遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ヒロシマの空白 被爆75年』  中国新聞社  中国新聞社×ザメディアジョン

2022-07-31 16:46:58 | レビュー
 本書は、2021年6月に出版されていた。私は出版1年後の先月、市の図書館でたまたま本書が目にとまった。それまで知らなかった。表紙の何気ない普通の家族写真と「ヒロシマの空白」という言葉の取り合わせに引き寄せられた。そこに「被爆75年」という言葉が続いていた。

 本書は、2019年11月28日付から中国新聞朝刊に連載された「ヒロシマの空白 被爆75年」を再構成して出版したという。この連載は2020年の新聞協会賞を受賞した。「『空白』を埋めていく」ということ、その追跡調査プロセスが連載報道となり、本書を生んだ。

 「空白」とは何か?

 米軍が広島に原爆を投下したのが1945年8月6日。もうすぐ今年も8月6日が巡ってくる。
 1976年11月、広島・長崎両市は国連事務総長に要請書を提出した。その中に、広島での原爆犠牲者の人数が、14万人±1万人」の推定値で記載された。
 広島市は1969~1976年度に「原爆被災全体像調査」を実施した。そして、これをベースに以降は「原爆被爆者動態調査」を毎年実施している。2019年3月末時点で動態調査の結果は、8万9025人である。
 被爆当日の8月6日の死亡者数  5万4327人
 翌7日~12月31日の死亡者数   3万4698人   合計 8万9025人

 「14万人」という犠牲者数は勿論推計の域を出ない。だが、「8万9025人」という調査結果の実数との間には、未だあまりにもギャップが大きい。2020年現在でも真の犠牲者数すら未解明に留まっている。「どんな名前を持ち、どんな人生を送った人たちが犠牲になったのだろう」(p14)。埋もれた犠牲者名が「空白」のままである。
 その「空白」をどのように調べて把握していけるか。空白を埋めるための手がかりがどこにあるのか。手がかりを明らかにする作業から始まる。そして、その糸口からどのような追跡調査が出来るか。埋もれた犠牲者名を発掘・発見できるか。「8万9025人」から「14万人」への空白を埋める。手がかりを見つけ、そこから地道な追跡調査を開始する。そのプロセスを明らかにしたのが本書である。
 「空白」を埋める作業の中で解明された様々な問題事象、改善必要事項などがここに報告されている。それは「空白」を埋めることを目指して、広島市と国(政府)への問題提起でもある。
 その結果、総論として、「戦後の市の取り組みや国の調査は、十分だったのだろうか」(p16)という疑問を投げかけている。
 被爆の実態について国家的規模での調査を行うことに政府は消極的だったと指摘する。
「国が主体的に被害を明らかにするほど、戦争責任の追及と被害補償の要求が高まりかねない--。被爆地発のうねりが起きて各地の空爆被害者などに波及することを恐れた、ともいわれる」(p17)と。

 本書は広島市や国(政府)に矛盾点の指摘と改善を提起しているにとどまる。
 国(政府)は、どうも本音は正確な実態調査には消極的なようだ。できれば8月6日の実態把握はもう封印して、たとえ相互に矛盾があっても、それぞれの努力と結果を見せる形でパフォーマンスを維持し、その上で抽象化レベルを上げた形で慰霊と平和推進の姿勢を示すだけにとどまりたいのではないかという印象を私は受けた。

 本書をお読み頂き、お考えいただきたい。
 空白の存在。空白を埋める意味。空白の先に何を求めるか。
 「被爆75年」プラス2年となる。あの日のヒロシマ、ナガサキは終わってはいない。ヒロシマ、ナガサキは今も続いている。昭和という「過去の歴史」で語るものではない。未だ「現在」の一部なのだ。ヒロシマで言えば、8月6日の慰霊は重要な機会であるが、それを表層的な慰霊式典の報道だけで終わらせてはならないように思う。

 1945年8月6日に一体何が起こっていたのか。原爆投下の後に広島市に入り、結果的に内部被爆という形で二次被災者となった人々の存在。人々の苦しみ。
 「空白」は埋められるのか。

 本書は7部に再構成されている。
 <第1部「埋もれた名前」編>      <第2部「帰れぬ遺骨」編> 
 <第3部「さまよう資料」編>      <第4部「国の責任を問う」編> 
 <第5部「朝鮮半島の原爆被爆者」編>  <第6部「つなぐ責務」編>
 <第7部「75年後の夏」編>
 一方、原爆投下の一瞬で「空白」となったヒロシマの「街並み再現」というプロジェクトが同時に進行していた。その過程と現状でのその成果が中間報告的にまとめられている。ヒロシマという街の「空白」を埋める作業。こちらは、その「街並み再現」がウェブで公開されている。「ヒロシマ 空白」で検索することができる。
   ウェブサイトはこちらからご覧ください。(https://hiroshima75.web.app/)

 上記のデータ以外に、本書から抽出したデータを列挙してみよう。
*広島県警察部 遺体の検視済み犠牲者数 7万8150人 1945年11月末時点
*原爆供養塔内の遺骨 7万体(1976年記事から、広島市も採用)裏付けは困難
  遺骨のうち名前が分かっている数 814人
  各地で発見された骨を供養塔に移す(似島、坂町、善法寺、学校・町等)
*原爆慰霊碑 原爆死没者名簿 2019年8月5日までの人数 31万9196人
*国立広島原爆死没者追悼平和祈念舘 遺族申請 2020年3月末現在 2万3789人
*交付申請し被爆者健康手帳を持つ人 2019年3末現在 14万5844人
*被爆者健康手帳を持つ在外被爆者 2019年3末現在 29ヵ国・地域に2966人
 (韓国2119人、台湾15人、オーストリア12人、米国640人、カナダ31人、ブラジル93人)
このようにそれぞれの観点で収集されているデータがあるが、「空白」を埋めるという目的から追跡すると、それぞれのデータ間に十全のリンクが出来ていないという障壁が分かってきたという。データがどこかでタコツボ化しているようだ。リンクさせる発想がもともとないようにも思え、本書を読んでいて腹立たしい思いすら味わう。

 本書では、それぞれの事例について、地道な追跡調査を繰り返していく。その中で「空白」を埋めにくい原因に気づいていく。その事例レポートが本書の主体となっているとも言える。具体的事例が説得力を増す。事実認識を深めさせる。追跡調査の切り口は上記した本書の構成にリンクする。

 なぜ存在が把握されにくい原爆犠牲者が生まれているのか。具体的事例は本書をお読みいただきたい。様々な原因がわかってきている。
 *一家が全滅した世帯 生存者がいないと被爆死を証明する人がいない。
 *妊婦は動態調査上は犠牲者「1人」にみなされている。
 *応召により全国各地から単身「軍都」広島に来ていた軍人、軍関係者の情報が不明
 *朝鮮半島出身者の犠牲者 徴用・徴兵の資料が乏しい。帰国者の実態把握が困難
 *学童疎開した間に「原爆孤児」になった子供の家族全員が犠牲者の場合  
 *就学前の乳幼児
 *お年寄り
 *広島に居た諸外国人(亡命者、米兵捕虜、市内の修道院にいた人など)
ほかにも、「空白」を生んでいる原因があるのかもしれない。

 当時被爆し生き延びた人々、並びに被爆しなかったが原爆被害者と何等かの関係がある人々、彼ら全員が高齢化してきている。被災体験者を通じて「空白」を埋めるということすらできなくなる状況が迫っている。また、被爆に関わる資料が「さまよう資料」になりつつあるという深刻な問題があるという。
 
