かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

能登内親王の墓は、平家のアゲハチョウ

2024-02-24 01:25:07 | かごめかごめの真実とは

2024年2月24日(土)

今日、能登内親王の墓に行くにあたって、御姫様がそこに眠るにあたって、生前どんな会話があったのか想像してみました。

能登内親王・・「親兄弟との関係は分かったが、それだけじゃ寂しいぞよ」

桓武天皇・・「近くに空海の母さまも妹も居てますし、卑弥呼様との繋がりもありますし・・」

能登内親王・・「この世を後にするのにもっと楽しくなるものはないのかえ、弟よ」

桓武天皇・・「このように姉さまが言っているが、空海聞かしてやってくれ」

空海  ・・「内親王さまは、この世とあの世とを行きかう平家のアゲハ蝶であります」

能登内親王・・「どういうことじゃえ、空海」

空海  ・・「はい、右の羽には古代天皇様たちをお祀りする皇大神宮と女王卑弥呼と弟の孝元天皇様の詣り墓である五色塚古墳、左の羽には姥様と・・ ・・」

能登内親王・・「どうした空海」

空海  ・・「はい、・・私の娘が眠る島とで、アゲハチョウになってこの世とあの世を行き来していただきたいと思っています」

能登内親王・・「そうであったかぁ・・、それでは寂しくはないのう。みなで🦋になって行ったり来たりできるのじゃな・・それは良いのう、のぅ空海」

・・

横笛吹く人と空海さま・・「今日、お姫様のところへ参りまする、沢山の方々とともに・・」

お姫様 ・・「ああぁ^^ だれかぁだれかぁ~聞いたかぇ~^^」

・・と、山の上は混乱まで行かなくとも・・ガヤガヤ、ソワソワ・・と、日も差して・・。

お姫様は用意された男衆の誰の車に乗って山を下りられるのでしょうかねぇ・・。


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鶴と亀からのメッセージが届けられて・・そして・・やるぞ~~~!!

2023-01-07 04:01:04 | かごめかごめの真実とは

2023年1月7日(土)

5日に末廣さんが事務所を訪問されました。そして素敵な日本酒をいただきました。そのビンに張られたラベルを見て私にはすぐに響いてくるものがありました。

「私は今年の干支のうさぎなんです」とも話されました。

もう紀元前から中東と日本を往来している民族を表すアゲハチョウと、北の王様エフライム王のシンボルであるブドウとウサギさん。

(葡萄に見えたが、葡萄でもなさそうだけど・・)

コンサートでは鶴の衣装を着て居られた末廣さんの本籍地は、イエス終焉の地である備前の穂波。

私の頭の中では、ウガヤのウサギさんに助けられた鶴さんイエス・キリスト。そのイエスはブドウで表されるエフライム王族の人。ああ~~うまく纏められません纏まりません。

んん~~ん日本の歴史、世界の歴史を簡単に言うと、亀さんと鶴さんの話なのです。モーセとイエスなのです。

それで私は亀さんの横に頂いたワインをお供えしました。

亀さんと言えば空海さまなのですが、ある年の元旦に「私はいいから下の亀にやってくれ!」と言われて振り向いたら、それまで探しきれていなかった空海さま自作の亀石発見のことをまたまた思い出しました。どこまで行っても、「」と「」が私の頭の中では動き回っています。

旨く書けませんが、素晴らしいメッセージが届けられて・・ やるぞ! やるぞ! やるぞ~~~!!


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これぞ伝統ある平家の大アゲハチョウである!

2022-04-12 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年4月12日(火)

今城塚古墳は、義慈王を祀る陵墓である。そしてその陵墓は、卑弥呼の墓に向けて造営されている。

紀元前からの流れを組む伝統ある平家の大アゲハチョウが出現しました。

上の今城塚古墳が義慈王を祀る陵墓で、下の73.2mの山が物部守屋の埋め墓である。


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今日の成果、20🦋円でした!

