遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ブラタモリ 12 別府 神戸 奄美』 角川書店

2021-06-30 12:52:45 | レビュー
 この第12巻の旅先は3つの地域に絞り込まれ、それぞれ2つずつのテーマが取り上げられている。奄美ではめずらしいことに、2つめのテーマが2回に渡る番組放送になっている。年に1,2回は神戸に行くけれど、別府と奄美は未訪。自分が訪れてきている神戸とブラタモリで取り上げられた神戸との対比を楽しんでみた。

 「別府」は2017年2月4日・11日放送、「神戸」は2017年2月18日・25日放送、「奄美」は2017年3月4日、25日、4月1日放送である。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2017年12月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江有里恵さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<別府>
テーマ1「別府はなぜ日本一の温泉に?」
*温泉の湧出量が日本一。別府全体で87,360ℓ /1分間。家庭用風呂換算で約436杯/分。
*温泉の泉質の種類が細かく分けて100種類のうち43種類ある。
*別府八湯。山に向かい右側(北)に明礬(みょうばん)、鉄輪(かんなわ)、柴石(しばせき)、亀川(かめがわ)。左側(南)に堀田(ほりた)、観海寺(かんかいじ)、別府、浜脇(はまわき)
*別府八湯は上下にずれてできた断層崖に沿って点在。右側:鉄輪断層、左側:細見川断層
 細見川断層の崖の高さは30mにも及ぶ。別府は2つの断層のずれで沈んだ地面に立地
 別府の断層は「正断層」:地盤が引っ張られてできた断層。日本では珍しいタイプ。
  ⇒日本の断層は、岩盤が互いに押し合うことで生じる「逆断層」が多い。
*別府温泉では高温の温泉や蒸気、熱泥の噴出場所を「地獄」と呼ぶ。八幡地獄は約99度
*別府温泉は扇状地にある。その地下の複雑な通り道に成分の異なる鉱物があり、泉質の種類の豊富さをもたらしている。⇒「扇状地は温泉のブレンダー」(タモリ)
*別府市と由布市の境にある塚原温泉近くの活火山伽藍岳(がらんだけ)に注目!
 火山ガスの有毒成分は塩化水素と亜硫酸ガス。これらは水に溶けやすく、伽藍岳ではこれらの成分が地下の大量の熱水に溶け込んでしまって、ガスの成分にはほとんど含まれない。そのため伽藍岳の火口に近づける。「火口見学」の看板あり。
 伽藍岳の地下に広がる大量の熱水が別府温泉すべての源。別府八湯は実は別府一湯。
*別府温泉は源泉数(湧き出ている源)も日本一。二千数百/全国の源泉計二万数千
 源泉には2種:自然湧出の源泉と人が掘削した人工的な源泉。源泉数はこの合計数

テーマ2「巨大温泉都市・別府はどうできた?」
*江戸時代の温泉番付表では、別府地方の温泉はそれぞれ別の村にあり、前頭止まり。
*別府の発展のきっかけは大型船が泊められる近代的な港が完成したこと
 ⇒明治4(1871)年 別府村の海岸に港が完成。明治6(1873)年 大阪との定期航路
  明治39(1906)年、別府村と浜脇町が合併して別府町に。
 ⇒港の周りに「砂湯」が設けられた。珍しい光景が評判となる。
*明治43(1910)年に始まった市区改正事業により、海側から碁盤の目状に道路を整備
 整備後の直線道路に対し細くて曲がりくねった古い道が残る。”湯ノ川”流川が暗渠に
*山の上の遊園地「別府ラクテンチ」は明治36(1903)年再堀開始の金山の跡地を利用
*昭和10(1935)年、別府市が誕生。別々の温泉地だった村々が編入された。大別府に
*別府温泉全体でみると様々なエリアの魅力:湯治ができる/地獄がある/湯の花がとれる
  ⇒大合併により、8つの温泉地の魅力がひとまとめになった。土地の資源性。
   地獄めぐり:地獄の積極的活用、収入源につながるのは明治の末から。見物対象に
*松方正義:日田県(≒大分県)初代知事に就任し、別府に近代港を造ることを提案
 油屋猫八:地獄めぐりのバスを構想し実施。「別府観光の父」。JR別府駅前に銅像
 田山花袋:著書『温泉めぐり』に、別府温泉について群を抜く評価を記す。
 織田作之助:『夫婦善哉』続編その他小説で別府を描く。「別府オダサク倶楽部」あり

<神戸>
テーマ1「神戸はなぜ1300年も良港なのか?」
*西暦740年頃の奈良時代から神戸は港だった。西洋に開港して平成29年が開港150年
*良港の条件を満たす。
 ・神戸港の客船ターミナルの水深は12m。海面下11mの船まで着岸可能。
 ・偏西風が影響する西風が入る明石海峡に対し、六甲山地が風を防いでくれる。
 ・東端の和田岬が狭い明石海峡で速くなる潮流を防いでくれる。潮流の影響が少ない
 ・水路と陸路が直結する交通の要衝であること。
 ・六甲山地を水源とする「腐らない水」がかつて航海での生活用水として重宝された
*新川運河に架かる大輪田橋は奈良時代「大輪田泊」と呼ばれた場所。
 約2.5km山手に平清盛が居を構えた福原。大輪田泊を改修し中国・宋との貿易拠点に。
 後に「兵庫津」と改称され、室町時代には中国・明との貿易の拠点に。
 江戸時代は北前船の活躍で最盛期となる。幕末にはおよそ2万人が居住。
*兵庫津一帯は明治時代に運河が造成された。太平洋戦争で焼亡。地名に痕跡が残る。
  ⇒船大工町、磯之町。現運河の水門地点が江戸時代は兵庫津の内海への出入り口
 古代には山側を山陽道が真っ直ぐに。後の西国街道は陸路を曲げて兵庫津に直結。
  ⇒現船溜まりから80mほど西の交差点が「札場の辻跡」。西国街道が直角に折れる
*六甲山地の最西端(須磨浦公園の山側)は摂津国と播磨国の境、畿内のキワになる。
 山地が海に迫る東西交通の隘路。兵庫津は天然の良港。交通の要衝として繁栄は必然
*六甲山地は東西からの圧縮による大地の隆起と斜めに断層が入った結果できた。
 淡路島までひと続きだったが分断され明石海峡ができる。
 速い潮流が運ぶ砂で砂嘴が形成されて和田岬に。
 水深の維持は六甲山地を源とする川の流域面積が小さくて運ばれる土砂が少ないため
*六甲山地の布引貯水池。有機物が少なくミネラル含有量が1ℓ あたり30mgと少ない軟水
 川の増水・洪水対策として貯水池の手前に分水堰堤と放水路トンネルを構築
  ⇒この分水堰堤と放水路トンネルの仕組みは明治41(1908)年に完成した。
*干満の差は年間を通じて1m前後。海底が砂地。
*日本の船会社が明治20年代後半に神戸に支店を構え、神戸を拠点に貿易を行った。
 神戸港は港湾設備を整備し、日本で初めてコンテナ専用船を受け入れた。
*阪神・淡路大震災のピンチをチャンスに。埠頭を時勢に合わせて再開発。港湾の拡張

テーマ2「神戸はなぜ”ハイカラ”なのか?”
*ハイカラの語源はシャツの高い襟(ハイカラー)。しゃれていたのでハイカラと。
*異人館が建ち並ぶ北野は、開港前は段々畑が広がる農村で、そこが「雑居地」に。
 ⇒広大な雑居地の存在が交流を生み、文化が混ざっていく結果に。
  明治29(1896)年築のシュウエケ邸の屋根にシャチホコ。溜め池跡に半地下の異人館  異人館の内部の一部を和室に改修した事例。北野を代表する「風見鶏の館」
*神戸の開港は明治元(1868)年。開港時点で外国人の住める居留地造成が間に合わず
 代替策で広大な雑居地区を設定。北は六甲山地の断層、東西は生田川と宇治川が境に
*明治時代には兵庫(兵庫津)と神戸が隣り合っていた。⇒「兵庫神戸実測図」
 2つの街を分断していたのが湊川(天井川)だった。これが明治の半ばに発展の障壁に
 ⇒湊川を大規模に迂回させ天井川を埋める。多聞通より北を坂道に造成し商店街に
  湊川は明治29(1896)年の大水害が付け替えの契機となる。レンガ積みの湊川隧道に
  これが日本初の河川トンネル建設工事(延長約600m、幅7.3m、高さ7.6m)
  豪商・実業家などの出資による株式会社(民間資本)で実行された。
  「新開地」と名付けた商店街は昭和初期が全盛期。最先端のハイカラ文化発信地に
 ⇒神戸と兵庫がひとつになる。路面電車も開通。
*洋菓子の普及の原点になったのは「亀井堂總本店」の瓦センベイ⇒ハイカラ菓子の誕生
 ⇒見た目と名前は和風。材料は洋風(小麦、たっぷり加える卵と砂糖)

<奄美>
テーマ1「自然をいかした奄美の”宝”とは!?」
*最初の宝は大島紬  絹織物・大島紬の深く渋みのある、しっとりとした黒色
 ⇒奄美大島に自生する「テーチ木(車輪梅)」と奄美大島の土壌・赤黄色土
  赤黄色土には鉄分が多く含まれ、酸化して錆びることで赤色になる。
 ⇒テーチ木で染色液を作る/染色液で白い絹糸を染める/泥染めで黒色を発色させる
*2つ目の宝は黒糖。薩摩藩が栽培を要求したサトウキビから作る。
*3つ目の宝はソテツ(蘇鉄)。ソテツがサトウキビを育てる段々畑の土留めに。
 ソテツには毒がある。毒抜きの作業を繰り返して食糧に。飢饉などの食糧難に備えた
  ⇒ソテツのおかゆ
  ⇒ソテツの段々畑では、サツマイモや米も作っていた。
   米とサツマイモから程よい酸味のあるドリンク「ミキ」を作る。島で愛飲される

テーマ2「なぜ奄美大島は生き物の楽園!?」
*奄美の自然の特徴は固有種が多いこと。固有種=ある地域にしか棲息しない動植物
 ⇒例:アマミノクロウサギ(1921年天然記念物に)、オオバカンアオイ(絶滅危惧種)
    ルリカケス、アマミシリケンイモリ、アマミヤマシギ、アカヒゲ(天然記念物)
  固有種→植物124種、動物29種  対比例として小笠原(植物161種、動物4種)
*ハブの恐ろしさが山や森に人間が入るのを遠ざける。その気持ちが生き物の楽園に
 ハブは加速進化する生き物。現代のハブの餌は外来種のクマネズミとドブネズミ。
  ⇒14世紀のペストはクマネズミが媒介。ポルトガル人の来航時にネズミが渡来か。
*奄美大島はもとは大陸の一部。100万年前にプレートの動きで引き裂かれた。
 奄美に古くからいる生き物はもともと大陸にいた生き物。暖流の影響が絶滅回避に。
 地形が険しいために人間による開発があまり進まなかったことも一因に。
 一方、大陸には大河(黄河と揚子江)があり、動物の南下を妨げたことも重要な要因
  ⇒揚子江の痕跡は沖縄本島と宮古島の間に存在する慶良間海裂として残る。
   この水深1000mほどの窪地を境に生き物の種類が大きく異なるという事実
*マングローブは淡水と海水の混ざる汽水域という環境に生きている植物の総称。
 陸と海のキワにあるマングローブの森は生命のゆりかご。300種類以上の生き物が棲息
 ⇒マングローブの大半が2種類の木:オヒルギとメヒルギ
  オヒルギとメヒルギは根で塩分を濾過。濾過しきれない塩分を古い黄色い葉に送る
  落葉した黄色い葉は泥中の微生物に分解され、食物連鎖で生き物とつながっていく
*奄美大島の南西部、加計呂麻島との間の大島海峡はリアス式海岸で、穏やかな内海
 黒潮の通り道、水温が高く餌が豊富のため、海の生き物にとっての楽園。新種発見多し
 ここでは、生け簀で完全養殖マグロを16,000匹も飼育しているとのこと。

 本書を読み、理解した大凡をまとめた。これらの内容がビジュアルな資料類を補助にして、現地現物の場でどのようにわかりやすく説明されていくかをお楽しみいただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
別府八湯ガイド  :「別府市」
別府八湯温泉道   公式サイト
別府温泉地図  :「別府市」
別府市 :「絵葉書資料館」
ようこそ「地獄」へ。 別府地獄組合 公式サイト
神戸北野異人館街  公式サイト
神戸北野異人館街おすすめ2時間コース!  :「花ぐるたび」
神戸旧居留地  公式サイト
  旧居留地の歴史  
兵庫津 ひょうご歴史の道  :「ひょうご歴史ステーション」
湊川隧道  公式WEBサイト
新湊川ウォーク 湊川隧道通り抜け  :「記憶の残滓 by arkibito」
「新開地」まちの変遷  新開地のまちづくり :「新開地ファン」
神戸港・ポートアイランド :「震災記録写真(大木本美通撮影)」
奄美群島の紹介 奄美野生生物保護センター  :「環境省」
「奄美・沖縄」を世界自然遺産へ-奄美大島自然保護協会- ホームページ
    奄美大島     
    希少野生動植物  
フォトジェニックな奄美大島!現地担当者おすすめの観光スポット:「Rakuten Traveel」
奄美大島×自然地形 奄美大島のおすすめの自然地形スポット:「MAPPLE TRAVEL GUIDE」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 2 富士山 東京駅 真田丸スペシャル 上田・沼田』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 5 札幌 小樽 日光 熱海 小田原』 角川書店
『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』  角川書店
『ブラタモリ 9 平泉 新潟 佐渡 広島 宮島』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店
『ブラマモリ 17 吉祥寺 田園調布 尾道 倉敷 高知』  角川書店
『ブラタモリ 18 秩父 長瀞 大宮 室蘭 洞爺湖 宮崎』  角川書店

『ブラタモリ 18 秩父 長瀞 大宮 室蘭 洞爺湖 宮崎』 角川書店

2021-06-28 23:02:34 | レビュー
 このシリーズ第18巻に掲載の箇所は未訪。いくつかは当日に番組放送を視聴した記憶がある。やはり番組を見ているものは、そのときの記憶を思いだしたりしながら活字とビジュアルな資料で確認しつつ、復習として読み進める楽しさがある。また、前回の第17巻の冒頭でふれたことだが、放送を視聴していても細部については内容を覚えていなかったり、見過ごしたりしているなという思いが本書でも強かった。そういう意味では、ここでも「温故知新」という孔子の言は真理の一端を的確に述べていると感じる。復習することで再度知識を整理し直したり、理解を深めることができる。また、新たにきづくこともある。