 普段はなかなか知らされることがない事実・状況を本書で学ぶことができた。
 ヒロシマ、ナガサキの被爆は過去の歴史的事象ではない。「現在」「現実」の生きた進行形の事象なのだという認識をあらたにした。
 ヒロシマの空白、さらにナガサキの空白は、国家レベルで総合的に取り組むべき課題ではなかろうか。それは2021年1月22日に発効した核兵器禁止条約との関わり方にリンクしていくことになるのだが。
 被爆75年をすぎた現状に一石を投じる一書である。まず、手に取って開いてみてほしい。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項を少し検索してみた。一覧にしておきたい。
広島平和記念資料館  ホームページ
国立広島原爆死没者追悼平和祈念舘  ホームページ
原爆被害の概要  :「広島市」
原爆ドームについて  :「広島市」
原爆ドーム      :「Dive! Hiroshima」
広島の平和記念碑   :「日本の世界遺産」
長崎原爆資料館  :「ながさき歴史・文化ネット」
ながさきの平和 トップページ  :「長崎市」
日本への原子爆弾投下 :ウィキペディア
【戦後70年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった
:「THE HUFFINGTON POST」
【戦後70年】雲一つない広島に、原爆は落とされた 1945年8月6日はこんな日だった
  :「THE HUFFINGTON POST」 
原子爆弾投下の理由~広島・長崎~ :「BeneDict 地球歴史館」
核兵器の開発  核兵器開発・核軍縮の歩み :「広島平和記念資料館」 
軍縮-核廃絶へ 核兵器開発・核軍縮の歩み :「広島平和記念資料館」 
原爆投下(その1)なぜ広島・長崎に  沢田昭二の反核ゼミ :「日本原水協」
爆縮式となったプルトニウム原爆  沢田昭二の反核ゼミ   :「日本原水協」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』  堀川惠子  文藝春秋 
『決定版 広島原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『決定版 長崎原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『第二楽章 ヒロシマの風 長崎から』 編 吉永小百合 画 男鹿和雄 徳間書店
『神の火を制御せよ 原爆をつくった人びと』パール・バック 径書房


『オカマの日本史』  山口志穂  ビジネス社

2022-07-27 09:37:26 | レビュー
 「禁忌(タブー)なき皇紀2681年の真実」という副題が付いている。本書の出版は2021年8月である。2021年が皇紀2681年という意味である。皇紀とは「神武天皇即位の年を元年とする、日本書紀の記述に基づく紀元。[皇紀元年は西暦紀元前660年]」(『新明解国語辞典 第5版』三省堂)と説明されている。たぶん今や死語に近い用語だろう。
 では、なぜこの用語が副題に使われているのか? 
 著者は本書で、日本において「男色」の歴史は神話の時代、神武天皇の時代から既に存在した。日本の歴史において、各時代で変化はあるものの「男色」が受け入れられてきた事実があるということを読み解いている。「皇紀」の使用は、「神武天皇の時代」を象徴するためのインパクトを狙った使用にしかすぎない。
 つまり、基本的に日本において、文字での記録が残る時代から「男色」が受け入れられてきている事実を指摘しているのだ。そして、日本の社会における「男色」の許容事実を様々な史料を典拠としながら語り継いでいく。「男色」、つまり「オカマ」という切り口で日本通史として読み解いていくのだから、異色でおもしろい。
 著者はいわゆる学会に依拠する学者、研究者ではない。自分自身の問題として「男色」の歴史を調べてみた成果として、「オカマ」の立場で本書をまとめたという。そのせいか、文は読みやすい。実に真面目に読み解いたわかりやすい通史となっている。

 著者は何者? 本書裏表紙に載るプロフィールを転記しご紹介しよう。
「1975年、広島市生まれ。吉備国際大学卒業後、一般企業、ニューハーフクラブ等に勤務。3歳頃から、自らの性別に違和感を覚える。自らの心の性別を公表できないことに悩み、LGBT問題の解決を図るために当初はLGBT活動家に賛同。しかし友人が活動家からの甘えで鬱になったことで、LGBT活動家に疑問を感じる。またLGBT活動家の主張が日本の歴史に即していないことから、オカマが日本の歴史の中でどう位置づけられていたかを調べ始める。活動家の問題点については小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル』、『新ゴーマニズム宣言スペシャル版正義論』等の影響を受け、歴史については倉山満氏の著作の影響を受ける。
 『LGBTの前に人である』ということから、右の思想にも左の思想にも偏らないことがモットー。自身がオカマであることに誇りを持っている。」
 また、冒頭の倉山氏による「推薦文」には、本著者にとり本書は処女作であるが、本著者がFacebookで365日、一日一話を語る形で「オカマの日本史」を連載していたという。連載記事の分量の10分の1位に素材を厳選凝縮して、出版物レベルに質を改善した成果が本書のようである。

 本書の構成と私なりに理解したポイント並びに感想などを簡略にご紹介する。

<第1章 神話の時代の男色 -皇紀2681年の事始め>
 アマテラスオオミカミは日本で最初に男装した。ヤマトタケルノミコトは日本で最初に女装した。男性の同性愛にことを「男色(なんしょく、だんしょく)」と称してきた。ヤマトタケルが日本で最初の男色を記録された人物。文献に基づき読み解いている。
 文献史料をどこまで踏み込んで読み込めるか、その解釈が論点になるのかもしれない。
<第2章 平安仏教の男色 -なぜ男色が市民権を得たのか?>
 記紀をはじめ古代の文献は古代日本人の性生活をおおらかに記述する。男色そのものは聖書の世界と比べて、罪ではなかった。江戸時代の井原西鶴の『男色大鑑』での発言を糸口に、平安時代での真偽を論じている。鑑真が将来した『四分律』中の「婬戒」、奈良興福寺・菩提院に伝わる『稚児観音縁起絵巻』、天台宗での「一稚児二山王」という言葉を読み解いていく。さらに、平安時代の貴族に男色があった事実を語る。藤原賴道の男色についての記録を例示する。
 稚児の存在と男色の関係をどこかで読んだことはあるが、文化的に定着していったことがよくわかる。

<第3章 院政期の男色 -男色が歴史を動かす>
 院政は側近と男色が支えたという読み解きかたが興味深い。側近の位置づけは歴史学者が語ることは当然だが、男色の側面を語ることはほぼないように思う。この側面での一歩踏み込みが、本書の特徴でもある。男性同士の友情について、民俗学者南方熊楠の名付けた「浄愛」(肉体関係を伴わない場合)と「不浄愛」(肉体関係を伴う場合)を区別して論じている。白河上皇のネットワークは「不浄愛」で構築されたと分析しているのが、興味深い。さらに、平清盛と崇徳天皇、藤原頼長、後白河天皇などの事例が採りあげられている。痴情・男色を絡めた観点で、保元の乱、平治の乱、源平合戦が読み解かれるのがおもしろい。

<第4章 鎌倉時代の男色 -男色文化の鎌倉へ>
 源義経には男色の記録が無いこと。後鳥羽上皇にはマッチョな男色ネットワークがあったことを論じている。鎌倉時代中期の東大寺別当宗性の誓いの事例を引用紹介している。それも当時ではまじめな部類のお坊さんだと論じるているのだからますますおもしろい。
 また、700年前に『稚児之草子』(京都醍醐寺蔵)というゲイポルノ的草子が書かれ秘蔵されてきた事実にも触れている。これは仁和寺のお坊さんと稚児のセックス物語という。男色研究の第一人者がその引用すらためらったという。どんな描写をしているのか・・・・。

<第5章 室町時代の男色 -庶民への男色文化の降下>
 足利義満が猿楽集団の中から世阿弥を見出し、それが後の能への発展広がりを導くことになる。この義満が世阿弥を寵愛した裏に、男色が関わると読み解く。さらに、足利義持、足利義教、細川政元、細川高国、などの男色の事例を採りあげていく。それらが、時代の変転、乱につながっていると。
 時代を動かすのは人であると喝破すれば、そこに男色がかかわっていても当然なのかもしれない。情念の根源の一つになるのだろうから。

<第6章 戦国時代の男色 -宣教師は男色をどう見たのか?>
 聖書の世界から見れば、男色は厳禁だったのだから、宣教師たちが嫌悪感を示すのは当然のことだろう。著者は、書翰記録から彼らの受け止め方を明らかにする。一方で、大内義隆、織田信長、武田信玄、不破万作、徳川家康たち大名・武将の男色について、文献史料から読み解いていく。
 その中で、石田三成と大谷吉継は「浄愛」の関係にあったと論じている。

