さてまた楊貴妃と申しますお方は、元仙女であつたとも言われますがいかがなものでしよう。玄宗皇帝御即位の後、もつぱら外夷を征しまして、塞外に軍勢をつかわし巴に吐蕾、突厭、奚契舟等を平定し、ひいて勃海、遼東、高句麗、倭國、扶桑を手に入れようとの遠謀ありますのを、これら何れの国かの神霊、かりに仙女と化して帝の佛農場玄淡の女となり、さらに、長安の禁内に入りまして宮女となり、貴妃と呼ばれ愛寵を得て帝の心を蕩(とろ)かし、武備を怠らして異域を征めるをとめたと申すことでございます。従つて玄宗帝の威令ようやく落ち、安禄山の変にあつて四川へ逃避の途中、馬關驛と言うところで全く化身のつとめをおわり、容姿解け去つて神霊は遠くはれにか還(かえ)り終つたのであります。また玄宗帝が蜀り京都に還幸したまいてより、蜀の臨印縣より道士楊通幽と申す者が参り、貴妃の霊をもとめようと神仙の住む蓬壹にまたがり、太眞院に貴妃の霊をもとめ証拠の品々として、あおかいの香箱や、黄金のかんざしなどを獲(え)て帰つたとも申します。何れにしてもまことに神秘なことでございまして、ここで筆を止(とど)めることに致します。
(「艶説楊貴妃」 水上凌三訳)