美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

強さの分からぬ相手に立ち向かうのは、よほど心しなければならない(加賀淳子)

2022年09月28日 | 瓶詰の古本

 文禄のころだから、豊太閤が朝鮮に兵を出した当時のこと。京の七本松で勧進相撲が行われた。もちろん勧進元には立石、荒波、黒雲などと呼ぶ一流の本職が顔をそろえている。
 寄せ手は日本国中から集まって来たが、一人残らず負けてしまった。
「もう誰も勝負をいどむ者はおらんかっ」と行司がわめいていると、やがて一人の尼さんがあらわれた。二十歳ばかりの顔立ちの美しい女で、熊野辺の者だという。行司はあっけに取られて、
「女なら童と相撲でもやんなされ」
 と答えると、尼は笑って、
「取るなら上相撲をだしなされ」
 と言う。見物はワイワイはやし立てる。
 尼は衣を脱ぐと下にかるさんを着ている。しかたなく横綱格の立石が土俵へあがって、大手をひろげてかまえるところへ、尼はツと進むかと見ると、立石を仰向けに突き倒した。
「油断したっ」と立石が尼の右手をつかんで二、三回ふりまわしたところ、尼は立石の後足を取って土俵の上にはわせた。次には出る者出る者、尼にしてやられ、相手がかわるたびに尼のワザは次第に電光石火のように速くなり、しまいには相手が倒れるのだけが見えたという。「嬉遊笑覧」という本にある。

(「歴史の謎」 加賀淳子)

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神怪不可思議に惹かれるのは人本然の心、神秘怪異を演出してそれに付け込むのは踏錯の心(宮武外骨)

2022年09月25日 | 瓶詰の古本

密閉した箱の中に入れてある物を透視して言ひあてる千里眼の女、御船千鶴子といふが熊本に現はれたと、明治四十三年の四月頃、大評判になり、学者博士連がそれに釣られて実地試験に出かけたが、其試験の結果が良かつたとか、イヤ疑はしいとか云つて居る中に、又讃岐丸亀の長尾郁子といふ婦人は、透視ばかりでなく、念ふ文字や絵を写真の種板に念射するといふ不思議の能力を有して居るとの事で是亦学者博士連が実地試験に出かけるといふ騒ぎであつたが、千里眼は無論、念写といふも、化学作用を起さずに写真が撮れる理由がない、それは詐欺なり、精神病者なり、狐憑きなりと非難する者があつて、彼是論議反駁して居る中に、翌年一月御船千鶴子は自殺し、其後長尾郁子も病死したので自然沙汰止みになつて了つた。
其後又大正六年に陸中気仙町の三田光一といふ手品師が東京に現はれ、文学博士福来友吉といふ先生を籠絡しておサキに使ひ、彼方此方で念写の興行をやつてボロを出し、終には自分の頭部を自分で打つて暗撃にあつたと吹聴したなどの狂言があつたまゝ、其後は所謂杳として消息が無い

(「縮刷奇態流行史」 宮武外骨)

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とめどない哀惜敬慕の情で送られる類稀な作家は本が大好きな読書家であり、おびただしい数の書物蒐集家でもあった(中山省三郎)