<第7章 江戸時代の男色 -なぜ幕府や藩は衆道を禁止したのか?>
 小早川秀秋、伊達正宗、徳川綱吉の男色についてから、話題が始まる。江戸時代には、男色が「衆道関係」へと「道」に進展しているという。衆道関係にあり「二心がない」という男色文化が、殉死を生み出して行ったとする。また、衆道の期間は前髪のある期間が大部分だという。江戸時代には、幕府も藩も殉死禁止令を発するようになっていく。著者はその経緯を明らかにしている。そこには切実な理由もあったと・・・・・・。
 松尾芭蕉がかつては藤堂主計好忠(蝉吟子)と男色関係にあり、殉死禁止令により死に損ねた人の一例だというjことを本書で知った。
 西郷と月照の心中事件の背景にも男色が絡んでいるようである。また、薩摩藩の外城制、兵児組、郷中という仕組みとストイックな女性蔑視の気風が、薩摩の男色を醸成していたという。こういう読み解き方もあるのかと思う。
 薩摩と土佐には男色の記録が残るが、長州には男色の記録はほとんどないという。この点もおもしろいと思う。

<第8章 明治対象の男色 -なぜ男色はヘンタイとなったのか?>
 この章で初めて知ったことを幾つか列挙しよう。
*1873年に鶏姦罪が施行され、それはお雇い外国人のフランス人法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの進言により1882年に廃止となった。鶏姦とは肛門性交のこと。
*1873年に各地方違式詿(かい)違条例が発布された。そこには異性装の罰則化が盛り込まれていた。
*明治の学生たちの間で男色がエスカレートしていた。鴎外の自伝小説に描写の一端がある。
*1913年クラフト=エビングの『変態性欲心理』が日本で刊行された。性欲学の導入。
 変態という言葉は変態性欲に由来する。その一として男色は同性愛と呼ばれるようになる。
 性欲学は欧米において、同性愛者を救うために用いられた。精神障害は減刑の対象。
 つまり、日本において「同性愛=変態」という認識は所詮100年の歴史である。

<第9章 LGBTが市民権を得るまで -そして無知と軋轢>
 L(Lesbian:レズビアン)G(Gay:ゲイ)B(Bisexual:バイセクシャル)T(Transgender:トランスジェンダー)が変態扱いされていた時代から、市民権を得た現在への変化、絶望が希望に代わる転換期において、逆境を乗り越えてきた先人について著者は語る。
 釜ヶ崎のオカマ、ノガミの男娼、「青江」のママ(青江忠一)、「吉野」のママ(吉野寿雄)、美輪明宏などのことに触れていく。三島由紀夫自身も著名なゲイだという。
 知らなかったのだが、新宿二丁目はいまやKGBTのメッカになっていると著者は言う。
 この章の最後に、『新潮45』に掲載された発言3例をとりあげ、著者はLGBTをイデオロギーで語る虚しさに触れている。著者の主張は、LGBTはイデオロギーでは語れない。LGBTという存在として実存するということなのだろう。
 著者は以下のように己の主張を投げかけている。
 「男色が同性愛になり、変態となったのは、わずか100年です。そして、そのきっかけとなった性欲学は、その欧米のキリスト教社会における特殊性から生まれました。その特殊性を考慮せずにそのままストレートに導入したからこそ、日本の男色は同性愛となり変態となって地下に潜らざるを得なくなったのです。
  各国には各国の事情があり風土があります。それを考慮せずに採り入れた結果が現在まで影響を与えているのです。」(p242)

 「LGBTとは、男が女を愛する、そして女が男を愛するのと同様に、男が男を愛し、女が女を愛する、そして心が男女逆であるというだけの違いであって、違いがあるとすればたったそれだけの普通の人間なのです。それだけの違いなのに、差別や偏見や不利益が生ずるのであればそれを改善する必要があるのは当然のことであって、それ以上でもそれ以下でもありません。・・・・・人並みの権利を求めることまで、なぜ否定されなければならないのでしょうか。」(p245-246)

 <はじめに>と<おわりに>は、著者自身の人生の振り返りとなっている。これらの文はそのまま全文をお読みいただくのが一番良いだろうと思う。


 ご一読ありがとうございます。


『大人のためのとってもやさしい中学英語』  旺文社

2022-07-26 12:14:59 | レビュー
 「とってもやさしい中学英語」という標題に、吹き出しの形で「大人のための」が追加されている。表紙の帯文によれば、「英語が苦手な中学生」向けの英語シリーズをベースにして、大人向けに作られた本だという。「実は大人の方に薦めたい本です。」と帯文の一行目に記されている。だから、「大人のための」が吹き出し風になっているのだろう。
 電子版で通読してみた。私は各章の文法問題をまず解いていくことを主体にして、読んでみた。
 長らく英語から遠ざかっている。時折、ほんの少時スマホでBBCニュースの英文を眺めるくらい。知らない単語がひょこひょこ出て来て英文を読み切れているとは言えない。英語への壁を感じるばかりなのが残念。英語会話のテキストに取り組むのもちょっと・・・・な気分。この本を知り、ちょっと気分転換に利用してみた。基本に戻ってみようと。

 中学英語全般を総復習するのにはけっこう便利である。英文法がわかりやすく説明されているので、中学3年生や高校生が英文法の基本を総復習するにはコンパクトにまとまっているのではないかと思う。
 私は上記のとおり、英文法の復習確認用に設けてある問題に最初に取り組むことを主体にして、英文法の解説ページを眺める形で読み進めた。中学で習った英文法レベルは今でもまあまあ忘れずに身に付いていることを再確認できた。これがまず私には収穫である。英文法の基本中の基本をあらためて見つめるというのもいいものだ。忘れていなかったことがわかる。英文法の基礎について、温故知新の趣がでてくる。原点学習に戻りなつかしい気にさせてくれた。

 英文法解説に続く問題は、基本知識をなぞって理解させるように設定されている。解説を読まずに、こちらの問題に真っ先に取り組めば、基本的な文法知識を記憶し理解しているかがわかる。解答できなければ、基本的な文法が理解できていないということになるのだから。つまり、わからなければ英文法解説文に戻りなさいということである。

 そのような基本的な問題ばかりなので、ほぼさらりと解き進めることができた。おかげで基礎的な英文法知識はまあ維持できているという再確認ができた。
 さび付き始めている己の英語力のさび取りの手始めには、丁度便利な読み物になった気がする。難しい英文に取り組んで非力を味わうよりも、まずは基本が理解できているかどうかを、おさらいするプロセスで、気軽に読み解きながらページを繰って行くのはポジティブで楽しかった。ちょっとした潤滑油となり、さび止めの役に立ってくれたと思う。

 英語への苦手意識を軽減するのに役立つ一冊だと思う。
 長らく英語から遠ざかっている大人には、苦手意識を軽減する機会になると思う。
 勿論、現役中学生、高校生が苦手意識を軽減するのに役立つことだろう。

『明治維新の研究』  津田左右吉  毎日ワンズ

2022-07-22 09:23:51 | レビュー
 著者は、「文献批判による科学的な歴史研究」という立場をとり、「歴史は本職」と思い研究を続けた歴史学者。1873年に生まれ1961年に逝去。著者紹介の冒頭に「明治23年、早稲田大学に編入学し翌年卒業、旧制中学校の教員を務めるかたわら東洋史学の泰斗・白鳥庫吉の指導を受け」たと記されている。つまり明治時代に青春時代を過ごした研究者である。明治という時代を経験し体感している。その研究者が、生を受ける直前の時代である幕末の動乱期・明治維新を研究していることになる。
 本書の編集部によれば、「本書は、著者が昭和22年から最晩年に至るまでに月刊誌等に発表した明治維新に関する論文を集め、新たに編集したものです」という。本書は、2021年11月に刊行された。

 「はじめに-明治維新史の取り扱いについて」の冒頭で、著者の立ち位置が明確にされている。「ここにいおうとするのは、新しい研究でもなければ、これまで知られていなかったような事実を報告することでもない。いわばわかりきった事柄である。しかしこのわかりきった事柄が、近頃の明治維新について語る人々には、無視せられたり注意せられなかったりしているのではないかと思われるので、こういうものを書いてみることにしたのである。」と言う。この文が昭和22年当時の最初に記された文だとすると、現時点はさらに75年の時を重ねている。その間に、幕末動乱期、明治維新についての様々なイメージが累積してきている。「無視せられたり注意せられなかったりしているのではないか」と著者が危惧していた側面が、一層累積されているとみることもできるのではないか。

