美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

利益主義(清澤洌)

2012年08月30日 | 瓶詰の古本

(昭和十九年)十一月二十日(月)

   日本人が良心的でないのは、どこに原因があるのだろうか。考えていることと、まるで反対のことを言うのである。丸山国雄君の「ペリー侵略史」もそうであり、伊藤道夫君の米人鬼畜呼ばわりもそうである。また、海老名一雄君(元日米新聞主筆)がラジオや講演会での米人惨虐説の宣伝もそうだ。僕の周囲でこれをやらないものは、殆んどない。僕などが沈黙を守っている唯一の存在だ。
   これは国家を最大絶対の存在と考え、その国策の線に沿うことが義務だという考え方、それと共にそうするほうが利益だという利益主義からであろう。外国ではそうした立場をとらない人々が少くない。そのアティチュードをつくることが、今後の教育の義務だ。

(「暗黒日記」 清澤洌)

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幻影夢(十四)

2012年08月28日 | 幻影夢

  いましも世紀末的な風情は薄い空気に流れ込み、この季節外れの暑さに乗ってそれら不定形な精神の匂いが厚く漂っているようだ。なんだか、先生の息吹が、風雲となってこちらめがけて巻き上がって来るみたいな気がしてしまう。ここにおいて、とりあえず相手に折れるほかに上手い手立てが思い浮かぶ訳もなく、意思を抜かれた傀儡のままに喫茶店からも引きずり出されてしまう。まさに無重力の地上を糸で操られる足取りでもって最寄りの駅まで導かれて行くと、命じられるがままに財布の紐を解き二人前の切符を買わされる。憑かれた女と既にほとんど一体と化している心持ちは、自分の魂魄を風船にして大空の彼方へ見送る三歳児そのものと等しいのだ。
  「さあ、早く乗りなさいってば。あ。ほれ、あそこが二つ空いている。座ろ、座ろ。」
  万力の固さで手を握って離さないのだから、意のままに電車に乗らねばならず、隣に離れず座らねばならないのだ。そして、首都圏下の郊外に親の代から住まいしている教授の居宅へは、私鉄電鉄に乗って小一時間を要するのである。             

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五十八年は幾分か(平田元吉)

2012年08月22日 | 瓶詰の古本

ゼラー、コルバーン(Zera Colburn)は千八百〇四年米国合衆国に生れたものであつたが、六七歳未だ算術の何たるを学ばざる中に、非常なる数学の天才を露はした。彼は二位三位四位の数と、他の同様な数との積をに直出すのみならず、六位七位の数字を与ふれば直に其因数をあてる、また数の幾次乗或は平方根、立方根を容易に出した。例へば八の十六乗次はと聞いたら、直に281,474,976,710,656と答へた。他の幾多の実験にて、記憶でなく、計算寧ろ直覚であることが分つた。106,929の平方根と聞いたら此数字を書き終るか終らぬ中に327と答へ、268,336,125の立方根を聞いたら、同じく645と答へた。247,483の乗数を聞いたら直に941と263とであると答へた。174,395の因数を聞いたら、5×34,279.7×24,485.59×2,905.83×2,065.35×4,897.295×591.413×415と答へて是より外に無いと言つた。36,083の乗数はと聞いたら、無いと答へた、実際是れは素数である。五十八年は幾分と聞いたら声に応じて25,228,800と答へ、猶ほ1,513,728,000秒と附加した。有志者其未来を嘱望し、英国に連行き、教育を施し、数学を教授したが、普通の計算の能力が進むに従つて、此天才的能力は次第に衰へてしまつた。

(「近代心靈學」 平田元吉)

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偽書物の話(十七)

2012年08月19日 | 偽書物の話

   「なんですって。どういう意味です、それは。」
   「どういう意味もなにも。おれは知っとるんだよ。あんたのご亭主は、もうここへは戻って来ん。戻って来れんのさ。人を殺めたような身で、どうして…。」
   「お引き取り願います。さあ。この本は、店の主人が帰って来るまでは、絶対にどなたにもお譲りできません。主人がいいと言わない限り、誰が来ようとも渡すわけにはいきませんから。何度おいでになっても同じことです。」
   男は今にも掴みかからんばかりに目を見開いて女をにらみつけていたが、さすがに傍らに私が立っているので爆発を抑えたのか、本を元へ戻すと後も見ずに店を出て行ってしまった。
   残った私も、黙って頭を下げると、そのまま直ぐに店を出た。陽はまだ高く、薄暗い店の中から外へ踏み出すと、一瞬熱気の大地の上に目が眩んで幻が見える。あの目立って大きな黒い書物の表紙が目の前を覆い、白い閃光が読めない文字をまぶたの裏に描く。
   私はそこに踏みとどまり、暫くは寮へ通ずる上り坂を見上げていた。
   「ちょっと、君。」
   後ろからぞんざいに呼びかけられて振り返ると、そこにさっきの男の顔があった。

