美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

歴史を無化することに歓喜するニヒリズム(澤田謙)

2020年01月28日 | 瓶詰の古本

 一九三三年五月十日――
 それは独逸(ドイツ)の三十の大学町において、一斉に、焚書の行はるゝ日であつた。
 この夜伯林(ベルリン)では、伯林大学とオペラ劇場(ハウス)との間の大広場に、四万の大衆が集まつた。
 見よ! 蜿蜒(えんえん)五哩(マイル)の街路に亙る大松明(だいたいまつ)行列を! ナチスの歌が、家々の窓硝子(ガラス)を揺つて、町々に響き渡つた。
 その間に、トラツクや自動車に満載した反独逸的著書が、続々と広場に集まつて来る。
 広場の真ン中には、大きさ二間平方、高さ一間の大櫓おほやぐら)が立ち、炎々と火が燃えさかつてゐた。
 やがて、焚刑に処せらるべき書物を腕に抱へた学生が、次から次へと、その著者と書名を声高く怒鳴りながら、その焔のなかにそれを投げこむ。
 その度に起る喝采、怒号!
 メラメラと燃え上る書物の山を加へて、火勢はグンと旺んになつた。見ろ、炎々たる焔と、濛々(もうもう)たる煙を背にして、起ち上つたゲツベルスの姿を!
『見よ! かくして反独逸的精神は、永遠に地上より抹消(まつせう)されるのである。而して諸君は、独逸の仇敵を焚き去る権利あるが如く、我等の国民政府を援くべき義務があるのだ。おゝ、この焔よ! 願はくは社会民主主義の落日が没して、新精神まさに登らんとすることを、世界に告げ知らしむるの烽火(ほうくわ)たれ! 独逸(ドイツ)は完全に、そして強力に、統一されたることを、全世界をして知らしめよ!』
 この焚書(ふんしよ)の刑は、秦(しん)の始皇帝(しくわうてい)のそれと対比さるべき『蛮行』として、全世界から非難された。しかしそれは、一部の野次馬が勝手に行ふ『私刑(リンチ)』ではなくして、確乎たる信念に基く政府と国民指導者とが、独逸文化の純潔を守るために行つた、一つの『国民的祭典』だつたのだ。

(「ヒットラー傳」 澤田謙)

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寵愛するもののためなら如何ほど人力と費用を要してもかまわない(後藤末雄)

2020年01月12日 | 瓶詰の古本

 楊貴妃は茘枝(れいし)が好きであつた。この果実は遠い遠い嶺南の珍果であつた。長安の都まで此の果物を取りよせることは非常な労役である。併し楊貴妃の好物は如何ほど人力と費用を要しても取りよせなければならない。茘枝を嶺南から取りよせるにしても、途中で愚図愚図してゐるならば、茘枝は味が変つてしまふ。それで出来る丈け早く嶺南から長安まで茘枝を運ぶことが絶対に必要である。かの蘇子瞻が「茘枝歎」の詩中で「十里一置、塵埃を飛ばし、五里一堠、兵火を催す。坑に顚し、谷に仆れて相枕籍す。知る是れ茘枝龍眼の来るを」と言つてゐるやうに、十里毎に宿場を置き、五里毎に望台を立て、使が近づけば烽火をあげる。使と馬との中には、穴に落ちるものもあり、或は谷に仆れるものもあり、死骸は枕を並べるといふ有様。沿道には塵埃が濛〻と立ち昇り、往来が妨げられて、人民はどれだけ迷惑を蒙つたか解らない。これも愛妃一人の嗜欲を満たすためであつた。

(「支那四千年史」 後藤末雄)

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