 少なくとも、明治維新を生きた様々な歴史上の人物たちが、当時の情勢・状況の理解として使用していた語彙・用語は、同じ語彙・用語であっても、そこにそれぞれの考え・思い、様々に異なる意義を含めて使われていた可能性が高いこと。そこには共通認識ができていたわけではない部分が多々見られること。時には歴史認識の誤解、間違いがみられるにも関わらず、当人たちはそれが歴史的事実だと認識して突き進んでいること。意図的に歴史的事実を歪曲しあたかも事実の如くに喧伝し人々に行動を促すという動きもあったこと。誤解を誤解と認識せずに己の行動原理としてしてつき進んだ人々もいたこと。などなど、様々な矛盾点などが本書を読むと見えてくる。

 歴史上の人物について、事実情報を知らない、あるいは知らされていない故に、自分の中に勝手なイメージ形成をしてきている部分が数多いということに気づかされた次第である。まさに、頭にガツン! 明治維新という時代に対する事実認識、当時を生きた歴史上の人物の人物像の再評価を促される思いを深めた。表層的な理解、認識しかしていなかったなという思いを強く受けた。

 例えば、手許にある学習参考書としての日本史年表には、「1867年10月 徳川慶喜大政奉還 12月 王政復古の大号令」と記されている。義務教育段階の日本史で、大政奉還という用語で学んだ記憶がある。その言葉の意味を深く考えることはなかった。また、掘り下げて教えられた記憶もない。
 著者は、大政奉還という言葉を使わず、政権奉還と記す。「政権」を朝廷に奉還するが、その時点では「政治」との関わりにおける徳川家の存在価値を徳川慶喜が放棄した訳ではないという事実の側面を著者は論じているように私は受けとめた。
「幕府は薩長の武力行動によって崩壊したのである。政権奉還はそのことみずからにおいては何ら進展もなく、ただ討幕の挙に機会を与えたのみであった。」(p148)と分析する。
 
 尊王攘夷派や官軍側が盛んに喧伝した「王政復古」という言葉の使い方についても、歴史的事実認識とは違った次元で使われていたことを、手厳しく論じている。
 「王政復古の要望は、浪人輩の宮廷人に接近することによって強められ、また薩長など諸藩の策士と結託することによって、それが実行的意味を帯びてきた。」(p154)
 「薩長の徒が、統一国家の予想の上に立たねばならぬ王政の復古を主張することになる。奇怪なことであるが、これもまた幕府を倒壊させるところに薩長の意図の主なる動機があったからだ、と推せられる。王政復古が上に記した如く種々の意義において変質したのは、王政の概念がもともと曖昧であり、また復古ということが本来実現すべからざるものであって、復古をいうことは実は変革を欲することであったからであるのみならず、その主張者・推進者の態度の純一でなかったことにも、よるところがあろう」(p155)
 「王政復古の思想の曖昧であり、またその実現すべからざるものであったことに気がつかなかったほどに、彼らの知識が幼稚であったのである。そうしてこれは宮廷人でも同様であった。浪人輩に至ってはなおさらである。」(p155)
「王政復古のイデオロギーは一つも実現せられず、ただその名によって幕府が顛覆せられたのみである。}(p151)

 日本の歴史における皇室の存在について、著者は歴史的事実を以下のように論じる。
 「現代の用語では、皇室は永遠の生命を有する国家の象徴であられ、国民の独立と統一の象徴であられ、また国民精神の象徴であられる、というべきである。これが、昔から長い歴史の進展につれて、皇室の本質になってきたことであって、政権をみずから行使せられることが本質であるのではない。かえって、政権を行使せられないことがこの本質の永遠に保たれる所以であって、それは歴史的事実の示すところである。」(p157)
 つまり、「王政復古」という主張は、この歴史的事実とはもともと矛盾していることになる。本書は、この用語一つをとっても、幕末動乱期、明治維新の実態を改めてとらえなおす、考え直す機会となった。
 
 序でに著者が本書で論考した結論的な文をいくつか引用しておこう。本書への誘いになればと思う。
*彼らが国賊と呼び極悪非道の朝敵として甚だしき悪罵を加えた幕府の定めた国策を遵奉することによって、明治の新政府を立て新政権を握ったものが、薩長人であった。 (p108)
*要するに明治の新政における天皇はどこまでも人であられ、決して神とせられたのではなかった。 (p189)
*起草者の考えと民間人の見解との間に、憲法(付記:明治憲法)に関し立憲政体に関して大いなる差異のあったことを一言しておこう。  (p280)

 さらには、この時代に登場する歴史的人物たちの実像を多面的にとらえなおす必要に迫られる情報が様々に提示されている。それが、「尊王」「攘夷」「政権奉還」「王政復古」「討幕」「明治憲法」などのキーワードとの関連で文献的史料を踏まえて、彼らの思想・思考・行動事実が語られている。実に興味深い思考材料となる。
 著者は人物名をカタカナ表記をしている。多面的にとらえなおすのに役立つ情報が語られる歴史的人物を漢字表記で列挙しておこう。たぶん、今まで知らなかった、あるいは知らされていなかった側面があることと思う。当該人物を見つめ直すとともに史実の背景をとらえのすのに役立つと思う。
 徳川慶喜、勝海舟、西郷隆盛、大久保一翁、大久保利通、木戸孝允、福沢諭吉、西周
 孝明天皇、岩倉具視、伊藤博文

 最後に、「五箇条の御誓文」が当時、具体的にどのような位置づけであり、どのような役割をはたすことになったかという考察もまた、知らなかった内容として興味深い。なぜなら、私はその五箇条の文を学んだだけで、その内容やその実行面について何ら情報を得ていなかったからである。たぶん、多くの人々も同様ではなかろうかと思う。明治憲法成立過程の背景考察もおもしろい。

 明治維新を違った目でながめるのに、一石を投じる本であることは間違いがない。

 お読みいただき、ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『古事記及び日本書紀の研究 建国の事情と万世一系の思想』 津田左右吉 毎日ワンズ 新書版 




『源氏物語解剖図鑑』 文 佐藤晃子 イラスト 伊藤ハムスター X-Knowledge

2022-07-20 10:58:42 | レビュー
 新聞広告で本書を知った。『源氏物語』の梗概書、解説書や入門書は数え切れないほどある。その中で、本書はちょっと異色である。イラストの載ってないページはない。『源氏物語』に登場する主な人々は光源氏を筆頭にすべて犬や猫等の動物で描かれている。動物が擬人化されていて、人で描かれたイラストが時折でてくるが、それは「その他」に近い人々だけである。そのため光源氏をはじめ主な登場人物の容貌イメージは一切制約されない。犬猫のイラストによる擬人化のまま楽しむのも、動物好きには楽しいかもしれない。

 「『源氏物語』のストーリー、見所がこの一冊で分かるよう、簡潔にまとめることを目指した。」と著者は「はじめに」に記す。その通り、1冊147ページに収められている。
 「はじめに」に2ページ。序章として、『源氏物語』に登場するキャラクターや源氏物語についての総論、本書の見方などに6ページ。巻末の索引に6ページ。主な参考文献に1ページ。「おわりに」に1ページをそれぞれ割り当てている。それらを差し引けば本文が実にコンパクトにまとめてあることがわかるだろう。

 「まずは人物相関図や話の流れを把握するのも、一つの方法だろう」「平安貴族の基礎知識も各ページに加えた」と記し、さらに国宝『源氏物語絵巻』を初めとする源氏絵というジャンルの「美術作品を鑑賞する際にも、必ずや役に立つだろう」という観点をも盛り込んでいる。図鑑の形式を取った入門書としてはかなり意欲的な本である。

 表紙を見たときに、軽いノリの入門ガイダンス本かというイメージをいだいた。通読してみて、なかなかどうして、きっちりと入門レベル以上に各帖の要所を押さえてまとめられている。固くなりがちな解説内容をイラストが読みやすく和らげる役割を果たしていると思う。動物顔のイラストは登場人物のキャラの特徴を際立たせて描いていて、これはこれで楽しめる。気軽に読み続けていく上での相乗効果を生み出している。

 本文の全体構成をご紹介しておこう。
 全体は通説に準じて3部構成になっている。
  第1部 若かりし光源氏    1桐壺~33藤裏葉
  第2部 老いを迎える光源氏  34若葉上~41幻
  第3部 光源氏の子孫たち   42匂宮~54夢浮橋
 各部の冒頭は見開きの2ページを使い、主要人物のイラスト入りで人物相関図が掲載されている。上記の意図が確実に反映されている。

