遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『マスカレード・ホテル』 東野圭吾  集英社

2016-02-29 09:19:08 | レビュー
 著者の本を読むのはこれが初めてだ。名前はかなり以前から知っているものの著者の本を手にすることはなかった。最初の1冊の出会いが、その後同じ著者の本を読む気にさせるかどうかの契機になる。この警察物はホテルを舞台とする捜査活動のメイン・ストーリーの流れとホテルで起こるトラブルというサブ・ストーリーがうまく織り交ぜられて構成されている。じつはそのサブストーリーがどこでメイン・ストーリーに関わるのか、メインストーリーへの一ステップなのかが見えづらいからこそ、興味をそそられるのだ。かつサブ・ストーリーに落ちがつくと、そこまでの脇道が一つの短編小説となっているようにもなっている。つまり、ホテルを舞台とした短編集的色彩を放つ。ここのストーリー展開、本筋とどう繋がるのかと時にはいぶかしく感じても、その脇道話につい引きこまれているという面白さがある。ホテルを舞台とする大きな事件の流れと、そこにノイズを生みように引き起こされる小事件との交錯が、ホテルという舞台設定である故に、自然なストーリーとなっている面白さを味わえた。また、その短編に盛り込まれたトラブルの真因が、じつはメイン・ストーリーが発生する原因にリンクする伏線になっているのである。直接には予測できない真因というものがあるというある意味の怖さを内在している。
 結論として、私にはマイ・ペースでその作品を読み継いでみたい著者が一人、またここでリストに加わった。

 題名にある MASQUERADE という単語を辞書で引くと、第1羲に仮面[仮装]舞踏会、第2羲に見せかけ、虚構、見せかけ[変装]の生活、と説明されている。ホテルという機能にはそういう側面があるとうなずける。ビジネス・ホテルの場合、利用者は主に短期宿泊のためだけにホテルを機能的利用する。一方、一流ホテルの伝統の気品と華やかさに溢れ、優れたもてなしとサービスを得られる場所に、晴れ羲姿に着飾って、普段とは違う自分を演出して宿泊客となり、その雰囲気を味わうことで高揚感を楽しむということもある。それはまさに利用者がひとときの仮面舞踏会的場を享受する空間でもある。ここでは、勿論後者の一流ホテルがストーリーの舞台となる。「ホテル・コルテシア東京」である。

 なぜ、このホテルが舞台となるのか。それは10月4日夜に、公衆電話からの通報で発見された第1の事件から始まる。事件現場はりんかい線品川シーサイド駅から徒歩5分ほどの月極駐車場に停められた自動車内。被害者は絞殺死体として発見され、その車・ボルボXC70の所有者である岡部哲晴本人で会社員だった。助手席のシートに、奇妙なメモが残されていた。そのメモには「45.761871 143.803944」という2つの数字が印刷されていた。
 10月11日の早朝、第2の殺人事件が発生。現場は千住新橋付近にあるビルの建設現場。背後から襲われた扼殺痕が被害者の首に残る。解剖の結果、死亡時刻は前日の午後6時から9時の間と推定される。被害者は野口史子,43歳の主婦だった。この事件でも、被害者の衣服の下から1枚の紙が見つかり、そこには数字の活字の切り貼りで、2つの数字が並んでいた。「45.648055 149.850829」である。
 さらに、第3の殺人事件が発生する。10月18日夜。現場は首都高速中央環状線の葛西ジャンクションの下の道路上。被害者は畑中和之、53歳の高校教師。毎夜のジョギング途中だった。そこでも1枚の紙片に「45.678738 157.788585」の2つの数字が印刷されていたのである。

 連続で発生した殺人事件の捜査と分析から、捜査本部は次の殺人事件が「ホテル・コルテシア東京」で行われると予測し、何とかホテルの捜査協力を取り付ける。第4の殺人事件の発生を直前で阻止し犯人を逮捕の上、この連続して起こってきた事件の解決を目指そうとする。この小説はその事件解決までを、ホテル・コルテシア東京を舞台の中心にしてストーリーが展開していく。

 このストーリーの登場人物は、ホテル側の従業員、ホテル従業員に変装しその実務に就きながら一種の張り込み捜査活動をする刑事達、ホテルにやってくる宿泊客。その中に紛れ込んでいるかもしれない殺人事件の犯行場所を予告してきた人物、客を装ってホテル内に張り込む刑事たち、そしてホテル外で殺人事件の捜査活動をする刑事達である。
 ストーリーの軸となる登場人物は、まずフロントカウンターの責任を担う山岸尚美。彼女は大学受験に東京に出て来たとき、記念にとこのホテルに宿泊して、その体験で一流ホテルの有り様に感銘をうけた一人である。無事大学に合格し、卒業後このホテルに就職したのだ。彼女は上司の指示を受けて、フロント・クラークに変装する指示を受けた新田刑事の面倒をみる立場にさせられる。
 新田刑事は一フロント・クラークとして、フロント・カウンターでの業務につきながら、ここを犯行現場と予告した人物が、宿泊客として紛れ込んでくるのを発見せよと指示された。殺人事件を追う刑事達の年齢・風貌などから、フロント・クラークに変装できる適任者は新田刑事だという事になったのだ。新田刑事は未だ解決していない殺人事件の現場捜査活動の継続ができなくなることに憤懣やるかたないというところ。刑事の目つきや態度が表にでる。山岸はフロントで刑事の職務を達成したいなら、フロント・クラークになりきれないと相手に見抜かれると指摘する。新田刑事のフロント係としての基礎教育から始める。
 最初は心理的に抵抗感を露わにしていた新田刑事が、徐々にホテルのフロント係らしくなっていくところが、ストーリーの副産物としてひとつのおもしろみである。何せ、「あの方をホテルマンに仕立てあげるのは非常に難しいと思います。お客様へのサービスを実際にお任せするのは危険です。・・・・ただ、新田さんと一緒にいて思ったのは、この人たちと私たちとは価値観も人間観も全く違うということです」(p52-53)という山岸が総支配人に報告することから始まるのだから。

 この第4の殺人事件の犯行理由、犯人像の手がかりは一切ない。場所は予告されているが、それが何時おこるのかは定かではない。遠からぬ時点までに発生すると状況からは推測できるだけなのだ。そのため、ホテルにチェックインした宿泊客の風貌、物腰一つが予告犯人に繋がるのではないかという疑惑になっていく。チェックインした客が引き起こすトラブルやクレームが、新田や山岸に様々な思いを抱かせる。
 少しでも事件の解決に役立つことができないかと、山岸が試みることに対して、いつしか新田刑事は信頼感を深めていく。事件解決に役立ちたいために事件について知りたいという山岸の姿勢と要望に、少しずつこの一連の事件と犯行現場予告の内容を新田は漏らし始める。そのプロセスは、読者として事件の背景を知っていくプロセスでもある。

 過去に例のない連続殺人事件のために、既に発生した3つの殺人事件にはそれぞれ所轄署に特捜本部が置かれて、捜査活動が続行されている。さらにこのホテルを犯行現場と予告する第4の事件に対して、事前の対策本部が設置されたのである。
 第1の殺人事件の特捜部が設置された時、新田刑事は所轄品川署の能勢刑事と組んで捜査に従事していた。その能勢刑事が、ホテルマンとして変装し第4の事件に取り組む新田の前に宿泊客として現れる。この能勢との事件に関する情報交換並びに、能勢が主体に外での捜査活動を継続する行動に、新田は己の考えを提供していく形で関わって行く。
 この能勢の捜査の進展が、結果的に第4の事件との関係で重大なヒントをもたらすことにも繋がって行く。脇役的存在だが、主な登場人物の一人である。
 またベルボーイには関根刑事が変装して入り込み、ハウスキーパーに3人が加わる。ホテルロビーの要所要所に刑事が客を装い、さりげなく交替で張り込む。その一人が本宮刑事である。新田と直接に連携する役回りとなる。
 勿論、対策本部は、この第4の事件予告を内部の犯行という線でも視野に入れていく。

 この小説は結果的に一流ホテルにおいても、様々な宿泊客がもたらすトラブルの事例集的様相を帯びる。まさにそこには紳士淑女の仮面を被った人々が舞い踊り、物議を醸す数々の場面がある。客の対面をできるだけ傷付けないで、一方ホテルの品格や評判を損ねないように、いかに穏便適切に対処していくかが描き込まれている。興味深い副産物としてのエピソード集でもある。実に様々なトラブルがあるものだ。
 中にはフロント・クラークとして仕事をしている新田をピンポイントのように狙って、いやがらせまがいの要求を突きつけてくる栗原建治という宿泊客のエピソードまである。そのいやがらせ行為の遠因には、新田自身が忘却していたはるか昔の高校時代の出来事につながっていたのだ。新田にとてはさかうらみに類する出来事でもあった。だが、ここに、第4の事件に繋がるキーワードが潜んでもいた。
 
 様々な紆余曲折を経ていく。宴会部ブライダル課の仁科理恵は山岸と同期入社なのだが、その仁科から山岸に電話があった相談事の内容が、一つの大きな転機につながっていく。近々にこのホテルで結婚式を挙げる予定の高山佳子に関わることだった。ストーカーに狙われている可能性があるようなのだ。ブライダル課にも不審な問い合わせ電話があったという。勿論、この事は山岸から新田を経由して対策本部にも伝えられ、独自の捜査と対策の想定がなされていく。大きな山場を迎えていくのだが、そこにも一筋縄ではいかない仕掛けがあった。意外な展開に導いていくのが、この著者の手腕なのだろう。
 そして、一見事件と無関係に思える宿泊客への対応の経緯が、実は巧妙な犯人側の意図的伏線として準備行為として描き込まれていたことに、終幕段階で気づくという展開となっていく。私はその伏線のエピソードを、そのエピソードの描かれる段階では、メインストーリーへの伏線とは思い及ばなかった。巧妙なストーリー構成になっている。

 ホテル業における現時点の宿泊客への応対というテーマを掘り下げながら、そこに潜むサービス応対できる範囲の限界と、人が人に抱く恨みという心理的要因、心情の無限定性を巧みに絡ませていくところが実に巧妙である。恨み心の発生が人間関係で普遍的なものである例としてエピソードを伏線に描き出しながら、ストーリーを展開する辺りは実にうまい。
 また、4つの殺人事件の相互関連についても、実に現代的視点の切り口である。この作品は2011年9月の第1刷発行であるが、現実にインターネットを利用して同じカテゴリーともいえる手口により企まれた犯罪が近年発生していたように記憶する。そういう意味でも、時代風潮を先取りする犯罪形態を一捻りして取り込んだ警察小説でもある。
 
 著者・東野圭吾の出版物広告でベストセラー作家としての発行部数のキャッチフレーズを良く見かけてきた。初めてこの小説を読んで、なるほどと納得した。
 興味深いストーリー展開となる本である。ホテルが一種の仮面舞踏会の舞台であるというテーゼは、裏話エピソードからも頷ける。そんなことはありそうだな・・・素直に納得できるサブ・ストーリーもまたおもしろい。

 こんな場面が最終段階で挿入されている。(p457)
「これも勉強。何事も勉強だよ」そういったのは田倉だ。
尚美は頷き、もう一度上司たちを見た。
ホテルの中で仮面を被っているのは客たちだけではない--改めて思った。

 ご一読ありがとうございます。

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本作品からの波紋で関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
相手が間違えているときのプロとしての応対は?  :「YAHOO! JAPAN 知恵袋」
一流の接客スキルが身につくホテルフロントの仕事  :「an」
ホテルマンに学ぶ「Yes,but」コミュニケーション   :「PRESIDENT」
闇サイト殺人事件  :ウィキペディア
名古屋闇サイト殺人、神田司死刑囚の刑執行  :「Girls Channel」
もう同じ悲劇を繰り返さないで・・・。名古屋「闇サイト事件」の犯人の一人が死刑に
:「Spotlight」
奇跡体験!アンビリバボー 日本初ネット依頼殺人  :「dailymotion」

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『利休の闇』  加藤 廣   文藝春秋

2016-02-25 09:48:23 | レビュー
 残された事実の痕跡に空隙が数多くある故に、その空隙を想像により織りなして行くという魅力が、作家の創作欲を刺激するのだろう。本能寺の変で織田信長の遺体が発見されなかったこと。関白の位に上り詰めた豊臣秀吉と茶道の宗匠として独自の境地を切り開いた千利休の確執並びに千利休切腹の真因。宗匠千利休として崇められる人間の実像はいかなるものだったのか。これらは永遠に謎のまま闇に包まれた部分が残る。「利休の闇」というタイトルは、史実に残された千利休関連史(資)料からは解読できずに残された闇の世界を探るという事なのかも知れない。著者はここにまた一つの解釈の可能性を織りあげていく。実におもしろい解釈の提示となっている。

 この小説は、永禄初期(1561年頃)から始まり、天正19年2月28日の利休切腹の当日までの物語である。
 永禄初期、つまり当時藤吉郎と呼ばれた秀吉が信長に小者として仕えて3年なる頃からストーリーが始まる。著者は秀吉を蜂須賀小六を含めて「山の民」の末裔と解釈している。その要素が秀吉の戦場での活躍にプラス要因に作用している点を解き明かす。藤吉郎が永禄初期の時点で己に足りないものは武士のたしなみだと分析する。そのたしなみが「しかめっつらして茶を飲む作法」、「茶事」なのだと捉える。
 二十代の後半の藤吉郎は、清洲城築城での割普請方式導入で成功し、戦場で表舞台に出始めていく時期である。それは、信長が鉄砲・火薬類の武器の購入で堺商人との関係が深まり、茶事に関心を寄せていく時期と照応する。信長にとり茶事は政治の手段であり、「茶の湯御政道」という発想で茶事や茶道具の効用に目をつけていく段階である。

