遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ウツボカズラの甘い息』 柚月裕子  幻冬舎

2016-02-06 11:22:26 | レビュー
 殺人事件の犯人を追う神奈川県警本部捜査一課刑事である秦圭介警部補の頭に浮かんだ植物が食中植物がウツボカズラだった。「細長く伸びた葉の先端に、壺のような形状の袋がついている。・・・・・甘い蜜で虫をおびき寄せ、中に落ちた虫を食いながら生きる」(p428)という植物である。本書のタイトルはここに由来するようだ。そして、それは犯人の行為を的確にシンボライズしていることにもなっている。
 完全犯罪は続かない。なぜなら人間は人間社会で生活しているかぎり、その痕跡を完全には消すことができないからである。この小説はウツボカズラのイメージとこのテーゼをモチーフにした作品だと感じた。ここまではうまく繰り返せないのではないかと思える犯罪歴が後で浮かび上がる直近の事件が発端となる。実に巧妙に構成されている。

 一気に読ませるストーリー展開である。それは卑近な人間の欲望と言葉巧みに惹きつけられ手玉にとられる人間心理が巧みに織り込まれていて、そこにすごく切実感を感じるからであろう。またこの捜査プロセスで秦主任が鎌倉署強行犯係の中川巡査とコンビを組み、敷鑑を担当する。中川菜月巡査は長い髪を後で一つに束ねた切れ長の涼しげな目と薄い唇の美人で、背が高く手足が長くてスタイルが良い。大卒入庁で6年目、28歳か29歳位なのだ。敷鑑の経験は二度あるという。この美人刑事が秦と組んでどんな活躍をするかも、興味を持てる部分である。なぜなら、秦が以前の経験でコンビを組んだ女刑事に往生したエピソードが最初に秦の嫌な思いとして記されるからでもある。

 さて、この小説ははじめ2つの話が併行してストーリーとして展開していくストーリー構成になっている。そして事件の捜査が進み、情報と残された証拠から、容疑者像が浮かび始める時に、併行して進展していたストーリーの登場人物が事件の参考人の聴取という形で結びついてくるのである。それまでは、どこでこのストーリーが結びつくか、早く知りたいと思わせる巧みな流れになっている。

 秦と中川が敷鑑の捜査活動に携わる事件をA、併行して進展するストーリーをBと仮に名づける。

 この小説はプロローグからBのストーリーがまず始まる。Bの主人公は高村文絵である。文絵は定期的に心療内科に通院する。医師の診断は、疲労とストレスからくる過食症および解離性障害に含まれる離人症である。「解離性離人症とは心の病で、自分自身の思考や行動、ときには外界に対して非現実感を覚えるもの」(p30)という。文絵は時折その強弱があるが解離性障害に悩まされている。医者は軽い精神安定剤と睡眠薬を処方しているのだ。
 夫の敏行がインターネットで見つけた築3年、間取り4LDKという差し押さえの競売物件、つまり訳あり中古物件を購入して住む。夫が稼いでくる限られた給料で暮らし、ふたりの子供の育児と家計の気苦労でストレスが溜まり、食べることを楽しみにするよになる。その結果、9号だった服が13号でもきつくなり、普段化粧をしないのでまだ30代なのに10歳近く上に見える。これって、周囲を見回すと類似事例が目に付く類いのありふれた姿ではないか。文絵の唯一の楽しみは、インターネットで調べた様々な懸賞に応募して、品物などをゲットすることなのだ。
 ある日、都内の一流ホテルから文絵に人気男性タレントのディナーショーのチケットが宅配便で送られてくる。文絵にはどれに応募した賞品なのか識別できない。だが、敏行は文絵の相談に対し、ディナーショーに出かけることに賛成する。
 ディナーショーに出かけた文絵は、ショーが終わったのち、ロビーで旧姓の牟田で呼びかけられる。呼びかけたのは色の濃い大きなサングラスをかけた女性だった。その女性は岐阜の中学校で同じクラスだった杉浦加奈子と名乗る。会場で偶然見かけたので声をかけたという。顔は整形したのだともいう。文絵はスギカナと呼ばれていた同級生を思い出す。杉浦加奈子は都内のマンションに住むが、鎌倉に別荘があり、ぜひそこに訪ねてきてほしい。お願いしたいことがあるのだという。それが事の始まりとなっていく。
 鎌倉の別荘に赴いた文絵に加奈子が依頼したのは、加奈子がフランスの化粧品会社と契約を結び日本国内で販売する市販でなくセミナー開催で個人販売する高級化粧品の商品説明、セミナー講師なのだ。高級化粧品をまずは1月ほど試してみてほしいと持ちかけられる。その高級化粧品を試しに使うことで、自分の肌の変化を感じ始める。それがダイエットを始める決意に繋がり、減量が効果を見せ始めると、かつての美しさが蘇り始めるという好循環が生まれる。夫敏行の見る目も再び変化してくる。この辺りもさもありなんという展開ではないか。そして、加奈子のいうセミナー講師を引き受けていく。セミナーの回を重ねると、文絵は己に自信を回復し始める。そして、月50万の収入を得るようになるのだ。これが深みにはまっていくことになる。