 基本的に、源氏54帖の各帖が見開き2ページでまとめられていく。ただし、例外が5帖ある。4ページまとめが「夕霧」「総角」「宿木」「浮舟」で、「若菜」が8ページまとめとなっている。それらの帖には、絞り込んでもそれだけ入門レベルにおいても知っておくべき事項があるということだろう。相対的に、個別の帖としてボリュームのある部分である。

 1帖見開き2ページの構成に特徴がある。右ページの上半分に帖の<あらすじ>を簡略に要約してある。併せてその帖を代表する形で描かれてきている源氏絵について、基本類型の構図をイラストにして、キーポイントを解説するという試みがなされている。類型化された構図がイラストで示されている。ここが、本書の一工夫だろう。ある特定の源氏絵を提示した鑑賞説明ではない。その帖でよく見られる源氏絵の解説というアプローチになっている。逆にいえば、その帖ではどういう源氏絵が描かれてきているかへのガイドである。本書に記載の著者プロフィールを読むと、美術ライターとあるので、ここは本領発揮の解説部分になるのだろう。
 右ページの下半分は、その帖の読ませどころ、著者紫式部の意図、視点の置き方など内容を分析的に捕らえて解説されている。その帖をどう読めるかへのガイドである。その帖を「解剖」(分析)した結果の解説とも言えよう。この説明の中に学ぶところがけっこうあった。
 左のページは、その各帖のストーリー内容に直接関係する事項を抽出し絞り込み、数項目を解説する。平安時代の文化・社会と平安貴族の基礎知識について、イラスト入りで説明されている。例えば第1帖「桐壺」では、<天皇の配偶者の序列>、<内裏図>、<後宮の住まいと身分の関係>、<臣籍降下>、<紫式部の時代は?>という基礎知識。第2帖だと、<雨夜の品定めのポイント>、<物忌み・方違えの意味>、<空蝉の身分落ち>、<位階の層区分>という基礎知識。これらの内容が説明されている。<>はこれらのページを読んでの私なりの表記にした。本書での小見出しどおりではない。
 つまり、その帖のストーリーを一歩掘り下げて理解するのに直接役立つ事項が説明されている。読者が内容を一歩深めて理解するための誘いといえる。この左のページには、帖の内容に合わせて、重点的な人間関係図を載せて、複雑な関係性をわかりやすく補足してくれていたりする。

 左のページに基礎知識の全てが網羅されている訳ではない。その帖に直接絡む事項をまず重点的に読者に知らしめるという点では大いに役に立つ形になっている。
 その延長線上で、本書の「主な参考文献」に載っている事典・ハンドブックという類いの本をリンクさせると便利な気がした。リンクさせることで一層の広がりが出てくると言える。
 手許にあり、必要に応じて参照し部分読みにとどまっている事典・ハンドブックの類の数冊が、本書の「主な参考文献」に挙げてあった。それでその思いを強くした。まだまだ手許の本を使いこなせていないな・・・と。その点でも私には本書が良い刺激になった。

 一つ、難点をあげれば、右ページ下半分を除くと、小見出し以外の説明本文の活字が小さいことである。若者には全く気にならないことだろうが、中高年にはちょと厳しい・・・・物理的な読みづらさがある。それだけ、見開きページの内容が多岐にわたっている。コンパクトにまとめられているとも言えるのだが・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。



『葛飾北斎 富嶽百景』  クールジャパン研究部  ゴマブックス

2022-07-11 14:23:16 | レビュー
 電子書籍で鑑賞した、というのが相応しいだろう。カバー写真にあるように、北斎の『富嶽百景』の図が、102図掲載されている。理由は、解説文は最小限で本書の主体は北斎画そのものだから。本書は2013年8月に刊行された。

 『富嶽百景』は『富岳百景』とも表記されていたようである。補遺に掲げるように、江戸時代の出版物自体には、『富岳百景』という標題が使用されている。北斎の描いた富嶽百景図をみるだけなら、今や数多くの電子図書館あるいは電子美術館で公開されている。それらを検索してアクセスすれば富嶽百景図を鑑賞することができる。例えば、補遺に挙げた国立国会図書館デジタルコレクションを参照すればよい。ただし、各所で公開されている百景図の画像には鮮明度などでバラツキがある。

 本書は、葛飾北斎が1834年75歳の時に刊行した『富嶽百景』初版の純然たる復刻版ではない。富嶽百景図全図の掲載が主目的であるが、そこに一工夫が施されている。
 「まえがき」に触れられているが、北斎は『冨嶽三十六景』を刊行した後に、この『富嶽百景』を刊行した。富士山自体を風景として描くのではなく、当時の人々と文化・風俗の色濃い関係の中に富士山を位置づけて、様々な視点から描き出している。富士山が人々にはどのように見えるかを北斎が眺めているようにも見える。人々の営みあるいは文物を介して富士山を眺めているところがおもしろい。
 本書はその点を一層明瞭にするために富嶽百景図を8つのカテゴリーに分類するという試みをしている。その点が本書の新機軸といえる。

 それでは、どのようなカテゴリーに分類して当初出版の『富嶽百景』を再編集しているかご紹介していこう。以下、そのカテゴリーを<>の見出しとし、該当する百景図の作品名を列挙する。

<1 天候、時刻、季節>
 快晴の不二、夕立の不二、深雪の不二、村雨の不二、鏡台不二、来朝の不二、元旦の不二
 木枯の不二、七夕の不二、月下の不二、霧中の不二、嶋田ヶ鼻夕陽不二、暁の不二
 雪の旦の不二、曇天の不二

<2 富士と自然>
 海上の不二、竹林の不二、海浜の不二、宝永山出現、其二、大石寺の山中の不二
 雲帯の不二、瀧越の不二、松越の不二、花開の不二、山亦山
 野州遠景不二 男体山行者越の松、容裔不二、山中の不二、松山の不二、笠不二
 武蔵野の不二、蛇追沼の不二、谷間の不二、大尾一筆の不二

<3 地名>
 遠江山中の不二、青山の不二、袖ヶ浦、稲毛領夏の不二、隅田の不二、水道橋の不二
 大森、信州八ヶ嶽の不二、阿須見村の不二、洲崎の不二、甲斐の不二濃男
 大井川桶越の不二

<4 人々の暮らし>
 不二の山明き、辷り、裏不二、足代の不二、井戸浚の不二、村堺の不二、紺屋町の不二
 盃中の不二、写真の不二、跨き不二、芦中筏の不二、貴家別荘村の不二、狼煙の不二
 豊作の不二、見切の不二、窓中の不二、風情面白き不二、堤越しの不二、茅の輪の不二
 不斗見不二

<5 動物、伝説の生物>
 田面の不二、登龍の不二、三白の不二、郭公の不二、尾州不二見原、夢の不二
 羅に隔る不二、福禄寿、役の優婆塞富嶽草創、赤澤の不二

<6 科学>
 ふし穴の不二、鳥越の不二

<7 建造物>
 七橋一覧の不二、江戸の不二、橋下の不二、羅漢寺の不二、市中の不二。筧の不二

<8 その他>
 孝霊五年不二峯出現、千金富士、掛物の発端、武辺の不二、文辺の不二
 山気ふかく形を崩の不二、網裏の不二、不二の室、八堺廻の不二、不二の麓
 洞中の不二、π良哈の不二、烟中の不二、刻不二、柳塘の不二、千束の不二
 木花開耶姫命

 ご覧の通り、「千金富士」図を除くと、富士山は「不二」と表記されている。
 富士は二つとないという意味で「不二」と音を合わせた表記にしたのだろうか。唯一無二、秀麗無比の神山という意味合い・・・・か。

 カテゴリーに分けてあると、まとまりとして見やすくなり、特定の視点で対比的に眺めることもできておもしろく、北斎の工夫のしどころを比較しつつ考える楽しみもある。もう一つ、本書では「木花開耶姫命」図が最後に載っている。北斎の出版した『富嶽百景』では、一番最初にこの図が載っている。この対照もおもしろい。

 各カテゴリーの最初に、簡単な解説文が記されている。欲を言えば、百景図が北斎の想像力で描かれただけの空間なのか、ある程度どの辺りから富士を描いたものなのかと言う点を、現在の地名なり地域と関連づけて補足説明してあると、読者には便利だと思う。
 
