用語は、言ふに及ばず。古言俚言方言、及び外国由来の語に至るまで悉く蒐集して剰すなきを期したり。 且所々其の語の解釈のみならず又其の語原を説き、而して旧典故事に関する語は成るべく其の来歴を明らかにせんことを力めたり。
一 本書の主眼は、あらゆる古今の語を集むるにあるを以て語数、甚だ多く、ために大に紙数を増すの恐れあり。 よりて本書に於ては、或る語より出でたる語は、其の原語の下に之を拾収することゝなせり。 仮令ば「あいきやうげ」「あいきやうもち」の如きは「――げ」「――もち」と記し、「あいきやう」の下に収めたるが如し、然れども、これがため順序錯乱し、語言捜索上に不便を与ふる恐れあるところは、此の例によらざることゝなせり。
一 名詞より変じて動詞となれる語は、其の名詞の所に於て解釈を施し、単に其の下に動詞変化の仮名を附すのみに止めたり。 仮令ば「安置」の説明の下に「――す」と記し別に解釈を加へざるが如し。 又これとひとしく「たのしさ」「たのしき」「たのしく」の如き語は、其の原たる「たのし」の所に於て解釈し、単に其の下に其の変化の仮名のみを附することゝなせり。
一 解釈の後に往々〔〔同義〕〕の語を列記したるは、欧米辞書の体に倣ひたるものにして、其の解釈の不足を補ひ、又其の語と相類する語を知るに於て便益を与ふること尠なからざるべしと信ず。
一 巻首に検字の門を設けたるは、字音捜索の便に供せんがためなり。仮令ば「長」の字の音は「ちよう」なるか、「ちやう」なるか、将た「てう」なるか、初学者に於ては、豫め之を識らざるが故に前後所々を捜索し、ために無益の時間と労力とを費すこと多かるべし。 必竟検字の門は、これ等の憂ひなからしめんとする編者一片の老婆心なり。

   明治丁酉神嘗祭の吉旦       編 者 識 す

(「日本新辭林」五版 林甕臣)

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