遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『新撰組顛末記』  永倉新八  新人物文庫

2021-07-30 17:21:55 | レビュー
 永倉新八は、天保10年4月11日、江戸・下谷三味線堀にある福山藩主松前屋敷の長屋で代々江戸定府取次役である永倉勘次の子として生まれた。18歳で真刀(神道)無念流の本目録を授けられる。藩邸を抜け、本所の道場(百合本塾)に住み込み剣道に明け暮れる。25歳で隣国への武者修業を試みる。その後、小石川に道場を構える近藤勇と交わりを結び、門人扱いから客分に据えられるようになる。
 清川(河)八郎が建言し、幕府が募集した「浪士隊」に近藤勇が応募し、京に向かうと告げた時、沖田総司、山南敬助、土方歳三らとともに永倉新八も賛同し、京に上る。京で清川の策謀が明らかになると、芹沢鴨、近藤勇を筆頭に計13人が壬生村に残留する。永倉新八はその一人となった。つまり、新撰組主唱者の一人であり、ここに新撰組二番組長(副長助勤)永倉新八が誕生する。

 文庫本表紙に「新選組で唯一の生き残り」というアピール度の高いフレーズが踊る。
 裏表紙に「新選組ただ一人の語り部」と題した文が載る、その中に「新選組随一の遣い手として幾多の戦闘に加わり、十三人の大幹部のうち、ただ一人生き残った。」と記す。この文を併せて読めば、唯一の生き残りという表現が間違いとは言えなくなる。
 事実、新選組の生き残りと表現すれば、明治以降生き延びた人々が居る。少なくとも、新選組三番組長だった斎藤一は藤田五郎と改名し、警視庁に勤め退職後は東京高等師範学校に奉職したことが知られている(菊地明著『斎藤一の生涯』新人物文庫)。また、隊士だった池田七三郎(本名稗田 利八)は、「昭和4年(1929年)、子母沢寛の取材を受け、回顧録『新選組聞書(稗田利八翁思出話)』(ウィキペディアより)を口述した」という。
 永倉新八と新選組について、史実レベルでその時期、渦中にいた人物の立場からその顛末を知ることができるというのは、今後小説を含め新選組関連本を読む上で、一つの参照資料あるいは基準になる。

 末尾の「解説」に記された一文を引用しよう。大正2年(1913)永倉新八75歳のとき、「小樽新聞社会部記者の加藤眠柳と吉島力の取材を受けて、その信念を語りつくす連載『永倉新八-昔は近藤勇の友達 今は小樽に楽隠居』が始まった。」(p253)
 つまり、永倉新八が語り部となり、連載記事がまとめられたのだろう。本書では、永倉あるいは永倉新八という名前で、他の人々と同等の表記で客観的に記述されている。文中各所に永倉の考え、見方が書き加えられている。永倉は幕末という時代の一証言者となる。
 この連載を終えた1年半後、永倉新八(=杉村義衛)は大正4年1月5日に病死したという。
 
 この新聞連載が本書の原典であり、永倉新八13回忌となる昭和2年(1927)に一部改訂し私家版『新撰組顛末記』が出版され、後に新人物往来社版『新撰組顛末記』の出版となった。そして、2009年5月に文庫化された。

 本書は「浪士組上洛」「新撰組結成」「池田屋襲撃」「禁門の変」「高台寺党粛清」「鳥羽伏見の激戦」「近藤勇の最後」「会津転戦」という章立てになっている。
 冒頭で少し触れたが、永倉新八の生誕から新撰組の大幹部の一人になるまでの経緯が最初に語られる。その後は新撰組幹部の立場での視点とともに、永倉新八が直接に行動として関わった諸事実が、具体的に語り継がれて行く。
 新選組史としては抜けることのない事件、たとえば、芹沢鴨らによる「大和屋」焼討ち事件や坂本龍馬暗殺事件などは本書で言及されていない。永倉新八は関与していなかったということなのだろう。
 
 大坂での大坂力士との大げんか、池田屋襲撃などは、永倉自身が渦中にいて剣を抜き戦っているだけに、実戦的でリアルな描写は迫力がある。
 他の本で、土方歳三のスタンスは常に近藤勇を立て、近藤勇の信念に寄り添う形で、近藤をサポートする立場をとり続けたということを知った。それに対し、永倉新八は近藤勇のわがまま増長に対しては、会津侯に建白書をだす行動をとったという(p133)。近藤勇とは一歩客観的に距離を置いている側面があったことを本書で知り、興味深かった。
 「近藤勇の最後」の章に、近藤勇の居る和泉橋医学所に、会津に投ずるつもりの永倉らは面会に行ったという場面が書き込まれている。永倉らの決意、決議を説明して近藤の賛同を得ようとしたときの状況である。
近藤「拙者はさようなわたくしの決議には加盟いたさぬ。ただし拙者の家臣になって働くというならば同意もいたそう」 (永倉らの決議を近藤はキッパリと断った。)
永倉「二君につかえざるが武士の本懐でござる。これまで同盟こそすれ、いまだおてまえの家来にはあいなりもうさぬ」(近藤に厚誼の礼を述べ、原田、矢田らとともに立ち去る) p206-207
 ここに京都での新選組における永倉新八のスタンスが明確に現れているように思う。この両者の価値観の違いが、訣別の因になるようだ。
 近藤が大久保大和の変名を使い流山に行き同志を糾合するのはこの後である。

 本書の各所に、新選組の実態・状況と永倉新八を知るうえでの興味深い記述が出てくる。

 「解説」には、「新選組の記憶を丹念に掘り起こし、体験を書き綴ったり、略図など絵解きして、毎日のように訪れる記者たちに熱っぽく語りつづけた。」と記されている、一方、「遺稿は前年某に貸与せるまま行方不明となり甚だ遺憾」(p235)とも記されている。永倉新八自筆の文や略図がどこかにあるなら、見てみたい気がする。
 本書末尾に、「同志連名記-杉村義衛遺稿」が収録されている。永倉新八はこれだけの人名を記憶していたのだろうか。それとも、これをまとめるための資料を手許に集めていたのだろうか。いずれにしても、これ自体が研究材料になる資料といえる。因みに、この人名リストには、池田七三郎という名は載っていない。池田小太郎という名は載っている。
 歴史的研究という視点では、本書自体の内容をさらに客観的に分析して史実を考究することが求められると思うが、貴重な資料であることは間違いないだろう。一読の価値はあると思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
永倉新八    :ウィキペディア
[永倉新八]新撰組最後の二番組長!小樽での晩年の逸話がすごかった :「レキシル」
剣術師範として赴任した永倉新八  :「月形町」
斎藤一     :ウィキペディア
斎藤一は謎多き新選組・最強剣士 72年の生涯まとめ!その魂は会津に眠る
池田七三郎   :ウィキペディア
永倉新八生誕祭 IN 小樽 がむしん祭  :「Fanbeats」

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新選組に関連する本を読み継ぎ始めました。
次の本についての読後印象記もお読みいただけるとうれしいです。
= 小説 =
『新選組血風録』  司馬遼太郎  中公文庫
『ヒトごろし』  京極夏彦   新潮社
= エッセイ、実録、研究書など =
『新選組、京をゆく』  文:木村幸比古 写真:三村博史  淡交社
『「新選組」土方歳三を歩く』 蔵田敏明著 芦澤武仁写真 山と渓谷社


『人間の檻 獄医立花登手控え4』  藤沢周平  講談社文庫

2021-07-29 21:13:01 | レビュー
 獄医立花登シリーズの第4弾でありこれをもって完結となる。「小説現代」(昭和57年4月号~昭和58年2月号)に各短編が順次掲載された後、1985(昭和60)年11月に文庫化されている。
 小伝馬町牢獄の獄医を務める立花登が、日々囚人の治療に当たる中で囚人から見聞したこと、また囚人に差し入れに来る人々とのひとときの対話などからふと感じたことが、登の心にひっかかり、そこから事件のとらえ直しが始まって行く。このシリーズでおもしろいのは、登が住む町に近いところに住む人々に事件との関わりができたり、また囚人になって小伝馬町牢獄に入ってきたりすることである。登は囚人を介して、関わりをもった事件の真相解明を行うとともに、江戸庶民・世間の人間模様を掘り起こしていく。一方、登と叔父玄庵一家との関わり方が深まりっていく姿を底流に織り込んでいくところが興味深い。

 この第4弾には短編6つが収録されている。それぞれの短編は一つの事件・事案を扱っているが、その底流には一貫して登と叔父一家との関わりの深まりが描き込まれていく。各編を簡単にご紹介しよう。

<戻って来た罪>
 登は叔父玄庵から天王町に住む下駄職人彦蔵の代診を頼まれる。腫物ができていて、玄庵の調合する薬を飲むしか手がない病人である。瀕死の病人彦蔵を診た登は、彦蔵から思わぬ告白を聞く。30年ほど前に2人の子供をさらう片棒をかつぎ、二人の子供を殺したという。直接手を下したのは相棒の磯六だったと。
 登は磯六を野放しにはできないと考え、岡っ引の藤吉に彦蔵の告白のウラをとってもらうことから始める。藤吉は過去の人さらい事件の洗い出しから始めて行く。
 心の重荷を告白したからだろうか、彦蔵は亡くなってしまった。だが、彦蔵の告白は活かされる。一つの情報が、どのように過去を手繰り寄せていき、現在につながるかというストーリーになっている。
 底流のストーリー:おちえはお針に身をいれるようになり、ちえの友達みきに嫁入り話が決まる。