 北斎が『富嶽百景』を刊行した時期、一足早く安藤広重が『東海道五十三次』を刊行していて評判を上げつつあったようである。北斎はそれに対抗するような気概から、『富嶽百景』の出版に邁進したむきがあるようだ。少し前に読んでいた北斎関連の本にそういう出版文脈での事情の記述があったと記憶する。北斎は一躍人気の出た『富嶽三十六景』の延長線上で、人気再来を狙ったとか。本書ではその点に言及してはいないが。

 北斎の浮世絵が西欧において、印象派~ポスト印象派の画家たちに、ジャポニズム(日本趣味)として大きな影響を与えたということは知っていた。その北斎が現在、世界十大芸術家の一人として、世界で評価されているというのを本書で知った。
 北斎は生涯で3万以上の作品を発表したとされているが、実際はどれだけの作品が現存するのだろうか。

 最後に、余談を一つ。
 北斎の『富嶽百景』関連でネット検索していて、初代歌川(安藤)広重の『冨士見百圖初編/富士見百図初編』に関する記事に出会った。これを読むと、広重はその序文で、葛飾北斎の富嶽百景を意識しながら、「(北斎は)絵組のおもしろきを専らとし、不二は其あしらひにいたるもの多し』と、北斎の富士は脇役であることが多いと評しているそうだ。それに対抗して広重は富士を眺めた百図を刊行せんとしたようである。だが、残念ながら、広重の死により、実際には二十景どまりに終わったとか。
 年齢は大きく違うが、同時代を生きた浮世絵師として、互いにライバル意識は旺盛だったのだろう。画風の違いも含めて、興味深い。


 ご一読ありがとうございます。

補遺
富岳百景. 初編  葛飾北斎 編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富岳百景. 2編  葛飾北斎 編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富岳百景 : 三編  葛飾北斎 [画] :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富岳百景 3編. 一 葛飾北斎 編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富岳百景 3編. 二 葛飾北斎 編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富岳百景 3編. 三 葛飾北斎 編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富岳三十六景 : 葛飾北斎傑作 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富嶽三十六景  :ウィキペディア
すみだ北斎美術館  ホームページ
あの人の人生を知ろう~葛飾北斎編
「北斎の富士」新聞連載 第8回「宝永山出現」 :「青森県立郷土館ニュース」
「富士山」名前の由来  :「富士山」
富士山はなぜ富士山というの? [富士ビジターセンター] :「やまなし物語」
『冨士見百圖初編/富士見百図初編』 = 歌川広重 初代 = :「ちょっと便利帳」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


『不思議の国のアリス』 原作 ルイス・キャロル イラストト せきぐちよしみ 翻訳 森悠樹 きいろいとり文庫

2022-07-08 21:45:53 | レビュー
 居住地の市が少し前に電子図書館を開設した。本を借りに図書館に通う間に開設を知ったのだが、紙ベースに慣れ親しんでいるので、今まで新たな登録申請をしていなかった。先日、この電子図書館の利用登録をした。どのように使えるか、まずは試してみようと・・・・


 そこで紙ベースの本の借り出しなら多分御縁がなかった絵本・童話の領域からまず借りてみることにした。その第1号がこの『不思議の国のアリス』の絵本。

 理由はいくつかある。
 1.電子版で大部な本を借りても、戸惑うばかりになるかもしれない。まずは慣れが必要だろう。最初はてばやく読めて、区切りがつけやすいものがよいかも・・・・・。
 2.せっかく借りるなら、紙ベースの本では近づかないジャンルを試したい。
  スタンダードなあるいは一般教養に繋がる内容なら動機づけになるかもしれない。
 3.英文を読む機会が減っているし、あまり難しい英文でなくて、読みやすいかもしれないレベルの英文から再チャレンジしてみたい。
  一応まとまりのある内容を扱い、それほどボリュームのないものなら手頃だろう。

 絵本なのでボリュームはわすか。アリスが時計をもつウサギを目にして、その後を追いかけ、穴から地中に入り込み、不思議な国の体験をするという話。アリスの体が大きくなったり、小さくなったりと、変転する。
 最後は首を斬るという判決を受けて、逃げだし、トランプカードの兵隊に追いかけられて窮地に陥る。そこで目がさめる・・・・という次第。
 
 この本、イラスト付き日本語のページが前半にあり、同じイラストで後半は英文表記になっている。英文には知らない単語がいくつか出て来たが、全体はまあ通読できるレベルだったので、比較的気持ち良く英文も読み終えた。
 ルイス・キャロルの原作をどこまでダイジェストした児童絵本なのかは知らない。
だが、日本語/英語でわずか67ページなので、『不思議の国のアリス』のストーリーの骨子をなぞっただけの絵本だろう。『不思議の国のアリス』のイメージを形成する程度には役だったと思う。幼児が想像力を活発にするのプラスになる絵本だと思う。
 
 私には、電子書籍を初めて通読する記念すべき第1号となった。

 電子書籍絵本・きいろいとり文庫は、『世界中の童話を色々な言語で楽しもう!』をコンセプトに制作しているという。Yellow Bird Project(イエローバード・プロジェクト)というのがあり、きいろいとり文庫はこのプロジェクトの成果でもあるようだ。公式ホームページがある。補遺としてご紹介しておこう。

 少し雑感をまとめてみました。ご一読ありがとうございます。

補遺
作品No 117 不思議の国のアリス
Yellow Bird Project(イエローバード・プロジェクト)  公式ホームページ

『院内刑事 フェイク・レセプト』  濱 嘉之  講談社文庫

2022-07-05 18:54:07 | レビュー
 院内刑事シリーズの第3弾。文庫書き下ろし。2020年2月に刊行された。
 医療法人社団敬徳会川崎殿町病院を舞台に、敬徳会の常任理事を兼ね、病院の危機管理を担当する廣瀬知剛が活躍する短編連作風の構成をとる小説である。病院で日々発生する諸問題が危機的状況に陥らないように未然に察知し、如何に対処していくか。発生した問題を如何に速やかに解決していくか。院内交番という仕組みを導入し、警察官経験者を配置して、廣瀬は危機管理のプロフェッショナルとして活躍していく。様々な事態の発生とその問題解決の日々という設定が、短編連作風の構成とうまくマッチしている。
 章毎に感想を交えて、簡略にご紹介していこう。

<プロローグ>
 川崎殿町病院は救命救急センターを設置していない。しかし、救急隊からは頼りにされている病院であり、特殊案件として状況に応じて受け入れている。その場合、医事課経由で廣瀬に速報される。
 川崎総合学園初等科の児童が屋上から転落した。救急隊からの至急報により救急外来が受け入れた。速報を受けた廣瀬は、事件性を考慮した対応をスタートさせる。
 学園側は飛び降り自殺とみていた。だが、背景に慢性的ないじめが絡んでいる可能性があった。さらに、児童の身体には転落に伴う脳挫傷や打撲傷の他に、多数の打撲痕が認められるという。さらに副次的な問題が発生する。廣瀬は適切なアクションを講じていく
 このプロローグ自体が一つの事案の解決方向まで描く。その中で廣瀬のプロフィールが大凡読者に伝わる導入になっている。

<第1章 働き方改革>
 廣瀬が病院事務長の戸田から相談事を持ち込まれる形で、大型病院経営における内部事情が話題となる。川崎殿町病院の経営の背景に踏み込む形で、読者は日本の医療体制の現状に触れることになる。働き方改革の法整備の影響。勤務間インターバル問題。当直問題。緊急医療における応召義務についても触れている。
 
<第2章 体制強化>
 廣瀬は川崎殿町病院における院内交番の体制強化を意図する。神奈川県警の藤岡警務部長を訪ねる。転職希望者として現職警察官5人のリストを藤岡から提示される。廣瀬が希望者と面接し、病院にとっての適材を絞り込む過程が描かれる。
 事件ではなく、リクルートを題材にしているところがいわば裏話としておもしろい。
 廣瀬が選んだ2名が今後どういう活動をするか、関心を抱かせることになる。
 
