遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『所轄魂』 笹本稜平  徳間文庫

2019-11-28 11:33:13 | レビュー
 このストーリーで軸となるのは葛木邦彦である。警視庁捜査一課の殺人犯捜査係主任となるまで、花形部署の第一線をつっぱしってきた。だが、2年前に妻がくも膜下出血でこの世を去った。それを契機にして、所轄の刑事課への異動を願い出た。そして、江東区東部を管轄する城東警察署の刑事・組織犯罪対策課の係長となった。
 葛木には俊史という既婚の一人息子がいる。俊史はキャリアであり、今年の四月に人事異動で警視庁捜査一課の管理官に着任していた。一方、葛木はノンキャリアのたたき上げである。俊史は父親に言う。「親父は子供のころからおれの心のヒーローだったんだから。警視庁捜査一課の刑事なんてみんなテレビドラマでしか知らないけど、おれの場合は自分の親父がそうだったんだから」と。そして屈託なく笑う。

 六月の最初の日曜日午後二時過ぎ、自宅に居る葛木に強行犯捜査係の山井巡査から着信が入る。横十間川親水公園内に放置されている死体が発見された。二十代とみられる女性で、絞殺の可能性が高いと言う。葛木は事件現場に行き、現場に姿を見せた大原課長と第一機捜の小隊長上尾らと初動捜査の打ち合わせをする。到着した検視官は絞殺と判断した。葛木は被害者が靴を履いていなかったことから、別の場所で殺害されて、この公園に遺棄された可能性を考える。偶発的事件ではないと読む。

 この事件は城東警察署に何と特別捜査本部が設置されることに。さらにその帳場に息子の俊史が管理官として出向くように刑事部長から命令が出たという。刑事部長名の捜査本部開設発令書が城東署に届き、葛木が驚く前にと俊史が事前に連絡してきたのである。つまり、組織的には息子が上司、葛木が部下という指示命令系統で捜査を進める立場になる。ストーリーとしては、今後どういう展開となるのか、読者を惹きつける興味深い設定が組み込まれている。

 この特捜部に本庁から出向いてきたのは殺人犯捜査第十三係で、それを率いるのは山岡宗男係長。「鬼の十三係」とも「壊しの十三係」とも呼ばれ、良くも悪くも苛烈な捜査手法で異彩を放ち、所轄を辟易とさせることで悪名が高い捜査班である。警視庁捜査一課で葛木が所属した九係の係長とは犬猿の仲の人物だった。
 大原課長自身も、山岡と一緒だった頃の経験があり、山岡係長は刑事としての執念や馬力には脱帽するところがあるが、同僚や配下の人間を消耗品として扱い、自分の手柄に結びつけるタイプと評価した。それでなくとも、捜査一課から出っ張ってきた刑事たちにはエリート意識が強く、所轄の刑事を見下しているところがあると所轄の刑事たちは受け止めている。いわば、所轄にとっては来て欲しくない捜査班である。
 これで特捜部の大凡の色合いがわかるというおもしろい背景設定となっている。
 
 バラバラ死体でもなく、腐乱死体でもない、きれいな状態の遺体が、発見されやすい公園の木立に放置されていた。一見単純そうに見えるこのヤマを、庶務担当管理官はなぜ捜査本部ではなく特捜扱いにしたのか?
 特捜本部が設置された最初の会議で、刑事部長はこの事案は一見簡単そうで、じつは手ごわい、一気呵成の解決を目指せと訓示した。だが、そうはうまく進まない。
 管理者として殺人事件の帳場経験のない葛木俊史管理官(以下、俊史管理官と略す)。「壊しの十三係」と悪名の高い山岡係長とその部下たち。そして所轄城東署の強行犯捜査係他の捜査員たち。所轄の係長である葛木は心理的に微妙な立場に立たされることになる。

 このストーリーのおもしろいところは、いくつかある。
 一つは、山岡係長が新米の管理官をあなどり、己が主導権を握ってこの特捜部を仕切って行く気配を折々に見せていく。それに対して俊史管理官がどう対処していくかという側面だ。葛木は俊史管理官がこの特捜部の指揮に失敗し汚点を残さないようにと、気づかいながらサポートする立場に追い込まれるところにある。
 もう一つは、山岡係長の捜査班のエリート意識と横暴ともいえる振る舞いが、所轄の捜査員たちを内心激怒させるところにある。山岡係長の言動が因となり、捜査活動の進展とともに、所轄の捜査員たちが所轄の意地と底力を捜査一課の連中に見せてやろうと一致団結する形に展開していく。ここが捜査プロセスにおける組織的なダイナミクスという側面での読ませどころとなる。そこから生まれたのが「所轄魂」というキーワードである。

 特捜部が立ち、聞き込み捜査が三日間つづくが、突破口が未だ見つからない。そこに予期せぬ事態が起こる。江東区新砂三丁目の東京湾マリーナで、係留中のクルーザーのデッキ上に女性の死体があるという通報が入った。ここも城東署の管轄だった。さらに水に縁のある場所で事件が起こった。葛木は嫌な予感を抱く。
 刑事部上層部の判断により、二つの事件は同一犯によるものとして、特捜部が連続殺人死体遺棄として、捜査を拡大することに進展する。事件の筋読みがどう進展するか。どういう分担で捜査活動が始まるか。本書でお楽しみいただきたい。

 俊史管理官がプロファイリング視点から発想した靴フェティシズムという一つの観点での聞き込み捜査から、幸田正徳という独身、28歳の男が浮かび上がってくる。初犯だったので略式起訴で済んでいたという。幸田正徳に関しての周辺情報が捜査されていく。
 一方、聞き込み捜査を続ける中での情報から、第三の被害者が既に出ている可能性を葛木は懸念し始める。

 極秘で進められていた捜査だったが、<江東区連続殺人事件、手口は運河上での絞殺か>という三段抜きの大見出しで新聞報道になってしまう。あきらかに特捜部の捜査活動を内部の誰かがリークしたのだ。俊史管理官の顔から血の気が引く事態になる。
 機密扱いの情報を朝の全体会議でオープンにしたのが、その日の夕刊の記事になっていた・・・・・という事態だから。
 情報のリークを契機として、俊史管理官と山岡係長は正面切って捜査方法に関して対立する形に進展していく。山岡は己がこの帳場を仕切ると言い出す。所轄捜査員たちの所轄魂が一層ふるい立っていく。
 読者にとっては、おもしろい展開に突き進む。

 このストーリーが一捻りおもしろい展開となるのは、問題の幸田正徳である。幸田正徳に関わる捜査情報が累積していく中で、幸田には姉の死に関わって警察に対する不信感があったことも明らかになる。また、幸田正徳の生活歴や人間関係が明らかになる中で、幸田にとっても知らぬ間に陰湿な伏線が秘められていた事実が明らかになってくる。そして葛木や大原課長が警察官としての職を賭けた行動に出る。その所轄魂が鮮やかに実を結んでいく。ストーリーのこのラストスパートが実に読ませどころとなっている。

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館

 

『奇想の江戸挿絵』 辻惟雄  集英社新書ヴィジュアル版

2019-11-23 21:27:35 | レビュー
 この表紙から裏表紙に及ぶ絵は、本書のp160-161に見開きのページに、図77として載っている。『椿説弓張月』という曲亭馬琴作で文化4年(1807)に出版された読本(よみほん)の挿絵である。この絵を描いたのはなんとあの葛飾北斎だという。葛飾北斎が浮世絵を描く以外に、北斎漫画と称されるものを描いていることは知っていたし、見たこともある。しかし、北斎が草双紙と称される黄表紙、合巻(ごうかん)や読本に挿絵を描いていたことを、本書で初めて知った。高校時代に『椿説弓張月』を滝沢馬琴が書いたという知識は学んだ記憶がある。これまた曲亭馬琴とも言うことを本書で知った。曲亭馬琴はペンネームで、滝沢馬琴は本名という関係である。曲亭なんて習った記憶がない。
 さらに、その読本の挿絵を北斎が描いたことなど知らされなかった。今手許にある社会人になった以降に改めて入手した平成年代発行の高校生向け学習参考書を開いても、『椿説弓張月』滝沢馬琴作と記されているだけである。
 そういう意味で、この本を読み、江戸時代の庶民向け文学と言える黄表紙・合巻・読本という世界の広がりを楽しく知ることができた。本書では、江戸後期に出版された黄表紙・合巻・読本を対象にして、その中に描かれた挿絵に光を当てていく。さらには、本書タイトルに「奇想の」という修飾語を冠するところがおもしろいところである。その言葉にまず惹きつけられ、表紙の絵を見て読み始めた。