<見張り>
 癰(よう)を病む若い囚人の作次が登に告げた。つい先に牢を出た二人が押し込みの相談をしているのを聞いたと。浅草三間町の真綿問屋三好屋を狙っているという。その二人はとりぞうという男に誘いをかけることも話していたと。しかし、牢を出た二人の名は牢仲間の仁義だと明かさなかった。とりぞうの住む場所は元鳥越町のどこかと言っていたという。この話を真に受けとめられるのか。登はそこから考え始める。
 登には、元鳥越町のとりぞう、と作次が語ったところから、元鳥越町の裏店に住む傘張り職人酉蔵、叔父玄庵の患者の一人を思い浮かべた。平塚同心に確かめ、牢を出た二人の素性はすぐわかった。登は酉蔵が働く傘屋に出向き、酉蔵が二人の名前を知っているかと尋ねる。蔵吉の方を知っているという。登は藤吉に相談をもちかける。
 作次の話から、事件の計画の信憑性の判断、酉蔵が巻き込まれるのを未然に防止することを含めてその対処が始まって行く。岡っ引の藤吉は動かぬ証拠を押さえたい。事件性の探索、事件当夜の逮捕への準備という展開が読ませどころである。

<待ち伏せ>
 ここ二月ほど牢から放免された連中ばかりがなぜか待ち伏せされ狙われる。3人が殺されかけたのだ。だが、その3人の間には調べても何のつながりも見出せない。登はその3人中、三吉については背中の腫物の治療をしてやっていた。奉行所から島津忠治郎という同心が牢屋に調べに来たという。島津は、岡っ引藤吉が手札をもらっている同心でもあった。
 次にご赦免になるのは馬六だと平塚同心は言う。隣町茅町に住む馬六は叔父の患者でもあり、登は顔見知りだった。平塚から登は馬六の治療をする際に牢内の様子を探ってほしいと頼まれる。
 馬六が出牢して5日は無事に過ぎたが、浅い手傷を負う羽目になる。用心のために付いていた直蔵が少し油断した隙だった。馬六が登と一緒の折に再度狙われる事態が起こる。
 それで逆に、登には筋が読めてきた。
 キーワードはカモフラージュ。ちょっとトリッキーな筋立てでおもしろい。馬六が出てくることで、身近な話に引き寄せられていく。
 底流のストーリー:叔父玄庵が急に倒れるという事態が起きる。

<影の男>
 若い囚人の白い肌の湿疹を登は治療をしてやった。喜八と称するこの男は、登に甚助は無実だと告げた。障りがあるので理由は言えないが確かだという。甚助は奉公先の太物屋から大金を盗んだ罪で入牢していた。甚助の治療をした後、登は無実かと問う。その時の甚助の反応を見て、登は逆に甚助の事件に関心を向け始めた。藤吉が手掛けた事件でもあった。
 登は藤吉の協力を得て調べ始める。甚助は巧みに仕組まれた罠に陥っていた可能性が高くなり始める。そして意外な事実が明らかになって行く。
 「策士、策に溺れる」という。このストーリーの発想はそこにある。「影の男」というタイトルが活きてくる。                        
 底流のストーリー:おちえは登に昨夜両親が話し合っていたことを告げる。牢屋勤めをやめさせて蘭方の医学修業に出そうかという話だったという。

<女の部屋>
 蔵前の森田町にある畳表問屋大黒屋の女房おむらは30を過ぎたばかりで女盛りを迎えている。亭主吉兵衛は十以上も齢が離れている。3年前に腎を患い寝たきりで、叔父玄庵がかかりつけ医者になっている。女心の内奥は計り知れない・・・・・そんなストーリー。
 夏の終わりごろの暑い夜に、大黒屋の手代新助が、商用で来ていた同業の槌屋彦三郎の首を絞めて殺した。新助はおむらにつきそわれて自身番に自首し、裁きを受けた。新助の申し立ては、おむらの証言で裏書きされた。小伝馬町の牢獄に入牢中であり、八丈島送りが決まっている。
 おむらが入牢中の新助に自ら届け物を持ってきて、門から外に出て来たところで登は出会った。少しの立ち話の際に、登は「槌屋彦三郎という男だが・・・・以前からおかみに怪しいそぶりをみせていたのかね?」と何気なく聞いた。おむらは、登の方がおどろいたほどびっくりした顔をした。この時の印象が登の思考の起点になっていく。
 その後、登は叔父の代りに、大黒屋の娘が風邪を引いたということで往診に行く。娘おみよの診察をした後、主人吉兵衛の診察に部屋に向かうが、部屋の前で夫婦の思わぬ会話を聞いてしまう。そして、それは登に疑問を抱かせることに。
 なかなか興味深い筋立て。人それぞれの虚実を交えた心情と行動が織り上げられていく。
 底流のストーリー:玄庵は登に大坂にいる蘭方医都築良斎の許に2年修業に行けと言う。

<別れ行く季節>
 2月も半ばを過ぎた頃、登は腹が痛いという囚人兼吉の診察をしていた。齢は27,8の優男。彼は登の顔を見るために仮病を言い立てたのだ。なぜか? 明日牢を出る。その後は登を狙う。併せて伊勢蔵の情婦だったおあきも生かしちゃおかない。自分は黒雲の銀次の縁に繋がる者だと、登に宣戦布告したのだ。
 登自身もさることながら、おあきもターゲットになっている点をまず何とかしなければと登は思う。平塚同心からまず兼吉の素性を確認する。藤吉の協力を求めることになる。だが、藤吉に伝える前に早くも登は狙われる。
 大坂への医学修業が決まったという時期に、危機的事態が現出した。登はおあきを助ける一方、己を守り、かつ兼吉をどう取り押さえられるのか・・・・。
 最後の最後に、おもしろい展開となる。一件落着のプロセスを楽しめる。
 底流のストーリー:明後日に上方に出立という状況を描く。終わり方がいい。お楽しみに。

 獄医という立場に身を置きつつ、囚人たちが引き起こした様々な事件の見直しに関わって行く。立花登の青春譚と言える。真実と人の心を大事にする登のスタンスが反映し、どの短編も人情のほのぼのとした余韻が残るエンディングである。そこに著者の視座があるのだろう。
 このシリーズは著者の最晩年に執筆・刊行された。2年間の医学修業を終えて、蘭方医となった立花登の活躍するストーリーを読みたいところだが・・・・・・。著者はそんな続編を構想として抱いていたのだろうか。

 ご一読ありがとうございます。
 
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『愛憎の檻 獄医立花登手控え3』 講談社文庫
『風雪の檻 獄医立花登手控え2』  講談社文庫
『春秋の檻 獄医立花登手控え1』  講談社文庫


『私の大和路 秋冬紀行』  入江泰吉  小学館文庫

2021-07-18 10:40:36 | レビュー
 入江泰吉は、奈良・大和路をこよなく愛し、心の原風景として大和路の写真をとり続けた写真家である。末尾に載る「入江泰吉年譜」によれば、1905(明治38)年11月5日に生まれ、1992(平成4)年1月16日に逝去。享年86歳。
 本書は、小学館文庫ビジュアルシリーズとして2002年11月に初版第1刷が出版された。
 手許の本の奥書を見ると、2010年1月第2刷となっている。現在、電子書籍化されている。

 ある時奈良での史跡探訪に参加し、「入江泰吉記念奈良市写真美術館」の傍の道を通り過ぎることがあった。写真家の名前は知っていたが、作品集を手にしたことがなかった。この時の探訪で立ち寄る予定には入っていなかった。ちょっと残念な思いで建物を眺めつつ通りすぎた。そんなことから、手頃なこの文庫本を見つけたとき購入し、写真を少し眺めて、改めて・・・のつもりが少し長く書架に眠っていた。
 私にとって今が読み時だったのだろう。

 コロナ禍の中で今あらためて掲載写真を眺め、幾度も史跡探訪をしてきた大和路とは一味違う風景を感じている。こんな位置、視点から大和路の風景を眺めたことがないと。そういう意味ですごく新鮮だった。飛鳥・奈良時代の歴史を育んだ大和路の風景に触れるという感じである。現代というノイズ(夾雑物)が混在しない実際の風景の美しさ、はかなさがそこに存在する。シャッターの切られた瞬間の風景が心の原風景と重ねられ凝縮され、そこに固定している。仮に今同じ地点に佇んだとしても、同一の景色はたぶん見られないのではないか。まさにタイムスリップした風景と言えるかもしれない。
 本文は著者の様々な著作より抜粋されたエッセイが掲載写真に対応する形で載っている。その中にはかつて撮った風景写真の場所からの眺めの変化について触れら箇所がある。
 本文を読めば、著者がなぜ大和路を取り続けてきたのかを理解できる。

