美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

三大傑作小説

2012年11月28日 | 瓶詰の古本

   今までの人生で読み出したら止められなくなった小説。
   「孤島の鬼」
   「魔界転生」
   これらに「吾輩は猫である」を加えれば、自分にとっての日本近現代文学の三大傑作小説となる。いずれも天才の作物。

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豚には一切が豚だ(ニーチェ)

2012年11月25日 | 瓶詰の古本

『純な人には一切が純だ』―大衆は然う言ふ。私はしかし君等に言ふ、豚には一切が豚だ!と。
   さればこそ、熱狂者や、心臓までが垂れ下がつてゐる「頭脳うな垂れ党」は説法する、『世界そのものは穢い怪物だ』と。
   何となれば、これ等凡ての人はその心が不潔なのだ、殊にしかし、世界をその背後から見るのでないかぎり決して平和も安心も得られない徒輩(やから)が然うなのだ―あの後世界信者達が!
   これは変に聞こえるかもしれぬが、これを彼等の面前に言ふ、世界は、それが臀持ちである点で人間並だ―それだけは嘘ではない!
   世界には多くの汚穢がある。それだけは嘘ではない!しかし、さればといつて世界はなかなか以て穢い怪物ではないのだ!
   世界の多くのものが悪臭を放つてゐるところに智慧が潜んでゐる。嫌厭そのものが翼を作り泉を予知する力を作るのだ!
   最善のものにはやはり厭はしいものが喰つついてゐる。そして最善のものが超克さるべき或物なのだ!―
   おおわが兄弟、多くの汚穢が世界に存するところ、そこには多くの智慧が潜んでゐる!―

(「ツァラトゥストラー」 ニーチェ 登張竹風訳)

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均一本購入控

2012年11月23日 | 瓶詰の古本

   「最新中等西洋史」(中川一男 昭和18年)
   「日本捕虜志」(長谷川伸 昭和31年)
   「蘆溝橋事件」(寺平忠輔 昭和45年)

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意識の別状

2012年11月20日 | 瓶詰の古本

   そうなってから一年以上経つだろうか、本を読んでいて活字を目で追っているのだが、頭の中へはまったく別の文章が流れ込んで来るのである。恋愛小説であれ、歴史読物であれ何であれ、とにかく今現在目から取り込んでいるはずの文字の列とは縁もゆかりもない文章が、そこには書かれていない文章が、勝手にイメージをむくむくと膨れ上がらせて筋書きを頭の中で紡ぎ上げてしまうのである。そして、アレっと思わず我に還ってみれば、紡ぎ上がった筋書きはその都度跡形もなく溶け去っているのだ。溶け去ったという事実だけを遺して。
   これこそ、白日夢というものなのか。あるいは、同時同刻に別の書物を読んでいるもう一人の自分がいて、異域にあるべき意識がたまたま行き交って一つに重ね合わさってしまっているからなのか。以前にはそんな奇妙なことは起こるわけもなかったのに、何遍となく襲いくる実体感覚として受け止めざるを得ない明々白々感は一体何なのだろうか。強いてどちらかと言えば、自我の分裂という方がしっくり来るような重畳感・並列感はあるのだが、この歳まで未開のままであった感覚が突如起き上がったとして、さてどのような崩壊へ連れて行こうとしているのか拭うことのできない不安がある一方で、ひょっとして精神の未知なる異域へと導いてくれるかも知れないという根拠のない期待感がないこともない。

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均一本購入控

2012年11月17日 | 瓶詰の古本

   「小説奉天城」(鑓田研一 昭和17年)
   「広田弘毅」(服部龍二 平成20年)
   「ガロア」(加藤文元 平成22年)

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「餓島」の断章(橋本博)