 「秩父」は2017年7月15日放送、「長瀞」は2017年8月19日放送、「大宮」は2017年7月1日放送、「室蘭」は2017年11月25日放送、「洞爺湖」は2017年11月4日放送、「宮崎」は2018年3月24日放送である。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2019年3月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江有里恵さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<秩父> テーマ「秩父はず~っと日本を盛り上げた!?」
*秩父は埼玉県の西部に位置し、中心部は四方を山に囲まれた盆地(南北12km、東西14km)
*秩父の武甲山(標高1304m)は石灰岩の山。日本有数のセメント産地。大正時代採堀開始
 高度経済成長期、日本のインフラを支え都市の発展を盛り上げた。高速道路やビル建設
 ⇒武甲山は2億年以上前の海底火山がプレート移動でここに。石灰岩と玄武岩の二重構造
*秩父盆地の地形は、南側と東側の断層の山塊が隆起と同時に崖崩れを発生させた。
 砕けたチャートが海底の土砂を巻き込み、さらに海の堆積物が積もる。隆起し陸地に
 ⇒事例1:若御子神社背後。崖崩れでできた若御子断層洞内で見られる「断層鏡肌」
      自然にできた空洞が、断層面、岩盤のずれの痕跡をそのまま見える形で残す
事例2:龍石寺(秩父観音霊場第19番札所)は巨大な岩盤上に建つ。岩塊はチャート
      秩父盆地の東の断層面から3kmほどの地点。断層の隆起により生まれた地形
*独特の地形が秩父三十四ヶ所観音霊場の信仰とリンク。江戸期に巡礼観光を盛り上げた
 ⇒特異な地形に建つ札所の事例:龍石寺、橋立堂、観音院、法性寺、金昌寺奥の院
   大渕寺の護国観音、円融寺の奥の院、懸造りの岩井堂、久昌寺の観音堂
*秩父の町は河原が隆起した結果。石ころだらけの河岸段丘面で江戸時代に桑を栽培
 絹織物を作る。その技術が進化発展し、大正時代から「秩父銘仙」のブームを起こす

<長瀞> テーマ「なぜ長瀞は人をひきつけるのか?:
*長瀞は地球の窓とも言われ日本地質学発祥の地。「埼玉県立自然の博物館」前に石碑
*埼玉県西部の長瀞では珍しい岩が荒川沿いに続く。岩畳は国指定名勝・天然記念物
 「小滝の瀬」 岩畳の端に近い場所で流れが岩を削り、石が流れの力で岩を傾けた
 「秩父赤壁」 高さ20m、約500m続く。断層が走っている名残。長瀞の地名の由来地
      ”瀞”は波が立たず、流れが穏やかで、水深の深い場所を意味する。
 「岩畳」 水面から高さ5m、幅約80m、長さ約500m。ここにユキヤナギや木々が育つ。
      片岩で、片理(平らな面、側面は薄い層)と縦横の節理(階段状の段差)
*長瀞の天然氷のかき氷が有名。専門店「阿左美冷蔵」
 明治時代創業のきっかけは地場産業(絹織物)で、蚕の卵の孵化時期調整に利用の為
*秩父鉄道・長瀞駅の目的は秩父の絹織物や石灰石の運搬。それが長瀞観光の原動力に
 ⇒大正12(1923)に川下りの経営を開始
*川沿いの結晶片岩(節理ができる)や親鼻橋先の蛇紋岩(水分を含むとくずれやすい)が鉄道ルートに影響した。直線の鉄道敷設が不可能に⇒荒川橋梁の景観が生まれた
*鉄道会社が大正10(1921)年に「秩父鉱物植物標本陳列所」を開設。上記博物館の前身
*長瀞の結晶片岩は日本列島のダイナミックな地殻変動により生成され、それを記録した石
緑泥石片岩、緑簾石片岩、紅簾石片岩、石墨片岩、スティルプノメレン片岩、絹雲母片岩

<大宮> テーマ「大宮はなぜ『鉄道の町』になったのか?
*「大宮」の地名は武蔵一宮氷川神社、つまり「大いなる宮居(神社)」に由来する。
*氷川神社の神池は湧水池。神社は大宮台地(南北約40km)の台地のヘリに位置する。
*大宮は中山道の宿場町として栄えたが脇本陣が多く参勤交代の武士の町。明治に衰退
 ⇒当初の鉄道敷設において大宮には駅が設置されず、商人で栄えた町が優先された。
 ⇒大宮の人は大宮公園という観光地開発プロジェクトを実行。東京からの観光対象地
  明治18(1885)年、大宮駅が完成。明治の文豪はほとんどが来園。元は氷川神社の杜
*JR高崎線と宇都宮線の分岐点に「大宮」が選ばれたことで「鉄道の町」として発展
 ⇒熊谷と比べ大宮は宇都宮への鉄橋数と建設費用が少なくてすむことが決め手に
*JR東日本大宮総合車両センター(鉄道整備工場)の設置が「鉄道の町」を不動に
 ⇒現在の大宮駅と整備工場は直結。広大な鉄道用地の存在が新幹線の大宮経由の理由に

<室蘭> テーマ「工業都市・室蘭を生んだ奇跡とは!?」
*地球岬からの展望でわかること:天然の良港
 ⇒内浦湾(噴火湾)と絵鞆半島に守られた湾との2重の湾があり、半島が断崖絶壁
  断崖絶壁は「銀屏風」と呼ばれ、凝灰岩。断崖絶壁は火山の断面で硬い岩脈が露出
  銀屏風の先に水冷破砕岩の黒い岸壁がある。水中での火山の噴火を証拠づける
*絵鞆半島の東の付け根にイタンキ浜(約1.7km)が広がる。”鳴き砂”で有名な海岸
 沿岸の潮の流れ(内浦湾内と太平洋側の2つの流れ)と風がここに砂浜海岸を形成
 イタンキ浜の砂は、水中火山が削られた砂で大量の砂鉄を含む。⇒製鉄の原料
*室蘭の地名はアイヌ語の「モ・ルエラニ」(小さな坂を下ったところ」に由来する。
 北海道の大部分は幕府直轄地。室蘭に会所がおかれ、ここを中心に町が広がっていた
 行政機関である会所に至る坂道は交通の要衝(函館方面と日高方面につながる道)
 波のゆるやかな湾内に、遠浅の砂浜があり、交易のための海運にも適した場所だった
 絵鞆半島には大型船をとめられる水深の場所も存在。明治5(1872)年、港が完成
*明治末期に製鋼所を創業:室蘭初の大規模工場、大型部品生産(当初は大砲、砲身)
 ⇒日本初の砂鉄による製鋼所。明治42(199)年開業。日本製鋼所の前身。
 鉄の原料となる砂鉄が容易に入手できた。室蘭は石炭の積出港でかつ良港だった。

<洞爺湖> テーマ「なぜ”世界の洞爺湖”になった?」
*洞爺湖はその貴重な地質、地形から日本初のユネスコ世界ジオパークに認定された。
 中心にに中島(島4つ)、周囲43kmのドーナツ形カルデラ湖。東京ドーム1500個分の規模
 湖畔に有珠山や昭和新山という活火山がそびえる。
*約11万年前に大規模な火砕流を発生させる大噴火で「洞爺カルデラ」を形成
 約5万年前に、雨水がたまり洞爺湖が誕生。その後に湖の真ん中で噴火を繰り返した
 中島を形成する大島、観音島、弁天島、饅頭島が繰り返す噴火で次々にできた。
 島には、「洞爺湖森林博物館」が設置されている。
*湖の中央部には、山頂部が浅瀬に見える火山の奇跡的な景色を見ることもできる。
 ⇒いわば「裸の状態」、できたままの火山が残っている。
*明治43(1910)年の有珠山の噴火で偶然に生まれたのが洞爺湖温泉
 その後も有珠山は約30年おきに噴火を繰り返す。1944年、1977年、2000年。
 ⇒昭和新山は昭和20(1945)年9月に完成した。麦畑だった場所が盛り上がってできた
*昭和新山は私有地にある。山肌が赤いのは平地の粘土質が押し上げられマグマの熱で焼かれて、天然レンガ状になった結果。山肌の黒い部分は溶岩がそのまま固まったもの。
 三松正夫氏が昭和新山の成長を丹念に観察し記録した⇒ミマツダイヤグラム
 昭和新山の教訓:2000年の有珠山噴火では前兆地震をとらえ、事前に全員避難に成功
*2000年噴火で特に大きな被害現場は、「西山山麓火口散策路」として保存されている
 ⇒噴火当時の痕跡がほぼ完全な状態で残され整備されている(≒地殻変動の標本)

<宮崎> テーマ「なぜ宮崎は”南国リゾート”になった?」
*南国宮崎の原点は、波状岩に囲まれた周囲およそ1.5kmの青島。「鬼の洗濯岩(/板)」 
鬼の洗濯岩は砂岩と泥岩が重なってできている。陸側の隆起で地層が海水面に斜めに姿を現し、波による浸食を受け、水平に削られたのち、岩の硬さの違いで砂岩が波板状に。
*青島全体が青島神社の境内。元宮への御成道にはビロウが繁茂。真っ白な砂浜。
*南国イメージは日南海岸に意図的に作られた⇒岩切章太郎(宮崎観光の父)の観光戦略
 ⇒堀切峠が南国イメージを広げるきっかけとなった場所。
  昭和11(1936)年に堀切峠にフェニックス(ヤシの木の種類)を岩切章太郎が植樹
  日南海岸に点在する観光地をつなぐ見どころを海岸線につくる。不規則な間隔で植樹
    これは観光バスガイドが風景の案内をする大きなポイントになった。
    岩切は広重の『東海道五十三次』から着想。並木越しの構図。共通点は「額縁」    宮崎の海に、フェニックスを額縁にすることで、海岸に南国の印象をプラス
 ⇒昭和40年代、宮崎は空前の新婚旅行ブームに。観光バスが新婚旅行客を目的地に。
*鵜戸神宮の「下り宮」(洞窟内に本殿が鎮座)は珍しい。厚い砂岩と泥岩の地層の洞窟
 本殿裏の「お乳岩」が新婚夫妻の信仰の拠り所になった。岩の先から滴る「お乳水」
 ⇒その正体は天井の砂岩層に埋まった無数のコンクリ-ションの石灰成分が雨水に溶出
  コンクリ-ションとは石灰成分により固まった丸い岩の塊。別名ノジュールとも
*青島の北5kmの木崎浜はサーフィン天国。遠浅の海で海底にサンドバーの地形が多い
 ⇒沖から押しよせた波がサンドバーの地形にぶつかり、弧を描く多彩な大きな波を生む
 各テーマから語られた内容を、私の理解でまとめると大凡こうなる。
 読みやすい語り口で、様々に工夫された資料や写真・地図などビジュアルな手段を使って、本文がまとめられている。この結論を導き出していくプロセスが読ませどころである。観光ガイドも要領よくまとめられている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
日本を支える白い岩-ブラタモリで紹介された武甲山の石灰岩:「おもてなし観光公社」
セメント産業の概要  :「セメント協会」
秩父三十四所観音霊場  ホームページ
ながとろ 長瀞町観光協会 ホームページ
ここは押さえておきたい!長瀞のおすすめ観光スポット27選 :「一休.com」
埼玉県 大宮公園 :「埼玉県」
JR大宮総合車両センター  :「さいたま観光国際協会」
武蔵一宮氷川神社  ホームページ
室蘭市の観光スポット   :「じゃらん」
室蘭のプロフィール  トップページ
TOYAKO Landscape 洞爺湖観光 ホームページ
北海道で”奇跡の山”と呼ばれる「昭和新山」の魅力とは :「RETRIP」
三松正夫。 洞爺観光の源流にいた知の冒険家  :「Hokkaido Magazine KAI」
三松正夫記念館(昭和新山資料館)  :「たびらい」
青島  :「Miyazaki City 宮崎市観光サイト」
鵜戸神宮  ホームページ
鵜戸神宮 神秘の神社を現地編集部が徹底ガイド  :「たびらい」
岩切章太郎  :「みやざきの101人」
宮崎市木崎浜 中央  :「ii・nami.com」

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『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 2 富士山 東京駅 真田丸スペシャル 上田・沼田』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 5 札幌 小樽 日光 熱海 小田原』 角川書店
『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』  角川書店
『ブラタモリ 9 平泉 新潟 佐渡 広島 宮島』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店
『ブラマモリ 17 吉祥寺 田園調布 尾道 倉敷 高知』  角川書店

『ブラマモリ 17 吉祥寺 田園調布 尾道 倉敷 高知』  角川書店

2021-06-27 17:09:10 | レビュー
 このシリーズ第17巻は、高知以外は直接、当日番組の放送を視聴した記憶がある。また、倉敷は一度観光で訪れている。番組のことを思い出しながら本書を読み進めた。視聴した放送の内容も、改めて活字で読み直すと、細部の内容など覚えていないという思いしきり。ある意味、新鮮な気持ちで読め、良い復習になった。

 「吉祥寺」は2017年12月23日放送、「田園調布」は2018年1月20日放送、「尾道」は2017年5月20日放送、「倉敷」は2017年6月3日放送、「高知」は2017年9月30日放送である。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2017年9月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江有里恵さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<吉祥寺> テーマ「なぜ人は吉祥寺に住みたがるのか?」
*都心に住みながら井の頭公園という緑豊かな憩える公園が吉祥寺駅近くにある。
 駅からおよそ300mという至近距離。正式には「井の頭恩賜公園」で元皇室の所有地
 大正2(1913)年に東京市に下賜され、大正6(1917)年、日本初の郊外公園となる。
 井の頭池のほとりに、井の頭弁財天がある。江戸時代から観光名所だった。
*井の頭池は湧水池。池そのものが信仰の対象。江戸時代に整備された神田上水の水源
 武蔵野台地上で、台地の勾配がゆるやかになる辺りに位置し水が沸き出しやすい地点
*外来生物駆除活動が実を結び、水草のイノカシラフラスコモが60年ぶりに復活
*井の頭池は窪地の中にあり、水が利用しづらく集落がなかった。玉川上水が転換点
 神田上水完成の約60年後、玉川上水(全長43km)は江戸の水不足解消目的で整備
  ⇒多摩川上流で取水。武蔵野台地の稜線を引きまわし四ッ谷大木戸まで。高低差92m
  ⇒周辺より高い位置を流れ、吉祥寺でこの上水の利用が可能となり人が住めるように
*明暦3(1657)年の大火で水道橋周辺にあった吉祥寺門前も焼けた。住民は居住地喪失
 幕府はこの未開の地を吉祥寺門前住民の移住先とした。60軒ほどが移住し集落をつくる
 吉祥寺は移転しなかったが、ゆかりの寺名をとり「吉祥寺村」と命名。地名の由来に
*幕府はこの地の五日市街道沿いに、間口が狭く細長い短冊状の土地に区分して付与
 幕府が付与した土地:間口20間(約36m)、奥行634間(約1140m)。街道に対し直角に
  ⇒街道沿いに家屋、その奥に畑、一番奥に建材や燃料用に植林。その端に千川上水
   玉川上水から元録9(1696)年に分水として千川上水を整備。浅草方面向けの上水
  ⇒その結果、現在の吉祥寺駅前の通りに対しては全ての道が斜めに交差する形に
*明治後に鉄道を敷設の際、五日市街道と鉄道の交点は周辺住民の反対で駅の建設不可
 月窓寺が所有地貸与に協力し、現在の吉祥寺駅が建設された。18年後に公園が開園。
 