 眺め、読み終えて、末尾を見ると、この本のプロフィールが簡潔に記されていた。
「本書は、入江泰吉が1950年ごろ~86年に撮影した写真と、1958~88年に発表したエッセイにより構成した文庫オリジナルです」と。改めて目次をみるとその末尾にも触れてあった。

 大阪で写真材料店を開く一方、写真研究会を結成して活動していた著者は、40歳の時、戦災(空襲)で自宅兼写真店を焼失。失意とともに奈良に戻る。亀井勝一郎著『大和古寺風物誌』に感動したことが転機となったそうだ。1949年に奈良市内に自宅を構える。つまり、その後にとり続けられた写真から「秋冬紀行」として抽出されたのが本書である。未見なのだが、「春夏紀行」も出版されている。
 1952(昭和27)年、著者は「東大寺大仏開眼1200年法要を撮影」した。その時の1枚のモノクロ写真(p83)が「回想の大和路」という章の中、「大和路と私」と題したエッセイ(p82~85)の間に載っている。

 本書の構成は、「秋色大和」「回想の大和路」「仏像礼讃」「大和路冬景」の4章がメインとなる。「仏像礼讃」と「大和路冬景」の間に、「”あいまいさ”の美学」(p133~139)と題する写真評論家・重森弘淹氏の評論が載っている。『入江泰吉写真全集5 春秋大和路』に掲載された一文のようだ。
 この文中に、「むしろ氏の作風は、”入江調”と呼ばれる独特の空気感の描写」というフレーズが出てくる。「独特の空気感」、掲載写真を眺めていると、なるほど!である。「”あいまいさ”の美学」として論じられているところを、私はまだ十分に咀嚼できていない。本書を開け、写真を眺め、この評論をお読みいただきたい。
 メインの章の最後に、「撮影前の長い助走 入江泰吉のノートより」という7ページの文が小西治美氏によりまとめられている。大和路をとり続けた入江泰吉のバックグラウンドでの努力が垣間見える解説文である。まず己の大和路心象風景を形成するために多大の努力を積み重ねた写真家だったのだ。その努力が結果としてエッセイにも表出されているように感じた。

 最後に、「気配を撮る」というエッセイに記された次の箇所をご紹介しておきたい。
 「しかし、大和路の場合は、それほど風光明媚な景観とはいいがたい。・・・・・
  大和の場合、意味をなすのは、この心象的な風景である。大和路は、ご承知のように有史以来の神々の時代を経て、仏教文化という画期的な文化とともに栄えた都市文化の発祥地という歴史があり、文化があり、さらにその時代を生きた人びとの息吹が宿っている。だからそこにかもしだされる気配、あるいは余情というものには、おのずと大和路特有のものが生まれてくるわけである。
  しかし、これも心象的なものであるから、写真という科学的な媒体を介して心象を表現するのは不可能に近い。
  だが、その不可能に近いことを、あえて可能にできないだろうか、と模索しつづけてきたことが、私自身の風景写真の歴史なのである。」(p54-55)

 写真家入江泰吉の世界を感じる手始めの一冊として手軽で、有益な本だと思う。
 次は、入江泰吉記念奈良市写真美術館に一度出かけてみようかと思っている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、少し検索してみた。一覧にしておきたい。
写真家プロフィール 入江泰吉  :「FUJIFILM SQUARE」
入江泰吉  :ウィキペディア
入江泰吉記念奈良市写真美術館 ホームページ

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『天空の蜂』  東野圭吾  講談社文庫

2021-07-16 21:19:55 | レビュー
 錦重工業航空機事業本部が管理する第三格納庫に超大型特殊ヘリコプターが格納されている。防衛庁関係者の前で、ヘリコプターに不備がないことをチェックしてもらう領収飛行(=初飛行)の儀式が行われる当日の早朝、事件が起こる。ヘリコプターが何者かにより、それも遠隔操作で盗み出される。そして、その大型ヘリコプターは、予め何者かにプログラミングされた指示通りに自動航行により、敦賀半島北部の灰木に所在する高速増殖原型炉『新陽』発電所上空に午後8時30分ごろに到る。そして、ドーム形原子炉建物の上空にホバリングした。
 午後8時40分、「天空の蜂」と称する者が、ワープロで作成された通告文を関係各所にファックス送信してきた。それは、関係者各位宛に、「我々は自衛隊ヘリ『ビッグB』を奪った。」という一文から始まる。そして、「新陽」の稼働は停止させず、全国の現在稼働中、停止中の原発すべてを使用不能にせよと要求する。要求が通らなければ、大型ヘリを墜落させると警告する。ヘリには大量の爆発物が積まれていること。ヘリは領収飛行を控え、補助タンクもすべて満タンにしてあった。「我々の計算では、午後二時頃まで飛行が可能なはずである」と記していた。「新陽」発電所を中心に、まさに驚愕クライシスが発生した。このテロ状況にどのように対処できるのか。時間は刻々と過ぎていく。タイムリミットに向けたサスペンスが始まっていく。
 
 この小説、1995年11月に単行本として出版され、1997年11月にノベルスとして刊行された後、1998年11月に文庫化された。2015年に新装版が出ている。
 また、ウィキペディアによれば1996年に第17回吉川英治文学新人賞候補になったという。

 この小説は、原子力発電所及び関連施設の上空は飛行禁止区域であるという法規制に着目した。この規制により、航空機が飛ばないことになっているから、墜落すること自体が発生しない。航空機が落ちてくるという想定が原子力行政の基本的考え方にはない。それを逆手にとった着想が出発点である。この発想、荒唐無稽と笑えようか。現在の科学技術を前提にすると、リアル感に満ちてくるではないか。それがまず第一印象だ。
 日本国外から、原子力発電所をターゲットに航空機あるいはミサイル飛来するとしよう。領空侵犯をする行為であるから、境界を超える前に事態が察知されるはずだ。それに対する対応措置力が現在どこまであるかの問題はあるが、まずそこが一つの防御障壁になる。だが、国内における大型ヘリコプターの飛行という想定には事前対処が難しいだろう。アメリカで発生したあの9.11を連想する。誰も想定していなかった飛行コースではないか。そういう意味で、この小説は、我々の意識、認識における盲点に対する一つのシュミレーションにもなっている気がする。

 このストーリーの構成で興味深い点がいくつかある。
1.用意周到なテロリストの計画遂行に思わぬハプニングの要素が加わる点。
 領収飛行の儀式に、この「Bシステムプロジェクト」推進の中心となった技術者たちが会社の慣例にのっとり、家族を領収飛行の見学者として同行した。技術者の湯原一彰と山下はそれぞれ妻と息子を同行させた。儀式までの待ち時間に、退屈しかつ好奇心の旺盛な小学生の湯原高彦と山下恵太は第三格納庫まで近づき、内部に入れそうなので潜り込んでみる。領収飛行まで駐機されている超大型特殊ヘリコプターの機内に入ることもできた。
 高彦が先に機内から出る。恵太が少し遅れた。そこでちょっといたずら心を起こす。そのとき、この大型ヘリコプターの3つのタービンエンジンが始動し始めたのだ。
 つまり、山下恵太は大型ヘリコプターにひとり残された状態で、「新陽」発電所の上空に運ばれる。「山下恵太」救出対策が、サブストーリーとして織り込まれていく。これがどのような展開となるか・・・・。

2.操縦者が乗っていない大型ヘリコプターが格納庫から自ら出て、飛び去ったことに対し、湯原は推測する。「AFCS(自動航行制御システム)」に何者かが事前に細工をしたのではないかと。高度な知識を持つ人間が犯行に関与していることになる。
 「男」が第三格納庫から500m近く離れた小高い丘の中腹に居て、そこから遠隔操作により格納庫から大型ヘリコプターを引き出し、離陸させた。そして「相棒」に離陸成功を連絡する。この「男」の仕事はここまでだった。読者にはストーリーの流れとして、テロリストはこの男と「相棒」の少なくとも2人といるとわかる。このテロリストの正体が、どのように解明されていくか。
 大型ヘリコプターの性能と特徴を熟知する湯川と山下は、「新陽」発電所に、事態解決への協力に赴く。彼等に何ができるのか。

3.テロリストの人物割り出し捜査がどのように進むか。
 勿論メイン・ストーリーはこの驚愕のクライシスを打開するためにテロリストを如何に早く逮捕するか。そのプロセスと捜査力にかかっている。
 一つは、その状況分析から「Bシステムプロジェクト」の内部関係者にテロリストが含まれている可能性の捜査となる。錦重工業の所在地は愛知県。愛知県警捜査一課特捜班の高坂警部が中心となり、会社関係者への捜査を進める。このプロジェクトに関わる防衛庁側の関係者は防衛庁内の捜査に任される。
 一方、「新陽」発電所のある福井県の県警は、反原発運動活動家や関係者を中心に聞き込み捜査が分担されて広がっていく。室伏と関根という刑事のコンビが登場してくる。
 それぞれの捜査がどのように進み、相互にどのような繋がりが見えてくるのか。それとも混迷が深まるだけなのか。
 地道な捜査の積み重ねのプロセスが読ませどころの一つになっていく。