 堺の商人として信長に関わって行ったのが、茶人・武野紹?の女婿となった近江出身の今井宗久と天王寺屋という豪商で茶人の津田宗及。今井宗久は納屋(倉庫業)を営むほかに、火薬の商い、鉄砲の生産に関わっていた。当時宗易と称した千利休は三番手だったという。宗易も納屋衆だが、魚類の網元を兼ねた塩物問屋にすぎない。
 宗易は、与四郎と呼ばれた若い頃から、紹鷗に師事し茶道を学び、謡曲などの遊芸には熱心だが家業に身を入れず千家の身代を傾けさせていたという。宗易の経済的逼迫状態を一変させたのが信長だったのである。信長と関わる堺商人の中では宗久、宗及の後塵を拝する位置にいた。勿論、宗易もその頃には有名な茶人の一人にはなっている。だが、宗易にはこの二人を抜き、その上位に立つことが当面の課題となっていた。
 茶事を学びたいために、藤吉郎は今井宗久、津田宗及に頼み込むが勿論相手にされない。それを伝え知った宗易が藤吉郎に内密で茶事を教えても良いと近づいて行く。このあたりの経緯描写が異なる世界に身を置く二人の出世競争の始まりとしておもしろい。

 藤吉郎が初めて宗易から茶事の手ほどきを受けるのが、清洲にある田懸(たがた)神社の茶室である。この時、宗易は袴付(待合所)の入口に「遊」の文字を掲げさせておく。 この初めての茶事入門で、秀吉は茶の道において利休との間で、内密に師弟の関係をスタートさせる。この茶事入門の場面が、ストーリーの最後になって宗易が座興に書いた「遊」という字の色紙に関わる場面に連環して行くという興味深い終わり方になる。

 この茶事入門の初経験について、難しい名前の多さと易しいことをめんどうくさくしている茶道に面食らったという印象を藤吉郎が宗易に語る。それに対し、著者は宗易におもしろいことを語らせる。「しかし、それも場数さえ踏めば解決いたしましょう。場所や道具に難しい名前が多すぎるとおっしゃるが、どちらにしても、別事ではなく、ただ茶をいれて飲むまでのこと。たかが茶道、されど茶道とお考えくだされ」(p38)「突き詰めれば、私めが袴付の入口に掲げておいた文字のように、、すべてが遊びでございますから。・・・・どうせ同じ遊びなら、難しくするほど奧が不覚、おもしろくなると、そうお考え直しくだされませんか」と。
 
 この後、宗易と藤吉郎は全く異なる道でそれぞれの出世街道をひた走る。それぞれには強力な競争相手が居る。宗易には宗久と宗及、藤吉郎には柴田勝家と明智光秀である。
 宗易はひたすら信長を畏敬し、その庇護の元に「茶道の伝道者」として再出発を始め、天正元年(1573)頃には織田家の茶人の頂点に立ったと著者はみる。信長の「茶の湯御政道」の協力者、最高の側近となっていく。藤吉郎が信長から茶の湯を許されるのはかなり後である。それまで二人の直接の交わりはない。秀吉の公的な茶会記録が残るのは、天正6年10月15日が第1回のようである。津田宗及らの茶会記『天王寺屋会記』に記されているそうだ。

 このストーリーは、秀吉と宗易が茶の湯を介して公の関わりが出来る時点から、大きく進展していく。それは、本能寺の変が起こった後からである。
 本能寺の変は天正10年6月2日早暁。一方、宗易は天正9年2月28日に、禁裡から奢侈を理由に「御いましめ(戒告)」を受け追放の身だったと著者は記す。この本能の変の直後から宗易がどのような行動をとったかのかが描き出される。これがストーリー展開の一つの山場になる。宗易の判断一つで、その後の宗易の生き方が左右されるのだから。宗易は秀吉の関わりを深めるという選択肢を選び取る。その描写が利休の生き様としての読ませどころでもある。
 宗易と秀吉が関わりを再び持つのは、秀吉が光秀と山崎の戦いの直前となる。
 宗易は山崎の妙喜庵に秀吉に会うために出かけて行く。その案内役を務めたのを古田左介(後の古田織部)とする。利休と織部の出会いが織り込まれる。この直前に、宗易は後の長次郎と出会っているとしているところもおもしろい。
 また、妙喜庵で秀吉に再会してその場で頼まれたことが、一夜で茶室を作ってくれという要望だった。秀吉の意図が不明なままで宗易はその要望に応えていく。それが現在国宝となっている「待庵」の原型づくりだったと著者は描く。だが即席的に宗易が作り出したその茶室で、宗易が秀吉のために茶を点てたのではないとする。秀吉が光秀との決戦に臨む主だった武将に秀吉が茶を点てたとして描き出していく。秀吉による武士の茶である。勿論、秀吉は光秀を破り、天下を取った後に、妙喜庵に即席に作らせた茶室を今の待庵の形にしていったとする。ここでの「待庵」にまつわるストーリー展開も興味深い。著者独自の解釈が加わっているのだろう。
 後に「待庵」と呼ばれた茶室のネーミングの意味について、著者は「待」には「決戦の時を待つ」そして、「そのかなたに天下を嘱望する」の2つの意味をもつと解釈する。それは武人の発想であり、秀吉が実質的な命名者と解釈している。
 この二畳の茶室が二人の間の茶道観の乖離、対立の遠因となっていくとするところが、この小説の興味深い所と言える。茶室という茶の湯のための器(道具)にどんな意味と機能を与え、茶道観を築いて行くかの違いである。それは利休の後の茶の湯の在り方にも反映していく。

 著者はこの山崎の合戦までを「出会い」「蜜月」の二章で描く。
 そして、天正11年(1583)から天正13年7月初旬の「朝顔一輪の茶会事件」までを第3章「亀裂」として展開する。著者は史料として残る『今井宗久茶湯書抜』、『宗及他会記』などに依拠し、この間の秀吉の政治的行動を織り交ぜながら、茶会の様相を描いていく。
 この時期は秀吉と宗易の間に外形上は蜜月が続く。一方、茶の湯に対する考え方の次元では亀裂が生じ始め、それぞれの茶道観が異なる方向へ動き始める。それが「朝顔一輪」の茶会で亀裂となって表面化するという展開となる。この茶会事件は、秀吉が関白就任御礼のために参内する直前のことなのだ。
 まさに秀吉は天下一となる。一方で、宗易はこの時期に、茶道についての己の考えを規則として書き記すことを考え始めたとする。堺・南宗寺集雲庵の副寺(ふくす)を務める善久に手伝わせて規則を密かに集大成し始めるのだ。
 また、この時期を軸にして、宗易の後添えであるむくの連れ子・少庵と先妻との間の長男・紹安(後の道安)についてもふれ、千家の人間関係を織り込んでいく。むくの前夫は宮王三郎三入で、観世流小鼓の名手であり、若い頃の宗易の師匠だったという。そのころ遊女あがりのむくは夫とともに笛をふき、舞台名を宗恩と称したことがあるとする。宗易の人間的側面が解っておもしろい。また、このストーリー全体を通して、著者は要所要所に利休が関わりを持った女性達の存在を描写し織り込んで行く。
 
 第4章「対立」は、宗易と秀吉の間の対立がなぜ生じたのか、その必然性を描き出していく。利休の「闇」の部分に光が当てられていく。
 妙喜庵に一夜づくりの茶室を作らせた秀吉は、光秀との決戦直前の武士茶の儀式を経験し、天下を統一した今は「今の茶は遊び一色でよい」という方向で己の茶道観を広げて行く。一方、宗易は「待庵」という茶室の形から、侘び茶という茶道観の方向に進んでいく。「悟りの場としての茶の湯」という茶道観である。
 茶の湯を介しての考え方が対立していくプロセスがこのストーリーの大きな山場となっていく。茶の道についての確執が描き出されていく。そこには、政治の世界と茶の湯の関わり方、政治の次元の雄と茶の湯の次元の雄が生み出す力学と師弟関係の齟齬、茶道観として求めていく世界の乖離などが複雑に交錯し、利休と秀吉の確執となっていく。
 天正15年10月朔日の「北野大茶会」は秀吉と利休の茶道観の決裂として描かれている。利休は「政道としての茶の湯」、端的に言えば人気取り茶道という新機軸を想定していたと著者は解釈しているが、それは「北野大茶会」のような茶の湯の開放ではなかったとする。利休は喫茶での「野点」そのものに内心では反対だったようだ。

 この第4章でもう一つ興味深いのは天正15年正月3日の大坂城での茶会記に「御台子 上ニ 似リ」という記述で、突然に「つくも茄子」と紛らわしい茶器が登場する下りである。この小説の中では、山上宗二が要所要所に登場する。その山上宗二が本能寺の変後、焼け跡を徹底的に探しても「つくも茄子」の断片すら発見できなかったことを宗易に伝えているのである。利休はこの茶会で「似リ」が「つくも茄子」そのものと判定する。
 このことは、本能寺の変における信長の行方と関わる重要な証拠である。この小説では「つくも茄子」という茶器という視点から、『信長の棺』、『秀吉の枷』という著者の前作の構想にリンクする局面が見られる。また、山上宗二の行動の点描、そして利休と弟子の一人である宗二、この両者の関わり方の点描が興味深い。

 この「対立」の章で、天正13年10月7日に、宗易が「利休居士」という勅賜号を賜ったということの背景にある経緯が語られている。このエピソードは知る人ぞ知るという類いなのかもしれない。著者は「利休の命名は秀吉と公家たちとで智恵を集めた苦心の合作である」(p220)としてその経緯を描いている。公式には禁裡から追放処分を受けた宗易が、「利休居士」号を賜ることで、禁裡との関係を復活させるというシナリオである。このあたりのことをこの小説を介して初めて知った。多分著者が史料をベースに織り込んでいる経緯なのだろう。ここもまた興味深い解釈である。

 最終章「終幕」は、北野大茶会の後、利休切腹当日までを描く。この期間に利休が独自に行った茶会を軸にしながら、関白秀吉との接点が切れた利休を描き、なぜ秀吉が利休を切腹させたのかの理由に迫っていく。
 北野大茶会の直後に、利休が南蛮不識と銘を付した「水指」を作ったり、長次郎碗の発見から、長次郎窯に通い手捏ねの赤楽茶碗・黒楽茶碗を生み出していくことに、著者は触れている。「利休の茶道は、秀吉が茶事のすべてに求めた『遊び心』とは反対に、茶碗という一点に集中し、そこから奧へ奧へと進んだのである。」と記す。
 秀吉が利休に切腹を命じる背景に、伊達正宗の上洛と徳川家康が影を投げかけているという解釈と展開はおもしろい。このあたりの最終ステージの展開をお楽しみいただくとよい。
 秀吉は利休への懲罰理由を見つけ出すように石田三成に命じたという。「元々したり顔で、細々と、もっともらしい茶道を説く利休嫌いだったからたまらない。たちまちのうちにそれらしい理由を収集したのである」(p327)と記し、よく知られている理由について説明を加えている。しかし「利休側には、秀吉が利休の娘某の側室提供を求めたが利休がこれを拒否。それを切腹の原因に数える説」を紹介しながらも、この説を理由に挙げることを著者は否定している。さらに、よく挙げられる理由は「後付け理由」にすぎないと述べる。おもしろい断定である。
 ならば、本当の理由は何か? 本書を読んでこのストーリー展開の結論を確認してほしい。
 
 ご一読ありがとうございます。

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関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
利休とその時代 茶の湯年表 :「茶の湯 こころの美」
利休忌によせて 3 利休家系 利休年譜 利休号  :「茶の湯 好楽軒」
千 利休 :「知識の泉」
千 利休 :「接客は利休に学べ」
堺ゆかりの人々  :「堺観光ガイド」
武野紹鴎  :「コトバンク」
今井宗久~織田信長が最も信頼した茶人 :「戦国武将列伝Ω」
今井宗久 洞察力優れた豪商で茶人  三善卓司氏 :「大阪日日新聞」
茶室 伸庵・黄梅庵  pdfファイル  大阪の建築/まちあるき [堺]
大仙寺公園の茶室の紹介  :「みどりの木のブログ」
津田宗及  :「コトバンク」
津田宗及茶湯日記 上 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
南宗寺と天王寺屋(津田家)一門  :「ROSSさんの大阪ハクナマタタ」
信長と堺の豪商  :「信長研究所」
山上宗二  :「コトバンク」
山上宗二記 :ウィキペディア
『山上宗二記』を読む 序文  :「茶道表千家 幻の短期講習会-マボタン」
妙喜庵 ホームページ
妙喜庵(待庵)を訪問する  :「山崎観光案内所」
妙喜庵  :ウィキペディア
千利休屋敷跡  :「堺観光ガイド」
千利休聚楽屋敷跡  :「天上の青」
大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子(松永茄子)  :「静嘉堂文庫美術館」
不識水指  :「茶道入門」
楽焼 RAKU WARE ホームページ
茶の湯 こころと美 ホームページ
裏千家今日庵 ホームページ
武者小路千家 官休庵 ホームページ
茶の湯の歴史
『松屋会記』・『天王寺会記』・『神屋宗湛日記』・『今井宗久茶湯日記抜書』にみる中世末期から近世初頭の会席(第1報) : 会席の菓子  秋山照子氏  論文


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このブログを書き始めた後に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『安土城の幽霊 「信長の棺」異聞録』 文藝春秋


原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新4版 : 51冊)

2016-02-22 23:38:32 | レビュー
この読後印象記を書き始めてから昨年末までに、以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

☆ 2015年 に読後印象を載せた本の一覧
『原発と隠謀 自分の頭で考えることこそ最高の危機管理』 池田整治  講談社
『ビデオは語る 福島原発 緊迫の3日間』 東京新聞原発取材班編  東京新聞
『原発利権を追う』 朝日新聞特別報道部  朝日新聞出版

☆ 2014年 に読後印象を載せた本の一覧
『騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実』  小出裕章  幻冬舎
『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』 山本義隆  みすず書房
『対話型講義 原発と正義』 小林正弥  光文社新書
『原発メルトダウンへの道』 NHK ETV特集取材班  新潮社
『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』 東浩紀編 genron

『原発ホワイトアウト』 若杉 洌  講談社  ←付記:小説・フィクション
『原発クライシス』 高嶋哲夫  集英社文庫 ←付記:小説・フィクション

☆ 2013年 に読後印象を載せた本の一覧
『「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場』
 小出裕章・渡辺満久・明石昇二郎   集英社新書
『この国は原発事故から何を学んだのか』 小出裕章 幻冬舎ルネサンス新書
『ふるさとはポイズンの島』島田興生・写真、渡辺幸重・文 旬報社
『原発事故の理科・社会』 安斎育郎  新日本出版社
『原発と環境』 安斎育郎  かもがわ出版
『メルトダウン 放射能放出はこうして起こった』 田辺文也 岩波書店
『原発をつくらせない人びと -祝島から未来へ』 山秋 真 岩波新書
『ヤクザと原発 福島第一潜入記』 鈴木智彦 文藝春秋
『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志 光文社新書

☆ 2012年8月~12月 に読後印象を載せた本の一覧
『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』 広瀬 隆  集英社新書
『「内部被ばく」こうすれば防げる!』 漢人明子 監修:菅谷昭 文藝春秋
『福島 原発震災のまち』 豊田直巳 
『来世は野の花に 鍬と宇宙船Ⅱ』 秋山豊寛  六耀社
『原発危機の経済学』 齊藤 誠  日本評論社
『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男 文藝春秋
『私が愛した東京電力』 蓮池 透  かもがわ出版
『電力危機』  山田興一・田中加奈子 ディスカヴァー・ツエンティワン
『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦 日本文芸社
『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章 河出書房新社
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ 講談社

☆ 2011年8月~2012年7月 に読後印象を載せた本の一覧
『原発はいらない』 小出裕章著 幻冬舎ルネサンス新書
『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』 高木仁三郎 講談社+α文庫
「POSSE vol.11」特集<3.11>が揺るがした労働
『津波と原発』 佐野眞一 講談社
『原子炉時限爆弾』 広瀬 隆 ダイヤモンド社
『放射線から子どもの命を守る』 高田 純 幻冬舎ルネサンス新書
『原発列島を行く』 鎌田 慧  集英社新書
『原発を終わらせる』 石橋克彦編 岩波新書
『原発を止めた町 三重・芦浜原発三十七年の闘い』 北村博司 現代書館
『息子はなぜ白血病で死んだのか』 嶋橋美智子著  技術と人間
『日本の原発、どこで間違えたのか』 内橋克人 朝日新聞出版
『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波書店
『脱原子力社会へ -電力をグリーン化する』 長谷川公一  岩波新書
『原発・放射能 子どもが危ない』 小出裕章・黒部信一  文春新書
『福島第一原発 -真相と展望』 アーニー・ガンダーセン  集英社新書
『原発推進者の無念 避難所生活で考え直したこと』 北村俊郎  平凡社新書

『春を恨んだりはしない 震災をめぐて考えたこと』 池澤夏樹 写真・鷲尾和彦 中央公論新社
『震災句集』  長谷川 櫂  中央公論新社
『無常という力 「方丈記」に学ぶ心の在り方』 玄侑宗久  新潮社

『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 石橋克彦 岩波新書
『神の火を制御せよ 原爆をつくった人びと』パール・バック 径書房


『福島第一原発収束作業日記』 ハッピー  河出書房新社

2016-02-22 23:29:26 | レビュー
 著者「ハッピー」さんは現時点で20年余原発の建設や保守点検作業に従事してきた現役原発作業者である。本書は2013年10月30日に初版発行され、最近文庫本にもなっている。私は今年になって遅まきながらこの本の存在を知った。
 福島第一原発事故が発生した後、その真の原因と事実・実態を知りたいため、またその影響を知りたいために、様々な出版物を読み継ぎ、報道や動画なども見聞してきた。その過程でこのハッピーさんの発信を知らなかった。それはTwitterを介しての情報入手という「つぶやき」と縁がなかったことが多分大きな原因だったかもしれない。インターネットはPCを介しての接続しかしていないことと、Twitterにアクセスする習慣がないためだと思う。
 著者は「はじめに」でこう記す。「2011年3月11日の大地震の瞬間も1F(イチエフ)で作業していました。オイラは、その後も現場に残り、収束作業に従事しながらTwitterで日々色んな想いをつぶやき続けたんです」と。当初は100人くらいのフォロワーだったのが7万人を超えるまでになったという。
 この本を読んだ後、PCからTwitterでのハッピーさん、つまり「Happy11311」にアクセスしてみた。現時点も著者は現役原発作業者として、つぶやきつづけている。この本を読んでから、私もPCを介してだが、そのつぶやきの内容をフォローしていこうと思っている。そのつぶやきは情報判断のための重要なバランス確保要素になると思うからだ。ハッピーさんのつぶやきを情報源として聴き続け、考える材料にしたいと思う。東電、政府さらにはマスコミ報道が語らない、触れない局面について、生の声や現場視点の情報が聞こえるからであある。現場生中継的でリアルな部分が、それもその現場作業者側の目線で生のリアルな経験からのメセージが貴重なのだと思う。それも生中継する報道側の第三者的な報道メッセージではないところが重要なのだ。

 たとえば、著者は2016年1月21日に「昨年の末から、あちこちの原発現場のSA対策工事や耐震工事の状況を見てきてるんだけど、とにかくこれでもかって言うほどの普通じゃ考えられないくらいの対策をやってるんだよね。再稼働の条件に適合するようにやってるのは分かるけど、メンテナンスの事を考えた設計じゃない事だけは断言出来るよ。」とつぶやいている。
 ここにはきっちりと2つの側面がつぶやかれている。原発現場のSA対策工事や耐震工事が再稼働条件に適合するためにさまざまな対策で遂行されているという事実。一方で現場の作業従事者目線では、その工事がメンテナンスを考慮した設計でないと断言できる工事だという重要な指摘である。現場実務知識と経験の豊かな現場作業者の発言なのだ。勿論諸事情により判断根拠の提示抜きという点は留意すべき部分があるとしても、非常に重要な問題点が指摘されている。 多分、この工事結果について東電側は工事の進捗結果と工事基準条件に合致しているという側面しか報道しないはずだ。マスコミも工事結果の提供資料でその範囲の結果報道をするだけだろう。あるいは、全体工程からみて一部工事で結果OKなら、報道もしないだろう。一般の我々には、何も見えないことになる。後者の側面「メンテナンスの考慮なき設計工事」なら、それはその場しのぎではないのか。メンテナンスに迫られる時期が来たときはどうするのか? 危険な状況が再発するだけではないのか? 付け焼き刃の繰り返しは、後で問題をぶり返す。

 なぜ、直近のこの一事例をとりあげたのか? この本の副題が「3・11からの700日間」であり、まさに危機的状況の発生する瞬間からの現場状況が現場目線でつぶやかれた集約だからである。同様の工事実態が繰り返されてきた局面に関連してつぶやかれている部分も数多い。上記のような2つの則面の後者に相当するような内容が公式報道では語られることがほとんどなかった。裏の部分が表の部分と併せて、現場目線での問題意識からつぶやかれ続けてきたのだ。東電、政府、マスコミニュース報道は、表の事実しか語っていない。時として、重要な事実をタイムリーに流さずに、隠蔽し時間をずらせて形式的な事実情報として報じるようなことすらしている。それも建前的な理由、たとえばパニックが生じないために・・・などと付言して。
 この書はリアルタイムに現場作業者目線で現場からつぶやかれた事実内容の記録として貴重である。原発事故後、現在まで未だ真の原因すら曖昧なまま、メルトダウンした原子炉に近づけないままで、収束作業が継続されていることにあらためて気づかせてくれる。マスコミ報道が少なくなり、現地の真の復興がないままに、福島第一原発事故のその後についての意識が風化の傾向にある。その事実への警鐘となる書と言える。
 今こそ、改めてこの本に記された700日間の経緯及びその後の状況を考え直す情報源として、ハッピーさんのつぶやきを読んでみてほしい。そして現時点のつぶやきにも耳を傾けてみてはいかがだろうか。
 やはり、何も真底からは解決していない! という事実に目をむけられるつぶやきである。東電・政府・マスコミ報道に踊らされないための、それらの報道で語られざる側面がないかを考えるためにも、考え直す材料に満ちている本である。
 トライアルはしていないが、各種の公式調査報告書の事実として記されていることと、その時点での著者のつぶやき内容を時系列対比すると、よりリアルな局面が見えて来るかもしれない。直感的にはそこに大きなギャップが潜む側面を感じるのだ。
 当時の原発事故現場、収束作業状況を感じるために、ぜひ一読していただきたいと思う。これと同じ状況が他の原発でも再発しないとだれが言えるのか。

 著者のつぶやきの事例をいくつかその発信日付とともに部分紹介してみよう。正確にはその全体のつぶやき文脈で再確認していただきたい。
2011.4.18: 9ヶ月の工程は、あくまで国民に対し安心感を持たせるための政府のコントロールで東電も納得していないはず。確実に見通しがあるならば、政府が記者会見に出るはず。工程が遅延すれば国民に叩かれる、その時は東電のみ叩かれ、政府は工程には関与していないと逃げるためのシナリオ。 p35
2011.5.9: 工程が成立しない理由は、高線量下での作業とそれに必要なマンパワー不足が一番だと思う。 p37-38
2011.5.28: 第二期工事も6月中旬から始まるけど、各めーかーの摺り合わせも決まっていない事ばかりだし、まして今度はアレバが絡んでくる。アレバは新品のユニットをフランスから持ってくると思ったら、日本国内にあるユニットを解体して、ある空調メーカーが組み立てるらしい。大丈夫なのかなぁ?  p43
2011.5.28: 4号機の耐震性は安全です問題ありませんって発表したけど、ふざけてる。評価した奴は、今にも落ちそうな壁の真下で作業してみろって思う。俺たちは4号機のまわりで作業する時は、常に上を気にしながら緊張しながらやってるのに。壁が落ちた時はどんな言い訳が出るのやら。また想定外か。
2011.5.31: 東電は各メーカーに計画を丸投げしてるからこんなのばっかだよ。 p44
2011.6.4: やっぱり前にもつぶやいたけど、各号機の状況もわからないのに工程だけ出来て、無駄仕事ばかりっておかしいよ。まずは、原子炉の状況を憶測ではなくしっかり確かめて対策打たないと、いつまでたっても同じかも・・・。
2011.6.4: 東電や政府は、楽観的な態度や推測を国民に伝えるのではなく、事実をありのままに、苦慮してる所は理由をしっかり説明するべきだと思う。国民の判断は人それぞれであり、国民の顔色を窺いながら慶贊しながらの発表はしてはならない。現在進行形の大事故なのだから。  p45
2011.12.12: オイラは、邸放射性物質濃度に処理された汚染水が海洋投棄されるのは間違いなく実施されると思うよ。それは、現在稼働中の原発でも行われてるんだ。 p114
2011.12.17: 少なくとも「収束」という言葉を使ってはいけなかったと思う。今回の政府や東電は、「冷温停止状態」とか「収束」とか使ってはいけない言葉や表現をしていると思うよ。・・・勘違いされたり、誤解されるような言葉は、初めから使ってはダメなんだ。政府や東電は、第2ステップ完了やオンサイトの収束宣言して避難区域を縮小し、早く住民を帰宅させ、賠償金も減らしオフサイトの収束をさせたい思惑なんだろうね。p116
2012.1.20: 2号機は他の号機より謎が多く感じる。オイラは2号機の配管爆発も謎なんだよなぁ・・・・。(このあとに、著者なりの推測がつぶやかれている) p125
2012.4.15: 1Fは一年経って色々な仮設機器にトラブルが増えてきたね。・・・そういえば、先週はある場所で汚染水が漏れたんだけど、どこを探しても発表してないんだよね・・・・。汚染水は海には流れていないんだけど、発表の基準てあるのかなぁ。 p147
2012.6.1: 今日のニュースを見てて、また情けない気持ちになってしまったでし。事故当時の勝俣会長、清水社長はじめ退任した取締役の人たちが続々と天下り再就職してる。原発事故の影響で働きたくても働けず、天下りどころか再就職も出来ずに苦しんでいる人がまだまだたくさんいるのに・・・・・。  p157
2012.6.18: WBCの数値は事故前より上がってるのが現実なんだよ。WBCの数値は、多くの作業員が事故前より上がってるけど問題ないって東電は言うんだ。だけどWBCの基準値を上げてるだけで、事故前の基準値ならほとんどの作業員がスクリーンレベルを超えてる。じゃあ今までの基準値はなんなの?って思うよね。それに基準値が上がっているのは福島だけだよ。   p163
2012.7.23: 被曝の管理責任は、本来下請け業者の事業者が当然やらなきゃいけないんだけど、原発の場合はほとんどが元請けが管理責任者となってるでし。それは原発業界の下請けは、少人数の小規模な会社がとても多く、小さな会社ではとても放射線管理業務まで出来ないからでし。国家試験資格者も必要で、放射線管理計画書作成したり、労基にも報告したり経費がかかるでし。だからほとんどの下請けは、契約時に元請けと放射線管理の委託契約を結ぶでし。  p179
 今回の事で、被曝隠しでも悪質なのが会社側が強要してる事でし。・・・・元請けや一次下請けまでは会社も大きく、社内で配置転換出来て、収入ゼロになり生活に困るって事はほとんど聞かないでし。1年50mSv,5年100mSvをリセットされたら戻れるでし。ただそれ以下の下請けは、原発作業のみの会社や作業員が多いから、線量パンクしたら次の月から収入ゼロなんでし。今は、被曝限度は5年100mSvがあるから、平均20mSvで管理してる下請けがほとんどでし。東電や元請けは配置転換出来るから1年50mSvで管理しているでし。だから被曝管理値もそれぞれ違うんでし。  p171
2012.12.11: 現場は、東電社員も協力企業の作業員もみんな一生懸命頑張ってるよ。収束して落ち着いたって思い込んでるのは、東電本店と政府筆頭の各省庁だよ。現場は、今も一歩間違えたら大変な状況になる可能性があるって状況は、1年9ヵ月経った今も変わりないんだから。東電も困ってるんじゃないのかなぁ。・・・・。規制疔が相手じゃ正面から文句言えないし・・・・。  p200
 いま1Fの原子炉建屋の調査は、線量高くてロボットじゃなきゃ出来ない場所だらけなんだ。調査だけのロボット開発でさえ大変なのに今後、作業が出来るロボット開発は完成するまでいったい何年かかるのだろ。  p201
2013.3.9: 富岡町なんかは、まだまだ線量の高い場所やホットスポットが多数存在している。オイラが一時帰宅した時に計ると平均で0.02mSv/hくらいでホットスポットはその10倍の0.2mSv/hくらいある場所も存在する。これって1Fの構内のヤードとたいして変わらない数値だし、むしろ新しい砂利や整地した1F構内の方が低いよ。0.2mSv/hって4号機下の作業場所とあまり変わらない線量だし。そんな除染もしてない3・11から時間の止まった手付かずの場所に、今月3月25日からいきなり「自由に入っていいですよ」なんてあり得ない。国や自治体やゼネコン元請けは、人の命なんてこれっぽちも考えてないよね。 p225
2012.3.20: この2年は事前計画も出来ないまま、慌ただしく突貫工事で作った応急措置の設備が様々なトラブルを起こし、そのトラブル対策に明け暮れた2年。特に電源システム、冷却システムは特急突貫工事だったからね。いまだにトラブル対策に時間と作業員被曝を費やしていて、恒久対策には程遠いんだ。  p227-228

