美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

古本は不要不急の対極にあり、虚偽や疫病から守護して見返りを一切求めないものである(ストリンドベリ)

2021年04月26日 | 瓶詰の古本

 先生は続けて、「嘘つきと親しい交際をして居ると、人は何時の間にか嘘つきになるものである。嘘つきのいふた事を信ずれば、その嘘を元に自分の考へを立て、信じて嘘をいひ拡め、人の詭弁を弁護して、ために人の詐はりの中に手をも足をも縛られる。ましてや、その人生観は曲り、真実との接触がなくなり、感情一片の虚構世界に生きて、友を敵視し、敵を友とし、人は憎まれた時に愛され、愛された時に憎まれて居ると思ふやうになる。
 僕は嘗て一人の嘘つきと親しい交際をして居たが、そのお陰で、当時僕が書いた一書は虚偽であるといふこママに気がついた。五年間、僕はその事を信じて、信じたゝめに苦しみ、遂に自分の勇気を失つた。其の後スウエデンに帰つて来てから、その本が素敵もない評判だつた事を知つた。然しその五年間、僕は生命を打碎かれ、殆んど自尊心も、存在の勇気もなくなつて居た。殺されたのも同様であつた。僕がその友人のために働き、またその犠牲となつた行為は、僕の凡ての思想を混乱せしめた。心気を回復させるのに、永い年かゝつた。その間、真理と虚偽がごつたになつて、虚偽が実在となり、僕の全生涯は煙のやうに非実質なものに思はれ、理性は破壊されて、滅亡せむばかりだつた」

(「新生の曙」 ストリンドベルヒ著 三浦關造譯)

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古本は不要不急の対極にあって、疫病から守護する不可侵の沈黙を齎すものである(井上十吉)

2021年04月23日 | 瓶詰の古本

 141.一昨夜神保町の或る古本屋で面白い本を見付けましたから昨日朝買ひに行きましたらもう売れて居りました。   (東商 42)

 As I came across an interesting book the night before last at a second-hand bookseller’s in Jinbocho, I went yesterday morning to buy it ; but it had already been sold.

 本屋 bookstoreにても宜し、又夜見世とか見世先に出してあるならば bookstall とす。
 見付ける to find にても宜しけれど to come across としたる方 idiomatic なり。
 昨朝 一昨夜と前にあるを以て the following morning とするも可なり。
 もう売れました 原文の儘に訳したれども余り趣味なき故に唯 it was gone とするも可、又 it had already found a purchaser, I found myself forestalled, I had been forestalled(機先を制せられた)とするも宜し。

(「井上和文英譯」 井上十吉譯註)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「しほ」といふ文字はいづれのへんにか

2021年04月12日 | 瓶詰の古本

 くすし篤成、故法皇の御前に侍らひて、供御の参りけるに、「今まゐり侍る供御の色色を、文字も功能も、尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも、申し誤り侍らじ」と、申しける時しも、六條の故内府参り給ひて、「有房ついでに物ならひ侍らん」とて、「先づしほといふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と、問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才のほど、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と、申されけるに、とよみになりて、退り出でにけり。(「徒然草」 第百三十六段)

 

 旧来の漢和字書を引いていて、いくら見出しを探しても「塩」という字になかなか行き当たらないことについ最近気がついた。部首【土】の部を辿ったり、総画索引でしらみつぶしに検字したりしても行き着くことが難しい。旧来の字書に拠った場合、「塩」なる文字形が【鹵】の部首部内にちゃっかり紛れ込んでいる事例は多々あるものの、上記話柄にある【土】偏部にて見出すことはほとんどない。時代は下るが、『倭玉篇』など各種玉篇類を繙いても同様のことは鮮鋭に確認できる(近年の漢和辞典で「土」の部首部を引けば、当然のように「塩」へ行き当たるかも知れないが)。
 受験参考書などには、想起した「塩」の字は俗字であり正字を以て応じそこなった頓珍漢から、吹聴する学識に引導を渡されたという注釈が少なくないと思われるが、そもそも「塩」という字は部首「土」の部に属する文字と通用されていないのにという、学問の自慢家がうっかり文字の外形に引っ張られて粗忽の答をしてしまった(正字、俗字の別を持ち出す必要のない)逸話としてもっと単純に読んで笑えばいいと小声で一言言わせてもらえたら、一読者限りの憫笑にも値しない粗笨な独り言なりでケリはつく。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする