遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『櫛挽道守』 木内 昇  集英社

2015-01-29 10:05:42 | レビュー
 中山道の江戸から京を繋ぐほぼ真ん中が木曽である。その木曽十一宿のうち、信濃国の北に位置し、江戸からくると「贄川 ・奈良井 ・ 藪原 ・ 宮ノ越」と続くのが上四宿。この作品は、薮原宿の名産「お六櫛」を製作する父・吾助の櫛挽きに魅了され、父の櫛挽きの技を継承しようと一途に精魂を傾ける長女・登瀬の生き方を克明に描き込んでいく。

 「お六櫛という薮原名産のこの櫛は、飾り櫛とも解かし櫛とも異なり、髪や地肌の汚れを梳(くしけず)るのに用いられている。なぜ『お六櫛』と呼ばれるようになったのかは登瀬も詳しくは知らぬのだけれど、頭垢(おろこ)をとるからだとも、昔お六というおなごが頭の痛んだときにこの櫛を使ったら痛みが消えたからだとも言い伝えられている。」(p14)と著者は記す。お六櫛が一躍世に知られるようになったのは、文化年間(1804~1818)に山東京伝が書いた『於六櫛木曾仇討(おろくぐしきそのあだうち)』という読本が流行したことに一因があるそうだ。

 登瀬の家は代々、薮原宿下町でお六櫛を挽く櫛師の家であり、この櫛挽きで活計(たつき)を立ててきた。父の吾助は薮原では誰もが認める櫛挽きの技量をもつ名人である。当て交いという治具なしに手造りの鋸で櫛を挽くという神業にちかい技の持ち主。朝飯前から板ノ間にこもり、食事など以外は一日中座り詰めて、延々夜更けまで引き続けるという職人生活をおくっている。その父の背を見つめて育った登瀬は、父の神業ともいうべき櫛挽きの技に魅せられて、自分もその技術を習得し、父のようなお六櫛を挽きたいと望み、櫛挽きの仕事を手伝う生活を父の傍で続けていく。
 その登瀬に母・松枝は櫛挽きの技を学んでもしかたがないと諭す。女の仕事は飯炊きと櫛磨きであり、櫛挽きは男の仕事なのだという。料理その他家事仕事を身につけ、年頃になれば嫁ぎ、嫁ぎ先の家の仕事を助けることになるのだからという価値観である。だから母から見れば、登瀬の行動は「おなごの仕事」を外れた行動をしていて困った娘という事になる。そんな登瀬の生き方がこの作品のテーマとなっている。
 とはいうものの、読後印象として、「お六櫛」とは何か。お六櫛はどのようにして作られてきたのかというテーマがこの作品の根底にある気がする。吾助が櫛挽きする作業工程とその櫛挽きの技を、登瀬並びに実幸の目を通して緻密に描いている。著者はお六櫛の伝統的な製作工程を細密に納得のいくまで観察し、思いをこめてそれをこの作品に書き込んでいるように感じる。

 一方で、いくつかのサブテーマがありそうだ。それが登瀬の生き方と際だったコントラストとなり、時代感に溢れた奥行きのあるストーリーとなっていく。
 登瀬は父の背を見て育ち、薮原宿という地域、薮原宿下町を中心とした限定的小世界しか知らない。他所の土地に行ったこともなければ時代の流れともほぼ隔絶した環境の中で生きている。父の神業とも言える櫛挽きの技術を修得したいという一途の思いで「お六櫛」中心の日常生活をおくっている。
 その登瀬に関わってくるのが、江戸時代の末期、幕末動乱を呼び起こすという時代背景である。登瀬の住む木曽の一地域から登瀬という女性との関わりで間接的に江戸時代・幕末の有り様を浮かび上がらせるというサブ・テーマが含まれている。
 嘉永年間(1848~1854)から元治年間(1864~1865)あたりが時代背景となる。それは12歳で亡くなった登瀬の弟・直吉に関わる話の展開という形で、登瀬の心に重要な位置をしめるものとして、ストーリーの中に色濃く織りなされていく。
 直吉は現代風に言えば心臓麻痺で死ぬ。その死後、ひょんなことから、直吉が絵草紙の類いを作成し源治という少年と一緒に旅人に売っていたということが分かる。登瀬は直吉が生前何をどんな思いでしていたのかをすべて知りたいと願うのだ。源治との関わりを通して時代の動きの一端に触れてゆく。源治を介して、登瀬は時代の動きを感じる。そこには、幕末動乱期における地方の人々の感覚が描かれているようにも思う。
 また、当時の女性の立場、「家」「結婚」ということへの価値観やその感覚が、登瀬と接する村の女たち、母・松枝の言動、及び嫁ぐ意識のない姉の陰に置かれていた妹・喜和の生き方を通して、描かれていく。何時までも自ら嫁ぐという意識のない姉にしびれをきらせ、行き遅れることを恐れ、己の人生を考える喜和の言動と強引に見出した嫁ぎ先での生き方を通して語られていく。さらに登瀬が豊彦と結婚し、櫛挽きの道を続けて行く結婚観にも時代の倫理が現れてくる。

 二つ目のサブ・テーマは、その実幸である。吾助に弟子入りし、入り婿になる実幸という男の生き方。
 実幸は鳥井峠で隔たる奈良井宿の脇本陣を営む名家の四男坊である。同宿の解かし櫛職人のもとへ13歳で弟子入りし、独立できる程に技をみにつけたという。その実幸が薮原の櫛問屋・三次屋伝右衞門とともに太吉を訪れる。江戸の蒔絵櫛の蒔絵師・羊遊斎のもとに修業に行くという。その前にお六櫛の櫛師・吾助の仕事を見る機会を得たいという目的だった。実幸は、総髪髷に白い肌と役者絵を思わせる涼しい目元であり、絹物らしい着流し姿で現れたのだ。その実幸が江戸での修業を終えると、吾助のもとに再び現れ、弟子入りするのである。
 そこから実幸がお六櫛製作の技を学びつつ、櫛の流通経路について独自の動きを始める。薮原における櫛問屋と櫛師の因襲的な関係のあり方に一石を投じていくのである。なぜ、江戸まで修業に出て技を磨いた実幸がお六櫛に戻ってきたのか。そこには櫛の世界を見定めた実幸の大きな意図があった。
 一方、実幸の技が天分であると見抜く吾助は、櫛の製作以外のことについては一切口を挟まない。その実幸の才は登瀬にとって一つの脅威を覚える対象にもなっていく。その実幸が薮原に己の基盤を据えると、婿入りを願い吾助夫妻に受け入れられる。父の技を追う櫛挽き一途の登瀬の生活が変化していく。父の跡を引き継ぐのは自分だと精進してきた登瀬の意識が、実幸の婿入りと彼の櫛挽きの技の前で揺らぎ始め、妻となった登瀬の懊悩が始まる。実幸の生き方を父・吾助と対置しながら眺める登瀬には、いつしか実幸の人生について違った側面が見え始めてくる。
 
 江戸幕府が長州征伐を行う矢先に川家茂が身罷り、将軍不在の様相がつづく。一方江戸や大阪で打ち壊しが起こり、勤王派の諸藩の台頭が確かになってきている。
 そのような時代に父・吾助が登瀬に言う。
「われやん夫妻の拍子はとてもええ。銘々の拍子だで、揃ってはないだども、二つ合わさるとなんともきれいだ。こんねにきれいな拍子をおらは聞いたことがないだでな」と。

 著者はまた最終ステージで吾助にこう語らせる。
「おらの技はもう登瀬の内にあるで。すべて登瀬の内にある。だで、登瀬が誰かにそれを授ければ、この技は必ず続いていぐだに。おらはなんも案じとらん」
「先代、先々代からずっと受け継いできたものだげ。おらのこの身が生きとる間、ただ借りとる技だ。んだで、おらの技というこどではねえんだ」と。
 「櫛挽道守」という作品タイトルはこの吾助の言葉に照応していると思う。

 登瀬を軸に、お六櫛に人生を託した人々の小世界が濃密に描き込まれていく。読み応えのある作品である。

 ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する事項、出てくる用語について、関心にまかせてネット検索してみた。一覧にしておきたい。

中山道  :ウィキペディア
薮原宿  :ウィキペディア
木曽のお六櫛  KisomuraNet
  お六櫛とは 
  お六櫛の種類と形
  お六櫛の伝統技法(櫛の材料、みねばりについての説明も掲載あり)
木曽のお六櫛 :「源流の里 信州木祖村」
お六櫛の由来 :「お六櫛本舗」

徳川慶富(よしとみ)→ 徳川家茂  :ウィキペディア
徳川慶喜  :ウィキペディア
有栖川宮熾仁親王  :ウィキペディア
和宮親子内親王  :ウィキペディア

天狗党の乱  :ウィキペディア
水戸幕末争乱(天狗党の乱)  鈴木暎一氏  :「茨城大学図書館」
寺田屋事件  :ウィキペディア
寺田屋事件  :「坂本龍馬の背中を追う」
長州征伐   :ウィキペディア
四境戦争(第二次長州征伐)~小瀬川口の戦い(1)~ 「維新史回廊だより」
四境戦争(第二次長州征伐)~小瀬川口の戦い(2)~ 「維新史回廊だより」
四境戦争(第二次長州征伐)~大島口の戦い~ 「維新史回廊だより」


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『忍びの国』 和田 竜   新潮文庫

2015-01-25 11:11:12 | レビュー
 『信長公記』には、伊賀国について少なくとも3ヶ所に記載が出てくる。
一つは、巻十二(天正7年年己卯)に載る「北畠中将殿御折檻状の事」の条である。9月17日に、「北畠中将信雄、伊賀国へ御人数差し越され、御成敗のところに、一戦に及び、柘植三郎左衛門討死候なり」と記す。それに対し、信長は上方への出陣を命じているのに、信雄がかってに伊賀に兵を出したことを叱責している。後内書を認め、信雄の許に使者を派遣しているのだ。叱責の文書には自筆でこういう内容を記したという。「・・・・上方へ出兵すれば、伊勢の国の武士や民百姓の難儀が多い。だから、とどのつまりは国内で問題があれば他国まで出兵しないですむであろうというわけで、このことをもっともであるとおまえは同意し、伊賀への出陣をとったのか。いや、もっとありていに言えば、おまえは若気のあまりに、そのとおりだと自分から思い込んで、伊賀あたりへ出兵したのではないか。さてもさても無念の極みである。・・・・・柘植三郎左衛門を始めとして、大事な武将達を討ち死にさせたことは言語道断、けしからぬことである。おまえがそのような心がけでいるのでは、親子の縁も認めるわけにはいかない」と。
 そして、巻十四(天正九年辛巳)の「伊賀国、三介殿仰せつけらるる事」において、9月3日「三介信雄伊賀国へ発向。」から始まり、信長軍の諸大将が四方からなだれ込み、9月11日に至りほぼ戦いの決着がつく。『信長公記』に記述はないが、信長は4万4千余の軍勢を伊賀にさしむけたとする。
 つづく「伊賀国へ信長御発向の事」の条において、10月9日に「伊賀国ご見物として、・・・其の日、飯道寺へ、信長公御上りなされ、是より国中の躰御覧じ、御泊り。」10月13日「伊賀国一宮より安土に至りて御帰城。」10月17日に、信長は長光寺山で鷹狩りをしている一方で、「伊賀国中切り納め、諸卒悉く帰陣なり」という結末となる。つまり、伊賀国、忍びの国が滅びたのだ。

