近衛首相がまだ東條陸相と会談してゐた頃、首相が米国の人的物的資源の豊富なることを挙げて、之と戦争する結果の見透しは容易に付かぬことを指摘すると、東條陸相は米国には独逸人系の人民が多数に居り、又労働争議が勃発する可能性があることを挙げ、首相が米国の強き点のみを見て弱点を見ないのを攻撃した。戦争の見透しに関しては、東條陸相は、日清戦争だつて、日露戦争だつて、日本が確かに勝つといふ見透しの下に始められたのではない。総理大臣は京都の清水の台から飛び降りると云ふ勇気を有たなければならぬと力説するのであつた。近衛首相は之に対して、自分一人ならば、清水の台から飛び降りもする。併しわれわれは三千年の皇統連綿たる歴史を背負つてゐる。だからわれわれは自分一人の冒険の積りで無謀の事を決行してはならないと云ふのであつた。蓋しこの最後の言葉が、近衛内閣を一貫する首相の中心思想であつたのである。
(「近衛内閣史論」 馬場恒吾)