遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『論理的思考力を鍛える33の思考実験』 北村良子  彩図社

2022-02-26 21:19:39 | レビュー
 本書のタイトルにある「思考実験」という語句が目に飛び込んで来た。「論理的思考力を鍛える」とある。思考実験という語句がおもしろい。関心を惹きつける。早速読んでみようという気になる。どんな思考実験をしようというのか。「論理的思考力」という言葉には弱い。それを鍛えられるならちょっとおもしトレーニングになるかも・・・・・。
 本書は平成29年(2017)5月に単行本として刊行されている。本書で著者を初めて知ったのだが、著者略歴を読むとパズル作家である。知る人ぞ知るなのかも。パズルの世界はあまり手をだしていないので、私が無知なだけかもしれない。

 「論理的思考力を鍛える」という修飾句は単なる看板ではなかった。出された課題について、できるだけ論理的に考えながら読み進めたが、課題に対して論理的思考の展開の中途半端さに気づかされたことは確かである。幅広く、抜けなく、緻密に論理的に分析し、思考するという点での詰めの弱さを自己分析するのに役だった。考えながら通読したくらいなので、「鍛えられた」とまでは言いがたい。論理的思考の思考実験に参加したということと、己の論理的思考力の弱点に気づいたのは事実。そういう意味では有益かつ面白かった。

 さて、世の中にはいろんなことを思考実験として考えている人々がいて、それがかなり知られているということを本書で初めて知ったことが一つの収穫だった。本書は著者が独創してまとめた思考実験実例ばかりではなさそうだ。世界で有名になっている思考実験を紹介しながら、そこからの著者のアレンジあるいは、新たな思考実験の事例創作という形になっている感じである。紹介と創作の境界は私には判別しかねるが、とにかく事例を論理的に考えてみさせるという姿勢で記述してあること、思考実験事例がステップアップする形で編集されている点、文による説明を補足する形で図解が沢山導入されていること・・・・これらが読者に読みやすさを与え、思考実験に誘っている。ちょっと頭を絞らされながら、楽しめる思考実験である。

 本書では4つの側面それぞれの思考実験を取り上げている。章毎にちょっとご紹介し、本書への誘いとしよう。

<第1章 倫理感を揺さぶる思考実験>
 冒頭表紙の左上に、トロッコの絵が描かれている。このトロッコが線路の上を暴走していく。線路は一人の作業員がいるところに切り替えスイッチがあり、分岐点になっている。両方の線路のすぐ先に、一方には5人の作業員グループ、もう一方には1人の作業員がいる。切り替えスイッチの傍の作業員は暴走トロッコに気づいた。線路の先の作業員たちは異常なスピードで暴走してくるトロッコに気づいていない。
 この「暴走トロッコと作業員」は、1967年にイギリスの倫理学者フィリッパ・フットが提示した思考実験だという。切り替えスイッチのところにいる作業員(=あなた)は5人を助けるか、1人を助けるか・・・・・。この思考実験において、背景としての条件設定がいろいろに変化していく。その都度、それぞれの事例で読者は己の倫理観と併せて論理的思考を重ねていかねばならない。
 この「暴走トロッコと作業員」の思考実験が、「臓器くじ」「完全平等な臓器くじ」「6人の患者と薬」「効かない薬」「村のおたずねもの」という変形・変容・創作された新たな思考実験へと展開されていく。
 勿論、思考実験なので、現実とは隔たりのある制約条件が加えられている。条件設定に極端な側面もあるが、それが逆に論理的思考を推し進める梃子にもなっている。興味深い点でもある。

<第2章 矛盾が絡みつくパラドックス>
 ここではパラドックス、ジレンマという矛盾をもたらす命題を突き詰める論理的思考力が試されている。著者はここでの思考実験は「脳に好奇心を持たせ、悩ませる深い思考で刺激」(p63)を与えると言う。そのレベルを読んで楽しんでいただくとよい。
 表紙の右下に帆船の絵が描かれている。これは「テセウスの船」と呼ばれる有名な思考実験の紹介として始まる。ローマ帝国のギリシア人倫理学者であり作家のプルタルコスによる伝説として今に伝わる有名な思考実験だとか。修理と復元という観点での思考実験で、「本物」はいずれかを考えさせる。これはなかなかおもしろい。
 帆船の絵の斜め左上に、亀が描かれている。この章で「アキレスと亀」の話も取り上げられている。
 それから、「5億年ボタン」という思考実験やタイムマシンを登場させる思考実験(3事例)で、読者の頭をキリキリさせる思考実験が続く。

<第3章 数字と現実の不一致を味わう思考実験>
 アメリカにモンティ・ホールという司会者が担当する人気長寿番組があったそうだ。私は全く知らなかった。その中で、ある駆け引きゲームが披露されたとか。このゲームに対して1つのコラム記事が書かれ、それが大論争を引き起こしたと言う。司会者の名前をとって、「モンティ・ホール問題」。司会者がこのゲームのプレイヤーに3つのドアの1つを選ぶように指示し、どれかが選ばれると、その時点である駆け引きを持ちかけるというのがゲームの始まり。駆け引きで論理的思考力を発揮して、正解したら車をゲット!不正解ならヤギが出てくる。この駆け引き方法がさらにステップアップされていくところが、まずおもしろい思考実験になる。
 ここから、様々なタイプの思考実験に展開されていく。「不平等なデザインコンテスト」「ギャンブラーの葛藤」「トランプの奇跡」「カードの表と裏」「見抜く質問」「注文伝票の裏側」「2つの封筒」(2事例)、「エレベータの男女」と続く。最後に「あり得ない計算式」という算数の世界の思考実験(2事例)になる。ここには実にトリッキーなおもしろさがある。
 基本的に、この章では確率に関しての論理的思考力が求められている。それぞれの思考実験の解説を読んだとき、そこまで分析的、緻密に論理的思考ができていなかった点に気づかされた次第。論理的思考力、マダマダ、マダマダ・・・・お粗末だなあ・・・・実感。
 
<第4章 不条理な世の中を生き抜くための思考実験>
 冒頭に、「この章は、様々な角度から思考を巡らせることができる、幅広いテーマの思考実験を集めた章です」(p214)と記されている。ここには7つの思考実験が収録されている。章の冒頭の見出しが振るっている。「世間の渡り方を思考実験から学べ」である。
 ここでの思考実験のタイトルだけ列挙してみよう。「抜き打ちテスト」「生きるための答え」(2事例)「共犯者の自白」「マリーの部屋」「バイオリニストとボランティア」「コンピュータが支配する世界」。これらのタイトルだけからもバラエティに富んでいそうという感じを受けられることだろう。
 これらの思考実験のうち、「共犯者の自白」は読み初めたとき、ふと「囚人のジレンマ」という問題を連想した。また表紙の若者はリンゴを手に持っている。このリンゴは、「マリーの部屋」に関連していることがわかった。
 著者によると、「バイオリニストとボランティア」という思考実験は、アメリカの哲学者ジュディス・ジャーヴィス・トムソンの思考実験を元にしているそうだ。この思考実験も全く知らなかった。この思考実験は、第1章での思考実験とも繋がっている。著者は「消極的義務」「積極的義務」という観点でフィリッパ・フットの論じる点を紹介していて興味深い。

「おわりに」で、著者は航空機史上最大の死者数を出した大参事について、イギリスの心理学者ジョン・リーチの研究結果を紹介する。そして、直接の体験がなくても、見聞することから「思考を深く巡らせ、自分なりの思考実験をすることが、いざという時の生死さえ左右するかもしれないのです」と論じている。

 頭をキリキリさせながら楽しめるおもしろい思考実験が詰まっている一冊だ。ネットで検索していて著者が『究極の思考実験』(ワニブックス)を刊行していることを知った。少なくとも、もう1册は楽しめそうだ。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、ネット検索で得られる事項を少し調べてみた。一覧にしておきたい。
フィリッパ・フット :ウィキペディア
『究極の思考実験』北村良子 2019/9/21 :「ダ・ヴィンチ」
「トロッコ問題」に正解はあるのか?【図や具体例でわかりやすく解説】:「ズノウライフ」
人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス :「WIRED」
テセウスの船  :ウィキペディア
菅原そうた オフィシャル・ホーム・ページ
Let's Make a Deal  From Wikipedia, the free encyclopedia
モンティ・ホール問題 :ウィキペディア
確率     :ウィキペディア
確率の計算  :「統計WEB」
期待値  :ウィキペディア
囚人のジレンマ  :ウィキペディア
Judith Jarvis Thomson  From Wikipedia, the free encyclopedia
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故  :ウィキペディア
凍りつき症候群|災害時の人間の心理と本能 :「ピ-スアップ」
防災・危機管理心理学 :「防災システム研究所」

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奥書で知った本書著者の運営サイト
  IQ脳.net  
  老年若脳
  

『ヒトイチ 内部告発 警視庁人事一課監察係』 濱 嘉之  講談社文庫

2022-02-25 10:31:57 | レビュー
 ヒトイチ・シリーズの第3弾。文庫書き下ろしとして2016年5月に刊行された。
 今回も短編連作集として3つのストーリーが収録されている。章毎に読後印象を交えてご紹介したい。

<第1章 身代わり出頭>
 西早稲田の横断歩道でひき逃げ事故が発生した。被害者は横断歩道から3mほど飛ばされた。被害者は早稲田大学の学生坂本亜希子。彼女は下村巡査部長に、ボルボの白いワゴン車で、品川ナンバー、番号の最後が7だったと告げた。白色ボルボについての該当照会が本部に出された。戸塚署に戻った交通捜査係長の光野は、伝言があったことを聞き、本部の総務部情報管理課平尾管理官に電話をする。所有者に該当する可能性の中に、時枝雄一郎交通部長の名前が出て来たことを知らされる。
 防犯カメラの画像解析から、白色ボルボの完全登録ナンバーが判明し、所有者が時枝雄一郎と確定された。さらに、人身事故当日のある時点において運転者は総務部企画課勤務の時枝公一警部補とわかる。一挙に人身事故に複雑な要因、警察組織内部の問題に絡むという局面が絡んでくる。
 そんな矢先、事故から2時間後位に、野々村明美と名乗る女が早稲田の裏の道で人身事故を起こしたかもしれないと出頭して来た。野々村は車を時枝さんから借りていたと言う。光野は時枝の携帯電話に確認連絡を取る。時枝公一は3時間ほど前に、池袋の大ガードをくぐったところで単独の物件事故を起こした。現場を地域課のPCに確認してもらい、物件報告書を作成してもらったあと、以前からつきあいのある自動車修理業者に修理に出したと答えた。これは証拠隠蔽工作か・・・・。
 交通捜査課理事官の堂島が、ヒトイチの榎本に連絡を入れた。交通人身事故の事情が複雑になってきていて、交通捜査課だけでは持て余していると言う。ヒトイチの立場からの捜査が併行して始まって行く。
 野々村明美の自宅を交通捜査課がガサ入れした結果、人身事故とは別の問題事象が発見される。それが契機となり専門分野の応援を要請する事態に進展していく。
 このストーリーの興味深いところは、人身事故の発生が契機となり、その背後に潜んでいた別の闇の世界が暴かれていくという展開にある。そこに警察組織内部の問題が絡んでいく意外性がおもしろい。

<第2章 公安の裏金>
 新任の公総課長安森真人は公安部の予算資料を入手し、かつ公安総務課内の予算分配を確認するという行動をとる。調査第7係の山下警部に突出した予算が付いていることに興味を示す。そして、山下と面談する。山下は安森の履歴等は既に熟知していた。山下は部下の若松に、安森の年次のキャリアは全滅、唯一絶妙な立ち位置で首を繋いでいるのが安森新公総課長だと辛辣な評価を語っていた。
 榎本は、奥瀬主席監察官に呼び出された。奥瀬が安森公総課長に呼び出され山下の行確を命じられたと聞かされる。山下の不透明な金の使用を調べて欲しいとのこと。榎本は山下の行確をする立場に立たされる。榎本は友人を追うのは嫌なものと奥瀬に語るが、榎本に指示するのは兼光人事一課長の判断でもあると告げられた。榎本は独自の考えとして、泉澤班のうちの3人を使い、安森の庁外の動きを秘匿で行確するように指示した。
 安森は公安総務課が北海道内に持つ拠点の現地視察をするという行動を皮切りに、特異な動きを始める。公安の裏金に目をつけた安森が墓穴を掘っていくプロセスが描かれていく。
 兼光人事一課長の視点が重要な要になっている。その視点に榎本の考えと行動がシンクロナイズしているところが監察の行動として大きな推進力になっているように思う。
 警察組織内での人脈、公安の予算の実態という側面と絡めた形でなかなかおもしろいストーリーになっている。

<第3章 告発の行方>
 本書のタイトル「内部告発」は、この短編に由来する。
 「職員相談110番」、またの名は掛け込み寺。ここに、小笠原署刑事課刑事係長の池橋陽一が電話を入れた。「実は、私の部下の主任が署長から猛烈なパワハラのような扱いを受けておりまして、その対処方法についてご相談したいのですが」この一報がトリガーとなる。この時、電話をとったのはこの春に着任したばかりの田川主査である。
 田川は池橋からの告発を榎本に相談に来た。小松署長がパワハラをしているとの内容を伝える。併せて、第一方面本部長の柳下管理官に相談をしたとも告げる。即座に、榎本は所轄のパワハラ問題をなぜ方面本部に連絡する必要があるのかと質問を返した。人頼みの田川の姿勢がこの内部告発を適切に問題解決する方向にではなく、一層騒動を拡大していく結果になる。
 小松署長のパワハラ問題には、小松の過去に関係した事件に遠因があった。小松の人事処遇において不適切な人事異動が要因になっているという警察組織内の問題も絡んでもいた。
 警察組織における警察官の実績と能力評価に絡む人事処遇のあり方に焦点を当てている。榎本の視点から見た人事処遇における問題指摘を加えつつ、パワハラ問題の事例を具体的に描き出すとともに、内部告発に対する対処方法の重要性に光りを当てている。この短編はその失敗事例というストーリーである。
 この短編集も警察組織がもつ幾つもの問題点を指摘をしている。監察係を警察官から忌み嫌われるゲシュタポ的組織として組み込み描く警察小説とは一味ちがうスタンスでのストーリー展開がこのシリーズの強みだと思う。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『ヒトイチ 画像解析 警視庁人事一課監察係』  講談社文庫
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』   講談社文庫
『警視庁情報官 ノースブリザード』   講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』   講談社+α文庫

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊



『日本建築集中講義』  藤森照信 山口 晃   中公文庫

2022-02-23 00:39:44 | レビュー
 10年ほど前に『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』を読んで、その読後印象をご紹介したことがある。掲題の文庫本の新聞広告を見たとき、そのタイトルに関心を抱いた。購入前には『日本建築集中講義』というタイトルから、共著で古代から現代までの日本建築の変遷における特徴を体系的に論じている書かなと想像していた。だが、読み初めて漠然とした想像は見事に外れてしまっていた。
 奥書を読み、本書は月刊『なごみ』(2012年1月号~12月号)に連載された後、『藤森照信×山口晃 日本建築集中講義』と題して2013年8月に淡交社から単行本として出版されていた。このことを知らなかった。2021年8月に中公文庫化された。

 当初の想像がどのように外れていたのか?
1.古代から現代に至る日本建築の変遷史という視点での体系的な取り上げ方ではない。
 日本建築の実例がアットランダムに取り上げられていく。当初の連載の順番でまとめられている。どういう順番で取り上げられているのか。以下のとおりである。
 法隆寺、日吉大社、旧岩崎家住宅、投入堂、聴竹居、修学院離宮、旧閑谷学校、箱木千年家、角屋、松本城、三渓園、西本願寺。
 文庫化にあたり「平野家住宅」が「百年前の日本の住まい」として特別収録された。
 なお、末尾(p408-409)に「講義で取り上げた日本建築を建築年代に並べると・・・・」という年表形式の表が補足してある。この順番に読むなら変遷史的視点での読み方ができるようになっている。

2.当初は建築家二人の共著と思い込んでいた。実際は、建築家藤森照信と画家山口晃が、二人で日本建築の実例を実際に訪れ、現地・現物に接し、その後対談形式で当該建築物について、建築史的側面、建築構造的側面、建築物と環境、建物を使用する立場からの体験感想、建築としてのおもしろみや不満足な点などを語り合う。勿論、建築家藤森が語り部で、画家山口が聞き役という役回りである。藤森の所見と二人の実見・体験感想が対談内容としておもしろく組み込まれている。
 「私の専門は日本の明治以降の近代建築だ」(あとがき)と言う藤森が、ここでは主に法隆寺以降の伝統的建築のエッセンスを対談の中で語る内容が興味深い。明治以降では、旧岩崎家住宅・聴竹居・平野家住宅がここにとりあげられているだけである。

3.共著者の山口晃は集中講義の聞き役的立場である。その一方、本書では画家の本領を随所に発揮している。各回の見出しページには一コマ漫画を描く。毎回、4コマ漫画が載せてある。その内容は現地での建築物実見内容と取材プロセスに関わるエピソード、裏話的な部分をおもしろく4コマで描いている。例えば、「第1回 法隆寺」では、「日本建築集中講義なごみ版、ブロークン、おいうち」の3本が載っている。「マーク」と題する3コマもある。
 さらに、訪問した建築物の実見から、画家山口が特定の箇所に着目して、3コマを主体(2コマもあり)にその特徴を絵に描き短文説明を加えている。そこには、藤森の解説内容も反映していることと思う。
 たとえば、「第1回 法隆寺」では、「廻廊、松、講堂内陣の柱(賽銭)、拝石、廻廊の床」に着目している。
 山口晃について触れておこう。本書では山口画伯という表記が本文中では使われている。本書の著者紹介によれば、東京藝術大学大学院修士課程修了。絵画専攻(油画)。「大和絵や浮世絵の様式を織り交ぜながら、現代の景観や人物を緻密に描き込む画風で知られる」「パブリックアート、新聞小説の挿画や漫画連載など、幅広く活躍している」という。ひょっとしたら作品の画像などを意識せず見ていたかもしれない。だが、遅ればせながら本書で初めて認識した画家である。

4.毎回の末尾に、藤森・山口両者に対するアンケート結果が自筆、絵入りで載せてある。これがけっこうおもしろい。
 アンケート様式の質問は3つ。「Q1 今回見た建物の中で一番印象深かったモノ・コトは?」「Q2 今回の見学で印象深かったことは?」「ずばり、○○○を一言で表すと?」(例えば○○○に法隆寺が入る。)

5.数はそれほど多くはないが、ところどころに日本建築探訪の現地写真が載せてある。
 その内容は、対象建築物の特徴をとりあげた写真と取材プロセスの記録的な写真が混在する。文庫だから仕方ないが、特徴をとりあげた写真はもう少し大きなサイズで見たかった。
6.毎回、末尾には、当該建築物についてのプロフィール紹介が載せてある。
 名称、所在地、電話番号、当該建築物の概要解説が記されている。

7.「休み時間」と題して、いわばコラム風の対談が3つ挿入されている。
 1つは「山口画伯の見たかった建築 二笑亭奇譚」。2つめは「はじめての藤森邸 タンポポハウス探訪」である。
 3つ目は上記「平野家住宅」だが、これは休み時間3にせずに、特別収録のままでもよい気がした。

 こういう構成は想像できなかった。対談と漫画との組み合わせで読みやすくてかつおもしろい。コマ漫画が実に生きている。コマ漫画にはちょっぴり皮肉な発言箇所なども描き込まれていておもしろい。

 最後に、集中講義からそのさわりの一部を参考に引用し、ご紹介しておきたい。
*デザインうんぬんではなくて、非の打ち所のない美しさに、パルテノン神殿の感じがしました。
 法隆寺の構成配置は、大小の建物を散らして配置して、そうすると全体の印象がばらけるんですが、それを廻廊で一つの空間にまとめる方法。  p9
*下から見た投入堂の美しさ。柱の造りとか、軒や張り出した床の裏とか、結構ガツガツ組んであるわりには、木組みのきれいさがある。 p97
*箱木千年家は、日本の民家の原型。室町時代頃の建築。 p243
 アフリカの原住民の家と美学は一緒。つまりそれだけ古いってことだし、まだ日本的なものが成立していないってことです。・・・・箱木千年家は、縄文時代の竪穴式住居の週間がずっと伝わっている。・・・・その特徴のひとつが、軒の低さ。  p246-247
*水を常に近くに感じさせる神社って意外と少ない。ところが、日吉神社は境内にずっと水が巡っているところ。・・・・・日吉大社って建築的には有名でもなんでもないんですよ。むしろ石橋のほうが有名。文化財の石橋なんて滅多にない。  p37-39
 日吉大社のすごいところって、石・水・建物・草木、そういうものがなんとなくうわーっと境内の一帯に固まっているところだと思う。・・・・テクスチャーの宝庫 p49
*待庵では、全部ガタガタの構成にして高さの目安となるものを消している。
 待庵は、完全に見える柱、一部だけ見える柱、完全に見えない柱、それらが混在している。 
 待庵最大の謎は、待庵について全く文献が残っていないこと。  p157-160
*松本城は本気で戦争用に造られた城の中では現存最古のもの。  p302
*西本願寺って・・・・現存最古の能舞台もあるし、豪華さの美学は二つの書院で、薄くて軽いという美学は飛雲閣で見られる。そういう意味では日本建築のエッセンスが詰まった場所ですね。書院造とは、普通の家でいうと格式の高いお座敷。西本願寺でも謁見やいろんな用があるから、そういう用途に使われるのはやっぱり書院だった。 p364
*書院造が、もっとも豪快に花開いたのが安土桃山時代。・・・聚楽第でピークに達して、それが二条城とか西本願寺につながわけ。  p365
*日本の場合は木造だから植物で建築を造るけど、その中で豪華さや派手さの表現を金で追求していく。そうすると、派手な造形を使いつつ、庭の緑の景観にもなじむわけ。p380
*後水尾上皇は政治的実権を持っていた時代の最後の天皇・・・・彼は最後の天皇として天皇らしいことをしようと思ったわけです。平安王朝文化の復活です。・・・彼の最たる望が本格的な浄土式庭園を造ること。それを修学院離宮に再現したんです。 p187
*州浜はあの世の外観を示す数少ない例。・・・・石が洗われた状態を「浄土」と見る思想が、いつからか日本人の心性にはあるんです。  p192
*三渓園は知名度がまだまだなんですよ。日本の数寄屋の中でもレベルの高いものがこんなに揃っているところはほかにない。おまけに臨春閣は、桂離宮と並ぶ数寄屋の代表作ですから。・・・・数寄屋は外を眺めるための建物。 p335、p338
*(旧閑谷学校)ほかの建築と違うのが、土木的なものが力強いところ。たとえば石塀。・・・(石塀)の手前に清める意味で泮池が据えられてる。・・・建築の持つ凜とした精神性・・・・あんなに土木の力を感じたのは初めて。ああいう建築のスケールや周りの地形を無視した土木的なものを、ひとつ敷地の中にポーンと造る構成はおもしろい。p218-220
*(角屋)仕上げと凝りように莫大な手間とお金がかかっていること。・・・・江戸時代当時の京都の職人芸の粋を結集したものであって、ただの建築じゃない・・・京都の角屋は文化的サロンの状態をずっと保っていました。・・・・おもしろかったのが、外側の美学と内側の美学が全然違うこと。   p272-282
*岩崎邸は、建築家が手掛けた住宅としては日本に現存する洋館の最古の例・・・・・和館と洋館は分けて並べて造るのが日本の洋館のオーソドックスになっちゃった。・・・・・本館のスタイルは、イギリスにしかない極めて特殊なもの。 p67-68、p79
*聴竹居って、モダンな建築に和風を取り込んだ最初の建築なんですよ。(書院造と数寄屋造)それを「どう近代化するか住宅研究のテーマでした。 p125
 聴竹居は実験住宅の五番目で、これがピークで完成形。  p131

 お読みいただきありがとうございます。

本書に関連する事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
法隆寺  ホームページ
山王総本宮 日吉大社 ホームページ
旧岩崎邸庭園  :「上野 文化の杜」
vol.13 旧岩崎家茅町本邸  :「mitsubishi.com」
三徳山三佛寺 国宝投入堂 ホームページ
聴竹居 トップページ
国宝茶室 待庵  :「豊興山 妙喜禅庵」
修学院離宮  :「宮内庁」
特別史跡 旧閑谷学校  ホームページ
現存する日本最古の民家 神戸市北区の「箱木千年家」 :「神戸新聞社」
箱木千年家の紹介 YouTube
角屋保存会 公式サイト
[4K] 角屋 京都の庭園 角屋もてなしの文化美術館 Sumi-ya [4K] The Garden of Kyoto Japan  YouTube
旧花街・島原の揚屋「島原角屋」を訪ねる  :「京都ツウ読本」
国宝 松本城  ホームページ
国宝 松本城  :「松本市」
国指定名勝 三渓園  ホームページ
三渓園  :「NHK」
お西さん(西本願寺) ホームページ
お西さん(西本願寺) Twitter
平野家住宅洋館    :「文化遺産オンライン」
文京区の平野家住宅   :「レトロな建物を訪ねて」
タンポポ・ハウス  :「国内建築ライブラリ」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社

『クラシックシリーズ6 千里眼 マジシャンの少女 完全版』  松岡圭祐  角川文庫

2022-02-21 21:18:29 | レビュー
 本書のオリジナルは『千里眼のマジシャン』というタイトルで2003年3月に小学館から刊行され、『千里眼 マジシャンの少女』と改題されて、2004年4月に小学館文庫に入った。それが、平成20年(2008)11月、加筆修正され、「完全版」という形で改めて角川文庫化された。オリジナルを読んでいない。当文庫本の解説を参考にすると、かなり「現実離れした破天荒な作品」(p658)として発表されていたようだ。つまり、この完全版ではオリジナルとは距離を置いて改変され、新たな創作という類いになっているものと想像する。つまり、余分な先入観を持たずに、この完全版としてのフィクションの世界を楽しめばよいという話である。

 今回のテーマは何か? 一言で言えば、「お台場カジノ」オープン直前の仮営業時点で大事件が発生し、このカジノ構想が崩壊するに至る顛末を描くというもの。
 シリーズとしては、千里眼の岬美由紀が例の如くスーパーヒロインとして大活躍するのだが、そこにマジシャンの少女・里見沙希が主な登場人物の一人として関係してくる。他に、藍河隆一、永幡一徳が加わる。

 このストーリーが設定されている同時代背景と現時点を重ねてみれば、このフィクションが一層楽しめると思う。まずその点にふれておこう。
 先日、作家で元東京都知事の石原慎太郎氏が死去した。享年89歳という。石原慎太郎は1999年4月に都知事選挙に立候補、選挙戦に勝利し都知事に就任した。その際、1万人の雇用創出効果を掲げて公営カジノの実現を公約の一つに盛り込んだ。だが、この「お台場カジノ構想」は国の法整備を待つというスタンスで、2003年に構想の中止が発表された。丁度このタイミングに合わせるように、オリジナルの『千里眼のマジシャン』が発表されていたことになる。
 その後、公営カジノに関し国の対応はどう進展してきたか。議員立法として通称「IR推進法」が2016年(平成28)12月に公布・施行された。正式名称は「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」(平成28年法律第115号)という。そして、2018年(平成30)7月には、通称「IR実施法」が公布された。正式名は「特定複合観光施設区域整備法」(平成30年法律第80号)である。「IR整備法」「カジノ実施法」とも呼ばれるようだ。この法律は、公布から3年以内に施行されるということだった。2019年3月、IR実施法施行令が決定された、施行日は2021年7月19日である。
 この事実を踏まえて、現時点でこのフィクションを読むのは、法が整備された現実の視点を加えて、対比的に捕らえる立ち位置を読者にもたらしていることになる。かなり極端な設定のフィクションを介して、公営カジノを改めて考えてみる材料にもなると思う。

 さて、このストーリーの始まりは、一種のジグソー・パズルのようである。主な登場人物とその周辺事情がパズルの重要ピースのように独立的かつパラレルに描写されて行くところから始まる。読者にとっては、それらのピースがどういう意味を与えられているのか不可解で戸惑うところが出発点となる。このアプローチそのものがまずおもしろい。
 冒頭に登場するのが永幡一徳。有楽町の一角にあるセブリモーターズ本社の傍まで行き、必要とされない人材となった己の過去を振り返る。残り少ない財布の中身を気にかけながら、宝くじの幟を見て、東京都スクラッチくじを買うかどうか逡巡する。だが、その時、宝くじ売り場の近くに座っている小男に呼び止められ、彼と賭け事をする羽目になる。だが、小男とのやり取りがトリガーとなり、永幡は「二番目の法則」を会得する。その結果、ギャンブルに常勝し億万長者になる。それがどう絡む・・・・・?

 行政改革担当・規制改革担当大臣として内閣に抜擢された昭和35年生まれの戸田俊行。彼は東京都知事の息子である。井尾山輝夫・内閣官房長官が閣僚を集合させた会議で、臨海副都心にカジノを建設したいという都知事の提案に対し、合法化への意見を閣僚に求める。総理が法案成立に前向きである姿勢と、都によるカジノ・テーマパークの施設建設は8割がた完成している状況を伝える。この会議で合法化への動きに賛成したのは平丘経済産業大臣と戸田だけだった。

 休暇を取り、長野の虔折山スキー場に来ている岬美由紀に話が移る。スキー場で少年に対し即興のカウンセリングを依頼されるエピソードがまずおもしろい。美由紀はスキー場から2kmほど離れたホテルに宿泊している。夜、聞き覚えのあるヘリの爆音に気づき、緊急事態の発生と判断する。勿論、美由紀は救助という行動に飛び出していく。遭難者の発生らしい。現地に到着すると腕時計型のGPS発信機を発見するが、遭難者は見当たらない。そこに雪崩が発生してくる。美由紀は巻き込まれる・・・・。何とか危地を脱出して、ホテルに辿りつくと、異常な雰囲気を感じる。美由紀は何等かの罠に陥れられたと悟る。即座にその場から姿を消す。この後、美由紀はブッツリとストーリーに登場しなくなる。なぜか? 読者には疑問が残るまま、ストーリーが進展していく。

 里見沙希は、横浜中華街にほど近い商店街にあるマジック用品専門店でアルバイトをしている。つい最近、FISMのドレスデン大会に出場してイリュージョンに挑戦したが見事に失敗した。店長は沙希の仕事ぶりから能なしと判断していたが、デックを片手のみで複雑にカットする実技を見せつけられて唖然とする。そんなところに、内閣府大臣政務官の秘書と称する腰木が沙希を訪ねて来た。近々オープン予定の第三セクターの大規模娯楽施設でのセレモニーにおいて、イリュージョンを演じて欲しいという依頼だった。つまり、沙希は真っ先にお台場カジノでの仕事に関わりを持っていく形になる。

 戸田は、芹沢警察庁長官、三塚警察庁刑事局長、出崎警視総監と井尾山、平丘が会議をする場に参加する。芹沢は警察組織が全面的にカジノ経営のあらゆる段階に関与することを法規に規定することを要求していた。その場で戸田は一つのゲームをしてみせる。その実験を踏まえて、警察の大掛かりな支援は不要で、イカサマを見抜ける専門家こそ必要なのだと力説する。芹沢は一旦譲歩しつつ、プロ・ギャンブラーの助言という意味で永幡一徳、イカサマを見抜く専門家という意味で藍河隆一の名を挙げる。戸田は永幡と藍河をお台場カジノに引き入れる役回りになる。
 戸田と藍河が出会う場面がおもしろい。戸田が考案して警察組織のトップ官僚たちが見抜けなかったゲームのカラクリを藍河がいとも簡単に見抜いてしまうのだ。藍河は元警部補で、警視庁刑事部組織犯罪対策部に所属していた。ある時点で藍河はでっちあげの事件の捜査命令を受け、その捜査プロセスで悪徳警官のシナリオを背負わされる立場に陥る。反証の手段はなかった。汚職で逮捕され、警官の肩書を失っていた。

 役者が出揃った。ここからいよいよ舞台はお台場のカジノ・テーマパークに移っていく。
 招待客だけを集め、主催者側が仮営業をする日に、藍河と永幡はジパング=エンパイアと称するお台場にできたカジノ・テーマパークに赴いていく。二人は電車内で知り合うことになる。戸田議員の指示をうけた米倉茜が藍河と永幡をエスコートする。米倉茜は、ジパング=エンパイアが敷地面積115ヘクタールで、東京ディズニーリゾートに匹敵する規模だと説明する。
 
 テーマ・パーク内を見物して歩く藍河は、”迷羊神社”、通称”負け犬神社”に入る。ギャンブルに明け暮れる迷える羊をケアする神社までも設置されている。藍河が神社の奥に行くと、永幡が相談していた女は「臨床心理士 岬美由紀」の名刺を藍河に差し出した。その女は藍河によくある名前ですと応対した。この場面の文脈から、読者はこの女が美由紀でないことが想像できる。ならば、名刺を差し出したのは誰なのか?

 そして、事件は劇場”宴楽座”で発生する。そこには、沙希のイリュージョンを見るために、招待客、国会議員、警察官僚などが観客席を占めていた。戸田議員は藍河に日本人少女のイリュージョンのショーを見物することを勧める。
 ショーの途中で機関銃を乱射する黒装束の男が現れて、事態が急変する。そこにリーダー格と思われる伸銅畔戸と名乗る男が登場する。彼は、劇場が占拠され、観客は人質となったと告げる。この仮営業のために、カジノにあるチップと同額の現金400億円が金庫室におさめられている。それをいただくための人質が劇場に居る観客だと。勿論、ここには、戸田議員の他に、芹沢警察庁長官、三塚警察庁刑事局長、出崎警視総監が招待されていた。平丘議員も観客の一人に含まれる。
 この伸銅を初めとする黒装束の一団が人質を取り400億円奪取の事件を引き起こしたところから、ストーリーの後半の大活劇が始まっていく。
 勿論、ストーリーの展開はどんどんおもしろくなる。そして意外な展開へと突き進んで行く。その意外な展開の一つとして、本物の岬美由紀が突然にカムアウトしてくるのだからおもしろい。その背景には、勿論理由とプロセスがあった。それ自体がサブストーリーとして一つの挿話になる。大掛かりな400億円奪取のシナリオが周到に準備されていた事実と真の首謀者が徐々に明らかになっていく。如何にしてこの奪取を阻止できるのか・・・・。読者は途中で読むのをストップしづらくなるとお伝えしておこう。
 
 ちょっと行き過ぎ、やり過ぎ感のあるストーリー構成になっているが、その分エンターテインメント性に溢れている。その活劇的な展開を楽しめる作品である。

 実際に公営カジノができたとしたら、どんなリスクが発生するか。そのシュミレーションになる問題事象はあちらこちらに描き込まれている。そういう目で、ちょっと極端なこのストーリーを仲介として、カジノ運営面に絡む利権問題を含めて、現実的な問題事象について考えてみるのにも役立つかもしれない。

 最後に、一つ付け加えておきたい。エンディングのシーンが実にいい!
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、事実ベースでの関連情報を少し検索してみた。IR実施法絡みの今後を見つめる上でも役立つベースになると思う。
石原都政  :ウィキペディア
東京のジレンマ  :「iag JAPAN」
公営ギャンブル :「コトバンク」
IR推進法  :「コトバンク」
IR実施法  :「コトバンク」
特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律 平成28年法律第105号:「e-GOV法令検索」
特定複合観光施設区域整備法 平成30年法律第80号 :「e-GOV法令検索」
特定複合観光施設区域整備法施行令 平成31年政令第72号 :「e-GOV法令検索」
カジノ法案最新情報まとめ【2022年最新版】  :「日本カジノ研究所」
カジノ(IR)の日本誘致に関する質問主意書 提出者 江田憲司 :「衆議院」
東京お台場 大江戸温泉物語 18年間の物語 :「大江戸温泉物語」
ここは押さえておきたい!お台場のおすすめ温泉スポット22選  :「一休.com」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『クラシックシリーズ5 千里眼の瞳 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ4 千里眼の復讐』  角川文庫
『後催眠 完全版』   角川文庫
『催眠 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ3 千里眼 運命の暗示 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』  角川文庫
『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  角川文庫
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点 総計32冊 


『深大寺の白鳳仏』   貴田正子   春秋社

2022-02-05 21:43:48 | レビュー
 東京都調布市は古代には武蔵国と呼ばれていた地域に位置する。第52世住職、長辨の文集『私案抄』によれば、750年に満功上人がこの武蔵国に祇園寺を創建し、12年後の762年に深大寺を創建した。その深大寺にいつ頃か「釈迦如来椅像」(以下、深大寺像という)が伝えられた。江戸時代に深大寺は2度大火災に見舞われたという。慶応元年(1865)の大火災において、深大寺像は無事に救出されたのだが、元三大師堂が再建された時、この堂内の須弥壇内に仮置され、その後そのまま忘れさられていたという。明治42年(1909)10月に考古学者の柴田常恵ら3人が寺の梵鐘調査で訪れた。調査の後、元三大師堂に回って、寺務員に質問したことがきっかけでこの深大寺像が引き出されることになる。白鳳仏の深大寺像が「発見」された瞬間である。寺の再建のために深大寺仏の売却が話題になった時期もあったようだ。だがその危機は回避され、大正2年(1913)4月に当時の古社寺保存法により「国宝」に指定された。戦後の文化財保護法の下で、長らく重要文化財に位置づけされていたが、平成29年(2017)9月に国宝に指定された。
 
 著者は「第1章 白鳳三仏」で、飛鳥仏から白鳳仏への仏像の変化をまず読者にわかりやすく説明する。そして、白鳳三仏と称される3体の仏像を挙げる。奈良・新薬師寺「香薬師如来立像」、東京・深大寺「釈迦如来椅像」、奈良・法隆寺「夢違観音像」である。この三仏について基礎的知識の説明がつづく。「そしていずれも、古代日本に生きた誰かの念持仏だったのだろうと想像させるほどのサイズ感で、ポータブルが可能な寸法だ」(p18)と受けとめている。
 著者は新聞記者になった当初に茨城県笠間市の「民俗資料室」で香薬師像複製と出会う。この香薬師像が3回盗難にあったという事実を知る。「第2章 香薬師像の右手」では、盗難に遭った香薬師像の右手が発見されるまでの経緯の概略をまとめている。それが著者を深大寺像に導くことになったからだろう。なお、著者は本書より先に、『香薬師像の右手 失われたみほとけの行方』(講談社)を上梓している。ここの第2章をさらに具体的詳細にルポルタージュしている内容なのだろうと推測する。
 光明皇后の念持仏であった香薬師像の右手だけは、それが寄贈されていた東慶寺から奈良・新薬師寺に戻ることとなる。

 「第3章 ミステリーな深大寺像」からいわば本書のテーマに入っていく。
 東京文化財研究所が文化庁の要望を受け、平成28年(2016)7月に香薬師像の右手の非破壊分析調査を実施した。それにより白鳳仏の特徴をあらわす高純度の銅の使用が確認された。その頃深大寺像はイタリアで開催された「日本仏像展」に出展されていた。この像の帰国時点で、この像も9月に東文研で科学調査されることが決まり、その結果白鳳仏であることが再確認された。それが国宝指定に結びつく。
 深大寺が企画した「深大寺白鳳仏国宝指定記念講演会」(平成29年6月~30年2月)が開催される。初回の講演者が水野敬三郎で、昭和後期に寺が深大寺像を深く調査した時の調査団長である。かつ、香薬師像の右手発見のキーパーソンでもある。
 「仏像彫刻の専門家の視点から、優れた造形の深大寺像は上級貴族が施主に違いないという。では、上級貴族が造らせた深大寺像が、なぜ都から遠く離れた辺境の地、武蔵野の深大寺にあるのか。」(p97)そこから水野先生は「武蔵国の国司をやった高倉福信」(p97)に言及された。武蔵国に住んだ渡来人の子孫で、中央で大出世した人物が関わっている可能性を推定したという。この説明が、著者の探究心に火を付ける契機となる。

 「第4章 高倉福信」では、勿論この人物の徹底的な究明プロセスを明らかにしていく。『続日本紀』が中心的な資料となる。福信の出自からその死までの情報収集とその整理、他史資料との対比分析、深大寺像との関わりを論証できる筋道・・・・・著者の情報収集、論理的分析と推論が始まって行く。勿論、行き詰まりも発生する。ここではいわば文献研究の有り様を読者に開示してくれている。史料の読み解き方を学べることになる。

 「第5章 迷走」から、行き詰まりの打開策の一つは、人との出会いにあると言える。これはその事例になる。著者は新薬師寺の中田定観住職から、深大寺像のことを調べているという人物を紹介される。元航空宇宙工学の教授だったという津田慎一氏。深大寺像を対象に研究する目的は異なるようだ。だが、著者は『真名縁起』と『私案抄』の2つの文研の比較分析ならびに、武蔵国に重なる調布市・府中市・狛江市あたりの地誌を参照すればというヒントを得る。人との出会いが著者の行き詰まりを転換する契機になる。
 さらに、己の仮説を水野先生に中間報告し、問題点の指摘を得たことが、次のステップへの梃子になったようだ。
 第4章、第5章は、いわば研究活動の舞台裏を見せてもらっている感じでもある。そこに思考法、分析法など学ぶ材料が内在しているといえる。
 著者は迷走の先で、仮説を再構築していく。

 最終章の「第6章 平城山を越えて」では、著者自身が再構築した仮説の確認のために関連する地域、つまり平城山を越えた山城を巡った状況を綴っている。冒頭の「恵みの巡行」という小見出しが目にとまる。新薬師寺の中田住職が愛車で同行協力をされたという。
 著者が巡ったのは、JR木津駅~井手寺跡~橘諸兄公墓~蟹満寺。2日目は一人で京都府立山城郷土資料館で情報収集し、帰路、連鎖思考をとぎらせないように上狛駅分岐点で木津駅まで歩くことにしたという。
 著者は最後に、己の到達した仮説を水野先生に最終報告する場面で締めくくっている。
 著者はこの深大寺像(釈迦如来椅像)伝来の謎解きを追究し、「深大寺像ミステリーロマンの旅」(p204)ルポルタージュにおいて、「橘諸兄念持仏説」という仮説を提起した。その念持仏を光明皇后を介して、福信が受け武蔵国の満功上人のもとに運んだのだと。

 表紙には副題が記されている。「武蔵野にもたらされた奇跡の国宝」
 読み応えのある論考であり、ルポルタージュだ。著者の思考プロセスを追随しながら、その思考の紆余曲折も味わいつつ、楽しめる書である。本書は2021年6月に刊行された。

 最終章の著者巡行場所は、はからずもかつて史跡探訪のウォーキングで複数回巡っている。その時は深大寺像のことなど全く知らなかった。だが、現地を歩いた記憶を重ねながら楽しく読むことができた。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
深大寺  ホームページ
  深大寺開創と水神「深沙大王」
  東日本最古の国宝仏『釈迦如来像』
深大寺白鳳仏が国宝(美術工芸品・彫刻)指定  :「調布市」
歴史民俗資料館  :「笠間市」
白鳳 -花ひらく仏教美術-   :「奈良国立博物館」
その姿瑞々しくときめきの白鳳仏 :「祈りの回廊」
仏像-白鳳時代
盗難から70年の時を経て発見!国宝「香薬師像の右手」のミステリー:「現代ビジネス」
盗難で唯一戻った仏像の右手、特別公開  :「Lmaga.jp」
水野敬三郎  :ウィキペディア
銅造薬師如来立像(香薬師像)  :「文化庁」
【国宝仏像】夢違観音【法隆寺】の解説と写真  :「ギャラリー」
夢違観音~Premium~  YouTube

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もうひとつの拙ブログで、史跡のご紹介をしています。
こちらもご覧いただけるとうれしいです。(楽天ブログに掲載。『遊心六中記』)
探訪 京都・南山城を歩く 玉水から上狛へ -4 井堤寺跡・六角井戸・以仁王墓と高倉神社ほか
探訪 京都・南山城を歩く 玉水から上狛へ -6 [井手追補] 宮本水車跡・弥勒石仏・橘諸兄公旧趾
探訪 京都・南山城を歩く 玉水から上狛へ -7 綺原神社・蟹満寺・涌出宮

『知られざる北斎』  神山典士  幻冬舎

2022-02-04 21:21:55 | レビュー
 絵師葛飾北斎と彼の作品には関心を寄せている。美術展で北斎の数々の絵を鑑賞する機会を幾度か積み重ねてきた。見過ごした機会もある。北斎の絵師としての活動について小説の中で副産物として断片的に知ったこともある。だが、北斎の人生を伝記的な視点で捉える発想は今までなかった。北斎が晩年に描いた絵を見たこともあるが、北斎が80歳代にどのような生き方をしていたかを考えたことはない。

 本書は、2018年7月に出版されている。その時点において、「なぜいま『北斎』なのか?」(序章)という問いかけからスタートする。著者は、2017年7月にフランスのパリで開催された「ジャパン・エクスポ2017」を訪れた。会場でのアニメに対する熱狂への印象記から始める。そして、1870年代から1900年頃にかけてパリを中心に「ジャポニスム」と呼ばれる日本文化への大ブームが発生していた事を重ねて、時を溯って行く。そのブームの中心の一つが北斎の絵だった。特に『北斎漫画』と「神奈川沖浪裏」が熱狂的に受け入れられたという。
 そのうえで、「150年前と今日と、二つの熱狂に共通しているのは一部の愛好家の熱狂と、一般大衆の無関心という構図だ」(p22)と記す。150年前に、ジャポニスムのブームの中で北斎は「世界の北斎」になった。知らないのは日本人だけか、という問いかけでもある。続きに、著者はごく簡略に「北斎の誕生」プロセスをまとめる。見出しのキーワーでいえば、<多色摺り版画と共に><彫師体験><他流派の画法を学ぶ><狂人伝説><作品の多彩さ>という形でまとめている。
 私は、2017年に世界各地、また日本国内各地で多発的に「北斎展」が開かれていたとは知らなかった。特に著者は大英博物館と大阪・あべのハルカス美術館が共同で「北斎展」を開催したという。読んでいておもしろかった点の一つは、大英博物館ではこの北斎展を「北斎~Beyond The Great Wave」と名付けたが、ハルカス美術館は「北斎~Beyond Mt. Fuji」にしたという。著者はインタビューから得た事実としてその理由を説明している。

 なぜいま北斎なのか? その究明が本書のテーマである。つまり、”知られざる”北斎の実像を明らかにすることを介してそのなぜを解明する試みがこれだ。

 マクロ的な視点に立つと、葛飾北斎は、19世紀の「ジャポニスム」のブームの中で、西欧にデビューした。アメリカにも直に北斎の絵が伝搬されている。「世界の北斎」として熱狂的に受容された後に、北斎が改めて日本でも再評価されるに至ったようである。日本でよく見られる現象の先駆的事象と言えるかもしれない。北斎の50歳以降の活動が特に大きな影響を世界に与えているようだ。
 北斎は絵手本「略画早指南」他14册以上を52歳から61歳にかけて描いた。風景画「冨獄三十六景」は60代から70代にかけて、『北斎漫画』は55歳の頃に初編を発表、没後の1878年に15編が刊行されたという具合である。

 著者は、本書で「世界の北斎」になった側面に光りを当て、そして80歳代の北斎の活動とその活動拠点に着目していく。序章につづく本書の構成にそい、簡略なまとめと感想等をご紹介する。

<第1章 北斎の世界デビュー、19世紀ジャポニズム>
 パリを訪れた松方幸次郎がモネのアトリエで、彼の絵を見て、この中の18枚の絵を譲って欲しいと直談判したエピソードから始める。西欧にコレクショニズムという名の征服欲が内在する点に触れた上で、印象派が台頭してくる時代背景を語る。印象派の画家たちがなぜ浮世絵に引きつけられたのか。特に北斎を熱狂的に受け入れたのはなぜかに迫る。
 特に事例として、北斎とゴッホの関係を取り上げている。「ゴッホは、一説には約500点の浮世絵を所有していた」(p83)という。ゴッホが北斎の使ったベロ藍に関心を抱いたということをここで初めて知った。

<第2章 北斎をプロデュースした男・林忠正>
 原田マハの小説『たゆたえども沈まず』はゴッホを描いている。この小説を読んだとき、私は林忠正という人物の存在を知った。この章で、林忠正について改めて学び直すことができた。パリ万博を契機に、浮世絵が熱狂的に受け入れられ、ジャポニスムが沸き起こる背景には、仕掛人がいた。それが画商林忠正である。パリのオルセー美術館にはブロンズの忠正のマスクが残されているそうだ。
 この章は林忠正について伝記風に語る。忠正は日本の美術のコンテクストを西洋に正しく提示する役割を果たした人、美術界のエヴァンジェリスト(伝道師)であると位置づけている。そして、北斎をプロデューズしたのが忠正だという仮説を提示する。なるほどと思う捉え方である。

<第3章 小布施の北斎と高井鴻山、豪商文化>
 戦前からの北斎研究は、晩年の北斎は衰退し芸術的生命は終わっていたと結論づける。これらの諸研究結果に対し、著者はこの章で反論を展開する。
 1836年(天保7)、北斎(76歳)は小布施出身で江戸に遊学中の高井鴻山ニ出会ったという。寛政の改革に始まる江戸の出版規制、全国的な経済不況と天候不順が発生している時期である。それが機縁で、1843年(天保14)、83歳の北斎は小布施を訪ねる。これが契機となり、北斎は数度、高井鴻山に世話になり小布施に長逗留することになる。江戸からの距離は250km。小布施で北斎は肉筆画に傾倒して行ったという。
 この地で北斎は日々「日新除魔」を中心に絵筆をとった。東町祭屋台天井絵(鳳凰図と龍図)、上町祭屋台天井絵(怒濤図)、木彫の公孫勝像と飛龍、岩松院天井画を次々に制作していく。
 江戸の北斎としては空白の時代であったが、小布施では精力的に絵を描いていたわけである。それも、浮世絵から肉筆画に移行した形で活動していた。北斎に衰退という言葉はあてはまらないようだ。まさに驚嘆すべきエネルギッシュな絵師だったのだ。
 この章では、北斎を支援・庇護した高井鴻山にも光りを当てている。さらに十八屋・小山文右衛門にも触れている。小布施には豪商文化があった。

<第4章 北斎再生! そして未来へ>
 北斎が人生最後の段階で創作活動をしていた小布施においても、北斎は忘れられた存在になっていく。だが、その北斎が見直され始める契機が訪れる。1966年(昭和41)9月~11月に、日本経済新聞社主催でモスクワの「プーシキン美術館」とレニングラードの「エルミタ-ジュ美術館」で「北斎展」が開かれた。その企画と実現への仕掛人は当時、専務取締役になった円城寺次郎だったという。
 ソビエトでの北斎展では延べ約33万人の動員となったそうだ。その結果、国内で俄に北斎ブームが沸き起こる。北斎展開催が国内各地に広がって行く。
 著者はこの経緯の中で、小布施北斎館の誕生と町づくりの経緯として、小布施の状況をレポートしている。ここにも市村郁夫という小布施町長が北斎からのまちづくりを主導する仕掛人だったことがわかる。
 小布施の北斎に関しての真贋論争にも触れていて興味深い。この論争があることも本書で初めて知った。
 
<第5章 世界で北斎が求められる理由~すみだ北斎美術館誕生>
 「いまなぜ北斎なのか?」という問いかけに再び立ち戻り、著者が行き着いた仮説を論じるとともに、それをキュレーターたちにぶつけた時の応答について述べている。ここは上記の各章の展開のまとめでもある。本書を開いてご確認いただくとよい。
 すみだ北斎美術館の誕生の経緯をここに取り上げている。これは著者の仮説を例証しようとする試みでもあると受けとめた。私はこの美術館が誕生したことも本書で初めて知った。

 最後に、冒頭に載せた本書の表紙に触れておこう。これは葛飾北斎画「上町屋台天井絵怒濤図」の男浪の部分図が使われている。
 本書を読み、北斎の知られざる側面を知る機会になった。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、ネット検索した事項をいくつか一覧にしておきたい。
葛飾北斎  :「コトバンク」
葛飾北斎  :ウィキペディア
信州小布施 北斎館 ホームページ
  小布施と北斎
すみだ北斎美術館  ホームページ
  北斎漫画 三編
北斎漫画 1編  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富嶽三十六景  :ウィキペディア
葛飾北斎  :「浮世絵のアダチ版画」
葛飾北斎の壮絶な人生描く『HOKUSAI』新予告編 柳楽優弥&田中泯が熱演! YouTube
映画『HOKUSAI』特別番組【今だから葛飾北斎に学べスペシャル】 YouTube

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『相剋 警視庁失踪課・高城賢吾』  堂場瞬一  中公文庫

2022-02-03 13:46:23 | レビュー
 高城賢吾シリーズの第2弾。書き下ろし長編で、2009年4月に文庫本が出版された。
 
 失踪課は正式には「刑事部失踪人捜査課」で警視庁の本庁に設置されている。都内に分室が置かれ、高城は渋谷中央署に設置された第三分室に所属する実働部隊の一員である。
 捜査一課の長岡管理官が第三分室長の阿比留真弓に筋違いな人捜しを依頼に来た。一課が追っている杉並事件の関連である。通り魔に遭ったとみられる被害者安岡卓美は意識不明の状態。目撃情報を提供してきた堀という人物が行方不明。その堀を捜してほしいという。高城は無茶な振りだと怒り反対する。だが、室長の真弓はその案件を引き受ける。堀と名乗った人物の捜査は、法月大智と明神愛美が担当することになる。
 そんな矢先に、杉並黎拓中学3年生、14歳の川村拓也が分室に訪ねてきた。高城が応対する。仲間の希という女の子が行方不明なので捜してほしいと写真を持参でやって来たのだ。拓也は希が家出しそうにないタイプだと考えている。高城は明かな事件性がない場合、家族からの捜索願が出されないと取扱ができないと説明した。だが、落胆する拓也をみて、捜してやると約束した。「事件性がない限り、捜査は無駄になります」と真弓は高城に言う。だが、高城が個人的にちょっと調べてみますという発言を追認することになる。 拓也に対する約束が高城を泥沼に足を突っ込むような苦労に引きずり込んで行く。

 これが奇妙な行方不明事件の始まりとなる。なぜ、奇妙なのか。
 初動の手続きとして、高城は拓也が作成してくれたリストを使い、黒田希の自宅に電話し、母親に希の所在を確認した。ところが母親は希のことは主人に聞いて欲しいとだけ返答したのだ。デジタルプラスワンというIT企業の社長だという。高城は希の父親の会社に出向く。父親の黒田直紀は、今までに希は幾度か家出をしている。2,3日したら帰ってくるから心配していない。自身は忙しくて週の半分は会社に泊まり込んでいる。捜索願を出す意志はないという。高城は誘拐されたのではないかと問いかけるが、直紀は歯牙にもかけない。逆に、高城が見当外れなことをしているのは間違いないとまで言う。
 両親の非協力的な態度、捜査願をだす意志がないという点で、捜査をここでやめても誰かに責められることはない。だが、高城の脳裡では行方不明となった我が子綾奈との対話が生じる。娘の幻を見ることが、この奇妙な行方不明を捨て置けないという衝動で高城を突き動かしていく。

 両親の拒絶、拓也のリストだけが手がかりという状況から、地道に聞き取り捜査をしらみつぶしに行うスタートとなる。希の交友関係での聞き取り事実から、希の行動を推測することしかまず糸口がない。あちらこちらで障壁を感じながらの聞き取り捜査が積み重ねられていく。そのプロセスが描き出されて行く。いわば、暗中模索状態がストーリー化されているとも言える。

 この第2作では、法月と愛美が行方不明の堀の捜査に携わることが決まったので、高城は真弓の指示を受けて、醍醐塁を相棒にする。そのため、このストーリーでは醍醐の刑事としての長所短所、その捜査能力が高城の視点を介して描き込まれることにもなり、おもしろさが増す。誘拐の懸念を抱く高城は、黒田の資産や会社の状況などの情報を醍醐に捜査させる。黒田の自宅は高級住宅地にあり時価4億円の豪邸で、黒田直紀の愛車はフェラーリだという。デジタルプラスワンは2年前にジャスダックに上場していた。

 3月のある夜、聞き込み捜査を続ける高城に声をかけてきた男がいた。東京に本部を置く指定暴力団、京三連合の若頭、塩田龍二だった。高城にとっては関わりたくない相手。だが、塩田は杉並での傷害事件のことを話題にした。そして、高城に「被害者とSI。面白い話になるかもしれませんよ」(p95)というメッセージを残していった。
 希の捜査とは無関係と高城は思っていたが、この塩田の謎かけが捜査の進展につれて意味を帯びてくることに・・・・。

 捜索願の出ていない捜査。高城は綾奈の幻に突き動かされて、同じ年代の希の行方を真剣に捜査する。黒田直紀は協力を拒否し続ける。「弁護士に相談する。然るべき人間に抗議する」とまで言う。高城は勿論ひるまない。「親としての過ち。人としての過ち。黒田に、私と同じ気持ちを味わわせたくない」(p153)それが高城のこの捜査に取り組む原点になっているからだ。

 聞き込み捜査の小さな手がかりの積み上げが、希の行方不明と絡む大きな構図を描くようになる。そこに、長岡管理官の持ち込んだ目撃者堀という行方不明の人捜し並びに、若頭塩田の謎かけが絡み合っていくことになる。
 さらに、捜査と併行して、醍醐が密かに胸中にいだく家族事情での負い目までが浮き出てくる。高城は醍醐の思いを吹っ切らせる手助けをすることに。このあたり、高城の人間味が出て来て興味深い。

 最後に、希の救出においては、第三分室の森田純一の射撃が高城の命を救うという働きをする。森田がこの場面だけに重要な役割を担って登場するというのもおもしろい。
 どんな救出劇となるのかは、本書を開いて楽しんでいただきたい。

 格好良い事件の捜査ストーリーではない。読者を戸惑わせる右往左往の捜査プロセス。地道で泥臭い聞き取り捜査が、ジグソーパズルを完成させていくように、徐々に方向づけられていくプロセス。そのストーリーの進展こそ現実味があり、興味深いといえる。
 一番おもしろい点は、これが捜査願の出されていない捜査であるということかも・・・・。この点がフィクションがなしうる最たる点なのかもしれない。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『蝕罪 警視庁失踪課・高城賢吾』   中公文庫
=== 堂場瞬一 作品 読後印象記一覧 === 2021.12.15時点 1版 22册


『三屋清左衛門残日録』  藤沢周平  文春文庫

2022-02-02 22:28:38 | レビュー
 文庫本の奥付を読むと、「別冊文藝春秋」(172~186号)に発表され、平成元年(1989)9月に単行本として刊行、1992年9月に文庫化された。それ以降増刷が続いている。

 江戸屋敷詰めの用人の職まで勤め、新藩主が家督を継承する時点で、三屋清右衛門は家督を惣領又四郎に相続させ、隠居となった。清右衛門は国元に戻り、新藩主から隠居部屋を普請してもらうという厚遇を受けた。このストーリーは、隠居した清右衛門が、様々な人から依頼され、様々な課題・案件に取り組んで行くプロセスを描き出していく。
 清右衛門は隠居して、日記をつけ始めた。日記の題が「残日録」である。清右衛門はその題について、惣領又四郎の嫁里江に、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シの意味でな。残る日を数えようというわけではない」(p16)と説明している。本書のタイトルはここに由来する。
 このストーリーは、日記に記された内容がショート・ストーリーに変換されて続いていくというスタイルと私は受けとめた。短編連作集と言えよう。一つ一つの内容が一応完結していく。
 一方で、日記としての時間軸で経緯が綴られていく。そこには、新藩主の次の継承者(世嗣)に絡んで、静かに蠢いている派閥抗争の事情が日記の根底に継続して綴られていくという側面を含んでいる。このストーリー全体を眺めると、派閥抗争の進展状況ををとらえていると言える。時にはその派閥抗争がショート・ストーリーの表に出てくることがある。藩の執政府が紛糾の渦中にあるという側面に着目すると、長編小説とも言える。