 なぜ、奇想か? それは、目次構成をご紹介すれば一目瞭然だろう。
 第1章 「異界」を描く /第2章 「生首」を描く /第3章 「幽霊」を描く
 第4章 「妖怪」を描く /第5章 「自然現象」を描く
 第6章 「爆発」と「光」を描く /第7章 デザインとユーモア 
「奇想」つまり「奇抜な思いつき」(『日本語大辞典』講談社)をごれでもかこれでもかと盛り込んで、白黒で描き出された挿絵がここに、上記の章立てで合計100図、解説付で紹介されている。奇想は、英語の fantastic idea という語句に相当するようだ。
 江戸時代の庶民本、娯楽本に世界に、これだけ豊かな広がりがあったことを改めて認識した次第。こんな分野の一端でも授業にでてくれば、国語の授業ももっと楽しかったのではないかと思う。
 本書の表紙に使われた北斎の絵は、第6章に出てくる。著者は北斎が描いた爆発イメージは、松浦史資料博物館所蔵の蘭書『オランダ史』の中に掲載の船が爆発するシーンに由来すると考察している。北斎が奇想の挿絵のための描法やヒントを西洋を含め、様々なところから取り入れているとする考察部分も興味深い。

 「はじめに」において、著者は「黄表紙のマンガ的デザイン」について、読者の意識を喚起し、黄表紙本が「大人の文学になっても『絵本』なのが江戸の戯作の特色である」と言う。20~30ページの黄表紙が江戸幕府当局との関係で、長編仇討物へと進み合巻が出版される。それがさらに読本へと進んでも、この「読む」本にも絵が大切な役割を担うという。この絵を描く、挿絵を描くという分野でも、葛飾北斎が抜群の冴えを見せているのは、本書に紹介された挿絵を眺めていけばなるほどと思う。

 著者によれば、読本作者の二大スターは、山東京伝と曲亭馬琴。山東京伝は歌川豊国と、曲亭馬琴は葛飾北斎とコンビを組んで、文化年間(1804~1818)に読本の黄金時代を築いたという。これらの出版物は、白黒世界である。白黒の濃淡だけの挿絵で、上記の奇想の挿絵が絵師もそれぞれ工夫をこらし競い合った豊かな世界があったのだ。この白黒世界の想像力が、現在のマンガ・劇画・アニメの先達だと著者は説く。本書の挿絵をつらつらと眺めていくと、ナルホド感が強い。マンガ・劇画・アニメの文化が大きく花開くルーツが江戸時代にあったのだ。それを教えてくれる本でもある。
 本文を読まずに、各挿絵の図に加えられた数行以内の説明文だけ読んで、挿絵を眺めていくだけでも十分楽しめる本である。
 勿論、豊国と北斎だけでなく、豊国派の絵師、北斎の弟子など、挿絵の分野で当時活躍した絵師たちの奇想の挿絵も数多くとりあげられている。しかしこれらの絵師の名前は、私には初めて目にするものだった。そういう意味で、江戸の絵師たちに親しむことができる本にもなった。

 本書で取り上げられた挿絵が載る合巻・読本の書名やその内容は本文に挿絵解説を主体にする形で出てくる。それを捕捉する意味を兼ねて、章末に「作品のあらすじ」が各書についてまとめてある。「あとがき」を読んでわかったのだが、この作品解説は近世文学研究者である学習院大学講師・藤澤茜死がまとめられたようだ。合巻・読本の合計47冊について、そのあらすじが簡潔にわかりやすくまとめられている。「あとがき」を読んで、これもまた納得できた。文学の研究者が協力しているのである。

 おもしろい読み物であり、絵を眺めて楽しめる本である。江戸時代の絵の世界の広がりを知る上でも、手軽に読めて有益である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
曲亭馬琴 :ウィキペディア
曲亭馬琴 → 滝沢馬琴 :「コトバンク」
山東京伝 :ウィキペディア
山東京伝 :「コトバンク」
初代 歌川豊国 :ウィキペディア
合巻  :ウィキペディア
読本  :ウィキペディア 
椿説弓張月  :ウィキペディア
椿説弓張月  :「椙山女学園大学デジタルライブラリー」
釈迦御一代図会. 巻之1-6 :「古典籍総合データベース」
善知安方忠義伝. 前,2-3編 / 山東京伝 著 :「古典籍総合データベース」
浅間岳面影草紙. 1-3之巻 / 柳亭種彦 編  :「古典籍総合データベース」
頼豪阿闍梨怪鼠伝  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
頼豪阿闍梨怪鼠伝. 巻之1 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
無間之鐘娘縁起 6巻   :「国立国会図書館デジタルコレクション」
浮牡丹全伝. 前帙 / 山東京伝 編  :「古典籍総合データベース」
[志道軒往古講釈]. [前],後編 / 山東京伝 作 :「古典籍総合データベース」
霜夜星. 1-5巻 / 種彦 著   :「古典籍総合データベース」

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『10代からの心理学図鑑』 マーカス・ウィークス著 ジョン・ミルディンホール監修 渡辺滋人訳 三省堂

2019-11-17 10:40:10 | レビュー
 表紙の図柄と翻訳書のタイトル、特に「10代からの」「図鑑」という言葉に関心を抱き手に取った。社会人となってから心理学に興味を持ち始め今に至るが、特定の分野を少し学ぶに留まっている。それ故、言葉としては図鑑という語に反応したのだろう。
 まず表紙がおもしろい。上部中央に、ジグムント・フロイトがこちらを見つめている。その下には、ロダンの考える人像が配され、大脳、指さす右手、目などちょっと思わせぶりなイラストと英文語句などが散在している。「10代から」と記されているから、かなりやさしく説明された図鑑なのか、とふと思う。実際に読み始めると少し印象が変わった。この冠語はあくまでキャッチコピーだなと。しかし、嘘ではない。義務教育、高校時代を経て、順調に大学に進学するとすれば、10代なのだから。読後印象として言えば、大学の所謂教養課程で心理学入門を学ぶテキストくらいの内容と判断した。まとめ方の面白さ、イラストをふんだんに使ったユニークさなどを考えると、これをテキストにして、さらに担当の先生がプラスαのレクチャーを加えれば、心理学への興味は大いに高まるのではないかと思う。高校生でこの本に興味を抱く人なら、かなり心理学オタクの部類だろうと感じる。高校時代には、パブロフ、フロイトの名前と業績の一部や錯視図程度は知ってはいただろうけれどと、振り返ってみるならば・・・・。

