美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

やってみなければ分からないとやるがままにまかせ、後になってこんなことを聞かされても我々衆愚には恐れ入りようがない(馬場恒吾)

2021年06月24日 | 瓶詰の古本

   近衛首相がまだ東條陸相と会談してゐた頃、首相が米国の人的物的資源の豊富なることを挙げて、之と戦争する結果の見透しは容易に付かぬことを指摘すると、東條陸相は米国には独逸人系の人民が多数に居り、又労働争議が勃発する可能性があることを挙げ、首相が米国の強き点のみを見て弱点を見ないのを攻撃した。戦争の見透しに関しては、東條陸相は、日清戦争だつて、日露戦争だつて、日本が確かに勝つといふ見透しの下に始められたのではない。総理大臣は京都の清水の台から飛び降りると云ふ勇気を有たなければならぬと力説するのであつた。近衛首相は之に対して、自分一人ならば、清水の台から飛び降りもする。併しわれわれは三千年の皇統連綿たる歴史を背負つてゐる。だからわれわれは自分一人の冒険の積りで無謀の事を決行してはならないと云ふのであつた。蓋しこの最後の言葉が、近衛内閣を一貫する首相の中心思想であつたのである。

(「近衛内閣史論」 馬場恒吾)

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相反した二つの性格がロシア文学に対する熱情によって結ばれた(内田巖)

2021年06月20日 | 瓶詰の古本

 父はよく二葉亭の事を話した。相反した二つの性格が偶然ロシア文学に対する熱情によつて結ばれた。
『罪と罰』を読んで内心文学を「時間潰し(キルタイム)」と考へてた父が、厳粛な心持に打たれた時思ひ出したのはステップ・ニヤックの訳者二葉亭であつた。帰京して留守中の訪問者の名刺の中に長谷川辰之助の名前を見出した父は、酸を憶うて梅実を見る如く歓喜したと書いてある。『罪と罰』の翻訳を二葉亭に声色まぢりで聞かせながら、父は夢中になつて手真似や表情で感激し、夜の更くるのも知らなかつた。さうして遂には二葉亭も興奮して、二人でラスコールニコフやナターシヤの声色のかけ合が始まるといふ騒ぎは、父がいつも懐かしげに語るところだ。
 父は二葉亭に対して終始尊敬と愛慕の念を持つてゐた。ドストウエフスキーの『罪と罰』に対する感激が即二葉亭に初対面に、更に飛躍したのは、卓子の上に彼の読みさしてゐた一巻の『種原論』であつたからだと聞いてゐる。
 父の性格はダーヴヰンを読む性格ではなかつたが、ダーヴヰンを読む人間に尊敬を払ふ性格であつた。死んだ僕の従弟三並虎一郎が土佐の高校の理学部の教授になつた時、父は『内田の親類から只一人の真人間が出た』と喜んだ。
 明治四十五年頃書いた父の家憲なるものに、「我家の子孫は学者たるべし。学の最高は科学である」と謂ふ意味の事が書いてある。面白い事に芸術家は下であり、所謂る宗教家、教育家は下の下であると付け加へてゐる。

(『父魯庵を語る』 内田巖)

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その姿の憐れさ、その行為の滑稽さに目眩んで悪夢の谷に転倒する(牧野信一)

2021年06月13日 | 瓶詰の古本

「何うなすつたの? 何をぼんやりしてゐらつしやるの、変な眼つきばかりしてゐらつしやるぢやありませんか?」
「今朝、手紙を書かうとして、ペンを探すと……」
「あたしに手紙を書かうとお思ひになつたの? え、――それで?」
「君ぢやない、田舎の友達なんだ。」
「…………」
「何てまあ景色の好い面白さうな田舎だらう、是非行きたい――と何時も君が云つてゐる田舎……僕が其処の生活を歌つた詩を読んだ君の憧れになつてゐる――」
「伴れてつて下さる。嬉しい! 何時?」
「あさつて――だよ。そんな靴ばかりを履き慣れてゐる君には、とてもあの山径はのぼれないのだ。だから、ロシナンテと称する僕等の名馬を――だね、停車場へ曳いて来て貰ふことを頼む手紙なんだ。」
「でも、あたし馬になんて乗れないわ、怖くつて――」
「何うしても馬車をつけるわけには行かないんだ、細い細い山径を三哩も上らなければならないから。」
「……さうなると、また愉快ね。ぢや思ひきつて乗るわ。」
「慣れるまでは誰かが轡をとつて呉れるから大丈夫さ。君の轡のとり合ひぢや、とり手の志願者が殺到して、一騒動が持ちあがるだらうよ。」
「空想ぢやないんですのね、あなたの『西部劇の歌』といふ作品は――」
「生活記録だね。」
「ぢや、あなたは、あの時分には、ほんたうに、あんな、アメリカ・インヂアンの着物を着て麦袋を担いだり、枯草を積んだ馬車を駆つたり、居酒屋で手風琴を彈いて騒いだりしてゐたの?」
「思ひ出しても冷汗を覚える。――憫れなる者よ、何故あつて汝は汝の見る客観世界に満足せざるか、汝は太陽・月・星晨及び海原よりも、観るべき更に豊かな、更に偉大なる何物を把持するや――この聖人の言葉は俺の胸を貫く、それ故に俺は俺の幸福の追求のために与へられた凡ゆる実在の事物に最高の満足を求めて悔なき筈であるものの、何故なるか、過去の己れの姿を回想するに及ぶと、その姿の憐れさ、その行為の滑稽さに目眩んで悪夢の谷に転倒する、明日、省る今日の己れが怖ろしい。」
「だからお酒を止めれば好いのよ。」
「うむ。都合が好いことには俺は空気にでも醉つ払ふことが出来るんだ、醉はうとさへ思へば――一杯のデイルスの水と一壜のウオツカとの差別も知らぬ。悪夢の谷を――陶醉の――と云ひ代へることだつて、別段至難の業とも思はれぬまでさ。馬鹿な話は止めて、さあ、もう一遍踊らう。」

