遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『月と日の后』  冲方 丁  PHP

2021-10-29 20:09:08 | レビュー
 一条天皇の中宮となった藤原道長の長女・彰子の人生、その生き様を描いた小説である。清少納言を介して中宮定子を、紫式部を介して中宮彰子に触れるということが今までのパターンだった。そして、藤原道長が長女・彰子を一条天皇へ入内させたことにより、藤原一族における摂関政治をより強固なものにし始めたという側面だけの知識に留まっていた。今までストレートに藤原彰子の宮廷における生き方とその存在感そのものを考えたことがなかった。一条天皇を軸にした書としては、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』(山本淳子、朝日新聞社)という評論書を読んだことがあり、一条天皇に興味を抱き、彰子を后の一人という形で読み通していた。

 この小説は、入内し中宮となり国母という立場に移っていった彰子の視点から語られていく。平安時代の宮廷がどのような状況を呈していたかを具体的に描き出している。宮廷における貴族たちの政権争い、勢力争いの生々しい確執とその状況が詳述されていく。宮廷は優雅で煌びやかなものではなかった。そこには様々な怨みが渦巻いていた。実に人間くさいドロドロとした人間心理と葛藤が日常となっていた。その本質はどの時代にも巨大な組織においては底流として人間行動と心理に共通するものだろうと思う。
 入内した彰子は一種の疎外感・孤独感に捕らわれる。一条天皇とどのように接するかから始まる。一条天皇の心と考え・行動に接する機会が増えるに従い、徐々に己の立ち位置を認識し、一条天皇の信念に共鳴し、それを受け入れていくようになる。それまでに長い年月がかかる様子が描き込まれていく。そして、彰子は一条天皇の理念を己が引き継ぎそれを実践していこうと決意する。史実を踏まえて、著者は彰子の思いと考え、行動の軌跡をフィクションとして描き込んで行く。

 藤原道長は己が力を得て宮廷政治における覇者として活動するための手段に、長女の彰子を筆頭に、妍子、威子、嬉子、寬子を次々と宮廷に入内させた。彰子は12歳で一条天皇のもとに入内させられた。その時点から彰子は父道長を客観的に見つめていくようになる。そして、一条天皇の心を知ることで、彰子は父道長とは時に対立する立場を取ることも辞さない己を築き上げていく。ここには、平安時代の宮廷政治のダイナミズムが赤裸々にフィクションの形で描かれて行く。断片的に記録に残る史実を踏まえて著者は宮廷政治の世界を鮮やかに生々しさを加え巧みに描写している。実に人間くさい側面が描き込まれている。
 藤原彰子の人生を、さらには道長をもビビッドに感じさせ、イメージさせてくれる作品である。

 この作品の全体構成と要点を少しご紹介しておこう。
 「望月の章」「初花の章」「日輪の章」の三章構成になっている。

<望月の章>
 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
  欠けたることも なしと思へば
冒頭は、道長がこの歌を詠んだ日、寬仁2年(1018)10月16日から始まる。この時、彰子は31歳。既に1011年6月に一条天皇が崩御し、彰子は二年前に即位した後一条天皇(敦成)の産みの母として、太皇太后になっていた。この時点で、彰子が父道長をどのように客観的に見つめているかがまず描写される。それがこのストーリーの基調にもなる。
 そして、彰子が入内した長保元年(999)時点が回想されていく。
 12歳で入内した彰子の生活環境。当時の一条天皇にとった彰子の態度と一条天皇の対応。彰子の抱く疎外感、孤独感などが描写され、徐々に一条天皇の思い、考えなどが見え始める。彰子が中宮定子をどのようにとらえていたかが後の展開での重要なポイントになっていく。なぜなら、翌年、先例のない一帝二后制が創出された。中宮定子が皇后となり、彰子が中宮となる。だが、その年の12月に皇后定子は世を去った。彰子は定子と会うことはなかったようだ。著者は彰子が定子に経緯を抱いていたとする。彰子は定子の生んだ敦康親王を引き取り育てる立場になる。そこには道長の意図が働いていた。

 この章では、道長の思いと行動、一条天皇の思いと行動が徐々に見えてくることと、彰子の思いが変化し始めるプロセスが描かれるところがポイントと思う。特に、彰子が、一条天皇を生んだ母である詮子と、詮子が40歳になることを祝う算賀の前日に、彰子のいる土御門第において対話する場面が読ませどころである。この対話は、国母である詮子の怨みが吐露される機会となる。彰子は、先帝円融天皇の后であった詮子から、先帝時代までの宮廷政治の実態と人間関係、宮廷とはどういう世界かを聞かされる。その中には花山天皇の出家の裏話も出てくる。詮子は国母として知るべき怨みの数々を吐露した。それは彰子にとり、反面教師となっていく。
 長保3年(1001)閏12月に詮子が亡くなる。定子の死後に、定子の妹である御匣殿(みくしげどの)は一条天皇の子を授かるが、長保4年(1002)年6月、17歳で腹の子とともに死ぬ。道長の視点からは、この宮廷の状況は歓喜となる。争いの種は消滅した。定子の産んだ敦康親王は彰子が母として育てている。朝廷には平穏がもたらされる。

<初花の章>
 寛弘2年(1005)年11月、敦康親王のための読書始の儀式の経緯から始まる。敦康7歳。彰子は18歳。中宮彰子が女として華開く時期が描かれて行く。宮廷に住む己の環境を中宮彰子は自分の意志で変化させていく行動を取り始める。
 そして、ここに紫式部が登場してくる。紫式部の宮仕えに対するエピソードの描写がおもしろい。彰子は一条天皇を手助けできる力を身につけたいという意欲に燃え始める。それが、紫式部に『白氏文集』を使った漢語の進講を要求するという形に進展していく。
 寛弘4年(1007)、遂に彰子は一条帝の子を身ごもった。それは、42歳の道長が8月に吉野の金峯山へ御嶽詣をした後、しばらくしてからである。
 道長の記した『御堂関白記』(全現代語訳、倉本一宏、講談社学術文庫)を参照すると、寛弘4年閏5月17日の条に金峯山詣長斎始の記録があり、8月2日の条の金峯山詣に出立から始まり、14日の条の帰京まで、事実だけの記録が残されている。
 寛弘5年(1008)9月9日に陣痛が始まり、11日に難産の末に無事男子を出産する。敦成親王の誕生である。男子誕生の波紋が描き込まれていく。道長は歓喜の絶頂となり、様々な振る舞いを始める。一方、呪詛する一群の人々も現れる。勢力関係がゆれ動く。
 一条天皇が30歳となった寛弘6年(1009)2月に彰子は第二子を懐妊する。敦良親王である。
 彰子が己の子を持つことで、ますます一条天皇の思いを理解するようになっていく。一条天皇と我が子の病悩の発生並びに宮廷の勢力関係の状況が描かれる。
 章末は一条天皇の崩御である。寛弘8年(1011)6月22日の夜半。享年32歳。

<日輪の章>
 寛弘8年、夫の一条天皇が世を去ったことを起点にして、国母となった彰子の活躍が始まって行く。彰子は一条天皇の政治に対する考え、人々のことを常に配慮するという思いを伝え遺そうとする側に立つ。この点では父、道長の考えと対立する側面が出てくるが、彰子は己の意思を実践していくことに生涯をかける道を選ぶ。
 この章は、彰子が国母の立場に立ち、一条天皇の信念を軸に、宮廷政治の中で重要な決断を担っていくプロセスを描き出していく。それは宮廷に関わる全ての人々に、日輪の如く慕われるという生き方になっていく。
 彰子が、一条天皇と結ばれてのち、三条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇、後三条天皇と六代の天皇を見届けることになるプロセスでもあった。
 三条天皇は冷泉天皇の子・居貞。後一条天皇は彰子の長男・敦成。後朱雀天皇は彰子の二男・淳良。後冷泉天皇(親仁)と後三条天皇(尊仁)は後朱雀天皇の子で、彰子には孫にあたる。

 この日輪の章を通読すると、もし彰子が二子を産んだ後、夫の一条天皇の崩御からそれほど時をおかずに亡くなっていたとしたら、藤原道長一族の摂関政治の時代はどのようになっていただろうか、という思いを起こさせる。ひょっとしたら、歴史は大きく異なった進展をしていたのではないかと思わせる。
 藤原彰子という人は、あの時代で実に重要な要としての役割を担った才媛だったようである。著者はそのような視点から、彰子に光をあてて描いていると感じた。
 平安時代の摂関政治の内実をイメージしやすくなる小説と言える。
 