 翻訳書のタイトルは、たぶん本書の内容の心理学分野の網羅性とイラストの多様などからネーミングされたのだろう。表紙のフロイトの肩の位置に、「HEADS UP PSYCHOLOGY」
とあるのが本書の原題である。辞書を引くと、head up は<人、団体>を指揮する、・・・を率いる、という意味のようである。つまり、Xが心理学を率いたというくらいの意味だろうか。心理学の開拓者たちなんて意訳してもおもしろみはない。だけど、本書の内容はそういう感じである。
 つまり、「心理学って何?」から始め、現在の心理学がどのように専門分化しその裾野を広げているかについて、その分野を開拓した心理学者のプロフィールと研究成果のエッセンスをわかりやすく説明する。そしてその分野の後継研究者の関心や論点、研究結果などにも触れていく。心理学の学問分野を網羅的にバランスよく解説している。比較的読みやすくてわかりやすい解説にとどめて、心理学入門ガイド的なまとめになっている。巻末には「心理学者人名録」(総数55人)、「用語解説」(98項目)が付いているので、「図鑑」の体裁は一応クリアーしていると言える。ただし、本文該当ページの索引という機能は備えていない。

 本書は、冒頭の見開きページで「心理学って何?」と問題提起し、次に「心理学者はどんなことをするのか?」を語る。「学問としての心理学」「医療としての心理学」「心理学の社会的応用」という観点で心理学の分野を鳥瞰図的に整理する。本書は最初の「学問としての心理学」を中心とした解説になっている。そして、3つめに「研究方法」について触れる。そこでの第1文は「この本では心理学上きわめて重要な発見のいくつかを簡単に紹介しています。」で始まる。この一文、読後の判断として、きっちり実行されていると思う。

 本書の構成と内容の一端をご紹介しておこう。
 最初の太字の一行は、目次の章名である。その横に心理学のどの分野についての解説なのか、その名称を記す。そして、興味を引きそうな小見出しを一部紹介する(a)。次に、この研究分野を開発しその後の展開の礎となった研究者名(巻末に名前が載るが、プロフィールなどは本文の一部で紹介されている人)を紹介(b)し、この分野の発見事項の一端を本書から引用(c)する。

私を動かすものは何?  発達心理学
 (a)どうして親は必要なのか?/なぜそんなふうにふるまうのか?
 (b)イヴァン・パブロフ 行動主義心理学の土台を築く
      犬の唾液分泌に関する実験「古典的条件付け」と、条件反射の「解除」
    メアリー・エインズワース 子供の発達、特に母子関係の研究
      愛着とは、一人の人間を別の誰かに身近に結びつけ、時間がたっても持続する
      愛情の絆である。
 (c)私たちは他者を通じて自分自身になる (レフ・ヴィゴツキー)
    行動は「正の強化」と「負の強化」によって形づくられる (B・F・スキャナー)

脳はどう働くのか?  生物学的心理学
 (a)心と脳は別のもの?/脳で何が起こっているか?/夢を見る
 (b)サンティアゴ・ラモン・イ・カハル
      神経システムの仕組みを研究し、ニューロン説を提唱
    ヴィラヤヌル・ラマチャンドラン
      「幻肢」に関する研究、共感覚現象と脳の領域のつながりを研究
 (c)脳内の驚くほど入り組んだネットワークこそ、私たちをつくりあげているものだ。
                           (コリン・ブレイクモア)
    もし脳内に生物学的な時計がなければ、私たちの生活は混沌としてしまい、
    行動は秩序を欠いたものとなるだろう      (コリン・ブレイクモア)

心はどう働くのか?  認知心理学
 (a)知識とは?/記憶を信じてはいけない/自分を欺いているのでは?-思いこみの罠
 (b)エリザベス・ロフタス
      「長期記憶」が研究人生を決定づけるをテーマに研究
      実際には起こってもいないことを信じこんでしまう場合がある。
    ドナルド・ブロードベント
      私たちが一度にひとつの声しか聞けないことを明らかにした。
 (c)記憶の再生は、過去の経験に対する私たちの態度からなる想像的再構成だ。
                           (フレデリック・バートレット)
    短期記憶は一度に7項目程度まで保持できる。  (ジョージ・アーミテージ・ミラー)
    自分が愚かだと感じるようなことをしても、私たちは自分がしたことを
    正当化する方法を見つけようとする。      (エリオット・アロンソン)
    必要、動機、期待--どれも知覚に影響を与える。(ジェローム・ブルーナー)

自分らしさとは?  差異心理学
 (a)私ってどんな人間?/人格は変わるか?/正常とは?/根っからの悪人っている?
 (b)ゴードン・オルポート 人格心理学の創始者とみなされる
      私たちの人格は固定したものではない。一貫して変わらない特性もあるが、
      時とともに変化する特性や限られた状況でしか姿を見せない特性もある。
    ジグムント・フロイト 精神療法に大きな影響を与えた
      催眠と「談話療法」、夢分析
      夢の解釈は、心の無意識の働きを知るための王道である。
      人は自分自身のコンプレックスを取り除こうと骨を折るべきではなく、
      コンプレックスとの調和をはかるべきである。
 (c)精神異常の性質を理解することは医者の努めだ。 (エミール・クレペリン)
    ある種の状況では、私たち「正常な」成人もかなりの割合であまり好ましいと
    はいえない行為に及んでしまう。        (エリオット・アロンソン)
    よい人生のプロセスとは・・・・・・人生の流れの中に自分自身でしっかりと船出
    していくことを意味する。           (カール・ロジャース)

私の居場所はどこ?   社会心理学
 (a)なぜ「いい人」が悪いことをするのか?/仲間意識と集団思考/恋におちる
 (b)ソロモン・アッシュ  同調性に関する研究で有名
      人間の心というのは、偽りよりも真実の発見に向いた器官だ。
    スタンレー・ミルグラム 服従についての実験で有名
      責任感の消失こそ、権威の服従がもたらす最も重大な帰結である。
 (c)さまざまな人々があ緊急事態を目撃すると、みな他の誰かがなんとかする
    だろうと思い込む。              (フリップ・ジンバルドー)
    態度とは信念と価値観が結合したものである。  (ダニエル・カッツ)
    集団思考では、集団の価値は単に都合のよいものであるだけでなく、
    もともと正しく善いものだとみなされる傾向がある。(ウィリアム・H・ホワイト)
    権威がうまく働かないときは、権威の使い方を加減するのではなく、まったく
    別の方法で影響を与えることを考えなくてはならない。(ダグラス・マクレガー)
    人が経験する愛の総量は、親密さと情熱と責任の絶対的な強さによって決まる。
                            (ロバート・スタンバーク)

 ほんの一部のご紹介だが、ここから関心を抱かれたら、本書を開いてみてほしい。
 読みやすい図鑑と言える。

 ご一読ありがとうございます。

本書で取り上げられた心理学の分野がネット上でどう説明されているか。少し検索してみた。一覧にしておきたい。
心理学  :ウィキペディア
発達心理学とは?  :「メンタルヘルス情報サイト」
発達心理学とは? 3分で理解する発達心理学で学べる7つのコト :「心理学の時間ですよ!」
脳科学と心理学の違いとは?その本質を知ろう! :「iDEAR」
認知心理学ってどんな学問?  :「箱田研究室」
認知心理学  :「コトバンク」
認知心理学  :「科学辞典」
差異心理学  :「コトバンク」
進化心理学  :ウィキペディア
社会心理学とは  :「心理学総合案内こころの散歩道」
社会心理学  :「コトバンク」
夢分析の心理学 記事一覧 :「夢分析の心理学」
精神分析学  :ウィキペディア
行動心理学とは?仕事や恋愛で使える16の心理学&学習に役立つ本を紹介! :「Smartlog」

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『神を統べる者 上宮聖徳法王誕生篇』  荒山 徹  中央公論新社 

2019-11-15 10:27:21 | レビュー
 『神を統べる者』(全3巻)の最終篇である。副題は「上宮聖徳法王誕生篇」である。つまり、大和から放逐され海外に遁れ、インドに至った厩戸御子が、遂に倭国に戻ることで、最後のクライマックスを迎えるというストーリーになる。
 この巻は、「第5部 タームラリプティ(承前)」「第6部 隋」「第7部 淤能碁呂島」「終章」という構成になっている。