 ほんの一部の引用だが、公式の報道では見えない部分に満ちている。福島第一原発事故の事実について、公式報道で知らされているのは氷山の一角にしかすぎないということなのだろう。知らされないままに、この深刻な実態への目くらましや表層的報道により、原発事故についての事実認識が風化してはならないと思う。
 現場目線のこのつぶやきの集積本、多くの人に読んでいただきたい本だ。
 そしてハッピーさんのつぶやきをフォローし、さらに考える情報源にしてほしい。己の内に起こる事実認識への風化を阻止するためにも・・・・・。 

 ご一読ありがとうございます。

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関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
SA対策 ⇒ シビアアクシデント対策
 シビアアクシデントとは  :「日本原子力文化財団」
 シビアアクシデント  :ウィキペディア
 シビアアクシデント対策について  :「中部電力」
 島根原子力発電所の安全対策    :「中国電力」
 関西電力におけるリスク活用の取り組みについて  浦田茂氏
東京電力(株)・福島第一原子力発電所事故 :「日本原子力文化財団」
福島第一原子力発電所事故  :ウィキペディア
福島原発事故の原因と対策 (2013.2.8)  木村逸郎氏
福島第一原子力発電所事故の概要 (02-07-03-01)  :「ATOMICA」
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 最終報告
  報告書ダウンロード
福島第一原発事故から3年 始まりに過ぎない発電所の現状は? 
   2014.3.10   :「THE PAGE」
福島第一の事故原因は、もうハッキリしたのですか? :「中部電力」
独自調査分析!福島第一原発事故の本当の原因
  大前研一の日本のカラクリ   :「PRESIDENT Online」
メルトダウンを防げなかった本当の理由 ──福島第一原子力発電所事故の核心
 山口栄一=同志社大学 教授,ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー
 2011/12/15 :「日経テクノロジー」
福島第一原発事故の原因は何だったか131005 :「安岡明夫HP」
福島原発事故の原因はまだ判明していない 2015.4.25 :「VIDEO NEWS」
福島の避難区域、外国人カメラマンが捉えた原発事故から4年半の姿【画像】
   :「HUFF POST SOCIETY -社会-」
外国人カメラマンが撮った福島警戒区域内の今の姿40枚
  :「世界よ、これが日本だ! 日本よ、これが海外の反応だ!」
避難区域の変遷について -解説 :「ふくしま復興ステーション」
福島第一原子力発電所事故の影響  :ウィキペディア
原発事故で放棄された「浪江町」のゴーストタウン化した悲惨な現状(写真)
  :「NAVERまとめ」
被曝量  :「朝日新聞DIGITAL」
放射線被曝の早見図  放射線医学総合研究所
シーベルト  :「とはサーチ」
日本政府が決めた危険ライン年間被曝量1ミリシーベルト以上の地域
  2013.10.25  :「逝きし世の面影」
ホールボディカウンター  :ウィキペディア
ホールボディカウンターは内部被曝の危険を隠すためのインチキ測定
  :「泣いて生まれてきたけれど」
ホールボディーカウンター(WBC)検査の精度と信頼性  :「カレイドスコープ」
ホールボディーカウンター ―― 調べてわかった被ばくの現状 :「SYNODOS」

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その点、ご寛恕ください。)


今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。
『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』 小出裕章 毎日新聞社
『原子力安全問題ゼミ 小出裕章最後の講演』 川野眞治・小出裕章・今中哲二 岩波書店
=原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新4版 : 51冊)=

『万葉歌みじかものがたり 六』  中村 博   JDC

2016-02-18 11:57:41 | レビュー

 『万葉歌みじかものがたり』の第1巻から第5巻までの読後印象記をこのブログで記している。重なる印象部分があると思うが、お許し願いたい。著者は『万葉集』に収録された歌-4,500首余収録-の全訳にチャレンジしている。しかし、その訳出がユニークである点がおもしろく、かつ勉強にもなる。
 『万葉集』に収録されている歌の順番に訳を試みるのではなく、収録されている歌をある観点で整理統合し、「短編物語風の『短か』ものがたり」(p5)という形に歌を解釈して、歌をストーリーの形に編集し提示していく。基本的には、ある観点からの編年的なストーリーとなっている。この第6巻は、第4巻・第5巻からのシリーズの完結編ともいえる。
 すなわち、メインのテーマは大伴家持伝である。家持の歌を主軸として、その歌と関係する形で様々な人々の歌が相互に関係づけられ配置されていく。大伴家持の「青春編」(第4巻)、「越中編」(第5巻)に続く形となる。大伴家持が越中守を解かれ都へ戻って来た時点から残りの人生部分が時代背景の中で短編物語風に編年されていく。家持は政争の坩堝となっている都に立ち戻り、大伴一族の長という立場で処さねばならなくなる。

 そこで、この巻では「家持大夫(ますらお)編」と題されている。家持が越中から帰京するのは、天平勝宝3年(751)9月である。天平感宝元年(749)7月に聖武帝が退位され、皇太子の阿部内親王が孝謙天皇として即位。しかし政治は孝謙天皇の生母である光明皇太后中心となり、新たに『紫微中台』が組織化され、実質的権限は長官・藤原仲麻呂に委ねられているという政治的背景がある。帰京の時期は遣唐使派遣の話題で都が湧いている一方で、藤原仲麻呂・橘奈良麻呂の暗闘の時代となり、そこに橘諸兄も巻き込まれていく。政争の坩堝という状況が起こりつつある。
 家持は大伴一族の長としてその結束を高め、政争の中には巻き込まれずに距離を置き、自らの生きる道を懸命に探ろうとする。そういう社会的文脈の中で家持の歌と、家持に関わる人々の歌がどういう思いで詠まれたのかが綴られていく。それも身近な受け止め方ができる訳によって。
  著者は、「家持大夫編」を天平勝宝8年(756)5月の聖武太上天皇の崩御の時期を境として、その前年までを「(一)政争の都」とする。その後の時期を「(二)変そして因幡へ」とし、この完結編を二部構成にしている。

 聖武帝崩御の翌月、つまり6月17日に、家持は「族(やから)に諭す歌一首幷に短歌」と題し、歌を詠んでいる。家持の人生最後のステージを、第二部はこの歌から始める「みじかものがたり」にまとめられていく。この歌は『万葉集』の第20巻に4465~4467として収録されている歌である。4516首目が最後の歌なので、まさに万葉集の末尾近くが家持の人生の終盤として、取り上げられている。
 天平宝字元年(757)1月に、元左大臣橘諸兄が死去。5月には養老律令が施行される。橘諸兄の死去で仲麻呂は勢力を伸ばす。そしてこの年7月、橘奈良麻呂の乱が起こる。一方の仲麻呂は758年8月に右大臣となり、恵美押勝の名を賜るのだ。そして760年1月には太政大臣になる。だが、この年(760)の6月に光明皇太后が没する。淳仁天皇を擁する押勝に対し、孝謙上皇との間で確執が生まれている。そして764年の恵美押勝の乱へと政争は進展していくことになる。

 著者はこの政争の渦中で身を処す家持の詠んだ歌また家持と関わりのある人々の歌を、政争の流れと絡めながら、編集し連ねていく。歌の心情が汲み取られ、歌の解釈をリズムのある訳に反映させて行く。第一部での政争、第二部での政争は状況が大きく変化していく。橘奈良麻呂の乱があった翌年(758)6月に突然、家持は因幡国守を任ぜられる。そして、家持は山陰の任地に赴くのである。
 この大きな政争の時代の流れを語り、その渦中で家持の詠んだ歌、天皇も含め関係する人々の詠んだ歌が短編物語風に織りなされていく。
 
 みじかものがたりは、詩を語るような文体で語られ、織りなされる歌は全て韻文調で訳される。短歌は五七五七七の口調で訳出され、長歌は七五調で訳されている。さらにその訳の表現は「関西言葉で」と著者は記している。しかし、関西在住の私には、「大阪弁」で訳されているように思う。
 著者は「はじめに」でこう述べる。「何といっても、万葉時代の中心地は関西。関西言葉がスタンダードであったことに、疑いはない。関西風が『歌ごころ』を伝える最適手法だ。」(p5)と。

 この第6巻では大伴家持伝としての最後「大夫編」を二部構成にした後に、「支え歌人編」がまとめられている。本書全体でみれば、「家持大夫編」と「支え歌人編」の二部構成。実質的には3つのパートがあるという形式になっている。
 「支え歌人編」は、歴史書や歴史年表など、いわゆる歴史に名を残す人々ではないが、『万葉集』という歌集の中にその名を残した人々の歌が取り上げられて読みやすく編集されている。著者は「この人々が居ればこそ歴史は動いたのであり、万葉集伝わりの意味合いも増すのである」(p6)という視点に立ち、温かい眼でこれらの人々の人柄を浮き彫りにしていこうとしている。それは、一方で『万葉集』にはこんな側面の歌まで収録されていたのかと驚く部分、おもしろい新鮮さを味わえる。

 この本の訳の雰囲気を伝えるために、大伴家持の歌で知られていると思える歌を二例取りあげてご紹介しよう。著者は、韻文調での歌の訳出、そして現代仮名遣いにした歌の本文、という形で本書をまとめていく。
 ここでは、わかりやすい対比として手許にある折口信夫著『口譯萬葉集』(折口信夫全集、中央文庫)での口語訳を併せてご紹介する。そのため、著者の取り上げた歌の本文を先に出し、その後に著者の訳、折口信夫の口語訳を載せる。折口のも口語訳なので、訳出の雰囲気の違いの対比もよくわかり、本書シリーズに興味が湧くのではないかと思う。折口の訳出は、収録された歌の順番そのままで口語訳されている。

 「心悲しも」という見出しの見開きページ(p38-39)から抽出した歌二首。

本文: 春の野に 霞棚引き 心(うら)悲し この夕影に 鶯鳴くも  巻19 4290

著者訳: 春の野に 霞靡(なび)いて 鶯の 声沁(し)む宵や 沈む心に
  
折口訳: 春の野に霞が懸つて居る、此夕日のさして居る時分に、鶯が鳴いて居ることだ。(そして、何となく悲しい心持ちがすることだ。)


本文: 我やどの い笹群竹 吹く風の 音の幽(かそ)けき この夕(ゆうべ)かも
                                  巻19 4291
著者訳: 庭の小籔 風音(おと)も無(の)う 吹き抜ける
        この夕暮れの 寂(さみ)しさ何や
 
折口訳: 自分の屋敷の、少し許りのかたまった、竹を吹く風に立てる音が、微かに聞こえる、今日の夕暮れであることよ。

 著者の目的は、万葉集の歌をみじかものがたりとして、現代風の身近なものとして全訳することであるので、大伴家持伝も、歌の詠まれた範囲で完結している。『万葉集』の最後の歌(巻20、4516)は、因幡国で正月を迎えた家持が詠んだ歌で終わる。家持伝もここで終えられている。その歌とは、

著者訳: 新年と 立春(たつはる)重なり 雪までも 
          こんな好(え)えこと ますます積もれ
本文:  新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
である。

 余談だが、そこで、ふと気になったのは、それでは家持は何時どこで亡くなったのか?ネット検索で調べてみると、延暦4年(785年)のようだ。
 783年に中納言に昇進し、785年には兼任していた陸奥按察使持節征東将軍の職務のために陸奥に赴いていたようである。一方で、遙任の官として在京のままという見方もあるという。そして、784年11月の長岡京遷都から1年も経たない785年9月に藤原種継が長岡京で暗殺される。この暗殺に家持関与が疑われ、追罰として家持の埋葬を許さず官籍除名という処罰が為されているのである。これで没年はほぼわかるが、死没地は陸奥の多賀城説と平城京説に別れているという。
 私は今まであまり意識していなかったことがある。大伴家持の歌は万葉集に473首(一説には479首)収録されていて、何と万葉集全体の1割以上に及ぶのである。そして、巻17~20という巻末4巻は、家持による歌日記とみえるような体裁になっているのである。大伴家持が万葉集の撰者・編纂者に擬せられていることが頷ける。