 この作品は、『信長公記』でこのように記される伊賀国の忍びが己の土地で如何に戦い、どのように滅びて行ったかが描かれている。
 物語は天正4年(1576)から始まり、主な登場人物のプロフィールが明らかになっていく。
 織田信長の次男、織田信雄は伊勢国・北畠具教(きたばたけとものり)の六女・凜を嫁に貰い北畠家の養子に入っている。その信雄が、長野左京亮(さきょうのすけ)、日置(へき)大膳、柘植三郎左衛門という家臣を引き連れ、三瀬谷にある具教の三瀬御所を訪れ、具教を抹殺する。
 大膳と左京亮は伊勢侍で、ともに北畠家の譜代の重臣であり、北畠具教は元の主だった。信長と具教が激突した大河内合戦での和睦の結果、信雄の北畠家に婿入りし、大膳と左京亮が信雄を主にする立場になったのだ。左京亮は戦国の世の時勢の変化をやむなく受け入れ、元の主である具教の抹殺の実行に手を染める。最後まで、元の主の抹殺に抵抗心を抱く大膳は、結局左京亮を助ける形で、具教を殺める立場に立つ。大膳に横胴を薙ぎ払われた具教は、死を悟ると大膳に小声で意外なことを語る。「これより伊勢は名実ともに織田家のものとなる。大膳、おのれも家臣を持つ身ならば、その者どもの安寧のみを考えよ。今後は織田家とともにいきるのだ。」と。

 柘植三郎左衛門は、『信長公記』にその名が記されている。信長が好んだ男のようだ。三郎左衛門は北畠家の一族にあたる木造家(こつくりけ)の家老だったが、木造家が信長に寝返り伊勢侵攻を推進したのがこの三郎左衛門だった。木造家の裏切りが判明した時点で、具教に差し出されていた三郎左衛門の妻と9歳の娘が具教により殺される。ともに縊り殺された後、串刺しにされ、三郎左衛門の籠もる木造城向けに見せしめとしてさらされたのだ。なお、この男の出自は伊賀だったという。柘植は父祖元来、伊賀国住人弥平兵衛宗清の末裔なのだという。三郎左衛門の時代に伊勢に渡り、木造氏に仕えたのだ。この三郎左衛門が忍びの国との戦いでは、キーパーソンの一人となっていく。
 
 具教に信雄の暗殺意図を事前に告げに行った者がいる。信雄の妻となっていた凜である。凜から直にそのことを聞いた具教は、凜に北畠家秘蔵の名器「小茄子」を守り抜けと託して、三瀬御所から落ち延びさせる。「小茄子」は一城に値するとも一万貫に値するとも称される名器なのだ。この「小茄子」が大きな役割を担っていくことになるから、おもしろい。

 一方、この三瀬御所に潜入していた下忍がいる。伊賀国喰代(ほうじろ)の地侍、百地三太夫(ももちさんだゆう)に命じられて情勢を窺う伊賀国石川村の19歳になる文吾である。忍びの国が滅びた折、生きのびそののち石川五右衛門と名乗っていく男だ。このストーリーでは、重要な脇役的存在となる。

 この物語では、北畠具教が殺され織田信雄の手中に三瀬館が納まった直後に、信長が現れる。その信長が、信雄はじめ兵を前にして、「隣国伊賀には容易なことでは手を出してはならん。虎狼の族(やから)が潜む秘蔵の国と心得よ」と発する。
 その伊賀に、なぜ織田信雄が攻め込んだのか。そして一敗地に塗れる仕儀に立ち至ったのか。そこにこの作品のテーマの一つがあるだろう。

 もう一つのテーマは、伊賀国・忍びの国がどんな風土であり、伊賀の忍びの気質がどんなものだったか。忍びの働きが何を動機として、どのような指示・命令で動いていたのか。伊賀の忍びの組織がどのようなもであったか。そんな忍びの国が、なぜ自らの土地を戦場にしたのか。それを描き出すということではないか。
 鎌倉幕府滅亡以降、守護不在同然の状態で、小領主(地侍)が乱立し、それぞれが極めて仲が悪く互いに争うという国だったという。その中で忍びの術が磨かれていったのだ。
 忍びの側で登場する主な人物が数人居る。
 百地三太夫。彼は伊賀国喰代の里を領有する主であり、配下の下忍を自在に操る。己の価値を高め、如何に戦国の世に生き残るかの構想を展開する黒幕的存在として関与していく。三太夫は伊賀国の十二家評定衆に参集を掛けるくらいの権力を有する。

 百地三太夫の秘蔵の忍びが「無門」と呼ばれる男。伊賀一国のうちでも「その腕絶人の域」と評される忍びである。だが、主の三太夫の下知を断りさえする男なのだ。この忍びを一つの軸としてストーリーが展開する。一勝したのち殲滅される忍びの国の顛末である。
 百地家が下山甲斐の下山砦を攻めている。三太夫は無門に「下山甲斐の次男、次郎兵衛を斬れ」と下知する。無門はその殺し料の額を三太夫と交渉するするのだ。そして、次郎兵衛をあっさりと殺してしまう。その結果、無門は次郎兵衛の兄・下山平兵衛とも闘うこととなる。次郎兵衛の死が伊賀の乱という事態の遠因ともなっていく。そこには思わぬ仕掛けがあった。

 この作品でおもしろい点は、無門を行動に駆り立てる動機の一端が、お国という無門の女房との関係性にある。二人の関わり方にはニヤリとせざるを得ない場面や、時にはほほえましい場面すら出てくる。無門は安芸国の千石取りの武将を父に持つお国を巧みにくどいて出奔させ伊賀に連れてきたのだ。「わしは伊賀一の忍びじゃ、それ故お国殿には銭の心配など生涯かけさせぬ。されば伊賀に参り、夫婦になれ」と。
 この言が、無門とお国の二人の伊賀での生活と関係を大変微妙にしていく。実におもしろい役回りをお国が果たしていく。

 三太夫配下の老忍・木猿、および数年前に死んだ父から鍛冶を仕込まれていて、三太夫に扶持されている少年・鉄が登場する。無門との関わりで木猿と鉄はしばしば登場してくる。料理で言えば、調味料的な役回りと言えるかもしれない。

 三太夫が参集した十二家評定は、北畠具教が死に伊勢を織田家が押さえたことで、織田家の軍門に降ると決議する。そして、北畠信雄に十二家評定衆の意向を伝えるために、下山家の嫡男・平兵衛を使者として伊勢に放ち、百地家の下人・文吾を小者を務めさせると決めたのだ。
 しかし、下山平兵衛は伊賀を裏切るという行動に出る。使者となって伊勢地口から布引の山中に入ったときに、文吾を斬り傷つけて、喰代に帰らせる。「その傷をもって百地三太夫に伝えよ。下山平兵衛は伊勢軍勢を率いて再び伊賀に舞い戻ってくるとな」と。
 百地三太夫の下知で無門が次郎兵衛を斬り殺した。弟の死に対し実父は冷淡な反応をしただけであった。その実父の反応に端を発した伊賀者への憎悪が伊賀者を根絶やしにするという行動へと突き進ませる。その平兵衛が北畠信雄に目通り願いたいとストレートに伊勢側の関所に入っていく。信雄の居城・田丸城に連行されることになり、柘植三郎左衛門との関係ができていく。そこから戦へのストーリーが具体的に展開し始める。

 忍びの国での戦である。一筋縄では行かないのがあたりまえ。様々な意図や思いによる関わりと行動が織りなされ、意外な裏の仕掛けが相互に企まれていく。ここが読ませどころである。
 領地の拡大・覇権に対する権謀術数のせめぎ合い。登場人物のそれぞれの信条と思いが背景となりそれぞれの行動が展開される。戦国時代の生き様が織りなされていく。伊賀の忍びの戦のしかたが興味深く描かれている。

 この作品は天正7年の伊賀国側の戦勝を中心に展開していく。だがその戦勝の結果、無門は伊賀から煙の如く消え去る。それはなぜか? それが本書の読みどころである。お楽しみいただきたい。

 最終章は、天正9年の伊賀国の滅亡を伝える。
 だが・・・・戦が終焉した段階で、大膳が左京亮に言う。
「斯様なことでこの者たちの息の根は止められぬ。虎狼の族は天下に散ったのだ」と。

 終章の末尾のシーンがおもしろい。その結末をどう想像するか。それは読者の想像力に委ねられている。

 ご一読ありがとうございます。


注記:参照資料 
 『新訂 信長公記』 太田牛一 桑田忠親校注 新人物往来社 p269-270、p338-342
 『原本現代訳 信長公記(下)』 太田牛一原著  榊山 潤 訳 ニュートンプレス    p121-122、p229-234

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本書と関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
織田信雄  :ウィキペディア
織田信雄 ~織田信長の次男 :「戦国武将列伝β」
北畠具教 :ウィキペディア
丸山城  :ウィキペディア
田丸城跡  :「観光三重」
伊賀上野城 ホームページ
百地三太夫 :「コトバンク」
百地丹波  :ウィキペディア
天正伊賀の乱  :ウィキペディア
百地三太夫 屋敷  :「城と史跡の写真館」
百地三太夫博物館  :「まちかど博物館」

『校正 伊乱記 上』 :「近代デジタルライブラリー」
天正伊賀の乱と名張  pdfファイル   名張史跡顕彰会
伊賀 信長、子の惨敗で大兵力  東海の古戦場をゆく  斉藤勝寿氏
   2009年7月21日   :「朝日新聞DIGITAL」
『勢州軍記』  :「古典籍閲覧ポータルデータベース」
  二世笠亭仙果著・芳春画/慶応3年
正忍記  忍術秘伝書 :「忍びの館」
万川集海 忍術秘伝書 :「忍びの館」
万川集海 :「伊賀忍者」
『絵本太閤記 上』 :「近代デジタルライブラリー」
   岡田玉山 著  成文社  明19.11
『常山紀談 上』  :「近代デジタルライブラリー」
   湯浅常山 著[他] 学生文庫  至誠堂 
『常山紀談 中』  :「近代デジタルライブラリー」
『常山紀談 下』  :「近代デジタルライブラリー」
『常山紀談』 :「近代デジタルライブラリー」
   湯浅元禎 輯[他]  有朋堂文庫 有朋堂  大正15


