美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

およそ作家は終生、小暗い露地に立つ老ヴァイオリン弾きへの憧れを持ち続ける(小山清)

2023年06月28日 | 瓶詰の古本

 ヴヱルレヱヌと云ひ、また、チエホフと云へば、読者の心にすぐその作家のおもかげが、はつきり浮かんでくるでせう。太宰治もまた、さういふ懐かしい作家の一人です。こなひだある雜誌に、三井ふたばこといふ人が、この人は西條八十の娘さんのやうですが、お父さんの話を書いたついでに、一寸太宰治のことを書いてゐました。みだりに引用することを許してもらふならば、三井さんはこんなやうなことを云つてゐました。敗戦後、心の苦しかつた時期に、太宰治の作品を読んで、慰めをうけた、彼の作品が聖書以上に優しく心に沁み込んできたと、おそらく、彼にはかういふ隠れた読者が少くないことでせう。それは彼が読者をだますことをしなかつたからです。そしてそのためには、書きたくないことも忍んで書いてきた作家だからです。そしてまた、彼自身が、タンポポの花一輪に、チサの葉いちまいに、信頼と慰めを感ずることの出来た、柔軟な心の持主であつたからです。
 彼はある作品の中で、自分のことを、「歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲り、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露地で、一生懸命ヴアイオリンを奏してゐる、かの見るかげもない老爺の辻音楽師」に喩へてゐます。耳ある者は聴くべし。これは決して作者の傲岸の言葉ではありません。素直な読者の黄金権にだけ望みをかけてゐる、作者の正当な心構へであり、また願ひです。太宰治は胸襟をひらいて、読者に語りかけてゐます。古来一流の作家たちがさうであつたやうに。読者もどうか、彼にまつはる、さまざまな伝説や偏見にとらはれることなく、この小冊子を繙いて下さい。読者はきつと、この本に心の友を見出すことが出来るでせう。

(「太宰治集」後記 小山清)

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(交情一切を厭う古本病者の偏屈は置いといて)作家にとって贈物といえば、夢の古本屋との麗しい交情が物語となって浮かんで来る(小山清)

2023年06月25日 | 瓶詰の古本

 彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思つてゐるの。」と云つたことがある。彼女は商品の本や雜誌をとても丁寧に取扱ふ。仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙や消ゴムで汚れを拭きとつたり、鏝で皺のばしをしたり、破損してゐる箇所を糊づけしたりしてゐる。見てゐると、入念に愛撫してゐるやうな感じを受ける。
 彼女の店の商品の値段は概して安い。「わたし、あまり儲けられないの。本屋つて泥棒みたいですわ。」と云つてゐる。たまに掘出しものなんかすると、かへつて後で気持が落着かないといふ。塵も積れば山となる式の細かい商法が好みらしい。彼女の店は月にして約二万円の売上げがあり、儲けは七八千円位ださうである。開店以来六ケ月にしてやうやくそれまでに漕ぎ著けたといふ。彼女はそのことを、林檎の頬を輝かせて澄んだ眼差しで僕に告げた。僕はそのとき彼女から自己の記録を保持するために懸命の努力をつゞけてゐる選手のやうな印象を受けた。彼女はそのために定期の市のほかに、毎月自転車に乗つて建場や製紙原料屋までを馳けずり廻つてゐるのである。僕は一体に男のおほまかよりは女のつましさの方に心を惹かれる。
 こなひだ彼女から贈物をもらつた。
 十月四日は僕の誕生日である。僕はそのことをなにかの話のついでに彼女に告げたらしいのだが、彼女は覚えてゐて、その日ぶらりと彼女の店に立寄つた僕に贈物をくれると云ふのである。
「均一本のお客様に対してかね。」
「いゝえ。一読者から敬愛する作家に対してよ。」
「へえ。なにをくれるの。」
「当ててごらんなさい。わたし、これから薬屋へ行つて買つて来ますから。をぢさん、一寸店番しててね。」
 彼女は銭箱から五拾円紙幣を一枚摑み出して店を出て行つた。なにをくれるつもりだらう。口中清涼剤だらうか。まさか水虫の薬ではあるまい。待つ間ほどなく彼女は戻つてきて小さい紙包を僕にくれた。
「あけていゝかい。」
「どうぞ。」
 あけると中から耳かきと爪きりが出てきた。なるほど。僕はそれがとても気のきいた贈物に思へた。金目のものでないだけに一層。
「これはどうも有難う。折角愛用するよ。」
 彼女は笑ひながら僕に新聞紙大の紙をひろげて寄こした。見るとその月の少女雜誌の附録で、彼女の指示した箇所には十月生れの画家、詩人、科学者などの名が列記してあつて、そのはじめには、「十月四日生。ミレー(一八一四年)、『晩鐘』や『落穂拾ひ』また『お母さんの心づかひ』を描いたフランスの農民画家。」としてあつた。