4.テロリストから通告を突きつけられた政府の対応はどうか。「新陽」発電所を操業している中塚所長以下は大型ヘリコプター墜落を想定した対応策を模索する。「新陽」発電所を組織下に置く炉燃本社の対応は如何なるものか。複数の原子力発電所を受け入れてきた福井県の知事以下行政側はどう対応するのか。驚愕的なクライシスの状況の一端を報道で知らされた一般市民はどのような個別対応を繰り広げるのか。
 いわば三者三様ともいえるそれぞれの思惑が絡んだ対応の違いが描き込まれていく。ここにもまたリアルなシミュレーションが描き出されていると言える。

5.当然ながら、「新陽」発電所の原子炉建屋の構造強度並びに高速増殖炉のメカニズムが大型ヘリコプターの墜落にどれだけ耐えられるのか。どこかに脆弱箇所があるのかどうか。科学的事実の問題が俎上に上ってくる。つまり、この側面は中塚所長たちの対応策に大きく関わってくる。つまり技術的な説明描写が数多く出てくる。これを抜きにしてこのストーリーは成り立たない。
 このストーリー自身の基盤でもある高速増殖炉とは何か。その安全性は?という科学技術的側面が、読者にとっては副産物の情報となる。かつ、原子力発電産業並びに電力問題を考える材料になる。
 少なくとも、高速増殖炉のメカニズムについて無知ではなくなることに。

6.このストーリーのおもしろさは、上記の第2項に記した「相棒」の素性がストーリーの途中で読者には明らかになることである。本名を三島という。三島は携帯電話にかかってきた上司の指示を受け入れる。己の計画を一部修正する。そして「新陽」発電所に赴き、発電所内で防御対策をする一員に加わる。読者を唖然とさせる状況に進展する。発電所の所長、湯川、山下、その他関係者は誰も三島がテロリストとは思いもしない状況が最後の瞬間まで続く。
 一方、三島は発電所内に居て、己の計画を遂行していく。どのように? そこもまた、読ませどころになる。
 三島がなぜテロリストになったのか。それもサブストーリーとして織り込まれていく。
 雲をつかむようなところから始まった捜査活動が重要な事実を突き止める。それが燃料切れによる大型ヘリコプターの墜落というタイムリミットに対して、重要な寄与を果たしていくことになる。山下恵太救出作戦に関わった自衛隊の救助隊員もまた、湯川、山下に重要な情報をもたらすことに。そして、最後のチャンスへの賭が始まる。
 600ページ余に及ぶ長編ストーリー。最後まで読者を惹きつけていく。

 余談だが、原子力発電所に対するテロ行為を扱った小説は少なくとももう一冊ある。
 2014年1月に読んだのだが、高嶋哲夫著『原発クライシス』(集英社文庫)という小説だ。こちらは北陸の日本海に面する竜神崎に続く海岸のほぼ中央に位置する新日本原子力発電所、竜神崎第五原子力発電所を舞台としたストーリー。
 テロの一群-『アルファ』コマンド63名、チェチェン解放戦線42名-が正門を突破して侵入し、意図も簡単に発電所を占拠する。そこからこちらのストーリーが具体的に展開する。
 状況設定が全く違う。だが、この2つの小説は、原子力発電所がテロのターゲットになるという可能性を重要事項として見つめている。
 
 「天空の蜂」と名乗った三島からの最後のファックスに次の一文がある。
「繰り返す。沈黙する群衆に、原子炉のことを忘れさせてはならない。常に意識させ、そして自らの道を選択させるのだ。」
 あなたは、どう思うか。それを考えるシミュレーションになる小説である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
敦賀廃止措置実証部門 高速増殖原型炉もんじゅ ウエブサイト 
もんじゅ :ウィキペディア
ふげん  :ウィキペディア
新型転換炉原型炉ふげん  :「敦賀市」
「もんじゅ」廃炉計画と「核燃料サイクル」のこれから :「資源エネルギー庁」
軽水炉のしくみ  :「電気事業連合会」
原子炉の種類   :「日本原子力文化財団」
世界の原子力技術の動向を追う 2018-04-25  :「資源エネルギー庁」
福島第一原子力発電所各号機の状況 :「TEPCO 東京電力ホールディングス」
福島第一原子力発電所事故  :ウィキペディア
オート・フライト・コントロール・システム AFCS :「航空実用事典」
DJI GS PRO ドローン自動操縦システム :「SEKIDO」
ドローン 自動航行レッスン :「JDRONE」
完全自動航行を実現したヘリコプタータイプUAV「Sky-Heli」発売開始
             :「TPホールディングス株式会社」
緊急出動に自動操縦ヘリ 米シリコンバレー  :「The Asahi Shimbun GLOBE+」

 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
東野圭吾 作品 読後印象記一覧 1版  2021.7.16 時点  26作品

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『原発クライシス』  高嶋哲夫  集英社文庫


東野圭吾 作品 読後印象記一覧 1版  2021.7.16 時点  26作品

2021-07-16 21:09:31 | レビュー
ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『雪煙チェイス』  実業之日本社文庫
『疾風ロンド』  実業之日本社文庫
『白銀ジャック』  実業之日本社文庫
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』  角川文庫
『禁断の魔術』  文春文庫
『虚像の道化師』  文春文庫
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社

『蔦重の教え』  車 浮代  飛鳥新社

2021-07-14 16:37:50 | レビュー
 タイトルに関心を抱き読んでみた。ビジネス書ではない。小説である。私にとっては初めて読む著者の本となる。
 蔦重といえば、蔦屋重三郎。江戸中期に蔦屋耕書堂という出版書肆を経営し、さらに無名の歌麿を浮世絵師として売り出し、超有名絵師となる基盤を作った仕掛人。写楽の絵を世に売り出し世間を驚かして一大ブームを引き起こした。名プロデューサーである。反骨精神にも溢れていたようだ。
 手許の『広辞苑』初版を引くと、「蔦屋2(=江戸日本橋通油町にあった地本問屋)の主人。本名北川珂理。耕書堂と号し、蜀山人・京伝等と親しく、歌麿・一九・馬琴等も一時その家に寓した。通称は蔦重(つたじゅう)または蔦十。自ら狂歌・戯文を作り、狂名蔦唐丸。寛政九年没。(1750-1797)」と説明されている。広辞苑最新版はさらに詳しく説明されているのかどうかは未確認。
 江戸時代中期の文化史ではやはりキーパーソンに名を連ねる一人だろう。
 興味を惹くタイトルではないか。本書は2014年2月に単行本として出版され、
 今年(2021年)3月に双葉文庫の一冊として出版されている。

 <序>を読み始め、一瞬とまどった。江戸時代のはずなのに、冒頭に「うぐっ・・・がっ、がぼっ・・・・げほっ・・・・ごっ・・・」というオノマトペの書き出し。続きに社長から早期依願退職か課長職のまま子会社出向かの選択を迫られる男のことが書き出される。広告代理店の営業職の課長、<序>では名前が出て来ない。なぜ、社長から会社人生の選択を迫られたのか、その背景が語られる。え~っ、この出だし、どうなるの?

 実は、この男、やけくそで吉原大門町に桜なべを食べに行き、その後ちょっとバチ当たりな行為をしたことがきっかけで、江戸時代中期、天明5年(1785)にタイムスリップしてしまうのだ。それも、吉原遊郭のお歯黒ドブで溺れているところを、蔦屋重三郎に助けられるという形で・・・・・。
 天明5年は、田沼意次が失脚する前年。天明6年には第10代将軍家治が没し、家斉が第11代を継承するとともに、松平定信による寛政の改革へと時代が推移する。その直前の江戸にタイムスリップしたのだ。

 男の名は武村竹男。平成の世では55歳のメタボのおっさん。だが、なぜかこの江戸では25,6歳の体つきに若返えっている。ただし、頭はツルッパゲの丸坊主。助けた蔦重が妓楼の行燈部屋で目が覚めたこの男にまず尋問する。名前を聞き、タケと呼ぶことになる。蔦重が気にしたのはタケが心中くずれではないかということだった。その嫌疑が晴れると、蔦重はもちろん彼がどこの誰かを知りたがる。当然ながら、相互理解のためのトンチンカンなやり取りが続く。そのギャップがおもしろい。いわば異文化接触の一場面である。例えば、タケの下着、トランクスが伸び縮みすることに蔦重は興味を示す。そのからくりを教えろという。トランクスのウエストにゴムが入っているだけだが、勿論、このゴムが通じない!
 蔦重は、タケの持っていたボールペンを手に取ってみて、タケがどこか未来から来た男らしいと理解した。それで、タケに興味をもち、しばらく蔦屋で与ってやろうと肚決めする。蔦重は周囲の人々を驚かさないように、タケが自分の過去の記憶を無くしていて現状がわからない男として説明する。いわば蔦重はタケが社会復帰できるように、しばらく面倒をみてやるという触れ込みである。