 第2巻『神を統べる者 覚醒ニルヴァーナ篇』の続きとして、第5部の後半からストーリーが展開していく。この後半は、厩戸御子が港湾都市タームラリプティの権力者の一人であるムレーサエール侯爵が陰の経営者である娼館が襲撃された直後の状況から始まる。襲撃者たちが厩戸御子を拉致して去った。襲撃者はトライローキャム教団に属するカウストゥパとその一団である。厩戸御子はイタカ長老が教団を創始した島であるアヌラーダブラに連れ去られる。
 つまり、この第5部後半は、ムレーサエール侯爵たちによる拉致された厩戸御子の居所の探求、柚蔓たち攻撃部隊による厩戸御子の奪還プロセス、タームラリプティへの帰還が描かれる。
 ここで面白いのは、2つの事象がパラレルに進行しながら、それが厩戸御子の存在を前提にして繋がっているという展開である。一つは、イタカ長老とその一団が教団の船で港湾都市タームラリプティの近海まで遠征する。港湾都市タームラリプティをトライローキャム教団が今後の布教の拠点とするために占拠し、支配下の置くという宣言をこの港湾都市を統治する十三人委員会に行うのだ。その円滑な拠点化のための教団の交渉人がカウストゥパである。ムレーサエール侯爵は委員会の一員である。交渉は遅々として進展しない。イタカ長老は教団の威力を海上から示す為に、奇想天外なものを繰り出し、破壊力をタームラリプティの護衛軍船に見せつけるところから始めて行く。
 一方で、厩戸御子が拉致された島の所在地が判明し、イタカ長老たちと入れ違う形で柚蔓たち攻撃部隊が島に乗り込む。奪還作戦を始めるのだが、こちらでも意外な事態が発生していく。超巨大コブラが出現する。
 厩戸御子は拉致されて、どうなっているか? これが第5部の興味深いところである。厩戸御子はイタカにより、霊力の根源、霊力源の役割を担わされているのである。そこに関わるのが、イタカがこの島で発掘した仏像「リンガのある仏像」だった。不可思議なストーリーの展開が始まる。島に捕らわれている厩戸御子が、タームラリプティの近海にいるイタカ長老の指揮する破壊力の霊力源となっているのだ。そして、柚蔓が厩戸御子を奪還できる時点で、霊力源にされていた厩戸御子が逆転劇を演じることになっていく。
 ファンタジックな戦闘場面の描写がおもしろい。

 第6部のタイトルは「隋」である。なぜ、隋か? 海路インドまで渡航してきた厩戸御子は、柚蔓、虎杖とともに、陸路で倭国に戻るという選択をする。いわば、大乗仏教がシルクロードを経由し、天竺→西域→中国→朝鮮半島→倭国と伝播してきた過程を踏むという次第である。
 だが、この第6部はわずか7ページで終わる。隋の皇帝の子で、晋王の称号を持ち、19歳となった広に関わる話だけが語られる。そう、厩戸御子が広陵において道教の教団に捕らわれて、道観で知り合った広である。厩戸が広から九叔道士が埋め込んだ太一を除去してやるという次第。この部分は、「覚醒ニルヴァーナ篇」と関係している。

 第7部は、用明天皇2年(587)、旧暦3月3日の夕刻に、厩戸が大和国と河内国の境界である生駒山の頂に立った場面から始まって行く。用明天皇は厩戸の父である。敏達天皇により放逐された厩戸御子は、父が天皇を継いだ後に、倭国に帰国したことになる。
 この第7部で、厩戸は厩戸皇子と表記される。著者は、敏達天皇の時に、厩戸の父が皇族であった段階では、御子と表記されてきたことになる。
 この第7部は、日本史の年表を読めば、「飛鳥時代 587年 蘇我馬子、聖徳太子らと物部守屋を滅ぼす」と記される一行を、272ページのボリュームでダイナミックに描き出したと言える。それも、奇想天外なファンタジー風の読み物としてである。「淤能碁呂島」、つまり『古事記』に出てくる「国生み」の話を踏まえたスト-リー設定が加わる。蘇我馬子と物部守屋との間の宗教戦争における物部守屋側の隠し兵器、淡路の神庫を開き、天地開闢以来の力に頼ると・・・・・。構想が奇抜でおもしろい。河内国におけるこの戦いの状況設定もかなり奇想を交えているようだ。河内における物部守屋の拠点は、河内湖の中州、阿都島にある堅牢な城と設定されている。湖上にあるた読み物になっていると思う。つまり、物部守屋と蘇我馬子両軍の戦は水上戦になるという設定である。このあたりは、フィクションだからこその楽しみかもしれない。
 飛鳥時代、6世紀頃の河内国の地理的状況はどうだったのだろうか。河内湖と称されるほど大規模な湖が実在したのか? 逆にそういう関心が生まれて来た。

 もう一つ、この第3巻の副題「上宮聖徳法王誕生篇」に着目してほしい。著者は「法王」という用語を使用している。馬子に組みして厩戸皇子が崇仏派の立場に立ち、守屋を筆頭とする排仏派と戦ったという史実を踏まえている。しかし、著者は厩戸皇子が「法王」の立場に立つという決意をしたと位置づけているところが、この小説での要になる。本書のタイトル「神を統べる者」になる決心をしたという。この発想視点が新鮮である。そこには、倭国を文明社会にするという政治的視点が色濃くつきまとっている。厩戸は、馬子でもなく、守屋でもなく、独自の立場で仏教容認の立場をとったとするところが実に興味深い。その視点は、本書を読んで考え、楽しんでいただくとよい。

 終章は、柚蔓・虎杖と厩戸の別れで締めくくる。柚蔓と虎杖は彼ら自身の生きる道を選び取る。それがどういう選択かは、終章をお読みいただきたい。

 この作品、奥書を読むと、著者のデビュー20周年記念作だという。
 読者の視点では、成人向けファンタジーである。楽しめる。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの関心の波紋でネット検索した事項を一覧にしておきたい。
蘇我馬子 :ウィキペディア
物部守屋 :ウィキペディア
『聖徳太子・物部守屋(もののべ の もりや)と八尾』  :「八尾市」
古事記「国生み」のオノコロ島どこ?(もっと関西):「日本経済新聞」
オノゴロ島  :ウィキペディア
おのころ島神社 ホームページ
古代大阪の変遷  :「水都大阪」
河内湖  :ウィキペディア

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著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『神を統べる者 覚醒ニルヴァーナ篇』  中央公論新社
『神を統べる者 厩戸御子倭国追放篇』  中央公論新社
『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』  祥伝社
『秘伝・日本史解読術』  新潮社

『鬼とはなにか まつろわぬ民か、縄文の神か』 戸矢 学  河出書房新社

2019-11-12 20:00:09 | レビュー
 先ずタイトル「鬼とはなにか」に引き寄せられて手に取った。表紙カバーの写真がさらに惹きつける。この本のための図柄かと思ったが、目次の末尾に、「朝光寺鬼追踊」と付記されている。関心を持ち、調べてみると、朝光寺は兵庫県加東市畑にあり、朝光寺鬼追踊保存会が毎年5月5日に踊りを奉納されていて、重要無形民俗文化財に指定されているという。また、扉には滋賀県の大津絵「鬼の念仏」が使われていてこれまたおもしろい。

 さて、本書は「あとがき」に記されているが、著者の願望から生まれた一書という。鬼誕生の秘密を解き明かし、その正体を知りたいという願望である。その願望の一端がまとめられた。ただし、本書は「鬼」についての概説書ではないと著者自身が記している。とは言いながら、読者のために、多少概説的にまとめて書いている箇所がある。第7章の後半部分(p134-147)である。 
 概説書でないなら、何か? 著者は「鬼とはなにか」の正体を探るために、「鬼」について様々な観点から切り込んで、その正体にアプローチしていく。その究明のプロセスを章立てに構成した書である。それぞれの章において著者は己の所見を導き出し、それを集積していく中から、著者は「鬼」の正体を導き出す。
 著者は本書で「漂着外国人や渡来人、犯罪者を除けば、『縄文人』のことである。」(p176)と結論づけている。なぜそう結論づけられるのかのプロセスをお楽しみいただくとよい。
 