 最後に、「支え歌人編」を読んでの私の新発見に触れておきたい。万葉集はその時代の秀歌ばかりを選して収録したものではないということ。おもしろい歌も取り込んでいるのを発見とは大げさだが気づいた次第だ。たとえば、つぎのような歌まで収録されている。
著者の訳: 処罰を受けて 仕様無(しょうな)しに わしら一同 打ち揃い
        足止め喰とて 謹慎や 春の野山が 呼んでる云うに
本文: 大君の 命畏(みことかしこ)み 百磯城(ものしき)の 大宮人の
      玉桙(たまほこ)の 道にも出(い)でず
        (春日野遊び) 恋ふるこの頃     作者不詳 巻6・948

著者の訳: 双六の 賽(さい)の目見たら 一二外(いちにほか)
        五六もあって 三四もあるで
本文: 一二の目 のみにはあらず 五六三 四さえありけり 双六の賽 
         長意吉麻呂(ながのおこまろ)  巻16・3827

著者の訳: 香塗りの 塔近付くな 便所傍(かわやそば)
        屎(くそ)喰う鮒(ふな)を 喰うた女奴め
本文: 香塗れる 塔にな寄りそ 川隅(かわくま)
      屎鮒食(は)める 激臭(いた)き女奴   長意吉麻呂 巻16・3828
 ⇒ 与えられた歌題「香 塔 厠 屎 奴」を詠み込んだ遊び歌、戯れ歌のよう。

同様に、こんな歌も
著者の訳: 虎乗って 廃屋(ふるや)飛び越え 青淵で
        蛟竜(みずち)捕る様(よ)な 刀が欲しな
本文: 虎に乗り 古屋を越えて 青淵に 
      蛟龍(みずち)捕り来(こ)ん 剣太刀もが  境部王 巻16・3833
 ⇒ 「虎 古屋 青淵 蛟龍 - 恐い物づくし」

 こういう歌題読みの歌遊びがいくつも収録されている側面。『万葉集』って、おもしろい編纂なのだ。こんなのは、文学史や教科書などでは紹介すらないだろう。『万葉集』は決して高尚なばかりの文学書ではないのだ。
 また、家持が防人として派遣される人々の切ない思いを代弁するかのように数多くの歌を詠んでいることもこの第6巻で知った。何せ、手許に『万葉集』があれども、未だ通読はしていないので・・・・。物語風に気楽に読み進められるというお陰で、『万葉集』の新たな側面が見えて来た。
 『万葉集』は、まさに奈良時代の社会の縮図なのだということを・・・・・。

 本書の副題に「一億人のための万葉集」とある。まあ、ちょっと大げさなキャッチフレーズだが、万葉集を気軽に手に取り、お話風に読み進められ、かつ歴史の流れもかなり学べる点では、楽しめて肩の凝らない入門書と言える。手にとって、試しにパラパラ拾い読みしてみてほしい。

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大伴家持  :ウィキペディア
大伴家持の生涯と万葉集  :「高岡市万葉歴史館」
大伴宿禰家持  :「波流能由伎 大伴家持の世界」
大伴氏 系図  :「波流能由伎 大伴家持の世界」
藤原仲麻呂   :ウィキペディア
藤原仲麻呂   :「コトバンク」
惠美押勝(藤原仲麻呂)の乱と、勝野の鬼江  :「びわ湖源流 ドットコム」
藤原仲麻呂の乱  :ウィキペディア
橘奈良麻呂  :ウィキペディア
橘奈良麻呂  :「コトバンク」
橘奈良麻呂の乱  :ウィキペディア
「反藤原勢力が丸ごと葬られた橘奈良麻呂の変」 関裕二氏 :「廣済堂よみものWeb」
橘諸兄 :「波流能由伎 大伴家持の世界」

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
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『万葉歌みじかものがたり』 第4巻・第5巻   JDC
   「家持青春編 (一)恋の遍歴 (二)内舎人青雲 あじま野悲恋編」
   「家持越中編 (一)友ありて (二)歌心湧出」
『万葉歌みじかものがたり 三』 JDC
   個人列伝編:高橋蟲麻呂、笠金村、山部赤人、坂上郎女
『万葉歌みじかものがたり 二』 JDC
   個人列伝編:柿本人麻呂、市黒人、大伴旅人、山上憶良
『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
   歴史編:記紀神話時代~平城京遷都まで


『血烙 刑事・鳴沢了』  堂場瞬一  中公文庫

2016-02-14 09:59:46 | レビュー
 刑事・鳴沢了シリーズの第7作となる。今回はガラリと舞台が変わる。舞台はアメリカである。なぜ、アメリカか? 鳴沢了が研修でアメリカに派遣されたのだ。ニューヨーク市警での研修も残り3ヵ月となったという設定だ。この時、イタリア系アメリカ人のミケーレ・エーコ、愛称ミックが鳴沢了の相棒である。彼は市警組織犯罪対策局麻薬課の刑事で、マンハッタン北部が管轄区域。了が相棒ミックと一緒に、クール・Jという男を現場張り込みしているシーンからストーリーが始まる。
 なぜニューヨークなのか? 前作『讐雨』をお読みの方はおわかりだろう。内藤優美と一人息子の勇樹が今はニューヨークに住んでいるからなのだ。勇樹がアメリカで家族向けの連続テレビドラマ「ファミリー・アフェア」に出演することになり、優美の生まれ故郷であるニューヨークに戻っているのである。そのドラマが好評で、秋からの第4シーズンの放送に勇樹が出演することが決まっていた。ドラマが長期継続される可能性が高い。そこで、優美は大学に入学し法律の勉強を始めていたのだ。そのため、了は研修先をニューヨークに選んだという次第。勿論、ニューヨークには、了がアメリカの大学で学んでいたころの親友であり、優美の兄、七海(ナナミ)がニューヨーク市警の刑事となっている。
 勇樹の所属事務所が勇樹と優美の親子に用意したコンドミニアムに、了は研修期間中一緒に住んでいる。

 コンドミニアムから2分ほどのところにあるデリに了は勇樹と一緒に買い物に行く。コンドミニアムへの帰り道で、ふと舐めるような視線を感じ、了は振り返る。一瞬だが了はその捉えた姿に背筋を凍らせる。それは今やニューヨークのチャイニーズ・マフィアの幹部で、元は鉄砲玉でマシンガン・トミーと通称されたトミー・ワンだった。了は数年前にトミー・ワンと一瞬の邂逅をしている。その時の死の臭いを感じたのだ。それがこのストーリーの前兆となる。

 七海の父親は貿易商をしていて、トミー・ワンに密輸を持ちかけられたが断ったため、命を狙われる。七海の両親は自動車事故を起こしてなくなる。裏付ける証拠はないが、車のブレーキに細工をされたようなのだ。七海はそのことをニューヨーク市警に勤める父親の友人から聞いた。それがトミー・ワンの仕業だと推測している。七海が野球選手になることを断念した折り、刑事になったのは己の手で復讐を果たすためでもあった。了は勿論、トミー・ワンを一瞬垣間見たことを七海に伝える。

 麻薬の売人、クール・Jが消えた。彼の証拠をつかみぶちこみたかったミックが苛立ちを募らせている時、了に優美から突然電話が掛かってくる。勇樹はいつもエージェントに送り迎えをしてもらっている。付き人は勇樹が「ちょっとよりたいところがある」と車から降りて、戻って来ないのだという。行方がわからなくなって2時間しか経ってはいないのだが・・・・。
 だが、それが事件の始まりだった。ミックは了にアドバイスする。「コネを使え。ガキが行方不明になっても、警察は24時間は様子を見てるだけだぞ。有名人なら早く動く」と。
 付き人のマイケル・キャロスが勇樹に頼まれて、ボイストレーニングをしたチェルシーからコンドミニアムに帰宅する途中で、遠回りして勇樹を降ろしたのがグリニッジ・ビレッジで、ワシントン・スクエア・パークの外あたりだったと言う。勇樹は1時間くらいで戻ると言ったというのだ。七海が非番の刑事に援軍を頼み、駆けつけてくる。警察が正式に動き出す準備ができるまで自分たちで手分けして捜すのだと言う。一方、ネットワーク局のプロデューサーであるムーアは楽観的な姿勢だった。了はその態度に苛立つ。
 優美は、中国系アメリカ人の別れた夫が誘拐したのではないかという可能性を口にする。だが、七海は彼ではないと告げる。その元夫はこの時、ロスに居ることが確認できているというのだ。それなら、行方不明の原因はどこにあるのか?

 聞き込みで、勇樹の目撃者が見つかる。M8路線のバスに自分で乗ったというのだ。しかしひどくあわてている様子だったという。了はタクシーで目撃者のコンドミニアムに向かったが、建物から出て来たミックに遭遇する。覆面パトカーに乗り込むと、携帯電話で連絡を取ったミックが言う。勇樹の乗り込んだバスを、どうもクール・Jがバスジャックしたらしいということを。そのクール・Jがバスジャックしたことを警察に電話してきたというのである。どうも、勇樹は誰かに追われていて、それでバスにあわてて飛び乗ったらしいのである。勇樹のことに、クール・Jが関係しているのか、偶然なのか・・・・。
 
 鳴沢了はニューヨークに研修のために派遣されている。仮に勇樹が誘拐行為に曝されている状況だとしても、ここでアメリカの刑事として行動できる資格はない。この捜査に関しては一私人にすぎない。だが了は「勇樹に何かあったら、私は刑事である前に父親として失格だ」という強烈な思いを内奥に秘めて、七海とともに行動を始める。
 研修中の鳴沢に責任を持つ特捜部の警部、デニス・マッカーシーの命令を無視することになる。七海はニューヨーク市警の刑事だが、ことこのバス・ハイジャックの現場に対しては、仕切れる立場ではない。七海も独自ルートの情報を入手しながら、独自に事件に関わり始める。
 だが、市警の重大事項課の課長の判断で、勇樹の誘拐に対し身内が居た方がよいということから、七海が正式に捜査に参加することになる。しかし七海はニューヨーク市警の刑事だ。ニューヨークを外れると、刑事の資格での行動は容易ではない。

 複雑な状況にあるこのバス・ハイジャック事件だが、そこにはトミー・ワンが関わっていた。そして、事態はこの現場だけでは解決できない形に展開し始める。七海は刑事として地理的な行動範囲に制約を受けざるを得ない。トミー・ワンの行き先がニューヨーク外だとわかれば、鳴沢が追いかける立場になる。
 勇樹が誘拐されたことが、ニュース報道で公になってしまう。了は勇樹の救出・奪還のために追跡行動に暴走していく。七海は了と連絡を取りつつサポートする形になる。
 舞台は、ニューヨークから、アトランタ、そしてフロリダへと屈折しながら大きく進展していくことになる。
 
 なぜ、トミー・ワンが関わっているのかが一つの謎である。トミー・ワンは七海に両親の敵として追跡と復讐の対象となっていることを知っているはずなのだ。グエンという情報屋を介して、そこにはトミー・ワンの家族の問題が関わっているということを聞かされる。さらに、捜査の過程でトミー・ワンのニューヨークの住居と周辺の捜査から、一片の手がかりが浮かび上がってくる。
 「家族」がキーワードとなって、追跡活動が進展していく。つまり、この小説のメイン・テーマは「家族」である。読み進める中で、私は小説のタイトルを直接的にパラフレーズしたような箇所には気づかなかった。しかし、メインテーマとその文脈から、この「血烙」というタイトルに納得できる。「血」は血脈、血統という熟語があるとおり、「家族」を象徴する。一方、「烙」という漢字で思い浮かぶ言葉は、一方で「烙印」、他方で「焙烙(ほうらく)」という熟語がある。「烙印」は焼き印であり、火にあぶり物に押し当てて印をつけるための道具。一方「焙烙」は「あぶり焼く意」であり、「殷の紂王が行った火あぶりの刑」(『大辞林』三省堂)であり、この語は「焙烙(ほうろく)でもある。「ほうろく」は「穀類や茶などを炒ったり蒸し焼きにしたりするのに用いる」(同書)道具である。つまり、血のつながり、家族というものが、心を焼焦がす思いにさせるという意味合いが込められているのだろう。トミー・ワンが己の家族に対する身を焼いてでもという思い、優美が息子が誘拐されたことに対する身を焦がすような思い、七海が両親を殺害されたことに対してトミー・ワンに対して抱く復讐心、そして鳴沢了が「家族」と認識し、勇樹の父親になるという意識から発生する身を焼いてでもという思い。これらが「血烙」という語で接点を持っている。

 一方、アメリカにおいては、了はあくまで私人としての追跡行動を行えるにすぎない。アメリカの法とは別次元の捜査活動でしかない。そこには大きなハードルが存在することになる。そこに七海のサポートが常にあるというものの、アメリカの警察組織の実情が大きく関わってくる。FBIおよび州と地域の警察組織の有り様が描かれる。さらに、了のアメリカ時代の知人がこのストーリーの展開で関わってくる。著者は追跡行動、捜査という観点において、権限・管轄の制約と人の繋がりを、異国における鳴沢了の行動に対するサブ・テーマとして絡めているように思う。

 アトランタでは、B・J・キングという古きよき友が警察官として勤めていた。彼の協力で、トミー・ワンの家族について捜査を進めることから、徐々に状況の解明が進み始める。その結果、事態はフロリダへと展開していく。フロリダでは、B・Jに借りがあるというホセ・カブレラがB・Jからの連絡を受けて、了に協力する。併行して、アメリカの警察自体の捜査が進展して、了の追跡行動とリンクしてくる。そしてFBIの活動を手伝うという形で七海がフロリダに出向いてくることになる。そして、山場に突き進んで行く。
 