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『村上海賊の娘』 新潮社
『のぼうの城』  小学館文庫



『原発利権を追う』 朝日新聞特別報道部  朝日新聞出版

2015-01-21 10:27:39 | レビュー
 本書は朝日新聞に連載報道された記事をまとめたものである。副題は「電力をめぐるカネと権力の構造」である。

 東京地検特捜部が原発利権の構造解明を目指して、2つの事件を摘発した。
  2006年 水谷建設の脱税事件
  2008~2009年 西松建設の裏金事件
 だが、これらは徹底的な解明がなされずに、最後はさじが投げられた事案にとどまる。
 朝日新聞の報道部において、2003年の名古屋国税局での課税処分事案を契機に報道チームが組まれて、原発利権問題が追跡されたという。そして2011年3月11日の福島第一原発事故の後、関係者の証言が世に出てきた。その事実を受け止め、それまでの記者活動の情報・資料をベースにさらに事実究明のための特別斑による記者活動が展開されることになる。その結果が、新聞連載「原発利権を追う」(2013年7月スタート)である。
 この連載の集大成がこの本のようだ。

 本書では次の章立てで再構成されている。
 第1章 九電王国・支配の構造
 第2章 立地のまちへ
 第3章 東電OBの告白
 第4章 ゼネコンの内幕
 第5章 東電総務部の実態
 第6章 中電の裏金システム
 第7章 「関電の裏面史」独白

 特別報道斑は、関係者から事情聴取し、入手できた事実資料と発言内容を克明に時系列で整理し、諸関係を論理たてて整理し、原発利権構造の事実に迫って行く。
 利益を供与する側の関係者が実際に行った事実を話したとしても、その金を受け取った側への記者インタビューあるいは回答要求から戻って来る回答は「そういう事実はない」「知らない」「記録がない」「お答えしない」・・・・にほぼ終始するというパターンである。ほんの一部の事実が認められているにすぎない。犯罪行為になるこの種の問題として、当然のやりとりが結果として記録されたにとどまるといえよう。
 だが、こういう利権構造が大義名分の裏に、ぴったりと張り合わされて現実が動いていたのだろうという事実を認識することが、今こそ重要なのではないか。

 原発利権の構造が生み出される背景には、次の連環があるのだ。
「世の中は業者、官僚、政治家の三角関係で成り立っている。電力会社は許認可を握る官僚に弱い。官僚は大臣を務める政治家に弱い。政治家は献金と票を集める電力会社に弱い。だから、電力会社は日頃から政治家と仲良くしておく。政治献金はフレンドリーな関係をじわじわとつくる漢方薬。権力への立ち居振る舞いや、即効性のある頓服薬では(贈収賄で警察や検察に)やられる危険が大きい。政治家がもらったと意識しない程度に時間をかけて渡す漢方薬が大事。これは民間が長い間に学びとった知識なの」(p234)

 その漢方薬が、数百万単位、あるいは千万単位の裏金なのだから、ビックリする。

 原発建設は巨大なプロジェクトである。施設建設は長期間に及ぶ。一度その建設に参画できると会社として安定的な収入源となる。建設の発注元は地域独占体制を保証された巨大電力会社である。そこから受注するために各建設会社はしのぎを削る。安定的収入源となる受注を得るためには、電力会社の意向に協力する。それが裏金づくりのカラクリを受発注の取引の中に潜ませていくことになる。ごく僅かの関係者にしか知られない仕組みが動いていく。裏金の額は廻り廻って、本源は電力会社からの受注金額の中にひっそりと組み込まれているという連鎖である。

 そして、電力会社が発注する金額はすべて、電気料金という収入に由来するのだ。電力を生産し、その販売で電気料金を得て、利益を得るのが電力会社なのだから。さらに言えば、原子力発電は電源三法並びに総原価主義という計算法のもとに、税金が費消されている側面が加わる。

 本書に結論はない。報道斑の追跡した観点からの「事実」「情報」「資料」の提示である。カネを受け取った側はその事実を否定しているか、回答していない。
 本書から、「電力をめぐるカネと権力の構造」が浮かびあがってくる。

 大義名分で語られる原発推進の裏側に、原発利権に伴う様々な次元での欲望がどろどろと蠢いているのだ。その蠢きのなかでほんの一握りの連中が甘みを享受しているのだろう。そのカネの原資は電気料金であり、国民の税金に帰着するのだ。
 
 我々一般庶民は、大義名分と風潮に惑わされやすい。事実は何か。それを考え直すことから出発しなければならないのではないか。

 原発利権は原発問題を考える一つの欠かせぬ観点だろう。この書は、考える材料として、一石を投じたことになる。実名で登場する証言者の発言内容は、原発推進が生み出した裏面史の記録として貴重な資料でもある。
 原発利権の存在を断固容認すべきではないと思う。原発利権のために電気料金が上乗せされ、税金が徴収されては、たまったものではない。馬鹿げている。


ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する事項やそこからの波紋による関心事項をネット検索してみた。
一覧にしておきたい。

水谷建設 :ウィキペディア
水谷建設 会社更生手続開始の申立てにに関するお知らせ

西松建設 ホームページ
 「CSRトップメッセージ」は「2009年の不祥事について」一応ふれてはいます。
西松建設事件  :ウィキペディア
西松建設 関連キーワード  :「朝日新聞DIGITAL」
政治資金収支報告書 :ウィキペディア
政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書  :「総務省」
政治資金規正法のあらまし 総務省 pdfファイル
九電やらせメール問題  :ウィキペディア
九州電力の「やらせメール」をどう考えるか  山崎元のマルチスコープ
九州電力やらせメール問題検証サイト  ホームページ
サガハイマット (九州国際重粒子線がん治療センター) ホームページ
資金調達難航、不安な船出 サガハイマット  :「佐賀新聞」
第5部(7)九電の「寄付」は悪なのか がん治療最新施設も標的 :「産経ニュース」
「九州パワーアカデミー」の設立について  :「九州電力」
   平成21年5月27日のプレスリリース
  委員会の構成  pdfファイル 
川内原子力総合事務所の設置他について  :「九州電力」
      平成21年2月17日 プレスリリース
川内原子力総合事務所からのお知らせ  :「九州電力」
政治資金パーティー   :ウィキペディア
政治資金パーティとはなんだろう 池上彰の「政治」のキホン:「YAHOO!みんなの政治」
政治資金パーティー  pdfファイル  :「東京都選挙管理委員会」
パーティ券購入は寄付か交際費か?  :「東京地方税理士会」
国民政治協会 自民党  ホームページ
  こんな説明をしています。
   個人寄付 
   法人寄付 
連載「原発利権を追う」  :「朝日新聞DIGITAL」
【九州から原発が消えてよいのか】のニュース :「msn 産経ニュース」
  2012.9.24から始まっているシリーズ。2013.12.16時点で第6部(2)まで掲載確認。
東電の汚れ役は見返りと共に 水谷建設元会長が爆弾発言  :「WEB新書」

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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実』  小出裕章  幻冬舎
『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』 山本義隆  みすず書房
『対話型講義 原発と正義』 小林正弥  光文社新書
『原発メルトダウンへの道』 NHK ETV特集取材班  新潮社
『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』 東浩紀編 genron

『原発ホワイトアウト』 若杉 洌  講談社  ←付記:小説・フィクション
『原発クライシス』 高嶋哲夫  集英社文庫 ←付記:小説・フィクション

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新2版)

『あの男の正体(ハラワタ)』  牛島 信   日経BP社

2015-01-17 18:03:32 | レビュー
 「あとがき」の冒頭で、著者はこんな事を記す。或る老大家が「世の中は所詮男と女だよ」と言ったのに対し、そう思いつつも著者自身は「やはり世の中は個人と組織でできている」「性より会社が大事だ」と考えていると。「この小説を書き始めたときもそうだった」と記す。
 この作品は「内外海行株式会社」という一部上場の一流商社、年商2,000億円、利益40億円、従業員2,000人という会社の社長の地位を得ていた数人の男たちを中心に、個人と組織の関係を描いている。そこに、一人の女性が主に関わっていく。大学卒業後この内外海行に入社し、秘書の職務に携わり、結果的に長年社長秘書を勤めてきた古堂房恵である。この小説、社長という立場からみた個人と組織を描きながらも、コインに両面があるように、社長という立場にいた男と女の関わりを描いているという印象が強い。

 冒頭は取締役会の場面から始まる。一貫して「あの男」と称された社長が現役のまま死亡したために、唐突に社長に就任することになった横淵三男が2回目の議長役をつとめ開催しているシーンである。ここでこの新社長は刺身のつまのような存在にすぎない。それはこの会社の社外取締役に就任している大木弁護士が、急逝した前社長「あの男」を回想するきっかけとなるシーンだから。
 作品の中で、大木はあの男と私という関係で登場する。あの男と私は高校時代の同級生なのだ。あの男は大学卒業後、商社マンとなり、大木は弁護士となる。二人のつながりは法律相談という接点を通じ、生涯の友という関係が続く。あの男は公私ともに大木に弁護士としてのアドバイスを得るということになる。大木はクライアントの意向を尊重し、誠実で有能な弁護士として、徹底した守秘義務を守りながら、関わりを持っていく。
 大木はあの男を介して、その前の社長・南川丈太郎とも関わりができる。ただし、大木は内外海行の顧問弁護士という立場ではない。あの男の友という関わりから、個人的に弁護士としての役割を果たしてやる。その結果、大木は内外海行という会社の有り様に深く関わっていき、内情を知ることになる。南川の命を受け、あの男が社長にならざるを得なくなった時にも適切なアドバイスを行い、そして、社外取締役の必要性を問われたときにも即座にその立場を引き受けるという形で、この会社に関わっていく。つまり、このストーリーの語り部として、またその結末を告げる弁護士として、まさに適役なのだ。

 この作品は、一部上場会社であるが実質的なオーナーである南川丈太郎というカリスマ的な存在の社長が会社をどう捉えていたか。会社という組織と個人の関係をどう考えたか。南川の公私を含めた行動がストーリーの前段となっている。そして、その南川をオヤジと呼び、オヤジがやれと言ったことをやるだけ、俺はオヤジに殉死するという思いを述べるあの男が、社長を継承してからの公私を含めた行動が後段となる。
 オヤジが社長をやれと言うからやらざるをえないと、あの男が社長になって何を始めたか。あの男が何を考え、何をやろうとたのか。それがこの作品一つのテーマである。
 南川丈太郎とあの男の会社観・組織観並びに社長という立場での行動が描き出される。そこに社長秘書・古堂房恵が関わっている。
 大木はこの二人の社長から個人的な秘密を含めた法律相談を受ける弁護士という立場に立つ故に、このストーリーの黒子的語り手となっている。大木の回想を交えながら内外海行という会社を舞台とした個人と組織の関係、社長という立場の人間の考え・行動を軸にしながら、様々な人々の関わりや経緯が描き出されていく。