2012年11月14日 | 瓶詰の古本

★‥‥‥ガダルカナル島は敵にとつて沈まざる航空母艦であつた。この島への上陸は、もはや敵前上陸などといふ生易しいものではなく、敵空母の舷側に縄梯子をかけてよぢ登るに等しかつた。
★‥‥‥上陸部隊への補給は深夜、それも月のない深夜、敵機の執拗な目をかすめて行はれた。◯◯参謀はこれを「鼠輸送」と名づけた。白昼堂々と艦船をこの島に横づけすることは、徒らに敵機に餌を与へることになるからだ。だが、海軍部隊の涙ぐましい協力によつて、兵力、弾薬、食糧が海上補給された。しかしそれも量的には極めて僅かである。決死で運ばれた弾薬、食糧が揚陸された直後、敵機の爆撃で炎上飛散することも屢々あつた。それが、泣いても泣き切れぬ口惜しさだ。
★‥‥‥人間一人がやつと通りぬけできる密林地帯である。それも鉈で木を伐り倒しながら道をつくつて進むのである。揚陸地点から第一線へのこの輸送の苦しさ。そこは戦争にはつきものの軍馬の嘶きが聴えない戦場であつた。軍馬の代りに鸚鵡を始め、名も知らぬ鳥が不気味な啼声を立てゝゐた。夜中に「ウォーンウォーン」とボーイングB一七そつくりの啼声で、将兵の眠りを覚ます鸚鵡もゐた。
★‥‥‥一日一合が米の定量となつた。時には一週間に一合のことさへあつた。揚陸地点で雨に打たれ、暑熱に蒸された米は、腐敗してぷーんと異臭を放つた。しかも兵隊はこの一粒の米を伏し拝んで食べた。この一粒の米を運ぶために、何人の戦友が水漬く屍、草むす屍となつたことであらうか。
★‥‥‥毒ならざるものは木の芽、草の葉、とかげ、たにしなど何でも食べた。こゝでは「草を噛む」といふ言葉が、もはや形容詞でも何でもなかつた。激しい飢餓が襲つて来た。ガダルカナル島を略して「ガ島」と呼んだが、「餓島」と呼ばうか、などと笑へない洒落をとばす兵隊もあつた。
★‥‥‥敵機の爆撃は熾烈、執拗を極めた。夜でも小癪にも赤や青の標識灯を翼に点じて、わが陣地の上を密林すれすれに低空で群れ飛んだ。そして盲滅法に大型爆弾を落す。『米の配給は少いが、空からの鉄の配給はなかなか豊富だね』と同じ兵隊が防空壕の中で皆を笑はせた。

(「時局情報・ガダルカナルへの合掌」 橋本博)

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古本累増の原理

2012年11月11日 | 瓶詰の古本

   買いそびれた古本、買い損じた古本の残影は、いつまでも心に悔いの針を刺す……(1)
   この針の痛みを免れるたった一つの方法は、迷ったら買ってしまうこと……(2)
   買ってしまった古本は、内容の如何にかかわらず捨てようとして捨てられない……(3)

∴  古本の石筍は其処彼処ところ構わず生長し、いつか蒲団の敷き場、足の踏み場を奪って行く。

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2012年11月08日 | 瓶詰の古本

   「ソビエト帝国の崩壊」(小室直樹 平成2年)
   「奇怪動物百科」(ジョン・アシュトン 高橋宣勝訳 平成17年)
   「李香蘭 私の半生」(山口淑子 藤原作弥 平成19年)

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神代の文字(戸上駒之助)

2012年11月06日 | 瓶詰の古本

   須佐能男尊の時代に於ては、西亜には、楔形文字が既に存在してゐたのであるから、我が国に西亜の言語と文字が尊の渡来に伴ふて渡来すべきは当然である。神傳によれば、檀君種族は同系の西亜種族である。故に上古にありては日韓の言語は今日に於けるよりも、遥かに近似せるものであつたらうと思はれる。乃ち所謂神統に使用せられた文字と言語がありしものと想像せざるを得ないのである。今日我が国に於ては、或学者は吾人祖先は天地と共に日本の地に発生したものであつて、日韓交通の開始によつて、我が国に初めて文字が入り来つたのであるから、其の以前の時代に我が国に文字がある筈はない。神世に燦然たる文化があつたといふのは後人の作り話であり、神代文字の如きは一笑に附すべきものであると曰ふ。然るに昔の学者は神代の文字を信じたるものゝやうである。今の学者がこれを認めぬのは面白きコントラストである
                   
神代の文字
   山崎篤利は其の著、古史徴に於て論じて曰く、
『神世の字は、梵字といふ字に似て、横行の字体なりしと聞ゆれば、読がたかりし故に、或は其の字未明と有りと云へるならむ。此等の書は、漢字の仮名を用ゆる世になりて神世の字の中に、まゝ漢字を借交へて記したる物になむ有りけむ。竪行に書くことあれど、横行を正とし、横行に右行と左行とあれども、右行を正とすと或人いへり。但し梵字に似たりと云ふを惡ふ人も有るべけれど、上に云へる如く、梵字の体すなはち神髄なる道に符へれば、然しも惡ふべきことにあらずかし。聖徳太子始以漢字附神代之字傍と有るなど、上古に文字なしと云はれしは廣成宿禰の誤なり云々』
   これによるも、神代文字には右行あり、左行あり、又縦に読む字もあつたのである。聖徳太子時代にはサンスクリツトも渡来したであらう。西亜にては、アルフアベツトの発明となりて以来、楔形文字は頓に廃滅に帰して、アルフアベツトの時代となつた。西域方面と我が国の交通は長年月に亘りて行はれたものと見なければならぬ。故にアルフアベツトの渡来するのは怪しむに足らない。従つて左行あり、右行あり、種々の型あるべきは異とするに足らない。右行のアルフアベツトにして梵字に似たるものと云へば、我々はヘブリウの文字を想起せざるを得ないのである。大陸渡来のアルフアベツトには種々の型がなければならない。

(「日本の民族」 戸上駒之助)

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2012年11月03日 | 瓶詰の古本

   「古風庵回顧録」(若槻禮次郎 昭和25年)
   「日本の謀略」(楳本捨三 昭和55年)
   「侍従長の遺言」(徳川義寛 平成9年)

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