<田園調布> テーマ「田園調布はどう超高級住宅地になった?」
*渋沢栄一とその息子秀雄が田園都市株式会社を拠点に、駅前に半円形の住宅地を開発
 19世紀末、イギリスで提唱の「ガーデン・シティ」計画に明治政府が着目。導入検討
  ⇒田園調布の「田園」は「庭園」(ガーデン)の意味。大正時代に開発開始。
   イギリスの計画が扇形の街の広がりと緑豊かな自然と共生する人間らしい街造り
 当初の販売促進対象は”社会の中堅向け”。当時の都心で働くサラリーマン(部課長層)
  ⇒地盤のよさに注目し当初多くの軍人が移り住む。売り出し公示直後に関東大震災
*多くの軍人が移り住んだことで高級住宅街として名を挙げる。その後、各界のセレブが移住し人気沸騰。昭和62(1987)年に地価が1坪1000万円を突破。超高級住宅街に
*地形としては切り立った台地の上に扇形住宅街がすっぽりおさまる。街には坂が多い
 田園調布は立川から始まる国分寺崖線(およそ30km)の長大な崖の終点エリアである
*田園調布周辺は都内でも有数の古墳密集地帯。古代のセレブも愛した土地だった。
  ⇒多摩川浅間神社は巨大な前方後円墳の後円部上にある。眺望の良い地点に立地
*駅前の線路をはさみ住宅街と反対の東側は完全な商業地区。病院や店舗が並ぶ。
 かつては遊園地の多摩川園があり、その跡地が田園調布せせらぎ公園に。

<尾道> テーマ「なぜ人は尾道に魅せられるのか?」
*3つの魅力 ①古い寺社仏閣が多い ②尾道水道の景観 ③坂道に建ち並ぶ家と路地
*尾道の北側、尾道三山(浄土寺山・西國寺山・千光寺山)は修験者の修行の場
 ⇒ 事例:千光寺境内に「くさり山」「三重岩」「鏡岩」「梵字岩」等々。
*鎌倉時代に建造された浄土寺裏門の楼上は商人の鳩小屋で伝書鳩が情報伝達手段に
 大坂の米相場情報を早く知る手段に使われた。尾道には豪商が多かった。
*1169年、尾道から山手30kmほどの世羅台地にある「太田荘(大田庄)」の作物を都に運ぶための港に尾道が指定された。尾道は平安時代末期からたくさんの商人が集まった。港町として急速に発展。難点は平地が少ない。かつては西国街道ぎりぎりまで海だった
  ⇒入り江を埋め立て平地に。尾道市街はほとんどが埋立地。その痕跡が町中の石垣に
   事例:嚴島神社(明治時代に八坂神社を合祀)の裏手に残る石垣。元は海沿いに
*尾道水道の海幅が狭いのは尾道の海の埋め立てによる結果。フェリーで対岸まで約4分
*山際に鉄道を敷設するのを契機に、山側を開拓し坂道に家が建ち並び、路地を形成
  ⇒鉄道敷設のため海側をさらに埋め立てるのは尾道の海運に影響を及ぼすため不可
  ⇒鉄道敷設で立ち退きを余儀なくされた人々が移住。戦時中に「建物疎開」も。
  ⇒事例:坂道での生活の知恵が「二階井戸」。坂道の上下二軒が井戸を共用

<倉敷> テーマ「なぜ美しい町並みが倉敷に?」
*倉敷市の「美観地区」に江戸時代~戦前の建物が500軒以上残る。空襲を免れたのも一因
 ⇒江戸時代建造の漆喰で固めたなまこ壁の蔵、木造洋風建築の白い倉敷館(旧倉敷町役場)
*倉敷の地名は「倉敷地」(年貢などの輸送の一時保管場所)に由来。倉敷川が運搬経路
 ⇒物資中継地として多くの豪商が生まれた。豪商たちは様々な富み創出の手段を得た
   事例:森田酒造。元の家業は畳表問屋。所有する田んぼの収穫米を大坂で売買。
      明治42(1909)年に酒造業を開始。倉敷の豪商は地主という副業を持てた
 ⇒江戸時代に倉敷は「天領」で少数の役人だけ。統治には地元豪商の協力が不可欠  
*かつて倉敷周辺は遠浅の海で島が点在。江戸時代、干拓による新田開発で商人が地主に
 ⇒倉敷を統治する代官所が、新田開発を含め商人に自由な商業活動を許した。
*倉敷周辺の干拓地では塩害対策と換金作物の観点で、江戸中期以降、盛んに綿花栽培  綿花栽培には大量の肥料が必要。倉敷の豪商は北前船で運搬の大量の魚肥を購入し、綿花を栽培し、広く販売するというビジネスモデルを創出した。
 ⇒倉敷市南東の児島:真田紐など綿製品製造→足袋、学生服(7割生産)、児島ジーンズ
*代官所跡が英国式紡績工場に。工場建屋も英国式のまま(のこぎり屋根)。気候風土の違いによる難点・暑さ対策を外壁にツタを覆わせることで解消。一方、導入した英国式機械は日本産綿花に対応できず、安価な外国産の綿花輸入に。倉敷の綿花栽培は衰退。
 ⇒明治22(1889)年完成の紡績工場は現在「倉敷アイビースクエア」(複合観光施設)に
*大原美術館は昭和5(1930)年開館で日本初の私立の西洋美術館。ギリシャ神殿風建物
 地元出身の実業家・大原孫三郎が開設。倉敷紡績その他の事業を手掛けた人。
 昭和30年代に大原總一郎が分館を増設。古い町並みとマッチする外観意匠を導入した
 ⇒昭和43(1968)年、倉敷市は全国2番目に町並み保存条例を制定

<高知> テーマ「高知の町はなぜ龍馬を生んだ?」
*高知の城下町は四方をぐるりと山に囲まれた場所にある。
*東西方向の江ノ口川と鏡川の間に、南北に走る2本の堀(幅18m、今は埋め立てられている)があった。この堀が城下町の居住区を身分で分ける境界線になる。
 堀の内側は上級武士(上士:山内家譜代の家臣団)、外側は下級武士(下士:もと長宗我部氏に使えていた武士たち)⇒身分制度、幕藩体制を打ち壊すエネルギーにつながる
*民謡「よさこい節」の流行で「はりまや橋」が有名になるのは江戸時代末期。実話の事件
 はりまや橋は城下町の東側、東西に走る堀に架橋。堀跡に平成10年、模した橋を建造
*堀と堀が交差し、南北に走る堀は、町の南を流れる鏡川に合流し、瀬戸湾・太平洋に。 ⇒堀は太平洋と城下町を結ぶ物資運搬、水運の役割を担う。物流センター的な場所も
*城下町の南側に屏風のように連なる山並みの地形の成り立ちが別のキーとなる。
 ⇒西分漁港に近い住吉海岸は「メランジュ」と呼ばれる地質体。原因はプレートの動き
  プレートテクトニクス論が世界で初めて陸上で実証された場所→現代地質学の夜明け
 ⇒横一直線の山が、川に浸食されるなどして切れ目が生じ、平地と太平洋を結ぶラインに
*内海である瀬戸湾の入口、種崎にはかつて土佐藩「御船蔵」(船の格納庫)があった。
 周辺には船大工、廻船問屋、船乗りなどが住む。水運の基地といえる町だった。
 種崎地区の先端の対岸は浦戸港。対岸の先端、太平洋側に桂浜が位置する。
 ⇒少年時代の龍馬はしばしばこの種崎に通ってきていたという。
  龍馬が京都で暗殺される直前に一度帰郷した際、最後に種崎の中城家の離れに滞在
  種崎は龍馬が夢を描き始めた原点の地かもしれない。
 
 本書内容の覚書のまとめをこの辺りでしめくくることに。本書を広げてどのように説き明かされるかのプロセスをお楽しみいただきたい。タモリさんの現地・現物との出会い、併せてビジュアルな材料を巧みに使う案内人のプレゼンテーションがやはり読ませどころである。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
吉祥寺(文京区)  :ウィキペディア
「吉祥寺っていうけど、お寺はどこ? 」なギモン  :「ちくわ おでかけ情報」
五日市街道  :「道路WEB」
井の頭恩賜公園  ホームページ
田園調布の開発 自由が丘・田園調布 :「三井住友トラスト不動産」
渋沢秀雄   :ウィキペディア
多摩川浅間神社  ホームページ
多摩川浅間神社  :「じゃらん」
尾道 大宝山 千光寺  公式ホームページ
尾道 真言宗泉涌寺派大本山 浄土寺 ホームページ
二階井戸 :「尾道まちかど広報室」
尾道の二階井戸 :「錦川鯉の名水賛歌」
倉敷美観地区  :「岡山観光WEB」
みんなのマイミュージアム 大原美術館  ホームページ
大原孫三郎人物伝 :「KURABO」
岡山を初めて観光するのなら。倉敷美観地区で出会う8つの“素敵” :「キナリノ」
倉紡記念館  :「KURASHIKI IVY SQUARE」
高知城 公式ホームページ
【全国唯一】本丸が完存する「高知城」の見どころを徹底紹介! :「旅ぐるたび」
がっかりスポットとは言わせない!高知「はりまや橋」は4つある?:「トラベルjp」
高知県立坂本龍馬記念館  ホームページ
メランジュ 絵で見る地球科学  :「地質調査総合センター」
メランジュ  :「コトバンク」
プレートテクトニクスの発展  :「東北大学総合学術博物館」
プレートテクトニクスの基礎1:海洋リソスフェアの生成と破壊  YouTube
プレートテクトニクス   :ウィキペディア

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『ブラタモリ 9 平泉 新潟 佐渡 広島 宮島』 角川書店

2021-06-26 14:02:48 | レビュー
 平泉・新潟・佐渡は、未訪地。広島は、「広島平和記念資料館」がリニューアルされる前に一度訪れた。宮島の嚴島神社もほんの数時間だけ立ち寄った。そんな記憶が残る。
 いずれの地も行ってみたい。まずは本書で基本的なことを楽しみながら学ぶことに。

 「平泉」は2016年12月10日放送、「新潟」は2016年7月30日放送、「佐渡」は2016年9月3日放送、「広島」は2016年9月24日放送、「宮島」は2016年10月1日放送である。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2017年9月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江有里恵さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<平泉> テーマ「黄金の都・平泉はなぜ栄えた?」
*平泉は平成23年(2011)に世界文化遺産に登録された。:中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の5つで構成される。
 中尊寺金色堂の上棟は天治元年(1124)。高欄に象牙を使用⇒海外との交易の証拠
*中尊寺は高さ100m、長さ約1kmの崖の上に建つ。北と南(大和朝廷)との国境のヘリに立地
 奥州藤原氏の政治拠点は柳之御所跡:北上川沿いで、水運を利用した南北の交易拠点。
*北上川の東側、北上山地は1~5億年前の古い花崗岩の地層。日本一の砂金の産地だった。
 砂鉄川沿いの猊鼻渓は全長2km、高さ50mの岸壁が続く。花崗岩の”ヘリ”。砂金採取
 平泉の繁栄は金の産出にある。
*平泉の地層は砂岩層が地表に露出し水が染み込みやすく、斜面のヘリで大量の湧水。
 たくさんの涌水地が存在。多くの人々が生活できた。毛越寺の池は湧水による。
*藤原清衡は地元の豪族たちと朝廷側との間で政治的バランス感覚に秀でていた。
 中央政界ともつながりを持っていた。京都から優秀な官吏や僧侶を平泉に導入した。

<新潟> テーマ「新潟は”砂”の町?」
*信濃川と阿賀野川の二大大河により形成された「新潟砂丘」から新潟ができた。
 砂丘の距離は約70km、最大標高は約50m。海に向かう上り坂、坂の頂上の先に海を展望
*古新潟は信濃川と阿賀野川の河口にあり、水運の拠点で川岸を利用した湊町だった。
 その後、大量の土砂の堆積でできた中州に町をそっくり移動させ縦横に堀を巡らせた。
 新潟は湊町として再生・発展。西堀・東堀と直交する5本の横堀 ⇒地名に痕跡が残る
*江戸時代中期、北前船が新潟をさらに繁栄させる。湊町の繁栄を物語る花街・古町。
 古町にある新潟きっての老舗料亭・鍋茶屋が湊町として賑わった新潟の一端を示す。
*新潟の中心部から10kmほど内陸部は穀倉地帯。事例:亀田郷はもとは水はけの悪い砂丘
 新潟の平野部には海岸線とほぼ併行に砂丘が10列ある。水溜まりの象徴が鳥屋野潟。
*現在は親松排水機場という巨大施設が稼働する。巨大排水施設が亀田郷の水はけを解消
<新潟> テーマ「”黄金の島”佐渡は”キセキの島”!?」
*佐渡の北西に位置する相川地区に、佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」。佐渡の原点
 慶長6(1601)年、本格的に金の採掘開始。山頂から露天掘り。幅約30m、深さ約74mに
 この割れ目。上から30mまでは江戸時代の手掘りによるとか。
 佐渡金山は1tの石の中に金が平均5gで良質な金鉱脈。通常は2~3gで採算が可。
*事例:江戸初期の坑道の1つ「宗太夫坑」。岩盤の硬さが縦横無尽の坑道掘削を可能に
 タガネをはさむ「上田箸」が硬い岩盤を掘る道具に。タガネ1本の持ちはわずか2日!
*江戸時代の坑道の総延長は400kmに及ぶ。地下650mまで堀り進めたという。
*相川地区の吹上海岸から切り出された「球顆流紋岩」(球状の石英の粒が含まれている硬い石)が鉱石を砕く「石麿(いしうす)」に使われた。
*慶長8(1603)年に建てられた「佐渡奉行所(当初代官所)」は、金山開発、政治機能に加え、小判製造も担う。海岸段丘のヘリに立地。城さながらの鉄壁の守りの拠点。
 現在、復元公開されている。
*精練技術の進歩で、佐渡で金がもっとも多く再堀されたのは昭和5(1940)年。
 年間1537kg。これは江戸初期のピークの約3倍。江戸時代に質の悪い金鉱石が集められ、埋め立てに使われた下戸海岸の金鉱石が、昭和の金精練のソースになったと言う。
 海岸段丘斜面を利用した「北沢浮遊選鉱場」跡が残る。当時の最先端工場。
*砂金の発見は1400年代にさかのぼり、1460年代から、島の南西部に位置する西三川砂金山で砂金が産出されていた。島内で確認されている鉱山は40ヶ所以上と言う。