 あの男は、ブランドの終戦処理場と見なされていた営業第三部の部長となる。これでサラリーマン人生も終わりかと周りからみられる中でブランドを次々に復活させるという離れ業を演じる。そして南川からフェニックスとの異名を得る。南川はあの男に賭ける行動に出た。そしてあの男は南川の秘蔵っ子とみられるようになる。
 だが、南川が小関直人を社長の後継者として引退し、興津に引きこもる。その時、社長秘書だった古堂房恵を個人秘書として同道させる。この時、あの男は南川の引退に併せて辞職する。だが、小関社長の行っていた架空取引のスキャンダルが露見することで、3年後に南川は再度社長に復帰し、あの男も復職するという展開となる。その南川は社長に復帰後、実質的にはあの男に一切任せる行動に出る。
 南川は社長秘書の古堂に、あの男をこう評して語る。
「あの男は、自分で自分を騙すことができるっていうことだよ。嘘を言っているときでも、自分では本当のことを言っているつもりだ。だから、あの男には、誠実に喋っているふりなどする必要がない。あいつが嘘を言っているとき、あいつ自身は、真実を本気で語りかけているつもりなのだ。本心から、だ。
 天知る、地知る、我知る、汝知る、だ。なあ、房恵。人間、他人を騙すことはできる。しかし、自分を騙すなんてことは、なかなかできないものだ。そうじゃないか。」(p149-150)

 再び、南川があの男に社長を引き継がせて、興津に引きこもっていく。だが、この時古堂房恵をそのまま社長秘書として、あの男に引き継がせるのである。この本のカバーに描かれた景色、それはこの作品に描かれた南川が住む興津の家のイメージのようである。

 あの男は社長として、内外海行という会社組織の変革を断行していく。それは取り扱いブランドの分社化であり、会社の連邦経営化をめざすかの如き変革である。若者が意欲に燃える会社、会社の活性化をめざすのだ。あの男は言う。
「今回のことの一連のなりゆきの一切が、横で見ている独立した元部長さんたちにどう映るか、その結果、なにがそいつらの一つひとつの心のなかで燃え出すか。」 p319

 社長となったあの男の何が変わり、何が変わらないか。そこが読ませどころでもある。社長秘書古堂房恵の存在が一つのキーになっている。それがこの小説のおもしろいところである。

 この作品を読み、興味深くおもしろいと思う事項がいくつかあった。
1) あの著名な経済学者ケインズの私生活の側面がエピソードとして話材にでてくること。学生時代にケインズの理論を多少かじったが、ケインズの私的側面を知らなかったので、興味深かった。
2) 南川が語る中に出てくる西園寺公望の人物論。
3) あの男と古堂房恵の会話に出てくるいくつかの森鴎外に関わるエピソードや引用句。 ここには著者の嗜好、蘊蓄が語らせている局面がありそうだ。鴎外の著作を読み込んでいる人でないと知らない章句がさらりと飛び出してくるからおもしろい。第3章の見出し「赤く黒く塗られた顔」とう言葉自体が鴎外が述べた文の語句からきているようだ。(p180)
4) 三島由紀夫が45歳で腹を切って死ぬ直前に言った言葉というのも引用されていて、これもまた興味深い。この言葉は後掲する。
5) 最後におもしろいと感じたのは、第4章「番外プロジェクト」でのあの男が常務取締役会で「捨身飼虎」を引き合いに出し語るプロセスでの発言である。
 居並ぶ取締役を前に、捨身飼虎のことを語りだし、こう言う。
 「君ら、そんなことも知らないのか、まったく。ふだんは、『おれは、東証一部上場の会社の取締役様だ』って、えらそうな顔をして世間を歩いているくせになあ」
 そして、その意味を説明したあとで、あの男はたたみかけるように言う。
 「そういうことだ。君らは奈良の正倉院に行ったことはないのかね?」と。
 これは、著者のブラック・ユーモアだろうか? あの男自身がえらそうに言うことの中に正確でないことも織り込まれているということか。上掲の南川の人物評にあるように。 なぜなら、著者が知らないはずがないだろうから・・・・・。馬鹿にしたようなあの男の口調から出て来た「正倉院」に、取締役のだれもが、異論を述べないという有り様のおもしろさをここに描き込んだのか。著者の思い違いか・・・・・。
 「捨身飼虎」と聞けば、「捨身飼虎図」を連想し、それは国宝「玉虫厨子」に結びつく。この厨子を拝見できるのは、法隆寺である。正倉院ではない。「正倉院」は校倉造りの建物、御物の保管倉庫であり、奈良の正倉院に行こうと、建物の外観を遠望できるだけである。たとえ「捨身飼虎」に関連する御物があったとしても、見られる訳がないのだから。
 
最後に、印象深い章句をいくつかご紹介しておこう。どういう文脈で出てくるか、本書をお読みいただき、味わってみてほしい。

*男は男に恋いをするのさ。それがビジネスの秘訣だ。
 誰もが、いや、仕事に意欲をもって真面目に自分の人生に取り組んでいる男ほど、男に言い寄られたい。「できる男だね」って、熱い目つきでささやいて欲しいのさ。
 だから、女の一人も口説くことのできない男には、仕事ができない。  p123-124
*本当は頼りになるものなどなにもない世界に自分がいる。  p155
*愛は時を忘れさせ、時は愛を忘れさせる   南プロヴアンスのことわざ p165
*他人のなかに自分がほの見えると、その他人が好きだって思い始める。  p184
*「私はこの25年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る」 三島由紀夫 p185
*他人事ならうまく処理できる。それが自分のこととなると、もういけない。そんなものなんだ、人間てのは。  p317
*人は人との関係で生きる。もし生きている瞬間があるとすれば、そこにある。そこしかない。こうした時間が流れて、僕はいずれ消える。  p324
*人は、おのれの居るべき場所に居ると信じきれるのが最大の幸福だ。  p327


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本書からの関心の波紋でネット検索した事項を一覧にしておきたい。

イザベラ・デステ :ウィキペディア
南青山第一マンションズ  :「plus-home」
マナー・ハウス  :ウィキペディア
バルセロナ・チェアー  :「Knoll」
ル・コルビジェ LC2 :「DESIGN KAGU.COM」
ごあんない 紀尾井町 福田屋 ホームページ
ヴィトラ イマーゴチェア  :「DO-GUYAウェブストア」
イサム・ノグチ  :ウィキペディア
イサム・ノグチ コーヒーテーブル  :「hhstyle.com」
Philip Kaufman が蘇らせた マーサ ゲルホーン :「FESTIVAL DE CANNES」
リーフル・ダージリンハウス  ホームページ
松川  ホームページ  
tenerita Mansion ホームページ

玉虫厨子  :ウィキペディア
「捨身飼虎」の変容 山折哲雄
法隆寺  ホームページ
法隆寺  :ウィキペディア
正倉院について  :「宮内庁」


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『闇の争覇 歌舞伎町特別診療所』  今野 敏  徳間文庫

2015-01-13 00:44:39 | レビュー
 上掲の表紙は文庫本の新装本として2014年6月に再刊されたものである。この時に「歌舞伎町特別診療所」という副題がつけられた。この副題が付けられただけで、イメージが少し絞られ、それだけ現代感覚がそこに加わってくる。このあたり、おもしろいと思う。 本書末尾に付けられた「今野敏 著作リスト」によれば、2007年8月に文庫本化された時のタイトルは『闇の争覇』だった。このタイトルではやはりちょっと漠然としていてイメージが湧きにくい。それでは、オリジナルはどうか? 本作品は1996年3月に『大虎(ターフー)の拳』(トクマ・ノベルズ)として出版された。当時は格闘技を即座に連想させるタイトルづけが時代風潮にマッチしていたのだろうか・・・・・。
 1990年代に著者は一つのジャンルとして『拳鬼伝』『弧拳伝』のシリーズ、『覇拳○○鬼』(○部分に文字が入る)シリーズや『惣角流浪』を次々と出版している。これらもまた、今風に改題されて文庫版が出版されている。

 本作品の改題を見つめ、その関連付けを考えると作品のイメージが膨らむのではないか? 新宿・歌舞伎町が活動舞台となっていて、闇ということから暴力・ヤクザの世界が関わり、そなると縄張り闘争的な状況での勝ち負けがテーマとなる。そこには大虎とニックネームを付けられた人物の「拳」(格闘技)が深く関わっていく。「ターフー」と読ませていたのだから、中国系の人物が関わっている。特別診療所とあるからには、そこでの治療行為が何らか重要な要因となっているに違いない・・・・と。
 まあ、これは本作品のタイトル解題プロセスを事前に知っていてわかることと言えるのだが。といいながら、新装版のタイトルだけでもその半ばまでは類推できそうである。
 このことを考えると、小説のタイトルのネーミングの重要性を一層感じるようになる。時代性がやはり背景となるが、まず引きつけ、そこかえ想像力を高めるトリガーとなるようなタイトルがいいようである。

 さて、イントロが長くなった。
 本書は作品内に年号、西暦年の設定が記されていないので、1990年代半ばの作品だとは感じさせない。時代背景にとらわれることなく、闇の世界に絡む舞台での格闘技ものエンタテインメントとしてひととき楽しめる軽い読み物に仕上がっている。
 勿論、その根底にあるテーマは、実際に闇の地下経済という側面で、ブラック・ビジネスとして取引されている重大な社会的問題の存在を指摘している。その一局面を軽く読み流すことは絶対にできない。その局面は、人権にも絡む社会問題として取り上げられたドキュメント作品をお読みいただくと、掘り下げて考察できるだろう。
 まあ本作品はエンターテインメントの側面にウエイトを置いていこう。

 作品の構図はこんな具合である。
 舞台は歌舞伎町の裏の世界・縄張り覇権争いである。歌舞伎町の裏世界は日本の暴力団よりも外国系組織が勢力を拡大しているという。ここには流氓(リユーマン)つまり中国系暴力団と台湾マフィアとして、台湾出身者中心の新興マフィアである天道盟(ティエンダオモン)が登場する。台湾マフィアといっても、竹聯幇(ジュリェンバン)や四海幇(スーハイバン)は大陸出身者中心の組織だそうである。そこにイラン人の一派が勢力を広げてきている。 
 その歌舞伎町に近い、新大久保のホテル街の一角、職安通りのそばにある『梨田診療所』が関わってしまう。医師が夜9時過ぎに担ぎ込まれた外国人の治療をしたことから、このストーリーに巻き込まれていくのだ。

 主な登場人物を列挙してみよう。
大虎(ターフー)と呼ばれる男
 冒頭のシーンは歌舞伎町の一角で30歳になる台湾人のママが経営する店にイラン人3人が押し入る。強盗・強姦行為に及ぶ。そこに身長190cm以上の黒い革のジャンパーを着た男として登場する。肩幅が広く、大胸筋が発達していて、腰回りも大きい。イラン人たちがナイフを振り回し立ち向かうのに素手、拳だけで対応する。この大虎が歌舞伎町の闇世界に様々な関わり方を始める。広東訛りの北京語を喋る。