2022年09月21日 | 瓶詰の古本

 ドストイェフスキイの訃音は露西亜全国にひろまつた。政府は遺族に年金を与へると発表した。
 ペテルブルグに遺骸が運ばれた。埋葬の場所の話がもちあがつた。アンナは今は亡きネクラソフの葬儀の日を思ひ出した。そのとき、ドストイェフスキイは追悼演説をして、悄然と家へ帰つてきて、妻に向かつてかう言つた。
「おつつけわしも死ぬだらう。さうしたら、ネクラソフと同じ墓所へ埋めてくれ。わしはネクラソフの傍で永久の眠りをしない。ネクラソフはいつもわしのことを気にかけてくれた人だ。シベリヤにゐる時でさへ、いつも忘れないでゐてくれた。わしはあのウォルコフの、いつもおれを憎んでゐた小説家たちの傍に眠りたくはない。」
 その時、アンナはそんなことはないといひ、ネクラソフの墓のあるノーウヲ・デヰーチィ寺院のあたりは陰気なところだから、ネフスキイ寺院に葬つてあげるといつた。
 が、ふつとみぎことを思ひ出して、弟をノーウヲ・デヰーチィ寺院へ遣はして、なるべくネクラソフの墓に近いところを買つてきてくれといつた。しかし、寺院の院長はこの作家を認めぬといひ、すげなく斥けた。その日の夕方、ネフスキイ寺院から使ひがきて、是非ともこちらで式を営み、構内の墓地に葬らしてくれとのことであつた。アンナはあの時のことを思ひ出した。次の日、ネフスキイ寺院に葬ることとなつた。既に崇拝者の群はひきもきらず泣きながらドストイェフスキイの冷たい手に接吻して行つた。
 葬儀の日は、家の前の通りは朝のうちからむらがる人の波が揺れてゐた。寺院はかなりに遠かつた。遺骸が馬車に乗せられて、後から長い列がつづいて行つた。柩は教会堂の中央に据ゑられて一夜を送り、多くの学生たちが通夜をした。
 明くれば二月一日、夜明けから群衆が押し寄せ、遂には寺院の門を閉さなければならなくなつた。最後の祈祷が行はれた。弔辞は何時間も何時間も続いた。
 ここに偉大なる作家は永劫に葬られた。思へば苦闘に充ちた類ひ稀れな生涯であつた。

(「ドストイェフスキイ」 中山省三郎)

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本が大好きだった息子の蒐めた本は息子そのもの、この世に掛け替えのないもの(ドストエフスキー)

2022年09月18日 | 瓶詰の古本

 葬式はアンナ・フョードロヴナが自分で指図をした。ごくごく粗末な棺が買われ、荷馬車が雇われた。諸がかりの埋め合わせに、アンナ・フョードロヴナは故人の書物と道具を全部おさえてしまった。老人は彼女にくってかかって大騒ぎをしたあげく、できるだけの書物を取りもどして、ポケットというポケットに押しこみ、帽子の中にまで入れて、三日間というもの、持って行けるところならどこへでもそれを持ち歩いた。教会へ行かなければならなくなったときでさえ、それを手離そうとしなかった。この三日間、彼はまるで腑抜けのようにぼけてしまって、なにかしら妙に気がかりらしい様子で、しじゅう棺のまわりを忙しそうに動きまわっていた。そして、故人の上に載せてある花環を直したり、蠟燭を取り替えて新しくともしたりするのであった。見たところ、何ごとにも考えをちゃんと固定させることができなかったらしい。母もアンナ・フョードロヴナも、教会の葬式に列することができなかった。母は病気だったし、アンナ・フョードロヴナはすっかり支度ができてしまったのに、ポクローフスキイ老人と喧嘩をして、行くのをやめてしまった。で、結局、わたしと老人だけになってしまった。式のあいだにわたしは一種の恐怖、――未来の予感とでもいうようなものに襲われた。わたしは式の終わりまで立ちとおすのが、やっとの思いであった。ついに棺に蓋がされ、釘が打たれ、荷馬車に載せて運び出された。わたしは通りのはずれまで見送ったばかりであった。馬車は跑(だく)で走りだした。老人はそのあとから走りながら、大きな声で泣き立てた。その泣き声は駈けだす歩調とともに慄えて、ちぎれちぎれに聞こえるのであった。哀れな老人は帽子を落としたが、立ちどまってそれを拾おうともしなかった。頭は雨で濡れしょぼけていた。風が吹きおこった。氷雨(ひさめ)が彼の顔を鞭打ち、針のように刺すのであった。が、老人はそうした天候にも気づかないらしく、泣き声をあげて、柩車の反対側に駈け移ったり、またもとの側に走りもどったりした。古ぼけたフロックの裾が、翼のように風にひるがえった。ポケットというポケットからは、本が顔をのぞけていた。手の中には、なにか大判の本を持っていたが、彼はそれをひしとばかり抱きしめるのであった。通行の人は帽子をとって、十字を切った。中には足を停めて、哀れな老人のさまを呆れ顔に見つめるものもあった。書物はのべつ、彼のポケットから、ぬかるみの上に落ちた。人が呼びとめて、その落としものを教えてくれると、彼は拾い上げて、またもや棺のあとを追いかけるのであった。通りの角のところで、一人の年とった女乞食が棺の供に立ち、彼の道づれになった。ついに、荷馬車は町角をまがって、わたしの目から姿を消してしまった。