2021-10-06 05:52:29 | 埋蔵金

2021年10月6日(水)

4日、月曜日AM11:00頃、事務所に篠原さんがやってきた。

私は、日生、岡山城などの話をおしみなく伝えた。

それを伝えるべく、ホワイトボードに、8×8×5×19×70≒40。

まだありましたよ~~・・と。

「二日で二年分以上ですから、もう国家予算の6年分になりましたでしょうかぁ・・」と。

篠原さんは、話す言葉を失っていたようでした。

一緒に簡単な昼食をすませて、「もう1時ですよ、早く行かないとお友達がまっていますよ・・」と。

「今から黄金探しに行ってこうかと思います」と言って、篠原さんをエレベーターの前まで見送りました。

そして、PCから目的地の地図を印刷して、事務所の人達に、「黄金さがしに行ってきま~~す」と事務所を出ました。

六甲道から神戸駅まで行って、そこからタクシーで目的地点まで行って・・、いよいよ調査開始です。

開始しだして数分でヒット!でした。

帰りは大倉山駅から地下鉄三宮を経由して六甲道まで。

そして・・、「ただいま~~」と。

事務所を出て2時間半ほどで帰ってきました。

「今日の成果、20🦋円でした!」と報告。

日曜日、岡山城の改修工事の工事案内板の下に、平家の紋章アゲハチョウがありましたが、月曜日の朝一番に窓の外にアゲハ蝶が舞っていたんですね。

私の住まいは31階なのに朝から、「アゲハチョウさん、隠れていたんでしょうが見つかっちゃいましたねぇ」と。

どうも平家の方が、連日重大なことを教えに来たような感じを受けました。

そして、なぜか「オオクラヤマへ行きなさい」とアゲハ蝶さんが言ってるような気がするので、行ったら本当にそうだったようでした。

大倉山公園は阪本城跡と言うことでしたから行ったのでしたが、今まで何カ所か行った城跡全てに黄金をキャッチしました。

アゲハ🦋さんは、私には楠木正成のような気がして仕方なかったので行った次第でした。

こうなったら、日本中の城跡には量こそ違っても、埋蔵金が100%あるように思えてきました。

昨日、金の探査器特許出願完了しました。


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4月24日(土)大阪府岸和田市西之内町1-1

2021-04-21 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年4月21日(水)

姫路に暮らした時、毎朝、射楯兵主神社の南北に延びる参道の中間点から神社に向かって、「イエス様おはようございます・・」と、神社で手を合わす先にはイエス・キリストの墓があることを意識して手を合わせてから姫路駅まで歩いたものでした。

ツアーでも皆さんを案内したことがありました。

その射楯兵主神社と和泉大宮 兵主神社と八王子山は直角三角形を描きます。

そして、その八王子山とイエス・キリストの墓と射楯兵主神社も直角三角形を描きます。

201月2に私たちは、八王子山の麓にある日吉大社へとお参りして、そこから八王子山を眺めてから比叡山延暦寺根本中堂へと向かいました。

あの日のツアーでの出来事は、今でも鮮やかに思い出せます。

もうその日は全てが光り輝いていたように思います。

そのことを下記のブログに書き綴っていました。

 

思い出に残る素晴らしい一日でした

あなたに会えてよかった

アゲハチョウは平家の紋章

比叡山延暦寺の阿弥陀堂は聖母マリアの墓に手を合わすようになっている

 

あらためて下の図形を見ていると、どうしても今度の24日(土)岸和田の兵主神社へは、何者かに呼ばれている気がしてなりません。

行かなければ・・。

音と踊りのイベントGENTEN7」 


●開催場所:大阪府岸和田市西之内町1-1

和泉大宮 兵主神社
●開催日:2021年4月24日(土)〜25日(日)

2日間

●開催時間:24日12:00〜18:00 

       25日11:00〜17:00

4月24日(土)午後から佐藤健志君も「出演します!」と言うことなので、私も行きたいと思います。

 


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姫路城に込められた願い

2018-06-06 10:18:23 | かごめかごめの真実とは

2018年6月6日(水)

