一九三三年五月十日――
それは独逸(ドイツ)の三十の大学町において、一斉に、焚書の行はるゝ日であつた。
この夜伯林(ベルリン)では、伯林大学とオペラ劇場(ハウス)との間の大広場に、四万の大衆が集まつた。
見よ! 蜿蜒(えんえん)五哩(マイル)の街路に亙る大松明(だいたいまつ)行列を! ナチスの歌が、家々の窓硝子(ガラス)を揺つて、町々に響き渡つた。
その間に、トラツクや自動車に満載した反独逸的著書が、続々と広場に集まつて来る。
広場の真ン中には、大きさ二間平方、高さ一間の大櫓(おほやぐら)が立ち、炎々と火が燃えさかつてゐた。
やがて、焚刑に処せらるべき書物を腕に抱へた学生が、次から次へと、その著者と書名を声高く怒鳴りながら、その焔のなかにそれを投げこむ。
その度に起る喝采、怒号!
メラメラと燃え上る書物の山を加へて、火勢はグンと旺んになつた。見ろ、炎々たる焔と、濛々(もうもう)たる煙を背にして、起ち上つたゲツベルスの姿を!
『見よ! かくして反独逸的精神は、永遠に地上より抹消(まつせう)されるのである。而して諸君は、独逸の仇敵を焚き去る権利あるが如く、我等の国民政府を援くべき義務があるのだ。おゝ、この焔よ! 願はくは社会民主主義の落日が没して、新精神まさに登らんとすることを、世界に告げ知らしむるの烽火(ほうくわ)たれ! 独逸(ドイツ)は完全に、そして強力に、統一されたることを、全世界をして知らしめよ!』
この焚書(ふんしよ)の刑は、秦(しん)の始皇帝(しくわうてい)のそれと対比さるべき『蛮行』として、全世界から非難された。しかしそれは、一部の野次馬が勝手に行ふ『私刑(リンチ)』ではなくして、確乎たる信念に基く政府と国民指導者とが、独逸文化の純潔を守るために行つた、一つの『国民的祭典』だつたのだ。
(「ヒットラー傳」 澤田謙)