(「貧しき人々」 ドストエーフスキイ 米川正夫訳)

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自身の内に伝説の英雄を喚起させ、遂には独裁者を顕現させることまである神怪不可思議の楽劇(ワーグナー)

2022年09月14日 | 瓶詰の古本

   ロオエングリン(爽朗透徹の心持で粛として前方を見やりつゝ)

皆様がたの行く事出来ない遠い国に
モンサルヷアトと云ふ城があります、
明るい塔がその真中にそびえ立つて、
それは地上に知られない程の尊いものであります。
そこに霊験あらたかな盃が一つありまして、
そこの最貴の宝物として保存されてあります。
それは人間の最も純潔なものによつて護られて行く様に、
一群の天使が齎したものであつて、
その霊験の力をば毎年新たに強める為め、
毎年天より一羽の鳩が降りて来る事になつてゐます。
その皿はグラアルといふ名で、純潔無垢な信仰には
グラアル守護の騎士の力を分たれます。
選ばれてグラアルに仕へる者には、
超自然の力が授けられます。
さういふ騎士には如何なる悪党の悪計も害を加ふる事が出来ず、
一度グラアルを見た者には死といふ夜はない事になります。
グラアルによつて遠い国に遣はされ、
善い行ひの権利の為めの騎士たるべく命ぜられた者にも、
その身分を知られないでゐる限りは、
聖グラアルの神力は消えるものではありません。
それ程グラアルの祝福は崇高偉大なものであります。
若しもあらはになる時は、――其騎士は俗人の眼より逃れなければなりません、
それ故皆さんは其騎士を疑はないがいゝのです、
皆さんが騎士の身分を知るとなれば、騎士は皆さんを捨てゝ行かねばなりません――。
さて今私が爰に禁制の問に答へるのをお聞きなさい、
私は即ち其為めにグラアルに遣されて皆さんの許(もと)に来たのである、
私の父パルツィファルはグラアル奉仕の騎士の王で、
その騎士たる私は、――ロオエングリンと云ふ名であります。

(『ロオエングリン』 ワグネル 中嶋清譯)

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古往今来、幅を利かせる人々が糾なう栄枯盛衰(杉山茂丸)

2022年09月11日 | 瓶詰の古本

 今より二千五六百年斗り前に、支那に賈誼(かぎ)と云ふ人があつたが、天性(てんせい)の秀才(しうさい)で、年歯(し)二十位の時、漢(かん)の文帝(ぶんてい)に信じられて博士(はかせ)となつて、万事に巾(はゞ)を利(き)かせて居たが、後讒言(ざんげん)に遭(あ)ふて、支那第一の不健康地である、長沙(ちやうさ)と云ふ所に譴謫(おいや)られた、其道中で湘水(しやうすゐ)と云ふ河を渡る時楚国(そこく)の忠臣で、屈原(くつげん)と云ふ人が汨羅(べきら)と云ふ河に身を投げて、忠節に死んだ事を思ひ出し、詩(し)を賦(ぶ)して河に流し、屈原を弔(とむら)ふた、其辞の中に曰く「鸞鳳(よきとり)は伏し竄(かく)れて鴟梟(ふくろう)のやうな劣等(れつとう)の鳥斗(とりばか)りが、世の中に翺翔(かけ)まはつて居る、闒茸(いやしきばか)ものは尊顕(よにもちい)られて、讒諛(おべつか)もの斗りが思ふ存分に巾(はゞ)を利(き)かせて居る…………此の世の中では伯夷(はくゐ)のやうな、清廉人(よくのないひと)を貪慾(よくばり)と云ひ、盗跖(とうせき)のやうな大泥坊(おほどろぼう)を、潔白(けつぱく)な人じやと謂ふて居る、莫邪(ばくじや)の名剣(めいけん)でも、切れぬと云ふて、鉛刀(なまりのかたな)の方が切(き)れると云ひ触らす、嚜々(うわうわ)として、周鼎(てんしのたから)を斡棄(すて)て、空瓠(からのひようたん)などを宝物としてゐる…………元々章甫冠(たつといかんむり)を履(くつ)に薦(はい)て居るやうな役人斗りであるから、天下が長持(ながも)てする筈がない…………大夫(あなた)が死んで年華悠々(としはすぎまし)た、汨水(べきすゐ)も亦滔々(さつさと)ながれます、生(わたくし)今湘水(このかは)に臨(のぞ)んで、大夫(あなた)を弔(とむらい)ます、どうして豈戚々(むかしといま)の情(おもひ)に堪(たへ)ませうや」と云ふやうなことを書いて、河水に流した、此賈誼(かぎ)の詩を世の中の人が唱(うた)ふて来てから、段々慷慨悲憤(こうがいひふん)の士が出て来た、所謂後汨羅(こうべきら)の詩と云ふが是である、

