美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

うっかりすれば敗けてしまう力

2015年08月30日 | 瓶詰の古本

   絶望の極みに至った人間が、未知の霊力や超能力によって救われるなどということが如何にふざけた与太噺であるかは、戦場、戦禍をかいくぐって偶々に命を拾って生き延びた人々やそうではなかった多くの死者の遺した言葉を読めば一目瞭然だ。心霊、神秘の壮麗な迷宮的宇宙が、白骨街道の不平等で無慈悲な死の吐息の前ではあまりにも儚い蜃気楼であると知れるだろう。神秘への憧憬が生み出す力は、それを追い求める奔放な想像力が護られる世界があってこそ、遥かな高み底知れぬ深淵へと導いてくれるものに違いないのだが、悲しいことには当の想像力を生み出し、護る力そのものではない。この上なく大切な人間の諸々の想像力を護る力は別のところから生み出されなければならず、しかも天然自然に生まれて来るものではないらしい。
   その力は、熱帯や極寒の戦場に散華した人々を悼む心が思い浮かべる絶対の指令者や絶対の死者とによって顕わにされる感性、真に平等であることによって人間の最後の尊厳とされる死ですら得手勝手、不平等に押し付けて澄ましている感性への下から噴き上げる素朴な懐疑から生まれて来るものでしかない。それは、神霊力などの及びもつかない根源的な魂の力でありながら、しかも、飛翔を冀う想像力を護り切れずに発現しないまま滅びてしまう力でもある。そして、絶対安全の高みから不平等の死を諸人に向けて理非説法する賢者や智者等の言葉の綾から生まれる力にさえ、うっかりすれば敗けてしまう力でもある。

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二千年前の予感(イバニエス)

2015年08月23日 | 瓶詰の古本

   ロシヤ人は質問の意味が呑み込めないと云ふ風に彼を眺めた。自分は話のはじめから大きな声で云つてゐるのではないかと彼は思つたのだ。
  ―― 黙示録のあれさ。
   沈黙が生じた。しかし彼のブツキラ棒な話し方はさう長くはつづかなかつた。かのパトモスの磯辺の幻想家(使徒ヨハネのこと。)の口を藉りて自分の感激を云ひ表はす必要を感じた。かの雄大にして暗澹たる幻想を描いた詩人は二千年の彼方からパリの屋根の下に住まふ此の革命家の上に感化を及ぼしてゐた。ヨハネはその時すでにすべてを予感してゐたのであつた。その神憑りの状態は俗衆には不可解のものではあつたが、それには人類のおよそ偉大な事件の神秘(ふしぎ)が籠められてゐたのであつた。
   チエルノフは海の底から突然現れてくる黙示録の動物の話をくはしく話した。脚が熊に、口は獅子の鼻面に似てゐて全体が豹に似た動物だつた。七つの頭と十本の角があつた。角には十の宝冠が懸り七つの頭にはそれぞれ冒瀆の言辞(ことば)が記されてあつた。この冒瀆の言辞(ことば)はヨハネが書いたものではなかつた、といふのは先づこの動物が千年目に一度新しく現れてその度毎に書き変へられるものなので、その時代時代によつて以前(まへ)のとは全つかり変つてゐたからである。ロシヤ人が読んでゐたのはこんど此の怪物の頭に炎の文字となつて現はれてきた人類を咀ひ正義を咀ひ人間の生活を寛(ゆるや)かな甘きものにする一切(すべて)を咀ふ冒瀆の言辞(ことば)であつた。「力は権利より優れたり……」「弱き者は生くるべからず……」「偉大なる者とならんがために苛酷たれ」……そしてこの動物は卑陋の限りを尽くして世界を支配し以つて人間より崇拝されんことを自負してゐた――
   だが四人の騎士は?―― デスノイエルスは尋ねた。
   四騎士はヨハネの夢の中ではこの怪物に先き立つて現はれるのであつた。
   神秘の巻物を封じた七つの封印は碧玉のやうな象(かたち)をした者の坐せる王座のまへで羔(こひつじ)のために開かれるのであつた。この者の頭のまはりには緑玉の帳(とばり)が虹のやうに懸つてゐた。王座のまはりには二十四の高座があつて、その高座の上には白衣を纏うて頭に金冠を戴いた二十四人の翁(おきな)が坐してゐた。前後内外(ぜんごうちそと)とも目に充ち満ちてゐて六つの翼を有つた四匹の大きな動物が王座を守衛(まも)つてゐる有様。第一の封印が解かれたのを祝つてラツパが鳴つた。
「見よ!」と、四匹の動物のうちの一(ひとつ)が高い声でヨハネに叫んだ……すると白い馬に騎つた第一の騎士が現れた。手に弓を持ち頭に冠を戴いてゐて、これは「征服」ともまた「疫病」とも云はれてゐる者であつて、同時に双方(どちら)をも兼ねることが出来た。冠を見せびらかしてゐたが、それだけでチエルノフにはそれと分かつた。
   第二の動物はその千の目を動かして「出でよ!」と叫んだ。すると解かれた第二の封印から赤馬が出てきて、それに騎つた騎士は頭上で大きな劔をふり翳してゐた。これは「戦争」で、その赤馬が狂ほしく疾駆(かけ)出さないうちに平和は世界から逃げて人々は互ひに亡ぼし合ふのだ。
   第三の封印が開かれると、翼のある今一つの動物が雷(かみなり)のやうに「出でよ!」と嘶(いなな)いた。するとヨハネは黒い馬を見た。これに騎つた騎士は手に秤(はかり)をもつてゐたが、それは人間の生活の材料(しろ)を量るためであつた。「飢餓(うゑ)」だつた。
   第四の動物は第四の封印が開かれると怒号を以て色代(しきだい)した。「出ろ!」すると死色(しにいろ)の馬が現はれた。「これに騎つた者は名を死と云ひ彼は劔と飢餓と死亡と地の猛獣とを以つて地上の人を殺す権力を授けられてゐた。」
   四人の騎士は狂人(きちがひ)じみた疾駆を試みて地に倒れ伏した人類の頭を踏み躙(にじ)つた。

(「黙示録の四騎士」 ブラスコ・イバニエス 中山鏡夫訳)

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均一台に導かれて知らされること

2015年08月16日 | 瓶詰の古本

   読むに値する本が無限にあるとすれば、均一台・均一棚から買える古本を選んで読んで行くのは、あながち不条理なことではないだろう。読まねばならない本を特に決めず、只管財布が堪え得る範囲の中で古本を購いそれを読んで行くという手法だって、切羽詰まった境涯にある者にとっては、むしろぜいたくと言っても過言ではないのだ。
   本から本へと導かれ、均一台の中に知己を見出すこと少なくなく、しごく徹底した衝動的運命であるはずなのに、あらかじめ決められた星辰の光路のように思われて来るのだ。

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