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かつがつの賦質

2012年08月15日 | 瓶詰の古本

   私の感性や知性(仮にありとして)は、世界にとってなにものでもない。まったくなきにひとしいものである。かつがつ、私自身が綱渡りのようにしてこれまで生きて来るためだけに使い果たされたものであり、それ以上の容量は望むべくもないものである。
   とは言いながら、他人様の感性や知性(それがどんなに豊穣であろうが貧弱であろうが)を羨む気持ちは持ち合わせていないのだ。ここらへんは、ほとんどの大人たちに通有な感覚というものだろう。つまりは、日々にぎりぎり精一杯なのであって、あらぬ非日常の領域に常住遊び回る超絶の奇想力だとか天空へ突き抜ける不世出の創造力だとか、言ってみれば無条件に人を魅入らせ降参させてしまうフェロモン的な天分とはおよそ縁もゆかりもない。だからこそか、たまさか異世界からそよと吹いてくる妖風を秘かに愉しみつつ、その息吹の源に至ろうとする野心を持てず、幻の陰に風穴を探し求めようという熱い憧憬に恐れ戦く有様である。
   そのほかには、ただ、茫漠たる時の遠景になってしまった懐かしい家郷へ至る道をむなしく求める感情が、ときとしてとどめようなく湧いて来るばかりのことなのである。

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世界の活書(木村鷹太郎)

2012年08月11日 | 瓶詰の古本

世に読むべき書物少なからず、然りと雖、最も読むべき活ける書物は文字を以て記されざるなり。カンパラの詩に曰く
  『 起て、友等よ。蠧魚の学問を止めよ。
   彼等は単に一粒、一位、一寸を与へて以て全体なりと称せり。
       *        *        *
   世界は実に書物なり。
   不死の精霊其思想を之に書けり。
   眼を転じて吾等此原本の書を読まん』
と。此書物は何処にて読むべき。ヒュー・ミラー曰く『世界は大学校なり』と。此大学校に、此書を読む、これ真の読書たるなり。

(「読書百感 鳴潮餘沫」 木村鷹太郎)    

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偽書物の話(十六)

2012年08月06日 | 偽書物の話

   男は私のいることなどまるきり無視して、まっすぐに女の目を見つめた。
   「ご面倒だが、例の本、もう一度見せてもらえるかな。」
   先の言葉に後の言葉がまとわりつくような、くぐもった声だった。女は一瞬眉を曇らしたが、すぐに何気ない素振りにかえると、あの黒い本を男の前へ押し出した。
   「これだ、これだ。まったく何とも言えん手触りだ。こうしてかかえると、まるで女を抱いているような気分になるから不思議だよ。ねえ、奥さん。是非譲ってほしいんだ。この本、一体いくらなら承知なんだね。」
   「本当に困ります。先生には古い辞書や玉篇に詳しいというんで見ていただいたんです。まだ売るとも何とも申し上げておりませんでしょ。主人が帰って来ましたら相談の上でご返事すると、この間から言ってるじゃありませんか。」
   私は、思わず奥の間を隔てる障子に目をやった。
   「ふむ。して、ご主人はいつ帰っておいでなのかい。」
   「旅に出ています。いつ、いっかとははっきりはしませんけど、とにかく主人が戻るまで待っていただきたいと再々。」
   「戻っては来ん者を待つ奴があるものか。」
   男は低い声でつぶやいた。そして、このつぶやきを聞いた途端、女はおそろしく毒を含んだ表情に変わった。

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ソ連行きの計画を前にして(幣原喜重郎)