<広島> テーマ「広島は”ス”テキなシティ!?」
*広島は、太田川が造った5つの三角州からできている町。
 原爆ドームの南東方向で現在の広島の中心部に位置する「白神社」境内の岩が、この辺りは約600年前、海岸べりだった痕跡を示す。約430年前に広島城の築城が開始され、城下町が整備され始める。
*三角州に坂道がある。干拓堤防が築かれていた痕跡。陸側の海水を排水し、埋め立てて陸地化する。江戸時代を通じて干拓事業が行われた。『広島町新開絵図』(広島市蔵)
*現在の黄金山は、かつては瀬戸内海に浮かぶ仁保島だった。今は陸続きになった。
*広島は遠浅の海の三角州に形成された町で、水運が発達。潮の干満で水位差が大きい。
 最大4mの水位差がある。川のあちこちに雁木(≒船着き場)がある。雁木タクシーあり。
 平和記念公園周辺の川沿いには雁木がズラリと。かつては「お召し雁木」も存在。
 本川と元安川には特に雁木が多い。ここが大量の物資運搬河川となっていた。
*川の分岐点にできた小さな中州(サギ島)が400年以上前の広島の原風景。
*海から約6km離れた川のあたりで汽水域(淡水と海水が混合)に棲息するヤマトシジミがとれる。汽水域は広島の川の広範囲にある。大粒のシジミは意外な名産。
*江戸時代、広島藩の米蔵だった場所に、大正時代に広島県物産陳列館(のちの広島県産業奨励館)が建てられた。そこが、原爆投下により、原爆ドームに。広島の中心部。
*三角州地は地盤が弱く地下鉄に向かない。広島に路面電車が発達した。
 福岡、京都、大阪などの路面電車が広島に集結する結果に。昭和の電車も現役!
*太田川の西の分流2川が太田川放水路として整備され広島での洪水の発生がなくなる。

<宮島> テーマ「宮島は”神の島”!?」
*宮島の姿(地形)から人々は「神の島」と感じた。女神の横たわる姿。観音様の寝姿
*島そのものが信仰の対象で、そのために神社が建立された。厳島神社/伊都岐島神社
 593年、安芸の豪族・佐伯鞍職(さえきくらもと)の創建。カラスがその場所に導く。
 現在の神社の形は、平安時代末期、平清盛の社殿造営による。
*海に浸かり、傷んだ柱は「根継ぎ」の方法で取り替えて、建物の維持を行う。
*高舞台(奥)の手前の平舞台は石柱で板の間に隙間があり、筏状。防波堤の役割。
 平舞台は約550㎡の広さ。筏様の床板が波の力を吸収。大風や高波には「非常石」を使用
*宮島の最高峰は弥山。宮島は約8000万年前に地下深くでマグマが冷え固まってできた
 島全体が花崗岩。節理に水が浸食し、風化で巨岩が石・土に。花崗岩の性質が決め手
*山地の稜線は北北東~南南西に平行に走る。岩に節理の走る方向も同じ。
*弥山には弘法大師が開いたと伝わる霊火堂(消えずの火)があり、背後に節理露出の巨岩
 不動岩、くぐり岩などの場所もある。風化による自然の造形。
*江戸時代から紅葉谷公園周辺は観光名所。紅葉谷川には大きな一枚岩の”なめら石”がある。
 天保13(1842)年「藝州嚴島神社紅葉谷納涼」図。
*紅葉谷川には自然景観に配慮した防砂工事が施されている。岩の間をコンクリート固めにし、ゆるやかな段差を設けた。渓岸の縦横浸食の防止を図る。

 大凡こんなところか。この知識が現地探訪の写真や地図、軽やかな語り口でエピソードを交えながら、わかりやすく解説されていく。そのプロセスが本書の魅力である。

 ご一読いただきありがとうございます。

本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
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『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店



『雪煙チェイス』 東野圭吾  実業之日本社文庫

2021-06-25 16:35:52 | レビュー
 スキー場を舞台にした小説である。別にシリーズと銘打っているのではないが、『白銀ジャック』『疾風ロンド』に続いて、書き下ろし作品として2016年12月に文庫本が出版されている。
 シリーズと称されないのは、メインに登場する人物が特定され、その人物を中軸にストーリーが展開して行くというものではないからだろう。ところが面白いのはいわば重要な脇役を果たす人物として、この3作には、冬場にはスキーパトロール隊の仕事に従事する根津昇平とオリンピックには出られなかったがすご技をみせるスノーボーダーの瀬利千晶が登場していて、重要な役割を果たすという点で隠れたシリーズになっている。ちょっと一捻りしたシリーズとも言える。

 さて、今回は殺人事件が発生したが、その容疑者とみなされた男はその事件を引き起こしてはいない。だが、自分にアリバイがあるということを証明するには、あるスキー場でたまたま出会い、記念写真を撮る手助けした女性を自分で捜し当てるしかない。彼はこの女性を「女神」と称した。このストーリーは、里沢温泉スキー場で「女神」探しをする行動と容疑者を追跡する羽目になった刑事たちの行動を描く。スキー場を舞台とした二通りの「チェイス」劇のプロセスを中心に描かれて行く。最後に殺人事件が解決されるのは勿論である。容疑者と見做されていた男の発言が真犯人にたどり着く糸口になる。だが、まあそれは付け足しのサイド・ストーリー風になっている。そこには、冤罪事件を引き起こしかねない警察組織の体質の側面をシニカルかつコミカルに描き指摘していることにもなっている。ちょっとおもしろい構想でストーリーが展開する小説である。

 冒頭は2つの場面がまず描かれる。それがプロローグでもある。
 1つは、たった一人で車を運転し、スキー場にやてきた脇坂竜実は滑走禁止区域でのパウダーランをする。そこで女性スノーボーダーが自撮りに苦労しているのに出会う。記念写真を撮る手助けをすることに。「念のためにもう一枚」竜実の一言で、その女性はそれならとゴーグルをヘルメットの上にずらし、フェイスマスクを下ろして、顔を見せた。ずばり、竜実の好みのタイプだった。短い会話の中で、ホームグラウンドは里沢温泉スキー場だと彼女は言った。そして雪煙を上げながら華麗・ダイナミックなフォームでたちまち滑り降りて行った。午後三時過ぎに、駐車場の車に戻り、竜実は東京に帰る。
 一方、仙台に捜査のため出張した小杉敦彦は、帰りの新幹線で南原係長から仕事用スマホに連絡を受ける、三鷹市N町の一軒家で発生した強盗殺人事件の現場へ直行せよと指示される。疲れていた小杉は気が乗らないがそのまま事件捜査に巻き込まれていくことになる。被害者は福丸陣吉、80歳の老人。午後4時12分に主婦の福丸加世子から通信指令センターに通報が入ったのだ。現金20万円ほどが奪われたという。
 これで、このストーリーの中心人物が決まる。容疑者とみなされる立場に陥っていく竜実。ある聞き込み結果を南原に報告したことから、即座に竜実の追跡と確保を指示される小杉。

 メインストーリーは、いくつものサブ・ストーリーの積み上げとなっていく。
1.なぜ、竜実が容疑者と見做されるに至ったのか。
 捜査の初期段階の聞き込み結果と現場捜査結果が示すもの。その内容をどのように総合的に分析するか。客観的な筋読みができるか。最初のつまずきが、冤罪事件を引き起こしかねない。そんなグレーソーンの状況描写とその展開が興味深い。

2.なぜ、竜実が容疑者と疑われていることを知り、アリバイを証言してくれる「女神」を自ら探す行動にでたのか?
 竜実の住むアパートの隣室の住人、松下広樹からスマホに連絡が入った。警察が竜実のことを聞き込みに来たという。重要な事件が起こった一環らしいことと、その時に耳にした断片的な語句を松下は竜実に伝える。
 その時、竜実は波川省吾の部屋に居た。波川は竜実と同じ大学の法学部生。彼は竜実とともに「マウンテン・モンキーズ」というグループのメンバーである。波川は松下と竜実の情報を整理・分析し、竜実の置かれた立場を明らかにする。
 その結果、竜実が里沢温泉スキー場にすぐさま出かけ、アリバイを証明するために、出会った女性スノーボーダーを見つけるのがベストという結論になる。
 諸般の事情を考慮し、波川が竜実に同行し協力するという。波川が竜実の参謀的役割を果たしてくれることに。

3.小杉がなぜ、竜実を追跡することになったのか?
 福丸陣吉強盗殺害事件は、小杉の所属する所轄警察署と警視庁捜査一課の七係との合同捜査となる。七係の担当は花菱係長。ここで警察組織内の人間関係が背景で複雑に絡んでくることに。それが話を少しコミカルにする要因にもなる。だがこの辺りの事情は常套的な感じもするがどんな組織にも形を変えてよくあることだろう。ストーリーにおもしろさを加えて行く要因になっている。読者としては楽しめる。キーワードは「出し抜く」だ。
 捜査本部が出来た後、小杉は警視庁の中条と組まされる。捜査の過程で中条の指示で別れた時点で、小杉は一人の女性から思わぬ情報を聞き込むことに。それを南原に報告した。この女性の関わり方がおもしろい。「蟻の穴から堤も崩れる」ということわざ的要素になっている。
 その結果、小杉は同僚の白井を相方にして、捜査本部にはその情報を流さないという所轄の大和田課長・南原係長の方針の下に、里沢温泉スキー場に直行する。竜実の追跡と身柄確保を指示された。

4.竜実と波川は初めて訪れる里沢温泉スキー場で、どのようにして「女神」を探そうとするのか?
 いわばこの「女神」探しのやり方がスキー場の描写と絡んで読ませどころとなっていく。「女神」探しの途中で、竜実がゲレンデのコース外での事故の救難に関わることが、スキー場のパトロール隊員に好感を与える要因にもなる。
 また、この時、スキー場ではパトロール隊員の結婚式をスキー場で行うという企画があり、スキー場のPRを兼ねるイベントとして、その準備が進行していた。この企画に千晶が関係していた。
 竜実と波川の「女神」捜しのプロセスで、遂に竜実はパトロール隊員の一人、高野に助力を頼む。このことが大きなタ-ニング・ポイントになっていく。

5.小杉と白井は僅かな情報から竜実をどのようにして探し出そうとするのか?
 これがもう1つのサブストーリーである。その悪戦苦闘ぶりが楽しめる。
 小杉と白井はスキー場傍の居酒屋に、夜、探偵と偽って聞き込み捜査に立ち寄る。そのとき、パトロール隊の根津が居合わせた。話を漏れ聞き、救助活動に協力してくれた竜実の事らしいと知る。小杉が女将に示したスマホの画像も垣間見た。だが、根津はそのとき知らぬ振りをした。
 スキー場のある駐車場で駐車の車のナンバー確認捜査を小杉がしているところを見咎められる。その駐車場の所有者は、小杉が立ち寄った居酒屋の女将だった。小杉は己が東京の警察官であることを打ち明ける羽目に。それは小杉にとり、願ってもない強力な助っ人を得たことになる。小杉にとりそれが追跡捜査の大きなターニング・ポイトとなる、ここからの追跡捜査は、女将の協力と彼女の人脈のもとに、スキー場のゲレンデを舞台に大きく展開していく。地元ならでは・・・・・・という場面を楽しめる。
 この追跡捜査を実行しながらも、そのあり方に憤懣と鬱屈を抱える小杉は、女将から「五分の魂」という言葉を投げかけられる。それが本来の彼を取り戻させ、発奮させるトリガーとなっていく。この辺りから1つの読ませどころとなる。

6.小杉は竜実を発見できたのか?
 小杉は遂に竜実と出会うことになる。ここからが小杉の刑事魂に絡んでいく。
 女将の告げた「五分の魂」に大いに関係していくことに。小杉と竜実の話し合いの中で小杉は竜実の説明と行動に理解を示す。
 竜実の話を聞き、小杉は殺害現場の状況写真からある事実に気づいていく。

7.スキー場での結婚式はどう関係してくるのか?
 そこが、このストーリーの読ませどころにつながっていく。

8.福丸陣吉強盗殺害事件はどうなる?
 小杉は白井を連れて、南原係長の当初の指示を無視し、三鷹市に戻る。そして、本来の捜査活動に専念する。勿論、真の犯人を逮捕するに至る。
 どのようにして? それがいわば最後にサイド・ストーリー風に描き出されて行く。勿論、それがなければ、このストーリーは完結しないが。

9.エピローグは何か?
 このストーリーには、プロローグ、エピローグという言葉、区切りはない。だが、それに相当する箇所はある。プロローグに相当する箇所は冒頭で触れた。
 エピローグに相当するものとして3つのことが描かれる。
 1つは、事件解決後に、小杉が取った行動である。
 2つ目は、上記7に関係してくる。その結果のその後に触れている。ある意味でハッピーエンドの結果というオチだ。痴話喧嘩風の描写があり楽しい。この内容は本書を開いてお読みいただきたい。
 3つ目は竜実、波川ら「マウンテン・モンキーズ」の連中が里沢温泉スキー場のパウダースノーを食いまくれ!と斜面に向かって突っ込んでくシーンである。
 この3つの終わり方がいい。

 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『疾風ロンド』  実業之日本社文庫
『白銀ジャック』  実業之日本社文庫
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』  角川文庫
『禁断の魔術』  文春文庫
『虚像の道化師』  文春文庫
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社