 このストーリー、大きな構成としては、吉原遊郭の門前にある蔦屋吉原店でタケが居候となる時期から、日本橋通油町の蔦屋本店に寓してそこで下働きの手伝いをしながら見聞と体験をする時期に進展して行く。その間に吉原遊郭で蔦重が接待する宴に蔦重の指示を受けタケが末席に加わり、求められた役割を努める場面が織り込まれていく。
 蔦屋吉原店は当時、歌麿が妻のりよと二人で店を任されつつ、絵の修行をしていた。蔦重が歌麿を浮世絵師として売り出す前の段階である。まずは、行燈部屋からこの蔦屋吉原店に移り、蔦重の指示で居候となる。タケはまず歌麿から江戸の事情、吉原遊郭の実情などを教えられ、江戸の生活を学びながら馴染んで行く。そして、おりよと絡む形のモデル役を指示され、歌麿が枕絵を描くために協力させられる羽目にも。おもしろい展開である。歌麿の案内で湯屋につれて行かれる。湯屋の実体験であるが、ここでも大きな失敗を演じる。当時の湯屋がどういうものかタケ自身が理解する。併せて読者にとっては江戸情報の副産物。勿論、当時の吉原遊郭事情も副産物になる。
 蔦屋本店に移ったタケは、江戸時代の地本問屋、つまり出版業の仕組みを見聞、体験する。蔦重の発想と戦略による本の出版企画。木版本の制作プロセス-下絵書き、版木づくり、木版印刷、製本、店頭販売-の仕組みを知る。そして、タケは下働きとして問屋内での作業工程を見聞・体験して学んでいく。
 このストーリー、タケの異文化(江戸文化)接触、失敗譚の満載がおもしおろおかしく読ませるところが一つの特徴である。それは裏返せば、遊郭と地本問屋という限定された範囲だが基礎的な知識が読者の副産物となる。
 
 蔦重は本の企画出版絡みで、吉原の妓楼での宴会を開催する。狂歌作者を招待して宴を繰り広げる。蔦重の新規の出版企画と絡まる策略が裏にあった。その宴席にタケも加わる。カード型電卓を密かに使ってある座興を演じる。だが、その後調子に乗ってやったことで、宴会をぶち壊しかねない失敗をすることに。妓楼での遊び方に無知だったことに起因する失態だ。
 タケは蔦重の傍にいて、様々な質問をすることから、蔦重の生き方、考え方や行動、地本問屋の経営に関わるノウハウなど、様々なことを学んで行く。蔦重はタケにとり人生の師匠という存在になる。それが「蔦重の教え」である。

 歌麿から、下絵書きの習作段階の反故紙を風呂の焚き付けにと渡される。タケは後の世の歌麿の評価を知っているので、その反故紙を焚き付けに使わず、ひっそりと隠し持っておく。現実世界に戻れるとき持って買えれば価値を生む・・・・と。この行為がどうなるか、というのも楽しみにある。

 タケは妓楼で起こるある事件を契機にして、平成の世に再度タイムスリップする。第9章、第10章、終章が「現代」の武村竹男を描く。
 会社人生の選択を迫られていた武村竹男は、江戸で学んだことを活かして会社を退職し、新たな道に歩みだす決断をする。これがまた興味深い展開となっていく。娘と孫が生活するフランスへ移住するのだ。その直前に、江戸時代と平成時代をリンクさせるオチがついているからおもしろい。
 このストーリーの末尾の一文を記しておこう。
 「--人生は、こんなにも面白い。」(p361)

 本書のもう一つの特徴は、p363~p378にある。ここに、ストーリーに点在する蔦重の会話に含まれていた「教え」に相当する箇所を抽出しまとめてある。教えのエッセンスを一行表記し、それに相応する会話箇所が抽出整理されている。
 この部分は、会話体の抽出文を読むと、ストーリーの流れが想起されて、いわばその含蓄が現れてくる。お急ぎの方はここの会話体を読むだけでも学ぶところが多いと思う。
 日常生活・人間関係並びにビジネスに役立つヒントに満ちている。
 
 一行表記の形のエッセンス部分を抽出しご紹介しておこう。エッセンスだけ読めば、良く言われていること・・・・・になるかもしれない。だが、フィクションの形ではあるが、蔦重の人生の生き様とともに考えると深い意味を持っていると言えよう。

 *物事を逆から考える
 *人生は知恵比べ。考え抜いた方が勝つ
 *付加価値を高める
 *一流の人間(ブランド力)を使う
 *生まれた地に貢献する
 *情報収集を怠らない
 *相手に期待をかけて頑張らせる
 *気の合わない人間ほど丁寧に接する
 *断る可能性が高い誘いはすぐ断る
 *進言は素直に聞く
 *世の中の全ての人を、悪人だと思え
 *「三方よし」の関係をつくる
 *わざと厳しく叱る
 *人脈を生かし、口コミを使う
 *己の天分を知った上で仕事に活かす
 *人は得意なことで失敗する
 *悪い予感は天からの忠告と心得、なおざりにしない
 *三方向から見る目を持つ
 *半歩先をゆくために保険をかけ、節約して資金を作る
 *人の言葉を否定しない
 *好きな仕事で人の役に立つ
 *「あがり」を定めて人生を逆算し、梯子をかける
 *相手にとって何が幸せかを考えれば騙されない
 *根回しをする
 *目標を持つ
 *恩送りをする。
 *時代の流れに気を配る
 *物事や場所にも挨拶をする
 *万物と未来に感謝する
 *知識ではなく経験を語る
 *約束を守り、相手の信用に報い続けていれば信頼される
 *何かを捨てなければ、新しい風は入ってこない

 最後に、写楽について触れておこう。平成の現世に戻ったタケに対する蔦重のメッセージとして、著者は写楽の画号を付けた絵師のことを語らせている。写楽は誰かという点について諸説がある。異なる仮説を前提とした小説もいくつか出版されている。この小説では、私が接したことのない仮説が蔦重のメッセージとして絵解きされている(p344~345)。それもありか・・・・・と興味深い。どんな絵解きかはお読みいただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、関心の波紋からネット検索してみた。一覧にしておきたい。
蔦屋重三郎(版元として出版物に登場):「江戸ガイド」
蔦屋重三郎   :「江戸ガイド」
蔦屋重三郎   :「コトバンク」
蔦屋重三郎   :「ジャパンサーチ」
『吉原細見』 蔦屋重三郎 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
平賀源内   :ウィキペディア
平賀源内の世界  :「平賀源内記念館」
平賀源内  :「NHK for School」
勝川春章  :ウィキペディア
喜多川歌麿 :ウィキペディア
喜多川歌麿 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」
喜多川歌麿の最高傑作「雪月花」。《吉原の花》来日で《深川の雪》と日本で138年ぶりの夢の再会  :「美術手帖」
喜多川歌麿  :「浮世絵のアダチ版画」
葛飾北斎   :「浮世絵のアダチ版画」
東洲斎写楽  :「浮世絵のアダチ版画」
歌川広重   :ウィキペディア
名所江戸百景 深川洲崎十万坪  :「錦絵でたのしむ江戸の名所」
江戸の版元、蔦屋重三郎の名プロデューサーぶり :「WEDGE Infinity」
蔦屋重三郎っ!?(サントリー美術館) :「歴史と旅&外出」の記録

 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  松岡圭祐  講談社文庫

2021-07-13 11:44:40 | レビュー
 『探偵の探偵』シリーズがこの文庫書き下ろしの『探偵の鑑定』で完結する。
 『探偵の鑑定 Ⅰ』を読み始めた時、Ⅰという付記から、いくつかの連作になるのかと想像していたのだが、Ⅱと合わせて一つの新ストーリーだった。つまり、このⅠ・Ⅱはいわば分冊の上巻・下巻に相当する。
 読み始めるとなんと『万能鑑定士Q』のヒロイン・凜田莉子が登場して来た! こちらのシリーズを先に楽しんできた読者としては、俄然楽しくなる。莉子といえば影のように、一対として小笠原悠斗も登場する。さらに、莉子の友達となったあの総合旅程管理主任者の資格を持つ添乗員、浅倉絢奈が要所要所で協力する形で登場するから一層おもしろい。
 それだけではない。ストーリーが最終コーナーにさしかかる辺りから、『水鏡推理』のヒロイン・水鏡瑞希が加わることになる。『水鏡推理』の第2弾が出版されているタイミングで、水鏡瑞希がこのストーリーにも加わってくるのだから、ますます面白くなる。
 『探偵の探偵』シリーズの完結を導く『探偵の鑑定』は、著者の創作した各シリーズのヒロインたちがそれぞれの持ち味を活かして登場させるという構想が実におもしろい。トップ・ヒロイン共演というサービス精神がここに発揮されている。
 この『探偵の鑑定』は、一方で、『万能鑑定士Q』の完結にもなっている。
 『鑑定の鑑定Ⅰ』は2016年3月、『鑑定の鑑定Ⅱ』は2016年4月にそれぞれ文庫書き下ろしとして出版された。