松崎部長刑事と飯田刑事
 新宿署刑事捜査課一係。強行犯担当。機動捜査隊の巡査部長は松崎に皮肉をぶつける。歌舞伎町のビルや土地の7割は華僑を含む中国系のものだって・・・と。松崎は、歌舞伎町は日本、首都東京の新宿にあるのだと反応する。外国人同士の抗争にはなかなか捜査の動きもはかばかしくない。人数のかけ方もままならない。ところが、そこに梨田診療所の医師が絡んでくると、俄然捜査展開状況が動き始める。
 彼ら刑事には素手で闘った巨大な男というやっかいな新顔が現れたということからの始まりである。

五条大輔
 『承武塾』というフルコンタクト空手の道場指導員。3年前、27歳の折の大会での試合を最後に引退し、後進の指導を担当している。武道ジャーナリズムでは大会優勝などで華々しく取り上げられ、雑誌にも写真が出て一般に知られた時期がある。
 五条は、亀井基男と久本健児という選手を大会を前に指導している。
 彼は、3年前。承武塾主催の「拳蹴技世界一オープントーナメント」の大会で、それまで日本では知られていず、この大会で勝ち進んできた香港の選手・王朱盟と決勝戦で戦い敗退した。それを契機に現役引退。五条には戦いに対する鬱屈した思いが残っている。
 あるとき、五条は立ち寄ったゲームセンターで格闘技ゲームに興じる小学生の犬飼翔一と知り合いになる。そして・・・・事件に関わっていく結果となる。それは彼にとって運命的な関わりとなるのだ。
 『承武塾』は三軒茶屋の交差点から下北沢に向かい10分ほど歩いたビルの1階にある。館長は篠木真吾、53歳。若い頃彼はフルコンタクト空手の世界で名をなした人物。彼はある時点で五条指導員を破門すると言い渡す。
 なぜ五条が一旦破門される境遇になるのか。そこにストーリー展開のおもしろさがある。
 
犬飼和正
 「梨田診療所」の医師。犬飼翔一の父親。妻を亡くしている。優秀な外科医。彼は派閥争いに巻き込まれ、大学病院をやめなくてはならなくなった。そして、この診療所に辿り着いたのだ。
 夜の9時過ぎ、ナタのような大きなナイフでいきなりざっくりと切られたという男一人が担ぎ込まれてくる。三人の男たち。一人が大陸訛のある日本語を喋った。犬飼は手際よく縫合手術を済ませる。
 三人は中国系。大怪我をした男。冷たい眼で犬飼を見据える大男。大男は中国語を喋り、もう一人の貧相な中国系の男が大陸訛の日本語で通訳する。大男は犬飼の縫合手術を見ていた結果として、犬飼に質問したのだ。「今の仕事に満足しているか?」「腕はいいようだ」「度胸も悪くない」と。
 後日、捜査活動をする松崎部長刑事が、瀬戸部長刑事から「仲間を殺されたイラン人グループが、中国人マフィアに報復したそうだ」ということを聞き、犬飼医師の許に聞き込みにやってくる。ここから、犬飼は事件に関わらざるを得なくなっていく。

 この作品のエンタテインメトとして面白いのは当然のことながら著者の格闘技の描写である。ストーリー展開のプロセスで格闘技が様々な次元の違う局面の描き込まれ、組み込まれていくことにある。それも含めて興味深い点を列挙してみる。
*大男の巧妙な出没とその意図が歌舞伎町の闇の世界を大きく変えようとする動きの一環であること。その謎解き的なおもしろさ。
*松崎・飯田という刑事の目を通してみた歌舞伎町の裏面の絵解きと、捜査活動の展開の変転具合。
*五条が翔一少年と知り合ったことで、彼の人生が変わっていくという切り込み方の興味深さ。五条が格闘技ゲームのチャンピオンだという翔一を対等に扱い、彼から学び始めるという展開が面白い。それが運命的な展開をもたらすのだ。
*犬飼が歌舞伎町の裏の世界の抗争に巻き込まれていくプロセスが、消極的姿勢から決然とした対決姿勢に反転していく経緯が一つの読み応えとなる点。
*梨田診療所の看護婦・青沼千穂が犬飼和正・翔一父子と関わる姿・関係の微妙さ並びに翔一が父・和正と千穂を客観的に眺めている姿の興味深さとおもしろさ。翔一と千穂の会話でおもしろい箇所もあって楽しい。

最後に、翔一と五条の間でこんな会話風景が書き込まれている。
 「僕は、五条さんのような生き方はできそうにない」
 「そうか・・・・・」
 「そう。父さんのように生きるつもりだ」
 「なるほどな・・・・」

この末尾の会話に至るストーリー展開をお楽しみいただきたい。

 ご一読ありがとうございます。


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本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

歌舞伎町  :ウィキペディア
「新宿歌舞伎町 マフィアの棲む街」  赤松浩司氏  :「早稲田大学」
歌舞伎町ルネサンス(1)  :「DISCOVERY KABUKICY 歌舞伎町発見」
 「民のちからでつくられたまち」から始まります。その1からその6までのシリーズ
実録! 歌舞伎町 NEWS

歌舞伎町某所を張り込んでくれ...裏社会から頼まれた探偵アルバイトの中身
  2014年4月16日   :「東京 BREAKING NEWS」
緊迫の歌舞伎町 突如勃発したヤクザの黒人狩り  2012年9月29日
  :「貴方の知らない日本」
石原慎太郎退陣で、歌舞伎町は大喜び 2011年3月8日 :「アメーバニュース」
新宿歌舞伎町が消滅?警察の浄化作戦スタート=東京五輪開催決定で―華字メディア
  2013年9月24日  :「Recordchina 日本最大の中国情報サイト」
五輪“浄化作戦”で消える 新宿・歌舞伎町「夜のおもてなし」 2013年10月4日
  :「日刊ゲンダイ」
2020年までに新宿歌舞伎町は“浄化”されるのか? 2013:10:21
    :「日刊 SPA!」
2020年オリンピックで東洋一の歓楽街歌舞伎町はこうなる!
 2014年6月7日 日刊大衆  :「livedoor's NEWS」

フルコンタクト空手  :ウィキペディア
全日本フルコンタクト空手連盟 ホームページ
【JFKO】第1回全日本フルコンタクト空手道選手権大会 軽量級 1回戦 Aブロック
  :YouTube
【JFKO】第1回全日本フルコンタクト空手道選手権大会 男子中量級 2回戦 Dブロック 
  :YouTube
【JFKO】第1回全日本フルコンタクト空手道選手権大会 男子重量級 決勝 山本和也 対 島本雄二   :YouTube

臓器移植法  :「日本臓器移植ネットワーク」
宇和島臓器売買事件  :ウィキペディア
臓器売買 -インドの事例-  粟屋 剛 氏
「借金抱えた奴らの腎臓は600万円」ブローカーが語る臓器売買の闇
   2013年9月4日   :「東京 BREAKING NEWS」


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新4版


=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新4版

2015-01-13 00:26:44 | レビュー
「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。

こんな作品を興味・関心の趣くままに読み継いできています。
このリストをご利用いただき、お読みいただけるとうれしいです。

更新3版のリストの上に、2014年12月までの読後印象記掲載分を追加しました。
出版年次の新旧は前後しています。
『熱波』  角川書店
『虎の尾 渋谷署強行犯係』  徳間書店
『曙光の街』  文藝春秋
『連写 TOKAGE3-特殊遊撃捜査隊』  朝日新聞社
『フェイク 疑惑』 講談社文庫
『スクープ』 集英社文庫
『切り札 -トランプ・フォース-』 中公文庫
『ナイトランナー ボディガード工藤兵悟1』 ハルキ文庫
『トランプ・フォース 戦場』 中公文庫
『心霊特捜』  双葉社
『エチュード』  中央公論新社
『ヘッドライン』 集英社
『獅子神の密命』 朝日文庫
『赤い密約』 徳間文庫
『内調特命班 徒手捜査』  徳間文庫
『龍の哭く街』  集英社文庫
『宰領 隠蔽捜査5』  新潮社
『密闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『最後の戦慄』  徳間文庫
『宿闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『クローズアップ』  集英社
『羲闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『内調特命班 邀撃捜査』 徳間文庫
『アクティブメジャーズ』 文藝春秋
『晩夏 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『欠落』 講談社
『化合』 講談社
『逆風の街 横浜みなとみらい署暴力犯係』 徳間書店
『終極 潜入捜査』 実業之日本社
『最後の封印』 徳間文庫
『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『陽炎 東京湾臨海暑安積班』  角川春樹事務所
『初陣 隠蔽捜査3.5』   新潮社
『ST警視庁科学特捜班 沖ノ島伝説殺人ファイル』 講談社NOVELS
『凍土の密約』   文芸春秋
『奏者水滸伝 北の最終決戦』  講談社文庫
『警視庁FC Film Commission』  毎日新聞社
『聖拳伝説1 覇王降臨』   朝日文庫
『聖拳伝説2 叛徒襲来』『聖拳伝説3 荒神激突』  朝日文庫
『防波堤 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『秘拳水滸伝』(4部作)   角川春樹事務所
『隠蔽捜査4 転迷』    新潮社
『デッドエンド ボディーガード工藤兵悟』 角川春樹事務所
『確証』   双葉社
『臨界』   実業之日本社文庫


『マモンの審判』  宮城 敬  幻冬舎

2015-01-10 09:42:27 | レビュー
 この著者を私は全く知らなかった。新聞の出版広告をたまたま見て、タイトルに興味を抱き読むことにした。
 欧州のフランドル地方に設定された小国ベルクールと日本、シンガポールが舞台となる不法金融口座の解明・捜査にまつわるフィクションである。ベルクールは世界有数のタックスヘイブンの国である。その金融センターの中心に君臨するのがバロー銀行。プライベートバンクである。その銀行の口座に預けられたマネーの存在。グローバルに不法な方法を駆使して、法の間隙を巧みにくぐり抜け、脱税行為により巨額なマネーをプライベートバンクの口座に預けた組織或いは人物が日本に存在するのだ。その不法行為を如何に立証していくか。そのためには確実な証拠を見出し、累積して、論理的に立証しなければならない。
 本書は国際金融経済の中で、裏経済につながる局面を取り込んだ非合法なマネーの動きの有り様の一事例をフィクションの形で鮮やかに描き出している。国際金融経済とその市場を教科書的アプローチをすると眠くなるが、こんな風に描かれて行くとそのプロセスに引き込まれつつ、国際金融経済と実態ということにも、眠気が覚めていく気がする。