 著者は「まえがき」で、漢語「鬼」が日本に伝わる以前に、大和言葉には「おに」という言葉があり、それは「『かみ』と同類の畏敬すべき何者かを意味していた」(p1)と言う。「鬼(き)」という漢語が「おに」に当てはめられたことにより、「おに」という大和言葉に含まれていた日本人の信仰心が変質、歪曲されて行ったと解いていると私は理解した。著者は、折口信夫が「おに」には本来「穏(おぬ)」の字を充るのが相応しいと指摘し、「隠れている、見えない存在、つまり『かみ』と同義である」(p2)としたことをとりあげ、その考えを否定するつもりはないという。一方で、折口の所見を語源とする説が流布していることを誤解の元だと断言している。
 「鬼」「鬼門」「鬼退治」「百鬼夜行」「鬼は外」「まつろわぬ民」など、鬼に関わり多くの人が知る言葉などをも解明するプロセスを通し「日本人の信仰心の原像に迫ろうという試み」(p5)が本書といえる。その上で「鬼」の正体に迫っていく。

 「鬼、おに」を考える上で、知らなかった事項を数多く学べた。素朴ないくつかの疑問点もまた氷解し、そうだったのかという知的興奮と楽しみを与えてくれる一書だった。

 本書で知り理解したこと、つまり各章の要点を紹介してみよう。各章の論述はその論証プロセスと言える。ビジネス文書風に言えば、結論⇒論証(内容)であり、結論に相当する箇所等を要点として記す。論証(内容)部分は本書を開いて、熟読しつつ確認していただきたい。以下は、私自身への覚書でもある。

まえがきー「おに」の原像
*漢語の「鬼」は死人を意味し、「毛髪がわずかに残った状態の白骨を意味する象形文字」である。
*「おに」に「鬼」をあてはめた結果、「神の道」が「鬼の道」に化けた。
*かつて「おに」は、「もの」とも「かみ」とも呼ばれていた。

第1章 鬼のクーデター あずまえびす、ヤマトに叛逆す
*平将門、将門の乱に焦点をあて、「将門信仰」は「御霊信仰(怨霊信仰)」の典型と説く。
*平将門を祭神とする神社は全国に18社。うち13社が関東に所在する。
*東国の叛乱は、京の都からみれば「まつろわぬ民」であり、「鬼のクーデター」ととらえた。まつろわぬ民=害をなす鬼。それは、京の為政者の見方・立場による。

第2章 怨霊は鬼か 鬼となる怨霊、ならぬ怨霊
*『日本書紀』に記す蘇我馬子による崇峻天皇殺害説には疑問符がつく。崇峻は怨霊にも鬼にもならなかった。
*鬼とならなかった怨霊:崇峻天皇、蘇我入鹿(乙巳の変で暗殺される)
 鬼となる怨霊:日本三大怨霊⇒菅原道真・平将門・崇徳院
   ⇒ ただし、天神信仰は祟りや天罰、怨霊とは無縁の信仰の側面である。
*怨霊は「怨まれている」と感じる他人が創造するものである。⇒鎮魂のために神社を創設
 
第3章 鬼を祀る神社 温羅(うら)伝説と国家統一
*「鬼」が祭神名に含まれる神社で神社本庁に登録されているのは全国に15社ある。
  ⇒ 本文に列挙し説明を加えている。そこからわかることを著者は究明する。
*「鬼」を社名に採用している神社は、同様に全国に61社ある。
  ⇒ 神社の創建当時、だれを鬼と見做していたかがわかると説く。
*岡山県の吉備地方にある吉備津神社と吉備津彦神社に着目。
*「鬼」と関わりのある神社は総数78社で、うち54社が東国にある。その半数が福島県に。 ⇒ これらの神社では鬼は福をもたらす神だと信仰されてきた。
*「桃太郎の鬼退治」は「国家統一譚」の一種である。
*東北地方の「鬼まつり」は、アラハバキ(荒脛巾=東人の先祖に連なるもの)を偲ぶ祭りだといわれる。⇒東国(鬼=神)とヤマトでは鬼の位置づけが違う。

第4章 女が鬼になる時 舞い踊る夜叉
*夜叉はサンスクリット語の音写で、一般的に古代インド神話に登場する鬼神を総称する語である。
*大陸には古代から奇形の怪物がいて、その一部は「鬼(き)」と呼ばれたが、「ツノ」はない。ツノがないのがもともとの鬼の姿である。
*世阿弥の能楽が、女性の恨みを鬼に化身させ般若面を創作し、「ツノ」が生えた。
*御霊信仰はもともとは、怨霊(鬼)への恐怖が生み出した。怨霊を慰霊して、神上がりしたと考えて「御霊」とした。祟り鎮めである。鬼を恐れたのは京都の文化である。

第5章 ヒミコの鬼道 神の道と鬼の道
*ヒメ神が怨霊として祀られているという証左はない。
*「ヒミコの死」から「アマテラスの誕生」への変換は「よみがえりの思想」である。
*原初的な神道祭祀と原始道教との複合が「ヒミコの鬼道(鬼神道)」である。そこには「天円地方」の思想がある。この思想が「前方後円墳」の形の根拠となる。前方後円墳は「鬼道の集大成」である。
*前方後円墳の被葬者から「北枕」になる。道教では古来から定着している風習。
 北枕と仏教は無関係と著者は言う。
*日本神話の最初の鬼はスサノヲである。

第6章 鬼門という信仰 都人の祟り好き
*怨霊あるいは鬼が侵入するのは東北(丑寅)方面からとする「鬼門」の考え「禁忌」は京都から生まれた。鬼門に特異な意味づけをしたのは日本人、都人である。日本で創造された観念・概念だ。京都の文化であり、江戸徳川はそれを政策的に取り入れた亜流である。
*漢土では鬼は死者の霊を意味するにすぎない。漢土では、鬼門(東北、丑寅)、天門(西北、戌亥)、人門(西南、未申)、風門(東南、辰已)と呼ぶ。単にそれぞれの出入りする門であり、鬼門は死者の霊が出入りする門というに過ぎない。
*「鬼門」の「禁忌」は日本人に刷り込まれていて、歴史を繙くキーワードになっていることは否定できない。
*鬼の姿は鬼門が「丑寅」の方位であることに関係する。二本のツノ(丑のツノ)と虎皮の褌(寅の姿)。

第7章 異世界のまつろわぬ民 山人・海人・平地人
*外-海の彼方、山奥-からの来訪者は、異世界・異次元からの来訪者であり、鬼の姿をした客神ととらえ、歓待した。
*歴史的に実在した鬼とは、記紀の系譜である中央政権(ヤマト朝廷)に対し、「まつろわぬ民」(=中央の意向に従わない民)を意味し、彼らの土俗神は「まつろわぬ神々」となる。中央政権は「鬼」とみなして「神殺し」(=征服の証)を行った。「まつろう神」は弥生神であり、新たな神・アマテラスだった。「まつろわぬ神」は縄文神である。弥生人による縄文人の征服の図式が背景にある。
*異形の神とは、「天狗」「河童」「案山子」そして「鬼」である。