(『落穂拾ひ』 小山清)

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非難も擁護も犬の吠え声でなく優言葉で深刻ぶりたげな、肩書錚々たる小遣い取り連の訳知り顔(アントン・チェーホフ)

2023年06月21日 | 瓶詰の古本

 アンナ・セルゲーヴナと彼は、お互に隔てのない親友として、夫として妻として、優しい友達として愛しあつてゐた。彼等には二人が互に運命によつて予定されてゐた者に思へた。何故彼が妻帯をし、彼女が嫁に行つてゐるのか解らなかつた。それはまるで、一番ひの渡り鳥を捕へて雄と雌と別々の籠に養つて置くやうなものであつた。二人は過去の恥しいことをすつかり宥しあひ、総てを心の底から許しあひ、二人の愛がお互を生れ変らせたのだと信じた。
 以前には、悲しい時は頭に浮び上つて来るままの色々な当て推量で自分の心を慰めてゐたものであつた。けれど今ではもう、そんな当て推量どころではなかつた。彼は深い哀憐の心を感じ、どうかして誠実で優しくありたいと念じた。
「さあ、もうお止めなさい」と彼は言つた、「気の済むまで泣いたでせう? もう沢山。……今度は話をしませう。そして、何か考へ出して見ませう。」
 長い間、二人は相談してゐた。人の眼をかくれたり、嘘をついたり、別々の町に住んでたまにしか逢へない、この今の境遇を脱れることを話し合つた。この堪へられぬ枷(かせ)から、どうしたら自由になれるだらうか。
「どうしたら? どうしたら?」と彼は頭をおさへて言つた、「どうしたら?」
 すると、もう少しの辛抱で解決の途が見出されるだらうと思はれて来た。その時こそは、新らしい、素晴しい人生がはじまるのだ。旅の終りまではまだ遥かに遠いこと、そして一ばん複雑な、一ばん困難な途が、今やつと始まつたばかりなことを、二人ははつきりと感じ合つた。

(「犬を連れた奥さん」 チエホフ作 神西清譯)

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ランボーのような生涯を生きることは我々にはできない、一度限りで引き返せないところだけは一緒だが(アーサー・シモンズ)