 最近、姫路へ行くことが多くなりました。

播但線に乗って神河町へと行く車窓から姫路城を遠くに眺めるのも私の楽しみの一つとなりました。

その姫路城の天守閣にある刑部明神に手を合わせると、見事に聖地神河にある卑弥呼さんの陵墓に手を合わせるように築城されていました。

その天守閣から南の方を眺めると、姫路駅へと延びる大通りがありますが、角度が少しずれていることが分かります。

3度ほどずれています。

当然として、お城を造る方角と、そのお城へ上るメインの大通りと、それに連なる道も計画された上で造られているはずです。

姫路駅から姫路城へと伸びる大通りはどこを意識して都市計画されたのでしょうか・・。

姫路城が倭国の御姫様の陵墓を意識して造ったのであれば、その御姫様がお祀りしていた生野の地下神殿を意識して造られている気がしてなりません。

姫路城には、アゲハチョウの紋章の大瓦が展示されたりしていますが、

源平以前よりはるかに歴史がある平家の方々が、平家の御姫様と崇めた卑弥呼さんの思いを成就させるべく姫路を造ったとすれば、全てにおいて納得できます。

姫路城は、卑弥呼さんの陵墓に手を合わせるように築造されました。

お城へと上がるメインの大通りは、卑弥呼さんが祈り祀った生野の地下神殿に向けて造られています。

山々を使って大きな大きな鶴と亀の地上絵が造られた、

しかも、鶴と亀がキスしているシーンが造形された生野町の絶峯という山とを結んだライン(ブルーのライン)の22.5度の傾きと全く同じになっているのは偶然ではないでしょう。

姫路城と姫路を創った先人達は、播磨国風土記に記された埴岡の里の秘密をよ~~くご存じでしたね。

その証が、姫路という地名にも表現されているということです。

姫路城に込められた先人達の願いを成就させるときが来たようですが・・。

 

Schloss Himeji

Nicht nur Schreine und Tempel waren so konstruiert, dass das darzureichende Gebet wie von selbst auf wichtige Orte ausgerichtet wird. Auch Schlösser wurden, mit jeweils vertieftem Gebet, unter genauen Planungen und Vermessungen gebaut.

Dies erkennt man sehr genau am Schloss Himeji. In der obersten Etage seines zentralen Burgturms befindet sich ein Schrein namens Osakabe-jinja.

Betet man in diesem Schrein, richtet man sein Gebet genau am 20. Grad auf dem Kompass aus, d.h. in die Richtung der Grabstätte Himikos in Kamikawa-cho.

Ein Schloss ist zwar eine Einrichtung, um Kriege zu führen, aber es könnte sein, dass dieses Schloss Friedensgebete für Himiko darreichen möchte, die sich eher für den Tod entschied, um Kriege zu vermeiden.

 

 


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私は揚羽蝶の紋章が大好きです

2017-05-29 10:50:21 | かごめかごめの真実とは

2017年5月29日(月)

28日(日) 午後2:00から、セミナーが開かれました。

セミナーが終わって・・

「私がどうしてこの町に嫁いできたのか、ずっと疑問に思って生きてきましたが、今日やっと分かりました」と、ご婦人が私に興奮気味で話されました。

姫路城は卑弥呼の陵墓に向けて造られています」

アゲハチョウの紋章は、この日本で最も歴史が古く、由緒ある人達の紋章です」と話し、その町がこれから世界の聖地に間違いなくなることと、もう誰より早くその地に暮らしていることに、誇りさえ感じられたことでしょう。

「私が嫁いできたときに、婚礼衣装に揚羽蝶の紋章が入っていたんです。そしてもう一つには五三の桐の紋章が・・」と。

 

 

 

 


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姫路城の秘密

2016-12-05 10:01:58 | かごめかごめの真実とは

2016年12月5日(月)

神戸の六甲道駅から姫路まで、新快速電車で45分ほどで行きます。

3日(土)、古代史研究家の市川慎さんと神戸駅で待ち合わせをして、市川さんの車の助手席から姫路城と、一つの神社の鳥居が目に飛び込んできました。

その日は、Yさんも一緒に市川さんの話を聞きましたが、それからその2ヶ所が非常に気になるので、翌日日曜日に姫路城へと行きました。

それは、前々から姫路という地名と、卑弥呼の陵墓との関係性が大いにあるという思いが私にはありましたから、この今のタイミングなんだろうと思って、天気は悪くとも行くことにしました。