 勇樹が誘拐されたのは意外な理由と背景によるものだった。それは家族の絆に関わることでもあった。遂に了は無事な勇樹と邂逅できる。だが了に残された課題は、トミー・ワンを捕縛することである。この最後の追跡がクライマックスとして読ませどころとなっていく。そこには、さらにトミー・ワンの家族の一人であるチャーリー・ワンが重要な関わりを持ってくる。

 土壇場で了の携帯電話に、了の相棒だった今が日本から電話をかけてくる。そのタイミングが絶妙で、実に滑稽なくらいにおもしろい。

 そして、最後に2つの謎が明かされてエンディングを迎える。
 なぜ、勇樹がよりによってトミー・ワンによる誘拐のターゲットになったのか?
 なぜ、勇樹がグリニッジ・ビレッジに立ち寄りたかったのか?
そこにも「家族」というキーワードが関わっている。
 さらに、勇樹が選んでいた言葉は「Dream Time」だった。それが持つ意味は、この作品を読み、確かめていただきたい。

 意外性が重ねられ紆余曲折していくストーリー展開に読み応えを感じさせる仕上がりとなっている。
 
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 この小説から波及する関心事をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
青年警察官海外研修 優れた捜査官の育成と捜査体制の充実強化「昭和62年 警察白書」
アメリカ合衆国の警察 :ウィキペディア
アメリカ警察機構及びFBIについて
アメリカにおける警察と保安官の関係  :「教えて!goo」
ニューヨーク市警察  :ウィキペディア

NYPD POLICE DEPARTMENT CITY OF NEW YORK ホームページ
THE FBI FEDERAL BUREAU OF INVESTIGATION ホームページ
New York Mafia - Alternative Theory (May 2014)  :「INFORMER」

マフィア  :ウィキペディア
五大ファミリー  :ウィキペディア
CVS/ファーマシー  :ウィキペディア
HLAとは  :「HLA Laboratory」
HLAとは  :「造血幹細胞移植情報サービス」
骨髄移植とは  :「北海道骨髄バンク推進協会」
キーライムパイ :ウィキペディア
必見!フィェラーリ(Ferrari)車種一覧まとめ(画像・壁紙) :「NAVERまとめ」
フォード・トーラス  :ウィキペディア
ALDEN(オールデン)コードヴァンの魅力  :「NAVERまとめ」
コンバース 公式サイト
キーウエスト   :ウィキペディア

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徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『讐雨 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫


『讐雨 刑事・鳴沢了』 堂場瞬一  中央文庫

2016-02-12 10:12:32 | レビュー
 刑事・鳴沢了シリーズの第6作である。
 鳴沢は東多摩署に異動となる。赴任した当日に、調布で一人の小学生が行方不明になり、2日後、少女の家に髪の毛が届くという事件が発生する。直ちに捜査本部が設置される。だが、2週間後、3週間後にも類似の事件が繰り返される。わずか1ヵ月の間に、3人の小学生、それも女の子ばかりを誘拐して殺し、山梨の山中に埋めていた犯人が逮捕される。誘拐、殺人、死体損壊、死体遺棄という罪状で間島重(まじましげる)が逮捕される.3番目の事件の容疑者として逮捕された間島は、逮捕後にあっさりと最初の2件の犯行を自供したのだ。鳴沢は殺害された小学生と同じ年齢の娘のいる女刑事・萩尾聡子と組み、間島の最初の事件の自供をもとに、その裏付け捜査を行っている。
 間島は少女の首を切り離し体と一緒に埋めていた。鳴沢は2つの事件の遺体と対面したが、彼自身が久しぶりに吐き気を覚えるほど凄惨だった。
 取り調べにおいて、間島の証言はすらすらと記憶に基づき語られ、首尾一貫しており、捜査で後付けができる。刑事の目からは間島の責任能力には問題がないと判断している。だが、弁護側は、絶対に責任能力を争点にし、裁判では間島の精神状態を問題にするのは間違いがない。間島には責任能力がないとい判決の出る可能性がゼロとはいえいない。
 鳴沢と萩尾は、最初の事件の犠牲者の遺体が埋められていた山林の所有者の証言を取りに行った帰路、100mほど先の路肩に停まっている白い乗用車のパーキングライトの瞬きが目に入る。それが突然爆発したのだ。前方の一台の車が爆風で転覆し後続車と衝突。それが覆面パトカーに迫ってきたことで、鳴沢らはこの爆発事故に巻き込まれるのだ。
 病院で応急処置を施された鳴沢らは、東多摩署に戻る。
 署に戻ってから、萩尾聡子が郵便物の仕分けをしていて、その中に「東多摩署刑事課」宛となっている封筒に気づく。差出人は無記。刑事課宛なら誰が開けても良いのでは、という了の意見に聡子が開封してみると、その文面は了の背筋を凍りつかせるものだった。 そこには『間島を釈放しろ。さもないと、爆発は続く』と印刷された無機質な文字で記されていたのだ。前日の消印だった。その直後、鳥飼刑事課長から二人にすぐ来いとの電話が入る。それは間島を釈放しろという電話だったのだ。その電話を受けたのは、捜査本部で了がコンビを組んでいた本庁捜査一課の警部補・石井敦夫刑事だった。
 つまり、鳴沢・萩尾が遭遇した車の爆発は、この手紙と電話を裏付ける犯行だったのだ。白い車はダイナマイトで爆破されたことが判明する。

 石井刑事はこの捜査本部において、捜査活動には積極的でありかつ強引なところがあった、刑事たちの間で捜査活動を仕切っていく。捜査本部の上司たちも石井の発言や行動には、一目置くようなところもあった。そこには鳴沢が警視庁に入る以前に、石井に関係する事件が背景として絡んでいたのだ。鳴沢は徐々にその理由を知るようになる。
 一方で、石井は鳴沢の行動と思考・発言に接して、刑事として相通ずる部分を感じ始めていく。

 間島の自供による3つの事件の裏付け捜査が進展していく最中に、ダイナマイトを爆発させるという強硬手段をとり、間島を釈放しろという要求が捜査本部に投げかけられてくる。釈放要求の意図は何なのか。間島のような男を釈放して何のメリットがあるというのか? 
 釈放の要求と釈放に応じない場合はどこかを爆破するという第二の予告電話が掛かってくる。電話を取った了に対し、相手は高橋となのるのだ。そして、第二の爆発を高橋と名乗る男あるいはそのグループが実行するに至る。捜査本部は間島の自供に基づく跡づけ捜査、取り調べによる証拠固めなどから、一転、爆破犯行と間島の関係の究明、高橋と名乗る男の特定と逮捕への捜査活動に投げ込まれていく。警察はそう簡単に間島を要求通りに釈放できる訳がない。そうこうする内に、第2のダイナマイトによる爆破が実行されてしまう。この時は、幸いにも怪我人は出なかった。だが、さらに釈放要求と爆破予告電話が繰り返される・・・・。
 そして、連続する都内での爆破事件と間島の事件との関わりが、徐々にマスコミの報道に流れ始める。悪くすれば、爆破行為が都内にパニックを引きおこしかねない状況が出始める。

東多摩署に送られてきた間島釈放要求の封筒から、栗岡正志という27歳のヤクザの指紋が特定される。これが大きな捜査活動の転機となっていく。

 一方、間島の取り調べは、意図・動機の解明という点での自供はなかなか得られない。息子が引き起こした残虐な殺人事件を苦にし、両親は自殺してしまう。そのことを取り調べの中で鳴沢が知らせても、自分とは無関係だと平然とした態度をとる。
 だが、その間島が鳴沢による取り調べの際、栗岡正志という人物は知らないと答えるのだが、ヤクザという言葉に異常に反応し、気絶するに至る。鳴沢はそこにまだ大きな闇が潜むと直感する。そこから新たな活路が開けていく。

 この小説、釈放要求と連続する爆破事件という大きな迂回を経ながら、事件が収斂し、とてつもない決断を伴う最終ステージへと突き進んで行く。鳴沢はその渦中で行動をする羽目になっていく。鳴沢了らしい展開となる。

 事件が結末を迎えた時、その時誰も死にはしなかった。重傷者が三人出ただけである。だが、「いくつもの心が死んだ」(p426)と鳴沢に感じさせる後味の悪い事件だった。
間島は容疑者として逮捕されると、犯した罪をペラペラと自供した。その後追い捜査で裏付証拠が重ねられていく。しかし、司法の手に委ねられると、裁判の過程で間島の責任能力が問われ、間島が死刑になる保証はない。警察段階で捜査する刑事が間島の責任能力を確信していても、法の下での裁判は別の要素が加わる可能性があるのだ。
 この事件の捜査の過程で犯罪行為に対する法の裁きの限界点がクローズアップされていく。その境界面において鳴沢の心の中は刑事という立場についての葛藤が続いていくことになる。
 法の裁きを超脱する次元における裁き、ここにあるテーマは重い。

 クライマックスで著者は次の文を挿入している。
「雨。
 邪悪な心や醜い魂を浄化するのではなく、この世界を腐敗させるような雨が降る」と。 この作品のタイトル「讐雨」はここから来ているのだろう。
 定番の国語辞書に「讐雨」という熟語はない。著者の造語である。
 その雨は、復讐の雨なのだろう。復讐できないことに滂沱する涙の雨かもしれない。

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この小説に関連する事項について少し検索した結果を一覧にしておきたい。
刑法39条 :「WIKIBOOKS」
責任能力  :ウィキペディア
責任能力  :「コトバンク」
容疑者の「刑事責任能力」とは 心神喪失者はなぜ無罪? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語   :「THE PAGE」
刑事責任能力鑑定  :「精神保健研究所 司法精神医学研究部」
刑事責任能力判断の新たな動向  岡江晃氏  :「医療観察法.NET」
刑事責任能力に関する一考察  真野里加子氏  論説 pdfファイル
精神障害と責任能力  佐伯仁志氏 論文 pdfファイル
知的障害者の刑事責任能力に関する近時の判例の動向 緒方あゆみ氏 論文 pdfファイル
刑事責任能力に関するトピックス  :「朝日新聞DIGITAL」
女児誘拐事件で争点に?容疑者に問われる「責任能力」とは :「NAVERまとめ」

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『帰郷 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫

『鬼神の如く 黒田叛臣伝』  葉室 麟  新潮社

2016-02-09 09:21:40 | レビュー
 何ら予備知識を持たずにこの小説を読み始め、最後まで引きこまれて行った。
 読了してから少し調べてみて、遅まきながら初めて栗山大膳が実在の人物だったことと、これが世に「黒田騒動」として知られていることを知った次第。手許の学習参考書『新選日本史図表』(第一学習社)を開いてみると、「1633.3 黒田騒動」と明記されている。著者の『橘花抄』を以前に読んだとき、「黒田騒動」があったことは記されていた。しかし、そのときはさらりと読み過ごし、『橘花抄』のテーマである騒動の方に思いが行っており、後で最初の黒田騒動を掘り下げることはしなかった。
 本書を読み終えてから、少し調べて見ての話なのだが、別観点から言えば、かなり世に親炙し、手垢のついた出来事について、著者が断片的な事実記録の空隙に縦横の想像と創作を加えて、新たな「黒田騒動」をここに構成し直したと言える。
 後追いの形になるが、「黒田騒動」について過去に作品化されている様々なアプローチを少しずつ辿ってみようかという気がしてきた。少し時間を置いて、改めて史実レベルでの出来事(内幕)と著者の創作し描き出したリアル感溢れる黒田騒動との対比によるフィクション部分の考察しながらの再読も一つの方法として楽しめるかもしれない。

 調べてみた範囲のソースは、末尾をご覧いただきたい。少し触れておくと、あの森鴎外が『栗山大膳』と題する短編小説を書いている。海音寺潮五郎が『列藩騒動録 上』(講談社文庫)に「黒田騒動」を取り上げているようだ。1956年には名優・片岡千恵蔵主演のモノクロで「黒田騒動」(東映)が映画化されている。
 さらに遡れば、歌舞伎の演目の『黒白論織分博多(こくびゃくおりわけはかた)』(黒田騒動)として脚色されて取り上げられているようである。歌舞伎演目の「お家騒動」ものでは、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』『実録先代萩(じつろくせんだいはぎ)』ほか仙台藩六十二万石の伊達騒動をあつかったものが最も有名。私でも「伊達騒動」という言葉には少し馴染みがあった。黒田騒動は知らなかった。歌舞伎での黒田騒動の初演は嘉永5年8月江戸の中村座で、関西では大阪・中座で明治18年11月が初演だという。

 冒頭から脇道に逸れた。本題に入ろう。著者は栗山大膳像が胆力に優れ、深慮遠謀で、黒田藩の存続を確実にするという目的の為には、己が「叛臣」と呼ばれ遺棄されようと鬼神となってやり遂げるという人物像を描き上げていく。
 この小説のおもしろいところは、黒田騒動が黒田藩内での藩主・忠之と家老・栗山大膳の対立・確執によるお家騒動という視点に限定し、そこでの大膳の大芝居として描いているのではないところにある。著者は当時の九州における勢力関係と将軍・老中幕閣の思惑、黒田藩そのものの存続という三つ巴の構図を前提にして、栗山大膳と藩主忠之との確執の有り様を描く。さらにその確執自体も大膳の機略策謀に組み込まれたシナリオの一環である。大膳の腹中にある秘策成就のために、次々と策が重ねられ、手が打たれていく。大膳の指示、打つ手とその行動がどのように、どんな関係で繋がって行くのか、そのストーリー展開とそこに潜む意外性がおもしろい。