 ”交際クラブ”のトップ「銀座VIP俱楽部」に関連する裏SNSを通じて、猪瀬伸明は濱野陽佳梨という源氏名の女性と六本木の高級一軒家レストランで待ち合わせをする。陽佳梨はエルメスのバッグ、パーキンを携えて現れた。猪瀬は陽佳梨にこれからの交際費300万円、札束3つを取り出した。すると陽佳梨は無造作にその札束をパーキンのなかにおさめた。猪瀬が唖然とする中で食事が始まる。陽佳梨はパーキンを脇の椅子においたまま中座した。猪瀬は化粧室に行ったものと思っていたのだが、陽佳梨は札束と共にレストランから立ち去ってしまった。パーキンにはしかけがあった。
 猪瀬はスマ・リサーチにこの事件の調査依頼に訪れる。これがすべての始まりとなる。

 その日の午後、東京都調査業中央支部での緊急会議に須磨は呼び出される。そこでの議題はパーキンに絡んで札束を持ち去られた同類、被害者から調査依頼が他社にもあったことがわかる。いずれも依頼者はパーキンを持参しなかった。なぜか? 被害者たちは万能鑑定士Qにパーキンを鑑定依頼に持ち込んでいたのだという。他社の社長たちは、万能鑑定士Q、即ち凜田莉子は鑑定の看板を隠れ蓑にしているのではないかと疑いをかける。凜田莉子という鑑定家探偵についてスマ・リサーチの対探偵課、つまり紗崎玲奈に調べさせることを協会からの依頼としたいという。商売敵と疑っていても警察とマスコミを味方につけている凜田莉子にだれも関わりたくないのだ。
 須磨は会議で入手した写真を土井と佐伯に渡し、源氏名で濱野陽佳梨と称する女について、テキストマイニングを使った調査を指示する。さらに、桐嶋にはこの女が須磨の過去に関わりがあるかもしれないと伝えさせる。一方、紗崎玲奈には鑑定家凜田莉子と雑誌記者小笠原悠斗の素性を調べあげろと指示した。つまり、玲奈と莉子の関わりの始まりである。

 玲奈は「万能鑑定士Q」の店の近くで莉子が現れるのを見張っていた。店の前に警官が自転車を停めて店の中に入った莉子に呼びかけた。玲奈はあることに気づき、即行動に移る。莉子が危機に陥るのを防ぐ。それがきっかけで、玲奈は莉子と直接話をすることになり、莉子の考えや過去に関わった諸事件での莉子の立場を知る。玲奈と莉子は互いに違う考え方の世界に居ることを感じ始める。莉子が詐欺に遭った人々から鑑定を受けたパーキンはすべて本物だった。偽パーキンと思い込んでいた玲奈は調査に対する考え方の修正を迫られる。
 莉子はこの事件を契機に、玲奈たちの社員寮に一旦匿われ、スマ・リサーチの人々と協調的な行動をとる立場になっていく。

 佐伯のリサーチ結果をもとにして、桐嶋は現地調査を行い重要な事実を掴む。そこに指定暴力団獅靱会と蔦暮亞芽里が浮かび上がる。
 玲奈はある仕掛けをした上で、莉子のマンションの部屋に潜み、再び襲ってくる者を待ち受ける。玲奈は襲って来た男が落としていたメモ用紙に気づいた。そこには「トランプを確認」と記されていた。
 本物のパーキンを使った詐欺事件、凜田莉子の危機、獅靱会、蔦暮亞芽里、トランプを確認というフレーズ。これらの断片が結びつき始める。だがそれは、須磨と桐嶋の過去が明らかになることでもあった。須磨と桐嶋はかつて獅靱会に関わっていたのだ。
 須磨は獅靱会の悪行を暴き出し、この組織を破壊することを己の志としていた。桐嶋はその須磨のスタンスに共鳴していた。その戦いが本格的に始まっていくことになる。
 
 このストーリーの展開でおもしろいところ、読ませどころとなっていくところがいくつも盛り込まれている。列挙してみよう。

1.玲奈が凜田莉子の素性を調べることになり、莉子の危地を救ったことから、玲奈は莉子と小笠原が過去に関わり解決した事件のことを聞く。万能鑑定士Qシリーズを読んでいる人には、各事件の背景を想起することにつながりおもしろいと思う。
 このシリーズを読んでいなければ、事件名称の字面を読む進める箇所になるが。

2.須磨と桐嶋の過去が明らかになることで、対探偵課として行動してきた玲奈と琴葉の心が揺れ動く。玲奈と琴葉が、目の前に次々に起こる事案に対応しながら、己の気持ちとどう折り合いを付けていくか。その経緯が興味深い。

3.対探偵課の玲奈が探偵活動において事案に取り組む姿勢と万能鑑定士莉子が鑑定事案の結果を出すために事件の解決に取り組む姿勢とは、対極にある。それがこのストーリーの展開の中で二人が問題事象に対応するプロセスに現れてくる。
 玲奈は莉子とちもに、本物のパーキンに共通する謎を追跡する。その過程で二人のスタンスの違いが一層明らかになっていく。玲奈は莉子のスタンスから影響を受けるようにもなる。この心理的プロセスが読ませどころでもある。

4.指定暴力団獅靱会がどのような組織づくりをしているか。けっこうリアル感がある。実在する指定暴力団組織の実態からのアナロジーが組み込まれているのだろうか。この点も興味深い。

5.獅靱会会長の孫である蔦暮亞芽里が獅靱会の中でどのような位置づけになっているか。組織内における亞芽里に対応する建て前と本音の両面が描かれて行く。
 さらに、蔦暮亞芽里の実像と虚像が徐々にあきらかになっていく。この点がおもしろい。一方、亞芽里の行動自体が罠だった。それはどんな行動をさすのか。
 それは本書を読む楽しみに・・・・。

6.須磨や玲奈たちが、獅靱会の罠に気づいたときはもう遅く、「万能鑑定士Q」の店から獅靱会に拉致されていた。獅靱会の会長蔦暮洸基は、莉子の万能鑑定能力を裏ビジネスに利用しようと狙いを定めていたのだ。暴力団の中に投げ込まれた莉子はその鑑定能力を見込まれるという特殊な立場なる。莉子を支配下に置くために、獅靱会は莉子の故郷波照間島の水不足対策に目を付け島にくい込み、いわば島の人々を人質同然に掌握していた。
 その中で、莉子はその本領を徐々に発揮し始める。このプロセス自体もおもしろい。
 波照間島の水不足対策に獅靱会が目をつけたことが、水鏡瑞希が上記のとおりこのストーリーに加わってくる契機になる。総合職の官僚である藤川が瑞希に振り回されるところが、いつものとおり滑稽でおもしろい。

7.獅靱会を破壊するという須磨の志、どのように実行されていくか。
 須磨は己の調査により、獅靱会が大掛かりに行う密貿易の現場を押さえ、警察に逮捕させることをめざしていた。獅靱会の徹底的な壊滅をターゲットとしていた。
 捨て身で臨む須磨の行動並びにその初志が貫かれることになるのかどうかが勿論読ませどころである。須磨にとっては己の初志そのものを見直すべき事態に立ち至る。その時須磨の決断は早かった。

8.このストーリーの進展プロセスは小笠原の人生の転機ともなっていく。それは悠斗と莉子の人間関係に影響を及ぼすことになる。というより、二人の関係の本来の有り様に気づくプロセスと言えるかもしれない。『万能鑑定士Q』の完結を兼ねているという点からも、小笠原の立ち位置と行動をお楽しみに。

 玲奈、琴葉、莉子、絢奈、瑞希。それぞれの持ち味と彼女たちそれぞれの能力が特定の場面で遺憾なく発揮されていく。須磨と桐嶋もまた、己の過去を曝した上で本領を発揮していく。佐伯もまた、己の得意なIT分野で本領を発揮し須磨たちをサポートする。
 読者にとっては、様々に楽しめる作品、完結編である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点

『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』  原田マハ  文藝春秋

2021-07-11 16:14:35 | レビュー
 カバーの表紙と裏表紙には二人の人物の絵(一部)が使われている。読了後に奥書を読むと、共に玉那覇正吉作であり、表紙は「スタンレー・スタインバーグ」(一部)、裏表紙は「自画像」(一部)と記されている。
 内表紙の続きに、「私たちは、互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった。」というスタンレー・スタインバーグの一文が引用されている。
 読了後、末尾に「謝辞」が載っている。これを読み、上記引用文とこの小説、謝辞のつながりが理解できた。
 この小説は、サンフランシスコ在住の精神科医、スタンレー・スタインバーグ博士と芸術家、玉那覇正吉をモデルにしてフィクションとして創作されたものだった。
 スタンレー・スタインバーグは精神科医として1948年から1950年まで沖縄アメリカ陸軍基地に勤務した。その期間に、ニシムイ美術村の芸術家たちと交流し、自らニシムイ・コレクションをしたという。ニシムイ美術村に住んでいた芸術家たちの一人が玉那覇正吉だった。偶然の巡り合いから彼等の交流が始まる。紆余曲折を経て別れに至る。

 著者はスタインバーグ博士との出会いが、この小説を生んだと語っている。
 「別冊文藝春秋」の2012年11月号~2014年1月号に連載され、2014年4月に単行本、2016年11月に文庫本がそれぞれ出版されている。