 本書は、月刊『歴史街道』(2018年5月号~2021年6月号)に連載された後、加筆修正し、2021年9月に単行本として刊行された。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して、少し検索してみた事項を一覧にしておきたい。
藤原道長  :「コトバンク」 
平安時代の名政治家!藤原道長を紐解く  :「ベネッセ 教育情報サイト」
藤原彰子  :「コトバンク」
一条天皇  :ウィキペディア
一条天皇  :「コトバンク」
第66代「一条天皇」 20人の天皇で読み解く日本史 :「DiscoverJapan」
三条天皇  :ウィキペディア
後一条天皇 :ウィキペディア
後朱雀天皇 :ウィキペディア
後冷泉天皇 :ウィキペディア
後三条天皇 :ウィキペディア
初恋の君が忘れられなくて。愛されすぎた后・定子と、愛されたかった后・彰子の生涯
     :「warakuweb 日本文化の入口マガジン」
コラム 「女房」ってそもそも何?  :「教育出版」
紫式部  :ウィキペディア

 ご一読ありがとうございます。

この読後印象記を書き始めた以降に著者の作品を読み、書き込んだのは次の作品です。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。
『剣樹抄』  文藝春秋
『破蕾』  講談社
『光圀伝』 角川書店
『はなとゆめ』  角川書店

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社

『強襲 所轄魂』  笹本稜平  徳間文庫

2021-10-25 19:52:32 | レビュー
 所轄魂シリーズの第3弾。2015年7月に単行本が刊行され、2018年6月に文庫化された。

 あることがきっかけとなり警視庁捜査一課の敏腕刑事、葛木邦彦は所轄への異動を希望した。願いは受理され、城東署の刑事・組織対策犯罪課強行犯捜査係長となる。所轄では犯罪と名の付くものなら、何でも扱うことに。
 城東署の管区でアパートに住む女性が人質となる立て籠もり事件が発生した。女性は元の夫との間で離婚調停が成立したものの、接近禁止の保護命令が3ヵ月前に切れたという状況で、しばしば恐怖を訴えていたという。事件を起こしたのは元の夫。犯人の西村國夫、35歳は元警察官で3年前まで特殊犯罪係(SIT)に所属していたと判明する。覚醒剤の常習が発覚。初犯であり警察を辞職することで執行猶予となった経緯がある。

 この立て籠もり事件に、本庁からSITのチームがすでに現場に臨場していた。だが、立て籠もりの犯人が元SITであることから、手の内は知り尽くされていることになり、うかつに突入もできない。
 西村は、当初巧妙にも本庁との間にホットラインを用意させて、その電話だけで交渉するという態度に出た。そのため、事件を扱う本部は警視庁内に置かれ、事件現場とは遊離する。現場で状況を見ながら判断する指揮官不在の状況に置かれる。現場に臨場するSIT隊長の川北は本庁の本部の指示を仰ぐ形になる。所轄の城東署に対策本部が設置されない。

 西村はSITに着任して2年後、ある暴力団組員の自宅ガサ入れにおいてSITの応援要請があった。短銃を所持していることと覚醒剤の販売をシノギとし本人も常習しているという情報が伝えられていた。ドアを破り、先輩の同僚が最初に踏み込み、西村が続いた。同僚が男に近づいた時、男は後ろ手でテーブルの上をまさぐり黒っぽい金属光沢のものを手に取り、同僚に向き直った。そのとき、西村は掩護としてその男の肩あたりを狙って撃ったのだが射殺してしまうことになった。この事件は、正当防衛として闇に封じられてしまった。

 所轄側としては、現場近くに、刑事・組織犯罪対策課の大原課長と別の事件捜査中に急遽呼び戻された葛木が張り付くことになる。大原と葛木はSITの川北隊長と西村について情報交換を行うことで、事件の背景をできるだけ明らかにしていこうとする。彼等は現状から判断すると、事の発端は誤射隠蔽事件以外には考えにくいという判断した。

 事件の発生を知った葛木の息子、俊史は警察庁から父親に電話を入れてくる。2人は情報交換し、俊史は警察庁に報告されている情報と状況を掴むとともに、上司に働きかけて現場に張り込む所轄とSITをサポートすると約束する。
 そんな矢先に、西村が葛木の携帯電話に連絡をしてきた。葛木に交渉の窓口になって欲しいと要求してきたのだ。葛木には面識がない。本人がアパートの窓のカーテンを少し開き葛木に顔を覗かせ、軽く敬礼をする行動を取った。間違いなく本人であることを証明したのだ。勿論、即座に葛木は大原に交渉役に指名されたことを報告する。
 このストーリー、葛木がこの立て籠もり事件の実質的な交渉人にならざるをえなくなった時点から、事件解決への紆余曲折のプロセスが始まる。

 現場に張り付いている葛木と事件を引き起こし立て籠もる西村との電話による交渉のプロセスがメイン・ストーリーになっていく。
 西村はSIT隊員だった経験を踏まえて、己の目的達成のために周到な計画をたてて行動している。人質を取る。猟銃の準備。自爆の準備を調えている。警視庁の上層部を引き出した上で、葛木を直接の交渉相手に指名。インターネットの活用を準備・・・等。
 葛木は警察組織に暗部が潜む実態を憤りそれを排除していきたいという思いを抱く一方、現状の警察組織内に踏みとどまる己に忸怩たる意識を抱いている。西村についての情報を部下の池田らに調べさせる。葛木は刑事として西村が事件を起こしたこと自体法的に当然の制裁を受けるべきという立場を堅持する。一方で、情報が累積していくにつれ、西村の意図と行為の一端に共感し始めて行く。
 2人の交渉のプロセスで、例えば次の様な会話が生まれる。
西村「いいんですか、そんなことをして。職務に対する背任になりますよ」
葛木「いいんだ。肝心なのはその職務が人の道として正しいかどうかだよ。私は組織の論理に魂を売るより、警察官としての誇りに殉じたい」(p134)
 葛木が交渉人としてどのような心理的葛藤を抱き、どのように判断し、どういう行動を取るか。葛木との交渉・対話の中で、西村に変化が生まれるのか。交渉人葛木のスタンスと行動描写が読ませどころとなる。

 メイン・ストーリーに絡まる形で、因果関係や事件対応策に関わる様々なサブ・ストーリーが織り込まれて行く。どういうサブストーリーが絡んでいるか、少しご紹介しておこう。
*西村がホットラインを指定したことにより、警視庁内に本部が置かれた。本庁の上層部がこの事件に引き出される。その本部の立場と方針がいかなる状況で動いていくか。
 事態の推移とともに、城東署に現地本部も設置されることとなる。途端に署長の行動が変化していくという描写もおもしろい。こちらは少し皮肉な視点で捕らえられている。
*葛木は、誤射隠蔽事件が事件の根底にあるとみた。当時の真相はどうだったのか。それがこの事件とどう関わるか。池田らに調べさせる。息子の俊史も事実解明に側面から協力する。
*本庁の対策本部内は、事件の解決方法に対し必ずしも一枚岩ではない。しかし、現場にSITが臨場しているにもかかわらず、警備部長の指揮下にあるSATが現場に送り込まれる。刑事部長は公安キャリアの定席である。刑事部長直下に捜査一課があり、SITは捜査一課に所属する。つまり、刑事警察の元締めである刑事部長、捜査一課長の意見は外されたといえる。SATは鼻から西村を射殺する意図を示している。SAT利用に反対する所轄魂が燃え上がる。現場で事件解決への対応に確執が生じる。
 SITとSATの役割・機能の違いがわかり、この点興味深い。
*立て籠もり事件に対して、警察庁と警視庁がどういう関係にあり、どう対応していくのか。それが現場にどのような影響を与えるか。警察庁に所属する葛木俊史は上司を巻き込み、どういう行動をとって行くのか。ここでも組織内の勢力関係の確執が関わって行く。それは警察庁と警視庁の組織の繋がり方にも関係している。
 警察組織の政治力学を知る上でもおもしろい。

 立て籠もり事件を引き起こし、自ら犯した誤射事件が嵌められたものと認識し、隠蔽された背景の真相を暴き出そうとする捨て身の西村。警察組織が自らの手で犯罪の黒幕を含め関与した人間を摘発せよと迫る。葛木は彼の意図に注意を払い対応して行かねばならない。それ自体が事実なのか、西村の妄想による絵空事なのか。葛木もまた捨て身の行動をとることになる。

 交渉がどのように進展して行くのか。交渉の膠着状態をどのように打開していけるのか。先の読みづらい交渉のプロセスが、読者を惹きつける。ストーリー展開の紆余曲折をお楽しみいただけると思う。

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『希望の峰 マカルー西壁』  祥伝社
『山岳捜査』  小学館
『サンズイ』  光文社
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『駐在刑事 尾根を渡る風』   談社文庫
『駐在刑事』  講談社文庫
『漏洩 素行調査官』  光文社文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『破断 越境捜査』  双葉文庫
『挑発 越境捜査』  双葉文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館