 登場人物と全体の構図を図式的にご紹介してみよう。
 まず冒頭で、太宰府天満宮の近くにある修験者の修行場・宝満山の中腹の坊に住む夢想権之助が登場する。彼は宮本武蔵と試合をして敗れ、そのリベンジを目指し、杖術を創案した武芸者である。彼はストーリーの要所要所で登場するが、その弟子で義理の兄妹である卓馬と舞がこのストーリーでは一つの要となっていく。当初、卓馬と舞は竹中采女正から間者として、栗山大膳の許に送り込まれるのである。だが、結果的には大膳の意を帯して行動していくことになるところがおもしろい。
 この夢想権之助、江戸時代初期に実在した武芸者。小説でのフィクションかと思っていたが、後で調べてみると実在していたという記録があるようだ。
 竹中采女正は、秀吉の軍師だった有名な竹中半兵衛の従弟を父とし、豊後府内二万石の藩主である。幕府の信任が厚く、寛永六年(1629)に長崎奉行に任じられ、幕府の九州探題として、目を光らせている。一方、幕府老中・土井利勝の意を受けて行動する。当時の幕府は豊臣秀吉と深い関わりのあった藩を徐々に機会を見つけて、あるいは理由を作って取りつぶす策を広げていた。一方、二代将軍秀忠から将軍を継承した家光は、キリシタン撲滅と絡む構想として、ルソン征伐を密かに夢見ていたのである。利勝は意に逆らわない形で黙っていることで家光に取り入っている。竹中采女正はその利勝の意を受けて動き、策謀家としての己の能力を自負する人物。黒田家の家臣と称する影山四郎兵衛という者から黒田忠之謀反の疑いありと誣告する書状が届いたことを契機に、黒田藩の内情を探索しようとする。その間者として卓馬と舞を送り込むのである。竹中家と黒田家の縁の深さから、黒田家を助けたいと言うが、肚の内は黒田家取りつぶしの功への先手になりたいという立場である。
 また、采女正は長崎奉行として、キリシタンの弾圧、峻烈な取り調べを強化している。穴吊りという拷問はこの采女正が始めたとされる。一方、土井利勝の意を受けて、密貿易を行い蓄財をしている。そこにはいずれの日かに家光の命によりルソン征伐を行うための資金蓄積と情報収集という建前がある。他の老中には寝耳に水というところ、蚊帳の外に置かれている。

 黒田家の隣国は豊前の細川家である。細川忠興と黒田長政は豊臣秀吉の家臣の頃から確執してきた間柄である。細川家は忠興から忠利に、黒田家は長政から忠之にそれぞれ家督が譲られたとはいえ、両者の仲の悪さは続いている。三斎と号する忠興は未だ健在であり、栗山大膳の許に間者を送り込んでいたのだ。黒田家を陥れる理由がつかめれば、細川家が九州で勢力を得られる契機になる。虎視眈々と陰の戦いは続いているのである。

 そして、黒田家の藩主・忠之である。我が儘勝手に振る舞い、驕奢に流れ、家臣の登用も気まぐれに行う。父・長政は忠之を廃嫡し弟の長興に家督を譲ることを考えたことがある位なのだ。だが、大膳が嫡子を替えるのは国が滅びる基になると諌言し、思いとどまらせ、結果的に忠之が家督を継いだ。忠之は、はじめ小姓として仕えた倉八十太夫を引き立てて重臣に登用する。十太夫は忠之の寵臣となり、忠之は藩政を十太夫に託していこうとする。幕府が諸大名に大船建造を禁止する意向示している最中に、忠之は大船建造を行うなどの振る舞いをしている。忠之と十太夫は栗山大膳の考えと対立する立ち位置になっていく。そして、確執の事態は大膳が家老職を辞すというところから進展し始める。

 寵臣の倉八十太夫は藩主忠之側である。忠之に忠誠を尽くしている。だが、栗山大膳が打ち出してくる策に対し、忠之が激怒しがちである状況を著者は幾度も描くが、寵臣としての十太夫を、怒りの火に油を注ぐような人物としては描いていない。栗山大膳という思慮深く機略にたけた人物が何を考えているのか、その意図をよく考える人物という立場で、忠之のブレーキ役として描いている。通説での人物像とかなり違う捉え方を著者は試みているようだ。このあたりが実に興味深い。
 こんな確執状況の中で、ストーリーが展開していく。

 竹中采女正から送り込まれた卓馬と舞を、細川家から送り込まれた間者を封じる役に使い、さらに己の手駒として采女正の許に逆に赴かせるという策を大膳は謀っていく。大膳の深慮遠謀から編み出される策は幾重にも絡まり合いながら、黒田藩の存続への一石としてうたれていく。その一石がどこでどう繋がって行くのか、このプロセスが読ませどころである。

 おもしろいのは細川家との縁で宮本武蔵が登場するが、ある意味でチョイ役的な役回りとして描き込まれているというおもしろさ。武蔵と卓馬・舞との対決、武蔵と夢想権之助の再対決なども織り交ぜられる。後半部で柳生宗矩も登場するが、ちょっと悪役的であるところも興味深い。
 さらに、大膳の遠謀の一環とも関わる形で、天草四郎も登場する。これは当時のキリシタンの人々が追い込まれていた状況の一端が描かれ、我々に問題を投げかける一方で、黒田藩の存在価値への伏線となっている点も興味深い。「叛臣」として藩を去る大膳が後々までも構想していた展望というところか。

 この小説の文脈で印象深く、かつ重要な意味を含むと私の感じる箇所をいくつかご紹介しておきたい。

*わたしが戦っているのは黒田の殿に非ず、竹中采女正様でもなく、まして江戸の将軍家ではない。・・・神君家康公だ。  p161
*いかにも左様でございます。そのためにわが家臣たちにも偽りを申して参った。p237
*これは驚きいったお言葉でござる。竹中半兵衛様や如水公なれば、謀るをよしとされ、謀られるは不覚であると仰せになられましょう。  p246
*まこと、殿と栗山様は喧嘩の絶えぬ兄弟のようでございますな。たがいに意地を張って誹り合われるが、心のうちではお互いを常に案じておられます。(← 十太夫の発言)p255
*ソウカモシレナイ。ダガア、一度、胸ニ宿ッタ神ノ教エハ消エルコトハナイ。イツカマタ甦ッテクル。イマハソレヨリモ、皆ガ生キルコトヲ考エルベキデハナイカ。トクニ子供タチダ。将来ガアル子供タチヲ、自ラノモノトナッテイナイ信仰デ死ナセテハイケナイ。 (← フェレイラ神父の発言) p275
*しかし、一揆が強くなるのは、ただひとつのわけがあればこそでござろう。
 怒りでござるよ。おのれを虐げ、ないがしろにするものへの怒りは誰の胸にもございましょう。ひとはひとであるかぎり、おのれを虐げる者への怒りを忘れませぬ。  p304

 この小説のエンディングは実に興趣がある。

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この小説に関連する事項をネットで調べてみた。一覧にしておきたい。

栗山大膳  :「コトバンク」
栗山利章  :ウィキペディア
黒田騒動  :「コトバンク」
黒田騒動  :「weblio辞書」
黒田騒動 アーカイヴ・ライブラリー :「福岡市」

夢想権之助 :ウィキペディア
流祖夢想権之助について  :「東京都杖道連盟公式ホームページ 神道夢想流杖術」
竹中采女正と江戸城記録 黒田城北氏 :「別府大学地域連携プログラム」
長崎年表 江戸時代<2>  :「長崎年表」

『栗山大膳』 森 鴎外  :「青空文庫」

黒田52万石を救った「栗山大膳」 :「福岡県朝倉市」
【岩手とのゆかり】黒田騒動と盛岡藩 :「岩手県」
開田山恩流寺  :「盛岡三十三観音」
福岡県の「志波」と岩手県の「志波、志和、斯波、紫波」の不思議な関係 吉田等明氏
タロット聖人伝  中浦ジュリアン  :「タアロット魔術室」
末次平蔵  :「コトバンク」
「背教者ジョアン末次平蔵とアントニオ村山当安の対立」桐生敏明氏:「徒然漫歩計」
キリシタン史 江戸初期の大迫害:「キリシタン千夜一夜」(たけちゃんのホームページ)

クリストヴァン・フェレイラ  :ウィキペディア
宮城(1)江戸揺るがせた伊達騒動 歌舞伎の人気演目に :「東京新聞」

関寺小町 :「観能手綴」
演目事典 田村 :「the 能 .com」
調伏曽我  :「宝生流謡曲名寄せのページ」
曲目解説 西行桜  :「銕仙会」

「鬼神の如く 黒田叛臣伝」の葉室 麟さん 著者との60分-interview-:「e-hon」 
「黒田騒動」が舞台の歴史長編を上梓 葉室麟氏に聞く :「日刊ゲンダイ」

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版 (37+1冊)





『ウツボカズラの甘い息』 柚月裕子  幻冬舎

2016-02-06 11:22:26 | レビュー
 殺人事件の犯人を追う神奈川県警本部捜査一課刑事である秦圭介警部補の頭に浮かんだ植物が食中植物がウツボカズラだった。「細長く伸びた葉の先端に、壺のような形状の袋がついている。・・・・・甘い蜜で虫をおびき寄せ、中に落ちた虫を食いながら生きる」(p428)という植物である。本書のタイトルはここに由来するようだ。そして、それは犯人の行為を的確にシンボライズしていることにもなっている。
 完全犯罪は続かない。なぜなら人間は人間社会で生活しているかぎり、その痕跡を完全には消すことができないからである。この小説はウツボカズラのイメージとこのテーゼをモチーフにした作品だと感じた。ここまではうまく繰り返せないのではないかと思える犯罪歴が後で浮かび上がる直近の事件が発端となる。実に巧妙に構成されている。

 一気に読ませるストーリー展開である。それは卑近な人間の欲望と言葉巧みに惹きつけられ手玉にとられる人間心理が巧みに織り込まれていて、そこにすごく切実感を感じるからであろう。またこの捜査プロセスで秦主任が鎌倉署強行犯係の中川巡査とコンビを組み、敷鑑を担当する。中川菜月巡査は長い髪を後で一つに束ねた切れ長の涼しげな目と薄い唇の美人で、背が高く手足が長くてスタイルが良い。大卒入庁で6年目、28歳か29歳位なのだ。敷鑑の経験は二度あるという。この美人刑事が秦と組んでどんな活躍をするかも、興味を持てる部分である。なぜなら、秦が以前の経験でコンビを組んだ女刑事に往生したエピソードが最初に秦の嫌な思いとして記されるからでもある。

 さて、この小説ははじめ2つの話が併行してストーリーとして展開していくストーリー構成になっている。そして事件の捜査が進み、情報と残された証拠から、容疑者像が浮かび始める時に、併行して進展していたストーリーの登場人物が事件の参考人の聴取という形で結びついてくるのである。それまでは、どこでこのストーリーが結びつくか、早く知りたいと思わせる巧みな流れになっている。

 秦と中川が敷鑑の捜査活動に携わる事件をA、併行して進展するストーリーをBと仮に名づける。

 この小説はプロローグからBのストーリーがまず始まる。Bの主人公は高村文絵である。文絵は定期的に心療内科に通院する。医師の診断は、疲労とストレスからくる過食症および解離性障害に含まれる離人症である。「解離性離人症とは心の病で、自分自身の思考や行動、ときには外界に対して非現実感を覚えるもの」(p30)という。文絵は時折その強弱があるが解離性障害に悩まされている。医者は軽い精神安定剤と睡眠薬を処方しているのだ。
 夫の敏行がインターネットで見つけた築3年、間取り4LDKという差し押さえの競売物件、つまり訳あり中古物件を購入して住む。夫が稼いでくる限られた給料で暮らし、ふたりの子供の育児と家計の気苦労でストレスが溜まり、食べることを楽しみにするよになる。その結果、9号だった服が13号でもきつくなり、普段化粧をしないのでまだ30代なのに10歳近く上に見える。これって、周囲を見回すと類似事例が目に付く類いのありふれた姿ではないか。文絵の唯一の楽しみは、インターネットで調べた様々な懸賞に応募して、品物などをゲットすることなのだ。
 ある日、都内の一流ホテルから文絵に人気男性タレントのディナーショーのチケットが宅配便で送られてくる。文絵にはどれに応募した賞品なのか識別できない。だが、敏行は文絵の相談に対し、ディナーショーに出かけることに賛成する。
 ディナーショーに出かけた文絵は、ショーが終わったのち、ロビーで旧姓の牟田で呼びかけられる。呼びかけたのは色の濃い大きなサングラスをかけた女性だった。その女性は岐阜の中学校で同じクラスだった杉浦加奈子と名乗る。会場で偶然見かけたので声をかけたという。顔は整形したのだともいう。文絵はスギカナと呼ばれていた同級生を思い出す。杉浦加奈子は都内のマンションに住むが、鎌倉に別荘があり、ぜひそこに訪ねてきてほしい。お願いしたいことがあるのだという。それが事の始まりとなっていく。
 鎌倉の別荘に赴いた文絵に加奈子が依頼したのは、加奈子がフランスの化粧品会社と契約を結び日本国内で販売する市販でなくセミナー開催で個人販売する高級化粧品の商品説明、セミナー講師なのだ。高級化粧品をまずは1月ほど試してみてほしいと持ちかけられる。その高級化粧品を試しに使うことで、自分の肌の変化を感じ始める。それがダイエットを始める決意に繋がり、減量が効果を見せ始めると、かつての美しさが蘇り始めるという好循環が生まれる。夫敏行の見る目も再び変化してくる。この辺りもさもありなんという展開ではないか。そして、加奈子のいうセミナー講師を引き受けていく。セミナーの回を重ねると、文絵は己に自信を回復し始める。そして、月50万の収入を得るようになるのだ。これが深みにはまっていくことになる。