<第3章 産科>
 廣瀬は住吉理事長に呼ばれる。住吉理事長から、国会議員同士の結婚、それも「できちゃった婚」になる話を聞くことになる。「できちゃった婚」に見せない形で密かに出産まで川崎殿町病院で面倒をみるという事案である。産科医、助産師などの協力が不可欠となってくる。身重である野々村優子代議士の母に住吉が世話になった恩があるので断れない。廣瀬はこの課題を担う羽目になる。栗田茉莉子という適任の助産師が同意してくれるかが最初の関所だった。廣瀬は栗田茉莉子との対話を通じて、これを契機に産科の分野に一歩深く目を向けていくことになる。
 
<第4章 医療事故と詐欺集団>
 急性虫垂炎の手術を湯川医師が執刀したが、普通では考えられないようなミスを犯した。この緊急事態に濱田医長が入れ代わり手術を終える。湯川の実家は青山にある有名な中規模病院である。優秀な消化器外科医である湯川のミスに濱田は心配事でもあったのかと尋ねた。湯川は実家の病院が詐欺集団に騙され、存亡の危機にあるという。
 湯川の起こした医療事故は、病院内のIAレポートの対象となる。そのレポートは廣瀬にも報告される。
 医療事故がなぜ起こったのか、詐欺集団がどのように暗躍していたのかが明らかになっていく。一方、湯川医師の隠されていた側面が廣瀬により明らかにされる。
 川崎殿町病院に武者修行的に勤める開業医のボンボンの医師が引き起こす悪例がここでも題材になっている。病院にとり「治療以外で責任を果たす義務が生じている」(p159)という廣瀬の見解は危機管理担当として重い発言だと感じた。現実にあり得る事例なのだろうな・・・・とも。

<第5章 院内交番>
 第2章の「その後」として繋がる。廣瀬は、意図する体制強化として、現役警察官だった牛島隆二と前澤真美子を院内交番のメンバーに加わえた。さらに、病棟担当看護師長だった持田奈央子を院内交番に異動させた。ここではまず牛島に焦点をあてたストーリーが軸となっていく。
 交番長となった牛島が外来受付で怒鳴る寺田三吉に対応する。彼には治療費不払の前歴があった。翌日、極左系の人権派弁護士が寺田の件で病院に来訪する。それが始まりとなる。廣瀬と弁護士の対峙である。そこには応召義務が絡んでいた。
 ストーリーの展開に、国民皆保険制度の仕組みや医療についての応召義務の視点が織り込まれていて興味深い。

<第6章 中国人エステ>
 緊急搬送要請で、顔面の裂傷とその他打撲傷を負った中国人女性を受け入れる。顔面の治療には縫合が必要となる。被害者は、体験アルバイトでエステの手伝いをしていて暴行を受けたという。エステの所在地を所轄する刑事が病院を訪れて、医師に事情説明をした。
 翌日、人相のよくない二人の中国人が受付に現れる。勿論、牛島の出番となる。その後の展開は病院外の事案として大きく展開して行く。なぜなら、増加しつつある中国人エステの実態があり、一方訪れた中国人がチャイニーズマフィアの下っ端で、大連の連中だったのだ。勿論、廣瀬はこの辺りの情報も熟知していた。
 一方、このストーリーのおもしろいのは、神奈川県内のチャイニーズマフィアを四分するうちの一つのトップである周全黄が病院に来訪し、牛島に被害者に絡む裏事情を説明するという展開である。

<第7章 引きこもり青年>
 県警からの申し入れで、緊急患者の受け入れをせざるを得なくなる。自宅での爆発事故で全身火傷を負った青年への緊急オペである。廣瀬に県警藤岡警務部長から連絡が入る。全身火傷の患者は、将来の総理総裁候補と目される代議士の孫で、不登校の引きこもり状態だった21歳の青年だという。警務部長は、VIP扱いを廣瀬に依頼した。マスコミ対策も必要になる。
 廣瀬は前澤にこの青年の背景を話した。そして容態が落ち着きVIP棟に移した後に、彼の心を開かせてやるという課題を前澤に与えた。廣瀬は「爆発火災の原因が明らかにならないと、まだ何ともいえないのだけれど、自殺未遂ではないと、僕は思っている」(p273)と前澤に話す。
 2日後に病院を訪れた青年の両親に面談することから、前澤の活動がはじまっていく。
 一方、廣瀬は己のネットワークを駆使して、将来の総理総裁候補と目される代議士、両親及び青年に関わる周辺情報を収集し始める。この情報収集の展開が本章でストーリーの前半部となる。
 余談だが、ペインモニターというシステムがあること、また Domestic Violence と Family Violence が使い分けられていること、「ヤバイ」というのはもとは盗人や香具師(やし)の隠語だったということをこの章で初めて知った。
 
<第8章 展開>
 この章は、第5章にリンクするストーリーの後半部という趣で状況が展開していく。
 川崎殿町病院長宛に横浜地方検察庁刑事部から出頭要請の文書が届く。応召義務に関する案件である。これは医療法人社団敬徳会として受けて立つ了解済みの事案だった。
 廣瀬は、マスコミ関係者の大垣、警視庁公安部の寺山理事官と密な情報交換を重ねて行く。廣瀬は情報交換を通じて、事案への対応の布石を打つ。
 フェイク・レセプトを使う保険料の不正請求が明らかになっていく。警視庁のビッグデータが悪用されていたという展開がおもしろい。廣瀬の情報に対する感度のよさと、日頃からのギブ・アンド・テイクによる有益な情報交換ネットワークの形成が威力を発揮していく。その人脈の維持継続が廣瀬の強力な武器なのだ。インテリジェンス小説と言える。

<エピローグ>
 第3章の野々村優子代議士が無事出産し、それに伴うのエピソードが最初に描かれる。
 第7章に繋がるVIP病棟への侵入者を現行犯逮捕するエピソードが続く。
 さらに第8章の捜査の結末が明らかになる。
 最後は前澤が廣瀬から与えられた課題について結果を報告することでエンディングとなる。
 廣瀬が意図した院内交番の体制強化が順調に成果を出してきているというハッピーエンドである。勿論、そんな危機管理対応の必要性が生まれないというのが理想なのだが・・・・。

 大病院の日常の活動という時間の流れの中で、それぞれの事件が発生し、進展し、結果が出るというスピーディーな展開が短編連作風に構成されている。その中で、医療事業分野における様々なホットな情報が織り込まれているところが副産物となっていて、魅力を感じる。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『鬼手 世田谷駐在刑事・小林健』   講談社文庫
『電子の標的 警視庁特別捜査官・藤江康央』   講談社文庫
『ヒトイチ 内部告発 警視庁人事一課監察係』  講談社文庫
『ヒトイチ 画像解析 警視庁人事一課監察係』  講談社文庫
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』   講談社文庫
『警視庁情報官 ノースブリザード』   講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』   講談社+α文庫
===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊

『鬼手 世田谷駐在刑事・小林健』 濱 嘉之  講談社文庫

2022-07-01 23:06:43 | レビュー
 おもしろい設定の警察小説である。おもしろい理由を3つまずあげておこう。
1.駐在所が世田谷区多摩川に隣接する地域にある都内有数の高級住宅街にあること。
 「駐在所」という語句から思い描くイメージとはかけ離れている。
2.駐在する警察官は小林健。警部補41歳。警視庁山手西警察署学園前駐在所勤務。
 小林にはもう一つの顔がある。山手西警察署組織対策犯罪課第四係長を兼務する。
 つまり、普段は駐在所に勤務するので「駐在刑事」。そんな特例的存在である。
 なぜか? 小林が駐在所勤務を希望した原因がこのストーリーの底辺にある。
3.駐在所での日常勤務を中核にして、小林が遭遇し対処する事件を次々に描くこと。
 ストーリーは章立てとなっているが、短編連作集と言える構成になっている。
 それぞれの事件がストレートに進展、展開していくので、読者にとっては読みやすい。

 この小説、特異な設定の故か、現在のところ単発にとどまり、シリーズにはなっていない。2010年に『世田谷駐在刑事』として単行本が刊行され、加筆・修正の上、改題し、2012年2月に文庫化された。

 短編連作集とも言えるストーリー構成なので、章毎に簡単な感想兼紹介をまとめてみたい。
<プロローグ 乾いた音>
 小林の担当エリアで発砲事件が起こる。その犯人逮捕までの顛末が描かれる。主人公となる小林を読者にイメージさせる導入を兼ねているので、プロローグなのだろう。
 犯人の逮捕後に小林が作成した捜査報告書が本庁での大きな事件を解決する糸口になる。