2023年06月18日 | 瓶詰の古本

 十七歳の子供が既に完全な創作の詩人であつて更に散文の大家としての曙光が閃めいてゐたので、高踏派の詩人、バン井゛ユ或はユーゴー迄が驚嘆した位だ。彼のヴエルレーヌに与へた影響はそれ以上に深かつた。二人の会合は相互の経歴を作りまた毀けた痛ましい而して痛快な不幸の一を醸すやうになつた。ヴエルレーヌは「告白の中」で『最初二人の相違は「アツシ」の詩人と私自身との間のそれの様で愛したり同情したりする様な事は問題でなかつた。フエネロンが巧に穿つた如く「まあ文学外」の作物を書いてゐたこの十六歳の子供の前で私は非常に賞讃し非常に驚嘆するに過ぎなかつたのだ。』と物語つてゐる。この賞讃と驚嘆とは、更に個人的の感情に沁み込み、ヴエルレーヌの生涯の長い放蕩の始つたのもラムボーの影響であつた。二人の詩人は相伴つて千八百七十二年の七月から八十三年の八月まで、白耳義、英国、又白耳義の間を彷徨うてゐたが、その時ヴエルレーヌは重禁錮十八ヶ月の刑に処せられラムボーは家に帰る事になつたブラツセルに於ける悲惨な訣別が二人の身上に振り落ちて来た。彼の書かうとしてゐた詩と散文とは既にこの時までに完成してゐたので、千八百七十二年「地獄の一季」をブラツセルで梓に上した。これだけが彼自身の梓に上した書物であるが出来上るか上らない中に、彼は全体の組下を壊して仕舞つた。そのためヴエルレーヌの写が少し計り例外として存するのみだと私は信ずる。直ぐに新しい漫遊が開始されたが何時もシヤール井゛ユの出発地に帰つて来るのに定つてゐた。巴里に数日英吉利に一年、スツツトガルト(ヴエルレーヌに訪問された場所)に四ケ月間、伊太利また仏蘭西、維納、ジヤヴア、和蘭、瑞典、埃及、サイプラス、アビシニヤそれから亜弗利加だけで最後に巴里に帰つた。彼は英吉利では仏蘭西語の教師、巴里の市街では鍵輪の販売者、港では船の荷の積み卸し、田舎では刈入れの手助けをやつた。而して和蘭軍隊に投じて義勇兵となつて軍工師となつたり商人となつたりした。而して今や物理学が貪欲な好奇心を誘惑し始めて荒唐無稽の東洋の夢想は、実際の東洋との小説じみた通商の夢想に変形して仕舞つた。亜弗利加内地に於ては珈琲香料象牙細工黄金等の商人となりそれから探検家而して自分の地方に於ける商人の先輩となつた。亜弗利加に於ける十二年間の遍歴と冒険の後彼は膝蓋骨炎に襲はれ病症は急激に悪化して来た。彼は先づアデンよりマルセーユに後送の身となり其処で千八百九十一年五月脚を切断せられた。更に余病が併発した。最初は家に帰りたいと言ひ張つたがそれからマルセーユに連れて帰つてほしいと云ひ張つた。病気はひどく彼を苦めた而して生きんとする欲求の苦みは病気以上に悲惨であつた。さし迫る歩一歩に戦を挑みかけて彼は歩一歩と死地に陥つたのである。而して最後の数ケ月間の話を妹の静かに物語るのを聞くと胸が痛んで来るのを覚える。彼は十一月マルセイユで「アラー、ケリイム!アラー、ケリイム!」と繰り返し乍ら死んだと彼の女は云つてゐる。

(「文學における象徴派の人々」 サイモンズ原著 久保芳之助譯)

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人の過ちの負目につけ入る煽情によって個人内奥の尊厳を傷付け、古来文芸が尊いとさえ見なした人間の愚かさを個人へ収束冷笑しながら恰も善悪の彼岸にあるかの如く振る舞う我々は何者なのか

2023年06月16日 | 瓶詰の古本

ぶんげい【文芸】(体)詩・小説・戯曲など、自分の感情や思想の言語による表現。広く芸術一般を含めていう場合もある。「――作品〔評論・復興〕」
(「例解国語辞典」)

 

ぶんげい【文芸】(名) ①→ぶんがく ②文学とふつうの芸術(げい-じゆつ)とをまとめたよび名。◎文芸の復興(ふつ-こう)。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

ぶんげい〔文芸〕文学。または文学と芸術のこと。[用例]文芸クラブ。
(「プリンス国語辞典」)

 

ぶん げい10【文芸(藝)】(名)①文物と学芸と。学問と技芸と。
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

ぶん げい01【文芸】①学問と芸術。②〔美術・音楽と違って〕詩・小説・戯曲などの言語芸術。「――学3」
(「新明解国語辞典 第四版」)

 

ぶんげい【文芸】〈名〉①ことばで表現する芸術。文学。「大衆――」「口承――」②(漢語の本来の用法で)学問・芸術。=芸文。
(「学習百科大事典[アカデミア]国語辞典」)

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「シャグパットの毛剃」翻訳縁起の件りと漱石の嘆美(皆川正禧 夏目漱石)