2012年08月03日 | 瓶詰の古本

   近衛公と私との会見は、残念ながらこの仏印出兵のときが最後でなく、もう一度あった。そしてこれも愉快な会見ではなかった。それは公がソ連へ行く決心をしたときで、この時も私に内密で会いたいというのであつた。公は、
   「私はこんどソ連に行き、直接スターリンにぶつかって、自由な意見の交換をしようと思います。それについて、陛下の御親書を頂いて行くつもりです」と云った。
   それは戦局が最後の段階に近づき、ヤルタ会議の直前であった。近衛公は以上の話をして、
   「それについて、あなたはどう思いますか」と訊ねたから、私は、
   「僕は絶対に反対です」とキッパリ答えた。そして、
   「そんな事をして目的を達する訳はありません。陛下の御親書に重きを置いて、先方がその決心を再考すると思われますか、それは目的を達しないのみならず、ついには累を皇室に及ぼすから、私は絶対に反対だ」と強く主張した。すると公は、「そうでしょうかね」といって、反駁もせずに別れたが、結局公のソ連行きは計画だけで、行かないことになった。
   それは確かに行かなくってよかったのである。もし行ったとすれば、それは実に笑い物以外の何ものでもなかったであろう。
    列国はヤルタ会議をやってスターリンを取り込み、ソ連を対日戦争に参加させ、その代りに樺太を全部やるとか、千島をどうするとか、食わすに利をもってしている時、日本から何一つ持って行く土産がない。ただ陛下の御親書などという、ソ連に取つて少しも有がたくない土産で、スターリンがこれに耳を傾けるなどと思うのは、全く見当違いであったといわねばならない。
   以前日米交渉が行き詰った折のことであるが、太平洋で近衛・ルーズヴェルト会談をやろうという議があったが、私は近衛公がルーズヴェルトに会って見ても、初めの瀬踏みが十分に出来ていなければ成功は覚束ないと思っていた。しかしこれも、何故か立ち消えになつた。

(「外交五十年」 幣原喜重郎)

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大戦の序曲・仏印出兵(幣原喜重郎)

2012年08月01日 | 瓶詰の古本

   日華事変から太平洋戦争にかけて、私はただ悶々の日を送る外はなかった。時に丸善に出かけて、新刊の洋書を体に入れては、もっぱら読書に鬱を散じた。一九四一年(昭和十六年)の夏、私は明治神宮の近くの千駄谷の新居に移っていたが、ある日思いがけず、近衛首相から面会を求められた。
   ちょうど近くに公の親戚が居るので、公はそこへ出かけ、私は裏の方からその家へ行き、そこで会合するようにしたいと申越された。私は何の用向か思い当たることもなかったけれども、とにかく指定の時刻に指定の場所に赴いた。
   近衛公は私に向つて、「いよいよ仏印の南部に兵を送ることにしました」と告げた。私は、「船はもう出帆したんですか」と訊くと、「エエ、一昨日出帆しました」という。
   「それではまだ向うに着いていませんね。この際船を途中台湾か何処かに引戻して、そこで待機させるということは、出来ませんか」
   「すでに御前会議で論議を盡して決定したのですから、今さらその決定を翻えすことは、私の力ではできません」との答えであつた。
   「そうですか。それならば私はあなたに断言します。これは大きな戦争になります」と私がいうと、公は、
   「そんな事になりますか」と目を白黒させる。私は、
   「きっと戦争になります。それだから出来るならば途中から引返させて、台湾か何処かの港に留めて置きワシントンの日米交渉を継続して、真剣に平和的解決に全力を挙げられたいものです。しかしもう日本軍がサイゴンか何処かに上陸したならば、アメリカと交渉しても無益ですから、それはお止めになったらよいでしょう。交渉を進行する意味はありません」というと、公は非常に驚いて、
   「それはどうしてでしょうか。いろいろ軍部とも意見を戦わし、しばらく駐兵するというだけで、戦争ではない。こちらから働きかけることをしないということで、漸く軍部を納得せしめ、話を纒めることが出来たのです。それはいけませんか」というから、
   「それは絶対に不可ません。見ていて御覧なさい。一たび兵隊が仏印に行けば、次には蘭領印度(今のインドネシア)へ進入することになります。英領マレーにも進入することになります。そうすれば問題は非常に広くなつて、もう手が引けなくなります。私はそう感ずる。もし私に御相談になるということならば、絶対にお止めする外ありません」
   ジッと聞いていた近衛公は顔面やや蒼白となり、「何か外に方法がないでしょうか」という。
   「それ以外に方法はありません。この際思い切って、もう一度勅許を得て兵を引返す外に方法はありません。それはあなたの面子にかかわるか、軍隊の面子にかかわるか知らんが、もう面子だけの問題じゃありません」と、私は断言したのであった。
   話はこれで打切りとなり、近衛公と私との会談は、不愉快な煮え切らぬ物別れとなった。こうして私が予言した通り、仏印進駐がきっかけとなって、とうとう大戦に突入してしまった。

(「外交五十年」 幣原喜重郎)

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