『放課後』  東野圭吾  講談社文庫

2021-10-20 16:45:32 | レビュー
 著者の作品はたまたま目に止まった『マスカレード・ホテル』から興味を持ち、シリーズ作品を軸にしながら関心の赴くままに読み進めてきた。そして、初期の作品群も対象に加えて読みたくなってきた。本書が著者のデビュー作だという。第31回江戸川乱歩賞受賞作。1985年に出版され、1988年7月に文庫化された。手許の文庫本の奥書には、2011年5月日付で第80刷と記されているので、ロングセラー作品になっているようだ。直近が何刷目になっているかは未確認。

 本書は「私」が次々に起こる事件を語っていくというストーリー構成になっている。
 「私」とは誰か? そのプロフィールをまずご紹介しよう。前島は私立清華女子高等学校に勤める数学教師。20年以上の伝統を持ち、県下の女子高の中ではトップクラスと言われる高校である。地元の国立大学工学部を卒業し、本社が地元にある家電メーカーに就職。光通信システムの開発設計担当として信州の方にある研究所に配属され3年間勤務。開発担当要員は東北に建てられた新工場に移ることになったことで岐路に立つ。大学在学中に数学教師の資格を取得していた。転職のことも考えていたところ、母が教師になることを勧めたことが後押しとなる。清華女子高の栗原校長は、理事長でもあり文字通りの独裁者。実業家となった前島の父とは戦友であり、戦後のどさくさには二人であくどいことをやったという関係でもあったようだ。結果的に大学失業後4年目の3月には、教師としての辞令を手にした。
 取りあえず2,3年やってみるかという軽い気持ちが教師生活の出発点となった。大学時代にアーチェリー部に属して活動していた経験があり、清華女子高の数学教師となると、12ある運動部の内の一つ、洋弓部の顧問となった。顧問となって5年。校長からは全国大会への出場選手を輩出することを期待されている。
 前島は結婚していて、妻の名は裕美子。子供はいない。妻は一度妊娠したが、前島は生活プラントしては未だ早いと中絶させた経緯がある。

 こんな数学教師が、出勤途上のS駅のプラットホームと学校の校内で2回、命を狙われるという事態に遭遇する。そんな事件の描写からストーリーは始まっていく。前島は警察に相談したいと栗原校長に話すが、校長は外聞を恐れ、もう少し、もう1回だけ様子をみることにしてと、警察沙汰にすることを嫌がる。前島は引き下がらざるを得ない。
 一方、校長は、教師の麻生恭子に白羽の矢を立る。28歳の息子貴和の嫁にと写真や履歴を麻生に渡してあるのに3週間立つても返事をよこさない。前島に麻生の気持ちを確かめてほしいという。併せて、26歳である麻生の男性関係を徹底的に調べて欲しいと要望してきた。前島は、麻生の男性関係の一つとして、同僚で辞職して学校を去った男性教師と麻生の関係の内実を知っていた。つまり、麻生恭子の一面の事実を同僚から聞き知っていた。

 このストーリー、清華女子高の日常の低調な授業風景や生徒の規律に関する職員室での教師間のやり取りなど女子高の学園雰囲気を描き出す。発生する事件の伏線となる事実・事情が巧妙に書き込まれていく。一方で、前島の過去における生徒とのエピソードを回顧する場面が織り込まれていく。その一つは、喫煙問題で三日間の停学処分を受けた高原陽子という問題児から、3月末に二人だけの信州旅行に誘われたという事実である。2つ目は全クラブ合同合宿の夜にケイとの間に起こった。前島が消灯時刻後にデータの整理をしているところに洋弓部キャプテンで3年B組杉田恵子(ケイ)が現れ、ナンパされ思わずケイの肩に触れ自然に顔を寄せ合い唇を合わせるという経験をしていた。

 9月12日木曜日、放課後に前島が洋弓部の練習に参加し指導している時に事件が発生する。前島が洋弓部の指導をするときに、いつも着替えをする体育館裏の教員用更衣室で事件が起こった。前島が洋弓部の指導を終え、ケイと話ながら更衣室に戻ったとき、更衣室の戸が開かなかった。更衣室の裏に回って換気孔の小窓から覗いたケイは、更衣室の戸に心張り棒がかましてあるのを発見する。それを聞いた前島もその事実を覗き見た。戸を体当たりで倒して中に入る。グレーの背広姿の男が換気口の真下に倒れているのを発見した。死んでいたのは生徒指導部の村瀬先生だった。警察の捜査が始まる。勿論、前島もケイも事情聴取に応じる。死因は青酸中毒。だが自殺か他殺か・・・・。他殺ならば、密室殺人事件である。この密室殺人がどうして可能だったかの解明が必要になってくる。このプロセスがストーリーの第一の山場となって行く。
 この密室構成のカラクリの謎解きにおいて仮説が変転していくところが読ませどころとなる。
 もう一つの事件が運動会の仮装行列で起こる。それはまさに殺人事件だった。
 それぞれのグループが企画を競う仮装行列。洋弓部もまた趣向を凝らす。その準備段階を経て、9月22日、仮装行列の当日に至る。教師の誰がどんな姿・役割で仮装行列に加わるのか事前に噂が流れることにもなる。前島は、洋弓部の仮装に酒酔いピエロ役で参加させられる羽目になる。当日、ピエロは手品箱の中に隠れている。マジシャンがステッキを振り上げて掛け声をかけると、ピエロが箱から飛び出す。ピエロは一升ビンを持って逃げ回る。マジシャンは追いかける。来賓や職員室の居るテントの前まで逃げたピエロはそこで、一升ビンからラッパ飲みを始める。だが、ビンから口を放したピエロは突然その場に蹲った。第二の事件が発生した瞬間だ。殺人事件が起こったのだ。これも青酸中毒が原因だった。
 第一の事件に引き続いて起こった第二の事件。これが二つめの山場となっていく。
 殺されたピエロは誰か? 
 なかなかおもしろい構想である。村瀬先生とピエロの死。この事件は関連するのか、無関係なのか。どんでん返しの連続が巧妙でおもしろい。
 エピローグでは、さらにもう一つの事件が発生して終わる。

 第一の事件と第二の事件の設定とストーリーの構成の中に、様々に攪乱要素が組み込まれている。その一方で、読了後に改めてスキャン読みをすると各所に巧みな伏線が張られている。事件の根底には、女子高生という年代の心理がずしりと存在する。事はそこから発していた。殺人の動機となる心理がこのストーリーに新鮮な視座をもたらしている。事件のプロセスで起こる巧みなどんでん返しの構成がおもしろい。
 さらに、警察の捜査が入り刑事が登場するが警察小説ではない。刑事はここでは脇役である。あくまで「私」が語ったストーリーとして構成されている。興味深いのは、第三の事件が最後に起こることに大きな意味が重ねられている。警察の捜査の観点からとらえると、これら事件の真因や犯人が解明されたのかどうかの判断は、読者の想像に委ねられていると私には思える。そこがまたおもしろい。乱歩賞受賞がなるほどと思う。

 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『分身』  集英社文庫
『天空の蜂』  講談社文庫

東野圭吾 作品 読後印象記一覧 1版  2021.7.16 時点  26作品

『裏千家今日庵歴代 第三巻 元伯宗旦』 千宗室 監修  淡交社

2021-10-14 18:56:52 | レビュー
 本書は既にご紹介した今日庵歴代シリーズの『第二巻 少庵宗淳』に引き続き、平成20年(2008)5月に刊行された。
 以前に京都の相国寺を探訪した時、境内の鐘楼の北側に宗旦稲荷社が祀られていることと「宗旦狐」の伝承話を知った。その宗旦とは千家第三代宗旦のことだった。この伝承は、短編小説にもなっている。次に知ったのが「乞食宗旦」と称されていたということ。さらに、書架に眠っていた『利休とその一族』(村井康彦著・平凡社ライブラリー)を最近やっと読んだ。「四 宗旦の世界」の冒頭が「乞食宗旦」という見出しだった。大徳寺に入り、出家していた宗旦が還俗し、父・少庵とともに千家の再興を志した。しかし、宗旦は仕官の道を選ばず、市中の茶人として利休の茶の湯を追究し禅を強調したという。それ故、経済的には不如意な生活で清貧に甘んじるという生き様を貫いた。そこからいつしか「乞食宗旦」と称されるようになったという。一方、宗旦は我が子については方々の伝手を頼り、盛んに有付(就職)先を得ることに奔走したという。このことを読み、宗旦という人物について一歩踏み込んで知りたくなった。

 千利休に関しては数多の本がある。しかし、少庵、宗旦、と歴代の茶人についての一般書は数が少なくなる。一般書に近いものとして見つけたのが本書だった。『利休とその一族』から一歩踏み込んで、宗旦を知るという点では取りつきやすい教養書と思う。

 本書の構成は『第二巻 少庵宗淳』とほぼ同じである。たぶん、この企画シリーズで構成上の統一性を持たせているものと推測する。まず、目次をご紹介しよう。掲載論文・寄稿文の筆者の肩書は省略する。本書を開いてお読みいただければと思う。
 宗旦とその時代 徳川幕藩体制と寛永文化サロン      笠谷和比古
 カラー 宗旦の遺芳                   茶道資料館
 宗旦の生涯と茶の境涯                  筒井紘一
 茶室に托す佗茶の心 ー宗旦の又隠、今日庵、寒雲亭-   戸田勝久
 カラー 宗旦の好み物                  茶道資料館
 宗旦の茶道具-綺羅と侘び-               谷端昭夫
 宗旦居士をしのぶ 宗旦筆 梅花絵賛           横山宗樹
 宗旦居士をしのぶ 宗旦好 菊棗 三代宗哲作       阿部宗正
 宗旦の菓子の茶                     谷 晃
 宗旦の茶室-求道と世間法、宗旦が考えた二つの世界-   池田俊彦
 宗旦と大徳寺                      竹貫元勝
 宗旦の消息                       田中 稔
 宗旦四天王                       白嵜顕成
 元伯宗旦年譜                      今日庵文庫
 宗旦周辺系図・裏千家今日庵系図

 宗旦の人生を知るという意味では、「宗旦の生涯と茶の境涯」「宗旦の菓子の茶」「宗旦と大徳寺」「宗旦の消息」を読み継ぎ、「元伯宗旦年譜」を通覧すると、大凡の生涯とその立ち位置がわかる。宗旦が利休の茶の湯の追究に専念し、千家の再興に注力した経緯がイメージしやすくなる。本書の帯には「極侘びの境涯に徹した枯高の茶人」というキャッチフレーズが記されている。利休の佗茶を追究し極める方向に進むことは、たぶん秀吉が没し、徳川幕藩体制が確立されていく過程の武家の茶とは、一層距離を置く時代背景もあったのではないか。本書を通読しそういう印象を抱いた。

 宗旦は天正6(1578)年に千少庵の子として生まれ、11歳の頃(1588年)に大徳寺の春屋宗園のもとに喝食(かつじき)となった。宗旦が大徳寺で修行を続けている14歳の時(天正19/1591年)に祖父の利休が自刃。一族闕所(けっしょ)所払いになる。宗旦は仏門に居たのでそのまま修行を続ける。大徳寺の中では将来を属目されていたそうだ。会津の蒲生氏郷のもとに身を寄せていた父・少庵が赦免され、帰洛し千家再興をめざす。宗旦は18歳(文禄4/1595年)の頃に還俗したようだ。そして父とともに千家再興にあたる。還俗したといえども、禅の修行は継続していたのだろう。慶長6年(1601)4月に春屋より「元叔」の号を授かっている。武家社会に広まった茶の湯は、利休自刃の後、古田織部の茶の湯を経て、寛永年間には織部を継承する小堀遠州の茶の湯が主流となっていく。武家社会に広まる茶は、武家の社交手段という側面の比重が高まったのではないか。大名茶の時代である。金森宗和の茶の湯も加わる。
 「宗旦の茶境が著しく進捗したのは、壮年時代に達した寛永年間(1624~44)に入ってからである。この頃宗旦のもとには、利休の茶風を慕う各大名家からの誘いが頻繁であった。しかし、宗旦は三人の息子や門弟を遣わすだけで、自身が権勢に近づくことはついになかった」(筒井、p44)という。利休の自刃が権勢に近づくことのネガティヴな側面を思い起こさせるからだろう。また、利休の正風をめざすほど、禅に重きを置く宗旦の茶の世界は俗世間の権勢と無縁の方向につき進んだのではないか。だが、それはあくまで宗旦の生き様を境界とした。息子たちの有付(就職)のためには父親として伝手を頼り奔走したのだから。
 勿論、その背景には利休が生きた時代とは異なり、徳川幕藩体制の基礎が確立し、泰平の世へ時代が転換する時期だった。宗旦の息子たちには茶の世界という枠がまず前提となる。千家の正風を茶道役として伝授していく役割で仕官する。茶の宗匠として生活基盤を得、利休の正風を広めるという立場である。それ以上でもそれ以下でもない。だから、宗旦は息子たちの生活の安定のために奔走したのではないか。

 宗旦自身は息子たちに勧められても仕官の道とは一線を画す。だが一方で、宗旦は武家政権からは隔たる京の宮廷、公家社会の人々には自ら親しみを抱いて近づくという行動をとったという。近衛信尋、鳳林承章などをきっかけとして、後水尾天皇の中宮東福門院和子のもとに出入りして茶風を伝えるとか、近衛家の応山(=信尋)・尚嗣父子や烏丸光広らと茶の湯を介して交流を深めたという。「宗旦の後妻宗見が東福門院に仕える女官であったこと」(筒井、p44)を本書で知った。
 つまり、寛永時代を生きた宗旦は、京都のサロン文化の一員となったという。ここに名を挙げた鳳林承章の主宰する鹿苑寺のサロン、後水尾天皇の仙洞御所のサロンで、集まる人々と交流を深めたそうだ。(笠谷、p4)
 こういう活動が、千家の再興とその基盤を強固にすることに繋がったのではないかと思う。

 表千家には約250枚に及ぶ宗旦の消息文が所蔵されているという。今では、その文書が刊行書として公開されているようだ。本書では事例を踏まえて、消息文に表れる宗旦の心情と人柄が紹介されている。著者は宗旦を「愛に生きた茶人」と結論づけている。自分の思いを率直に消息に綴った子煩悩な親父だったようだ。一方で、消息文から「妻宗見のヒステリーにはほとほと手を焼く」(田中、p133)恐妻家という面もうかがえるというのもおもしろい。どんなことを具体的に書き残しているのか、機会があれば刊行書を読んでみたい。

 宗旦の人生と消息文については、上掲の『利休とその一族』と資料的には相補関係となり、理解が深まる。

 宗旦の好んだ茶道具を眺めていて、竹を素材として釣花入を創案したのが宗旦だと知った。西村九兵衛作「裏甲釜」はその姿がおもしろいと思う。三日月香合、桃香合、兜巾香合という一閑張の香合もまたおもしろい。宗旦が菊の花の文様を好んだということが水指・薬器・棗の数々からうかがえる。

 また、「菓子の茶」が宗旦の茶会にける大きな特徴である点や、「宗旦の茶室」では、宗旦が茶室造りに、求道の世界と世間法の世界の二つの考えを持っていたという。宗旦が書き残した三幅対に「なぜそうした二つの世界を考え続け、相互に歩み寄らせることにしたのかが表れているように思われる」(池田、p127)という見方は興味深い。

 最後は、宗旦の四天王と呼ばれた高弟を簡潔に紹介する文で締めくくられている。藤村庸軒、山田宗徧、杉本普斎、久須見疎安の四人である。上掲書と本書から、『茶話指月集』に導かれることになった。

 本書は三代宗旦を知るうえで役立つ書である。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で、関心事を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
千宗旦  三千家の成り立ち  :「茶の湯の歴史」
乞食宗旦 :「コトバンク」
相国寺宗旦稲荷神社  :「京都 Kyoto」
宗旦狐  :ウィキペディア
遠州流茶道  遠州流茶道宗家公式サイト
きれいさび :「JapanKnowledge」
茶道宗和流について ホームページ
金森宗和  :「コトバンク」
宗和流茶道の祖 金森宗和 :「岐阜県図書館」
近衛信尋  :ウィキペディア
鳳林承章  :「コトバンク」
後水尾天皇 :ウィキペディア
東福門院  :「コトバンク」
藤村庸軒  :ウィキペディア
庸軒流   :ウィキペディア
山田宗徧  :ウィキペディア
茶道宗徧流不審庵 ホームページ
杉木普斎  :「コトバンク」
杉木普斎と小豆餅  歴史上の人物と和菓子 :「とらや」
久須美疎安 :「コトバンク」
わび・さび :ウィキペディア

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これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
茶の世界 読後印象記一覧   2021.10.14 時点


茶の世界 読後印象記一覧   2021.10.14 時点

2021-10-14 18:42:53 | レビュー
これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。

=== 小説 ===
『茶道太閤記』  海音寺潮五郎 文春文庫
『利休とその妻たち』 上巻・下巻   三浦綾子   新潮文庫
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社

=== エッセイなど ===
『裏千家今日庵歴代 第二巻 少庵宗淳』  千 宗室 監修  淡交社
『利休とその一族』  村井康彦  平凡社ライブラリー
『利休 破調の悲劇』  杉本苑子  講談社文庫
『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版

『催眠 完全版』 松岡圭祐  角川文庫

2021-10-11 10:12:53 | レビュー
 『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』を読むと、臨床心理士嵯峨敏也が登場して来る。この嵯峨敏也が主人公になっているのが『催眠』だということを知り、完全版を読んでみることにした。
 読了後に本書末尾のT・S氏による「本作の背景と経緯」を読むと、1997年晩秋に『催眠』が出版され、これが著者の小説デビュー作でありかつミリオンセラーを達成したという。10年の時を経て、「オカルト的心理学占いや魔法じみた催眠術の類いは駆逐され、心の問題とのみされた幾多の症例も、認知心理学的見地から脳医学と結びつけた、より現実的な解釈が求められるようになった。」(p416)ということから、『催眠』の全面的改稿が行われ、この『催眠 完全版』が出版されたという。
 『千里眼』を読み始めて、本書に溯るということになったが、上記「本作の背景と経緯」には、もう一点指摘していることがある。『千里眼』に嵯峨敏也が登場する上でそのキャラクターの継続性は配慮されているが、「やはり実質は世界観の異なる作品」(p417)の流れとして位置づけられるとする。この『催眠』は現実性重視の心理ミステリーであり、「千里眼」シリーズは、荒唐無稽さを売りにしたヒロイン活劇物と識別している。
 私は本書しか読んでいないので、当初の作品と比較する情報は持ち合わせていない。本書に限定して読後印象記を記したい。「現実性重視の心理ミステリー」という説明はなるほどと思う。

 本書には、一般に「催眠術」と呼ばれる行為と臨床心理士が行う「催眠療法」との違いを峻別し、何がどう違うのかを明らかにするという側面がまずストーリーの根底にある。「催眠術」という言葉とそのパフォーマンスから我々一般人が描くイメージや「催眠」に対する誤解を正すという点が濃厚である。読者にとってそれが知的副産物になっていく。

 ストーリーは、実際はインチキなのだが催眠術師であることを売りとする実相寺則之がテレビ中継に登場し、そのパフオーマンスがNGになる場面の描写から始まる。そこには催眠術の舞台裏描写があり、パフォーマーでありたい実相寺の内心に触れていく。
 実相寺が普段仕事場としている店の前に入江由香が現れ、全身みどり色の猿にかけられた催眠を実相寺に解いてほしいと依頼する。催眠を解く真似事を実相寺が行うプロセスで、由香は突然宇宙人に変身する。予知能力があり地球人を救いたいと言い出す。由香が演技をしていると思う実相寺は、彼女をチャネラーとして売り出すというアイデアを思いつく。実相寺は社長の了解を得て、竹下通りにある<占いの城>の目玉にチャネリングの店を改装して設け、由香をチャネラーとして売り出す。それが若者たちの好奇心を惹きつけ大評判となっていく。それにメディアも殺到する状態になる。この成り行きがストーリーの「起」となる。
 
 報道を見た嵯峨敏也は一般客を装い数度この店に出かけて行く。それはチャネラーとして働く由香を観察するためである。その結果、嵯峨は由香が多重人格障害者であると判断するに至る。嵯峨は東京カウンセリング心理センターに勤務する臨床心理士で、催眠療法科の科長である。嵯峨はチャネラーとして働くことは害になるだけであり、その仕事を辞めて、治療を受けることが彼女にとり今必要なことであると判断する。
 嵯峨はその判断と信念から、まず関係者の了解を得るべく行動を始める。それは誰が関係者かも分からない状況からのスタートになる。直接の関係者が実相寺であり、彼とコンタクトを取れ、仕事を中断し治療に専念させるように協力してもらう同意を得ようとする。勿論、実相寺にとっては飯の種を取り上げられることに繋がるから、嵯峨の出現は疫病神以外の何者でもない。つまり、嵯峨と実相寺は対立関係を生むことになる。その経緯が「承」と言える。この由香の住処探し、人探しのプロセスがおもしろい。
 だが、この行動には一つ問題点があった。それは由香の意志による東京カウンセリング心理センターの相談者ではない点だった。カウンセラーは相談者の依頼を受けて忠告や示唆を行う立場であり、役割なのだ。嵯峨の上司、倉石室長がここに関与する立場になってくる。

 このストーリーには、パラレルにサブ・ストーリーが展開していく。一つは、竹下みきという小学2年生の子が母親に伴われて、東京カウンセリング心理センターでカウンセリングを受けに来ていた。医師はストレスがきっかけとなった心因性のものだと診断した。緘黙症のようであり、リラクゼーションを促すだけでは、症状はなかなか改善しない状況だった。背景にいじめ問題があるようで、その原因は体育の一輪車に関係するようなのだ。みきは一輪車に乗れないようだという。嵯峨はその内容をみきと話し合っていた小宮愛子から聞いた。小宮は自分が嵯峨が科長である心理療法科に配属されていると理解していた。一方、嵯峨からは催眠の勉強をするように言われている。このサブ・ストーリーは、小宮が竹下みきの苦しみを何とかしたいと思い、自分なりに対応していくプロセスを描いていく。
 東京カウンセリング心理センターにみきの父親が現れて、母親が始めた娘の受診をやめさせるという通知をする。そこからその後の対処が大きくゆれ動いていく。小宮はみきちゃんを何とか立ち直らせたいと賢明な努力をし始める。読者は、このサブストーリーが、メインストーリーとどう関わって行くのだろうかと思いつつも、パラレルに進行するストーリー自身がどうなることかと読み進めることになる。このパラレルなストーリーの展開がおもしろい。

 さらにもう一つ。こちらは倉石室長に関係していく。倉石のところに、東京文教会医科大学赤戸病院の脳神経外科医長、根岸知可子が就任の挨拶にきたことから始まって行く。実は、この女性はかつて倉石と結婚していた。二人が離婚した後医学の研鑽を積むために渡米していたのだった。この二人の関係が今後どうなるのか・・・・そんなストーリーが進展する。そこに、二人のことを知る剣道の師範宗方克次郎が助言者として登場する。一方、根岸千可子が依頼を受けて高見沢病院で行った脳損傷患者の緊急手術の術後、患者の回復傾向が見えるなかで、顔面神経麻痺症状の現象が現れる。手術にミスがあっったのか・・・・。助手を務めた高見沢病院の高瀬医師は執刀ミスの可能性を暗に指摘する。本来は高瀬医師が執刀するはずだったが、院長が根岸知可子に依頼したという経緯があった。根岸は手術にミスはないと確信しているのだが・・・・・。この状況に倉石は関わりを持っていくことになる。

 由香は正常だと主張する実相寺を説得して、嵯峨の手助けを認めさせようとしている矢先に、別の問題が発生する。捜査二課が入江由香を参考人として連行しようとする。横領疑惑があるという。新たな問題事象の発生。一時的には、嵯峨自身がその疑惑の関係者とみなされる羽目にもなる。ストーリーは思わぬ展開に。つまり「転」が生まれる。
 だが、その横領疑惑の捜査事実から、嵯峨は入江由香の両親の居住地を知る機会を得ることとなる

 これら3つのストーリーは、バラバラに進展しつつも、関連性を生み出す接点を持っていて、事態がメイン・ストーリーに収斂していく方向へ展開していく。どのような形で「結」のフェーズに入って行くのか。そこが読ませどころと言える。
 どんでん返しのエンディングが読者を一瞬戸惑わせることにもなる。読者は、部分的に本書を読み返したくなるに違いない。それはストーリーの巧みな描写に、読者を迷わせる工夫があることによる。

 このストーリーにおける嵯峨と倉石のスタンスは明確である。「心に悩みを持つ人々の助けとなることが、カウンセラーの務めなのだ」(p402)ということにある。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書と関連する事項をいくつかネット検索した。一覧にしておきたい。
臨床心理士について  :「日本臨床心理士会」
催眠について  :「東京メンタルケア」 
催眠療法についてのQ&A :「千葉駅前心療内科」
認知心理学  :「コトバアンク」
解離性同一性障害 :ウィキペディア 
解離性同一症(多重人格障害) :「MSDマニュアル 家庭版」
軽度認知障害  :「e-ヘルスネット」
催眠術師・漆原正貴が語る”催眠の正体” 「肝心なのは“掛かる側”に集中力や想像力があること」  :「Real Sound」

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『クラシックシリーズ3 千里眼 運命の暗示 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』  角川文庫
『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  角川文庫
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点 総計32冊 

『新装版 「般若心経」を読む』  水上 勉   PHP

2021-10-09 16:51:37 | レビュー
 「あとがき」には、昭和57年12月の日付が記されている。末尾に「ありていにいえば、般若心経ほど、今日の出家僧のこっけいさに気づかせる経はない気がしたからである。」という一文がある。この後に末文「国師よ、禅師よ、ふたたびこんなことをいう私を地下から笑われるか。」と続く。単行本の刊行後、1991年11月に文庫化された。文庫本の表紙がこちら。
文庫を購入していることを失念していたのだろう。

この新装版も購入してしまった。こちらは2007年8月に刊行された。つまり、2冊を長らく書架に眠らせていたとも言える。

 今、両者を対比してみると、本文以外で多少の違いがある。
 最初に「般若心経」全文が掲載されている。文庫本には、「薬師寺『百万経写本』の手本に使われた『般若心経』」と付記されている。新装版には、「株式会社千眞工藝(不許複製)と付記されている。もう一点、文庫本には、絵入「一休骸骨」より引用された骸骨図のほかは、相国寺や瑞春院の門、酬恩庵、盤珪と一休の像などの写真が挿入されている。新装版には、写真掲載は一切無く、あべゆきえさんの挿絵が適所に掲載されている。

 さて、冒頭に引用した国師は正眼国師(盤珪禅師)、禅師は一休禅師をさしている。著者は本書で「般若心経」(以下、心経と略す)を著者流に読解していくにあたり、この二大禅師の心経解説書を導きにしている。正眼国師の『心経抄』と一休禅師の『摩訶般若波羅蜜多心経解』である。
 この二大禅師は、「あとがき」によれば、共通点がある。ともに臨済宗の高僧だが異端の僧とみなされ、正統派のなかには組み込まれていない。国師の説法は盤珪流と称される独自なものだったという。一休禅師もまた、正統派の公案禅をけなし、巷を彷徨し道歌や平仮名法語で無常を在俗の信者に説かれたという。直接の引用はないが、著者は盤珪・一休両禅師に良寛を風変わりな僧として加えている。著者は「三人とも寺院というものにかくべつの思いをもっておられ、一休さまと良寛さまにいたっては、真の出家は寺を出るものだとおっしゃている。」(p278)と記す。

 著者は正眼国師と一休禅師の心経解釈を導きとしつつ心経を読解していく。心経そのものの文意の説明、つまり仏陀の視点からの説明は『心経抄』と『摩訶般若波羅蜜多心経解』から引用し紹介する。経文の一節一節は、正眼国師と一休禅師の解釈を使い、著者の人生経験を心経の読解に結びつける。その対比を通して著者の心境をぶつけていくことになる。著者は心経と己の関わり、その受け止め方を語るというアプローチで心経の読解を進める。
 本書は漢訳された心経の経文を仏陀の視点で字句解釈し、その経文の内容・思想を解き明かしていくという解説書ではない。先人の解説を引きながら悟り澄ました立場で心経を縷々解説していく本とは一線を画している。

 己の人生経路を書き綴りながら、心経を読み説く。まず心経との出会いから始まる。著者は10歳の頃に臨済宗本山相国寺塔頭瑞春院に弟子入りし、松庵師に得度式をあげてもらったという。そして、口伝えにより、平仮名で耳から聞き覚えたのが心経との出会いだった。心経をリズムで覚えるというのが初体験だという。その後、大徳寺横にあった般若林(のちの紫野中学)に通い「仏典」の授業の時に「摩訶般若波羅蜜多心経」が漢字で記された経であることを知り新鮮に感じたそうだ。
 「経の本体が、意味深く、私にとりついてくる景色はどこにもない」「こっちの生きていく暦のふしぶしで、入り込んできては去り、去ってはまた入り込んできた」(p44)のが心経だという。「はなはだ偏見的で私流の般若心経とのかかわり」(p46)が本書で綴られていくことになる。
 著者は「17歳で寺から逃げ出して還俗し」(p274)、その後遍歴を経て、家庭を築き、作家となった。出生から72歳までの人生経路の節々を著者は赤裸々に語りつつ、心経を読解していく。水上勉その人の実存的視点から己の実感と心経の説く意義とを対比して、いわば一凡人の立場から、凡人のいつわらざる心境を吐露し、心経を読解している。

 仏陀の視点からの心経解説書は過去幾冊か読んで来ている。未読で書架に眠っている本が幾冊かある。
 本書は、心経解説書として、私には新鮮であった。抹香くさく悟りの立場で説明する解説ではなく、著者の「私流」の語りには俗人・凡人の思い悩む実感が籠められている。心経の導き書を読み、なるほどとわかるところと、そうではないところを著者は峻別していく。心経を否定する立場ではない。そう説かれてもそんな悟りなどには至れない自分がいることを率直に語る。読みつつその心の葛藤に共感する私がいる。

 こんな文が第11章に記されている。
「悩みの多いこの世に、悩みのタネをまいて生きている私は、その種子の芽だちによって、それぞれの業の花をひらかせて、くらしたい。妻子とともに、のたうちまわって生きるしかないではないか。どこに安心立命などあるものか。そんなものがあったら、見せてくれ。私の目の前はいま、闇のくろぐろとした、ひとすじの光りもない漆黒があるばかりである。仏も見えない。法の声もきこえてこない。救いのないくらやみだ。私は、そのくらやみに、心身を染めて、のたうちまわって、こときれる日まで苦しみ生きるしかない。」(p271)
「困った人間だから、いま、『心経』が、ありがたく毛穴に入ってきて、心身を洗うような気もするのである。」(p271)

 本書は、水上勉という作家の人生に触れる機会となる書でもある。

 また、著者は心経の読解を進める中で、今までの日本の仏教界に潜んでいる問題事象についても批判的視点で触れている。それが何かは本書を開いてその指摘の適否をお考えいただくとよいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して検索した事項を一覧にしておいたい。
御経入門 般若心経 :「禅~凜と生きる~」
般若心経  :ウィキペディア
盤珪永琢  :ウィキペディア
盤珪永琢  :「コトバンク」
一休宗純  :ウィキペディア
一休宗純  :「コトバンク」
良寛    :ウィキペディア
良寛    :「コトバンク」
一休骸骨  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
相国寺  ホームページ
龍寶山大徳寺 :「臨済ネット」
酬恩庵一休寺  ホームページ
般若心経 (cho ver.)(2020 mix.) × 一休寺・京都 / 薬師寺寛邦 キッサコ - Japanese Zen Music
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ
【般若心経】Heart Sutra (サンスクリット/Sanskrit) ヴェーダの音階で聞くチャンティング
水上勉  :ウィキペディア
浄運寺 -長野③  :「酒中日記」

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『院内刑事 ブラック・メディスン』  濱 嘉之  講談社+α文庫

2021-10-08 18:51:45 | レビュー
 『院内刑事』に続く第2弾。文庫書き下ろし作品。2018年7月に刊行された。
 廣瀬知剛は警視庁を中途退職した。警視庁公安総務課OBで、在職中に警察組織内や政界などに幅広い人脈を築いていた。廣瀬は退職後も随時情報交換を続け、情報ネットワークを維持している。中途退職後、危機管理コンサルティング会社を設立した。廣瀬は病院経営者に、院内暴力・セクハラ・暴力団関係者の入院やいやがらせ・モンスターペイシェントなどに適切に対処する院内交番制度の設置を提唱していた。警察の優秀なOBの能力を病院内のリスク対応に活かすというアイディアである。そして、廣瀬自身は、医療法人社団敬徳会の理事長・住吉幸之助に懇請されて、川崎殿町病院のリスクマネジメント担当顧問になった。川崎殿町病院の院内交番を直接所管する立場でもある。また、廣瀬は空港の近くに病院を建てる利便性を提言をしたことから、この病院が建設されたという経緯もあり、住吉理事長が経営する敬徳会の理事の一人にもなっている。

 ストーリーは、看護部長が廣瀬の部屋を訪ねてきて、特別室に入院する古川原武士という患者が看護師に猥褻行為をして困っている、モンスターペーシェントだと伝えたことから始まる。廣瀬は神奈川県警組織対策課第四課OBで、院内交番に属する横山に指示して、古川原について調べさせた。古川原は麦島組三和会の若頭補佐とわかる。入院時の誓約書に虚偽記載をしていたのだ。横山は古川原に麦島組の友永に連絡を入れさせる。結果的に古川原は退院手続きを取り、モンスターペーシェント問題は強制退院という形で一旦終了した。廣瀬は横山から古川原の件の結果を聞く。古川原は横浜中央医療センターからの転院患者で、川崎殿町病院の内臓外科医が横浜中央医療センター院長の後輩に当たる関係での受け入れだった。
 古川原が強制退院となった翌日、廣瀬は警視庁組対部参事官の尾崎から電話を受ける。尾崎は古川原の病気の状態と川崎殿町病院での入院経過を聴取した後、古川原が両膝と陰部、そして頭を拳銃で撃ち抜かれて殺害された事実を廣瀬に伝えた。廣瀬は、横山から聞いたことで気になることを伝えた。横浜中央医療センターは麦島組が顧問病院と言う形で実質的な経営に介入しているらしいという点である。
 電話を終えた後、廣瀬は院内刑事の横山を呼ぶ。古川原が殺害されたことを伝えるとともに、横山に質問をした。横山は気になることとして、受け入れた内臓外科の藤田医師は、執刀後、内科医に特定のジェネリック医薬品の使用を指示しているそうだということを廣瀬に伝えた。廣瀬は内部事情としてこの点について把握していなかった。川崎殿町病院は理事長方針で先発医薬品を使うことになっていたのだ。
 廣瀬は疑念を抱き始める。そして、警視庁公安部総務課事件担当の勅使河原警視に電話を入れ、横浜中央医療センターの実態を調べる手がかりを得ようとする。ここから廣瀬の行動が始まって行く。

 この小説の構成がちょっと面白い。第二章以下は川崎殿町病院の経営とリスクマネジメントに関連する独立した問題事象を短編風にストーリー化していく形になっている。その一方で、メイン・ストーリーに関わる側面が伏流的に絡められている。以下、章毎にすこしご紹介しよう。

<第2章 ジェネリック医薬品>
 大手製薬会社四井十字製薬のMRとして入社5年目、27歳の阿部智子が登場する。彼女は一般のMRから、川崎市を担当する地域包括ケアシステム担当になっていた。阿部は川崎殿町病院が営業対象になっていないことから、MRとしてこの病院にチャレンジしたい意欲をもやし、地域包括ケア面での関係づくりをめざす。川崎殿町病院にMRとして出入りができ、そして自社の薬品を使ってもらうきっかけと連携関係の構築をめざす。阿部が上司の渋谷に提言すると、彼は自分の伝手をたどり、廣瀬とコンタクトを取れる手配をする。
 この章は製薬会社のMRが病院にくい込んでいく姿を通して、病院とMR、製薬会社の関係を浮彫にしていく。廣瀬はMRと病院側の担当者との仲介役になる一方で、阿部を通じてジェネリック薬品業界の裏話情報を入手できる機会を得る。この視点がメイン・ストーリーにつながっていく。
 医者の処方した薬品について、医療ミスクレーム騒ぎというリスク対応も含まれていておもしろい。

<第3章 キレる老人>
 元県議員であった老人が会計窓口での順番待ちでキレて、怒鳴りだすという場面に、巡視中の廣瀬が出くわす。「モンスターシニア」の登場とリスク対応のエピソードである。
 廣瀬がいかに手際よくこのリスク発生を未然に解消したかが描かれる。
 併せて、県議員が現状どのような位置づけにあるかに触れている点も興味深い。
 まさに、ショート・ストーリーの挿入になっている。

<第4章 中国人富裕層>
 この章はこのシリーズの将来への伏線になっているのかもしれない。ここでは、「中国人富裕層向けの健康診断と緊急手術の対応」を川崎殿町病院でも取り扱って欲しいという要望が横浜中華街の華僑代表者から理事長に出されてくる。廣瀬もリスクマネジメントの観点から関わって行く。
 中国人富裕層に診療の門戸を開くかどうかが、臨時理事会を開催しての議題になる。
 このショート・ストーリーは、中国の富裕層とは何か。また、富裕層から見た中国の医療事情はどんな状況かに触れていて、情報として興味深い。

<第5章 サイバー攻撃>
 医療法人社団敬徳会傘下の4つの病院のコンピュータセキュリティーはワックの古溝と廣瀬が相談して構築した。古溝が廣瀬に電話で伝えてきたのは、敬徳会のコンピューターに中国と北朝鮮から猛烈なサイバー攻撃が行われているという情報だった。
 なぜ、民間医療法人がサイバー攻撃の対象になったのか。
 ここでは、サイバー攻撃とそのセキュリティの導入段階の場面が描写される。ひとつの伏線になっている。
 一方、中国との関わりにおける問題事象がここにフィクション化されている。この提示がまず考える材料になる。

<第6章 スタットコール>
 見出しの「スタットコール」は緊急呼び出しのことである。川崎殿町病院には、特定のメッセージの発信により、職員全員に緊急呼び出し事態が発生したことを院内放送するシステムがある。勿論来院者には気づかれずにさりげなく放送される。つまり、即座のリスク対応が関連職員に要求され、廣瀬が関わることにもなっていく。川崎殿町病院では、ホワイトコールと呼ばれていた。
 ここでは3件のスタットコールに対する対応が描かれる。
 一方、パラレルに住吉理事長と廣瀬との間で、理事長の抱える案件に絡み、臓器移植問題の現状とジェネリック医薬品が話題となっていく。これもまたこの医療法人社団敬徳会の将来像への伏線として描写されているようだ。廣瀬は、病院買収とジェネリック医療品の使用についての調査を引き受けることになる。ここの描写はこの領域での現状の情報提示という読者への副産物になっていて興味深い。

<第7章 横流し>
 前章で住吉理事長が廣瀬に依頼した調査と、第5章のサイバー攻撃が、ここで絡み合う可能性が出てくる。警視庁公安部の栗山参事官に電話を入れる。二人の会話は横浜中央医療センターや古川原の殺害事件に関連していくことになる。
 大規模な医薬品の横流しを行う犯罪組織相関関係が形成されていた事実が明らかになる。
 廣瀬は阿部を介して有力な証言者とコンタクトをとることができた。そして闇が明らかになる。
 
 この第2弾は、日本における保険制度のしくみ並びに医薬品業界のしくみとその運営実態面での功罪に焦点が当てられている。更に、中国における医療事情にも触れられている。大凡事実ベースの情報が巧みに採り入れられて、そこにフィクションが構築されているのではないかと思う。ストーリーの展開を楽しむ一方で、医療領域の状況を考えるのに役立つ小説だと思う。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
高額療養費制度について  :「厚生労働省」
高額な医療費を支払ったとき(高額療養費):「全国健康保険協会」
医療費が高額になりそうなとき(限度額適用認定) :「全国健康保険協会」
先発医薬品  :「ELITE Network」
「ジェネリック」って? ジェネリック医薬品について:「第一三共エスファ株式会社」
ジェネリック医薬品ってなんだろう?  :「日新製薬株式会社・日新薬品株式会社」
ジェネリックはどれも同じと思ってませんか?  :「ゆうしん内科クリニック」
MRとはどんな仕事をする人?  :「MR認定センター」
MRの仕事内容と一日のスケジュール  :「Constant 転職」
急性骨髄性白血病(AML)の原因と診断 :「がんを学ぶ」
動くがんへの追尾照射を可能とした次世代型四次元放射線治療装置を開発 :「NEDO」
北大と日立が共同開発した2軸CBCT機能及び2軸四次元CBCT機能が医療機器の製造販売承認を取得―高精度陽子線治療の提供に期待―   :「日本医療研究開発機構」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『院内刑事』   講談社+α文庫

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊


『黒南風の海 「文禄・慶長の役」異聞』  伊東 潤  PHP文芸文庫

2021-10-07 23:14:43 | レビュー
 「黒南風」に「くろはえ」とルビが振られている。「南西の沖合から黒雲が湧き出し、南風が吹き始め」ることを「黒南風が吹く」と称するそうだ。この風が朝鮮半島南東端にある釜山に日本の軍船を運んで行く。この小説は、豊臣秀吉の誇大妄想が生み出し無益な侵略戦争となった「文禄・慶長の役」の経緯を加藤清正軍を中軸にして赤裸々に描き出す。
 「天正20年(1592)4月、豊臣秀吉は、志半ばで斃れた織田信長の見果てぬ夢を継ぐべく、麾下16万の兵を動員して大陸に乗りだした。その狙いは、朝鮮半島のみならずアジア全域の制覇にある。」(p20)1592年12月8日に年号が天正から文禄に改められた。
 この戦争の渦中で迷い悩んだ上で己の意志を固め、その意志を貫く行動に踏み出した男の出会いと別れのドラマが、わずかの史実をもとに創作され連綿と織りなされ紡がれていく。彼等はそれぞれ同朋からその行動を裏切りと見做される立場になる。だがそれを敢えて甘受して悔いない2人の生き様は鮮烈である。

 日本史の年表を開けば、「文禄1年(1592) 文禄の役(93和議)」「慶長2年(1597) 1慶長の役(再度朝鮮へ出兵)」「慶長3年(1598) 8秀吉没 12日本軍の朝鮮からの撤兵ほぼ終わる」と、僅か3行の記述。この3行が豊臣秀吉政権下の日本と李氏朝鮮にとって何を意味したのか。どれだけ虚しい流血が流されたのか。どのような影響がもたらされたのか。
 本書は史実を踏まえフィクションとして描き出された歴史小説である。2011年7月に単行本が刊行され、2013年11月に文庫化された。

 断片の史実として残る2人とは誰か。
 一人は沙也可(さやか)と呼ばれた日本人。国王の宣祖から金という姓と正三位の高位を得て両班となり、1643年、金忠善として73歳の生涯を閉じた。「常在戦場」を貫いたという。著者は沙也可から、佐屋嘉兵衛忠善という鉄砲の腕に秀でた人物を創出する。
 もう一人は金宦。加藤清正から200石を賜り、勘定方の仕事に就いた。日本人の妻を娶り後半生を生きた。清正が死した時、殉死した2人のうちのひとりとして生涯を閉じる。日本名を名乗ることを拒否したという。清正が葬られた熊本・本妙寺浄池廟の左奥に葬られ墓石がたつ。李氏朝鮮では勘定方の官吏を金宦と呼んだという。著者は両班の良甫鑑という人物を創出する。
 佐屋嘉兵衛忠善と金宦(良甫鑑)が出会い、国と民衆を思うそれぞれの意志と行動が織りなして行くドラマが1つの読ませどころとなって行く。

 このストーリーは3章構成になっている。
<第1章 焦熱の邑城>
 天正20年4月、佐屋嘉兵衛は加藤清正軍に加わり黒南風に乗って釜山に向かう。和田勝兵衛を寄親とし、筒衆頭(鉄砲隊長)であり、鉄砲の腕は抜群に優秀である。小西行長が第一軍、加藤清正は第二軍として朝鮮に渡る。清正が釜山に着くと、当初の指示を受けた戦略は既に破られ、第一軍は単独行動を開始していた。そんな齟齬を来した状況から、戦が進展して行く。清正は小西行長の第一軍が緒戦で一方的な勝利を収め、徹底的な殺戮を行うという戦法を実行した釜山の状況を知る。先行して北上する第一軍に対し、清正は慶尚道の道都・慶州を経由して漢城一番乗りを目指す。清正の戦いぶりが描かれる。清正は”久留の計”に沿い無益な殺戮をしないという方針で戦を進めていく。朝鮮国での凄惨な殺戮現場の状況に直面する嘉兵衛は徐々にこの他国における戦の意義に対して疑問を抱く立場になっていく。
 日本軍は漢城、開城を落とす。その先は平壌である。清正の第二軍は江原道から咸鏡道へ向かう。咸鏡北道を治めるためである。会寧の攻略中に、朝鮮二王子の居場所が判明し降伏勧告を進める過程で、嘉兵衛と金宦の運命的な出会いが生まれる。
 二王子とともに捕らわれの身となった金宦は、清正の下で、朝鮮の民衆を救い守るという意志を行動に転換していく。清正はその金宦の姿勢に信頼を抱くようになる。だが、清正の下で交渉役に立つ金宦は、母国の同朋からは附逆(裏切り者)と侮蔑される身になる。
 7月末、咸鏡道からオランカイを経ての北京一番乗りは不可ということを清正が覚るまでが描かれる。

<第2章 酷寒の雪原>
 天正20年9月から翌年和議後の7月下旬の撤退までが描かれる。
 咸鏡北道を統治する清正は、北半分を間接統治に切り替え、南端の安辺を拠点とする。南半分は分割して在番地が決められる。勝兵衛の在番地は最北端の吉州となる。そのため嘉兵衛は吉州を防備する立場になるが、翌年1月、この酷寒の地から撤退する際、殿軍となった嘉兵衛は攻めてきた敵と交戦し、敵将鄭文孚により生け捕りとなる。これが嘉兵衛の人生の転機となっていく。
 戦を止めさせ、民衆を救いたいという嘉兵衛と金宦のそれぞれの思いは、それぞれ投げ込まれた境遇の中で、行動となって発揮されていく。置かれた立場は違え、思いは同じである。6月、普州城での攻城戦では、朝鮮政府の使者の印である朱印を竿先に掲げて金宦は入城し、降伏開城を唱え自らを使者として清正軍に送れと主張したために、磔台に立たされる羽目になる。一方、城への攻撃停止を求めて清正の許に来た嘉兵衛は、降倭となったのならば磔だと言われる立場になる。奇しくも2人が磔の窮地に陥る。
 和議に至る複雑な経緯が書き込まれていて興味深い。
 7月27日に、秀吉からの命令書が朝鮮在陣諸将に届く。「あくまで秀吉は、”久留の計”にこだわり、慶尚南道一帯に二十余の番城構築を命じてきた。これらの城には,43,000の日本軍が籠もることになる。」(p260)

<第3章 苦渋の山河>
 慶尚南道で両軍が対峙し、秀吉の命令で倭城が築かれる一方で、大半は日本へ撤退する。清正もまた4年ぶりに金宦を伴い撤退する。しかし、そこには清正を貶めようとする策謀が巡らされていた。清正は失脚直前まで追い込まれる。文禄4年(1595)7月に畿内周辺の大地震で伏見城も倒壊する。このときの清正のとった行動のエピソードが描き込まれていく。
 日明講和交渉の破綻が、慶長の役に進展して行く。慶長2年(1597)再び清正は朝鮮半島に上陸することになる。金宦も同行する。このとき、小西行長は朝鮮政府に清正の上陸地点情報をリークしていたと著者は書き込んでいる。
 文禄の役の経験に学んだ上での慶長の役の経緯が綴られていく。清正の思いがどのように変化しているか、嘉兵衛と金宦が戦の回避を目指してどのように行動するかに焦点をあてながら、無益な戦の状況が描かれていく。著者は、清正に「金宦、わしには、この戦の意義が分からなくなった」と迷いのある言葉を吐かせるに至る。
 半島に冬将軍が到来する前に、清正が独断で漢城にいる明軍のトップ・明国経理楊鎬と停戦交渉を進める。使者にたつのは金宦である。それを嘉兵衛がサポートする。二人の思いはただ1つ。その後、蔚山城に籠もる清正軍に明軍が攻めてくることに。この戦がストーリーのクライマックスになっていく。

 著者は最後に、以下のとおり記す。
「慶長3年(1598)11月、加藤清正、黒田長政、鍋島直茂勢が、12月には、小西行長、島津義弘、立花宗茂勢が博多に到着し、前後7年に及ぶ不毛な戦いは終わりを告げた」(p409)と。
 
 この小説、読ませどころ並びに考える材料はいくつも含まれている。思いつくものを列挙してみよう。
*裏切り者との汚名をものともせずに、戦を止めさせたいという信念・意志のもとに、行動する嘉兵衛と金宦の生き様を描き出す。
 二人に共有されるフレーズが「人北去雁南飛(人は南に帰り、雁は北に戻る)」である。
*加藤清正はこの戦(外征)において、戦の捉え方を変容させていく。その経緯を描いている。
 そこには、環境の異なるこの異国での部下の死、さらにこの戦において小西行長(軍)が繰り返した残虐な殺戮行為への反感がある。
*嘉兵衛は2人の男、日本人の定吉と朝鮮人の余大男(ヨデナム)を助けた。この2人が嘉兵衛をサポートする。その働きが脇役として効果的であるところがおもしろい。
 定吉は漂流してつかまり奴隷にされていた。ある時嘉兵衛が奴隷の余大男を助けたことが縁となる。この余大男には実在のモデルがいるようだ。撤退する清正に同行し、日本で仏門に入り、後に本妙寺の第三代住職となる。日遙上人と名乗った人という。
*不毛で無益な戦で苦しめられた人々の状況がどういうものだったか。具体的に描写されていく。
 朝鮮国の民衆と戦に従軍した人々との両面においてとらえることができる。
*李朝朝鮮は儒教国だった。一方、その社会構造がどいうい姿であったか。その点が点描的に書き込まれている。
*明国と李朝朝鮮(朝鮮国)との政治的外交的関係のあり方。
*明国、朝鮮国における戦に対する結果の評価と処遇のしかた。
つまり、このストーリーは多角的な視点で読み進めていくことができる。

 ご一読、ありがとうございます。
 
本書に関連して、関心事項を検索してみた。一覧にしておきたい。
文禄・慶長の役  :ウィキペディア
文禄・慶長の役  :「コトバンク」
【戦国こぼれ話】文禄・慶長の役で、日本軍が行った現地での人の連れ去りや鼻削ぎを検証する :「YAHOO! JAPAN ニュース」
文禄の役 日本軍進路      :「戦国未満」
秀吉による朝鮮八道色分け地図 :「戦国未満」
慶長の役 日本軍進路  :「戦国未満」:「戦国未満」
倭城とは 分布図と一覧 :「戦国未満」
秀吉が築いた城-倭城-  :「服部英雄のホームページ」
西生浦倭城  :「SJC広場」
倭城   :「城の科学」
肥後 本妙寺 ホームページ
本妙寺浄池廟  :「九州 観光と温泉」
加藤清正の墓(本妙寺浄池廟)  :「城郭放浪記」
本妙寺 朝鮮人金宦墓   :「青邱古蹟集真」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『巨鯨の海』  光文社文庫
『茶聖』   幻冬舎
『天下人の茶』  文藝春秋
『国を蹴った男』  講談社 

『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
   伊東 潤 の短編作品「人を致して」が収録されています。