(『變装綺譚』 牧野信一)

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文芸の生命(島崎藤村)

2021年06月10日 | 瓶詰の古本

 最早二葉亭も旧いとか、独歩も旧いとか、透谷なぞは全く時代後れだとか、左様いふことが形式的に考へられるほど無意味なことは無い。
 坪内氏の『書生気質』が公にされたのは最早二昔も以前のことであるが、丁度その頃に、あの『ピエル・エ・ジヤン』の巻頭にあるモウパツサンの『小説論』が公にされて居る、驚くではないか。
 今日の文芸は日露戦争を一区画として全く面目を新しくしたと言はれるけれど、その文芸の生命はずつと以前に根ざして居る。これからさき、奈何いふ盛んな『ジヤパニイス、ルネツサンス』とでも言ふべき時代が仮に来ようとも、その新しい文芸は矢張今日の文芸が基礎に成つて、そこから更に出発して行つた人達にはぐくまれるより他はあるまい。世間の公衆は、好きとか嫌ひとかの情で、多くその結果をのみ判断するが、左様飛び離れた文芸の芽が生じて来るやうに想像されるかと思ふと心細い。
 旧いものが左様無意味だらうか。ポオは幾多の新詩人を起して居る。ドストイエフスキイは幾多の新進作家の胸に復活して居る。
 ゴゴル、ガンチヤロフ、ツルゲネエフ等の作家を先駆者に持つた人達は羨むべきだ。バルザツク、フロオベル、ゴンクウル等を出した国民も羨ましい。しかし透谷とか、二葉亭とか、独歩とかの人達は、その精神に於いて、決して彼等に劣れるものではない。旧いものを捨て、新しいものを迎へようとして、唯一途に焦心する人もあるが、それよりは過ぎ去つた人達の遺した精神なり事業なりを忘れないで、更に開拓を続けて行く人の方が、見ても気持ちが好い。
 あまり概括的に文芸を語るといふことは、近頃私には興味を引かなく成つた。例へば、フオルケルトの前期自然主義と後期自然主義とを区別した如き、又、最近の『三田文学』に訳載された仏蘭西の自然主義に関する説などの如きも其である。
 比較は批評の一部だ。全部とは言へない。

(「新片町だより」 島崎藤村)

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安心・安全に人出を増やすため必要だから、人出は(明らかに危険であり)極力抑制するようにと諭される

2021年06月06日 | 瓶詰の古本

安心・安全に人出を増やすため必要だから、人出は(明らかに危険であり)極力抑制するようにと諭される際に起こる、意識の破碎的昏迷

 

ひとで【人出】(体)人が多く出て集まること。「昨日の日曜はこの夏最高の――だった」「祭の――でにぎわう」「――の多い海岸」
(「例解国語辞典」)

 

ひとで【人出】(名)人がおおぜい出ていること。◎町はたいへんな人出だ。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

ひとで【人出】人が大勢出てきて集まること。
(「プリンス国語辞典」)

 

ひとで0【人出】(名)人が多く出(て集ま)ること。
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

ひとで0【人出】その場所に集まったり その道を通って行ったり する人の数。「祭りの会場はたいへんな――だ」
(「新明解国語辞典」)

 

ひとで【人出】(おおぜいの)人がある場所に出ること。[用例]日曜は人出が多い。
(「学研国語辞典」)

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