美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

雅量に乏しいと疎まれていて実は人見知り激しい極端な照れ屋に過ぎないという人はいくらでもいるが、綠雨のように文学者となることはない(幸徳秋水)

2024年04月13日 | 瓶詰の古本

○芸術の立場から綠雨の作物を批判するのは、専門の諸君が沢山ある。門外漢たる僕は只だ我が親友なりし綠雨其人の平生に就て一つ二つ話して見よう。
○綠雨といへば、ヒドく片意地な、僻んだヒネくれた交際(つきあ)い悪い人であつたかのやうに世間では噂さした。が僕はソンナには思はなかつた。僕が彼と親しくしたのは三十一年頃からで、其以前の綠雨は知らぬが、其後の彼れは死に至るまで爾汝の交りが淪らなかつた。此方からマジメにさへ出れば彼れは極めて誠実で且つ親切な人であつた。
○成程彼れは多くの人を攻撃した。憎んだ。敵とした。交際を断つた。僕の手許にも某々氏等を手痛く悪口した手紙も多少残つて居るし、彼の攻撃と憎悪には、いつも十分な道理を備へて居た。僕は彼れの喧嘩争論に就て常に尤もと思はぬことは無かつた。
○彼れは自身極めて正直、真摯、潔白であつたので、世の虚偽、瞞着、軽薄、山気の多いのが癪に触つてならなかつた。流行を趁ふこと、門戸を張ること、時好に投ずることを激しく嫌つた。若し斯る事柄に接し斯る人物に遭へば殆ど所謂衣冠を着て泥土に坐するの思ひが有つたらしい。雅量に乏しいと云へば云はれる。然し若し之を以て綠雨が今の文壇に多くの敵を作つた理由としたならば、僕は思ふ、是れ綠雨其人の耻辱でなくて、偶々以て今の文士社会が如何なる空気に満ちて居る歟が覗はれるではない乎。
○綠雨の文を作るのは、実に苦心惨憺たるものであつた。独り其措辞の一字一句苟くもしないのみでなく、其材料も亦自身の十分に熟知し興会しないものは決して筆に上すことは無つた。彼れは世間多くの小説家の如くに良い加減なゴマかし、間に合せ、知た振りはしなかつた。要するに彼は知らざるを知らずとして耻ぢなかつた。其代り自身の熟知したことでは一歩も譲る所がなかつた。然し彼れの知らないことは尠なかつた。芸術以外、恋愛以外のことは何にも知らない人達とは聊か見識を異にして居た。彼の学問見聞は殆ど何れの方面にも亘つてゐた。僕等の如き芸術の門外漢が彼れと長日月の交際を為し得たのは、全く彼れが嗜好と知識の多方面で、談話の材料に富んで居た為めである。然り彼は愉快な談話家であつた。口を衝て出る奇語警句は実に応接に遑なかつた。
○綠雨は芸術家としての自家の技倆を琢き且つ伸ばすのに熱心であつたが、而も文壇に党を樹て派を作り、一種の勢力を扶植し一種の覇権を振ふて其文を売るのを以て醜陋の極なりと信じて居た。芸術家は其技倆手腕に依て立つべきものである。学閥若くば文閥に夤縁すべきものではない、とは彼れの常に口にする所であつた。左れば彼れは曾て其派其社の麾下にも参せざると同時に、自身も決して一党一派を作ることをしなかつた。彼れは親切に後進を教授した。青年を引立てた。而も是等後進青年に対しても単に友人として世話するのみで、先生とか首領とかを以て自ら居らなかつた。彼は何処までもマジメな独立の芸術家たらんとし、政治家、策士、外交家らしき行為を潔しとしなかつた。是れ実に彼れが晩年落莫悲惨の境涯に陥り、其死後にも沢山の謳歌者を有しない一理由である。
○綠雨を語るに就て一つ残念に堪へないのは、彼れが肺病に殺されたよりも寧ろ貧乏に殺された一事である。彼れにして多少の財産、若くば一二の保護者あつて、相応の療養を加へたならば、猶ほ若干の歳月を生延び、若干の作物を出すことを得たのは確かであつた。樗牛さんもエラかつた。紅葉さんもエラかつた。子規さんもエラかつた。梁川さんもエラかつた。死ぬまで寝床で書きつゞけられた。が彼等は兎も角寝床の上に安んじて居られるだけた月給若くば収入があつたさうな。綠雨は夫れすらなかつたのだ。三十七年の春寒く、北風身を切るやうな晩を、骸骨のやうになつて咳入りながら、本所の横網から有楽町まで、僅かの小遣ひを相談に来たのも幾度であつたらう。彼は其瞑目の二三週間前まで、重体の病苦を忍んで米代を拵へに歩いたのだ。今思ひ出しても実に涙の種である。

(『綠雨に就て』 幸徳秋水)

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