彼は此の現実の世界、此の物質的世界は、啻に最善なる世界に非るのみならず、最善の世界とは正反対のものであること、(此の考はホルラーに於て見事に発表されて居る)、及び此の世界は理性と愛の要求を満足させない事を認めて居る。彼は或る他の世界がある。少くも此の如き他の世界に対する要求が、人間の魂にあると云ふことを認めている。
彼は此の物質界の不道理、醜悪に苦めるのみならず、又その愛のないこと及び不統一に苦しんで居る。迷へる人間が寂莫に堪へずして、絶望の叫声をあげて居る有様が、彼の最も精巧なる短話、ソリチチユードに最もよく表はされて居る。
最もモウパッサンを苦しめて居るものは人間の痛ましき寂寞の状態、精神的寂寞の状態である。此の事は彼は繰返し繰返し描いて居る。彼を苦しめて居るのは人間とその同類の間を隔つる垣である、此の垣はその人々が肉体的に近き関係があればある程尚痛ましく感ずるのである。
然らば彼を苦めるもの、此の垣を破るものは何か、此の寂寞を消滅せしむるものは何か、愛である、婦人の愛ではない、彼が嫌悪した、婦人のではない、併し純潔なる、精神的なる、神聖なる愛である。
モウパッサンの求むるものはこれである。彼が自分を囲める桎梏の間にありて痛ましくも努力して居る所のものは、昔明かに人間に示された此の生命の救である。
彼は彼の求むる者に未だ名称を与へる事が出来ない、多分彼に取て聖の聖なるものを穢すことを好まないから、自分の唇を以つて名命することを望まないであらう。併し彼の云ひ表はされない憧憬はその寂寞の恐怖に示されて居るが極めて真摯なるもので単に唇を以て説かるゝ、多くの説教より、強く人を動かし人を引きつける力がある。
モウパッサンの生涯の悲劇は、最も奇怪なる不道徳的社会にありて、彼の天才力に依り、彼の内部に宿りし異常なる光によつて、その社会から脱出せんと煩悶し、殆ど救済を得るに近く、已に自由の空気を呼吸して居たことである。併し彼の最後の力を此の努力に費し、更に一段の努力を為すことが出来ないので、彼は自由を得ずして倒れたことである。
(『モウパツサン論』 トルストイ原著 葛西又次郎述)