美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

「国語」・「漢和」一本化辞典(中山泰昌)

2024年04月10日 | 瓶詰の古本

「国語辞典」と「漢字典」の一本化について
                    中山泰昌(署名)
 われわれが自分の国の言葉を知る為に、「国語辞典」と「漢字典」の二冊を併用しなければならぬということは、何という不便、不都合なことであろう。しかもその「漢字典」に至っては、「部首別」という非科学的な排列に妨げられて、入口のドアが容易に見つからず、相当文字の知識を有するものでも、時には二重三重の手間をかけねば索出ができぬという、極めて非能率的な、厄介千万のものである。先年私は、幸田露伴先生監修の下に、「漢和新辞典」の一小著を公にしたことがあるが、漢字典をつくる以上は、まずこれらの欠点、不便を排除しなければならぬと思って、いろいろの工夫を加えて見た。が、いかに苦労して見ても、旧来の「部首別」を踏襲する限りは、到底五十歩百歩で非近代的であることに少しも変りは無い。そこで私の到達した考えは、
 第一 漢字も純然たる国語である以上、これを一つの国語として扱えば、誰にもたやすく索出せられるはずである。現に漢字典を引く者の多くは、「部首別」の面倒さを避けて付録の「国訓索引」に頼っているではないか。この索引こそは国語式排列であるから誰にも引きよいのである。
 第二 更に他の面から考えて、自国語を知る為に、「漢和」と「国語」の二冊の字引を併用するということは愚策も甚だしい。これは当然単一化、一本化としなければならぬ。
しかも漢字を国語として扱えば、両者は手軽に渾然融合せしめられるではないか。=従来も国語辞典中に多少の漢字を織り込んだものはあったが、それは「漢字典」としての全用を充たし得るものではなかった。(国語の存する限り、その基本たる漢字の本義を知るべき漢字典を廃止することの出来ぬことは言うまでもあるまい。)
 以上の見地を以て、私は「国語・漢和単一化辞典」の意匠を考案し、昭和二年特許局に出願したのであったが(登録出願第四五八八・四五八九号)、私はその前後から「日本文学大系」「近代日本文学大系」「国歌大系」等七十八巻の編集・校正並に索引の作製、及び「新聞集成明治編年史」十五巻の編著等に没頭して十数年を費し、つづいて事変、戦争、敗戦という窮屈な世情に妨げられた為に、上記の私案も三十年近く塩づけのままで今日に至ったのである。
 ところが終戦後、当用漢字の制定と共に「新字体」が出現して、旧来の「部首別による漢字典」は全然その用を為さなくなってしまった。たといこの際文部省で「新部首」を制定したところで、一般がそれになじむに至るのは容易なことでないし、又新字体を旧来のままの各部首に重出配属せしめたところで、旧部首の不便さを寸毫も減ずることにはならない。とすれば私の二十数年前に考案出願したものが、たまたまこの場合、あつらえ向きに役立つのではないかという信念が強まって来たので、この「国語」「漢和」一本化の辞典編纂を試みた次第である。
 ただ両者を併合しての一千頁程度で、その中に四千字以上の漢字を包含しているのであるから、それだけ国語の分量は減ぜられたわけであるが、由来字引の本質は、あらゆる言葉の記録文献ではなくて、自分の知らぬものを求めるのが本来の目的であるから、漢字も制限せられればせられるほど、制限外の漢字を求むべき字引が必要となって来るのと相対して、誰もが知りきっている国語をかき集めて語数の豊富をほこる必要は無いと思う。私はこの主意の下に国語の面では字書に頼らないでも済むようなものは相当カットすると同時に、外来語、新語、新聞用語等は出来る限り多く取り入れることに努め、殊に最近の新語には百科辞典式の注解を加えて、校正中にもしばしば版面を組みかえて収容することにした。これらの為に刊行の遅延とあわせて、出版者の迷惑と失費は少なからぬものがあったが、光文書院主長谷川氏が、これを快く受け入れてくれられたのは感謝にたえぬところである。
 なお、塩谷、久松両先生が監修の責任を以て校閲の労を賜わったことに対し深謝の念をささげるものである。

(「国語漢・英総合新辞典」 中山泰昌)

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