美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

回心現象と群衆力(エームス)

2019年02月17日 | 瓶詰の古本

 説教、讃美歌、祈祷の外に有力なる要素は群衆力である。会衆全体はかゝる宗教会合に普通見られる多数が賛成する或る一念に注意を注ぐ。演壇から告げる勧誘は感情の波動や抑制された応答となつて群衆一般に強く及び、其の影響射出作用は普通意識しないが、点頭、無言、沈黙、微笑を洩らす嘉納、口籠る合言葉、アーメン、ハレルヤの叫言となる。注意力の牽強、呼吸の減少、凶兆の沈黙は真に偉力のあるものである。かくまでにして起つた周囲の圧迫に抗ふものはあまりない。大抵の人は独立心を減じ其場の感情と行為に征服されて了ふ。これが極端になり脇側に靠れたり、通路に立つて居る聴衆には暗示力や表情的の(デモンストラテーブ)応答が最も甚しい。種々なる種類程度の自発運動は甚しく妨げられ、暗示に抗ふ力が酷く薄らぐ。『仏国の旧式劇場に於いて立見客は腰掛客に比して行動が感情的であつたが、立見客にも腰掛を備へることにしたら、彼等の行動が沈静になつたと云はれて居る。』(イー・ロス「社会心理學」四四頁)。
 一個の伝道者に支配されて居る多数の人々の興奮せる感情は、遂に反対無頓着なる人々にも及ぶやうになる。ダベンボート氏は此種の二例を挙げて居る。一は天幕伝道を見て居た青年である。『その青年は宗教経験の味を知らず、又味ふとも望んで居なかつた。群衆は非常な宗教熱に浮かれて居て反応現象は明に起つて居た。其時突然この青年は両手を胸に当てゝ声の限りにハレルヤと叫んで居たのを見出した。』今一つの例は『末席に居た煙草を培養する一老人は以前に一度も説教を聴いた事はなかつたが、此の時は筋ばつた顔に非常な感情が漲つて、涙は皺のよつた頬を流れて居た』とは更に顕著なものではないか。(ダベンポート「信仰復興の原始的特性」二二六頁)。
 群衆の力は説教者が起した狭い輝く想念界に注意を引かせ、情の圧迫を廓大にし、遂に智の作用を妨げるやうになる。立派に発達した作用を調子外れにして、未成な、通俗な、下等な心智の程度を自由に運用させるのである。ダベンポート氏はこの原始的特性が信仰振興に顕れ、高等な心智文明に属する特性を廃黜する所以を示し、信仰復興会は米国印度人の『幽霊踊(ゴーストダンス)』や黒人の『霊験会(エツキスピリヤンス・ミーテング)』と同様であるとして居る。

(「宗教心理學」 エームス著 高谷實太郎譯)

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