 サンフランシスコの「ゴールデン・ゲート国立保養地」の一部になる小高い丘の上に、エドワード・ウィルソン博士は精神科の診療所を開設した。それから14年、現在84歳の博士が、うららかな午後に、暖炉の上に掛けられた一枚の絵を眺めている場面から書き出される。エドワード・ウィルソンの現状とプロフィールが読者の中に形成される。
 オフィスは書斎のような作りで、その部屋には生粋の沖縄生まれの画家たちの様々な作品が掛けてある。博士は12歳から油絵を始め、84歳の現在も続けている。24歳、医学修士号を取得直後に通達を受け、軍医として戦後間もない沖縄の基地に最初で最後の赴任をした。沖縄でオフィスに掛けてある絵の数々を描いた画家たちとの出会いがあった。
 このストーリーは、エドワード・ウィルソンが午後のごく短い眠りに落ちる中での回想という形になっている。

 エドワード・ウィルソン(以下、エドと略す)は、1946年5月、在沖縄アメリカ陸軍の従軍医任命の通達を受ける。スタンフォード大学医科大学院を卒業し、それと同時に結婚する約束をしていた婚約者がいるという状況で事態が急変する。任期終了まで結婚は延期。医学生としての在学中は徴兵を免除されていた。医学生の間に戦争は終わった。しかし、エドは卒業と同時に、軍の施設で研修を受け、軍医として赴任することになったのだ。上層部の判断で、1年間京都で臨床経験を積み、沖縄の基地に赴任する。その時点で赴任の通達を受けてから2年が経過していた。
 1948年6月に京都を出立し、米軍輸送機の貨物室に便乗して沖縄の基地に降り立つ。それから1年半、エドに帰国命令が下される。上司のウィルはエドに「実はな、エド。あんたには、この春にも帰国命令が出る予定だったんだ。それが、二、三ヶ月早まっただけのことだよ。」と告げた。エドは「いや、違う。-事実上の強制送還だ」と内心で受けとめた。1950年1月末にエドは帰国する兵士たちと共に、定期便の貨物船で沖縄から去る。

 このストーリーはエドが沖縄の基地に赴任し勤務した1年半の物語。エド自身が「互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった」人々と偶然を契機に深く交流をしたストーリーである。その人々がニシムイ美術村に住む画家たちである。その中でも、セイキチ・タイラと彼の妻、メグミとの相互信頼の深まりが描かれる。その一方で相互の間に意識・認識のズレが生ずる局面がある。それもまた彼等の友情の深まりにおいて重要な要素になっていく。
 なぜ、エドが「事実上の強制送還だ」と内心判断したのか? その認識に至るプロセスがこのストーリーの一つのサブ・ストーリーになっているとも言える。
 ストーリーの末尾に、次の文が記されている。
 「七つの光りが、いっせいに、海に-船に向かって明滅している。輝きを放っている。
  去ってゆく、私に向かって。」(p237)
 「がらんとした甲板で、私は、ひとり、佇んでいた。布で包んだ二枚の絵を、しっかりと胸に抱きしめていた。どんな強い向かい風にも、飛ばされぬように。」(p238)
 この2箇所の文に、エドとエドが巡りあった人々たちとの1年半の交流が凝縮していると、私は感じる。

 このストーリーにはいくつものテーマがあるように思う。1948年6月から1949年にかけての1年半という期間の中でそれらが織りなされストーリーを構成していく。
 「私たちは、互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった。」その意味を明らかにするというテーマが根幹にある。
 エドとセイキチ・タイラたちとがある偶然で巡り合い、交流が深まる一方で思いの齟齬も発生する。だが、その中から友情が培われていく。互いの信頼が深まる。そして唐突な別れ。その人間関係の経緯を描く中で上記フレーズの意味が深まっていく。彼等の間には芸術の持つ力という重要な要因が関わっていた。
 それは、沖縄でのエドの生き様。一方で、セイキチ・タイラとメグミの生き様を描くことでもある。

 このメイン・ストーリーの流れに対し、私は次のようなサブ・テーマが織り込まれていると思う。これらによりメイン・ストーリーのプロセスでテーマの持つ意味が深まっていく。

1.戦後、琉球米軍政府の統治下におかれた沖縄。1948~1949年という時期を背景に沖縄の状況を多角的に描く。
 焦土となっている状況。その中での沖縄住民の生活。基地と沖縄住民との関係。沖縄の自然の脅威(台風)。当時の復興状況。
 中学・高校の「日本史」の授業-現代史-においてはたぶん触れられることない具体的な状況、事実の側面が関わっている。その史実を、知らないですませることがあってはならないと思う。原爆投下のその後の事実と同様に。

2.沖縄の基地に駐留する士官・兵士たちの当時の実態。その一側面を第34陸軍病院に勤務する精神科の軍医の視点から描く。
 特に、士官・兵士に対して戦争がもたらす後遺症。
 朝鮮戦争への予感が軍医チームの中で話題にされるのもリアルである。

3.沖縄人の気質。特に、生粋の沖縄の芸術家たちの意識を描く。
 ニシムイ美術村の成り立ちの経緯も書き込まれる。

4.結婚を延期せざるを得なかったエドと婚約者との関係維持の経緯を描く。
 エドの両親や婚約者がエドをサポートした状況。それがエドとニシムイ美術村の人々とのつながりに大きく関わって行く有り様。

 エドが沖縄に赴任した直後、エドの両親が最新型の真っ赤なオープンカー、ポンティアック1948シルバーストリークを、「必需品」として送って来る。焦土と化している沖縄本土とのギャップが、認識という観点においてある意味で皮肉である。一方そこにある沖縄に対する両親の認識、当初のエドの認識と発想がおもしろい。
 着任して二度目の休日に、基地外の世界の状況・実態を知らないエドが、同僚の精神科医ジョンとアランとともに、ドライブするため基地の外に出る。道に迷って、一つの坂道を上り切ったところで、小さな看板を目に止める。
 「NISHIMUI ART VILLAGE」という表示。丘の上の狭い道を車に乗ったまま奥に入って行く。それがエドにとって「出会いようもない人々」との出会いとなる。
 それが何を意味するか。その展開をお楽しみいただきたい。

 戦後の直後における沖縄の状況を考える上でも、役に立つフィクションである。

 ご一読ありがとうございます。

 本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
玉那覇正吉  :「沖縄県立博物館・美術館」
玉那覇正吉(夫・画家)と吉子(妻) :「那覇市歴史博物館」
ニシムイ美術村  :ウィキペディア
美術村(ニシムイ美術村) :「那覇市観光資源データベース」
美術村跡(ビジュツムラアト) :「Monumennto」
戦後70年特別企画 ニシムイ ― 太陽のキャンバス ― :「沖縄県立博物館・美術館」
ニシムイの画家、玉那覇正吉の8ミリ映像  :「沖縄アーカイブ研究所」
【アメリカ】「ニシムイ美術村」作品展 「命への喜びを共有」:「沖縄新報」
沖縄、『太陽の棘』を歩きました  :「旅と本とおしゃべりと」(goo blog)
摩文仁の丘 :「史跡夜話」
壺屋陶器事業協同組合  ホームページ
アーニーパイル国際劇場  :「那覇国際通り商店街」
米軍基地  :「沖縄県」
  FAC6064那覇港湾施設

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『暗幕のゲルニカ』   新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』  毎日新聞社

『見事にわかる 図解・日本史』  河合 敦  成美文庫

2021-07-06 12:17:41 | レビュー
 1989年11月に石ノ森章太郎の「萬画」宣言を伴った『マンガ日本の歴史』(中央公論社)の第1巻が出版され、1993年10月に最後の第48巻が出版された。あるとき衝動買い的に買い始めて全巻揃えていった。チラリと見た後、その内に通して読もうと思いつつ書架に眠っていた。コロナ禍の中で、この際に・・・・と継続的に読み始めた。第30巻を読み終え、第31巻に移るところである。その途中で本書を開くことに。

 本書は、改めて奥書を見ると2000年9月の出版。こちらもあるときタイトルに惹かれて買っていたもの。その時の関心事項の関連として部分的に参照してはいたが、通読はしなかった。上記シリーズが寛永期に入ってきたので、超ダイジェスト版ともいえるこちらを一度、通読してみることにした。相互補完になる気がした。

 表紙に、「原始・古代から近現代まで、日本の歴史が見わたせる!」というキャッチフレーズ文が記されている。「日本史の流れが一目瞭然!とも。
 この売り言葉、ウソではない。確かに日本史のポイントとなるところを抽出して、時代の大きな流れをうまく押さえているように思う。
 見開きの2ページで一つの事項を解説していく。具体例で言えば、「第1章 原始」の内表紙に古代への導入説明文がある。その次の最初の事項は「人類のルーツ」。見開きの左ページに、<人類の進化をたどる>という標題で,400万年前の鮮新世:類人から現代人までをイラスト図入りの進化プロセスとして図解されている。右のページから左のページに少しかかる形で、解説が載る。右ページ+α、大凡590文字枠での解説である。解説の長目の事項で630文字枠程度である。解説事項には、解説文中に2000年時点までの最新の研究成果や歴史研究の動向への言及を含むものもある。