『新選組血風録』  司馬遼太郎  中公文庫

2021-06-19 11:05:16 | レビュー
 文庫本末尾の解説で綱渕謙錠氏は、明治以降に<維新ブーム>が2度あったと記す。最初は昭和3年(1928)をピークとし、2度目は明治100年にあたる昭和42年(1967)がピークだったと。この『新選組血風録』は短編連作集であり、同解説によると昭和37年(1962)の「小説中央公論」5月号から短編の連載が始まったそうだ。昭和37年は明治でカウントすると明治95年にあたる。明治100年をターゲットにすると、ブームへの助走としては良いタイミングだったかもしれない。編集者と作家の双方にそういう意識があったのだろうか。奥書によれば、連載終了後、1964年4月に単行本が刊行されている。
 時間軸でとらえると、本書は第2の<維新ブーム>を促進する、あるいは幕末維新がどういう時代だったのかを再考させるという側面で、重要な役割を担ったのではないだろうか。
 著者は新選組という組織が創成された経緯とこの組織体の転換点を客観的に見つめていく。一時期は京の庶民に壬生狼(みぶろ)と恐れられ、人殺し集団の如くに思われた新選組。一方で勤王派、攘夷派と名乗りに京に上ってきた諸々の志士群像。時には尊王攘夷に名を借りて京都の富商から軍資金調達と称し金品を略奪する行為を働く志士たちもいた。京都の町衆は相対的に帝並びに勤王びいき。それらを同次元で捕らえて著者は客観的に凝視している。
 この小説は、新選組の個々の隊士あるいは隊士群の生き様にスポットを当てると共に、新選組の幹部層と組織体を多面的にとらえ直している。短編に横串をさすような形で繰り返し出てくるのは、土方歳三と沖田総司、近藤勇である。土方の指示を受ける形で山崎蒸(すすむ)もしばしば重要な役割を果たす。
 結局、幕末の京における新選組とは何だったのか? それがテーマになる。
 江戸の長い泰平期を経た幕末に、近藤勇を筆頭にして、武士になることを切望し武士を目指した一群の人々がいた。彼等は武士たらんとして、己の抱く武士像、武士道に殉じていった。あるいは、結果的に殉じさせられていった。新選組の定めた隊規は、その規律そのものが当時の武士の常識からすれば非常識、「武士」像の理想(虚構)だったのではないか。そんな印象を抱いた。ここには、己の剣に生き、己の剣で死地に至った隊士の群像が描かれている。その多くは、攘夷志士との争闘の渦中においてでは無く、新選組の隊規の下で、切腹あるいは斬首という形で死んだ。著者はその点に光りを当てている。つまり、視点を変えると、武士道とは何か? 武士とは何か? という論点をも投げかけていると言える。

 本書は15編の短編で構成されている。上記のとおり、それぞれの短編は独立して読める。新選組の創成・活動・終焉を時系列的に短編で構成しているわけではない。大きな流れは新選組前史から創成、新選組が活躍した重要事件、鳥羽伏見の戦いという時間軸が短編連作の底流にある。だが、短編個々の関係では時間軸を行きつ戻りつ、あるいは前後を外してエピソード(事件)を優先させながら、その背景に新選組という組織体を描くというアプローチになっている。新選組の組織体について描く場合には、主に土方歳三の視点をフィルターにして描かれていく。近藤勇の発言や行動も描き込まれるが、そこには土方の視点が添えられる場合が多い。土方歳三は近藤勇を活かすという立場をとり続けた人として描かれていく。
 個別の短編について少しご紹介していこう。

<油小路の決闘>
 冒頭から破格。最初に新選組から分離し「御陵衛士」(高台寺党)を組織した伊東甲子太郎の生き方を描く。新選組参謀だった伊東甲子太郎は、油小路で近藤の指示の下に暗殺される。伊東が暗殺されるに至る経緯を、新選組諸士取調役監察篠原泰之進の立場から、彼の生き様を織り込んで描いていく。暗殺の理由は、伊東がどのような考えで新選組に加入し、どう行動したか。なぜ高台寺党を作ったかに関係する。
 篠原泰之進が伊東の弟三樹三郎と西国の脱藩浪士との小競り合いに助勢し、背中に負傷するという経緯から始まる。それは隊規からすれば切腹もの。これを契機に篠原が高台寺党に加担するというのもおもしろい。泰之進は維新を生き延び、官職に就いた。
 その他の登場隊士名:茨木司、富山弥兵衛、毛内有之助、藤堂平助、加納道之助、中西昇、佐野七五三之介、服部武雄、内海二郎、久米部正親、大石鍬次郎(以下、各短編で既出の隊士名は重複を避けふれない。)

<芹沢鴨の暗殺>
 近藤勇を筆頭に天然理心流同門らの小グループが、浪士団に応募し上洛する。本庄宿での芹沢鴨への宿割りに対する近藤の失態エピソード、京都での新選組の創設、芹沢鴨の横暴な行動、周到な暗殺計画と実行の経緯が描かれる。暗殺場面では壬生の八木屋敷に残る鴨居の刀傷や文机のこともリアルに描かれる。「お梅事件」が芹沢鴨を象徴しているようだ。
 近藤は翌朝3つの死体を検視し、守護職に病没と届け出、葬儀を壬生屯所で盛大に実施。土方が葬儀を指揮した。これで近藤が新選組筆頭の局長となり、近藤体制ができる。新選組草創期の実情が推測できて興味深い。
 その他の登場隊士名:山南敬助、井上源三郎、永倉新八、原田左之助、新見錦、松原忠司、谷三十郎、斎藤一、平山五郎、岸島由太郎、平間重助、野口建司

<長州の間者>
 浪人深町新作は姉婿の代参で琵琶湖の竹生島弁天に詣でた。小間物屋の娘おそのと知りあい、縁を結ぶことになる。おそのは新作が町人になるなら正式に結婚したいという条件を付ける。新作は躊躇する。その新作におそのの姉の小膳が長州への奉公の話を持ち出す。小間物屋は長州藩京都屋敷の御用を勤めてきたという。小膳を介して吉田稔麿と対面。吉田は深町家の過去を熟知していた。新作は稔麿に「あなたは王事のために死ねるか」と問われたことを契機に、新選組に入隊志願し、長州の間者として働くことに。
 新作の入隊とその後の経緯。結末は新作がもう一人の長州の間者と判明した松永主膳を隊規により誅殺する場に立たされるという窮地に陥る。そう仕向けるのは沖田総司。古高俊太郎についてわかった噂を局内の一部に流した結果、長州の患者が誰かわかったという。沖田が新作に語る。
「その男とは、たれです」「君の仲間だよ」「えっ」「いや、君の直属の伍長にあたる、というかな」この沖田の短い言が意味深長であり、印象的だ。
 もう一つ、新作は古高俊太郎の名すら知らなかった。<おれは、虫のような存在だな> 新作のこの感慨が哀しい。これがもう一つの印象的な場面である。
 その他の登場隊士名:楠小十郎、御倉伊勢武、荒木田左馬亮

<池田屋異聞>
 山崎蒸が鍼屋の又助と呼ばれた頃から書き始め、新選組入隊、探索方として桝屋という御用達商人が古高俊太郎であることを探り出す経緯をまず描く。近藤勇の指示を受け、山崎蒸は池田屋に宿泊する形で、尊攘浪士たちが下相談に集合するのを見張ることになる。近藤勇たちが乗り込むに至った池田屋事件の修羅場状況を描いて行く。異聞というタイトルは近藤の奮迅を描きつつ、山崎蒸にとっての池田屋事件の意味に視点が置かれているからだろう。
 その他の登場隊士名:川勝勝司、近藤周平

<鴨川銭取橋>
 武田観柳斎を隊長とする五番隊の平隊士狛野千蔵が清水産寧坂で斬り殺された。監察でもある山崎は土方の指示を受けこの事件を調べ始める。狛野が近ごろ産寧坂近くの棟割長屋に住むお花の情夫(いろ)だったということを聞き込み、お花の証言から自体は大きく転換して行く。薩摩に通じる武田観柳斎という構図が浮かび上がってくる。
 著者は、武田を斬ったのは斎藤一という。その場所が鴨川沿いの細流にかかる私設の銭取橋で、この橋を渡れば竹田街道であると。この場所って、どの辺りなのだろうか・・・・。この短編では、武田観柳斎の生き様がテーマになっている。

<虎徹>
 近藤勇の愛刀が虎徹だったということは有名である。この短編は「虎徹」の作刀と近藤勇が手に入れた虎徹にまつわる裏話である。虎徹に対する近藤勇の愛着と心象がテーマとなっている。近藤勇のこだわりがおもしろい。

<前髪の惣三郎>
 何度目かの隊士募集の時、勝ち抜き最後の試合に加納惣三郎と田代彪蔵が残った。沖田総司が審判をする。惣三郎は前髪を残す18歳。田代は30歳。二人は結果的に隊士となる。惣三郎は当初、隊務見習として近藤の小姓となる。
 田代により惣三郎は衆道の虜に陥っていく。土方は山崎蒸に惣三郎を島原に連れて行き、女の味を知らせてやれと言う。そこから話が奇妙な方向に転がり出す。衆道のジェラシーがテーマになっている。
 最後に、土方は惣三郎の中に化け物が住みついたのだと唾をはく。
 その他の登場隊士名:武藤誠十郎、湯沢藤次郎、四方軍平

<胡沙笛を吹く武士>
 長楽寺の近く、真葛が原の一隅で新選組隊士鹿内薫は故郷で習った胡沙笛を吹いていた。それがきっかけで小つると知り合う。小つるは祇園町の髪結い。鹿内薫は入隊当初から原田左之助がほめるほど胆力があるめずらしい隊士だった。その鹿内が密かに小ツルとの逢瀬を重ねる。逢瀬を重ねるに従い、鹿内の外見も内心も変化していく。ある隊務がきっかけで鹿内に恐怖心が芽ばえることに。近藤が鹿内の怯懦を嫌うようになる。
 人の心の不可思議さ、その変化が鹿内の生き様を変える。池田屋事件の夜がその契機になる。里心、人とは哀しい存在なのかもしれない。
 その他の登場隊士名:平野源次郎、神田十内、橋本会助、伊藤浪之助

<三条磧乱刃>
 芸州浪人国枝大二郎が、入隊後に西本願寺の黒書院の縁で、それとは知らずに6番隊の組(隊)長井上源三郎に出会った時の第一印象から話が始まる。井上源三郎の生き様が描かれて行く。井上と国枝との道場稽古が、屯営内の道場の武者窓から何者かに覗き込まれ揶揄される事件に発展し、井上と国枝で始末をつけざるを得なくなる。この短編はその顛末譚。
 その他の登場隊士名:新井忠雄、芦谷昇、尾形俊太郎、吉村貫一郎、福沢圭之助

<海仙寺党異聞>
 1番隊伍長の甲州浪人中倉主膳は己の小さな利を第一に考えるタイプで、評判が良くなかった。その中倉が背中を斬られて花昌町の門長屋に戻ってくる。山崎蒸が指示を受け調べると、斬られた場所が情婦の家とわかる。隊法違反で斬首処分となり、同郷の長坂小十郎が太刀取りを命じられる。彼は会計方で、己の剣技を見せたことがない。中島は長坂に斬首される前に、四条寺町で櫛屋を営む利助が同郷人と初めて伝えられ君に譲ると遺言された。長坂が中島を弁護するほど、中島の遺産である「悪意」を背負うことに。
 長坂は会計方から1番隊の伍長として市中巡察隊に配置換えとなる。中島を斬った者が赤座智俊とわかる。彼は海仙寺に分宿する極端な過激派(海仙寺党)の中に居るとわかる。利助を介して中島の情婦だったお小夜に連絡を取りたいと小坂が動いたことから、思わぬ事実が明らかになっていく。そして、長坂は意外な人生の転換へと導かれる。
 まさに、禍転じて福となす、を地でいくところがおもしろい。明るい結末の短編はいい。

<沖田総司の恋>
 沖田は隠していたが、労咳が進行する。池田屋切り込みの後で突如悪化する。会津藩公用人外島機兵衛が近藤に労咳にいい町医者を告げて行く。その結果、沖田は密かに医者の半井玄節を訪れ、新選組の隊士であることを伏せて、通いで治療を受け始める。半井は沖田を会津藩の御家中と解釈する。半井にはお悠という娘が居た。沖田の行動を不審に思った土方は沖田の恋を知ることに。土方が近藤に告げたことから、近藤がハプニングを引き起こす展開に。真面目な近藤の空回りがおもしろい。
 半井父娘の驚きが目に見えるようである。初恋はむなしく散るのが定めか・・・・・。

<槍は宝蔵院流>
 文久3(1863)年4月、近藤が斎藤一に宝蔵院流の槍の名手、谷三十郎が入隊すると上機嫌で告げる。斎藤は下坂し用を済ませ、淀川遡上の乗合船で京に戻るとき、偶然に近藤の言っていた槍の名手らしき人物と乗り合わせる。その結果、屯所で近藤が少人数の同志一堂に谷とその息子を紹介したとき、斎藤はある疑念を抱き始める。
 谷三十郎の生き様が描かれて行く。谷の息子は、近藤の養子となり近藤周助と名乗ることになる。谷三十郎は、斎藤に立ち合いを求められ一刀で切り倒されるという最後を迎えることに。この短編は近藤周助の人生をも描いている。それは近藤勇の思考・姿勢を語ることにもなっている。
 その他の隊士:田内知

<弥兵衛奮迅>
 伊東甲子太郎は巡察中、鼠突不動尊前の路上で二人の武士の私闘に出会う。伊東が止めに入る前に決着がついた。真っ向から斬りおろしたのが富山弥兵衛だった。示現流を使う薩摩藩士。といっても郷士身分である。死んだのは芸州藩士。この目撃を奇貨とみて伊東は薩摩藩に接近を試みる。大久保一蔵の意を受けた中村半次郎は、弥兵衛は弊藩には居ないと突っぱねる。その結果、弥兵衛は伊東の思惑により新選組に入隊し、結果的に弥兵衛は薩摩藩の間者となる。その翌年に伊東は新選組からの分離を近藤に申し入れる。
 著者はこの短編末尾の一行を「富山弥兵衛のごときは、日本間者史上からみても、錚々たる者として列伝中に加えられるべきものであろう」と締めくくっている。
 その他の隊士:鈴木三樹三郎、加納鵬雄

<四斤山砲>
 慶応2(1866)年、永倉新八のもとに出羽浪人大林兵庫と名乗る尊大な態度の男が現れる。三味線堀のころ、新八に剣の手ほどきをした。新八の師匠山沢の弟だと言う。永倉がこの男を土方に引き合わせたことで、新選組に入隊する。洋式訓練にも明るいと仄めかし、大砲の火薬の調合法がまちがっていると言う。近藤は兵庫に発射薬を調整させた。兵庫の発射薬で射程は5間はのび、近藤は感心し、砲術師範頭に任命してしまう。
 以前から平隊士だが古参の阿倍十郎が砲術師頭として居た。もともとは剣客だが、会津藩の大砲奉行林権助に砲の操作を学び、一通りの火砲技術を修得していた。その阿倍は毎日大砲小屋で砲を磨くだけの立場になり腐る。だが、ある時阿倍は大林の無知さに気づく。
 この短編、大林の化けの皮が徐々に剥がれていくプロセスを描く。そこがおもしろい。
 阿倍は伊東の側につく。阿倍は伏見の戦いで、薩摩砲兵側から大林に四斤山砲で一矢報いる機会を得る。この場面描写も興味深い。

<菊一文字>
 沖田総司は、懇意の刀屋播磨屋道伯のもとに立ち寄ったとき、さる神社から出た尤物の刀を見せられる。それは細身で腰反りが高い名刀だ。銘は菊一文字則宗。総司は私の分際では買えないと言う。道伯に売る気はない。だが、総司が飽きるまでその菊一文字を貸すと言った。
 松原通り堀川下ルで、総司は3人の刺客に遭う。総司は刺客の内の一人の名前を聞いた。だが、総司は菊一文字を抜かずにその場を逃げた。この短編は、菊一文字が主役である。後に、総司が一度だけ菊一文字を使う。それはなぜか。そこには一つの因縁が絡んでいた。沖田の一面が鮮やかに切りとられている。
 