 Bのストーリーが徐々に進展する一方、9月の下旬に相模湾に浮かぶ江の島が一望できる高台に建つ白亜の三階建ての貸し家、ヨーロピアン調の瀟洒な家で事件が起こる。殺人事件である。仏は男性。うつぶせの状態で死亡。後頭部が陥没し、頭蓋骨が妙な形でへこんでいる。割れた後頭部に蛆が蠢いていた。死後5日から1週間が経過していた。凶器はワインボトル。死体のそばに破片が散乱していた。鑑識の調べで、被害者の黒い革靴の足痕以外にサイズが異なる女性用のパンプスと思われる足痕が2種類発見された。「七里ガ浜貸別荘会社役員殺害事件」の戒名で所轄の鎌倉署に帳場がたつ。 被害者は田崎実。38歳。ズボンのポケットに入っていた財布から出てきた免許証で確認がとれたのだ。
 被害者の交友関係をはじめとする敷鑑捜査が重要となってくるという判断で、秦主任が中川刑事とコンビを組み捜査にあたることになる。秦・中川は田崎実の自宅マンションを訪ね、管理人の立ち合いで部屋の捜査をすることから始めて行く。そして、田崎が東京の四谷を住所とする株式会社コンパニエーロが賃貸契約の連帯保証人となっていることを知る。ベッドのサイドテーブルには、都銀の預金通帳が入っていた。そこには毎月、200万前後の金が株式会社コンパニエーロから入金されていて、引き落としは、公共料金のほかに3件の不動産会社と、セイアイノソノという名前が記録されていた。これが最初の手がかりとなっていく。中川がスマートフォンを使い、ネットで登記情報提供サービスのサイトを検索すると、コンパ二エーロは輸入品販売および美容一般に関する物品販売を目的とする会社だった。秦らが四谷に株式会社コンパニエーロを訪ねると、会社事務所の賃貸は既に解約されていたのだった。うさんくささが深まっていく。一方、地取り捜査の近隣聞き込みから、サングラスをかけた女がよく出入りしていたということが浮かび上がってくる。

 このA、Bのストーリーが繋がった後も、思わぬ事実の発見につれ、田崎実殺害の容疑者と目される対象者が二転、三転していく羽目になる。そしてそれが、秦のこだわり捜査により、さらに背景に過去の完全犯罪の隠蔽事実が発掘されていき、犯人に行きつくこととなる。
 秦の相棒となる美人の中川刑事が機転の利く聡明な女刑事として、かつ控えめに秦をサポートする姿が描かれるとことも爽やかである。
 この何重にも巧妙に構造化されて構成されたストーリーは、どこでつながるのかというところから始まって、読ませどころとしての伏線がいくつも張られていて、読み応えがある。
 
 ご一読ありがとうございます。

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本書を読み、そこからの波紋で関心を抱いた事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ウツボカズラ  :ウィキペディア
食虫植物 ウツボカズラ捕虫 Nepenthes eats fly.N.lowii x ventricosa red :YouTube
ウツボカズラの魅力が凝縮!厳選20種類と育て方5つのポイント
 :「A Tropical Garden」
解離性障害  :「厚生労働省」
平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く  :「日本精神神経学会」
心理療法  :「RC PSYCH」
心療内科・精神科・神経内科の違い  :「MIND-BODY THINKING.COM」
マルチ商法 :「警視庁」
マルチ商法 :「NAVERまとめ」
マルチ商法・ネットワークビジネス問題対策の広場 ホームページ


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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社


『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』 小出裕章 毎日新聞社

2016-02-03 12:04:12 | レビュー
『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』 小出裕章 毎日新聞社

 2015年3月、著者は41年間勤めた京都大学原子炉実験所を定年退職された。先般、著者が第111回目の原子力安全問題ゼミで行った「原子力廃絶までの道程」という講演をまとめた『原子力安全問題ゼミ 小出裕章最後の講演』(岩波書店)を読み、紹介している。
 こちらは、定年退職後に初めて上梓した著書となる。2015年9月15日に出版され、翌10月10日にはニ刷が出ている。私ははニ刷本を読んだ。

 「はじめに」を読んで愕然としたことがある。この文を目にするまで、実は私自身意も識していなかったことだ。「2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生して原子力緊急事態宣言がだされたこと。それが4年半経った今も解除されていないという、このことを、多くの国民が忘れているのではないかということです。」
 法的なレベルで公式には2011年3月11日19時3分、当時の菅直人首相が「原子力緊急事態宣言」を発令した。それの解除宣言を誰もしていないというのである。そう言えば! そんなニュースを聞いたことがない。2011年12月、その時点の野田首相が、冷温停止状態に達したという形で「事故収束宣言」を出したニュースは見聞している。「収束どころか、4号機の使用済み燃料プールから1体の燃料も取り出せていなかった」(p51)段階でである。原子力に関する科学的な意味での「冷温停止」ではなく、訳のわからない「冷温停止状態」という言葉を使っての宣言だった。この後、マスコミ報道に触れた範囲では、「原子力緊急事態宣言」の解除宣言は確かに見聞していない。政権が民主党から再び、原子力を日本に持ち込んだ保守政権の流れである自民党に転換したら、前政権の宣言など無視するということなのか。法律に基づいて発布されたなら、その法律が生きている限り、政権が変わろうと、現下の状態を見きわめて宣言の解除をするのが、法遵守であるはずだ。憲法の条文を勝手な解釈で変えてしまい、強引に集団的自衛権を押し通すという首相なら、そんなことは気にしないのか。「原子力緊急事態宣言」の解除宣言≠「事故収束宣言」でなければ、現在まさに継続して「原子力緊急事態宣言」の下にあることになる。
 なぜ、マスコミはこのことを曖昧にするのだろう。福島第一原発事故が解決できていないままの状態だから、宣言は生きているので、事故現場の現状報告を時折報道していることでお茶を濁すということなのか? そうであれば、まず第一に福島からの避難者の人々は救われない。

 本書は著者の今までの各地での講演全体を再整理し、さらにその後の情報並びに状況分析を加えて、著者の持論がわかりやすくまとめられている。原発事故中心の発言から、原子力推進と核保有力(戦争)がコインの両面であるという観点での原発反対にシフトアップして警鐘を発している。それは、本書の章立てでおわかりいただけるだろう。
 第1章 原子力緊急事態は今も続いている
 第2章 福島第一原子力発電所は今、どうなっているか
 第3章 日本は原発廃炉の時代に突入した
 第4章 不都合な事実を黙殺する日本のメディア
 第5章 原子力マフィアの復権を許してはいけない
 第6章 原発・戦争国家へと突き進む政府の暴走を食い止める
著者はいつものように、政府が公表したデータや外国人の目から見た報道資料などを使い、論拠を明示しながら、原子力マフィア側のごまかしを痛烈に批判し、持論を展開する。その分析と見解を読むたびに、如何に日本のマスコミが必要不可欠な報道を充分にはしていないということが見えて来る。多面的に物事をとらえて堂々と見識を持った発言報道をしていない様が窺える。著者はマスコミが自ら「忖度」して報道している局面を鋭く指摘している。

 「除染」などはできずあくまで「移染」にすぎない。しかし子供たちのために必要な「移染」は徹底しなければならないという著者の持論を幾度か読んでいる。この書では著者自身の見識発言においては、「放射性廃棄物」ではなく「放射性廃物」と表記するという発言にあらためて著者の意思を明確に理解した。「私は放射性のゴミは、自然が浄化できないので棄ててはいけないものだと思います」という意思をコトバで明確に示しているのである。なるほどと改めて思う。コトバにごまかされない姿勢をまず再認識した。

 さて、本書の具体的な内容は本書をお読みいただきたい。ここでは印象に残った著者の警鐘の文をいくつか抽出・引用し、ご紹介しておきたい。
*日本の政府は、東京オリンピックだ、原発再稼働だ、原発の海外輸出だ、積極的平和主義だと、まるで福島の事故のことなど、もう忘れてしまったかのようです。・・・今日本はまだ、原子力緊急事態宣言下にあるのです。そして、そのために我慢を強いられ、苦しみ続けている人たちがたくさんいます。 p40
*今でもそうですが、日本の政府は福島第一原子力発電所の事故が起きてからずっと、事故をできるだけ小さくみせかけようとしてきました。 p45
*そもそも私は、熔け落ちた炉心を取り出すことはできないと思っています。  p58
*爆発した原発の廃炉は、人類がまだ経験したことはありません。 p102
  (→チェルノブイリ原発の爆発した原子炉は石棺で封じ込めただけ)
*自分の世代で解決できないものは、そもそもやってはいけないということに気づくべきです。  p115
*本来ならば、原子力緊急事態宣言を一刻も早く解除することをめざし、苦難に陥っている国民を一日も早くその状態から救い出すというのが国の責務です。 p121
*概して日本人は、報道する側もそれを受ける側も、何か事件が勃発した時は大変だ、大変だと言って大騒ぎしますが、先行きが見えてきたり、その状況の慣れてきたりしたところで、まるですべてが終わって解決したかのように、バタンと蓋が閉じられてしまいます。・・・・「愚かな国民には愚かな政府」とはよく言われることです。・・・国民が無関心で考えが浅く、政府をしっかりと監視できていない場合は、政府が暴走してしまうのです。残念なことに今の日本は、まさに政府のやり放題になっています。 p142-143
*報道の真偽の見分け方 ⇒ 私は次のような基準で判断しています。(1)公平であるか (2)多様性を認めているか (3)本来責任を追うべき人が、その責任を誰かに押し付けていないか(責任転嫁)  p152ー153
*彼らが福島第一原子力発電所の事故から学んだ最大の教訓は、原子力発電所の事故の恐ろしさではなくて、原子力発電所の事故が起きても誰一人処罰されないし、責任をとらなくて済むということだったのです。私はかれら原子力マフィアの責任を徹底的に追及し、処罰するべきだと思います。そうでなければ、彼らは原子力からこれまで得てきた利権を決して手放さないでしょうし、今後も原子力を進めてしまうでしょう。 p194
*安倍首相は、戦前の治安維持法の焼き直しである特定秘密保護法制定、武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権を認める安全保障法制の制定と矢継ぎ早に戦争へのレールを敷いてきました。遠くない将来、憲法9条の改悪もなされてしまいそうです。加えて、何としても核兵器の製造に結びつく原子炉を動かそうとしている。今や、戦争も遠くないようになってきました。 p207

 また、本書で説明されている「日米原子力協定」の条項の解釈説明のセクション(p123-130)はぜひ一読願いたいと思います。そこにも、「日本はまぜ原発をやめられないのか」の理由が埋め込まれていたのです。私はここまで遡ったことがなかった!
 併せて、リチャード・レスター教授へのインタビュー記事の引用箇所のところも(p166-168)一読が必要です。原子力政策を米国で支える人が驚いている事実が記されています。
 さらに、「小学生への驚きの放射能『洗脳教育』が始まった」という見出し箇所は子供を持つご家庭の人々には必読でしょう。文部科学省が作成したこども向け副読本の教師用解説書に対する著者の分析的批判はなるほどと考えさせるところがあります。

最後に、著者がマルティン・ニーメラー牧師がダハフの強制収容所を戦後訪れたときに愕然として、告白したコトバを引用しています。逮捕されこの収容所にとらわれていた人でもあります。
 「気づいた時にはもう、すべてが手遅れだった」


ご一読ありがとうございます。

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本書に関連してネット検索した情報を一覧にしておきたい。

小出裕章氏「原発と戦争を推し進める愚かな国、日本」出版記念講演会 :YouTube
2015/09/19 にライブ配信 9月19日(土)19:00開演(毎日ホール)

原子力緊急事態宣言  :「コトバンク」
原子力災害対策特別措置法  :ウィキペディア
原子力緊急事態宣言 発令文 pdfファイル 2011.3.11 菅首相(当時):「首相官邸」
原子力緊急事態宣言について  2011.3.11(金)午後 :「首相官邸」
<福島原発事故>今も緊急事態宣言は解除されていない  文字起こし版
  :「みんな楽しくHappyがいい」
原子力緊急事態宣言を悪用して国民を被曝させ続ける日本政府:「お役立ち情報の杜」
原発の収束宣言 2011.12.16  野田首相(当時)  :「首相官邸」
野田首相の「福島第一原発事故収束」宣言を東京の各新聞はどのように評価したのかー東日本大震災の歴史的位置
【手の平返し】安倍首相「福島第1原発事故、収束という言葉を使う状況にない」 アンダーコントロールは・・・  :「真実を探すブログ」
安倍政権は野田政権福島原発事故収束宣言に対して暗黙の事故収束宣言をしていた?
    :「なかまたち」
原子力基本法  法文  :「houko.com」
質問本文情報: 原子力基本法改正等において「我が国の安全保障に資する」との文言が追加されたことに関する質問主意書  提出者  服部良一  :「衆議院」
答弁本文情報: 衆議院議員服部良一君提出原子力基本法改正等において「我が国の安全保障に資する」との文言が追加されたことに関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。 内閣総理大臣 野田佳彦  :「衆議院」
原子力基本法の基本方針に、「我が国の安全保障に資する」という表現が加わった。これからどうするか。  小沼通二  :「世界平和アピール七人委員会」
原子力基本法の改変、メディアはなぜ騒がぬ? :「マガジン9」
原子力基本法が改正された 2012年6月25日   :「平和憲法のメッセージ」
原子力基本法改正 「こっそり軍事利用へ」という誤報と、その責任(原英史)
  :「ガジェット通信」
日米原子力協定の真相とは? 第31回小出裕章ジャーナル :「ラジオフォーラム」
日米原子力協定 (13-04-02-01)  :「ATOMICA」
日米原子力協定 全文 昭和63年7月2日号外 条約第5号 :「原子力規制委員会」
  pdfファイル 

7つの社会的罪 ガンジーの名言  :「164マーケティング」
マルティン・ニーメラー  :ウィキペディア
マルティン・ニーメラーのことば  :「出版ユニオン京都」

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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『原子力安全問題ゼミ 小出裕章最後の講演』 川野眞治・小出裕章・今中哲二 岩波書店
『原発と隠謀 自分の頭で考えることこそ最高の危機管理』 池田整治  講談社
『ビデオは語る 福島原発 緊迫の3日間』 東京新聞原発取材班編  東京新聞
『原発利権を追う』 朝日新聞特別報道部  朝日新聞出版
原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新3版 : 48冊)