 本書を読了後に奥書を読んで、なるほどな・・・と思った。「世界四大会計事務所の一つに税務コンサルタントとして入社。国内大手証券会社でIPOコンサルティングやプライベートバンキングに関わる税務業務に従事した後、税理士法人を設立し代表税理士に就任。」というプロフェッショナルだった.国際金融の枠組みや金融取引の実態、手続きに詳しいのはあたりまえなのだ。裏世界につながる手口についての知識・ノウハウなどにも強いであろう。そのバックグラウンドを充分本書に反映させていることが窺える。

 このストーリーの冒頭は、ベルクールに君臨するバロー銀行の本店に、ドイツ金融当局とベルクール金融当局が合同捜査に入るという決定的瞬間の報道描写から始まる。総勢80人による強制捜査が始まった直後、銀行内から1発の銃声が聞こえたのだ。
 なぜ、この合同捜査が日本に関係するのか?
 合同捜査をしたドイツ当局の情報を受けたマネーロンダリング対策の国際組織であるFATF(資金洗浄に関する金融活動作業部会)から、わが国の金融情報機関FIUにある案件が通報されたのだ。それにより、FIUがその捜査にあたることになったという訳である。FIUは警察庁刑事局の組織犯罪対策部に設置されている。ここはマネーロンダリングやテロ資金にかかる情報を一元的に受理・分析し、捜査機関に提供することを業務とする部署である。
 もたらされた捜査案件は、バロー銀行の捜査過程で、日本人が関与していると思われる裏口座が発見され、そこに1000億円近い大金が眠っていたという。10億USドルの金額がセプタム口座と呼ばれるナンバーズアカウントの裏口座に預金されていたのだ。口座は記号だけで管理され、氏名や住所などの顧客情報は一切記録されていないというもの。バロー銀行の大口顧客であれば開設できる裏口座なのだ。同じ預金者が表と裏の2つの口座をバロー銀行に持つことができ、銀行の一部関係者以外では表口座と裏口座の関係解明は非常に困難という代物なのだ。
 この案件はドイツ当局が内部告発者から聞き出したセプタム口座の情報であり、顧客担当制でプライベートバンカーは相互の情報交換が禁止されている中、たまたま該当口座の担当バンカーが日本人顧客専任だったというのだ。さらに、その担当バンカーが、強制捜査のさなかにピストル自殺をしたという。それが銀行内から聞けた1発の銃声だったのだ。
 著者は明白にこう記す。「この手の金融犯罪では必ず銀行が犯罪者の手を貸し、そこから何らかの恩恵を受けている。直接関わっていなかったとしても幇助がなければ名ね-ロンダリングはできない」(p23)と。

 FIUはそれまでのマネーロンダリングやテロ資金にかかる情報の一元的受理・分析及び提供から、法改正により捜査権限が付与され、組織変更が加わっていた。その組織に、今回バロープロジェクトチーム(BPT)が結成されたのである。
 本作品の主な登場人物はこのBPTのメンバーと関係者である。
 特に中心となるのは「私」として記載されていく岸一真と相棒となる石田。石田は警視庁からの出向者である。
 岸一真のプロフィールに少し触れておく。
 彼は、東亜監査法人からの出向した公認会計士としてBPTに参画し、捜査に関わる。しかし、彼はある時期に一緒に仕事をした永友武志に声を掛けられて、一旦永友が経営陣に加わった東亜監査法人に入社した形を取っての出向者である。岸は、大学時代に公認会計士の資格を取得。かつて東亜監査法人の監査部勤務からコンサルティング部に異動し、IPO(新規株式公開)支援業務で永友とチームを組んだ経験があるのだ。その後、岸は大学時代の友人・打田に誘われてSOLインベストメントに勤務する。そこで、SOL本社が仕組んだM&Aファンドの日本企業買収の業務に打田とともに関わっていく。その折、インサイダー取引の嫌疑でロンドンの金融当局から打田とともに事情聴取受けるのだ。その最中、SOL本社ビルの1階で打田と立ち話をして、岸が外に出た直後に本社ビルが爆破され、大参事が発生する。その爆破事件で打田は死亡。岸のインサイダー関与疑惑ははれるのだが、打田の爆死はこの時の業務への関与とともに、岸にとってその後トラウマとなる。
 永友は岸に言う。岸の財務分析力を評価している上に、岸が金融庁へ出向し銀行検査の現場を熟知していることや欧州駐在経験のあることを知っている。さらに、岸に取って、爆破事件は乗り越えねばならないことであり、今回の案件は岸が過去を清算するいい機会なのだと。つまり、内心のトラウマと戦いながら、岸はBPTでの捜査活動を始めるのである。

 本書のストーリー展開のおもしろさは、全く手がかりのなさそうな状況から、地道に論理的に基礎的情報の収集を集積し、論理的なフィルター掛けを繰り返し、針の穴のようなちょっとした手がかりを見つけたことを契機に、少しずつ情報をたぐり寄せていくところにある。日本に捜査基盤を置きながら、実際のマネー移動の取引手続き・操作の実行などに関わる側面はシンガポールが舞台となる。シンガポールの警察の協力を得て、シンガポールでの捜査プロセスが克明に描かれ、展開していく。そして、真相は、岸がベルクールに捜査の最終段階でに行きつくことによってやっと解明されていくのだ。それは岸個人のトラウマ現象に結末をつけることにもなっていく。実に巧妙なストーリー展開であり、謎解きでもある。
 セプタム口座を利用したマネーロンダリングの捜査解明という本筋と絡むように、主人公岸の人生におけるトラウマ現象の発生・継続・結末という経緯の筋が徐々に語られながら、解明されていく。そして、プライベートバンクであるバロー銀行の経緯がもう一つの筋として、織りなされていくのである。すべてはバロー銀行が絡んで始まり、バロー銀行の転変によって結末が生み出されていく。

 本書の最終段階で、ベルクール大聖堂が登場する。その一番奥に見える祭壇の背後に、『神に選ばれし者たち』という壮大な三連祭壇画が輝いている場面が描写される。岸はその祭壇画に近づいていくのだが、主祭壇に行く前に小祭壇の傍で、大きな油絵を見る。その題名は『マモンの追放』だと書かれている。その小祭壇はマグリット家の祭壇なのだった。マグリット家はベルクールで最も権力を持っていた貴族だったという。
 この作品は巨額なナネーの操作、セプタム口座に関わった人々に対する審判劇なのだ。本書のタイトルは、このマモンから取られているようだ。マモンの審判である。

 本作品の巧みさはこの3つの筋が織りなされていくプロセスにある。どこでどのように絡んでいくのか。それが本書を読む楽しみとなる。最初は金融用語に取っつきにくさを感じる向きもあろうかと思う。しかし、それよりストーリー展開のロジックとおもしろさに引き込まれ、金融用語にも馴染んでいくことと思う。
 なかなか、読ませどころがあるフィクションだ。いや、事実は小説よりも奇なりで、もっと現実の国際金融の裏世界は、生々しいのではなかろうか・・・・。
 国際金融経済に関心を持つきっかけにもなる作品だと思う。


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本書に出てくる用語から関連する関心事項をネット検索した。一覧にしておきたい。

IPOとは?  :「やさしいIPO 株のはじめ方」
株式公開    :ウィキペディア

五菱会事件   :ウィキペディア
「裏社会から見た『五菱会』事件」(東京新聞) - これは必読!梶山は小物のようです。  :「阿修羅」
旧五菱会系ヤミ金事件 Part1   :「金は海外に隠すな!!」

プライベートバンク  :ウィキペディア
プライベートバンクはどんな銀行? :「海外投資の歩き方」
プライベートバンキング :ウィキペディア

マネーロンダリング → 資金洗浄  :ウィキペディア
マネーロンダリングに関する金融活動作業部会(TATF) :ウィキペディア
マネーロンダリング対策  :「金融庁」
JAFICと国際機関等の連携  :「警察庁」
犯罪収益移転防止対策室(JAFIC)とは :「警察庁」

「租税条約」ってなに?──ものすごくカンタンな3分間レクチャー (2006.6/5)
    :「国際税務研究会」
我が国の租税条約ネットワーク  :「財務省」
タックスヘイヴン  :ウィキペディア
リヒテンシュタイン  :ウィキペディア
世界税制事情 シンガポール  関口俊克氏  ZEIKEITSUSHIN '10.6
シンガポール進出に関する基本的なシンガポールの制度 :「JETRO」

デリバティブ取引とは  :「グッドイシュー」

4. 国際的な銀行倒産処理手続  :「預金保険機構」
外国銀行支店の預金者保護   :「Connecting the Dots」


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『万葉歌みじかものがたり 三』  中村 博  JDC

2015-01-06 22:11:13 | レビュー
 読み進める順番が違ったために、この第3巻が私には5冊目の「みじかものがたり」になる。著者の創作法に親しんできたところだ。
 この第3巻で著者は、万葉歌人の個人の人生、生き方を髣髴とさせるように万葉集に収録された歌を編集していき、そこにその歌人並びに歌人が関係した人々の歌を織りなして行く。個人列伝の2冊目となる。それが最初に読んだ、第4・5巻の大伴家持編へとバトンタッチされていくのである。
 手許の本を参考にして万葉集の収録歌の時期区分と歌人を一覧にしておこう。
第1期(629~672) 推古天皇~天智/壬申の乱 歴史編 (第1巻)
第2期(673~709) 天武天皇~元明天皇    歴史編(第1巻)
                  柿本人麻呂、高市黒人(第2巻)
第3期(710~733) 平城京遷都~聖武/前期  大伴旅人、山上憶良(第2巻)
             高橋蟲麻呂、笠金村、車持千年、山部赤人(第3巻)
第4期(734~759) 聖武/後期~孝謙天皇   大伴坂上郎女(第3巻)
                      大伴家持(第4巻・第5巻)

 つまり、この第3巻は、平城京遷都により律令制度が軌道に乗り、経済が発展する中、大陸文化の摂取が急速に進み、仏教文化が根付いていく時期である。大陸文化の影響を受け、個性化・多様化が進み、それが歌風にも反映し、個性的で優美な歌が広まっていく時代である。
 その中で、著者は上記のように、4歌人に着目し、その人生について、「みじかものがたり」をしながら、個性あふれる歌人の歌を織りなして行く。

 「はじめに」に著者はこの4人の特徴を簡潔に記している。要点をまとめておこう。
高橋蟲麻呂(現在では「蟲」の代わりに一般的には「虫」で表記されている)
  伝説歌人と称される人。この歌人を犬養孝氏は「弧愁の人]と呼んだという。
  「己が胸に閉じ込めた開かれざる愁い」を詠みあげた歌人。
笠金村(かさのかなむら)  帝に仕える一途な「武人」の思いが漂う歌風の歌人。
車持千年(くるまもちのちとせ) 笠金村と同時作歌の多い歌人
山部赤人 万葉集における著名歌人の一人。
  「作風は繊細優美で鮮明な叙景性が特徴である。」
  著者は、赤人が「叙景性」に辿り付くのは、彼の内向的性格に根ざすとみる。
坂上郎女 万葉集随一の女性歌人。情熱的で知的な歌が多く、相聞歌を多く詠む歌人。
  恋多き女、母として、叔母として、大伴一族の大刀自となる「女の一生」をおくる。