第8章 鬼の栖(すみか) 縄文神への追憶
*海の向こうからやってきた弥生人がヤマト朝廷であり、新しい神を祀った。その神に従う者は「まつる者」(ヤマト人)であり、従わない者は「まつろわぬ者」である。まつろわぬ者の信仰する神は「鬼」とみなされた。まつろわぬ者は土着の縄文人だった。かれらは「鬼」として東西の辺境に駆逐された。東へ追いやられた縄文人は蝦夷と呼ばれ、西へ追いやられた縄文人は熊襲や琉球になったという。
*国立遺伝学研究所のプレスリリース(2018年)によれば、「現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は15%程度である」ことが明らかになったという。
*「鬼」という観念で覆い隠された縄文の信仰は全国各地に残る。熊野、三輪、そして地方各地に存在する神奈備(縄文時代から信仰の対象となってきた著名な山々と所在する神社)などである。そこは鬼の栖である。

あとがき-鬼からのメッセージ
*著者は、論理的資料的保証に頼らない主観の提示にとどまる部分が散見すると認めている。
*著者は己が鬼の末裔、鬼の血を引く者と言う。おもしろい。

 「鬼」という言葉が意味すること、そのイメージが多角的な観点からかなり明らかに整理された考察になっている。「鬼」の原像に近づいたところで、すこし主観よりで結論づけられている感が残る。しかし、そういう結論になるのだろうなと納得できる。「おに」という大和言葉に、「鬼(き)」という漢字・漢語が当てはめられたことにより、「おに」の正体・実態が大きく歪められたという歴史プロセスを認識し、「鬼」の痕跡が全国各地に実在するということを理解するうえで、役立つ一書である。

 ご一読いただきありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
朝光寺鬼追踊 :「加東市」
加東市・朝光寺で伝統の「鬼追踊」 :YouTube
加東市・朝光寺の鬼追踊      :YouTube
 :「コトバンク」
 :ウィキペディア
鬼とは何か?  :「縄文村」
鬼とは?    :「仏教ウエブ入門講座」
日本に伝わる鬼とは何か?鬼の由来と4つの種類  :「Spiritual Connect」
能面 般若  :「能面ご案内」
家の守り神「鬼瓦」の疑問~歴史、種類や産地、鬼師とは~  :「BECOS」
日本ライン 桃太郎伝説  :「桃太郎公園」

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『たすきつなぎ ものがたり百人一首』  中村 博  JDC

2019-11-09 10:20:46 | レビュー
 『百人一首』はその歌の組み合わせによる謎解き本で興味を覚え、そこから解釈・説明本や研究本を読み進めている。通読してはいないが参照本として利用している解釈本も多い。手許にも合わせれば十数冊になっていた。
 この本は百人一首全体を組み合わせてその構図を示したり、撰者藤原定家の意図の謎解きをしたりする謎解き本ではない。また第一首から第百首まで、順番にその歌意と歌の成立背景を解釈・解説していくガイド本でもない。かなりユニークな一書である。そういう意味で、実におもしろい仕上がりとなっている。
 
 「はじめに」の一文の末尾に、著者自身が本書の構成についてその発想を簡潔に要約されている。下手な説明をするより、その要約をまずここに転記することから始めよう。
 ①時代背景・作歌の状況を「定家」に語らせ
 ②作者自身の「口」で、さらに詳しい状況を
 ③訳は、作歌時の心情が浮かび上がるように歌心を捉えた「五七五七七」の短歌形式に
 ④作者同士の関連に着目し次の人に駅伝宜しく「たすきをつなぐ」形で
という構成になっている。

 著者は最初に定家に「謹上」させる。「百人一首」は後世に付けられた呼び名で、元は「百人秀歌」と名付けただけだと。その後に、「ここにその時 選びの由来 歌の詠まれし 経緯(いきさつ)記して 関連歌を 手渡し渡し 順次繋いで 解き解(ほぐ)し為し 読み易きにと 物語(かたり)としたり」とつづく。この部分を転記したのは、上記①のスタートラインがここにあること、並びに基本型は七語のフレーズの繰り返しで語り部として語っていく文体で記されていることである。 [付記:下線の語句にふられた独自のルビとが照応している]
 歌の作者のプロフィールや時代背景、その歌を選んだ定家の意図を語らせる。勿論、撰歌の理由・意図は本書の著者の解釈であろう。これまでの百人一首研究者の所見を踏まえた上での著者の考えが語られていることと思う。

 「たすきつなぎ」とは百人一首のリレーである。歌の作者が自分と何らかの関係を持つ人物を指名して、「たすき」を渡すのである。では誰から始めるか。第一詠歌者は誰か? 本書の著者はやはり、天智天皇から始めている。本書の定家は語りの末尾でこう述べる。「以下に続くは 天智の系譜 故に先ずにと 取り上げ為すは 始祖と崇める 所以にありて」と。
 
 一首に対し、見開きの2ページが当てられている。右ページの上段に定家の語りが枠囲みで記されている。下段に作歌本人が詠じた歌の背景やそれに至る経緯を語るのである。つまり、本書著者は、撰者の意図を述べる立場と、詠歌者の心情・信条・事情を述べる立場の二役を書き分けている。読者にとっては、一首が創作された背景情報を語り口調で知り、理解することになる。
 ということで、各ページは通常の解釈本のように、説明文がびっしりと詰まっているわけではない。白地がゆったり広がっている。普通の文章を書き綴るよりも、基本が七語調の語り言葉で書く、つまり凝縮させるという苦労があったのではないかと思う。どのフェーズを切り取り、語ると背景を分かりやすく伝えられるかという点での工夫が要ったことだろう。
 読者の立場では、最初は少し基本七語調の語りという文体にとっつきにくいかもしれない。なぜなら、そんな文体のものを読む機会がそう有るわけではないだろうから。読み慣れると、それなりにリズム感が伴ってくる。ちょっと異世界に入るというおもしろみを味わいながら読めると思う。

 例えば、第一詠者の天智天皇は、「我を冷血非道の帝王と酷評為すは これ致し方なきか」と語りだし、日本書紀に記された事実の要点に触れる。そして、「我れにも 民慈しみの心情(こころ)ありしを この歌にて 証左と為すに 信ずるや否や」と締めくくる。

 見開きの左のページに「百人一首」の詠歌がまず記される。よくご存知の一首が記されている。その後が、著者の本領発揮である。この一首の語義解釈や解説は一切なし。その一首の歌心を短歌形式で翻案する。それも現代口語かつ、関西弁口調の歌にして詠むのである。ここらあたりが、『万葉集』の口語短歌形式の訳出と同じ方針が貫かれ、著者の真骨頂が表出されている。著者による本歌のエッセンスつかみ取りの訳出である。

 この天智天皇の歌の場合、次のように訳出されている。
 << 秋の田を 番する小屋の 苫目(め)ぇ粗(あ)ろて
     わしのこの袖 偉(え)露濡(ぬ)れるがな >>

 この左側のページの残るスペースの使われ方は、詠まれた一首ごとにいくつものパターンが出て来ている。
 *空白のままにする
 *[参考]類歌を載せ、合わせてその口語短歌形式の訳を付ける。
 *詠歌者の系譜や人間関係を系譜図や人間関係図で分かりやすく提示する。
 *百人一首かるたの挿絵を入れる。
 *詠歌者のプロフィールを捕捉記載する。
 *詠歌者と関係のある人々との歌のやり取りを記す。
 *特定の語句(例えば、蔵人頭、薬子の変、安和の変など)の説明を加える
これらの組み合わせである。つまり、ワンポイント、重点主義での説明部分がある。