事前に私は、コンパスグラスで覗いて20度ラインが卑弥呼の陵墓であることを地理院地図から割り出して行きました。

姫路駅で降り立ち、北の方へ出ると、そこには姫路城を案内するかのようにメイン道路が城へと延びています。

そこでコンパスグラスで城の方向を見ると・・、角度が全く違いました。

これは益々、天守閣へと行って方位を測らなければならないという気持ちになりました。

神戸を出る時は雨は降っていませんでしたが、姫路駅に降り立った時にはもう小雨が降りだしていました。

城はすぐそこにみえていますが、それで・・、タクシーで行くことにしました。

・・・

天守閣へと上り詰めると・・、そこには御社が祀られていました。

なんと、姫神様を祀ってありました。

「さぁ角度は何度だ、角度は!」と私の頭の中に響き渡ってきます。

小雨模様の天候のせいもあって室内は薄暗くて・・、ハッキリとコンパスグラスの数値は読みにくい状態でしたが、何度も何度も間違いないかと計りました。

その数値は、「ピッタリ20度」でした。

播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の神河町にある卑弥呼の陵墓がある角度にピッタリと向けて姫路城は造営されていました。

そしてそして、天守閣にはその卑弥呼の陵墓に向かって手を合わすように、城の最上階の天守閣の中央に「姫神」を祀る御社がありました。

私は北の窓からどのような山々が見えるかも非常に興味がありましたので、コンパスグラスでそこから目印になるような山の形にラインを合わせると・・。

イエスの陵墓と卑弥呼の陵墓を教える特徴ある山も見ることができました。

そして、天守閣へと登る途中でアゲハチョウの模様を掘った瓦も展示してありましたが、靴を入れるビニール袋にも平家の紋章であるアゲハチョウが印刷されてありました。

又、パンフレットには、十字紋瓦が「にの門」の破風上にあることも書かれていましたが、このことも私には大いに興味が持たれます。

姫路城とは、間違いなく御姫様である女王卑弥呼を守り祀っていくお城であり、御姫様の陵墓へと通じる路が「姫路」という地名として残っているということでしょう。

昨日の雨は、「やっと姫路城の本当の意味を分かって下さる方が来られましたぁ・・」と、イエス王家の方々とその直系である卑弥呼様とそれを支えた平家の方々など目に見えない多くの方々涙されたようでした。

世界文化遺産である姫路城へと、これから益々、世界中からやって来られます。

そして、そこで先ずは姫路城で御参りを済ませ、そこから播但線に乗って生野、神河町の聖地へと行かれます。

その流れはもう止めることができないでしょう。

神様のシナリオは、それはそれは素晴らしいものですよ。

その重大なことを教えるもう一つの秘密も、姫路の方々に変わって書きたいと思います。・・つづく

             


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アゲハチョウは平家の紋章

2016-06-29 10:02:26 | かごめかごめの真実とは

2016年6月29日(水)

 日吉大社は特別な意味を持った神社です。

日吉大社の大鳥居横の境内案内看板の2ヶ所の宮にタッチアンドゴーをしたアゲハチョウさん。

アゲハチョウさんは、その2ヶ所の宮である白山宮と宇佐宮に注目せよと私には聞こえました。

実は昨日27日の昼、事務所に黒いアゲハチョウさんが飛び込んできて、夕方近くまで居座っていました。

またまた私に「ちゃんと分かりましたか」「記録してくださいね」と言ってるようで・・、国土地理院地図を開きました。

・・なんとぉ! 看板があったあの場所、大鳥居から神河町の卑弥呼の陵墓までと、伊勢神宮外宮までの距離が全く同じでした。

もう、偶然や奇跡は通り越していますね。 

そして・・、その鳥居から見える山頂のコンタラインがひょうたんの形をしている八王子山から、神河町にあるイエス・キリストの墓までと、伊勢神宮内宮までの距離がこれまたキッチリと同距離でした。

アゲハチョウは平家の紋章ですが、豊臣秀吉の財宝がある島の所有者を訪ねて行った時、「こちらさんは豊臣か徳川に所縁のある方ですか」と聞いたら、「家は豊臣でも徳川でもない。平家だ」と言われて、そのとき瞬時に私の御祖父さんが言っていた、「うちは平家の立派な武士だ。貧しくても人に施しをせよ」と、遠い昔に聞いたことを思い出したものでした。

    

 

 

 

   

 


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あなたに会えてよかった

2016-06-27 17:05:21 | かごめかごめの真実とは

2016年6月28日(火)