 著者はかなり歌風や視点の違う歌人達をこの一冊で物語っている。そこには万葉集の収録歌を歌人の人生の時間軸でみた中で、その総体から浮かび上がるイメージを史実を踏まえて、「みじかものがたり」に創作しているようだ。
 高橋蟲麻呂の生涯は定かでないそうで、著者自身明らかにその「みじかものがたり」のかたり部分は「フィクションではあるが」と明記している。それ故だろうか、蟲麻呂は藤原宇合(うまかい)に命じられ、「常陸風土記」編纂のための準備として、説話伝承収集のために各地を歴訪する。独り身の思いを土地土地で歌に表出していく愁いをもつ歌風が独自のものとして伝わってくる。私が惹かれる歌をご紹介する。

 <<昔のことと 伝えは言うが 昨日のことに 思えてならん>> p20
 
 「遠き代に 有りける事を 昨日しも 見けんが如も 思おゆるかも」(巻9・1807)

 <<雲湧いて 時雨が降って 濡れたかて つれ出来るまで ワシ帰らんで>> p31

 「男の神に 雲立ち上り 時雨降り 濡れ通るとも 我れ帰らめや」(巻9・1760)

 <<国境 坂に咲いてる 桜花 見せたりたい児 居ったらええな>> p45

 「い行き合いの 坂の麓に 咲きおおる 桜の花を 見せん児もがも」(巻9・1752)

 これをみても、著者は万葉集の収録順にこだわらず、自由に蟲麻呂の人生を再構成していることが窺える。蟲麻呂編を読んでの副産物は、生まれ育った地元を藤原宇合が詠んでいることだった。一首を記録に留めておきたい。

 <<山科の 石田社に 幣捧げ 祈るとお前 逢えるやろかうか>> p63

 「山科の 石田の社に 幣置かば けだし我妹に 直に逢わんかも」(巻9・1731)

 こういう地元関連歌の発見はおもしろい学びの出会いでもある。万葉への直結!

 金村・千年編は、天智天皇の子である志貴皇子の死に対する晩歌から始まっている。そこには、武人の素直な思いが長歌・反歌に切々と詠まれている。金村については、次々と随行していく行幸において詠んだ歌が織り込まれていく。そして、主従関係にあった石上乙麿が越前国守として赴任した後、留守を託された金村の周辺の政争に絡む金村の有り様が歌で綴られていく。その政争とは藤原四兄弟と長屋王の確執である。その時期、金村は天皇の武器庫がある石上神宮、布留の地に詰めていたこととしてものがたられる。ものがたりでの創作として金村の収録歌を1年早く詠まれた歌とみなして(その旨注記あり)金村の行動と心情を盛り上げている箇所(p107)は興味深い歌の織り込み方である。その歌とはこれである。

<<解かへんぞ お前結んだ 紐やから 例え切れても 逢うまで解かん>> p107

「我妹子が 結いてし紐を 解かめやも 
        絶えば絶ゆとも 直に逢うまでに」(巻9・1789)

 千年の歌は、歌詠みとしての金村との会話の流れの中で、金村の求めで詠まれた歌として織り込まれている。本書で初めて、車持千年という歌人を知った。

 山部赤人の歌も、行幸に随行する歌を軸としながら、赤人の歌の修練が語られていく。著者は、人麻呂の歌を高嶺にある手本として意識しながら、人麻呂の歌趣を超える歌づくりを目指す赤人の人生を綴っていく。そこには、赤人の詠歌を人々は称賛するが、「そこには 自負しつつも/ みずからの才を良しとしない 赤人がいた」とものがたっていく。
 赤人は奈良から吉野へ、難波へ、須摩・明石・室津へと足跡を残している。東へは、有名な歌「田児の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ・・・・」で知られるように、駿河国、さらには下総国葛飾にも足跡を延ばしているようだ。赤人はどういう立場で関東に出かけたのだろうか、史料がないのだろう・・・・著者はこの「みじかものがたり」では駿河国や下総国に居る赤人を短くかたり、歌を織り込むばかりである。また、著者は赤人の歌を綴る中でこうかたる。「歌は 誰に詠うでなく 己の心に詠う/ そのことを知った 赤人であった」と。
 蟲麻呂が詠み、葛飾に行ったという赤人が再び詠んだ「真間の手児名」がどういう人で、どういう伝承なのか、興味をひかれるところである。

 上記の親炙した歌以外に、ここに載せられた赤人の歌から心に残る歌を記録しておこう。

<<夜更けた 久木生えてる 川原で 千鳥鳴き声 頻りに為(し)とる>> p132
 
「ぬばたまの 夜の更けぬれば 久木生うる 
        清き川原に 千鳥数(しば)鳴く」(巻6・925)

<<風吹いて 波出て来相で 様子見に 細江の浦で 舟寄せ待ちや>> p147

「風吹けば 波か立たんと 様子見(さもらい)
        津太(つだ)の細江に 浦隠(うらがく)り居り」(巻6・945)

(よすが)に 植えといた 庭の藤花 今咲いとるで>> p163

「恋しけば 形見(かたみ)にせんと 我がやどの
        植えにし藤波 今咲きにけり 」 (巻8・1471)

 この最後の歌は、赤火をものがたる最後の「萩の古枝(ふるえ)に」の節で、それも最後に位置付けた歌である。その前2つの歌の言葉に「鶯」が詠み込まれているので、この歌で意図的に「ほととぎす」を訳の中に登場させたのであろうか。
 折口信夫は、『口譯萬葉集(上)』(中公文庫版)では、「あの人が恋しくなつたら、其代りに見てゐようと自分の屋敷に植ゑた、藤の花が、今咲いたことだ」と口譯している。偲ぶ思いは深く沈潜し、咲いた藤の花を今気づき、愛でているようである。
 
 坂上郎女の人生は、万葉集に収録された数多の相聞歌を読む限りでは、若い頃はかなり大らかに奔放に恋の世界に戯れた人のようだ。その女性が、母となり、叔母の立場で配慮をし、さらに大伴一族の大刀自として取り仕切る立場になっていくその人生はやはり当時ではスゴイ女性だったのだろうなと、この「みじかものがたり」から感じる。
 坂上郎女の詠む相聞歌は、機知があり堂々とし大らかで、読んでいても楽しめる歌が多い。また、単純に本書でのページ数の割り振りから見ても、他の歌人を圧倒するボリュームである。大伴一族、ここにありという感じにもなる。

 楽しい歌、惹かれる歌が多くある。歌の番号で列挙しておこう。万葉集をお持ちなら、すぐ引き出せるだろう。それより本書を手に取り、開いて頂くのが早いだろう。

 巻6・981、巻4・684、巻4・687、巻4・658、巻4・661、巻4・528、巻4・673
 巻4・563、巻8・1484、巻6・992、巻8・1500、巻4・586、巻4・667、巻19・4221
 巻19・4170
まあ、これは個人の好み次元のものにすぎないけれど・・・・。

 ひとつ興味を引くのは、「黒馬来る夜は」(p180~183)に巻4・522~524の歌が取り上げられている。著者はそれらの歌を藤原麻呂が詠んだと表記している。
 岩波文庫版をみると、三首の歌の前に「京職藤原大夫、大伴郎女に贈れる歌三首」(p172)との詞書が付いている。ところが、折口信夫は『口譯萬葉集(上)』(中公文庫版)で、「京職大夫藤原宇合大夫、大伴坂上郎女に贈った歌。三首」(p162)を詞書と記している。宇合は藤原不比等の三男で694年生まれ、麻呂は四男で695年生まれなのだ。「大夫」は官であり官職名である。これだけでは、麻呂か宇合かの識別はできない。万葉集が写本で継承される過程で、3種の表記が現存するということだろうか? 宇合の名前あるいは麻呂の名前をきっちり明記した詞書の付された写本である。一つの本だけ見れば、持つことのない疑問だが、対比してみると思わぬところで、興味深いことに気づくものである。

 最後に坂上郎女のおもしろい機知溢れる歌でしめくくろう。万葉の時代から、こんな頭韻をふむ遊びの要素を含めた歌が作られていたのだ。この歌も本書で初めて知った歌である。

(ゆ)て/ 来(こ)ん時あるで/ 来ん言んや/ 来るか待たんで/
 来ん言うとんに>>

「来(こ)んと言うも 来ん時あるを 来じと言うを 
        来んとは待たじ 来じと言うものを 」(巻4・527)

著者は「き」という頭韻歌としても別の訳出をして、p185に掲げている。それは本書でご確認願いたい。



 ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

「万葉歌みじかものがたり」ホームページ
  このサイトページが本書発刊のベースになったようです。
    <蟲麻呂編>
    <金村・千年編>
    <赤人編>
    <坂上郎女編>
高橋虫麻呂 千人万首  :「やまとうた」
真間の手児奈伝説:山部赤人と高橋虫麻呂  万葉集を読む :「壺齋閑話」
笠金村   千人万首  :「やまとうた」
車持千年  千人万首  :「やまとうた」
山部赤人  千人万首  :「やまとうた」
大伴坂上郎女 千人万首 :「やまとうた」
藤原宇合  :ウィキペディア
藤原麻呂  :ウィキペディア
藤原麻呂って、どういう人物だろうか :「平城京左京三条五坊から」


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このシリーズでは、こちらの巻を既に読んでいます。
併せてお読みいただけると、うれしいです。

『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 二』 JDC
『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻  JDC



『風花帖 かざはなじょう』 葉室 麟  朝日新聞出版

2015-01-02 14:52:56 | レビュー
 文化11年(1714)に豊前小倉藩で、家中が二派に割れて争うという騒動が発生した。俗に「白黒騒動」と呼ばれたお家騒動である。小倉城にとどまった一派を白(城)組と呼び、他の一派は隣の黒田領の筑前黒崎宿に約360人が大挙出奔して籠もったので黒(黒崎)組と呼んだのだ。その直接の原因は藩主小笠原忠固が江戸幕府の老中になる願望を抱き猟官運動を画策し金をばらまいたために、一旦立て直り始めていた藩財政が再び悪化するという事態をもたらしたことにある。
 著者はこの史実を題材にして、そこに独自の視点で想像を広げ、構想力を高めて、政争の渦中における二人の武士と一人の女の生き様-愛と忠のあり方ーを織りなし、創作した。冒頭から読者を引き込まずにはおかないフィクションを描き上げていく。白黒騒動という既知の事実の断片から独自に因果関係を紡ぎ出し、物語を描き上げていったのだろう。史実はこのフィクションを創作するトリガーにすぎない。それは参照文献を提示していないことからも言えることではないか。