2023年06月14日 | 瓶詰の古本

 此翻訳は十数年前鹿兒島七高に居た時に出来したものだが、これを読んだのは大学時代にラフカヂオ・ハーン先生から文学史の講義中に紹介されたのが縁であつた。その時小泉先生はこんな風に云はれたやうに記憶する、メレヂスの小説は皆ファッションを扱つたものだから軈ては忘れられてしまふ。然しシャグパットの毛剃は人間のエモーションを扱つたもので、不朽のものである、と。そしてベックフォードのヴァセックなどと共に是非共読めと勧められた本の中にあつた。一夏此訳文を携へて上京し、夏目先生の手許に残しておいてあつたが、其後野上臼川氏の周旋で、國民文庫刊行會に引受けて貰つたのである。此度いよいよ印刷に附すに先ち此を読み直すべく若干の日子を与へられて甚しい所はこれを書き直したが、なほ意に充たないものあるは云ふを俟たない。唯訳者に取つては釣魚と謡曲とで暮してしまつた鹿兒島十年間の唯一の紀念として尊い気がする。
 刊行會から序文をと請求せられて此丈のことを書いた、終りに此訳文の処分につき始めより何呉れと周旋の労を惜まれなかつた臼川野上君に深い感謝を表する。

(『はしがき』 皆川正禧)

 

 問 或本にメレデイスは心理解剖の上に於てジヨージ、エリオツトの後継者と云ふべき人だと有りましたが、然うでせうか。
 答 エリオツトは全く違ふ。大体の上から云ふと、メイデイスの小説はユニークなものである。あんな小説はメレデイスに始つてメレデイスに終ると云つたらよいだらう。真似たつて出来ず、又真似る気にもなるまい。ことにかのシエーヴイング、オブ、シヤグパツトなどは他に全く類例の無い物である。厳格に云つたら小説と云ふ可き物では無いかも知れぬが、よく彼んなに盛んな想像力が続かれるものだと思ふ。

(『メレデイスの訃』 夏目漱石)

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「シャグパットの毛剃」を愛した漱石の妖美幻想(夏目漱石 ジョージ・メレディス)

2023年06月11日 | 瓶詰の古本

 余は又ごろりと寝ころんだ。忽ち心に浮んだのは、
   Sadder than is the moon’s lost light,
        Lost ere the kindling of dawn,
        To travellers journeying on,
     The shutting of thy fair face from
                              my sight.
 と云ふ句であつた。もし余があの銀杏返しに懸想して、身を碎いても逢はんと思ふ矢先に、今の様な一瞥の別れを、魂消ゆる迄に、嬉しとも、口惜しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだらう。其上に
   Might I look on thee in death,
     With bliss I would yield my breath.
と云ふ二句さへ、附け加へたかも知れぬ。幸ひ、普通ありふれた、恋とか愛とか云ふ境界は既に通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。然し今の刹那に起つた出来事の詩趣はゆたかに、此五六行にあらはれて居る。余と銀杏返しの間柄にこんな切ない思ひはないとしても、二人の今の関係を、此詩の中に適用めて見るのは面白い。或は此詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある因果の細い糸で、此詩にあらはれた境遇の一部分が、事実となつて、括りつけられて居る。因果も此位糸が細いと苦にはならぬ。其上、只の糸ではない。空を横切る虹の糸、野辺に棚引く霞の糸、露にかゞやく蜘蛛の糸、切らうとすれば、すぐ切れて、見て居るうちは勝れてうつくしい。万一此糸が見る間に太くなつて井戸縄の様にかたくなつたら?そんな危険はない。余は画工である。先は只の女とは違ふ。

(「草枕」 夏目漱石)

 

 夜かけて旅する人に
 あかつきの光見ぬ前
 月影の薄れ落ちたる
 悲しみに增せる悲しみ!
 いとほしの御身が面輪の
 わが眼より今ぞ消え行く。

 あはれ一目御身を見てこそ
 心行きて息をも引かめ、
 かゝりては誰丈夫の
 たらはひて天を仰ぎし。

 あゝバナヴァー
 執着の貴きものよ
 わが息の命ぞ御身は、
 わが額の油ぞ御身は、
 廣野かけてわが乗る行手
 芳しきかをりなりしを、
 わが手の力、わが脈の血を。