 ツアーの集合場所は新大阪駅の千成びょうたんの前でした。

私には、「千成」と「ひょうたん」が妙に懐かしく思いました。

この物語の最初のころに、千ヶ峰の霊能者の女性Iさんが空中から突然「千成」と書かれたコインが出てきて・・、と言われて、その写真を「上森さん、持っててください」と言われ、

又、その方と大王岬に行くとき、京都で待ち合わせ場所に指定されたところが豊国神社で、その神社は豊臣秀吉を祀る神社で、そこも千成びょうたんがありました。

そこから豊臣秀吉の財宝が隠されている大王岬のとある島を見つけに行ったりしたことなど思い出します。 その島を大きな大きな龍神がとぐろを巻いて守っていると、謎の女性、筒井翼さんのことなども思い出しました。

最初のころ「千成」は、トセーで、取り出せ!祀れ! という二つの意味があるヘブル語だと教えられ、空中から「千成」のコインが出現したという出来事は、目に見えない世界からのメッセージだと私は受け止めました。

それからどんどん不思議な世界へと誘われていきました。

このようなことで、朝から何か起きる予感がしていました。

矢野さんが予約していた昼食会場の名が「鶴喜そば」で、折鶴の庭もあったりして・・と。

最澄さまがお生まれになった生源寺の隣にある大将軍神社で、「金龍が現れて空に登っていきました」とHさん。

「エエ~~、そうですかぁ!」と、私。 そこの神社には精霊や小人や龍神も住み着いていても不思議でないような、滋賀県指定自然記念物の見事なスダジイの存在には圧倒されました。

推定1300年と書かれていても疑わないような気もしました。

そこから、勢いよく水が流れる溝と瀟洒な塀を見ながら日吉大社へと、大勢の御一行様が上がって行かれました。

その日吉大社で、境内の大きな案内看板が目に入りました。

そこで藤田さんが、「アゲハチョウが・・、アゲハチョウが飛んでる」と声を上げて居られるので、アゲハチョウを見ると・・・。

なんと、そのアゲハチョウは、看板に描かれた2ヶ所の建物にタッチアンドゴーでサインをくれたので、その場所を見ると・・、宇佐宮と白山宮でした。

境内はあまりにも広すぎて時間もないので、アゲハチョウさんは、この二か所だけは行ってほしいと言ったようで、私はその2ヶ所だけに行くことにしました。

その宮へ行くと、2人の姫神が祀られていましたね。私には、初代女王卑弥呼と二代女王神功皇后とを祀っていると聞こえてきましたが・・。

神仏習合の信仰を表す「合掌鳥居」とも呼ばれる独特の形の山王鳥居。

    

 

 私はアゲハチョウさんが教えた 白山宮 宇佐宮 2ヶ所の宮だけを注視しました。 

皆さんが境内を見歩いてバスにもどると、雨がポツポツと降りだしてきました。

でも大きく崩れる天気ではなさそうでした。 今日は一日晴れの気配だったので傘は持って行っていませんでした。

そしてそこから45分ほどかかって山頂の第一駐車場に着くと同時に猛烈な雨。

最澄さま達お出迎えの皆様方が、こらえきれずに大勢さまが大粒の涙を流されたようでした。

そこで武部さん、「この雨はすぐに止みますよ」と、スマホの天気情報を見せてくれましたが、本当に山頂だけに雨が降ったようでした。

本当に武部さんが言ったように雨はすぐに上がって、一切ホコリが立たないように、丁寧にもう一度打ち水されたようでした。

雨が上がるのを待った数分のバスの中で、あることを私は話しました。 それは・・、空海さまと最澄さまの溝ができていた重大なことがらだったと思っています。

1200年ぶりの再会を果たすためには、最澄さまにそのことを伝える必要が空海さまにはありました。 

最澄さまもやっと空海さまに教えてもらったのでした。 その瞬間、 雨は嘘のように上がりました。 

このことは、亀さんが詳しく教えてくれるでしょう。・・でも100%教えてもらえるかは定かではありませんが・・。

 

