美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

一部の為政者や法律家がいかがわしいと見られているのは自己責任であることに御当人らは気づいていないのだろうか

2020年11月24日 | 瓶詰の古本

いかがわしいイカガハシイ(形)①疑わしい。どうかと思われる。信用ができない。「――品質〔男〕」②道徳上・風紀上よろしくない、あやしい。「――女」「――風体の男」「――写真を売る」
(「例解国語辞典」)

 

いかがわしい○∧如何わしい](形)①あやしい。②よくない。◎いかがわしい場所(ば-しょ)。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

いかがわしい ①あやしい。うたがわしい。信用できない。②よろしくない[用例]いかがわしい本が出まわる。
(「プリンス国語辞典」)

 

いかがわし・い5【《如何》わしい】(イカガハシイ)(形)①疑わしい。②よろしくない。③すじょうが明らかでない。 〔文〕いかがはし4(形シク)
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

いかがわし・い5:5イカガハシイ(形)①そのまま信用していいものかどうか、うたがわしい。②おおっぴらに認めることが出来ない内容だ。「――〔=怪しげな〕風体の男・――〔=風紀上よくない〕場所・――〔=わいせつな〕写真」――さ4 ――げ560 [表記]普通、「《如何》わしい」と書く。
(「新明解国語辞典」)

 

いかがわし・い何わしい】〈形〉①うたがわしい。信用できない。「――・い品物」②道徳上よくない。あやしげだ。「――・い場所に近寄らぬよう」
(「学習百科大事典[アカデミア]国語辞典」)

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困窮層が厚くなればなるほど

2020年11月11日 | 瓶詰の古本

困窮層が厚くなればなるほど低賃金で働かざるを得ない(低賃金で働く人間が次々と代替供給される)仕掛けがより円滑に廻るようになるというのは、即刻往来の溝へ棄てられるべき邪説に違いない

こんきゅう【困窮】(体)①貧乏で生活に困ること。貧困に苦しむこと。「子供が多いので――している」「――者」②どうしてよいかわからず物事の処置に困ること。「対策に――する
(「例解国語辞典」)

 

こんきゅう窮】(名・動サ)ひどくびんぼうで、くらしにこまること。◎ひどい困窮の生活(せい-かつ)。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

こんきゅう〔困窮〕 びんぼうで生活に困ること。[用例]困窮者をすくう。
(「プリンス国語辞典」)

 

こん きゅう0【困窮】(名・自サ)①こまり苦しむこと。②貧乏で苦しむこと。
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

こん きゅう0【困窮】-する(自サ)〔衣食住を支える上で〕必要とされる諸条件が満たされず、毎日を過ごすにも困ること。「住宅――を訴える/生活――」
(「新明解国語辞典」)

 

こんきゅう【困窮】〈名・する自サ変〉①ひどくくるしむこと。②生活にこまること。びんぼうにくるしむこと。
(「学習百科大事典[アカデミア]国語辞典」)

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議論されるのはまずいから議論の場自体を威圧し廃してしまおうとする小細工は我々衆愚ならではに許された浅知恵であって、苟も歴とした為政者のすることではない(左丘明・島田鈞一)

2020年11月03日 | 瓶詰の古本

 鄭国の人が郷の学校に学んでゐて、執政の得失を議論したことがあつた。然明といふ役人が之を子産に告げ「郷校を廃してはどうでせうか」といつた。子産は「その必要はありません。そもそも人が朝夕(昔は役人は朝夕二回出勤した)の勤めを終つてから此の学校に学んで、時に執政の得失を議論するやうなことがあれば、其の善しとする所は之を行ひ、その悪しとする所は之を改めませう。これは私のためにはよい教訓であります。どうして此の学校を廃する事がありませうか。私は忠信で善良なれば人より怨まれることがないやうになると聞いてをります。郷校を廃したりして上の権威を示して怨みを防ぐことができるとは聞いてをりません。威圧して之を禁止すれば、畏懼して議することを止めないことはありません。然し丁度川を防ぐやうなものです。水が大いにその堤を切つたときに、その及す損害は、人を傷けることが大きいでせう。さうなつてから私は救ふことができません。僅かばかり堤が切れたときに其の水を通ずる方がまさつてゐます。故に人の議論を聞いたならば之を自分の薬石と考へて注意した方がよいと思ひます」とこたへた。然明は感心して「私は、今はじめて貴下の信に倚頼すべき御方であることを知りました。私は実に不才のものでした。もし本当に此のやうなことを行はれましたなら、鄭の国は実にその恵みを受けるでありませう。どうしてたゞ私共二三の臣ばかりに止まりませうか」といつた。

(「春秋左氏伝新講」 島田鈞一著)

 

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