 Bのストーリーが徐々に進展する一方、9月の下旬に相模湾に浮かぶ江の島が一望できる高台に建つ白亜の三階建ての貸し家、ヨーロピアン調の瀟洒な家で事件が起こる。殺人事件である。仏は男性。うつぶせの状態で死亡。後頭部が陥没し、頭蓋骨が妙な形でへこんでいる。割れた後頭部に蛆が蠢いていた。死後5日から1週間が経過していた。凶器はワインボトル。死体のそばに破片が散乱していた。鑑識の調べで、被害者の黒い革靴の足痕以外にサイズが異なる女性用のパンプスと思われる足痕が2種類発見された。「七里ガ浜貸別荘会社役員殺害事件」の戒名で所轄の鎌倉署に帳場がたつ。 被害者は田崎実。38歳。ズボンのポケットに入っていた財布から出てきた免許証で確認がとれたのだ。
 被害者の交友関係をはじめとする敷鑑捜査が重要となってくるという判断で、秦主任が中川刑事とコンビを組み捜査にあたることになる。秦・中川は田崎実の自宅マンションを訪ね、管理人の立ち合いで部屋の捜査をすることから始めて行く。そして、田崎が東京の四谷を住所とする株式会社コンパニエーロが賃貸契約の連帯保証人となっていることを知る。ベッドのサイドテーブルには、都銀の預金通帳が入っていた。そこには毎月、200万前後の金が株式会社コンパニエーロから入金されていて、引き落としは、公共料金のほかに3件の不動産会社と、セイアイノソノという名前が記録されていた。これが最初の手がかりとなっていく。中川がスマートフォンを使い、ネットで登記情報提供サービスのサイトを検索すると、コンパ二エーロは輸入品販売および美容一般に関する物品販売を目的とする会社だった。秦らが四谷に株式会社コンパニエーロを訪ねると、会社事務所の賃貸は既に解約されていたのだった。うさんくささが深まっていく。一方、地取り捜査の近隣聞き込みから、サングラスをかけた女がよく出入りしていたということが浮かび上がってくる。

 このA、Bのストーリーが繋がった後も、思わぬ事実の発見につれ、田崎実殺害の容疑者と目される対象者が二転、三転していく羽目になる。そしてそれが、秦のこだわり捜査により、さらに背景に過去の完全犯罪の隠蔽事実が発掘されていき、犯人に行きつくこととなる。
 秦の相棒となる美人の中川刑事が機転の利く聡明な女刑事として、かつ控えめに秦をサポートする姿が描かれるとことも爽やかである。
 この何重にも巧妙に構造化されて構成されたストーリーは、どこでつながるのかというところから始まって、読ませどころとしての伏線がいくつも張られていて、読み応えがある。
 
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本書を読み、そこからの波紋で関心を抱いた事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ウツボカズラ  :ウィキペディア
食虫植物 ウツボカズラ捕虫 Nepenthes eats fly.N.lowii x ventricosa red :YouTube
ウツボカズラの魅力が凝縮!厳選20種類と育て方5つのポイント
 :「A Tropical Garden」
解離性障害  :「厚生労働省」
平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く  :「日本精神神経学会」
心理療法  :「RC PSYCH」
心療内科・精神科・神経内科の違い  :「MIND-BODY THINKING.COM」
マルチ商法 :「警視庁」
マルチ商法 :「NAVERまとめ」
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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
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『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社