バスの近くまで大勢のお出迎えの方々が、来られたようでした。

ビックリ仰天の様相でまたまたHさんが私に伝えてくれました。

「もう大勢の方々が来ておられますよ、大勢の方々が・・見える見える・・沢山の方々が・・」と。

最澄さまの御命日に、空海さまからすすんで1200年ぶりに比叡山で再会を果たされたようです。

根本中堂で最澄さまの心を汲み取られた空海さまは、私に胸の内を語られたようでした。

京都駅で皆様とお別れした後、少しだけ喉を潤すこととなりました。

その席には間違いなく空海さまが居られるのを強烈に感じていた私でした。

祈念撮影をとお願いした店員さんが、「いいですかぁ」とカメラを構えた後ろに大きな一文字が目に飛び込んできました。

6月26日 最澄さまのご命日でした。

6月24日 は、弟の命日。「良かったな~空海さまの弟子にしてもらったんだな」と、弟に言ったことがある私です。

6月24日には、私が関西に出てきてから、よ~くお世話になった照子おばさんが亡くなられ、

前日25日には御通夜に行ってた私でした。

「告別式には出れませんが・・」と言って、おばさんと最後の別れをした私でした。

いろいろな思い・・。

でも強く感じたのは、やはり空海さまでした。

1200年ぶりに・・・。   空海さまも・・・   最澄さまも・・・

 あなたに会えてよかった   と、自然と肩を抱き寄せあって居られたました。

 


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思い出に残る素晴らしい一日でした

2016-06-27 11:26:23 | かごめかごめの真実とは

2016年6月27日(月)

 昨日は素晴らしい日でした。 

こんなことが起きますか!!というドラマがありました。

遠方より沢山の方々に、「最澄さまご命日ツアー」に参加していただきました。

そしてその方々と共に高貴な方々がそれぞれついて来られたことだろうと私は思っています。

本当に厚く御礼申し上げます。 ありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

最澄さまと空海さまも皆さんに感謝されていました。

                上森三郎

アゲハチョウがやはり現れました。  このことは後日詳しく書きたいと思います。

          

         


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アゲハチョウも飛んでいるかもしれません

2016-06-26 07:11:11 | かごめかごめの真実とは

201月2日(日)

 新大阪駅から、最澄様と空海さまと縁ある人達がノアの箱バスに乗って、比叡山への旅です。

1200年ぶりの再会なのかもしれません。

 アゲハチョウも飛んでいるかもしれません。


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女王卑弥呼も間違いなく、交野山の磐座に立っています

2014-10-20 18:42:17 | かごめかごめの真実とは

磐座に立って、293度 270度 321度  の方角を眺めています。

その方角が示す遥か遠くに見える山に、私の目には人工的な山が見えました。

今、スタップサロン鍼灸院には不思議な方々が訪れられます。

愛媛県の瓶ヶ森というところに瓶壺と言うのがありまして・・・、それは生野と鏡合わせになっているようです・・

とか、

「娘の身体を使って神様が言ってるようなんです。 上森さんに交野山の磐座で天と地を繫ぐ儀式をやるようにと・・」と言われるのです。

それで私は、その言葉を天の声かどうかを聞き分け、 間違いなくそうだと思えば、即、動いてそのようにしなくてはなりません。

行ってそこで初めて重要にして重大な秘密を教えられます。 

それには、時 いう大事な要素が必要に思うこのごろです。 焦ってもその秘密の扉は開きませんし、 早くても遅くてもダメのようです。

 その 時 という大事な瞬間瞬間があるように思います。

私が重要な角度の先にある山山を意識して、祈っている間中、 磐座の下のほうでトンビが二羽、優雅に何度も円を描きながら舞ってて、

祈りが終わったらそれと同時に何処かへ去って行ったことを、近くで一部始終見ていた男性に教えられました。

これまで私が重要な場所へと行かされた時、 トンビやカラスが上空でグルグル回りだしたり、アゲハ蝶がやってきたりと、何故か同じシーンをみせつけられましたが、今回もアゲハチョウがやってきて、語りかけるとポーズをとったりしていました。

体験がない人には、偶然でしょう! と言われるでしょうが、毎回毎回同じことが繰り返されると、神様の使者ではと思ってしまいます。

まっ、人さまに迷惑をかけることもありませんので、一人でいつも楽しんでいる私ですが、

間違いなく、女王卑弥呼様が交野山の磐座に立たれたときにも、アゲハ蝶やトンビがその心の中までも眺めていたのかもしれません。

ちなみにアゲハ蝶は平家のシンボルであり天孫族でもあるのではと思っています。

  

 

 


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