 15編の短編連作を通じ、背景に時には前面に姿を表し続けるのは、土方歳三を主に、沖田総司と近藤勇である。彼等3人の生き様を織り込んでいるとも言える。

 最後に、著者が「新選組」という組織体について触れた箇所について、覚書を兼ね、要約あるいは引用しておきたい。引用は「」で括る。
*新選組の隊規
 ・「諸事、士道ニ背ク間敷事」(p392) ⇒士道惇反という支配原理。士道=男道=漢
 ・組頭がもし討死にした場合は、組衆はその場で討死すべし。
 ・はげしき虎口において死傷続出すとも組頭の死体のほかひき退くことまかりならず。 ・私事で斬合いにおよんだとき、相手を斃さず自分のみが傷を負うた場合、未練なく
  切腹すべし。  (以上 p20)
 ・「勝手ニ金策致不可」(勝手に金策致すべからず。p73
*近藤勇と土方歳三の検分のもとで武術考試を行い、成績により入隊を許可する。p15
*「士道不覚悟」(p341)
 「新選組がある。里心がある。この二つは、氷炭のごとく相容れない」(p343)

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
新選組の史実。結成から隊名由来・応募資格・主要メンバーや組織編成・隊服まで解説
             日本文化の入り口マガジン  :「warakuweb」
【保存版】新撰組メンバーの愛刀を紹介!現存する刀とは? 新選組特集:「歴史プラス」
新選組組織図  :「誠」
新選組の編成について  :「幕末維新新選組」
近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」
 近藤 勇  
 土方歳三  
近藤勇  :「ジャパンナレッジ」
近藤勇墓  調布・三鷹散策コース 東京都文化財めぐり  :「東京都教育委員会」
京都伏見の新選組 近藤勇、伏見で銃弾を受ける  :「月桂冠」
京都東山 霊山歴史館 ホームページ
日野市立「新選組のふるさと歴史館」 :「新選組のふるさと日野」
歳三の生家 土方歳三資料館 ホームページ
土方歳三資料館  :「日野市」
沖田総司  :「コトバンク」
新撰組・沖田総司の愛刀「菊一文字則宗」「加州清光」は本当に現存しているのか?
   新選組特集    :「歴史プラス」
沖田総司まぼろしの写真  幕末 本と写真  :「Hatena Blog」
新選組から分離し、新選組に斬られた悲劇の志士、伊東甲子太郎最後の地。【油小路~本光寺】  :「デジスタイル京都」
伊東甲子太郎  :「コトバンク」
令和2年度企画展2 伊東甲子太郎顕彰碑建立記念 「御陵衛士 伊東甲子太郎の顕彰活動」   :「かすみがうら市歴史博物館」
[新選組監察 山崎蒸] ”新選組の頭脳”と呼ばれた男の生き様とは :「歴人マガジン」
斎藤一は謎多き新選組・最強剣士 72年の生涯まとめ!その魂は会津に眠る 
       :「BUSHOO!JAPAN (武将ジャパン)」
新撰組・斉藤一の愛刀「鬼神丸国重」とは? 新選組特集 :「歴史プラス」

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新選組に関連する本を読み継ぎ始めました。
次の本についての読後印象記もおよみいただけるとうれしいです。
= 小説 =
『ヒトごろし』  京極夏彦   新潮社
= エッセイ、実録、研究書など =
『「新選組」土方歳三を歩く』 蔵田敏明著 芦澤武仁写真 山と渓谷社

『ブラタモリ 5 札幌 小樽 日光 熱海 小田原』 角川書店

2021-06-17 21:59:35 | レビュー
 行ったことがある土地などを含むシリーズから読み継ぐ内に、最初の10冊もこの第5弾と第9弾になった。まずは第5弾を読み進めることに。小田原、熱海は新幹線利用での通過点だった。熱海はMOA美術館に行くときに下車したくらいの記憶しか無い。かつて、藤沢には仕事で頻繁に出かけたので、そのときには小田原を乗り継ぎの通過点として利用していたていど。本書の5箇所は勿論、その土地に行ってみたい場所である。

 「札幌」は2015年11月7日放送。「小樽」は2015年11月14日放送。「日光」は2015年12月12・19日の2回連続での放送。「熱海」は2016年1月16日放送。「小田原」は2016年1月23日放送である。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2016年7月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は桑子真帆さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<札幌> テーマ「なぜ札幌は200万都市になった?」
*明治元年(1868)時点、札幌に住んでいた和人は豊平川の渡しを担う2軒の計7人だけ。
 札幌の開拓は翌1869年に本格化。寒冷気候に適応する作物の研究栽培が開拓の動機に。
 明治政府は欧米列強による蝦夷地収奪を恐れ、日本海から20kmの距離を防衛上役立つと判断
*札幌は扇状地のキワに築かれた拠点で、豊かな水が湧水(メム)として得られる土地
 札幌中心部の扇状地はなだらかな地形。真駒内(扇頂部)から北大(扇端部)までおよそ8km、標高差は約60cm。南から北へごくゆるやかに傾斜している。⇒町がつくりやすい
*周囲は泥炭地(湿地)。この湿地から水分克服の排水技術で土地改良⇒農地・宅地に
 ・北大の外国人教師による指導:土中に多数の土管を埋め、集水し排水溝に水を流す
 ・人工の河川 例:北大の北西側の「新川」は1887年完成。石川湾まで直線約10km
*明治時代、開拓使が造った札幌の中心部の周辺には、屯田兵、開拓団の町や村が散在
 札幌周辺の地盤改良された農地は札幌への人口の流入、急増で宅地化が拡大した
 札幌の中心部と同様に周辺の町や村がそれぞれに独自基準でに碁盤の目状の町割りをしていた。それらがそのまま現在の札幌へと取り込まれる形に⇒接続面で道路の曲がり
*すすきのの入口2区画(約200m)だけ歩道がかなり広い:かつての薄野遊郭の跡地の一部
*明治2年に札幌開拓に着手した島義勇が、江戸時代末期に用排水のために掘られた大友堀(後の創成川)の直線部に大通の基線を直交させた。これを基準に縦横の道が造られた。

<小樽> テーマ「観光地・小樽発展の秘密は『衰退』にあり?」
*小樽は「オタルナイ(砂丘の中の川)」が語源。札幌の西約30km。元は石狩湾の小漁村
*小樽はニシン漁や北前船、さらに石狩炭田の石炭輸送のための商業港として急発展した
 明治20(1887)年頃から物資の集積のために海岸線の埋め立てが始まり、倉庫群ができる
 「木骨石造」という造りが小樽の倉庫の特色。外壁には遮熱性のある凝灰岩を貼る。
 内部は木造の建物。消防法上は木造建築。⇒商業港繁栄の衰退。30年ほど前観光資源に
*堺町通り沿いの埋め立て地の反対の山側は海食崖。海食崖の上は、かつて高級住宅街
 もとは、日本各地からやってきて成功した豪商たちの住宅地:板谷宮吉、名取高三郎ら
*小樽は人口増に対処するため、流紋岩質凝灰岩の尾根を切り崩し平らな市街地を造成
 切り崩した土は沿岸の埋め立てに利用。水天宮本殿の向きと鳥居・参道の向きのズレ
*大正末期、北海道で最大の大金融街を形成した建物が、現在はホテルや観光店、美術館に
   最盛期には小樽市内に25の銀行(無尽会社を含む)。現在は銀行の支店が3つ。
*商業港が衰退、残った運河をどうする? ⇒ 観光目的として利用するきっかけに。
 北運河から南側は運河の幅を半分にし遊歩道にすることで観光資源に再利用。

<日光>
テーマ1「日光東照宮は江戸のテーマパーク?」
*日光東照宮は家康の遺言で2代将軍秀忠が元和3(1617)年に建立。当時は控えめな建物
 3代将軍家光が寛永13(1636)年に「寛永の大造替」で煌びやかな建物に変身させた
*東照宮には江戸時代から「堂者(どうじゃ)引き」と称する公認ガイド、コンシェルジュが存在した。江戸時代は堂者引きがいなければ境内に入れなかったという。
*東照宮の5つの仕掛け
 1)参道に取り入れられた遠近法:一番上の段は6.5m、一番下の段は7.5m。
 2)巨大な石の鳥居は花崗岩製。黒田長政が福岡から運び奉納。最大級の鳥居で重さ60t
 3)参道の石畳が菱形で矢印の役割を果たす。人の目線を先に進ませる。
 4)「上神庫」に象の彫刻:当時の人々には未知の動物。人々の目をひきつける。
  「神厩舍」に「三猿の彫刻」:「見ざる、言わざる、聞かざる」を心に残るように
 5)伊達正宗奉納の鉄燈籠:政宗はポルトガルから取り寄せた鉄で南蛮鉄燈籠を鋳造。
*白い唐門には上部中央に古代中国の舜帝を彫刻し、600以上の彫刻が施されている。
  ⇒家康は舜帝を尊敬していたという。禅譲による即位のメッセージを伝える意図
*奧宮入り口にあたる坂下門の東回廊の蟇股に伝左甚五郎作「眠り猫」
  ⇒猫の解釈には諸説あり。一説は家康の姿(平和の守り神)を表すという。
   眠り猫にも見え、今にも飛びかかろうとする姿(常に戦闘姿勢)にも見える。
*日光街道最終の宿場町として階段状の段差のある鉢石宿が栄えた。段差の痕跡が残る。
 東照宮を支える人々が町ごと鉢石宿に移住。「御幸町」。聖と俗の分離。技術の伝承

テーマ2「日光はなぜ”NIKKO”になった?」
*金谷カテッジイン ⇒金谷ホテル ⇒金谷ホテル歴史館 日光を世界に知らせる源に
 日光を訪れたヘボン博士が金谷善一郎(日光東照宮の楽師)に進言 
 金谷善一郎は自宅を改造して、明治6(1873)年に金谷カテッジインを創業した。
 明治11(1878)年、イギリスの女性探検家イザベラ・バードがここに12日間宿泊。
   旅行記に日光~奥日光の美しさを「日光を見ずして、結構と言うなかれ」と紹介
 明治24(1891)年イギリスで発売された日本の旅行ガイドブックに日光が紹介された
*大正末期~昭和初期  中禅寺湖畔は外国人、諸大使館の別荘地として有名になる
   風光明媚な景観美と夏の冷涼な気候が外国人のこころをつかんだ。避暑地。
 イギリス公使、アーネスト・サトウも中禅寺湖畔に魅了され別荘を建てた。
   サトウが中国へ赴任。建物は英国大使館別荘に。現在は栃木県に無償譲渡された
 旧イタリア大使館別荘と旧英国大使館別荘は隣接していて、共に一般公開されている
*戦前の中禅寺湖では「男体山ヨットクラブ」のヨットレースが夏の風物詩になった
   英国大使館が会長を務め、湖畔別荘に住む外国人たちが当ヨットクラブを結成
*男体山の噴火により、深い谷が堰き止められて中禅寺湖でき、華厳ノ滝ができた。
 火山灰や軽石でできた水を通しやすい地層が崩れ、その上の溶岩層が崩落し滝を形成
 かつては現在より800m下流に滝があった。崩落を繰り返し上流へ移動している。
*奥日光の名所の一つ、竜頭ノ滝の川床は火砕流の堆積物で、こちらは「ナメ滝型」。
*男体山の再噴火でもう一つの湖が火砕流堆積物で埋められ、戦場ヶ原の湿原ができた
*戦場ヶ原のさらに上に火山の恩恵、湯元温泉がある。8世紀、勝道上人の発見という。

<熱海> テーマ「人気温泉地・熱海を支えたものは?」
*熱海の近くに30万年前頃、多賀火山があり、陸地近くの海底にも噴火口があった。
 噴火により水冷破砕溶岩が形成され、その後に隆起し海食洞と海食崖がみられる景観に 熱海の温泉は岩石の亀裂に染み込んだ雨水や海水がマグマの余熱で温められ涌出したもの
*熱海の温泉は、塩分が多く含まれる「塩化物泉」で、温かさが長持ちする「熱の湯」
*江戸時代の熱海の温泉は熱海銀座の山側に27軒の湯戸(温泉宿)があった。
 「本湯」(後の大湯)は間欠泉の源泉で、一度湯を溜める「湯枡」が設けられていた
 湯枡から各宿に温泉が木管で配られた。間欠泉(源泉)は大正末に枯れた。
*徳川家康は熱海の温泉を愛した。開幕した翌年(1604)に7日間湯治滞在をしている
 歴代徳川将軍は熱海の湯を江戸に運ばせた。「御汲湯図」(江戸後期創業古屋旅館蔵)
*江戸時代、今井家が大名・旗本の宿。離れの一碧楼が有名。熱海を牽引したリーダー
*徳川将軍家御用達の他、木版刷を使い熱海を喧伝。沢庵和尚作謡曲「熱海」も利用
*明治以降、熱海は別荘地として開発され、急斜面の地形が別荘文化を支えた。
  例:旧日向別邸。庭園は人工地盤。斜面の地下室に工夫。ブルーノ・タウトの設計
*丹那トンネルの完成(昭和9/1934年)で観光客増が実現。丹那湧水が熱海の水源に。

<小田原> テーマ「江戸の原点は小田原にあり?」
*戦国時代、関東一円に勢力を広げた北条氏の本拠地が小田原だった。
*小田原城は6万6000年ほど前の箱根火山大爆発によりできた東京軽石層の地層上にある
 周辺に山から海へと3本の尾根が連なる。火山灰が造ったその複雑な地形を巧みに利用
 小田原城は「総構」の縄張り。城と城下町を囲む形で9kmに及ぶ堀を巡らす。
  ⇒「相府大普請」(総構の構築)を天正15(1587)年3月以降から3年で為し遂げた
  ⇒城の北東側:1km以上離れた地点の湿地帯を利用し最大で幅70mの堀と土塁を築く
   山側は尾根の地形を利用:「障子堀」(効率的に水を溜める)、土塁は粘土質
*江戸城の外堀(神田川~市ヶ谷~四谷~赤坂~溜池~虎ノ門~御成門)は小田原城の総構がヒントになった可能性が高い。
*小田原城の西1.5kmの早川を取水口とし全長3.5kmの小田原用水(飲み水に利用)を開削
 史料からは16世紀半ばにすでに存在。「日本最古の水道」。江戸末期に用水は暗渠に
  ⇒海に近い小田原の井戸水は塩分濃度が高く、飲み水には不適。蒲鉾作りには最適
*小田原用水は江戸で神田上水や玉川上水が開削された「原点」
  ⇒家康は小田原合戦で総構と用水を直に見ている。
   小田原入城の直後、配下に神田上水に関する研究を指示したという。