 実質254ページのボリュームで、日本の歴史の各時代がバランスよく説明されている。本書は章立てが大きな時代区分となっている。各時代で取り上げられた事項(解説テーマ)数をまとめると、次のとおり。
 第1章 原始  ・日本人の祖が移入した時代   23項 コラム1
 第2章 古代  ・貴族が世の中を謳歌した時代  26項 コラム1
 第3章 中世  ・武士が覇を唱えた時代     24項 コラム1
 第4章 近世  ・身分制度が固定化した時代   24項 コラム1
 第5章 近現代 ・民衆が躍動した時代      25項 コラム1

 たとえば、第2章の古代は大和政権~奈良時代~平安時代の時期をまとめて26の解説テーマを設定し、見開きで解説と図解をしている。解説テーマを列挙すると、「古代」がどのように著者によりとらえられているかがおわかりになるだろう。
 古墳と大和政権/古墳の構造と特徴/朝鮮半島への進出/国内に流入する大陸文化/古墳時代の生活/聖徳太子の政治/遣隋使の派遣/飛鳥文化/大化の改新/壬申の乱/大宝律令の制度/班田収受法と農民支配/白鳳文化/遣唐使の時代/奈良時代の政界/荘園の誕生/天平文化/桓武天皇の政治/弘仁・貞観文化/摂関政治/国風文化/武士の成長と反乱/院政の展開/保元・平治の乱/平氏政権/平安末期の文化
 解説がこのような流れで進展する。
 図解をみると、<672年の壬申の乱>、<律令制度下の政治組織>、<農民が負担する税>、<遣唐使船の航路>、<奈良時代の権力者>、<保元・平治の乱の流れ>などは、結構内容が具体的であり、全体として分かりやすく図解されている。学校での歴史の時間にはそこまで習ったという記憶はない(私が学習していなかっただけかも・・・・・)。これは本書で基礎知識部分を改めて整理する機会になったというニュアンスである。
 改めて、長年参照用に必要に応じて開いている『日本史図表』(第一学習社)を開けると、類似の図表が掲載されている。図解レベルでも手許の複数の本で相乗効果を出せることを再認識した。こっちの本も通読した方がよさそう。

 日本史における特定の時代、時期の政治や文化、社会の大きな背景を大づかみにしたいというレベルでまずアプローチするのには、参考書として役立つ本である。
 上記のページ数の続き、巻末には年表と索引が付いている。
 一応通読したので、この後は時折必要に応じて、あらためて参照する手がかり資料として使っていきたいと考えている。

 手許の第1刷で通読していて校正ミスを3ヵ所で気づいた。精読していれば気づくと思う。マイナーな点なのでちょっと惜しい。p109,p182,p222で気づいた。気づけば知識習得に影響はない。開いていただき、気づいていただくのも一興かと。勿論、私が気づかなかっただけで他にもあるかもしれないが・・・・。

 大括りな日本史の図解、解説書ではあるが、学生時代に受験勉強感覚で日本史を学んで以来、長い時の隔たりがある。現時点までの間における発掘情報や新しい学説などのトピックにも触れられていて、結構基礎知識をリフレッシュするのに役だった。もっと早く読んでおくべきだった気がする。
 「鎖国という歴史単語がいけない、ということで、近年学者の間から批判の声もあがっている。案外数年のうちに、教科書から鎖国という言葉は消えるかもしれない」(p195)と「鎖国と長崎貿易」の項の末尾にある。歴史認識は研究の深化・進展とともに変化しているようだ。この本が出版され、既に20年が経過した。この一文に関するその後の研究成果と学説の動向はどういう展開をみせているのだろうか。興味が湧いてきた。

 ご一読ありがとうございます。

『新選組、京をゆく』  文:木村幸比古 写真:三村博史  淡交社

2021-07-05 09:45:38 | レビュー
 本書は、「新撰 京の魅力」シリーズの一冊として、2001年6月に出版された。
 「一、ゆれ動く幕府」と題して「幕末の御所」「京都所司代」「尊王家・高山彦九郎の憤死」「『勅許』なしに開国した幕府」「将軍継嗣問題」「安政の大獄」「和宮降嫁」という観点からまず幕末の時代状況に読者を導入する。
 そして、「ニ、攘夷と尊王と佐幕」で渾沌とする京都に舞台を移し、鳥羽・伏見の戦いでの「十一、新選組の敗走」まで、京のまちで活動した新選組の姿を史資料をふまえて、トピック的に場面をとらえ、ビジュアルに史跡地や史資料の写真、地図などを併載して新選組の実像を描き出している。一つの史実・話材の場面を2~4ページのボリュームでまとめてあるので読みやすい。 
 清河八郎、芹沢鴨、近藤勇らの浪士組一行は、1863(文久3)年2月8日に江戸を出発し、2月13日夕刻、京都三条大橋に着き、壬生村に入った。清河八郎の企みが明らかになり、幕府が清河と浪士組を江戸に帰らせる処置をとる。だが芹沢、近藤等少数は京都に残留した。芹沢鴨が京都守護職松平容保と交渉し、京都守護職預りという立場を確保した。当初、彼等は壬生浪士と名乗ったようだ。この時点から、新選組が「京をゆく」ことになる。勿論、かれらは大坂にも足を延ばし、問題事象も起こしている。
 1868(慶応4)年1月3日、上鳥羽の小枝橋における薩摩兵の発砲を皮切りに、鳥羽伏見の戦いが始まる。この時、伏見奉行所を拠点に土方をはじめ戦いに加わった新選組は、敗れて敗走することになる。つまり、1863年から1868年にかけての5年間、新選組は京都で恐れられ、注目される存在として活動した。

 本書の特徴を箇条書きにすると、大凡次のことが言えよう。本書で学んだことを各項に少し補足しておきたい。
1.「京をゆく」新選組の足跡がどこに残るか、大凡の場所がわかる。石標のみの所もある
 ⇒京都守護職邸跡。金戒光明寺。壬生屯所:八木邸。前川荘司邸。島原:角屋・輪違屋
  池田屋跡。御所・蛤御門。西本願寺屯所跡。不動堂村屯所跡。油小路本光寺門前。
  高台寺党屯所:月真院。近江屋跡。伏見奉行所跡。壬生寺。新徳寺。光縁寺。
  
2.新選組の名称の確定時期と新選組の地位が確立する経緯が具体的に説明されている。
 ⇒島田魁の日記資料に1863年8月18日伝奏により隊名が決まったという記録が残る。
  1864年6月5日「池田屋」事件で近藤勇を中心に土方らが活躍した。これで地位確立

3.新選組の内の主要人物の人生、略歴がわりと具体的に説明されている。
 ⇒近藤勇、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨、伊東甲子太郎、永倉新八

4.新選組が壬生屯所から、西本願寺屯所、不動堂村屯所に移る経緯には、背後で土方歳三が画策していたということが解説されている。なかなかの策士!
 ⇒土方のやり口の巧みさ。西本願寺が不動堂村への移転の建築費・諸経費を全額負担

5.新選組に関連して登場する人物群の簡潔なプロフィール説明は、その人物の行動及び時代との関わりを理解するのに役立つ。
 ⇒堀田正睦、徳川慶喜、清河八郎、松平容保、岡田以蔵

6.近江屋で坂本龍馬を暗殺したのは新選組ではないという事実が説明されている。
 ⇒函館戦争の降伏人・見廻組今井信郎の証言。陸援隊田中光顕の『維新風雲回顧録』記録

7.近藤勇は幕府直参となることを願望していた。一方、幕府直参になることに異論を持つ隊士もいたという事実とその対処にも言及されていること。

8.尊皇攘夷。尊皇佐幕。勤王。尊皇から勤王へ。公武合体論と倒幕論。王政復古。
 これらのキーワードが全体を通して説明されていくことになる。まさに渾沌。
 ⇒近藤勇は尊皇佐幕の立場だった。

 末尾の「新選組略年表」「主要さくいん」「参考文献」を含めて総126ページである。
 そこにビジュアルな写真や地図が結構掲載されている。ボリューム的にも読みやすい。 新選組関連史跡への京ガイドにもなっている。

 新選組の京都における活動の期間が5年間ということは、今まであまり意識していなかった。時間軸の枠組みを再認識できたのが私的には有益だった。京都における新選組関連史跡で拝見可能なところはほとんど巡ったと思っていたが、いくつか洩れがあることにも気づけた。拝見可能かを事前に調べて、関連史跡の落ち穂拾いをしてみたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連し、今までそれほど意識していなかった関連事項について検索してみた。一覧にしておきたい。
京都守護職屋敷址  :「フィールド・ミュージアム京都」
京都守護職屋敷跡  :「まち遊び寺社巡り古墳歩き」
松平容保  :ウィキペディア
松平容保  :「コトバンク」
光縁寺   :「京都観光Navi」
光縁寺   :「幕末トラベラーズ」
新徳寺(京都市)  :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)


新選組に関連する本を読み継ぎ始めました。
次の本についての読後印象記もお読みいただけるとうれしいです。

= 小説 =
『新選組血風録』  司馬遼太郎  中公文庫
『ヒトごろし』  京極夏彦   新潮社

= エッセイ、実録、研究書など =
『「新選組」土方歳三を歩く』 蔵田敏明著 芦澤武仁写真 山と渓谷社