 著者の描きたかったのは、下級武士・勘定方印南新六という男の生き方である。時代の制約の中で、定めと価値観を受け入れた上での生き様、愛(おもい)のあり様。新六の忠に対する考え方と行動、何よりも書院番頭菅源太郎の妻となった吉乃(きちの)に対する己の懸想に全身全霊で応えていくというその思いと行動を描き上げたかったのだろう。

 この作品は結末から始まる。
 文化11年(1814)のよく晴れた11月18日、白黒騒動で騒然とするなか、勘定方印南新六の屋敷に新六をのせた駕籠が着く。門前では菅源太郎の妻吉乃が駕籠の到着を待ち受けていた。駕籠に駆け寄った吉乃が見たものは、切腹しその脇差しを握りしめたままで事切れていた新六の姿だった。新六の襟に差してあった書状には、「一旦出国致し主君を後にして何の面目有て再び君へ顔を合はす期を知らず、依って切腹候也」と書かれているだけだった。
 新六の死顔は穏やかで、あたかも微笑んでいるかのようですらあった、と著者は描く。
 吉乃は一言つぶやく。「わたしは今生ではあなたと添えませんでしたが来生では必ず、あなたのもとへ参ります」
 吉乃が空を見上げると、澄み切った青空を白雪が舞っていた。

 雪が積もった白い山頂から風にのって雪が平地まで下りてくる。この現象を「風花」と呼ぶそうだ。本書のタイトルはこの「風花」から名づけられている。

 澄み切った青空は新六の心の姿であり、風に舞い地に落ちて消滅する雪に新六の生きる姿が重ねられているようだ。

 なぜこういう結末になったのか。白黒騒動に新六がどう関わっていくのか。

 物語は、寒気が厳しく、風花が舞った日、享和3年(1803)正月5日から書き出されている。それは吉乃が九州豊前15万石の小笠原家江戸屋敷側用人で禄高700石の菅三左衛門の嫡男源太郎が、書院番頭300石、杉阪監物の三女で17歳の吉乃と国許で祝言する場面である。勘定方100石の新六は吉乃の親戚としてその祝言の席に出る。

 この物語の背景構造は多少複雑である。
 まず、小倉藩の藩運営と政争の側面については、大筋次のような情勢だった。
 藩主小笠原忠苗(ただみつ)の時代に藩財政は逼迫していて、家老の犬甘兵庫(いぬかいひょうご)が強引な政策で何とか財政を立て直してきていた。その犬甘派に菅三左衛門と源太郎は属していた。犬甘派には儒学者の上原与市、十六流派を極め方円流を創始した剣客・直(あたい)方円斎、宝蔵院流の槍の遣い手・早水順太などが連なっている。
 上原与市は、藩校思永館(しえいかん)の句読師だった儒学者で、その才幹を犬甘兵庫に見出され小姓に登用されていたのだ。
 藩主・忠苗は犬甘兵庫を重用していた。兵庫の厳しい年貢の取り立てに、享和4年(1804)正月、小倉城下で農民一揆の騒動が起きる。それに伴い再び犬甘の政敵小笠原出雲が勢力を増してくる。失政の責任を問われる犬甘兵庫の一方で、健康の勝れぬ藩主・忠苗は養嗣子の忠固に家督を讓ることを考え始める。野心の旺盛な忠固は家督を継いだ際には、藩政を牛耳る兵庫を除きたいと考える。その忠固に兵庫により失脚の憂き目をみていた出雲派が結びついて行くのは自然の成り行きである。
 そこで問題なのは、新六の父弥助は小笠原出雲から引き立てを受けたことから出雲の派閥に入っていたのだ。そのため、新六はそれを引き継ぐ形で出雲のもとにご機嫌伺いに行っていたという立場だったのである。

 具体的なストーリーの展開は、兵庫が失脚し、藩主が忠固となり小笠原出雲が重用される段階から始まる。当初は藩主の幕府老中入りの大望を諫める出雲が、その猟官運動を支援し、藩財政を再び傾けていく中での国許の批判、派閥争いが高まっていく。紆余曲折をへてそれが白黒騒動へと極まって行くのだ。

 一方、新六が吉乃の親戚にあたるという関係の側面については、こんな事情がある。
 戦国のころ印南家は杉坂家の家来筋だったのだが、小笠原家の直臣として取り立てられる。そののち印南家と杉坂家の間で数代にわたって縁組が行われた結果、印南家は杉坂家の親戚となっていたのだ。享和3年を遡る5年前に、小倉城下で大火災があり、印南屋敷も類焼した。印南家の人々は親戚の間に分散して世話になり、新六は杉坂屋敷に住むことになった。それがきっかけで、吉乃は新六と話をする間柄になっていたのである。新六の父・弥助は仮寓先で他界、新六は杉坂屋敷に2年間留まる。
 そして有る事が契機で新六は江戸詰となる。藩の誰もが理解する理由は、御前試合で新六が伊勢勘十郎の肩を砕いたことにある。勘十郎の父親は小笠原出雲の片腕といわれる人物だったのだ。表向きは事を荒立てることなく、新六を江戸に追いやったことで落着。吉乃と新六の二人にとっては、その有る事が新六の江戸詰めの原因でもあり、この物語が展開される因の一つでにもなるのである。
 そこには、もう一つ、新六が吉乃に対して懸想したと言わしめる因が秘かに先行していたのだ。しかし、その事情を吉乃は知らないままに、菅源太郎の許に嫁ぐことになった。 吉乃の祝言が決まってしまっていて、その祝言の行われる前に、3年間江戸藩邸で仕えた後、新六は小倉に戻ってきていたのだ。

 新六は、吉乃の親戚として祝言の席に連なる。
 その場に犬甘兵庫が列席していたことから、新六は犬甘派に寝返りたいのだろうと周りの人々から憶測される立場に立つ。兵庫は、その祝言の席で下級武士である新六を己の傍に呼び寄せ、杯をとらせるという行動に出る。このことがきっかけで、吉乃が親戚であるという表向きの接点から、新六は源太郎の屋敷にしばしば出向いていくことになり、源太郎を中心に集まる犬甘派の人々の会合に加わる立場にもなっていく。

 2つの派閥の狭間に立つ新六。新六は派閥を離れた独自の「忠」観念を持つ。だが新六は己の考えを直接口にすることはない。

 新六の思いの根底にあるのは、有る事があった時に新六が吉乃に言った言葉である。
 「ご安心ください。わたしが吉乃様をお守りいたしますから。」
 作品を貫くのはこの新六の一言の重み。その根底には新六の吉乃に対する「懸想」が潜む。

 もう一つ重要な要素がある。それは新六が極めていた剣技である。小倉藩は、宮本武蔵の養子・伊織が小笠原家に仕えたことから、武蔵を流祖とする二天流が盛んなところだった。その中で新六は叔父から教えを受けた夢想願流という小倉藩ではあまり知る人のいない流派の剣技を修得していた。
 夢想願流の祖は松林左馬助で、慶安4年(1651)、59歳のとき三代将軍家光に招かれ、剣技を上覧に供したという。この時、秘技<足鐔>の技を見せたという。「蝙蝠が飛翔するごとき至妙の技なり」と褒め称えられたことで、「蝙也斎」(へんやさい)と名乗るようになった。
 新六は、この<足鐔>を修得していたのである。犬甘兵庫は、夢想願流に<足鐔>という秘技があることを知っていて、新六の剣技に目をつけたのだ。
 風采があがらぬ地味な男で、おとなしく寡黙に振る舞う新六の剣技、流派を知る藩士はほとんどいない。小倉藩では御前試合で七人抜きをした新六のことは話題にされることなく過ぎ去ってしまっていた。御前試合の直後に江戸に追いやられた新六だから、それも自然な成り行きなのだろう。だが、である。この新六の剣技、その技量と胆力が派閥の間にたつ新六を微妙な立場に追い込んでいくのである。
 白黒騒動と絡むストーリー展開を生み出して行く因がそこにもある。
 だが新六の行動の根底には、常に「ご安心ください。わたしが吉乃様をお守りいたしますから」という新六の思いが一貫しているのである。

 冒頭に述べた結末に向かってストーリーがどのように展開するのか。この作品を味わってみてほしい。
 

ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する史実部分の情報をネット検索で調べてみた。一覧にしておきたい。

小倉藩  :ウィキペディア
小笠原忠苗 :ウィキペディア
小笠原忠固 :ウィキペディア
7.小倉・福岡藩の改革

化政期の藩政と農村社会 藩主忠固の猟官運動 :「MIYAKO TOWN DIGITAL MYSEUM」
小倉藩「白黒騒動」の顛末  「日本史瓦版」 :「ブクッス」
白黒騒動  :「コトバンク」
小倉藩の白黒騒動と日明の極楽橋のお話 
    :「ロードバイクとドラムを愛す山口の歴史好きヤマポタ日記」
”黒崎宿”について  :「ゆっくりかいどう」
小倉小笠原藩の家臣団  :「鴨じいのブログ」
小倉城の歴史  :「小倉城 -小倉文化史の散策-」
松林蝙也斎   :ウィキペディア
夢想願流のこと :「国際水月宿武術協会」
宮本伊織    :ウィキペディア
武蔵顕彰碑・宮本伊織の墓  :「ゆっくりかいどう」


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新3版



葉室 麟 作品 読後印象記一覧 更新3版

2015-01-02 14:39:26 | レビュー
2015年のスタートにあたり、昨年までに読み継ぎ、読後印象記を記した作品について、一覧リストを更新しておきたいと思います。

今年もお立ち寄りいただき、ご一読いただきありがとうございます。

こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
過去の更新リストの積み上げですので、著者作品の出版発行年月とは一致していません。

『天の光』 徳間書店
『紫匂う』 講談社
『山桜記』 文藝春秋
『潮鳴り』 祥伝社
『実朝の首』 角川文庫
『月神』  角川春樹事務所
『さわらびの譜』 角川書店
『陽炎の門』 講談社
『おもかげ橋』 幻冬舎
『春風伝』  新潮社
『無双の花』 文藝春秋
『冬姫』 集英社
『螢草』 双葉社
『この君なくば』 朝日新聞出版
『星火瞬く』  講談社
『花や散るらん』 文藝春秋
『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』  実業之日本社
『柚子の花咲く』   朝日新聞出版
『乾山晩愁』   角川書店、 角川文庫
『川あかり』  双葉社
『風の王国 官兵衛異聞』  講談社
『恋しぐれ』  文藝春秋
『橘花抄』   新潮社
『オランダ宿の娘』  早川書房、ハヤカワ文庫
『銀漢の賦』  文藝春秋、 文春文庫
『風渡る』   講談社、 講談社文庫
『いのちなりけり』  文藝春秋、 文春文庫
『蜩の記』  祥伝社
『散り椿』  角川書店
『霖雨』   PHP研究所
『千鳥舞う』 徳間書店