 左ページの左下角には枠囲みの中に、その詠者が誰にどのような関係、意図でたすきを引き渡すのかの理由等説明が述べられる。たとえば、天智天皇は持統天皇にたすきを渡す。その時のメセージは次の通りである。
 「我れが娘の 鵜野讃良皇女(うのささらひめ) 天武天皇(てんむ)嫁ぎて 皇后となり 後に天皇 持統となるに 次を託すが 良いかな娘」
 ここでは、後世の視点から詠者にたすきを渡す理由説明の書き方という実際にはできない記載も入っている。天智は己の娘が後に持統として天皇位に就くことは知り得ないはずだから。読者にその人間関係や理由を説明する便法的な説明と言える。
 いずれにしても、こんな感じで百首にたすきつなぎが進んで行く。
 どんな順番に歌が繋がって行くのか? 「百人一首」の順番の番号を使って、そのイメージを理解していただこう。
 1→2→3→4→6→7→11→9→12→17→16→13→15→20→14→28→22→37→23→19→
という具合である。このたすきつなぎでは、5番猿丸太夫、8番喜撰法師、10番蝉丸、15番光孝天皇、18番藤原敏行朝臣、21番素性法師その他が抜けている。どこでどういう風にたすきつなぎが行われるかも楽しめる次第である。この抜け番の中で一例を言えば、後半に入り、67番周防内侍から猿丸太夫がたすきを受けて、5→8→10→69(能因法師)というたすきつなぎになっていく。

  定家の語りと詠歌者の語りに凝縮し、本歌に関西弁風口語短歌で訳出併記するだけというスタイルに限定するというユニークなやり方故にだろうと思うが、本歌の表記について独自の表記をしている場合がある。同じページにポピュラーな百人一首かるたが併載されていたりして、その異動も対比確認できる工夫がみられる。こういうチガイ探しをするおもしろさもある。一例を示す。第72番祐子内親王家紀伊の歌である。

本書: 噂(おと)に聞く高師の浜の徒波(あだなみ)は懸けじや袖の濡れもこそすれ

他書: 音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のむれもこそすれ
      (有吉保・安東次男・鈴木日出男)
    音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ  (吉内直人)
    音にきくたかしの浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ (島津忠夫)
    おとにきく高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ (久保田正文)
 順不同だが手許にある研究者の解説本はこのような表記になっている。そして「音に聞く」の解釈を「うわさに聞く、評判の高い、よく知られた」と説明する。「あだ波」は、「徒浪、仇浪、いたずらに寄せては返す波、いたずらに立つ波」などと語釈している。
 本書では本歌の中に「噂」「徒波」という漢字で意味を伝え、「おと」「あだなみ」とルビをふることで、本歌を読ませているといえる。こういう手法が各所にみられる。解説を加えずに本歌を読ませるという工夫ととらえるのがポジティブだろう。音を重視すれば邪道とされることかもしれないが・・・。
 
 序でにこの歌の著者翻案の短歌を記しておこう。
 <<名の高い 高師徒波 被ったら 袖が濡れるに 被りは為(す)まい>>
 (評判の 浮気心の 徒情け 受けて許せば この袖涙)
後の括弧付きの翻案は、本歌がダブルミーニングの意味を込めた歌であり、裏の意味を翻案していることになる。こういう翻案も説明抜きという点からおもしろい。

 他にもある本書に特徴をご紹介しておこう。見開きのページでいくつか工夫した資料が併載されている。
1.飛鳥・藤原時代から鎌倉時代までのどの時代にどの歌人がその一生を過ごしたのかを棒グラフで全体図として、大きな事件とともにまとめた「百人一首歌人年表」が作成されている。
2.「歌人百相関」として、歌人百人の人間関係を様々なラベルで分類し、相関関係を1枚にまとめている。作者独自の分類だろう。これとは違った分類の可能性はあるかもしれない。著者が分類に使ったラベルを例示すると、平安以前、充孝即位憎し、六歌仙、隠遁歌人、恋多き女三傑、定頼を回る女、王朝女流歌人、道長憎し・・・といろんな視点から発想されている。
3.たすきつなぎの進展にあわせ、あるまとまりで右ページに「百人一首歌枕地図」が載っていて、左ページには「百人一首年表」載せてある。最初マトリクス表の数字の意味が解せなかったのだが、ふと気づいた。縦に年月が左端に記され、当該時期の天皇名欄の右に歴史的事項が名称表示されている。その右に上端に歌人名が並び、その縦列に歴史的事項に合わせてその行に数字が並んでいる。この数字、歌人のその歴史的事項があった年の年齢が記されているものだった。これ、意外と便利である。一目瞭然である年次における歌人の年齢がわかり、他の歌人との相対比較もできるから。
 「百人一首歌枕地図」と「百人一首年表」とにそれぞれ15ページずつが使われている。
これら3つの資料は本文と独立して、一つの参照資料としても役立ちそうである。

 関西弁風口語短歌形式での本歌の翻案には好き嫌いがあるかもしれないが、おもしろい試みとして一読する価値はあると思う。翻案の仕方の工夫を探るのも読む楽しみとなることだろう。

 最後にクイズ形式で著者の訳出例をご紹介する。作者が誰で、本歌はどの様に詠まれた歌かを考えてほしい。即答できれば、貴方は相当な百人一首通でしょう。たぶん・・・。

 山鳥の 垂れ尾長いで この長い 夜を独りで 寝ならんのか
 遠望(みはるか)す 島々見据え 漕ぎ出たと 告げよ釣り舟 京居(お)る人に
 知れた今 思嘆(なげ)いてみても どもならん この身滅(ほろ)ぼと 逢わずに措(お)くか
 躊躇無(ちゅうちょの)う 寝たらよかった 月眺め 西行くまでも 待たんとからに
 恨めして 濡れ続け袖 朽(く)てへんに 恋で名朽(く)ちるは 我慢がならん
 滝早瀬(たきはやせ) 岩が邪魔して 別れるが 先で会うがな わしらも一緒
 生きてたら 今の辛さも 思い出か 今は懐かし 昔のつらさ
 この命 いっそ絶(た)えよや 生きてたら 隠し恋心(ごころ)の 決心(かたさ)も弱る
 再会も 誰と気付く間 無し帰る 雲に隠れた 夜半月(つき)やなまるで
 馴染(なじ)み里 梅花(うめ)変わらんと 香り来(く)が あんたの心 さあどうやろか

 関西弁で詠まれると、百人一首も身近こうなるもんですな・・・・・・・。そんな歌なんや!

 ご一読ありがとうございます。

補遺
百人一首について  :「嵯峨嵐山文華館」
百人秀歌  :ウィキペディア
百人秀歌  :「コトバンク」
百人一首の一覧 
百人一首一覧  :「四季の美」
百人一首決まり字一覧
『百人一首』ミニ写真紀行  :「久良岐古典研究所」
百人秀歌 :「渋谷栄一」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 二』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 三』 JDC
『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻  JDC
『万葉歌みじかものがたり 六』 JDC  

『鹿の王 水底の橋』  上橋菜穂子  角川書店

2019-11-05 12:06:39 | レビュー
 『鹿の王』の続編と位置づけられている。しかし、ストーリーは『鹿の王』で中心人物となって行った<独角>の頭・ヴァンと山犬に噛まれても生き残った幼子ユナの二人のその後の物語ではない。この物語は、『鹿の王』の主な登場人物の一人、250年前に滅びたオタワル王国の末裔で、オタワルの医術を継承する天才的な医術師ホッサルに光が当たっていく。併せて、ホッサルの助手でオタワルの医術に携わりホッサルの恋人でもあるミラルが前作と同様に登場し、彼女も中心人物の一人になっていく。
 つまり、那多瑠を現皇帝とする東乎瑠帝国が舞台となる点では背景として繋がりがあり、その帝国の続きを伝えるファンタジーな物語である。

 今回はオタワルの医術を東乎瑠(つおる)帝国内で普及させ人々の生命を守るとともに、オタワル医術の発展を図ろうとするホッサルの奮闘と彼の生き様、その助手としてのミラルの立場とその生き様が描かれて行く。