<第一章 白い粉>
 夜間のミニ検問を実施中に、急な方向転換をしようとしたBMWを発見した。運転手に対する職務質問をしたところ、若い男が反抗的な態度をとる。小林は男がズボンの右ポケットに隠そうとした銀色の紙に気づいていた。覚醒剤所持の現行犯逮捕に発展していく。さらに、その車には、若者たちに有名な女性歌手が乗っていた。
 この現行犯逮捕の後、事件の背景をどのように捜査していくか、マスコミへの広報がどのように行われるかが読ませどころとなる。山手西警察署内での署長、副署長などの考えと動きがおもしろい。小林は署長から覚醒剤ルートに絞った捜査を指示されることになる。

<第二章 二足の草鞋>
 なぜ小林は二足の草鞋をはく立場になったのか。その原因となった過去の事件が明らかにされる。小林が警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第四課主任、38歳の警部補だった時に、捜査している事件の過程で発生した。
 さらに、地域を受け持つ駐在の時任健志巡査部長との出会い、彼の仕事のやり方から受けた感銘も一因にあることがわかる。
 もう一つ、小林の家庭事情も明らかにされる。
 ここで小林健の人間像がわかり、読者には一層親近感が湧いてくる。

<第三章 不浄の手>
 小林が定期異動の申し入れをした翌年3月に、駐在所勤務の辞令が出る。この時、小林には「山手西警察署学園前駐在所勤務兼組織犯罪対策全国指導官」という指定書がついた。そのため「駐在刑事」という代名詞ができた。
 さて、この駐在所に勤務する小林の所に、高校1年生になった顔見知りの子が、友達が痴漢に遭っているという問題の相談にやって来る。小林は警視庁の似顔絵捜査官でもあるという特技を活かすことに・・・・。
 似顔絵とモンタージュ写真の長短にも触れていておもしろい。
 勿論、この痴漢事件は犯人逮捕とその結末まで描かれるが、小林はその入口で解決への重要な情報(似顔絵)提出で、手柄を立てたことになる。章末のオチがいい。

<第四章 魔の時>
 正月3日朝、顔見知りで年配の佐藤サトが見張り所に駆け込んできた。息子夫妻が殺されていると訴えた。小林はサトから玄関の鍵を預り、現場に駆けつける。自宅内での一家三人殺人事件の発生である。
 事件捜査の進展状況が描かれて行く。ところどころに、警察組織に内在する警察官たちのマイナスの側面がシニカルに織り込まれていて、いずこの組織もご同様か・・・と感じる。
 この事件で、小林は特捜本部の何人かと独自の捜査を行う立場を取る。なぜか。そこに警察組織内の縄張り意識の反映という側面がさりげなく指摘されている。
 この章に、タイトルの「鬼手」の由来が出てくる。引用しておこう。小林という駐在刑事を知る上で欠かせないからだ。

”小林は事件に対しては冷静に、犯人に対しては極めて冷徹である。・・・・「鬼手仏心」の精神だと小林は思っていた。これは紀ノ川の漁師に伝わる言葉であるが、近年は外科医の心訓として用いられている。「残酷なほどにメスを入れるが、それは何としても患者を救いたいという温かい純粋な心からである」という意味だ。”  p154

 さらに、2月に警察官が被害者になり拳銃が奪われた事件を続きに語る。
 そして、この2つの事件はそれぞれ、暗礁に乗り上げることに・・・・・。

<第五章 富と名声の陰で>
 小林の受持区内に住む女優田口佳子の自宅から110番通報で強盗被害の訴えがあった。小林は女優宅に駆けつけ、現場確認と本署への連絡を行い、被害者に聞き込みをする。窃盗担当の刑事や鑑識係員が現着し初動捜査が始まる。が、窃盗担当係長は親族相盗だと小林に告げた。
 もう一つ、小林の巡回連絡という仕事でのエピソードが語られる。こちらは往年の大物女優に対して、小林が行った支援エピソードである。

 高級住宅地にある駐在所らしい、日常勤務の仕事の一端としての事例を描く。息抜き的な章にもなっている。ここもちょっとしたオチで締めくくられる点がおもしろい。

<第六章 組織対組織>
 小林の受持区内で発生した侵入盗被害を契機にして、ストーリーが展開する。この事件は大掛かりな窃盗グループの犯行に関連する事件の一環だった。小林が刑事の側面で事件に関わっていく。合同捜査という形に進展していくのだが、刑事警察独自のテリトリー主義が出てくる側面をどのように回避して捜査を推進するか。小林は常に「捜査経済」を念頭に置いている。その実践が描き込まれていく。ここでも間接的に警察組織内での立場の違いが生み出す弊害に触れられている。
 盗品の海外輸出まで絡む大型窃盗グループの事件捜査がテーマになっている。

 続きに、小林の駐在所勤務の側面から、「ひったくり」に関連する話題とマンションの部屋を使った偽造グループの摘発を扱っていく。
 小林は巡回連絡の業務中に、受持区内のマンションに住む中国人グループを不審に思った。小林流の巡回連絡の仕方と訪問先の観察で気づいたこと、つまり、小林の問題意識にまず焦点があたっている。

<第七章 なりすまし>
 受持区内に住む大杉建設の会長夫人が小林の所に相談に来た。私立大学に通う孫が1000万円を借りにきたという。博打に負けた金を友達から借りて、それが1000万円になったというのだ。その友達は警察官の子だという。
 祖母に付き添われ、植田純一郎が駐在所の受付である見張り所を訪れた。小林は純一郎に経緯を聞き取りすることから始めた。都市大の人文で学ぶ宮原和也が間に入っているのだが、相手は闇金融のようで、300万ほど借りたのだが1000万の返済を請求されたと言う。違法なバカラ賭博という認識はあったという。純一郎が語った場所を小林は知っていた。池袋警察の組織犯罪対策課に連絡を入れ、小林は連携プレイを行う。純一郎の借金問題のケリの付け方が興味深い。
 
 ここでも、小林を頼って見張り所に相談に訪れる別件に移っていく。テレビの制作会社経営者・前田純高は、大手を含め信販会社7社から身に覚えのない契約に関する返済を要求されているという。思い当たるのは、テレビドラマの制作で京都のスタジオを使ったとき、ある役者の起用問題から始まり、地元の暴力団とトラブルが起こったという。
 小林は信販会社の背景をチェックすることから始め、組対課長に報告するとともに、刑事課との合同捜査を想定するが、署長の発案で本部をも捲き込む事になる。さらに、刑事課と組対課の若い係長を連れて、現場指導をするようにとの指示をうける。この案件もまた、刑事の側面での活躍が期待されているのだ。
 有印私文書偽造・行使の手口の解明プロセスが興味深い。この章のタイトルはここに由来するようだ。
 この捜査プロセスで、著者は行政の問題点を2つ指摘している。
1.「区役所では全ての書類を出してくれたが、申請者に向けた防犯カメラは設置されていなかった。」 (p251)
2.「我が国の健康保険証には写真もICチップも付されていない。それにもかかわらず、これが身分証明書として使用されるところに法治国家とおしての行政手続きのお粗末さがあるよな」(p251)

 さらに、新たな別件が続く。このあたり、駐在所勤務の日常を描くと言うストーリーだから自在である。小林が受持区内に住むIT長者が催すパーティに絡んで路上駐車の問題があり、小林が巡回に行ったことから始まる。路上駐車していたのは関西系のヤクザの車だった。このヤクザに小林が着目する。駐車に対する110番通報が、大きな事件の捜査を引き寄せていくことになる。ここのオチもおもしろい。著者は読者を楽しませている。

<第八章 面影>
 この章は、第四章で発生した一家三人殺人事件の継続捜査編になる。つまり、事件から2年経っている。小林が小グループで行っていた独自捜査のその後という形となり、事件解決へと進展していく。小林が巡回連絡強化月間の巡回連絡中に、偶然にもその糸口を掴む。地道な捜査の先に光明が見え始める。
 最後は小林の家族のことにふれ、駐在所の日常の仕事の描写で終わる。
 治安維持の原点は、地域住民との接点をきっちりと維持できているところにある。それが事件発生後の捜査において重要な情報源になっていくことを著者は語ろうとしているように思った。

 ご一読ありがとうございます。

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