 メインの内容をまとめるとこんなところか。この要約はやはり掲載された地図や写真を見つつ本文を読んでいるからこそ、私的覚書として、本書の流れを思い出すソースになる。やはり、本書を手に取ってテーマへのアプローチをビジュアルに楽しんでいただきたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
大地を拓く 開拓の始まり 北海道の歴史と文化と自然 :「AKARENGA(あかれんが)」
明治の礎 北海道開拓  :「水土の礎」
札幌の観光スポット  :「じゃらん」
現地スタッフ厳選!小樽のおすすめ観光スポットBEST24  :「Rakuten Travel」
北海道小樽・観光プロモーションムービー  YouTube
日光東照宮 ホームページ
日光山条目  49/132コマ目  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
日光金谷ホテル歴史館 ホームページ
イザベラ・バード  :ウィキペディア
アーネスト・サトウ :ウィキペディア
野州二荒山温泉之図  :「東京大学学術資産等アーカイブズポータル」
中禅寺湖  :「とちぎ旅ネット」
熱海温泉の由来  市営温泉のある街「熱海」  :「熱海市」
 「今井半太夫の湯店と一碧楼」「熱海温泉市区一覧」「現在の大湯間欠泉」等の画像掲載
MOA美術館 ホームページ
難攻不落の城 小田原城  ホームページ
総構    :「小田原城 街歩きガイド」
小田原用水 :「小田原城 街歩きガイド」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 2 富士山 東京駅 真田丸スペシャル 上田・沼田』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』  角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店


『ブラタモリ 2 富士山 東京駅 真田丸スペシャル 上田・沼田』 角川書店

2021-06-14 11:50:19 | レビュー
 富士山は2004年11月に山仲間に誘われて登った。あの頃はまだ体力があったなとふと思う。富士山という山自体に対する深い知識も無いまま、登山意識が優先していた。東京駅は関西からの出張の折、新幹線で到着し都内の目的地に向かう通過点という意識しかなかった。上田・沼田は未訪地。徳川秀忠が上田城を攻めあぐね、関ヶ原の戦いに遅参したくらいしか知らない。そんなところから、本書を読んでみることにした。
 
 「富士山」は2015年10月10・24日の2回でテーマ1を放送。10月31日にテーマ2を放送。「東京駅」は2015年7月20日に放送。「上田・沼田」は上田城を2016年1月2日に、沼田城を2016年2月13日に放送されている。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2016年7月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は桑子真帆さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<富士山> 
テーマ1「富士山はなぜ美しい?」
*富士山を祀る「富士山本宮浅間(ほんぐうせんげん)大社」(総本宮)は富士山とともに世界文化遺産に登録された。狩野元信印「絹本着色富士曼荼羅図」(同社蔵)がある。
*紀元前27年頃「浅間大神(木花之佐久夜毘売命)」を富士山麓に祀ったのが起源という
*現在の本殿は屋根が檜皮葺きの二重楼閣構造。1階は5間4面の宝殿(寄棟)造り、2階が間口3間奥行2間の流れ造り。1階の屋根は富士山を表し、2階は浅間大神の天上界をイメージ
*古来の富士山登山は信仰のため。麓の大社に詣で出発。山頂の聖なる場所に登山参詣
 現在の富士登山は富士宮口5合目(標高2400m)の登山口から登るのが一般的。
*浅間大社のシンボルは「湧玉池」。富士山を水源とする湧水。かつては登山前の禊の場所
 湧玉池は山裾末端のキワに立地。水は透水性の高い溶岩に沿って流れ溶岩のキワから涌出
*富士山は有史以降10回噴火。大規模なのが宝永噴火(宝永4年/1707年)で大地震が引き金に。
 富士山のマグマは粘り気の少ない玄武岩質。マグマ中の火山ガスが抜けやすい。
*富士山ではスパターが見られ、山腹には大小100ヵ所以上の割れ目火口が存在する。
*現在の富士山(新富士)は、先小御岳(せんこみたけ)、小御岳(こみたけ)、古富士(こふじ)という火山の活動結果を順次累積したのち、1万数千年前からの火山活動により形成された。新富士は4階建ての火山になる。
 新富士が噴火を繰り返し、古富士の大崩落のキズ跡を修復し、およそ2200年前に現在の富士山の形になった。宝永噴火で古富士の溶岩層が再び突き出ている。
*富士山の北西麓には側火山群が広がる。:奥庭、幸助丸、弓射塚、長尾山、片蓋山。
 富士山の周囲には100以上の側火山(山頂火口以外の小火山)があるという。

テーマ2「人はなぜ富士山の山頂を目指す?」
*山頂には富士山本宮浅間大社奥宮が鎮座。「大日本富士山絶頂之図」「蓮嶽真形図」
 江戸時代、登山者は火口を賽銭箱、山頂の8つの峰を仏に見立てて来迎を祈った。
 一岳・地蔵菩薩、二岳・阿弥陀如来、三岳・大悲観音菩薩、四岳・釈迦如来、五岳・弥勒菩薩、六岳・薬師如来、七岳・文珠菩薩、八岳・寶羯如来、中央・大日如来。八葉九尊。
 「ご来迎」は「ブロッケン現象」を頂上で見る体験。現在の登山者は「ご来光」目的。
*気象庁の有人観測が平成16年で終了。旧富士山測候所は学術・研究目的で今も有効活用

<東京駅> テーマ「東京駅の巨大地下空間は歴史の生き証人!?」
*1908年に駅舎建設命令が出され、1914(大正3)年12月20日に東京駅開業。辰野金吾の作品
*平成15年に国の重文指定を受け、2012(平成24)年10月1日に丸の内駅舎竣工(復原)
 新旧織り交ざった意匠:丸屋根、3階手すり壁、3階柱頭部、南北ドーム床面、同レリーフ
*東京ステーションギャラリー(駅中の美術館):100年前の構造レンガ壁の展示
 駅舎外壁に貼られた化粧レンガ(タイル)は「覆輪目地」施工技術を一から習得、再現
*東京駅丸の内側には総延長18kmの地下街空間が広がる。オフィス街と駅を地下通路で連結
 一方、丸の内には、江戸時代の「大名小路」の土地割りが現在も痕跡を残す。
*歩行者専用の丸ビル地下道には明かり取りの穴とアーチ状はりのデザインをそのまま保存
*丸ビルから始まり、ビルとビル、ビルと東京駅をつなぐ地下道は迷宮化するとともに、既存の地下鉄線や下水道管を避ける工夫が地下道に多くの「謎の勾配」を生み出している
*丸ノ内線と東西線の交差する箇所に2路線共存の工夫 ⇒ ”行ってこい階段”
*東京駅北側に走る永代通りの地下には幻の地下自動車道計画廃止で一部区間だけ残る
*丸の内のオフィス街地下25mの深さのトンネルに張り巡らされた配管は、「丸の内熱供給地域冷暖房プラント」システムとして地域一帯のビルにつながっている。冷水と蒸気という熱源が供給されている。本線のトンネルに支線トンネルが掘られ配管が枝分かれしていく。
*八重洲地下街は公共道路の地下にあり、地下街の通路自体も公共歩道。昭和40(1965)年代に八重地下街が誕生した。店舗数約180の巨大商店街。東京駅付近の地下駐車場開発を前提にできた地下街。車の出入りのスロープとの関係で斜めの天井の店舗もある。
*八重洲の地下街からの避難階段は、八重洲通りの中央分離帯に通じている。
*江戸城の外堀だった外堀通り沿いの敷地に建てられた鉄鋼ビルディングは建物もゆるやかに曲がった形で建築された。江戸時代の土地の痕跡を残す。
*江戸時代の北町奉行所の東側に築かれた江戸城外堀の石垣の一部は、八重洲北口付近に移築され軽量化し、ほぼ江戸時代の姿のまま積み直され、モニュメントになっている。
*常盤橋御門の木橋は明治期に石橋になった。その常盤橋がそのままの位置で公園に残る*歌舞伎座の建て替えに伴い、地下通路ができ、「木挽町広場」(木挽町御助蔵前広小路)と称し移動式店舗が並ぶ地下空間と繋がる。災害時を想定し人々を一時収容できる都市空間を兼ねる。東京駅の地下とリンクしている。

<真田丸スペシャル 上田(長野県)&沼田(群馬県)>
テーマ1「真田の城造りのスゴさを知る!」
*上田城は千曲川の河岸段丘上に築かれた。徳川勢を2度撤退させた。関ヶ原の戦い後破却
 仙石氏により再建され、明治に廃城となる。現在遺構の幾つかは復原。真田の痕跡残る
*城造りに残る真田の痕跡:東虎口櫓門そばのから堀。その石垣に排水の穴。安山岩で石垣隅を算木積み。そのまま使い仙石氏は凝灰岩で石垣を再建。台形状の石垣は真田の船着き場かも。城の西側の堀跡はすっぽりそのまま運動場になったほどの規模。上田の地質は上田泥流層。柔らかいが水を通しにくい。城造りに適した地質・地形だった。城の北、北国街道の外側に人工的に川(矢出沢川)を造り外堀にした。街道の両側に隙間なく町家を並べ、防御機能を高めた。街道を横切る川を暗渠にして上を道にし非常時は暗渠を破壊し川とする防御策。

テーマ2「河岸段丘の上に造られた天空の城下町」
*沼田城と城下町は利根川、薄根川、片品川に囲まれた河岸段丘の上に築かれた。
 JR沼田駅前(標高約330m)にそびえる「段丘崖」の高さは約80m。沼田は交通の要衝地
*あえて道を斜めに通し、家に角度をつけて武者隠しの空間を設けた。
 攻めてくる敵の勢いを長い坂道で止め、建ち並ぶ寺を武士や武装民で防衛ラインに。
*真田は10km以上も離れた山奥から町まで用水路を開削した。
 白沢用水と川場用水が合流し、城堀川という用水路が町中を流れる。
 川中に石で用水調節地点を設け、水の流れを変え、水を分配する仕掛けを設ける。
*近世にはこの段丘が発展の障壁に⇒市街地南側にゆるやかな土手を造り利根軌道を敷設
 テーマをもとにした探索内容から私が理解したのはこんなところ。
 今回は周辺情報がかなり詳しく盛り込まれているが、要点にはとりあげていない。古地図や現地図、現地景色の写真など、本書を手にすることで、ブラタモリのおもしろさは幾倍にもなると思う。観光ガイド情報もけっこう盛り込まれている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
富士山本宮浅間大社  ホームページ
火山景観-溶岩末端崖   :「地質研究所」
パホイホイ溶岩   :ウィキペディア
アア溶岩      :ウィキペディア
大日本富士山絶頂之図  :「東京大学学術資産等アーカイブズポータル」
富士山真景全図   :「神奈川県立歴史博物館」
八神峰       :ウィキペディア
富士山頂富士「八葉」の歴史  :「富士山豆知識コーナー」
東京駅周辺地下通路  :「旅をおもしろくする観光地図 今八」
東京駅一番街  ホームページ
東京駅構内図・周辺案内図   :「TOKYO STATION CITY」
木挽町広場  :「歌舞伎座」
丸の内熱供給とは   :「丸の内熱供給株式会社」
上田城 上田城跡公園  ホームページ
上田城跡公園   :「上田市」
沼田城跡   :「沼田市観光協会」
沼田城へ   :「さなだんごの旅」

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『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』  角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店

『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  松岡圭祐  講談社文庫

2021-06-11 12:52:46 | レビュー
 文庫のための書き下ろしとして2014年11月に出版された。その後引きつづき、第2巻が同年12月、第3巻が2015年3月、第4巻(最終巻)が同年7月に陸続と書き下ろされている。手許のⅢ、Ⅳには、フジテレビ系で連続ドラマ化されそのドラマ原作本だというPRカバーが付き二重になっている。冒頭の表紙はそのPRカバーを取り外したもの。私はこの連続ドラマは見ていない。このシリーズを読んで、ドラマ化されたのはナルホドと頷ける。ちょっと特異な設定でハードボイルドタッチのストーリーなのだから、そのキャラクターと行動力のビジュアライズでおもしろくならないはずがないだろう。

 第1巻の冒頭は「探偵」の辞書的定義から始まる。「”探偵”を辞書でひけば、明確な定義が見つかる。他人の行動や秘密をひそかに探ること。また、それを職業とする人。」と。ならば、このシリーズのタイトル「探偵の探偵」とはなにか、となる。この冒頭の定義に従えば、探偵を職業とする人物の行動や秘密を探ること、探る立場にならざるを得ない人という意味合いになるだろう。エ~ッ!? それってどういうこと・・・・。まず、このタイトルがアトラクティブといえる。このストーリー、どういう展開になるのか?