 以下、小見出し単位に大凡の筋と印象をご紹介したい。
《醜女》
 10年前、城の奥御殿に奉公中の菓子屋鳴戸の娘おうめは在国中の先代藩主の気紛れから一夜の伽をさせられた。その後おうめは暇を出され実家に戻る。おうめが最近身籠もった。おうめをひそかに処分せよという強硬な意見の噂が流れる。町奉行の佐伯から相談を受けた清左衛門が動き出す。清左衛門は藩の手続き面での過誤に気づくことに・・・・。
 一人の女のひとなみのしあわせがかかった状況にどう対処するかがテーマである。

《高札場》
 大手前の高札場で安冨源太夫が七ツ(午後4時)すぎに腹を切った。死にきれずに苦しんでいるところを家の者に引き取られて後に死んだ。殿に対する怨みという類いのものではなく、女の名前をわめいていたという。源太夫と道場での同門、釣り仲間とみられている清左衛門は佐伯からその女について内密に事情をさぐることを頼まれる。
 人それぞれの思い込みが真実を歪める。清左衛門も己の思い込みに気づくはめに。

《零落》
 保科笙一郎の塾からの帰路、にわか雨を避け小禄の武家屋敷の笠門で雨宿りをする。それが30年ほど交際の途絶えていた金井奥之助との再会となる。若き頃の派閥の選択が人生の岐路になっていた。その経緯を回想することになる。それを契機に零落した金井は清左衛門の屋敷を訪れはじめる。二人で磯釣りに行くことが一波乱をよぶ。
 落ちぶれたまま隠居した男の悲哀と憎しみが噴出する。その機微がテーマと言える。

《白い顔》
 菩提寺で百年忌の法事を終えた御礼に清左衛門が寿岳寺を訪れたとき、頭巾で顔を包んだ武家の女とすれ違う。清左衛門は顔を見なかったが不意に見覚えがあった気がした。老住職に尋ねてその女性の身元がわかる。それが清左衛門の若き日に、波津というひとと、はからずもひとつの秘密を分け合うことになった出来事に繋がっていく。
 訪れた佐伯の話を聞き、清左衛門は平松与五郎に縁談話を持ちかけることに・・・・。

《梅雨ぐもり》
 御蔵方の杉村要助に嫁ぎ3年、子供が1人いる末娘奈津に久しぶりに清左衛門が会う。奈津の窶れようを異常と感じた。惣領の嫁・里江から「近ごろ、杉村さまは外に女子がおられるのだそうです」と告げられる。奈津の推測話ばかりでなく、義理の姉からの注意もあったという。末娘の事を案じる清左衛門は、それとなく事情を調べ始める。
 派閥に絡む内密の行動が、あらぬ噂に転化するという錯誤がテーマになっている。

《川の音》
 川釣りで、よい釣り場を求めて小樽川の上流へと遡った清左衛門は、帰路、野塩村の近くで、急流の中で助けを求める女おみよと子供を発見する。二人を助けた清左衛門は、近くの橋の上に鳥刺しと思える男が見物していたことを思い出す。その不可解な思いが記憶に残る。残暑が遠のいたある日、深夜に面識のない近習組の黒田欣之助が訪れた。
 黒田の警告は、逆に派閥抗争に絡む藩内の闇を清左衛門に気づかせる。

《平八の汗》
 江戸詰めの右筆として勤める伜に家督を譲り、隠居して1年ほどになる大塚平八が清左衛門に頼み事に来た。家老のどなたかに紹介状を書いて欲しいという。間島家老を紹介したが、平八は清左衛門にも要件を明かそうとはしなかった。ある日、塾で牧原新之丞から論語を読む会に誘われる。誘いを受けたので一度は出席すると約束した。
 その会の性質を清左衛門は見抜く。一方、間島家老から平八の一件を聞くことになる。

《梅咲くころ》
 論語の読書会で清左衛門は安西佐大夫と知り合い、彼を気持ちのいい男と感じていた。安西と別れて自宅に戻ると、江戸から戻ってきたという松江が訪ねてきていた。縁談話があり、嫁ぎ先は金丸小路の野田だという。清左衛門は奇妙な不快感を抱いた。佐伯に尋ねたことで不快感の原因がわかった。清左衛門は松江に意見を述べる
 清左衛門は命を狙われ安西に助けられる。「佐大夫、嫁をもらわぬか」と告げることに。

《ならず者》
 清左衛門は江戸屋敷で近習頭取を勤める相場与七郎と「涌井」で会う。話題は藩内にある派閥対立のことだった。三屋なら派閥にかたよらずに公平に話を聞かせるだろうと言う殿の意向を受けてのことである。さらに、半田守右衛門の収賄事件が持ち出されてきた。事件からおよそ10年が経つ。清右衛門は半田の収賄事件を密かに調べ直し始める。
 冤罪とわかる一方で、やるせない状況が明らかになっていく。これも人生。
 
《草いきれ》
 夏風邪をひいた清右衛門は遠藤派の会合には出ていなかった。久々に中根道場に赴き、そこで、会合に朝田派の者と思しき金井祐之進が紛れ込んでいたと平松から聞く。一方、道場では少年2人の殴り合いがあり、清左衛門は少年時代を思い起こすことになった、
 過去の回想から現在の隠居の身に戻る。旧友小沼惣兵衛の現在の生き様を見せられる。 人生の回顧と今の対比がテーマであるようだ。「足掻く齢」という語句が印象に残る。

《霧の夜》
 清右衛門は佐伯と「涌井」で酒を酌み交わす。話題は藩内の派閥抗争。朝田派で近習組の黒田欣之助と郷方回りの村井寅太が江戸に出た。彼等の帰国が江戸の動きを伝えることに繋がるという。一方で、佐伯は成瀬喜兵衛の奇異な行動を話題にし、ボケたという。
 だが、清右衛門は、無外流道場主中根弥三郎を介して、伝言を伝えられる。何とか成瀬喜兵衛に面談した清右衛門は派閥抗争に絡む意外な事実を知ることになる。

《夢》
 清右衛門が若い頃の同僚小木慶三郎に自分が何かを弁疏している夢を幾度も見る。その夢の原因が何かを回顧していく。そして、今までに小木慶三郎が左遷された原因を一度もつきとめようとしていなかったことに気づく。佐伯と話をし、当時の上司金橋の話を聞いた後、清右衛門は小木慶三郎の屋敷を訪ねる行動をとる。小木の回顧談を聞く。
 金橋の当時の覚書から清右衛門は左遷の理由を知る。「涌井」での挿話が興味深い。

《立会い人》
 道場主の中根弥三郎が、清右衛門の隠居部屋を訪れ、立会い人を依頼する。30年前の試合にこだわった納谷甚之丞が飛脚の手紙で立会いを申し込んで来たという。30年前の試合は今の中根の女房を争う試合でもあったという。中根は甚之丞との試合で思わぬ技を使うことになるかもしれない。是非清右衛門に立会い人を頼みたいという。
 試合の当日、清右衛門は中根の予想どおりの立会い人になってしまった。

《闇の談合》
 急な風雨の中を、新藩主の用人船越喜四郎が清右衛門を訪ねてきた。石見守病死の件に絡んでいた。実は国者による毒殺だという。清右衛門はその経緯を聞くことになる。話は数年前まで溯り、そこには世嗣の問題が絡んでいた。船越は明晩朝田家老に面談するに際し、清右衛門に同道を依頼にきたのだった。それは新藩主の意向でもあった。
 船越と清右衛門は、朝田家老と談合し、処分についても新藩主の意向を伝えることに。

《早春の光》
 派閥抗争が終焉した後の移行期が語られる。藩の執政府が音もなく交替し、藩の役職が交替していく。今のところは交替が静謐に進んでいる。朝田家老への処分の言い渡しがどのような波紋を引き起こすかに注目が集まっていた。いくつかの事件が点描されていく。清右衛門の周囲にもいくつかの変化が現れる。「涌井」のみさが店をおなみに譲り故郷に替える決心をした。
 清右衛門の目を通して、それらの状況が冷静に眺められていく。

 「平八が、やっと歩く習練をはじめたぞ」と清右衛門が惣領の嫁に語ることでこのストーリーは終わる。中風で倒れた平八が行動を起こした。清右衛門にも大きな刺激を与える。清右衛門が己の決意をこの平八の行動に仮託したのだろう。清右衛門らしいエンディングといえる。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『蝉しぐれ』  文春文庫
『決闘の辻 藤沢周平新剣客伝』  講談社文庫
『隠し剣孤影抄』  文春文庫
『隠し剣秋風抄』  文春文庫
『人間の檻 獄医立花登手控え4』  講談社文庫
『愛憎の檻 獄医立花登手控え3』  講談社文庫
『風雪の檻 獄医立花登手控え2』  講談社文庫
『春秋の檻 獄医立花登手控え1』  講談社文庫