 オタワル医術に立ちはだかるのが東乎瑠帝国の国教・清心教の祭司でもある祭司医たちだ。東乎瑠には<医術は神の指なり>という言葉があり、人の生死を司る医術は神の教えに従って行われるべきであると信じられている。医術で命を助ければそれで良い、という訳には行かないのが清心教の宮廷祭司医である。身の穢れという宗教上の価値観が施術に影響を及ぼすのだ。清心教の祭司医たちはオタワル医術を異教徒の穢れた技だと嫌悪している。彼らのスタンスはオタワルの医術を忌諱し、東乎瑠帝国から排除してしまうことにある。
 実はホッサルの祖父であるリムエッルが孫のホッサルひとりを伴い、宮廷に赴き皇帝那多瑠の妃を難病から救ったことで、オタワル医術は帝国の表舞台に華々しく登場することとなった。那多瑠はリムエッルに信頼を寄せている。つまり、祭司医たちは現状では力尽くでホッサルたちのオタワル医術を一掃できかねる状態にある。

 その状況下で清心教医術内にも今や大きな動きが起こり、新派・古派の二流に別れてきている。清心教の宮廷祭司医である津雅那が新流のリーダーであり、次期の宮廷祭司医長として最有力候補となっている。新流はオタワル医術の徹底的な排除を方針としている。さらに、清心教医術の源流である古流すら排除するスタンスなのだ。
 一方、従来の清心教医術の側に居る祭司医たちは、そこまで先鋭化していない。新流に押されぎみという状況にある。。
 また、清心教医術には、祭司医に厳格な上中下の位が設けられていて、その位に応じて使用できる医薬の範囲も限定されている。良く効く薬はある意味で毒とも紙一重のところがあり、使い方が慎重でなければならないことと医術の経験がかかわってくることによるため、厳格な位制を執っている。つまり清心教医術の古流の奥義を学び知ることができるのは上の位を認められた祭司医のみという厳格な伝統が根付いている。
 このストーリーでは、清心教医術の内部での勢力争いがホッサルたちのオタワル医術にに大きく影響を及ぼしていく情勢にある。

 一方、東乎瑠では、那多瑠現皇帝に対し、二人の次期皇帝候補が衆目の一致するところとなっている。一人は、那多瑠帝の弟の由吏候。進取の気性に富み、果断であるとともに狡猾な男でもある。その由吏候の統治する由吏領にホッサルの祖父リムエッルは逗留していた。
 もう一人の次期皇帝候補は那多瑠帝の娘婿の比羅宇候である。彼は己を前に押し出すような行動を取らないし、清心教医術についても鮮明な意見表明をせず慎重である。比羅宇候は人々の信頼が厚い。
 次期皇帝を選ぶ選帝候の一人に王阿候がいて、彼は津雅那の後ろ盾となっている。一方で、王阿候は比羅宇候を次期皇帝に推している。また、東乎瑠帝国の西端にはアカファ領があり、選帝候でもある王幡候が統治している。その息子の与多瑠は、ホッサルを信頼している。東乎瑠帝国の皇帝は5人の選帝候によって承認を受けて、初めて皇帝の座につくことになっている。

 東乎瑠帝国では、次期皇帝候補の勢力争いと清心教の宮廷祭司医長の位に就くための勢力争いが複雑に絡んで来ている。その中に、オタワル医術の存亡が巻き込まれつつあるという状況にある。

 こんな状況下で、安房那家の二男である真那がもう一人の中心人物として登場する。彼は清心教の祭司医である。現時点は祭司医としては低い位に属している。

 背景状況の構図説明が長くなった。真那がミラルを安房那に誘ったことから、このストーリーが始まっていく。結果的にホッサルは与多瑠の意見を聞きつつも、ミラルと一緒に安房那にいくことを選択する。そこで、安房那領がこのストーリー展開の舞台となっていく。
 安房那領は歴史が重層化された地域であり、清心教医術のルーツの土地でもあることがストーリーの展開に大きく関わって行く。
 さらに、真那の父親は安房那領の領主・安房那候(羽羅那)であると同時に、清心教の上位の祭司医であり、清心教医術の古流を熟知している人物でもあったのだ。この安房那候の思考と策略がストーリーの展開で重要な陰の役割を担っていく。

 ここから安房那領を舞台としてストーリーが展開するプロセスに関わるいくつか情報をご紹介しておこう。
*ミラルの父ラハルは橋造りの名工であり、いまはこの安房那領で橋造りに従事している。
*安房那領の元々の領主は乎来那(おきな)家で、清心教医術の宗家である。
 乎来那ノ大樹(たいき)のことが明らかになる。
*安房那領には、リムエッルの弟であるオウロが滞在していて、彼は新薬開発に力を注いでいた。真那の祖母・志津弥の病を診ていて、信頼されている。そして彼が真那の兄の娘、亜々弥の持病である出血病と対峙していることをホッサルは知る。
*花部山地の奧の秘境花部が清心教医術の源流である。花部流医術が明らかになる。
*安房那領では恒例の<鳴き合わせ、詩合わせ>が開催される。この会に次期皇帝候補や選帝候など主だった人々が一堂に会する機会が集まってくる。そこで、事件が起こる。
*この会を想定して、ホッサルの祖父リムエッルはある謀略を仕掛けていた。

 いずれにしても、花部流医術と出会い、マヒム師を知ることにより、ホッサル、ミラルが生き方の選択をしていくことになる。勿論、真那にも大きく影響が及んでいく。
 そこで、彼らには医術とは何かの問いかけがつきつけられていくことになる。

 次期皇帝と清心教の次期宮廷祭司医長というそれぞれの位をねらう勢力争いの構図の中で、清心教医術とオタワル医術の対立、存立への確執が描かれて行く。現実に存在する難病を抱えた病人を介在させることで、医術とは何か、人を生かすことにおける信仰と医術の関係が問いかけられていく。それは医術に対する一種の哲学的問いかけでもある。

 私は、このストーリーを詠みながら、西洋医学と東洋医学の関係性を連想し、それを重ね合わせてしまった。

 このストーリーの中で、印象深い文に出会った。ご紹介しておこう。

*まったく異質の医術と出会ってはじめて、観ることができる風景というものがあるのだ。 p232
*医術師は人の命を左右するから、使わせるべきでない薬は、知らせない方が安全というわけよ。 p242
*大切なのは、命を長らえさせることではなく、命を全うさせることだからね。 p245
*病んでいる人の人生の中のほんのつかのまを助けられたら上等で、何をしようと、その人はやがて死ぬということを。 p246
*医術師が治せる病なんて、ごくわずかしかないのに、治せるわずかな患者を諦めたら、医術師である意味がない。 p251
*私たちは病に、というか身体に注目し過ぎて、全体をみていなかったな、とか。p256
*病と医術と、生と死と、人の幸せの関係は、きっと、部分を見極めただけでは見えてこない、ゆらゆらと形なく揺らめきつづける何かであるような気がしてならないの。p258
*いつの間にか私の中で絶対の基準になっていたものを、壊してみたいの。 p258

 最後に、この小説のタイトル「水底の橋」について触れておこう。
 これは、ミラルがマヒム師のもとに留まって花部流医術を学ぶ選択をして、薬草採りをしている時に、川の流れを調べるために、上流に向かう父を見つけて、声を掛ける。近づいてきて二人が会話する中で、橋造りの名工であるラハルが、己の目に焼き付いている水底の橋についてミラルに語る。その内容に由来している。橋の役割とは何かに絡んだラハルの思いがそこに関わっている。

 この小説の最終ステージでは、推理小説的要素も加わり、全体の構図の謎解きが行われるという展開になる。そして、安房那候による意外な選択と配慮が、ホッサルとミラルに影響を及ぼすことになる。また、ホッサルが医術に対する一つの結論を導き出した。その結論を聞いた安房那候は、実によい笑顔を表した。そのホッサルの結論を楽しみに、本書をお読みいただきたいと思う。併せて、ホッサルとミラルの会話も・・・・・。

 ご一読いただき、ありがとうございます。

著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『精霊の木』 偕成社
『鹿の王』 上・下  角川書店