(「シャグパットの毛剃」 ジヨオジ・メレディス著 皆川正禧譯)

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飛ばさずにおけば、片割れであっても赤いスリッパは赤いスリッパ(林芙美子)

2023年06月07日 | 瓶詰の古本

 六月×日
 淋しく候。
 くだならく〈ママ〉候。
 金が欲しく候。
 北海道あたりの、アカシアのプンプン香る並樹道を一人できまゝに歩いてみたい。

 「起きましたか!」
 珍らしく五十里さんの声。
 「えゝ起きてゐます。」
 日曜なので五十里さんと靜榮さんと、吉祥寺の宮崎さんのアメチヨコハウスに行く。夕方ポーチで犬と遊んて〈ママ〉ゐたら上野山と云ふ洋画を描く人が遊びに来た。私は此人と会ふのは二度目だ。
 私がをさない頃、近松さんの家に女書生にはいつてた時、此人は茫々とした姿で、牛の画を売りに来た事がある。子供さんがジフテリヤで、大変侘し気な風采だつた。靴をそろへる時、まるで河馬の口みたいに靴の底が離れてゐた。私は小さい釘を持つて来ると、そつと止めておいてあげた事がある。
 きつと気がつかなかつたかも知れない。
 上野山さんは漂漂と酒を呑みよく話した。
 夜、上野山氏は一人で帰つて行つた。

  地球の廻転椅子に腰を掛けて
  ガタンとひとまはりすれば
  引きづる赤いスリツパが
  片つ方飛んでしまつた。

  淋しいな……
  オーイと呼んでも
  誰も私のスリツパを取つてはくれぬ
  度胸をきめて
  廻転椅子から飛び降り
  飛んだスリツパを取りに行かうか。

  憶病な私の手はしつかり
  廻転椅子にすがつてゐる
  オーイ誰でもいゝ
  思ひ切り私の横面を
  はりとばしてくれ
  そしてはいてるスリツパも飛ばしてくれ
  私はゆつくり眠りたい。
 落ちつかない寝床の中で、私はこんな詩を頭に描いた。下で三時の鳩時計が鳴る。

(『放浪記』 林芙美子)

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バルザックのように生身の作家が同時代に天才と認められないのは、我々が余りに不明なので自分が不明と気づかぬまま世界を見ているから(田中早苗)

2023年06月04日 | 瓶詰の古本

 バルザツクは肩巾が広くて、丸顔で、眼が異様に鋭く、石のやうに堅い歯並をもち、いつも高声に談笑してゐて、絶えて倦怠を知らない精力家であつた。財政的にはいつも非常な苦しさで、借財に追はれては原稿を書いた。夜半から書きだして十六時間もぶつつゞけにペンを走らせてゐることは珍らしくなかつた。この借財のために多作した点では英吉利のスコツトにそつくりだ――しかもバルザツクは一生スコツトに私淑してゐたさうで、その出世作であるLes Chouansは、明らかにスコツトの作風を真似たものであつた――が、彼の貧乏ぶりはスコツトよりも遥かにひどかつた。投機と、旅行と、骨董蒐集が道楽だつたが、そんな道楽のためにますます借財が嵩んで苦しくなつて来ると、地方や外国への旅に出て、逃げ廻りながら書くのであつた。
『俺は文芸家の元帥だ。』公然とそんなことを揚言したほど、彼は自負心の旺んな男であつた。頗る好人物だつたけれど、態度が粗野で、上品さとかデリカシイを欠いてゐたゝめに、文芸家仲間からは、偉大さを認められながらも余り好かれてはゐなかつたやうだ。その時代の御上品な文壇にあつて、彼は可成り革命的な、「偉大なる野人」とでもいふべき男であつたのだ。

(『ガボリオの探偵小説とバルザツク』 田中早苗)

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