(『百魔(第百六回)』 其日庵稿)

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夜寒に鼈龜の騒ぎよう(佐藤紅綠)

2022年09月07日 | 瓶詰の古本

  起きて居てもう寝たといふ夜寒哉

我曾て山海里といふ随筆を見る、中にいへるあり。
某市に鼈龜(すつぽん)を鬻げるものあり、夜は更けたりとにはあらねど、夜寒の街の人稀に、商とてもはかばかしからねば、店を下し、戸を閉して、漸く寝まらんとせり、偶々表に音なふものあり、「まる」はなきかと、この声にや驚きけん、籠の中なる鼈龜は騒然として、上を下へと打ち噪ぐめり、恰かも各自命ほしさに身を逃れんと焦るに似たり、さばれ、かゝる夜寒に、龜の一二枚を売らんとて、温き衾を出るに忍びず、今日は皆無になりぬ、明日未明にこそ送りまゐらさめと侘ぶれば、噪がしかりし鼈龜は、はたと静まりて再(また)騒がずなりぬ、漸く命拾らひたらん思ひなるべし。
と、我之れを読みて、この句を味ふるに、夜寒の感、身に入むの思ひあり。

(「蕪村俳句評釋」 佐藤紅綠)

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ただ不反省の確信というよりほかには、何の理論も証明もない(森田正馬)

2022年09月04日 | 瓶詰の古本

 以上説明した処により、実際的には略ぼ神憑の迷信たる事を知るべきであるが、更に人格変換や催眠術の心理に至つては、意識とか観念とかいふものの性質から、之に関する諸家の説を挙げ、混み入りたる説明を要する事であるけれども、之は単に説明の方法や、臆説に止まるのであつて、実際には説明よりも事実である。事実は最も大なる雄弁である。多くの関係ある事実を深く広く観察し比較対照して研究する事が最も必要である。迷信者は常に只一現象のみを見て何の穿鑿もなく、之を盲信する事、恰も暗夜に蛍を見て、之を我行く道と思ひ、泥沼の中にはまる様なものである。そして一度落ち込むと中々出られるものではない。
 扠翻つて更に人々の最も不思議と思はざるべからざる事は、此の極めて卑近不合理なる変態を見て、而も相当の教育あるものが之を迷信し惑溺する所以である。此説明は単一なる人格変換などよりも、更に複雑なる説明を要する事で、ルボンの群衆心理など参考すべきものであるが、余が『變態心理』誌上に迷信の内因及外因に就いて述べた処により其大体は分る事と思ふ。つまり迷信者は催眠術にかかつたやうなもので、全く不反省なる迷信若くは妄想の絶対的確信に対して其気合にかかり、暗示を受けたものである。(變態心理第参巻第壱號より五號まで参照)
 神憑の各迷信者及び妄想者は、互に我独り最上の神であつて、日本の政治を切替るとか、世界を統一するとかいつて居る。只不反省の確信といふより外には、何の理論も証明もない。之を正信の眼から見れば、皆一様に狐憑の類である。巧く愚昧の人心に投じたものが世の中に流行するのである。
 尚終りに臨んで一言する。神憑乃至狐憑に於ける神乃至狐霊の存在を肯定する事は、固より哲学的寧ろ詭弁的論理で出来ぬ事はない。之には先づ自我意識といふ事を説明する必要があるけれども略して、今例へば自分が鏡に向ふ時、其映像が我か、将た身体其物が我かといへば、孰れともいふ事は出来る。即ち認識は意識より外にはないからである。併し乍ら其映像を我といふ時、即ち神乃至狐霊の外界に存在すといふ時、それは科学的実際ではない。いはば古い唯心論的詭弁的仮想である。

(『神憑の現象に就いて』 森田正馬)

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