 著者は最初に、2007(平成19)年6月に、”探偵業の業務の適正化に関する法律”(俗称、探偵業法)が施行された事実とその意味を説明する。読者に基礎的な情報を提示し、方向づけをした上でストーリーが始まる。この4巻シリーズは異なるステージの事案の結末をそれぞれが迎える形で一区切りがつきながら、そこから新たな糸口が見つかり、最終ステージに向かいステップアップしていく。そして遂にフィナーレを迎える。そんな流れである。

 第1巻は導入編を兼ねている。46歳の須磨康臣は、3年前から株式会社スマ・リサーチという看板を改めて掲げて中規模の会社を経営している。所謂、探偵事務所、興信所である。そして、業務の一環、副業として、汐留駅の近くで「スマPIスクール」と護身術講座を開講している。PIスクールは私的な探偵養成所である。公的な学位の類いとは無関係。その第6期生募集に、紗崎玲奈、18歳が入所を志願してくる。静岡県で偏差値70の進学高校を卒業していた。新体操で国体出場経験がある。須磨は玲奈に、人目をひく玲奈の容姿は探偵に向いていないと言う。さらに、このスクールは2年後の卒業時点で就職の斡旋なども一切しないことも伝える。その上で「なぜ、入学する?」と問いかけた。玲奈は、探偵になりたいわけではない、だが探偵のすべてを知りたいのだと答えた。
 なぜ? 読者も当然疑問を抱く。玲奈のその答えがこのストーリーなのだ。

 第1巻は当然のことながら、玲奈がこの探偵養成所で何をどのように学ぶかのプロセス描写からスタートする。それは読者にとり、探偵稼業のノウハウを知的に理解するという副産物にもなる。その内容は多岐にわたり興味深いし、おもしろい。
 須磨は勿論玲奈が養成所に入学する動機に関心を抱き調べてみた。その上で玲奈に直接把握した事実の羅列の背景について尋ねた。特に玲奈の妹、咲良のことについて。咲良はストーカー行為に遭い続けた後、失踪、遺体が発見される。犯人も焼死体で発見された。玲奈は、犯人の軽自動車内の遺留品から咲良の遺品を確認し引き取ることを、警察から求められた。その時、遺留品にまぎれた一冊のファイルに目を止めた。表紙は調査報告書。これらの経緯を玲奈は須磨に語る。玲奈が養成所に通う原点がそこにあった。

 「探偵業法に違反している業者は、告発するべき」と玲奈は須磨に主張する。探偵の倫理観に刃を突きつける行為に玲奈は生きがいをみいだそうとしているらしいと、須磨は受けとめた。養成所卒業後の玲奈を放り出せない須磨は、会社内に特殊なセクション「対探偵課」を新設する。玲奈はその課所属の探偵となる。探偵の探偵がここに誕生する。
 須磨は、玲奈に助手が必要だと、高校を卒業したばかりの峰森琴葉を中途採用し、相棒に付ける。ここから玲奈と琴葉の同居生活も始まる。この組み合わせがちょっとおもしろさを加えて行く。

 探偵課の桐島颯太が、依頼人である林原彰夫の依頼内容を聞き、玲奈の対探偵課の案件かもしれないと、振ってくる。それが、玲奈の「探偵の探偵」としての仕事になっていく。だがそれは仕組まれた罠だった。最初からおもしろいエピソードが組み込まれて行く。 そのドタバタで入手したものの中に玲奈はある糸口を発見した。阿比留綜合探偵社の名前が浮上してくる。玲奈はこの名称からつながりを辿る。だが、それは玲奈を排除しようとする動きを加速させ、玲奈が窮地に立つ結果に転ずることに。
 このストーリー展開で興味深いのは、玲奈の相棒となった琴葉が少しずつ探偵業に馴染んで行くことである。そして、玲奈の過去を知ることにも。
 日銀総裁の子どもで5歳の梨央ちゃん誘拐事件が公開捜査になった時点で、玲奈にも関わる驚愕の事実が矢吹洋子と名乗る医師から知らされる。咲良の死に関わる犯人についてだった。それが、玲奈に咲良の死の一因となった調査報告書に関しある仮説を抱かせることになる。だが、そこにも新たな罠が仕掛けられていた。
 この第1巻のストーリーの展開において、玲奈の「探偵の探偵」としての能力と位置づけがすこしずつ鮮明にされていく。
 第1ステージは「探偵の探偵」である玲奈が阿比留佳則の執拗な攻撃に対峙し、窮地に陥りながらもそこから脱却するプロセスを描く。このプロセスからして、知力を駆使しながらのかなり荒っぽい行動となっていく。
 
 第2巻も当然ながら、玲奈の悪徳探偵狩りがつづく。その窮極目的は、咲良を殺害したストーカーに調査報告書を与えた探偵を見つけ出すことである。そのための悪徳探偵狩りなのだ。悪徳探偵の発見とその証拠を得るための玲奈の行動がどのように進展するか。このストーリーの副産物はやはり悪徳探偵がどのような手口を駆使するか。玲奈がどのような技術を使って証拠を発見し保全するかという点にある。それと行動中の負傷に対し玲奈が応急処置をどのように手早く行うかもリアルに書き込まれる。それらの描写が興味深い。
 このストーリーの進展を少しご紹介する。
1.北区赤羽西一丁目のマンションを拠点とする36歳の探偵堤暢男のケースの始まり
  堤から情報を入手した変質者檜池康弘に捕らわれている木梶愛莉の救出。
  玲奈は檜池の部屋にあった調査報告書の一つに衝撃的な既視感を持った。
  本人に警察へ通報させ、「わたしのことは忘れて」とささやき玲奈は立ち去る。
  警視庁捜査一課の窪塚警部補が臨場する。誘拐事件で梨央ちゃんを救出した刑事だ。
2.豊橋の警察署に玲奈は咲良の事件の証拠品を閲覧に赴く。DVでの負傷と誤解される。
 あるDVシェルターの場面に転換する。DVシェルター集団失踪事件が発生した。
 玲奈の外見に警察が誤解し、そこから突然の場面転換は読者に疑念・関心を残すことに。
3.窪塚刑事が堤暢男を取り調べる。その後、窪塚はDVシェルターでの事件に向かう。
4.玲奈は既視感のある調査報告書を作成した悪徳探偵を死神と呼び、その調査にかかる。 それが、悪徳探偵堤暢男との再接触、DVシェルター事件関係者と接触する必要へと連鎖していく。窪塚刑事と再び接触することにもなる。
 DV夫の一人の追跡調査をすることから、玲奈は死神のま新しい調査報告書を目にすることに。これが新たな展開への兆しとなるのか・・・・・。
 
 第2巻では玲奈の追跡行動について、こんな記述が出てくる。
「待ち受けるものがなんであれ、探偵がなすべきことはひとつしかない。れっきとした真実のみを掌中にすることだった。現実の探偵は、推理を結論にはしない。」(p173)
 玲奈の行動がどういう展開を見せていくのか。ハードボイルドタッチが濃厚になっていく。第2巻をお楽しみいただきたい。

 第3巻では玲奈の周辺環境が大きく変化する。今までの「探偵の探偵」としての行動結果が警察の目障りになる。刑事事件領域に侵犯し、そこに玲奈が関与していると推測できても、玲奈の仕業という証拠がない。警察は玲奈を常時監視下におき、刑事事件として摘発しようと動き始める。読者にとっては勿論おもしろさが増強される。
 第2巻のエンディング段階で、須磨はある調査報告書-澤柳菜々に関わる-を玲奈に見せた。それは玲奈をさらに一歩、死神に近づける証拠だった。勿論、死神こそ玲奈が「探偵の探偵」としてまさに目指すターゲットなのだ。それがこの第3巻。

 26歳の後藤清美は浅村克久という探偵に婚約者梅宮亮平の浮気調査を依頼した。浅村は浮気調査をネタに後藤清美から調査費を絞れるだけ絞ろうとする悪徳探偵だった。その後藤清美が玲奈に相談電話を掛けてくるという事案から始まる。玲奈が探偵浅村克久の名前を確認したのは、任意同行に応じ警察署の取調室で取り調べを受けている最中だった。正式に玲奈にその仕事を依頼する前に後藤清美は交通事故に遭遇し、搬送された病院で死亡する。玲奈は病院に現れる。だが、それは玲奈を監視・追尾する捜査員たちの追尾を振り切り玲奈が病院を脱出する行動という最初の山場に転じて行く。
 後藤清美からのコンタクトを皮切りに、玲奈は浅村克久をまず追うことになる。玲奈は自称探偵業の橋本耕治と取引し、浅村克久への糸口を得る。浅村の追跡という展開は、ひとつの支流となるストーリーだった。しかし、そこで玲奈が使うあるトリックが後に死神にコピー活用されるというリンクがあって、結果的に振り返るとおもしろさが加わる。

 警察が玲奈の行動を常時監視体制下に置く。一方、スマ・リサーチが加入する調査業協会は須磨社長に対し対探偵課の廃止を迫るが、須磨は断固拒絶する。それに対し、竹内調査事務所の竹内社長は、各社が対探偵課を設置し玲奈の行動を監視することを通じ、逆に業界が悪徳探偵問題に取り組むという提案をする。調査業協会のこの動きが玲奈にとって一層の足枷になるのかどうか。玲奈の周辺状況が慌ただしくなっていく。
 逆に、死神(澤柳菜々)が玲奈をターゲットにして仕掛けてくる。DVシェルター事件で集団失踪した被害者の一人市村凜がスマ・リサーチに駆け込んでくるという場面展開になる。DV夫の沼園賢治が刃物を片手に追いかけてくる。スマ・リサーチの入居する建物の傍には、勿論警察の監視捜査員が張り付いている。
 沼園に探偵が提出した最新の調査報告には澤柳菜々と明示されていた。明らかに玲奈への挑戦である。誰にも頼れない玲奈は市村凜と琴葉を伴い、都内に隠れ家を設定する。玲奈は澤柳菜々をおびき寄せる策を仕掛けるが、窮地に陥る。その一方、琴葉が姉からのメールを契機に意外な進展で罠にはまっていく。
 この第3巻は、澤柳菜々と玲奈が対決する展開へと進む。
 だが、その対決への過程で意外な事実が明らかに。重要などんでん返しが仕組まれていた。緊迫した最終ステージはまさにハードボイルドである。
 死神との対決が新たな追跡目標を生むことになる。探偵業の様々な裏テクニックがここでも織り込まれていて、おもしろい。

 この第3巻から興味深い記述をご紹介しよう。
「警察発表は企業のマスコミ向け告知と変わらない。みずから都合のいい文法に終始する。」(p83-84) 「警察が法を順守するなど建て前にすぎない。」(p94)
これらの意味の具体的説明が続くが、それは該当ページをお読みいただきたい。
 また、須磨は玲奈に黒人テニス選手アーサー・アッシュの言葉をつぶやいた。
「いまいる場所から始めよ。持っているものを使え。できることをしろ。」(p104)

 第4巻は思わぬ状況からストーリーが始まる。玲奈はスマ・リサーチから竹内捜査事務所の対探偵課に移籍した。そこで玲奈は盗聴機器関連の悪徳業者シーカの調査に加わっていたが、追跡に失敗し逆に罠にはめられかけた。大騒動を引き起こしつつ、からくも窮地を脱出する。冒頭からこれまたハードボイルドタッチの展開となる。
 そこから、東京拘置所内の独房で殺人事件が2件発生する場面に一転する。
 東京拘置所に拘置されている少年A(境加図雄)が背中を刺されて死亡。彼は河川敷で37歳の主婦を殺し、白昼堂々と屍姦した。さらに殴打され失神している15歳の娘を強姦し財布を奪って逃走したのだ。対岸に目撃者がいた。少年Aが死亡する前に、峰森琴葉が拘置所に侵入していたという画像が監視録画になぜか記録されていた。琴葉が容疑者とみなされることに。
 一方、マスコミの名物リポーター逢坂結翔は玲奈が拘置所に侵入したと推測して玲奈を追跡する行動に出る。
 思わぬ形のストーリー展開が読者を戸惑わせる。
 一方で、死神と玲奈が対決した事件の後、須磨は死神の背後に存在する姥妙悠児をどのように探索するかを桐嶋と相談していた。この時点で、スマ・リサーチを離れている玲奈は姥妙の存在を知らなかった。
 桐嶋から玲奈にラインでコンタクトがあった。玲奈は拘置所内での琴葉の画像記録とその後の琴葉の失踪を知る。さらに姥妙悠児という名を。その名を知った直後に、東京拘置所内での3人目の予告殺人事件の報道が流れる。被告人入江要人は秩父市で女子高生を絞殺し土中に埋め、死体遺棄した容疑者だった。
 玲奈が竹内探偵事務所の設置している隠れ家の一つに身を潜めている時に、坂東刑事を筆頭に警察官が部屋に突入してきた。その夜、拘置所での4人目の殺人予告どおりに、被告栗田洋大が死んだ。琴葉がますます容疑者と見做されることになっていく。
 遂に玲奈が覚醒する。ストーリーがどう展開して行くのか・・・・読者としては引き寄せられて行く。
 このファイナル・ステージも一筋縄ではいかないひねりが加えられている、その意外性が読ませどころとなっていく。玲奈は琴葉を救出し、姥妙と1対1の対決をすることになる。玲奈がどのようにして姥妙から証拠を引き出し、それを保全するかも興味深いところとなる。
 
 この第4巻でも、玲奈が覚醒する動因となるトリガーを須磨が玲奈に語る。
「ちがう。親や兄弟姉妹との絆こそ、のちに他人と結びつくための事前演習なんだ」(p14)

 紗崎玲奈は終始不屈のスーパー・ヒロイン! 実務的に裏付けのある探偵業の裏技やIT技術の舞台裏技術をふんだんに織り交ぜてられていく。それらはたぶん物理科学的な知識・事実の裏付けがあることだろう。警察組織の体質もかなりアイロニカルな描写で織り込まれていく。これらがストーリーの進展にリアル感を醸し出す。読者はこのフィクション世界を大いに楽しめる。
 最後に、玲奈がスマ・リサーチに復職し、心機一転、対探偵課としての小さな仕事をさっさと片付ける場面でエンディングとしているのもおもしろい。

 文庫本Ⅳの末尾に、「『探偵の探偵』新章にご期待ください」の一行に気づいた。
 新たなストーリーの展開を期待したい。

 ご一読ありがとうございます。

 本書に関連して、関心事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
探偵業の業務の適正化に関する法律等の概要  :「警視庁」
探偵業の業務の適正化に関する法律   :「eーGOV 法令検索」
CGIってなあに? :「vaio's HomePage」
CGIファイル拡張子  :「file extention」
JPRS WHOIS  :「JPRS」
ドクター・マーチン 公式サイト
東京拘置所 完全ガイド  ホームページ
刑事施設視察委員会の活動状況   :「法務省」
警視庁留置施設視察委員会   :「警視庁」
アーサー・アッシュ  :ウィキペディア
アーサー・アッシュの名言  :「偉人たちの名言集」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点


松岡圭祐の作品 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点

2021-06-11 12:44:01 | レビュー
これまでに読み継いできた作品のリストをVer.2 として更新します。  総計32冊
こちらもお読みいただけるとうれしいです。

☆水鏡推理シリーズ 
『水鏡推理』  講談社
『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  講談社
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社
『アノマリー 水鏡推理』 講談社
『水鏡推理Ⅴ ニュークリアフュージョン』  講談社文庫
『水鏡推理Ⅵ クロノスタシス』  講談社文庫

☆特等添乗員αシリーズ
『特等添乗員αの難事件 Ⅰ』  角川文庫
『特等添乗員αの難事件 Ⅱ』  角川文庫
『特等添乗員αの難事件 Ⅲ』  角川文庫
『特等添乗員αの難事件 Ⅳ』  角川文庫
『特等添乗員αの難事件 Ⅴ』  角川文庫

=万能鑑定士Qシリーズ=
『万能鑑定士Qの攻略本』 角川文庫編集部/編 松岡圭祐事務所/監修

『万能鑑定士Qの探偵譚』  角川文庫
『万能鑑定士Qの謎解き』  角川文庫

☆短編集シリーズ
『万能鑑定士Qの短編集 Ⅰ』  角川文庫
『万能鑑定士Qの短編集 Ⅱ』 角川文庫

☆推理劇シリーズ
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅰ』  角川文庫
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅱ』  角川文庫
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅲ』  角川文庫
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅳ』  角川文庫

☆事件簿シリーズ  
『万能鑑定士Q』(単行本) ← 文庫本ではⅠとⅡに分冊された。
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅲ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅳ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅴ』  講談社文庫 
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅵ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅶ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅷ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅸ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅹ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅠ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅡ』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの最終巻  ムンクの<叫び>』   講談社文庫