美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

実利実学を履き違えたかして、醜悪を上塗りして恥じない不徳義漢となる(夏目漱石)

2019年12月19日 | 瓶詰の古本

 「学問即ち物の理がわかると云ふ事と生活の自由即ち金があると云ふ事とは独立して関係のないのみならず、反つて反対のものである。学者であればこそ金がないのである。金を取るから学者にはなれないのである。学者は金がない代りに物の理がわかるので、町人は理屈がわからないから、其代りに金を儲ける」
 何か云ふだらうと思つて道也先生は二十秒程絶句して待つてゐる。誰も何も云はない。
 「それを心得んで金のある所には理屈もあると考へてゐるのは愚の極である。しかも世間一般はさう誤認してゐる。あの人は金持ちで世間が尊敬してゐるからして理屈もわかつてゐるに違ない、カルチュアーもあるに極つてゐると――かう考へる。所が其実はカルチュアーを受ける暇がなければこそ金をもうける時間が出来たのである。自然は公平なもので一人の男に金ももうけさせる、同時にカルチュアーも授けると云ふ程贔屓にはせんのである。此見やすき道理も弁ぜずして、かの金持ち共は己惚れて……」
 「ひや、ひや」「焼くな」「しつ、しつ」大分賑やかになる。
 「自分達は社会の上流に位して一般から尊敬されてゐるからして、世の中に自分程理屈に通じたものはない。学者だらうが、何だらうが己に頭をさげねばならんと思ふのは憫然の次第で、彼等がこんな考を起す事自身がカルチュアーのないと云ふ事実を証明してゐる」
 高柳君の眼は輝やいた。血が雙頬に上つてくる。
 「訳のわからぬ彼等が己惚は到底済度すべからざる事とするも、天下社会から、彼等の己惚を尤もだと是認するに至つては愛想の尽きた不見識と云はねばならぬ。よく云ふ事だが、あの男もあの位な社会上の地位にあつて相応の財産も所有して居る事だから満更そんな訳のわからない事もなからう。豈計らんやある場合には、そんな社会上の地位を得て相当の財産を有して居ればこそ訳がわからないのである」

(「野分」 夏目漱石)

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アリアドナ(チェーホフ)と坊っちやん(漱石)

2019年12月05日 | 瓶詰の古本

 私とアリアドナが白楊魚(かはぎす)を釣つてゐると、ルブコフはすぐ傍の砂地に寝転んで、私をからかつたり、生きる法を講義したりするのでした。
「ねえ先生、あなたがロマンス無しで生きて行けるのを見ると、全く不思議でなりませんね」と言ふのです、「あなたは若いし、美男子だし、なかなか乙だ。一口に言へば何処へ出しても恥しくない人なのに、坊さん暮らしをしてるんですからね。ああ、二十八の老人なんて全く我慢がなりませんよ。私はあなたより十も年上なのに、一体どつちが若いでせう。アリアドナ・グリゴリエヴナ、どつちです?」
「勿論、あなたよ。」とアリアドナが答へました。
 私達が黙り込んで浮子(うき)ばかりに気を取られてゐるのに厭々した彼が、家に帰つてしまふと、彼女は腹立たしげに私を眺めながら、かう言ふのでした。
「本当にあなたは、男ぢやなくて、まるでお粥みたいだわ。男つて言ふものは、夢中になつたり、気狂みたいになつたり、過(あやま)ちをしたり、苦しんだりするものだわ。あなたが無作法をしたり図々しい事をしても女は許すけど、小利口なのは許さないものよ。」
 彼女は本気になつて憤つて、言ひ続けました。
「物に成功するには、はきはきと大胆にやらなければ駄目よ。ルブコフはあなたほど綺麗ぢやないけど、ずつと面白味があつて、何時も女に成功するでせうよ。と言ふのも、つまりあの人があなたみたいぢやなく、男だからよ。……」
 その声には何となく薄情な響が籠つてゐました。

(『アリアドナ』 アントン・チェーホフ作 神西清譯)


 夏目漱石の『坊っちやん』で、うらなり君とマドンナが男女の関係にあったとするとき、この小説作品の読み方が変わるなんてことはあるだろうか。許婚の二人がそうした誼を結んでいたとしたところで、うらなり君が更にお粥みたいな男になるとか、マドンナが実は妲己のお百を遥かに凌ぐ悪女であったと読まれることは決してない。だから、小説内を進行する二人の位置間合い自体は、そのことあっても微動だにしない。

 

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